第八章 疑念 十三
ラーメン屋の暖簾はとても年季の入ったもので、店構えの小ささからいって、店内も十五人入れればいいほうだろう、と神木は思った。
ラーメン屋の隣は小さな花屋で、これもまた非常に小さい面積だった。
縦に細長い造りになっているのか、店内奥はうっすら暗く、店先に人の姿はない。
その隣は若者向けのドーナツ屋で、この通りで唯一ここだけが煌々とした明りを、雨空で視界の暗い道路に放っている。
だが、店内には子供連れの主婦の集団に、学生らしき女性がいるだけだ。
「どうします?」
「まずは様子を見たいな」
神木と村上は並んで、ゆっくりとラーメン屋に向かいながら店内を想像した。
「でも、気付かれずに店内に入ることは難しいでしょうね」
村上は、申し訳程度に軒先に置かれた傘立てに三本の傘が入れられているのを見ながら続けた。
「それに私は、最初に話しかけてきた、“誠大”と呼ばれた少年には確実に面が割れていると思います」
「中には四人か」
神木はそれを聞きながら、先程少年たちが店に入るときに、少年の二人のうちの一人しか傘を持っていなかったことを思い出しながら言った。
村上はそれには答えず、強い雨が頭皮を伝って額を降りてくるのをさり気なく拭いながら、だが視線は店内を透視しているかのように、ただ一点を見つめている。
「もしバレたら、その時はそのまま、偶然を装って話を聞こう」
村上は頷いて返事をすると、そのまま暖簾をくぐって引き戸に手を掛けた。
立て付けの悪い戸が砂をばら撒いたような音をさせながら開くのを見ながら、神木は緊張を隠すように、小さく喉を鳴らして咳払いをした。
「らっしゃい」
扉を開けるとすぐに覇気のない、見るからにアルバイトのような小太りの男が返事をしただけで、他に人の声はしていなかった。
代わりに、壁に取り付けられたテレビから昼のワイドショーが流れており、時折サクラの揃った大袈裟な笑い声が店内に溢れる。
神木は店内に入ると、まず少年たちがどこに座っているのかに目を走らせた。
店内はやはり奥行きがあり、入り口の右斜め前に四人座れるカウンターが置かれ、その後ろ――入り口の右横だが――にはテーブルが二つあり、それぞれに丸椅子が二つずつ無造作に置かれているばかりだった。
そして、その奥側にある一つに少年二人が向かい合って座っていた。
店員に声を掛けられたとき、入り口を向いて座っている少年は俯いたままだった。
反対に、入り口に背を向いて座っていた少年はぴくりと肩を揺らし、三分の一ほどこちらを振り返ったが、神木らの顔を確認することなく元に向き直った。
神木は静かに鼻から息を噴出しながらそれを見やると、神木の脇に隠れるように並んでいた村上の肩に手を回し、入り口を真っ直ぐいった先の、三つあるうちの真ん中のテーブルに迷いなく歩いていった。
そこは神木の読み通り、座るとカウンターの角がちょうど死角になって、入り口に背を向けて座っている少年の頭の先が僅かに見えるばかりである。
神木と村上は水を持ってきた、先程のやる気の見えない店員にメニューを広げ、指差しで注文するとコートを脱ぐこともなく、小さくため息をついた。
神木たちと少年たちの他に客は二人いて、そのどちらもカウンターでそれぞれ新聞や雑誌に目を向けたまま、ラーメンを啜っている。
村上は厨房に引っ込んだ先程の店員がこちらを怪訝そうに見てくるのにきつく一瞥くれると、神木を見やり、
「こちらに背を向けているのが“誠大”と呼ばれていた少年です」
「もう一人はあれか。あいつともう一人、やけに俺に突っかかってきた少年の後ろを付いて歩いてた、大人しそうな奴か」
その瞬間、テレビのアナウンサーの高く、甘えた声に混じって微かに「龍」という声が彼らのところまで届いた。
それを聞いた村上の表情が途端に強張ったものに変わり、神木は目を見張った。
そして村上は頭を抱えるように両手で顔を覆うと、首をうな垂れて、「ああ」と、ため息に似た声を漏らした。
「神木さん、すみません。何ですぐに気付かなかったんでしょう。何故初め、神木さんの口から“向井龍之介”と聞いて違和感を覚えたのか、ようやくその訳が分かりましたよ」
そこまで言うと村上は顔を上げ、神木を真っ直ぐ見つめて、
「あの時、廊下で“誠大”と呼ばれた少年が言ったんです。神木さんに突っかかってた少年に向かって、一度だけ“龍”と」
言い終わるのと同時か、珍しいものに飢えたような顔をして店員が餃子を運んできた。
いやらしい目つきで神木たちを見ながら、勿体つけて餃子をテーブルに乗せる。
だが、いつもなら厳しい眼光をくれる神木も、その一連をぽかんと見つめているだけだ。
村上はそれを見ながら、不自然でないように箸を取ったり、醤油やラー油を入れたりしている。
神木は鼻腔に餃子の、焼けた皮とニラの香ばしい香りが広がるのをどこか遠くで感じながら、頭の中で鎧塚の含み笑いが糸を引くように繰り返されるのに、奥歯を強く噛み合わせて耐えた。
そうして、村上が箸で割り開いた餃子の奥から、とめどなく肉汁と油が沸いて出てくるのを見て、途端に鎧塚の歪んだ、絶望を覚えたときのような顔を思い出した。
あの生気のない暗い瞳が、俺を見つけたときのほんの刹那に醒めたように開かれたのを、俺は見逃してはいけなかったのだ。
神木はそう思うと同時に、村上を見た。
村上は力なくだが、口元に優しい笑みを浮かばせると神木に箸を差し出した。
「食べましょう、冷めてしまいます」
村上は少年たちから見えないように、心持ち姿勢を丸めて餃子を頬張った。
だが、環境音に混ざった彼らの会話を出来る限り聞き取ろうと張り巡らされ、研ぎ澄まされた彼女の神経が神木の周りをも容赦なく覆っている。
神木はようやく一致した「向井龍之介」という少年の、廊下で出会ったときの危うさを思い出しながら箸を割る。
そして、同じく全神経を、入り口横で膝を突き合わせて重たい雰囲気を放っている少年たちに向けながら、ため息をついた。
「龍之介が、この事件の犯人でなくとも、この龍之介という少年には何かあるかも知れん」
神木は箸の先で醤油に染まっていく餃子を虚ろな目で見ながら、村上の耳元で言った。
村上は静かに頷き、覚悟はとうに出来ているといわんばかりに神木を上目遣いで睨むように見た。
その頭上を、まるで嘲笑うかのように、テレビが時報を間抜けな音で告げている。
これで八章は終わりになります。
次回からは今以上にスローペースになってしまうと思います。もしここまで読んでくださっている方がいたら、本当に申し訳ないと思っておりますっ。すみませんっ。
それでもほそぼそと、完結に向けて頑張っていこうと思いますので、もしよければお付き合いくださると嬉しいです。
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