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  Flow 作者:森カラ
第八章 疑念 十一
 ウィンドウに映りこんだ村上にはまだ動揺が残っており、スピードを伴ってウィンドウにぶつかってくる雨粒は、まるで彼女が泣いているように見せていた。
神木はそれを見ながら、

「あんまり刑事職に踊らされるんじゃねえぞ。こんなのと結婚を前提にお付き合いなんか始めちゃったらお前、潰されるぞ」
「食われてポイ、ですか」

 ワンテンポ遅れて、村上はサラリと言ってのけた。
神木は、その荒い口調に苦笑を浮かべたまま、つい村上を振り返る。

だが、その目の輝きが健在なのを見つけて、「こいつは解っているんだろう」と神木は思った。
こいつは食われたりしないだろう、あの時の俺のようには。

神木は絶望に打ちひしがれながらも、警官という責務に溺れ、自分自身さえ見失っていた過去に目を瞑った。
こいつの、今出来る最善の選択を、こいつ自身が決めるのを待っていればいい。
そして神木は、大通りに出たばかりのところの路肩に車が停まろうとする中、事件が動き出そうとしている感覚を覚えた。

 俺も、あの事件の意味を追うんじゃない、初めから意味などないんだ。
意味が必要なら、俺が創ればいい。そうして、昇華してくれるように……。

 神木は祈るのにも似た気持ちで、車が完全に停車する数秒間、ゆっくりと目を瞑った。
そして、呟くように「まったく」と苦笑いして、

「まったく。口悪ぃお嬢さん、一体どこを食うって?」

 村上はギアをパーキングに入れると、「ほっといてください」と再び膨れ、神木の手から携帯電話を取り上げた。
そうしてそのまま三谷に電話を掛ける。
神木はその一連の様子を見ながら、再び喉を鳴らして笑った。


「何で電源切ってんだ、この野郎どもが」
 三谷の第一声が電話口から、割れんばかりの音で村上の鼓膜を震わせた。

「すみま」
「そっちはどうだ」

 皆まで言わせず、三谷は苛立ちを露にしながら聞き込み状況を催促する。
途端に緊迫した雰囲気に、村上は一度咳払いすると、向井家であったことを報告した。
そして少しの間の後、

「そうか。じゃあそのまま向井龍之介の所へ向かってくれ」
「有澤さんたちが向かうんじゃないんですか?」

 村上は驚いた様子で返した。
有澤とは北上署でこの教員殺しを担当している、同じ強行犯係の仲間だった。

この事件は現場付近で起こっていた動物殺しの絡みも考慮されているため、捜査本部には村上や神木の他、大勢の人員が動員されているのだ。
村上は三谷からの返答がないのが分かると、一度喉を鳴らし「分かりました」と一言いった。
神木は隣で、その突然シャープになった声を聞きながら、何が話されているのかを理解したようだった。

「管理官直々のお達しだ、心していってくれよ。それから、報告を怠らないこと。そこにいるモク中の男に、ようく言い聞かせてやってくれ」

 村上が苦笑しながら神木の方に目を向けようとしたのと同時に、三谷の強張った声が再び村上の耳を支配した。

「それから、これもタレこみのあったことだが、北上高の生徒らが書き込んでいるインターネット上の掲示板に、まさに朝の匿名電話と一致する書き込みがあってな。IPを辿って、それもさっき有澤たちがウラを取ってきたんだ」

「じゃあ、今朝の匿名の電話で言っていた、斉藤を困らせていた生徒とやらがハッキリしたんですね」

「ああ。他の捜査員たちもお前たち同様、朝、学校で取れたウラから幾人かの生徒宅へ先に行ったんだが、さっき正式に分かった。
 向井龍之介がその生徒だ」

 神木が身体を起こし、生唾を飲み込む村上から携帯電話を取り、
「三谷さん」

「神木か」

 神木は言葉遣いが昔のそれになってしまったことに言ってから気付いたが、訂正することなく、電話口からでもひしひしと伝わってくる三谷の、久方ぶりに発される緊張感の中に躊躇なくダイブした。

「詳しくは村上に聞いてくれ」
「いえ、大体分かりました。龍之介、だったんですね」

「とりあえず、その、古寺とやらから入手した龍之介宅に行ってくれ。頼むから無茶だけはしてくれるなよ」
「心得てますよ」

 神木は数秒の沈黙の間に三谷との交信を終えると、そのまま電話を切った。
そして背中にワイシャツが張り付いているのを感じて上体を起こしながら、いくら斉藤を困らせていたからといって、それが真っ直ぐ事件に繋がっていると考えるのは非常に無理のあることではないのだろうか、と思った。

だが、聞き込みをしても事件の尻尾をまるで掴めない今、ようやく指先に触れたその情報にしがみつかざるを得ないのが現状だった。
それに、と神木は思った。

この緊張と冷や汗も無視できるものでない。
神木は携帯電話を胸ポケットに仕舞いながら、額にじわりと浮き出た汗を左手の甲で押さえつけた。

「やっぱり、考えすぎって結論ですか」

 村上が神木のおかしな緊張を察したのか、ウィンカーを点滅させ、通りに復帰しようとハンドルを握りながら言ったのを神木は見た。

「だといいが。だがな。古寺の腹の傷、見えてこない、小枝子と龍之介の間にあったと思われる何か。そうであってほしくはないが、もう”可能性”の段階の域には充分達してる」
「確かに、そうですね。あの傷など、反抗期で片付けるのは少し度が過ぎています」

 村上は言いながらハンドルを右に切ると、そのまま流れに乗ってアクセルを強めに踏んだ。神木は動き出した車内から、通りの風景に目をやって、

「とりあえず、昼飯でも食おう。次にいつ食べられるか、分かったもんじゃない」
「豆板醤の必要なさそうなところに行きましょうね」

 村上は厳しく言うと、そのまま駅方面へと車を進ませた。
スピードを上げた車のウィンドウから洞穴の中に入り込んだときのような、風の通り抜ける音がしている。

神木は煙草を吸うために、数センチ開けていたそのウィンドウにチラリと目を向けると、冷たいものを感じて反射的に目を瞑った。
瞼の上を手のひらで拭ってみる。

小さな隙間から、勢いを増している雨がスピードに乗って入り込んできたのだった。
神木は拭った手をぼんやりと見つめながら、先程感じた「醒めた瞳」のことを思った。

自分の心の中にいつの間にかスルリと入り込んで、その冷たさだけを刻み込んだそれを、神木は思い出そうとしていた。
ほんの少しの隙間から入り込む外気に、身を震わせた村上はパワーウィンドウを閉めた。
神木は外の冷気から解放されてもまだ冷たい、赤くなった手をきつく握り締めると、そのままポケットに押し込めた。




次回で第八章が終わりそうです。
物語は折り返し地点を過ぎています。
非常に自慰小説となっていて、恥ずかしい限りですが、お付き合いくださると幸いです。
WEB拍手



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