ブックリスト登録機能を使うには ログインユーザー登録が必要です。
  Flow 作者:森カラ
第二章 闇の中で息をする男 二
 目の前ではいつのまにかバラバラだった輪が誠大を中心に広がり、皆好奇心たっぷりの瞳で誠大を見ていた。
大きく笑い声が鳴り、そこにいる全員と波長を合わせようとする彼からは余裕を感じる。
僕は無視出来ぬ固いしこりのような違和感を腹の底に追いやって、無理やり安心しようとした。

「お前が」

 僕の空気を感じ取ったように絶妙なタイミングで向井は言いかけた。
少し噴出しながら言ったのか、空気がブレた気配がした。
そしてそのまま口元に微笑を浮かべたような声で続けた。

「お前が日向をそうさせているのかもよ」


「おい、北公園で殺人事件があったらしいぜ」

 誠大は人だかりから頬を赤く上気させて戻ってくると、興奮しながらそう言った。

「え、マジで? 北公園って隣駅の?」

 僕はまだ何が何だか把握できていない頭でそう聞いた。
だが誠大の前で何とか平常心を保つことに成功し、束の間ホッとする。

「そうそう、昼のニュースで第一報が流れたらしい。まだ身元は不明だってさ」

 誠大はいつもより二割増早口で、僕が聞こうとしていたことをサラリと全部喋ってしまった。
自分の身近で殺人事件が起きたのは初めての経験で、「人が死んだ」ということだけでボウッとなってしまった頭はなかなか冴えてくれなかった。

「向井、聞いてる?」

 僕の反応には満足できなかったのか、誠大は後ろにいた向井に促した。
向井はずっと窓の縁に座って外を見ていた。
だが鼻で大きく息をして目を輝かせている誠大に身体を向けると、まるで哀れむように彼を見た。
 
「やけに興奮しているな」

 向井はそう冷めた口調で言うと右ポケットから携帯を取り出して何やら操作し始めた。

「何だよ、ノリ悪いな、こんな話聞いてもお前みたいに冷めてる奴の方が珍しいってんだよ。
刺激が欲しかったんだろ」

 誠大は膨れた顔で拗ねるようにフンと鼻をならした。
だがすぐに思い直した様子で僕を押し退け、向井の隣に腰掛けて愛用のマルボロメンソールに火を付けた。

(こう)、ガム食べる?」

 誠大は煙を一つ吸うと、間髪入れずにそう聞いてきた。
これは彼のいつものスタイルだ。

彼曰く、どうもメンソールが足りないらしい。
だから誠大はいつも煙草を吸いながらこの眠気覚ましガムを噛んでいた。
この匂いを嗅ぐと彼を連想するほどにそれは僕に浸透していた。

「うん、サンキュ」

 お礼を言いながらそれを受け取り、向井を後ろから覗き込むようにチラリと見た。
向井はこの少しツンとした煙の臭いが大嫌いらしい。

いつも誠大がマルボロメンソールを吸い出すと静かに席を外してしまう。
誠大の話によると以前はこういうことはなかったようだが、聞けば彼が今まで吸っていた煙草はメンソール系のものではなかったらしい。

向井は他人の事に干渉するのは嫌いな性質のようで、誠大に対していつも特に何も言わない。
しかし露骨に嫌な顔をするとすぐにベランダに下りてしまった。

僕は一つため息をつくと、包み紙からガムを取り出し口に含んだ。
人工的な爽快感を覚えながら向井を見る誠大の瞳を見ていた。
別段吸いたい気分でもなかったように見える瞳の奥に、少しだけ晴れた光のようなものが見えた気がした。

「で、お前のことだ。どんな奴が死んだかまで分かってんだろう?」

 向井はベランダの柵から身を乗り出し、校庭を見つめながらそう聞いた。

「何だ、やっぱ気になってんじゃん」
 誠大は嬉しそうにそう言うと自分もベランダに飛び降り、すぐに煙草を排水溝に落とした。
「実は殺されたのはうちの教員って噂が出てんだよね」

 誠大は向井の隣でベランダに背中を凭れながらニヤニヤして言った。
明らかに落ち着きがなく、楽しそうだ。

向井は全く微動だにせず、ふん、とだけ言った。
僕は身近な事件に加え「教員」という単語を聞き、心臓を萎縮させながらも、実際にはあまりに信憑性の低いこの噂を受け入れることが出来ないまま今まで2人が居た窓の縁へ腰掛けた。

「何かさ、マジで興奮するよな、こういうのって」
「……随分と嬉しそうだな」

 まだ体勢を変えずにそう呟いた向井に向かって、誠大は間髪入れずに答えた。

「当ったり前じゃん、別に誰が死のうと俺には全然関係ないし。それよりすげー非日常的な事が自分の周りで起こってるってことがたまんないよ、こういう刺激を待ってたんだよね」

 誠大は興奮を抑えられない様子で早口で答えた。
それを聞き終えるのが先か、向井の身体がピクリと震えた。

「まあ、俺それ分かる、何となく」

 向井はそう呟くと身体の向きを変え、噂話で盛り上がる教室内のクラスメイトに視線を向けた。
誠大は不意を衝かれたようにポカンとしていたが、やがてパアッと口元を綻ばせた。

「だろ? 何だ、向井君も人の子じゃないですか」

 誠大はふざけてそう言うと向井の肩に自分の腕をガシリと置いた。
向井はそんな誠大の突然の態度に驚いたのか物凄い勢いで彼を見た。
そんな向井を余所に誠大は続ける。

「あのね、それ普通。それが俺ら感受性の強い青春真っ盛りの男子にとって当たり前の感情だから」

 初めて目の当たりにした向井の本心とも取れる言葉に触れて、僕は正直驚いていた。
そして誠大は少し安心しているように見えた。

「(それはそうかもしれない)」

 そう思いながら僕は思わず凝視してしまった向井の顔から目線を外して、彼の見据えるクラスメイトに視線を合わせた。
僕は、僕が知り合う前の向井と誠大の関係を全くと言っていいほど知らない。

誠大にも向井にも聞きそびれてしまっている。
ただこんなにも人気のある誠大の隣に何時も一緒に居る向井に誰も寄り付かないのはおかしい、などと考える。

誠大の友達なら仲良くなりたい、とは思わないまでも知りたいと思ってもおかしくないはずだ。
けれど誰も積極的に向井に話しかけようとしない。

だから僕はいつまでたっても「昔の向井と誠大」のことを誰にも聞けないままで居た。
けれど時折見せる誠大の向井を心配するような目や、安堵するような顔つきを垣間見るうちに、誠大は向井と言う男を一人の人間として気に入り、そして僕が思うよりも遥かに大事に思っているのだろうと認識させられる気がした。

「これだな」

 僕の勝手な想像を軽く打ち破るように向井の低い声が耳に入ってきた。

「どうしたの」

 慌てて聞くと、向井は僕の目の前に携帯をかざして見せた。
反射光が目に飛び込んできた瞬間、「殺人」の二文字が見えた気がして僕は思わず向井の顔を見た。

彼は無表情のまま僕を見ていたが、少し笑っているようにも見える。
根拠はないがそう感じていた。
沈黙を破るようにして誠大がベランダから携帯を取り上げ、声に出してそのニュースを読み出した。

「今朝未明、東京都北区北にある北公園内で男が何者かに刃物で刺し殺されているのを近所の住民が発見し一一〇番した。
 遺体は心臓を一突きにされており、他にも無数の切り傷が見られるということだ。遺体の身元はまだ分かっていない。
 警察は今後も事件の線で捜査をしていくと共に、詳しい情報が入り次第また発表するとして
 いる」

「一突き……」

 僕はその残忍な犯行を頭の中で想像すると同時に、この非日常的な出来事をもう一度確認するようにして言った。
向井が何かを言おうとしたのか、少し息を吸った音の後に昼休みの終わりを告げるチャイムが重なる。

その現実的な耳障りな音に頭を殴られるような衝撃を覚えながら揃ってしかめ面をした。
まだ集まってワイワイと騒いでいたクラスメイトたちも、後期が始まる初日早々行われる来年の受験に向けての補講を受けるために、散り散りになって各々の向うべき教室へと移動をし始めている。
僕はまだ軽く耳の奥で響く鐘の音を振り落とすように頭を振った。

「向井、俺らも行くぞ」

 誠大が気だるそうにベランダから教室内へと戻りながら向井にそう言った。

「え、向井も担任に呼ばれてるの?」

 何となく違和感を覚えて、間髪入れずにそう問うた。
すると誠大は向井の鞄を自然と取り、続けて自分の鞄も肩に下げると滑るようにドアに向かいながら言った。

「ああ、倖には言ってなかったっけ、俺たち同じT大志望してんだよ。冬休み中に変更したから今日の補講の予約も入ってねえの、俺ら」

 ポカンと口を開け、隠し切れない驚きの全てを目で表しながら向井を振り返った。
向井はやはり僕の目を真っ直ぐに見返し、こくりと首を縦に振った。

「そっか、2人とも頭いいしな。僕なんてまだ決まってないよ、早く決めなきゃ」

 何とかそうとだけ言うと、バツが悪くなって探すものもないのに机の上に置かれた鞄の中を引っ掻き回すように漁った。
その間中、ずっと向井がこちらを見ているような気がして僕はなかなかその滑稽な動作を止められずにいた。

「お前ら早く来いよ」

 廊下の奥の方から誠大の声が響き渡り、心臓が跳ね返る。
思い切って振り向こうとした時、向井の声が僕の耳を突いた。

「井川、俺、先行くよ」

 返事と同時に振り返ると、音もなく向井は姿を消していた。
ホウッと一息胸を撫で下ろす。

「何で向井にはこんなに慣れねえんだ。誠大の友達なのに……何で普通に接することさえ出来ねえんだよ。つーか、同じ大学って聞いてねえよ。休み前は三人で専門学校希望だったじゃねえか」

 どこからか湧いて出て来た不安がはっきりと具現化しないように、僕は出来るだけ感情を込めないようにして、わざと声に出してそう言った。
ほんのたまにだが、誠大が向井と二人だけで何かをしている時、話している時、そういう時僕は堪らなく不安になり、どこか怖くなった。

何故だか分からないが足が竦んでしまうのだ。
別に誠大を向井に取られそうでヤキモチを焼いているというのではない。

それは自分の中でハッキりしていることだ。
ただ僕がこの目を通して見てきた彼ら達は、本当は違う姿をしているのではないか、本当は僕の友達などではないのではないか、そんな根拠のない不安が僕の中に湧き上がるのだ。

頭の天辺から爪先に向って電気が走り抜けるように、意図していなかった警告が縦横無尽に鳴り響く。
その度に何を信用していいのか分からなくなる。
疑うことのなかった自分自身さえ遠くに感じて「独り」になる。

 僕は友達を無くす感覚を知らなかった。
生まれてこの方、まだ一度も友人を失ったことがないのだ。

「(きっと自分の知らない所でいじめが起きようとしている時って、こんな感じなんじゃないのか)」

 心臓が容赦なく早鐘を打つ。
漠然とした不安はいつしか僕の中でそう解釈されつつあった。

けれどそれを裏付けるものなんて何もなく、ましてや誠大と向井が自分をいじめたところで何もメリットがあるようには思えなかった。
あいつらはどんなにつまらない毎日を送っていようが、いじめで鬱憤を晴らすようなレベルの低いことは絶対にしない。
いや、何より僕は二人を信じようとする気持ちの方がまだ強いことを知っていた。

 僕は荒れたカバンの取っ手を力を入れて握って気合を入れ直し、彼らの後を追った。
何だか先程に比べて歩く度にかかる負荷が軽くなったような気がする。

まるで僕の存在そのものが遠い、あやふやなものになってしまったみたいに不確かだ。
廊下の突き当たりを曲がると彼らの並んだ後姿が見える。

僕は二人から目を離さぬまま、出来るだけ力強く地面を足で蹴った。
それでも、より一層自分だけがその場の空気にさえ場違いな気がして、やはり声を掛けられないまま、ゆっくり彼らとの距離を詰めながら後を付いて歩いた。


WEB拍手



+注意+
・特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
・特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)
・作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。