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  Flow 作者:森カラ
第八章 疑念 四
 普通では神木の前では慎まなければいけない、酷く軽率な言動を取ってしまったという自負だけが彼女の中心を焼く。
だが、走り出してしまった違和感は彼女の神経が追いつかないほど早く、彼女の中を駆け巡っていた。
村上はその中で、自らが警察に入った経緯を思い返した。

 ――犯罪を止めるためだ。

 頭の中に自答が響く。
だが、本当にそうだろうか、と村上は思った。
止めたいのではない、ああ、そうか。今日何度目かの声に村上は朦朧としながら頷いた。

 ――私はあの日の自分を救ってやりたかっただけなのかもしれない。

 人の罪を糾弾することで、犯罪者と自分は違うのだと、思い込みたかったのかもしれない。でも、それは違う、と村上は思った。

それは言い訳でしかない。「犯罪者と自分」などという比較では何の意味も持たないのだ。
しかし、と村上は歯を食いしばった。

 ――しかし、そうしたらあの日の自分をどう許せばいいのだろう。

 苦悶の表情で、村上は言った。

「神木さん、私は。一度でも、罪を犯すかもしれなかった自分も、それを目隠しして警官として糾弾する側に逃げ込んだ自分も許せない。許せないんですよ」

 涙を含んだような声だ、と思いながら神木は村上の前から離れると、小さな声で、しかしハッキリとした発音で

「俺に言われても困るよ、それは。許せても、許せなくても、お前が今出来ることは犯人を検挙し、事件を終わらせることだけだ。それに理由が必要か?」
「……理由なんて、必要ない、でしょうね」

 少し笑顔を取り戻した村上が、神木の方に向き直って言った。
未だその顔にかかっている影が、彼女が完全に吹っ切れたのではない、ということを物語っていたが、神木も村上と視線を合わせると、ほんのうっすらとだったが、笑顔を見せた。

再び沈黙と静穏が二人の間に戻ってきて、だが村上は「けれど」と、直すところを見つけるのが困難なほど短い髪を、指でゆっくりと梳かしながら続けた。

「ただどうしても、私はあの時、誰かが答えをくれていたら、と思ってしまうんです。一人で乗り越えなければならないことだったのでしょうが」
そこまで言うと、その後に沈黙が続くことが分かっていたような調子で、穏やかに口元に笑みを浮かべた。
「やっぱり、私が私を犯罪に駆り立てなかったのは、きっと奇跡みたいなものなんですよ」

 神木は言葉をなくした。
そして、もしかしたら自分があの事件のことを話したせいで、まだ若い彼女の脆い信念を崩してしまったのかもしれない、と思った。

自分が二十年間も背負い続けてきたものが、まだ正義を失っていないこいつの芯を揺らがせるかもしれない、と何故考えなかったのだろうか。
神木は(ほぞ)を噛んだ。

「私はもし、この事件の犯人が子供でも、捕まえられるんでしょうか」

 村上が弱弱しい声を出す。
神木はとうとうやってきたその告白に緊張して、拳を握った。
村上は梳いていたはずの手を耳元の辺りで力なく止めると、そのまま困惑した様子で、

「もし、あの時の私のように内に秘めておけず、そのSOSを罪を犯すことで発信している子供が犯人だったら、私は」

「お前には、そういう理由の子供というだけで、例えそのSOS、いや、そいつの犯した悪事が殺人だったとしても、無罪だと裁く権利でも持ち合わせているのか」
黙りこんだ村上に一瞥くれると、苦渋に歪んだ表情のまま続けた。
「どちらにせよ、俺たちは犯人逮捕までしか関われない」

 村上は内に眠っていた何かが破裂したような表情で神木を軽く()め付けたが、言うべき言葉が見つからないのか、口を真一文字に結び、ただ息を止めた。

「だが、俺は。もしそれが少年だったとしても、そんなことが本当だったらと思うと頭が痛くなるが、だが、こんな暗い夜道で独り、刃物振り回して俺らにそれを刻み込んだ奴を俺は捕まえてやらなきゃならんと思うぜ」

 神木はそこまで言うと、面映い様子で乱暴に首の辺りを掻き、観念したといった表情で

「捕まえてみなけりゃ分からんことだが、もしお前の言うようにそいつにもSOSがあったとしたら、早くそいつの存在を、せめて俺らだけでも認めてやらなきゃ可哀相だろう。それでそいつを叱ってやらにゃ、もっとそいつが可哀相だ。
 まあ、そんな話が通用する人間が犯人だといいけどな」

 村上は依然黙ったまま神木を見据えると、急にフッと、まるで電源が落ちたように身体の力を抜いた。そして苦笑しながら

「早く現場行って、早く寝ましょう、もう」
「お前、そりゃあ、お誘いか?」

「冗談じゃない、神木さん。私、殺人犯になる気はありませんよ。神木さん、身体もたずに死んじゃうでしょ」

 意地の悪そうな顔をしてからかった神木に、村上もいつもの様子を取り戻して言った。

 いつの間にか彼らの足は現場へと真っ直ぐ向かっていて、彼女の迷いなく進む歩調に神木は少し胸を撫で下ろす。
斉藤義彦を殺した犯人の通ったのであろう、その道を歩きながら、神木は自分の言ったことを思い返していた。

 (俺は本当にそう思っているのだろうか)

 先程口を突いて出た言葉は、まだ神木の中で実感を伴ったものでなかった。

 (あんなのは綺麗ごとにしか過ぎん)

 だが、今はそれでいい、神木は思った。
ふと隣に肩を並べる村上の顔を見る。

つい先刻よりも随分と付き物の落ちたように見えるが、不安と動揺に振り回されているような疲労に満ちた表情だ。
俺が揺らいでどうする、神木は一度洟を啜ると、再び闇に同化した現場の前に立った。


 一月十一日、水曜日。
 朝八時半頃に行われた会議で、一つ有力と思える情報が上がっていた。

 早朝、署内に掛かってきた一本の電話がそれだった。
 匿名と名乗る女性の声が、メディアで取沙汰される女子高生のような軽い口調だったために、電話を受けた担当警察官は当初、悪戯だろうという気持ちが少なからず働いていた。

そのために(ガセ)だろうという先入観を捨て切れなかったようだが、内容を聞いてそれは一変し、すぐに録音を開始したようだった。




変なところで切ってしまってごめんなさいです。
WEB拍手



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