第七章 プレイ 七
駅に向うまで、僕らは連絡網のことなど他愛のないことを二、三話しただけで、ただ黙々と歩き続けていた。
歩くことに集中し、沈黙や気まずさの電源を落としていたからか、行きに通った商店街の静けさや異様な雰囲気にもあまり惑わされずに駅前に戻ることが出来た。
駅前は先ほどと変わらず、適度な喧騒の中に埋もれている。
「飯は食ったの?」
真っ直ぐ券売機へ向おうとする彼を呼びとめ、目に入ったドーナツ屋の店先を親指で指した。
まだ聞いていないことはたくさんあった。
既に尻のポケットの財布に手が届いていた誠大はこちらに一瞥くれると、少し考えるような素振りを見せて首を縦に振った。
そこに笑顔のようなものは見られない。
僕は再び頭上に目をやる彼に傘を差し向け、強引に歩みを促した。
一瞬、鼻腔から深い呼吸が吐き出されたが、僕は乾いた喉に無理やり唾液を流し込むと前を見て歩いた。
店内に入ると、途端に生暖かい風が頬を擽り、心地良いというよりはまやかしの渦中に飛び込んでしまったような感覚に陥る。
中を見回すと、子供連れの主婦のグループと大学生だろうか、襟元にファーのついた淡いパープルのニットを着た若い女性がカウンターにいるのみだった。
僕らは仲良くドーナツを頬張るような雰囲気でもなく、仕方なく二人で同じクラムチャウダーを注文し、店内中央の中途半端な位置に落ち着いた。
一度誠大を盗み見るが、彼はまだ時折ぼんやりと力のない目をして外の流れを追っている。
反対に厨房の方向を向いて座った僕はやけに店員に見られているような気がして、一体何に対してだろうかと思慮を巡らせていると、誠大が目の前のナプキンを大雑把に抜き取り、額を擦るように拭いた。
落ち着いて彼の格好を見ると、思っていたよりもずっと身体を濡らしている。
「ごめん。傘、全然意味を成してなかったんだな」
「お前が謝ることじゃないだろ。本当なら俺は濡れて帰ることになるところだったんだし、助かったよ」
周りの空気まで握りつぶしたかのような音を立ててナプキンを丸めると、彼はそれを端に置いた。
そのくたびれたナプキンは昨日、三人で学校をサボっていた光景を自然に思い起こさせる。
まだ何時間か前のことなのに、あれから随分と日が経ったような気がしていた。
主婦の喧騒が店内のバックミュージックの所々をかき消し、混ざり合った音が気分を悪くさせる。
そこに唐突に誠大の声が入り込んだ。
「倖、俺さ、変わったかな」
「突然、何だよ、そんな質問」
反対に聞き返すが、彼は僕を通り越して窓の外を見据えたまま何も答えようとせず、仕方なくいった。
「どうしたのかは分からないけど、誠大は変わったと思うよ」
「どこが」
「向井の前でだけ、僕の知ってる誠大じゃない」
それか、と少し迷ってから続けた。
「向井の前にいる誠大が本当の誠大で、僕の前でだけ、違うか、ってところとか」
「やっぱり、ある程度は本当だったんだな」
お待たせしました、と店員がクラムチャウダーをテーブルに運んできて、交換に番号札を颯爽と持っていった。
何に対する納得なのか、聞くタイミングを失った僕は鼻先を擽るミルクとチーズの柔らかい匂いに徐々に思考を奪われる。
「大丈夫。俺は間違ってもお前を嫌ったりとか、ハブいたりとかしないよ。絶対にな」
誠大は先程よりも少し大きな声でそういうと、スープを付属のスプーンで一度かき混ぜてからカップに口を付けて飲んだ。
僕はまだそれをかき混ぜながら、出来るだけ何でもないことのように、
「前にさ、向井のことを聞こうとしたとき、あまり聞いて欲しくなさそうにしただろ?」
「そんなことあったっけ?」
「あったよ、ちょうど向井が僕をトラックの前に突き出そうとした頃だよ」
誠大は黙って、静かにカップを置いた。黙ると、音が急に僕らの方に向かってくるように感じる。
「今、すごく二人が友達になった頃の、僕の知らない二人のことを知りたい」
「そんなことを聞いてどうするつもりだよ」
転がっていた紙ナプキンを掴んだり離したりしながら、落ち着きのない様子がチラチラと視界に霞む。
「別にどうもしないよ。大体、そんなに構えることか? これはただ普通の興味として聞いてるだけだよ」
「聞いたって面白くもないことだよ。小学校が一緒だったっていう、ベタな出会いだって」
一瞬、彼が窓の方へ視線を逃がした、ちょうどその時だった。
突然目玉の動きが止まり、強張った顎が徐々に開かれていく。
「お、おじさん?」
そうとだけ呟いた彼は割れるような音を立てて席を立つと、小走りで出口へと向かう。
僕は訳も分からず、そのままでいい、という店員の一言に甘え、食器さえ下げずに誠大の後を猛然と追った。
上手く避けたつもりが、テーブルの角に足の付け根を強打し、鈍い痛みが食い込むように広がる。
倒れこむように外に出て歪んだ顔を上げると、降りしきる雨の中、誠大は茶色いぼろきれを纏った一人の中年の男性の腕を躊躇なく掴んでいた。
「おじさん、じゃないですか? 貴方は龍之介のお父さんでしょ?」
確かにそう耳に届く。
誠大に腕を掴れたままの男性はそれとは反対の方へ顔を反らし、小刻みに震えながら俯いた。
思わず強く握り締めた傘の骨組みが上手く噛み合わずに、まるで留め金が外れたような音を吐き出す。
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