第七章 プレイ 六
すれ違った親子の、ピンクの傘を差した女の子から『あめふり』が聞こえる。
あらあら あのこは ずぶぬれだ
やなぎの ねかたで ないている
僕の知る、ごく普通の日常が反転したようだった。
彼が引き摺って歩いているものは既に向井と酷似していたのだ。
「誠大、ちょっと、待てよ」
少し速度を落としてから、彼は頭を重そうに動かして探す。
僕は思い余って強く彼の肩をこちらに向かせた。
そして僕の瞳に焦点を合わせると、ようやく合点のいったような顔をした。
「向井のところにいたのか? 向井はまだ部屋にいるのかよ」
黙っている誠大を余所に構わず続ける。
「メール送っただろう? 何で無視したんだよ! お前の親も心配してるよ。そうだ、ニュースは見たのか? 殺されたのは」
「お前、どうしてここにいるんだよ」
矢継ぎ早の質問の波を遮って一蹴した誠大は、先程とは明らかに違った顔をしていた。
いや、いつもの精悍な顔立ちに戻ったといっていいだろう。
瞳に燃えるような色を取り戻した彼は、昨日帰り道で口論になったときと同じ顔をしていた。彼の顔を滴り落ちる雨と静かな怒声にいつもの動揺が襲ってきて、僕は咄嗟に傘を差し出した。
だが、その傘も簡単に跳ね除けられてしまった。
気まずい沈黙が言葉を押し出し、
「どうしてって、あんなメールの後、急に連絡が取れなくなるからじゃないか!」
誠大は少し目を見開くと、小さく「悪かった」とだけいった。
そして刹那の沈黙の後、アスファルトの上に転がった傘をゆっくりと拾い上げた。
差し出された傘に二人で入ると、まるで知らない人間と一緒にいるような気になり、顔を背けた。
「誰に聞いて、ここまで来たんだ?」
頭上を叩く雨の音はかなり大きいはずなのに、何故か彼の声だけが響くように唸る。
「向井の家に行ったんだ」
「ああ」
誠大がため息を漏らし
「じゃああの人にも会ったんだな」
「強面のお兄さんになら会ったよ。その人がここの住所を教えてくれたんだ」
「じゃあもう気が済んだ? 俺はこの通り、別に何でもないよ。あの後連絡をしなかったのは別にする必要がないと思ったからだよ」
誠大から笑みが消えたのが顔を背けていても感じられた。
寒さも手伝い、体中を蝕むように広がる鳥肌が、彼に干渉するのが昨日の口論が初めてだったことを気付かせた。
今まで、喪失を恐れ、僕は彼の内実に見てみぬふりを決め込んでいたのだった。
一体、そうすることで僕は何を守ろうとしていたのだろう。
雨に打たれる右半身の感覚がなくなっていくスピードは、僕と誠大の過ごしてきた時間をも道連れにしていく。
知らなければ失わないで済むなんて、そんなことはなかった。
今、ようやく僕は全てのものに対等でいたいと思い始めているような気がした。
「それでも、気になったんだ。誠大さ、昨日の帰りにあの坂下って人に会う前、俺に何かいおうとしてただろ? 俺はそれを、知るべきじゃないかって思ったんだ。だから来た」
真っ直ぐに誠大を見据えた視線は思いの外、彼とは重ならず、僕の眼は途端に行き場を失う。誠大は少し声を震わせて嘲り笑った。
「そんな、勝手な……。むちゃくちゃだな」
「そんなことないよ。普通なら誰だって心配する、あんなメール。それに、坂下って人に会ってからの誠大はおかしかったよ」
熱くならないよう、冷静さを繋ぎ止めるのに必死な僕を無視して彼は声を張り上げた。
「そうか? それってただ不安なだけだったんじゃないの? お前っていっつもそうじゃん。ちょっとでも知らない話題が飛び出そうものなら、妙にビビる。だろう?」
「じゃあ、何で僕にあんなメールを送ってきたんだ? いちいちいうことでもないだろう」
込み上げてくる痛嘆に思わず俯いた。
僕らの足元には既に水が溜まり始めている。
その揺らぐ水面を見つめながら、こいつは一体何に焦っているのだろう、と考えていた。
疑念も、嘘も、振る舞いも、全てが重なり、僕は僕自身を真実の前に突き出そうとせっつく。
やり方なんて知る由もなかった。
けれど、友人を失いたくない、ともがく僕はとてつもなく格好悪かった。
それでも、目の前で苦しんでいるように見える友人の一割でも真実を知っておきたかった。
だが、そうして心に生まれた思いは今まで経験したことがないほど重く、もしかしたらこれが人の重さなのかも知れないとうっすらと思った。
「倖が知りたがったんだろ? 龍のことを。だからさ」
「俺には誠大が怯えているように見えたんだよ」
思い切ってそういうと、誠大はビクリと片眉を動かし、そうかと思うと張っていたように見えていた肩の力が一瞬緩んだように見えた。
そしていつものように優しく微笑みながら、顔の前で右手を仰ぐように振り、
「そんなわけないだろ? 考えすぎ、考えすぎ。
じゃあ、本当のことをいうよ。俺はお前が向井の友達になればいい、と思ってた」
「どういうこと?」
予想もしていなかった返答に動揺を隠し切れずに、頬肉がピクピクと痙攣していた。
「龍之介ってさ、やっぱ、ちょっと変わってるだろ? あいつ、友達作るの下手なんだよ。だから、俺はお前と龍が仲良くなればいい、と思ってたんだ」
この寒さの中に混じりきれずに浮いていた先ほどまでの熱は一体どこへ行ったのかと思うほど、落ち着いた柔らかい声が響く。
これは誠大の本心なのだろうか?
「じゃあ、何であんな誤解させるようなメールを?」
「あれは……お前がようやく龍と友達になってくれる決意をしたんだと思って。そしたら少しずつ龍の色んな面を知っていって貰おうと思ってさ」
誠大は額に張り付いていた前髪を気持ち悪そうにかき上げると、伏せた目のまま続けた。
「驚かせちゃったのは悪いと思ってるよ、ごめん」
誠大は僕に何かをいわせる間など与えようとせず、首だけで促すと、駅の方へ足を一歩踏み出した。
結局僕はいいたいことの半分もいえないまま、口を噤むしかなかった。
僕の方へ大きく傾けられた傘が、まるで見えない触手を伸ばして足に絡みついてくるようにせっつかす。
正直、もう一度この口が誠大に対して反抗的な言葉を吐けるかどうかの自信はなかった。
このタイミングを逃してしまったら、僕はまた彼らの後ろをついて回りながら愛敬を振り撒く日常に戻ってしまう気がしたのだ。
だが、無情にも雨は激しさを増し、靴の中にまで境を無視して入り込み、じわりじわりと身体を冷やしていく。
僕らは互いの半身だけを濡らしたまま、小さな傘の中に無理やり入り込んで、並んで歩いた。そしてとうとう向井の姿を見ることは出来なかった。
童謡「あめふり」北原白秋作詞・中山晋平作曲/大14より歌詞を一部抜粋させていただきました。
WEB拍手
+注意+
・特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
・特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)
・作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。
この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。