第七章 プレイ 二
朝方五時四十五分にさしかかろうという時、突然部屋にある子機が鳴りだした。
電話だ。僕は転がるように電話に向うと「誠大か?」と怒鳴るような声で電話に出た。
「違ぇよ、井川。俺だよ、桜井。お前どんだけ誠大が好きなんだよ、マジ、ビビったし」
期待も虚しく、電話に出たのは同じクラスの桜井だった。
よく考えれば誠大は一度だって僕の家に電話をしてきたことなどない。
誠大が僕に電話をしてくる時はいつも携帯にであって、それも年に数回あるかないか程度のものだ。
「誠大のやつ、昨日電話するっていったのにして来なかったからさ」
僕は芽生えた小さな落胆に気付かれぬように大袈裟な声量で、全くの被害者ぶりを演じながら気を取り直した。
「でさ、これ連絡網なんだけど、今日、自宅待機らしい」
桜井は面倒臭そうな声でそういうと、何やら片手間に何か食べているのか遠くの方で咀嚼音を響かせた。
「ああ、事件のせいで、か」
「そうらしい。明日には校長から詳しい話があるっぽいよ」
桜井の咀嚼音に混じった報告を聞きながら、机の引き出しに無造作に入れられた連絡網のコピーを探し出し、僕は思わず声を漏らした。
桜井はその不自然な震えに気付いたのか「どうした」と問いかけてきた。
僕は何とか気丈な風を装いながら返答すると、電話を切ろうとした。
だがそれはあっけなく桜井によって遮られた。
「おっ、井川の次って誠大じゃん。丁度いいじゃねえか、朝っぱらからその昨日のこととやらの文句でもいってやれよ」
桜井は僕に気を使ってそういってくれたのだろうが、「誠大」と言われた途端、僕の心臓は跳ね上がり、とても冷静ではいられなくなってしまった。
だが幸いにも桜井は、今度は僕の不審さに気付かず、「じゃあ頼んだ」といいながら電話を一方的に切ってくれたので僕は力が抜け、思わずよろめく身体を思い切り壁に預けた。
築十七年の木造の家は案外頼りなく、僕の体重の重みで少し壁が揺れた。
僕はその揺れに身体を任せながら、何故だか今は誠大に連絡を取らない方がいい、という直感に縛られていた。
数分間、身動きが取れずに朝日の昇らない曇り空にぼんやりと目をやる。
しかし連絡網だ、知らせない訳にはいかない。
僕はゆっくりと、だが確実に流れる雲を目で追いながら、仕方なくもうそらで言える誠大の自宅の電話番号を持ったままの子機で押していった。
「はい、日向です」
電話に出たのは誠大の母親だろう、眠そうな声だが滑舌が良く好印象を与える声質だった。僕は喉に詰まっていた痰を咳払いで退かすと、想像していたよりも小さくなった声で誠大の所在を聞いた。
「井川って……倖君、井川倖君よね、誠大と仲良くしてくれている」
誠大の母親は電話でもそれと分かるくらいに慌てふためいた様子で僕の名前を何度か呼んで見せた。
僕がそうだと反応するのと同時に誠大の母親は、今度は僕に誠大の所在を聞いてきた。
僕は咄嗟に誠大の意味深なメールとその直後に訪れた沈黙が脳裏を過ぎり、曖昧な返答を返すに留めることにした。
「誠大はいつも遅くなる時や、お友達のお家に泊まる時には必ず電話を入れてくるのを欠かしたことがなかったものだから。つい慌てちゃって、ごめんなさいね。知らないならいいのよ、心配させちゃってごめんなさいね」
誠大の母親は僕の否定的な返答に明らかな落胆の色を醸し出しながら、反射的な謝罪だったと取れる感情のなさでそういった。
一方、僕は僕で思ったよりも動揺することなく、どこかで「やはり」といった自分自身の推測を裏付けるような誠大の母親の態度に一つの決心が固まりつつあった。
「誠大君への電話はお母さんの携帯からされたんですか?」
僕の急な問いかけに少し詰まりながらも、誠大の母親は携帯電話を確認しながら話しているのか、操作音を鳴らしながら答えた。
「ええ、昨日の夜十一時頃にしているのだけど、数回呼び出し音が鳴ってすぐに切れてしまったの。その後すぐに掛けなおしたんだけどその時はもう繋がりもしなかったわ」
「もう、何か行動起こされたりとかはしてないですよね」
僕は不安そうな誠大の母親を他所に一番気になる問いを遠慮なくぶつけた。
誠大は必ずあいつの所にいるだろう。
何があるか分からない、もし警察などに連絡されていたら厄介だ。
「警察にってことかしら? それはしてないわ、連絡が取れないっていってもまだ一晩だし……それよりやっぱり倖君何か知っていることがあるの?」
誠大の母親は少し不躾だった僕の態度に不信感を持ったのか、先程の態度とは打って変わって探るような声色で受話器を通して含みを持たせてきた。
僕はとりあえずの安堵に胸を撫で下ろしながら嘯いた調子で続けた。
「いえ、申し訳ありませんが、僕は何も知らないんです。昨日も帰りは別々だったので……でも僕からも連絡してみます、それと心当たりも当たってみますので」
「ありがとう。もし何か分かったらすぐに連絡を貰ってもいいかしら」
急に協力の意思を見せた僕に好感が戻ってきたのか、誠大の母親は少々甘ったるい声でそういって来た。
とても「誠大が心配で堪らない」といった風には感じ取れないそれを煽るように勿論だ、という爽やかな受け答えをして、これで大事にせずに何とかなるだろうといった、妙に前向きな思考に拍車をかけたまま通話を切ろうとした。
「あ、ちょっと待って。倖君、誠大に何か用だったのかしら」
誠大の母親はまだ媚びるような様子でそう問うてきた。
僕はその一言で今まで冷静に装っていたのがバカらしく思えるほど照れながら連絡網の件を伝え、そっと電話を切った。
しかし直後、目まぐるしく変わった誠大の母親の態度を思い返して何だか無性に苛々し、やり場のない怒りを子機を激しく机に置くことで発散した。
だがその衝撃で起きてきた母親に「うるさいんだよ、朝から」などと小言をいわれてむしゃくしゃと頭を掻く自分を客観視して、あの誠大の母親の態度は、まるであの二人の側にいる普段の自分の様だったのだと気付いた僕は、ただ呆然と転がった子機を見ているしか出来ずにいた。
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