第六章 日向誠大 五
何だ、とパソコンを覗き込むと「アイテム即売所」の文字が日向の目に飛び込んできた。
訝しがる日向に向井はいった。
「昼間お前の持ってきた訳のわからん噂は当たってたみたいだな。ほら、斉藤の物っぽいのがルートに乗ってる」
向井の指さした先を見ると、そこには血のようなものが付着したままのサバイバルナイフが携帯画面ほどの大きさの写真になって載っていた。
そしてその下には高校生の自分には目を剥くほどの金額が提示されている。
向井が「詳細情報」という箇所にマウスポインタを合わせると「一月九日月曜日、K公園内でSを殺ったナイフ」とポップが浮かび上がった。
その他にも「幼女を殴ったトンカチ」「小学三年生の女児を犯す際に使った鋏」などが掲載されており、中には赤で「SOLD OUT」と書かれているものもある。
先程と似たようなじっとりとした汗が自分を包んでいくのをどうすることも出来ず、日向は乾いた喉に無理やり唾液を流し込んだ。
「なんだよ、これ。なに見てんだよ、お前」
上ずった声がやけに部屋に響く。
からかって笑い飛ばせなかったのは胸を突く緊張感があまりにも現実的だったことと、詳細情報に載せられた事柄がニュースなどで明らかになる情報以上に詳しかったからだった。
向井は一度日向を見上げニヤリと口元を緩ませると、なんでもないことのようにいった。
「世の中には色んなフェティシズムを持った人間がいるって話だよ。例えそれが到底理解できないものだとしてもそれを好む奴は絶対にいる。それを逆手にとって金を儲けてもおかしい話じゃないだろう? そういうことだよ」
向井が淡々と言葉を並べる間、日向には何の話をしているのかわからなくなっていた。
斉藤先生は本当に殺されたのか? 誰に? 何の目的で?
昼間、そんな噂を垂れ流したのはどんな奴だったっけ?
目まぐるしく湧き上がる疑問が日向の脳内を満たす。
「どうした? 急に押し黙るなよ。昼間はあんなに興奮してたじゃないか。誠大、お前、刺激が欲しかったんだろう? それが俺たち十代に相応しい反応だったよなぁ。今日、俺、お前にそういう気持ちが残ってたこと知って結構嬉しかったんだぜ」
脳を圧迫するように言葉が入っては膨張する。違う、と日向は思った。
俺はただ、昔みたいな龍之介に戻って欲しかっただけだ。
小学六年生のとき、俺たちが初めて会った頃の龍之介に。
こんな刺激を本当に望んでいたわけじゃない。
日向は溢れ出る言葉をコントロール出来ずに、とにかく頭に浮かんだ疑問をストレートにぶつけた。
「じゃあ。百歩譲ってそういう奴がいるとして」
お前が譲らなくても現にいるんだがな、と向井が話の腰を折ってきたが、無視して続けた。「何でお前がこんなもの見てるんだよ」
向井はキーボードに力なく置かれた手を軽く握り締めると不自然な間を作った。
まだその時じゃなかったんだが、と辛うじて聞き取れるというくらい小さな声でそう呟いた向井は一旦「即売所」のサイトを閉じると、なにやらソフトを立ち上げ始めた。
先程まで皮膚を震わせていたのとは比べ物にならないほどにファンがウォンウォンと回りだす。
突然画面が光ってデスクトップ上に「入る」「継続」「終了」の簡素な三文字が現れた。
向井は迷うことなく「継続」というボタンにマウスポインタを合わせるとクリックした。
鈴の音が鳴ったような音がスピーカーから聞こえてきて、大袈裟な光を伴って画面が変わった。
そして光が消えると、今度は対照的に暗闇のような世界が突然現れ、画面上には人の形をしたキャラクターが縦横無尽に歩いており、日向にとって初めて見る世界が広がっていた。
口を半開きにしたまま画面に見入る日向を置いたまま、向井は話し始めた。
「このお前の目の前にいるキャラクターはこの世界の、所謂俺の分身にあたるもんだ。他にも画面上に見える全ての人型のアバターは俺のようにインターネットに繋いでいて、まあ、ここではただコミュニケーションを求めてウロウロしている奴がほとんどだ。その中ではチームやパーティーと呼ばれる団体を作ってゲームに参加してもいいし、個人プレイでも十分楽しめる。この仮想世界で俺はやりたいことがあるんだ」
あまりの突拍子もない告白に日向は動揺を隠しきれずにいた。
それが今流行りのオンライン型ゲームだということは分かっていたが、実際目の前で見ると違和感を覚えた。
全く知らない他人同士が一体何のコミュニケーションを求めてここに集まってきているというのだろうと思う反面、現実世界から離れたそれは何だかとても魅力的にも感じる。
第一印象や先入観というものが明確に沸きあがりにくい関係の中で対峙しあうという感覚は、現実をやり過ごすより簡単なのだろうか。
それが日向の中に芽生えた本心だった。
だが向井の手馴れた手付きや、ニヤついた顔を見ているととてつもなく苛々としてきて日向はその苛立ちを向井にぶつけた。
「さっきの話とどう関係してるんだよ。俺は龍が何であんなサイトを見てたかってことを聞きたいだけだ」
「まあ聞けよ。そもそも俺があの即売所の管理人と会ったのはこの仮想空間の中でなんだ」
どういうことだ、と問い詰めようとして顔を上げたが、すぐに日向の目の奥に出会って間もない頃の向井が過ぎり、ため息混じりに呟いた。
「いや、確かに龍は昔からゲームが好きだったよな。このオンラインゲームに参加してるのもゲーム好きが高じたことなのか? ここならお前の言う刺激があるのか?」
「確かに俺は刺激を求めてた。それである時何が足りないかこの身を持って知ったんだ。そしてこの箱舟の中に足を踏み入れた。そこで延々人間を殺してる最中にそいつと会ったんだ」
人間とはいってもこの世界の中に存在する敵ってことだけどな、と鼻で笑いながら向井は続けた。
「そいつはいったんだ、世界が平和なのが頭にこないかってな」
「そういえばお前もいってたな。でもそれがお前のやりたいってこととどいう繋がるんだよ」
「ごめん、誠大。それはまだいえない。だけどそれがもうすぐ掴めそうなんだ、そしたら必ずお前に教える。お前を助けてやるよ」
向井はそういうとその仮想空間の中に足を踏み入れていった。
日向は何故自分が「助けてやる」といわれたのかよく分からず、だが明らかに先程より血色の良くなったように見える向井の顔に言葉をなくし、それ以上追及することはやめた。
黙ったままの日向を全く気に留めない様子で、目まぐるしくキーボードを叩きながら向井が口を開いた。
「まずそいつはさっき誠大に見せたあのサイトを教えてくれた。実際、最初は俺もビビッたよ。お前も感じただろうけどあれ、明らかに俺らの知ってる事実よりも詳しいだろ? 何か信じずにいられない気にさせるんだよな。でもそれが本当かどうかなんて別にどうだっていいんだ。ただ俺はああいうのを好んで欲しがる人間がいるってことを知った、その事実の方が大事だった」
「おい、ちょっと待て、龍。まさかお前もあんな血のついたままの気持ち悪い訳の分からない代物欲しいってんじゃないだろうな」
向井は日向の沸騰したような真っ赤な顔を見て噴出しながら「まさか」と手で宙を扇いだ。
「俺がそんなもの欲しがるような奴に見えるのかよ」
いいや、と首を振りながら、だが百パーセントそれを否定できない自分がいることを日向は見逃すことが出来ずにいた。
「そうじゃない。ただ俺がやりたいことをやり遂げようとすると少し金がいるんでな。事はもうこんなネットの隅っこでの話じゃなくなってきてるんだよ」
「じゃあなにか? お前、まさか自分がこのサイトに何かを出品するっていうのか?」
それを契機に向井は黙ってしまった。
視界の端のほうでは金属が激しく振り回されて空を切る光景や、血が噴出す様がチラチラと確認できる。
向井のいう「ゲームの中の敵」も人の形をしているからか、その光景は日向に吐き気をもたらした。
「時期が来たら」
向井は目の前の敵の頭が地面に落ちるのを確認すると、声を出さずに顔の筋肉だけを歪ませるようにして笑みを零し、小さく伸びをしながら続けた。
「必ずいうよ。お前に本当のリアルを今度こそ与えてやるよ」
日向はただ立ち尽くしてクルクルと変わる色鮮やかな画面を見ていた。
普段息をしている薄めたインスタントコーヒーのように中途半端で、気を抜けば感覚の鈍る世界とは違って、目の前の世界は日向の好奇心の先端を擽っていた。
また、恐怖に入り混じって見え隠れする様々な憧憬も日向を支配していた。
まるで龍之介が違う世界の人間に見える、日向はそう思いながらビビットな色彩を目で追っては足の裏で掴んでいたはずの地面の感覚を失くしていく。
空はいつの間にか真っ黒なカーテンを閉めたように暗くなり、全てのものの侵入を拒むようにその上を厚い雲が覆っていた。
だが彼らの頭上を煌々と照らす蛍光灯は冷え切った部屋の温度をまるで昼間のように上げていく。
その一方で日向はバラバラに散らばっていると感じていた自分自身が一つに凝縮され、溶け合い、知っていたはずの時間が狂っていく感覚を覚えると同時に堕ちていった。
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