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  Flow 作者:森カラ
第六章 日向誠大 一
 一月十日、午後三時三十五分。
 一日の終わりは近いというのに夕方になって雲は晴れ出し、今頃太陽は僕らの前に姿を現した。

厚い雲の隙間から覗いたその顔は怒りを含んだように赤く燃えていて、直視するのが憚られるぐらい激しく強い。
僕は眩しい日差しから目を背けると代わりに西日を受ける誠大の横顔を見た。

彼の横顔は堀が深いせいで光をよく吸い込み、まるで化粧をしているかのようにしっとりと影がのる。
今日の彼もこの西日が忍ばせた影を、その健康的な肌に裏切ることなく投影していた。

 僕は今、誠大のほんの少し左斜め後ろを歩いている。
向井は学校を出て少し歩くとバスで帰ることになるため、下校は途中から別々となる。
だから今は彼と別れたばかりだということだ。


 彼らの進路相談が終わるまで僕は先に帰ることも出来ず、落ち着かないまま図書室で時間を潰していた。
普段寄り付くことのない図書室はつい先程起こった訳の分からない大人たちとのやり取りで感じた疲れを吸い込み、僕にゆっくりと深呼吸をさせた。

限りなく意識を遮断して行われるその中で図書室というものの良さを改めて感じようというその時、静寂が「静寂の音」まで吸収するとゆっくりと、だが恐ろしく的確に時を刻む時計の音が、まるで何かがひたひたと迫ってくるように聞こえ始めて思わず力一杯目を瞑った。

 誠大の口にした「あいつが心配」とはどういう意味なのだ。
 どうして僕には大学のことを黙っていたのだろう。

 そうだ、さっきのおじさんと女の人は警察関係者なのだろうか。
 いや、そもそもさっきのおじさんに対する向井の執着は何だったんだ。
 やはり殺された、というのはうちの学校の誰かなのだろうか。

 やめよう、僕に分かるはずがない。
同じ所をループするだけの問いに何とか終止符を打つと、手元にあるカモフラージュの為の本を数ページ捲る。
乾いた音が乾燥した図書室に放たれる度にこの本を僕に紹介した時の誠大の顔が脳裏を過ぎった。

「十数年来の友人の裏切りにあった主人公がだんだんと頭を狂わせていくミステリーものだよ。最後のトリックなんて鳥肌ものなんだぜ」

 あの時、この図書室でそう言った誠大はどこに行ってしまったのだろう。
いや、今までは僕が有頂天になっていて気付かなかっただけなのかもしれない。
今、向井と一緒にいる誠大がデフォルトであって、均衡を崩しているのは僕なのではないのか。

 でも、どうしてだろう。
 僕には誠大が僕に助けを求めているような気がして仕方がない。

 僕は他人に見つからないように膝の上でそっと手を組むと素直に神に祈った。
自分が追い詰められた時にだけ僕の中に現れる神が何とかしてくれるなどと本気で思っているわけではないが、この不安をやり過ごすには十分効果はあった。


 彼らと合流すると誠大が一瞬何かを含んだような表情でこちらを見た気がしたが、それがどんな感情から生まれたものなのか全く分からず、ただ様々な憶測が頭の中を飛び交うだけでまだ僕たちの間の居心地の悪い雰囲気は続いていた。

いっそのこと楽になってしまいたいと思う気持ちと、恐怖の中にも「知りたい」という欲求が相反して存在していることを冷静に感じる。
僕の彼らに対する意識が変われば世界はこうも変わってしまうのだ、という目の前の現実に改めて目を逸らしたくなった。

今まで信頼していたはずの視線も仕草も全て仕組まれた、悪意を含んだもののように感じてしまう。
けれど僕は計算も駆け引きも出来ない。

彼らに比べてきっと弱い。
だから僕は心の闇に生まれた悪魔が映し出したもう一つの現実を深淵に押し込み、僕が知り得る彼らを信じるしかないのだと言い聞かせた。

 向井は誠大と一瞬見えない視線の糸を重ねて何やら言葉を交わすと、躊躇いもなく颯爽とバスに乗り込んだ。
目の前の古いバスは赤や青やピンクといったカラフルなコーティングを施されており、止まっている間も激しい振動を続けているのでずっと見ているとおかしな気分になってくる。

僕が胸焼けに似たむかつきにシャツのボタンを一つ開けている隣では、誠大が向井に向けてカバンを持った右手を胸より高い位置まで軽く挙げるとすぐに下ろし、微笑んでいた。
いつもなら僕もヘラヘラと笑顔を作っている所だが、今日は止めた。

沸騰したように熱い胃も手伝って高鳴る心臓を押さえつけるように息を止め、少し上目遣いでバスに乗る向井を見た。
バスのドアが空気を吐き出す音を響かせて閉まるのと同時に僕らの目と目が出会った。

それは窓越しにあるはずなのに果てしなく強い引力を持っていて、僕の頬は引きつり、まるでブラックホールにでも引きずり込まれたかのような感覚に全身が金縛りにあったみたいだった。
人の暖かさを感じられないそれはただの物体のようで、敵わないと思わせるような建造物のようにでかい。

ドアが閉まって、発車までの時間はほんの一瞬のはずなのに、圧縮された時間は全てを歪ませ、僕は谷底深くにスローモーションで落とされていくような時間の長さを感じていた。


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