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亡霊葬稿ダイホーン だれが変温の哺乳類を操っているのか/コリカンチャとカト●チャはインカに違うのか 作者:烏田かあ

第九章『深まる闇』

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④トレマーズ

 警察や救急を待っている猶予はない。部屋の隅に大群が固まり、真っ赤な目を光らせている。奴等は熊谷先生の身体から、苦手な香りが離れていくのを待っているのだ。
 スプレーの噴射ボタンを押しても、もう気の抜けた音しか出ない。
 再び熊谷先生に群がられたら、骸骨の製造を防ぐ手段は皆無だ。

 小春は素早く熊谷先生を引きずり、キャスター付きの椅子に座らせた。
 体育教師の机から縄跳びを拝借はいしゃくし、力の抜けた熊谷先生を椅子の背もたれに縛り付ける。そうして即席の車椅子を完成させると、小春はキックボードのようにそれを押しながら、一気に職員室の外へ走った。
 すぐさまキーボックスからぶんどっておいた鍵で施錠し、職員室の中に奴等を閉じ込める。安心は出来ない。大群が合体した怪人は、釣り鐘を蹴飛ばす力を持っている。アルミのサッシなど、金魚すくいの「ポイ」と同じだ。
 少しでも時間を稼ぐべく、小春は壁面の操作盤へ駆け寄った。
 職員室を孤立させるように防火シャッターを閉め、奴等と自分の間に蛇腹じゃばらの防壁を増設する。続けて操作盤の傍らにある非常ボタンを押すと、避難訓練以来沈黙を保っていたベルがけたたましく鳴り始めた。
 非常ボタンを押せば、自動で消防署に連絡が行く。火事と嘘をつくのは気が引けるが、世迷よまい言な真実を通報しても黄色い救急車しか来ない。

 ……だが、待て。

 幾ら消防士が鍛えていると言っても、鐘を蹴飛ばす怪物に太刀打ち出来るだろうか? いや、小春の行動は奴等に生きを与えたに過ぎない。
 では警察を呼ぶ?
 拳銃ごときで対処出来る相手ではない。
 自衛隊?
 防衛省の電話番号が判らない。
「怪人 倒せる 連絡の取れる相手」と空欄にワードを入力し、小春は記憶を検索してみる。
 間髪入れず頭の中に出現したのは、闘牛士のようにマントをひるがえす骸骨。
 やはり奴しかいない。

 唯一無二の答えにかされた小春は、ポケットからスマホとカラオケで渡されたメモ用紙を引っこ抜く。回線を通す単語が、「佳世をお願い」ではなく「助けて」――たったそれだけの違いで、母親が消えた後の自宅を見せた動作が、普段のなめらかさを取り戻した。
 小春はくしゃくしゃのメモ用紙を命綱のように握り締め、奴の書いた番号を押していく。
 焦りが恐怖がボタンを押す指を、指を痙攣させる。
 目的のボタンの横を押したり、同じ数字を二度繰り返したりするばかり。
 一向にメモ用紙の番号を完成させられない。
 幼稚園児でも出来る作業がなぜ出来ないのか……!
 悔しさが止めどなく視界を滲ませていく。

 ……ベソで現実が変わるのは、ランドセルを卒業するまでだ。

 小春は愚かな自分に言い聞かせ、女々しく濡れた目を拭う。ベソをかいていたところで、誰かが手を伸ばしてくれるわけでもないのだ。
 みっともなく垂れていた鼻水をすすり、たるんだ精神を引き締めるために頬を叩く。冷え切っていた肌に熱が走り、下を向いていた身体が心なし背筋を伸ばした。
 小春は一度(よど)んだ肺の中身を吐ききり、今度は大きく吸い込み、全神経を指先に集めた。
 一回ずつ慎重に……、
 慎重に……、
 爆弾を解体するような手付きでメモの番号を押していく。
 三分近く掛けて望みの数列を完成させ、いよいよ通話ボタンに親指を乗せると、爪の輪郭が二重にも三重にもブレた。
 しくじる! 終わる! 死ぬ!
 頭の中から金切り声が響き、しっかりと携帯を見定めなければいけない目をチカチカまたたかせる。

 はぁ……はぁ……。
 小春は硬く冷たい唾を何とか飲み下し、少しずつ通話ボタンに人差し指を押し付けていく。
 ぷるるる――。
 ぷるるる――。
 ようやく難業を果たした末に聞こえてきたのは、救いの声ではなく残酷な呼び出し音。自宅ではアクビで見送るコールだが、今の小春にとっては無限の効果音以外の何ものでもない。
 速く! 速く!
 お行儀よく待っていられなくなった肘が跳ね回り、携帯をシェイクする。サクマドロップスの要領で「もしもし」を振るい落とす気だ。

 ぷるるる――。
 健闘も空しく三回目のコールが終わり、無限が四巡目に突入する。
 疲労感が肘を、徒労感が肩を下げ始めた――矢先、コールのループに割り込む「プッ」。
 糸を切る音に似ているが、実際に断たれたのはメビウスの輪だ。

「もしも~し、あなたの改ちゃんでぇ~す」
 スマホから聞こえてきた奴の声は、某戦場カメラマンのようにのんびりしていた。明らかに寝起きだが、M78星雲へのホットラインが繋がったのは間違いない。
 早鐘だった鼓動が落ち着きを取り戻し、胸の内側から連打される痛みがやわらぐ。気のせいかスマホの画面が自発的に輝度を上げ、分厚い暗闇に包まれていた行く手を晴らしていった。
 吐いたばかりの安堵の息ごと、小春は周囲の空気を肺に掻き集める。
 一秒後には、渾身の「助けて」が廊下に轟いたのだろう。
 だが結局、溜めに溜めた息がスマホに注がれることはなかった。
 梅宮の鼓膜に激痛が走る寸前、車椅子の熊谷先生に影が飛び掛かったから。

「うああああ!」
 粗忽そこつな小春はSOSに使う予定だった息を掛け声に浪費し、あろうことか手頃な「ボール」を持っていた右腕を振り抜く。後悔を置き去りにしながら速球と化したスマホは、見事に缶コーヒー大の影を捉えた。ちぃ! といたいけな悲鳴が上がり、サーモンピンクの残像が明後日の方向に弾け飛ぶ。
 地面に落ちたスマホが!
 最後の希望が!
 不幸にもワックス掛けの行き届いていた廊下を滑っていく!
 追え! 走れ! 取り戻せ!
 理性の罵倒に追い立てられた小春は、半ば突き飛ばされたように地面を蹴る。 
一歩目を踏んだ矢先、先行し、スマホに伴走していた視線が絨毯に乗り上げた。シャッターの中に閉じ込めたはずの肉絨毯にくじゅうたんに。
 携帯が大群に埋もれていくにつれて、梅宮の「もしもし」が肉の底へ底へと遠ざかっていく。奴等の中に手を突っ込む勇気のない小春は、泣く泣くふくらはぎに力を込め、走りだしたばかりの足にブレーキを掛けた。勢い余った靴底が床を滑ると、キュッー! とバスケ部の練習中によく聞く音が鳴り響く。

 何度確かめてみても、シャッターは完璧に閉まっている。
 一体どうやって職員室から出て来た?
 思わず大脱出のトリックを訊きそうになった小春は、直前でそれが愚問だと気付く。換気扇に通風口と、ネズミ大の奴等なら脱走の選択肢には事欠かない。元々職員室で遭遇した集団とは別に、廊下を徘徊していたグループがいた可能性もある。

 唯一の光明だったスマホを失ったせいだろうか。
 再び小春の行く手を暗闇が覆い尽くしていく。
 いや、希望の有無だけが原因の現象ではない。
 実際に暗くなっている。
 その証拠に先程まではうっすら見えていた天井が、濃密な闇を溜めている。
 廊下を照らしていた月が、雲に隠れてしまったのか?
 仮説を立てた小春は首に力を込め、冷凍肉のようになった顔を――そう、何かを予感したように硬直した顔を窓へ向けていく。
 何に邪魔されることなくガラスを透過とうかしていた月光を、シワだらけの雨戸が遮っていた。

 ピー!
 立ち尽くす小春を余所よそに鳴り響いたのは、職員室で聞いたあのホイッスル。
 水泳の授業を連想させる音色は、やはり飛び込みの合図だったのだろうか。
 窓の外に貼り付いた大群が、一斉にキツツキの真似を始める。
 割れるな! 割れるな!
 祈れば祈るだけ、連続して突き立てられる出っ歯がひび割れを広げていく。程なく、こん……と衝突音と呼ぶのも大袈裟なノックが鳴り、一粒のきらめきが窓の内側に当たる廊下へ落ちた。

 一つの穴からダムが決壊するかのように窓と言う窓が砕け散り、荒れ狂う肉の濁流が廊下に雪崩なだれ込む。無量大数の駆け足が激しい揺れを引き起こすと、蛍光灯がドアががたつき、各教室からロッカーが倒れたような轟音が溢れた。
 廊下に控えていた一団と合流し、更に膨れ上がった大群は、ヤモリのように壁を這い上がっていく。床のみならず天井まで侵食されると、小春の居場所は廊下から肉のトンネルに変わった。
 上下左右、三六〇度、どこを見ても濁ったピンク。二年間慣れ親しんだ景色が、小春の目にはもう化け物の胃の中にしか見えない。
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