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亡霊葬稿ダイホーン だれが変温の哺乳類を操っているのか/コリカンチャとカト●チャはインカに違うのか 作者:烏田かあ

第八章『死外』

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箸休め 語源百景 神話・宗教篇⑤ 首塚にはお参りに行ってあります。

 番外編です。
 語源を紹介するシリーズも、今回で最終回。
 2017年の正月も、作者は首塚にお参りに行って来ました。
 何かと恐ろしいイメージのある場所ですが、作者はあの静かな雰囲気が大好きです。
 神田かんだ明神みょうじんより全然空いてますし(笑)
 道真みちざね公と共に日本三大怨霊に数えられるたいらの将門まさかど公も、現代に様々な足跡を残しています。

 たいらの将門まさかど公は平安時代中期の地方豪族で、全盛時には当時「坂東ばんどう」と呼ばれていた関東一帯を治めていました。西暦939年には新皇しんのうを称し、朝廷に戦いを挑んだことで知られています。この戦いは瀬戸内海で藤原ふじわらの純友すみともが起こした反乱と共に、承平じょうへい天慶てんぎょうらんと呼ばれています。

 道真みちざね公の祟りが冷めやらぬ中、将門まさかど公の起こした反乱は朝廷に大きな衝撃を与えました。伝承によれば、将門まさかど公に「新皇しんのう」を名乗らせたのは他でもない道真みちざね公だったと言います。
 反乱の顛末てんまつを描いた軍記「将門記しょうもんき」には、武運の神・八幡はちまん大菩薩だいぼさつ将門まさかど公に巫女をつかわす場面が登場します。八幡はちまん大菩薩だいぼさつは巫女の口を借り、将門まさかど公にこう告げました。

 〝将門まさかど公に神からみかどくらいを授ける。
  そしてそれは道真みちざね公の霊によって伝えられるだろう〟

 神様のお墨付きを得た将門まさかど公は大いに奮い立ち、胸を張って「新しいおう」を名乗るようになったそうです。

 余談ですが、かつて将門まさかど公の上司であった藤原ふじわらの忠平ただひらは、道真みちざね公とも親しい間柄でした。
 忠平ただひら道真みちざね公の左遷させんに反対し、太宰府だざいふに送られた後もふみを交わしていたと言います。そのためか定かではありませんが、忠平ただひらは兄の時平ときひらとは対照的に長生きし、まつりごとり仕切る関白かんぱくにまで出世しました。

 新皇しんのう宣言から2ヶ月後の西暦940年2月14日、将門まさかど公は朝廷から派遣された藤原ふじわらの秀郷ひでさとに討たれます。
 たわらの藤太とうたとも呼ばれる秀郷ひでさとは、武勇に優れる豪傑だったと言います。龍神の依頼を受け、滋賀県の三上山みかみやまに棲み着いていた大百足おおむかでを退治したことでも有名です。

 戦いの後、秀郷ひでさとは現在の中央区ちゅうおうくにあたる場所に将門まさかど公の兜を埋め、敗者を供養しました。後世、秀郷ひでさと将門まさかど公を供養した場所は、「兜町かぶとちょう」と呼ばれるようになったそうです。

 また一説によると、東京都の青梅市おうめし将門まさかど公にちなんだ地名だと言われています。
 青梅市おうめし金剛寺こんごうじには、将門まさかど公が植えたと伝えられる梅の木が残っています。
 将門まさかど公はこの木を植えるにあたって、自分の願いが成就するなら育ち、駄目なら枯れるように祈ったと言います。「誓いの梅」と名付けられたこの木は立派に生長し、感激した将門まさかど公はその地に金剛寺こんごうじ建立こんりゅうしたそうです。
 普通、梅の実は熟すにつれて青、黄色、赤と変化していきます。ところが誓いの梅に付いた実には、いつまで経っても青いままだと言う性質がありました。この他の土地には見られない不思議な現象が、「青梅おうめ」と言う地名を生み出したそうです。

 一説には神田かんだ明神みょうじんがある「神田かんだ」も、将門まさかど公に由来する地名だと言います。
 死後、将門まさかど公の首は京都に運ばれ、平安京へいあんきょうの中にあった東市ひがしのいちさらされました。
 恐ろしいことに将門まさかど公の首は数ヶ月(3年間とも)経っても腐敗せず、毎夜不気味な光を放ったと言います。ついには「俺の胴体はどこだ!? 首を繋いでもう一戦してやる!」と宣言し、胴体が埋葬された関東に飛び去ったそうです。
 将門まさかど公の首が落ちてきたと言われる場所は、関東の各地にあります。最も有名なのは、千代田区ちよだく大手町おおてまちに残る首塚くびづかでしょう。オフィス街の一画に佇む石碑には、現在も花を供える人が絶えません。

 本当のところ将門まさかど公の首がどうなったのかは、現在も判っていません。一説には関東に戻され、供養されたと言います。実際、千代田区ちよだくにある築土つくど神社じんじゃには、将門まさかど公の首を持ち帰るのに使われたと言う首桶くびおけが残っていました。しかし残念なことに、この歴史的遺物は戦災で焼失しています。

 行方が判っていないのは、首を切り離され、関東に残された胴体も同じです。各地に残された伝説は、頭部を持たないまま歩き出したとも、首同様空を飛んだとも語っています。栃木県とちぎけん足利市あしかがしにも、複数の部位に分かれた胴体が飛来したと言う伝承が残っているそうです。
 勿論もちろん、埋葬されたと言う説もあります。将門まさかど公の身体を埋めたとされる場所は幾つかあり、現在の神田かんだ周辺もその一つです。
 以降、将門まさかど公の胴体が埋められた土地は「からだ」と呼ばれるようになりました。この「からだ」と言う言葉が歳月と共に変化し、「神田かんだ」になったそうです。

 五回に渡ってお送りした今回の箸休め、お楽しみ頂けたでしょうか。
 今回紹介したように我々が普段何気なく使っている言葉にも、人知れず神々が潜んでいます。八百万やおよろずの神と言うのも、あながち大袈裟ではないのかも知れません。
(参考文献:週刊 日本の100人 №62 平将門 
                   (株)デアゴスティーニ・ジャパン)
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