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亡霊葬稿ダイホーン だれが変温の哺乳類を操っているのか/コリカンチャとカト●チャはインカに違うのか 作者:烏田かあ

第六章『管理の裏側』

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④醒ヶ井小春について

 醒ヶ井小春の内面に迫った第六章も、これでラストです。
 次回からはいよいよ、変温な哺乳類に迫っていきます。
 そんな薄っぺらい女でも、消えた後は広かった。
 寝室や台所と言ったあの女の縄張りは勿論もちろん、家具を構成する壁、あらゆる家具との距離が、生まれ育った家とは思えないほど大きくなっている。
 近い感覚をげるとするなら、祖父の本棚を処分した時だろうか。
 物心付いてからずっと隠れていた壁があらわになった途端、一気に奥行きの出来た部屋が見ず知らずの場所に見えて来て、心細さを募らせていく。
 体積はあの女より本棚のほうがずっと上だ。
 でも借りてきたネコのように、意味もなく部屋中を見回す回数は、食卓のハシが一膳減った後のほうが遥かに多かった。

 太陽が沈み、夜が家を囲むと、広くなった部分に今まではなかった影が出来る。新顔の暗闇から吹き込む隙間風は、梅雨時とは思えないほど寒々しかった。
 真冬のように着込んだ小春は、否応なく押し入れに向かう。汗ばんでいるのにかじかんだ感じのする手には、ふぅふぅと息を吹き掛けずにはいられなかった。
 圧縮袋から羽毛布団を出し、頭からかぶると、五分もしない内に口の中が干上ひあがる。季節外れの厚着のせいでぼうっとした頭は、湯あたりしたように視界をぼやけさせる始末。
 でも震えが止まらない。
 喉の渇きにえかねて、布団の外へ這い出ようものなら、たちまち冷たさがこみ上げてくる。そう、胸が凍り付いたような冷たさが。

 温もりを分け与えてもらおうと、小春は横にあるはずの布団へ手を伸ばす。
 待ち受けていたのは慣れ親しんだ体温ではなく、なめらかに波打つい草。
 貼り替えたばかりの畳。
 隣に布団が敷かれているなら、味わうはずがない手触りだ。
 お部屋が広くなった分、遠くへ行っちゃったのかな?
 小春は甲羅にした布団から頭を出し、常夜灯の下を捜してみる。畳の目を数えるようにしながら、最果てのへりまで視線を歩ませても、生まれてからずっと左隣にあった寝姿は見当たらない。

 布団の中で凍えていた夜から、現実に意識の焦点を戻し、小春は改めて投げ掛けてみる。
 なぜ佳世の一生を台無しにすると判っていながら、独りで生きていけないようにした?
 誰にも聞かれないように忍び泣く八歳の小春が、鼻水をすすりながら答える。
 誰かに置いて行かれて、今日より広い景色を見るのは二度と嫌――。
 胸の寒さに追い立てられるまま、温もりを捜す夜には戻りたくない――。
 そう、一七歳になった泣き虫が知恵を絞ってみても、それ以外に答えはない。

 佳世は絶対に小春を捨てない。
 いや、捨てられない。
 恋愛にまで口出しするお節介ぶりに嫌気が差しても、甲斐甲斐しく世話を焼くのは小春だけだ。他人とまともに会話を交わせない佳世には、お金を払って誰かを雇うことも出来ない。
 一〇年近い管理は気持ちどころか、衣食住に関わる行為にまで依存の根を張ってしまった。最低限日常生活に必要な力さえ奪い取ることで、小春はまんまと自分を捨てられない誰かを作り上げたのだ。

 佳世が独断で志望校を決めた時、小春は圧倒される以上に罵声を浴びせそうになった。
 私が受からないのは理解しているはずだ!
 脳裏にわめき声が響くと共に、音を立て始めたどす黒い炎は、あの色は――。
 自分を置いて家を出た母親を思い返す度、胸を焼く憤懣ふんまんだ。

 醜い奴だ。けがらわしい。大事なのは自分の安泰だけなんだな――。
 自分自身のおぞましい本性に気付いた瞬間、講義が寝息が教室中の音が小春を非難する声に変わる。まるで状況を理解出来ない小春が辺りを見回してみれば、クラスメイトや熊谷先生、更にはグラウンドを走る生徒たちまでもが、自分に白い目を向けていた。

 違う! 絶対違う!
 小春は胸の中で連呼しながら、教科書で顔を隠し、皆の視線を遮る。
 自分は管理なんかしてない。
 ただ、佳世の悲しむ顔が見たくなかっただけ。
 友達に笑顔でいて欲しいと願うことの、どこがいけない?
 自分が魚を渡したことで、生けすに立ち尽くしていた佳世が笑みを浮かべられた。それで充分ではないか。
 未来に何が待ち受けているにしても、今すぐ被害を受ける話ではない。明日のことは明日考えればいい。今まで問題は起きなかった。これからもうまくいくに決まっている。

 自分を鼓舞した小春は、悪びれもせずにスマホをいじり続ける梅宮改に、恨みの眼差しを向ける。
 全部、奴のせいだ。奴が的外れな思い付きを口にしなければ、佳世が生けすで見せた笑顔に疑問符など付けなかった。
 小春の身体を壊したのも奴だ。
 髪型をどうこう言われただけで顔を赤らめる? 一七年間正常に動いてきた醒ヶ井小春が、不良品になってしまった。

「おい、醒ヶ井。醒ヶ井小春」
 糾弾の大合唱だった教室に、小春の名を呼ぶ声が交じる。
 慣れ親しんだ五〇音の並びに合わせて、小春は小春自身に宣言する。
 そう、自分は醒ヶ井小春だ。あの女とは違う。
 甘ったるい声を耳に侵入させたのは、去り際の「バイバイ」が最後。目から侵入する写真は、アルバムごと燃えるゴミに出した。馬鹿のようにローテしていたハンバーグも、小二以来食べていない。
 あの女に毒された血は、大分薄まっているはずだ。髪型に触れられた程度で興奮したりはしない。一〇年近く時を共有した相手を、ポイ捨てする人間にはならない。

 二度と佳世に近付くな!
 はっきりと梅宮改に宣告する。
 それでおしまいだ。
 今後一切、小春は奴に近付かない。佳世も奴には近付かせない。この先もずっと、小春は佳世を守り続ける。世界中に弾劾だんがいされようと構わない。佳世が二度と顔を曇らせずに済むのなら、それだけで小春は七〇億人と戦える。

「醒ヶ井! 醒ヶ井小春!」
 苛立たしそうな一回を皮切りに、ルーチンワーク的に名前を呼ぶだけだった声が怒号に変わる。乱暴に肩を揺すられた小春は、辛抱(たま)らず机に拳を叩き付けた。猛然と立ち上がった小春は、校舎中に響くように絶叫する。
「だから梅宮が!」
 他人様ひとさまが珍しく頭使ってる時に、茶々入れやがって……!
 視線にありったけの憎しみを込め、小春は怒号のぬしを睨み付けてやる。
 目の前でぽかんと口を空けていたのは、教壇に立っているはずの熊谷先生だった。

 見たくないと強張こわばる筋肉を力任せに動かし、小春は教室を見回してみる。
 スポンジボブばりに目を見開いたクラスメイトたちが、自分を凝視していた。
 人体と言う人体が硬直し、動いているのは秒針のみ。
 居心地の悪い静寂の中、校庭の掛け声だけが楽しげに響き渡っている。
 目を白黒させているのは、佳世も例外ではない。
 突飛とっぴな行動に唖然としながらも、憂いを滲ませた顔が小春に問い掛けている。
 なんで春ちゃんの口から梅宮くんの名前が出るの?

「今、何ページだ?」
「えっと……」
 熊谷先生に尋問された小春は、返事を濁らせながら教科書をパラパラしてみる。
 案の定、答えの浮かぶ気配はない。
 正直、授業中なのも忘れかけていた。
「梅宮もいいが、授業もちゃんと聞かないとな」
 イヤミったらしく注意すると、熊谷先生は丸めた教科書で小春の脳天を叩く。
「放課後、職員室に来い」
 出頭命令を受けた小春は、「……はい」と佳世の音読より小さな声で答える。頷くついでにうつむくと、小春は教科書を使い、恥ずかしさといたたまれなさで真っ赤になった顔を隠した。
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