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目を閉じて。呪文を唱えるから
作:雛祭パペ彦


 織田チョロ助は、車を運転していた。
 それは2日前に盗んだ軽四トラックで、チョロ助は、友人の家に向かっていた。
 そんな寝起きのチョロ助が、朝食の菓子パンを食べながら、牛乳を飲みながら、電気シェーバーでヒゲを剃りながら、友人と携帯電話で通話しながら運転をしていると、案の定、人身事故を起こしてしまった。
 相手は、子供だった。
 チョロ助は、時速60キロほどで、その子供をはねてしまったのだ。
 とりあえず軽四トラックを路肩に停めたチョロ助は、車を降りて、落ち着いた足取りで、うつぶせに倒れている子供に近づいていった。
 被害者は、小学3年か4年生くらいの男の子だった。
「おーい」
 他人を外見だけで判断するのは良くないので、いちおうチョロ助は、倒れている男の子に呼びかけてみた。
「…………」
 だが、返事はなかった。
 それもそのはずで、アスファルトに倒れ伏している男の子の頭部からは、いま地面から湧き出したばかりのように、血だまりが広がりはじめていた。そのほか、身体のあちこちの皮膚が破れて、赤い肉色が見えた。
「これはひどい」
 しかし、当のチョロ助は、いたって冷静だった。その表情からは、罪の意識はうかがえない。
 普通の人間ならば、取り返しのつかないことをしてしまったという後悔の念に襲われるところだが、このチョロ助の場合は「取り返しがつく」と思っているので、まったく後悔などしていなかった。
 なぜ、取り返しがつくのか。
 それは、チョロ助が「魔法使い」だからである。
 魔力をこめた呪文を唱えることによって、打ち身、ねんざ、切り傷、しもやけ、あせも、湿疹、腰痛、リューマチ等の治癒はもちろんのこと、いったん死んでしまった者までをも生き返らせることが出来るのだった。それは、交通事故に遭った男の子も例外ではなかった。
 さっそくチョロ助は、呪文の詠唱をはじめる。
「や――」
「き、き、救急車よばなきゃ。なきゃ」
 これは治癒の呪文ではない。詠唱の途中で、通りすがりらしきエプロン姿の中年女が、突然と口をはさんできたのだった。
「ちょっと! 誰かー。きゅーきゅーしゃ、呼んでー!」
 不愉快なくらい甲高い声で、野次馬の中年女は、チョロ助の不祥事を宣伝しはじめた。
「あらー、奥さん……ちょっと、まあ!」
 30メートルほど離れた住宅から、これまた甲高い声の中年女が新たに姿をあらわす。チョロ助にとって、これは望ましくない事態だった。魔力によって瀕死の人間が回復する有様を、他人に目撃されるわけにはいかないのである。
 もし、一般人が魔力の行使を肉眼で見てしまうと、その人間は、たちまち重度の腎臓機能障害に陥ってしまうのだ。そうなった患者は、死ぬまで人工透析に通わなければならない。
 そして、もう一つ。チョロ助にとって切実な問題は、呪文の詠唱というものが持つ「気恥ずかしさ」だった。つまり、これからチョロ助が唱えようとしている呪文の文言というのは、とても恥ずかしい内容なのだった。それこそ、親族友人の目の前ではもちろんのこと、たとえ赤の他人に向けて披露する場合であっても、口に出すことさえ恥ずかしいという性質の文言だった。
「あれま! こりゃ、大変だわ!」
 チョロ助が呪文の詠唱をためらっている間にも、近所の主婦たちは増え続けていた。2人が4人に、4人が16人に、16人が256人に、256人が65536人などと実際に増えたわけではないが、それくらいの勢いで、チョロ助と被害男児のまわりに、野次馬たちの輪が出来上がってしまった。
「ねえ」
「あんた」
「どうすんのさ」
「たいへんなことを」
「やりやがった」
「こわい」
「わね」
 野次馬の関心が、被害男児からチョロ助に向かいはじめていた。
 そうなってくると、ますますチョロ助は「恥ずかしい文言」である治癒の呪文を詠唱しにくくなっていた。
 このままでは、被害男児が死んでしまう。
 いや、たとえ死んでしまったとしても、それならそれで、それ用の呪文があるので、チョロ助が交通事故による人殺しの汚名を着せられることは無かった。しかし、治癒させるなら、なるべく早いほうがいいに決まっている。このままでは、チョロ助の気分が悪かった。それに、このあと、友達と遊ぶ約束をしているのだ。
「あのう。すみませんけど、皆さん。一生のお願いですから、ほんの少しのあいだ、目をつぶっていてもらえないでしょうか?」
 チョロ助がそうお願いした途端、野次馬どもが、いっせいにギャーギャーウキャウキャと騒ぎ出した。
「まあ」
「なにを」
「いってるのよ」
「ひとごろしのくせに」
「おどろきだわ」
「ほんと」
「ねえ」
 ところで、チョロ助は魔法使いである。治癒や蘇生が可能であれば、瞬間的な空間移動も可能ではないかと思いがちだが、それは出来ないのである。それが出来るのであれば、はじめから軽四トラックに乗ったりしない。つまり、被害男児を抱えて、別の場所に移動したりはできない。あくまでも、この野次馬たちが注目するなかで、ある「恥ずかしい文言」を唱えなければならなかった。
「こら」
「あんた」
「だまってないで」
「なんとかいいなさいよ」
「このひとごろし」
「まぬけ」
「くず」
 罵倒するだけでは物足りず、野次馬のなかには、チョロ助の胸ぐらをつかみはじめる者も現れた。いずれも中年女性である。
「ああ」
「だめよ」
「しんでるかも」
「まだおさないのに」
「かわいそうに」
「ひどい」
「くず」
 殴られた。たった今、チョロ助は、野次馬のなかの誰かに、ボディーブローを喰らわされた。理不尽である。
「ねえ」
「だめよ」
「いいじゃない」
「ストレスかいしょう」
「わたしもやる」
「ずるい」
「わよ」
 誰からともなく、チョロ助はリンチされはじめていた。
 このままでは、被害男児よりも先に、チョロ助の方が先に死んでしまうかもしれない。蘇生はもちろんのこと、治癒の魔法は、チョロ助自身に影響を及ぼすことができなかった。つまり、自分のケガを自分で治すことはできないのだ。
「あら」
「これは」
「ちいさいわね」
「うちのだんなより」
「あらそうなの」
「うふふ」
「ふふ」
 袋叩きにされながらズボンやパンツまで脱がされたチョロ助は、これ以上恥ずかしいことは無いだろうと判断して、薄れゆく意識のなかで「恥ずかしい文言」を含む、治癒の呪文を詠唱した。

「やーもん、やーもん、警察やーもん。やーもん、やーもん、裁判やーもん。やーもん、やーもん、懲役やーもん。やーもん、やーもん、刑務所やーもーん」

 しかし、なにも起こらなかった。
 この恥ずかしい呪文は、できるだけカワイイ声と仕草でもって唱えなければ、本来の効果を発揮しないのである。
 野次馬たちに袋叩きにされた挙げ句、意識が朦朧としていたチョロ助には、カワイイ声を出す余裕などなかったのである。

 しばらくして、被害男児は死んだ。
 














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