彼女が言うことには 水樹 裕編PDFで表示縦書き表示RDF


これは、同じ設定・登場人物で小説を書こうという「グループ小説」の第三段です。「グループ小説」のキーワードで検索すると、他の先生方の作品も読むことが出来ます。

※H18・6・05 ご指摘頂いた事を参考にラストを一部、加筆・修正致しました。
※H19・1.29 携帯でも読みやすいように改行・行間を変更しました。
※H20・2 ★改訂版で00HPメイカーケータイ小説大賞 ウインターノベルコンテスト 短編部門大賞を頂きました。



彼女が言うことには 水樹 裕編
作:水樹裕


「う〜〜む……」

 うららかな六月の昼下がり。
 柿沼良介 (三十歳) は、人生で二番目の難問に直面していた。
 一番目は、『彼女にプロポーズするタイミング』 だったが、考えようによっては、こっちの方が難問度は上かも知れなかった。

「で、ええと、ゆうりちゃん。それで君は私に、何を依頼したいのかな?」

 そう、『依頼』。良介の仕事は、客から依頼を受け、調査をするいわゆる『探偵』。
 とは言っても、そうそうテレビドラマのように、危ない裏組織や殺人事件に遭遇するわけではない。その殆どは、人捜しや浮気調査がメインだった。

 まあ、ごくたまには危ない目に遭ったりするのだが――。

 ここは良介が所長をしている『柿沼探偵事務所』。
 ごく普通のアパートの一室に看板を掲げているだけの、所長の良介と事務員兼助手、総勢二人の小さな事務所である。
 その上、その唯一の助手は『拠ん所ない事情』で、もっか休業中だった。

 八畳・洋間の窓際に、事務机が二つ。その前にあるあまり高級とは言えない、応接セット。そのソファに向かい合って、良介と、依頼人の自称 ”ゆうり”と言う高校生くらいの少女が座っている。

 少女は、中肉中背。今風のはやりの感じの全くない、肩口で切りそろえられたストレートの黒髪。
 オレンジ色のデニム地のシャツにブルーのジーパン。
 ごく普通の女の子だった。そう言う意味では好感の持てる少女だったが、大きな問題があった。

 彼女が言うことには、『自分は死んでいる』と言うのだ。つまり幽霊だと――。

「私、自分が何者なのか、どうして死んだのか知りたいんです。自分が死んだことと、名前が 『ゆうり』だと言うのは分かってるんですけど、その他は何も覚えていなくて……。気が付いたら、この事務所の前に立っていたんです……」

 そう言って、うつむく彼女。
 きちんと揃えられた膝の上に置かれた小さな両手の甲が、ぎゅっと握られる。
 
 幸か不幸か、こんな仕事を長年していると、相手が嘘を言っているかどうか分かってしまう。
 中には巧みに嘘を付く人間はいるが、良介には彼女がそう言う人間には見えなかった。

「つまり、君は既に死んでいて、自分の名前しか覚えていない。自分の素性と、死因を調べて欲しい――と、そう言うことだね?」

「はい。そうです」

 ゆうりの真っ直ぐな黒い瞳が、良介を見つめる。邪気の無いその瞳を見返しながら、内心どうしたものやら思案に暮れる。
 はっきり言って、彼女の言うことを信じてはいない。

『私、幽霊なんです』 と言われて、鵜呑みにする人間はまずいないだろう。

 だが、彼女が嘘を言っているのでもないとすると、答えは一つ。
 彼女が、自分は幽霊だと思いこんでいると言うことだ。

「言いにくいが、その、無料奉仕という訳にはいかないし、今抱えている案件もあるので、すぐ君の依頼を受けることは出来ないんだが……」

 これが訳の分からないオヤジなら、とっととお帰り願うのだが、如何せん相手は一見普通の女の子。
 本来、はっきりモノを言うタイプの良介だが、さすがに断る言葉の歯切れも悪くなるのだった。

「報酬は、私の素性が分かれば必ず払います。きっと家族がいるはずです。それに私、もう死んでいるんで急ぎません!」 

「う〜〜む……」 

 結局、良介は幽霊少女 “ゆうり” の依頼を受けることになった。

「最後にもう一つ、君が幽霊だという証拠が見たい――」

 その良介の問いに、”ゆうり” はいとも簡単に答えてしまったのだ。つまり、空中にプッカリと浮いて見せたのだった。



「頼むから、普通に歩いてくれないか?」

 “抱えている案件”を片付けるために仕事に出掛けた良介の斜め後ろを、プカプカと浮遊しながらゆうりが付いてくる。

「でも、他の人には見えないんだから、良いじゃないですか」

「……私の精神衛生上、良く無いんだ。頼む」

「あ、はい。そう言うことなら歩きますね」

 ニコニコしながら、今度は良介の後ろをチョコチョコ歩いて付いてくる。

「はぁっ……」

 我知らず溜息が漏れる。彼女の言う通り、良介以外にはその姿は見えないようだった。
 空中をプカプカ浮いているゆうりとすれ違っても、別段驚く人間はいなかったのだ。

 自分には霊感など無かったはずだ、と良介は思う。
 少なくとも、今の今まで幽霊に会ったことも話したことも無かった。

 なぜ、俺なんだろう?
 もっとそう、霊媒師だの、坊さんだの、神父だのの所に行けばいいものを……。

 こうして、私立探偵・柿沼良介の長い一日は始まった。



「ここに犯人がいるんですか!?」

 裏町の路地奥にある、古びた木造二階建ての安アパート。

 各階に八部屋あり、その北面、階段側のアパート入り口が見通せる場所で、人待ち顔を装いながら監視を始めた良介に、興味津々のゆうりの質問が始まった。

「別に、犯人という訳じゃない。ちょっと家出娘捜しでね。瀬戸亜佐美という十五歳の女の子だ」

 幽霊相手に守秘義務もないだろうと思い、良介はありのままを教える。

「あのアパートのどこかにいるんですか?」

「ああ。二階の西側の角部屋。二〇八号室に男といるはずだ……。それより」

「はい?」

「付いてくるのは構わないが、話しかけるのはなるべく遠慮してくれ。これじゃまるで独り言を呟く変なおじさんだ」

 くすくすくす。

「分かりました。でも、私に手伝えることがあったら、遠慮なく言って下さいね。部屋の中の様子とか、見て来られますよ?」

 ゆうりの言葉に良介の表情が輝く。

「そうか! 君なら部屋の中に彼女がいるか、確認できるな!」 

「この亜佐美さんが部屋の中にいるかどうか、見て来ればいいんですね? じゃ、ちょっと行って来ます」

 亜佐美の顔写真を確認するとゆうりはすうっと消え、次の瞬間、例の部屋の前で楽しげに手を振っていた。そのまま、部屋の中に吸い込まれて行く。

「幽霊って、便利だな……」

 妙に感心しながらぼそっと呟いた良介の脇を、男が通り過ぎる。

 ヤバイ――。男が帰って来た。

 良介は思わずギクリとしたが、ゆうりの姿は他人には見えないことを思い出して、少しほっとする。

 一人と言うことは、亜佐美は部屋にいるのか、他の場所にいるのか……。
 良介は心の中で一人呟いて、調べてある男のデータを頭の中で整理する。

 ――男の名前は、小田哲夫。

 年は二十二歳。
 身長一七〇センチ前後、小太りで黒縁のメガネをかけている。肩の辺りまで伸ばしたと言うよりは伸びてしまったという感じの暗めの茶髪で、一見“オタク風”。
 容貌は、『小太りのカエル』と言った感じだ――。

 職業は、フリーター。
 瀬戸亜佐美とは、ネットの「出会い系サイト」で知り合い意気投合し亜佐美の家出、と言うありがちな経路を辿った。
 ……と、周囲は見ている。

 と言うのも、亜佐美がどちらかというと“グレていた”部類に入り、素行があまりかんばしくなかったのと、PCに残っていた二人のメールのやりとりから、事のあらましが分かったからだった――。
 捜索の依頼人は亜佐美の両親。
 探偵を雇ってまで娘を捜したい両親の気持ちは、十五歳という亜佐美の年齢を考えれば無理もないだろう。

 亜佐美の友人関連から、このアパートを割り出して今に至る。
 後は実際この目で、彼女がここにいる確認を取り、それを両親に報告すればこの仕事は終わる。
 亜佐美が両親の元に帰るかどうかは、一介の探偵の関知する領分ではない。

 そこまで考えて良介は、ゆうりが戻ってくるのが遅いことに焦り始めた。

 いくら幽霊で姿が見えないとはいえ、亜佐美がいるかどうかの確認を取るだけなのに、時間が掛かりすぎている――。

「たいへん! 探偵さんっ!」

「うわっ!?」

 文字通り、突然ゆうりが目の前に現れる。

「あ、あんまり脅かさないでくれ……」

 思わずビクッと飛び上がりそうになった良介に、ゆうりが焦ったようにまくし立てる。

「亜佐美さんはいなかったけど、同じくらいの女の子が二人、部屋にいました!」

「二人ィ!? 亜佐美じゃないのか?」

「ええ、違う女の子です」 ここで幾分落ち着いたのか、ゆうりが深呼吸する。

「それでその子達……私と同じ“霊体” なんです!」

「霊体って……、幽霊って事か?」 目の前に一人現物がいるので、良介もそんなに驚かずに済む。

「その子達、“小田哲夫に殺された”って言ってるんです!!」

「何だって!?」



 ゆうりが小田の部屋に入ると、荒れた部屋の隅に女の子の霊体が二人いて、寄り添いしくしく泣いていた。

「どうしたの? どうしてここで泣いているの?」

 尋ねると、「小田哲夫に殺されて埋められた。家に帰りたい」 それだけを繰り返しやはり、しくしく泣くだけだった――。
 そこへ、小田が帰って来た。

 とたんに二人の少女の霊は怯え出し、ゆうりがいくらなだめても何も答えてくれなくなった。

「警察に届けた方が、いいんじゃないですか?」

 どうした物か考えあぐねていた良介に、ゆうりが心配げに声を掛ける。

「無理だ――。証拠がなさすぎる。死体でも出れば別だが、“幽霊がそう言ってました”じゃ、警察は動かない」

 例え、もっともらしい理由を付けて今ここに警察を呼んだとしても、『証拠』 が無ければ意味がない。

 小田が殺人犯で、それも二人も殺しているとなると、亜佐美も最初からそのターゲットとして狙われた可能性が高い。これはもはや、単なる家出娘捜しのレベルではなくなっていた。

【連続女子高生殺人魔!!】

 週刊誌の一面が目に浮かぶようだ。 



 三十分後、小田が大きな白い紙袋を大事そうに抱えて、アパートを出た。

 良介とゆうりは、その後を慎重に追う。
 最寄り駅から電車に乗り、郊外へ向かう。
 その間小田は、紙袋の口を開けては中をのぞき込み“ニヤリ”、とするのを繰り返していた。

「あの袋の中身、分かるか?」

 いくら空いているローカル線の電車内でも、独り言をぶつぶつ呟く訳にはいかないので、良介がごく短く尋ねる。

「……女の子の下着と、セーラー服と、サバイバルナイフ」

 ゆうりが、薄気味悪そうに肩をすくめながら呟いた。

「君は、亜佐美が、生きてると思うか?」

「……少なくても、あの部屋にはいなかったから、多分――」

 ゆうりが、コクリと頷く。

 だとすると今、小田が向かっている先に亜佐美がいるのか? それとも、別件なのか?
 これはもしかすると、たまにしか無い“危ない目に遭う” パターンかも知れない。

 首筋の産毛がちりちり逆立つ様な危機感を、良介は感じていた。



 そこは、郊外も、郊外。周りは雑木林しかないような、そんな場所だった。

 無人駅で降りた小田をいくら離れて尾行したところでさすがに目立ちすぎるので、良介は駅で待機して、ゆうりに後を追って貰う。きっかり二十五分後、ゆうりが戻って来た。

「亜佐美さんがいました……。まだ生きてるけど、早くしないと、危ないと思います」

 幽霊のゆうりの顔が、青ざめて見える。

「分かった。案内してくれ」

 ここまで来たら、最後まで行くさ――。
 亜佐美が生きているのなら、助けたい。

 それは、格好付けでもなく、正義感ぶっているのでもなく、良介の純粋な思いだった。



 夕方の六時を回っていた。陽がゆっくりと傾いて行く。そこは、閉鎖して打ち捨てられたような、廃工場だった。

 そこには、あるはずのない明かりが灯っていた。
 だが、鬱蒼とした雑木林が巧みにそれを隠してしまう。恐らく、大声を上げても聞こえる範囲には、人家は無いのだろう。そこに、小田の狡猾さが現れていた。

「探偵さん、こっち! こっちからなら、小田に気付かれずに中が見えます!」

 ゆうりに案内されて慎重に工場の裏手に回り、一番奥の明かりが漏れている割れている窓から、中を覗く。

 息を呑む――。
 亜佐美がいた。
 両手を後ろ手に縛られ、猿ぐつわをされている。

 そして、縛られた両腕に手錠が掛けられ、そこから伸びた頑丈そうな鎖が、鉄骨の柱にがっちりと繋がれていた。
 亜佐美は力なく繋がれた柱に寄りかかっている。見るからに衰弱しきっているのが分かった。小田の姿は死角になっているのか、見えない。良介がぎゅっと、唇を噛む。

 変態野郎がっ! お前の悪運もこれまでだ! 覚悟しろ、小田っ! 

 飛び出して行って助けたい衝動をぐっと押さえ良介は、マナーモードにしてある携帯を取り出すと、警察へダイヤルしようとフタをあけた。

「何をしているのかな〜? お・じ・さん!」

 ニワトリを連想させる甲高い声が後ろから響く。

「きゃぁっ!」

 悲鳴を上げたゆうりの方に、楽しげにサバイバルナイフを構えた小田が、ちらりと視線を向ける――。

 こいつ――、ゆうりが見えてるのか!?

「残念だったね。可愛い幽霊ちゃん。俺、昔っから霊感抜群なの。うけけっ」 

 ニワトリの声で、爬虫類のように小田が笑う。

 最初から、アパートの部屋にゆうりがいたときから、こいつは気付いていたのか!?

 良介は、己の迂闊さを呪っった。

「男は、コレクションには入れたくないんだけど、仕方ないなぁ。男の幽霊をはべらせても、鬱っとおしいだけなんだよねぇ」

 サバイバルナイフをうっとり眺める小田に、一瞬の隙が出来る。

 良介が動いた。
 ナイフを握った小田の右手を、思いっきり蹴り上げる。
 スコン! ――。軽い音を立てて、ナイフが宙に舞った。

 何が起こったのか分からないでキョトンとしている小田の顔面に、思いっきり拳を叩き込み、バランスを崩したその足をひょいと払う。

 ドスン。「うげっ!」 顔面から地面に突っ伏した所を、抜き取った小田自身のベルトで、後ろ手に縛り上げる。

「はい。できあがり。おじさん探偵を舐めるなよ」

「す、凄いです!探偵さんっ! 強いんですね!」

 事の成り行きを、ぼーぜんと見つめていたゆうりが、パチパチ拍手を送る。
「さあ。亜佐美を助けよう」

「危ないっ!!」

 ゆうりの声に振り向いた良介の肩に、鋭い痛みが走った。
 パタパタと地面に赤い点が散る――。

「甘いねぇ。俺たちは、可愛い双子ちゃんだったのでした〜」

 うけけと勘に障る笑い声をあげて、もう一人の小田がいた――。
 その右手で、さっき良介が蹴り飛ばしたサバイバルナイフが、血で濡れて怪しく光っていた。
 そして左手には、ぐったりとした瀬戸亜佐美を抱えている。
 彼女には、助けを求める体力すら残っていないようだった。

「動かないでねぇ、お・じ・さん。亜佐美ちゃんが、死んじゃうよ〜」

「お前ら、まさか三つ子とか言うんじやないだろうな……」

 まるで、妖怪でも相手にしているような疲労感を覚えながら、良介が呟く。だがその手には、警察へ繋がったままの携帯が握られていた。

 この僻地まで警察が来るのに、どのくらい掛かるだろうか――。

「降参だ。俺の負けだ。好きにしろ」 肩をすくめて、投げやりに呟く。

「冥土の土産に教えてくれないか?」

「何かなぁ?」 勝ち誇ったように、小田二号が笑う。

「アパートにいた女の子二人の死体は、何処にあるんだ?」

「アンタの、足の下〜」 ニヤリと口の端をつり上げる。

「殺して埋めたのか……。二人の名前は?」

「岬 由美ちゃんと、佐伯 真希ちゃんで〜す」

「もう一つ。この廃工場、表に『堺鉄工製作所』と看板があったが、お前達に何か関係があるのか?」ゆっくりと、携帯の向こうに聞こえるように発音する。

「別にぃ。ネットで、『心霊スポット』で見付けたのさぁ。いい穴場だろう? 俺たちの秘密基地なのさぁ〜」

「そうか。教えてくれてありがとうよ」 

 ついでに、おつむが軽くて助かったよ! 良介は、心で毒付く。

 後は、電話の向こうの警察が、少しでも早く来てくれるのを祈るしかなかった。
 あまり、間に合いそうもないな……。
 良介は、心の中で休業中の助手に詫びた。

 悪い……。お前の戻ってくる職場、なくなりそうだ――。

「それじゃ、さようならぁ〜」

 小田二号がナイフを振り上げる。

「ダメェッッ――!!」

 そのナイフと良介の間に、ゆうりが飛び込んでくる。

「なっ!?」

 とっさに、良介がゆうりの体を引き寄せ抱え込む。

 幽霊だとか、刺されても死なないんだとか、そんな理屈は考えられなかった。ただ、良介の本能がゆうりを庇ったのだ――。

 良介の視界が、白一色に染まる。

 妙だな。こんな時は、ブラック・アウトするもんじゃないのか……?

 そう良介は、どこか他人事のように冷静に考えていた。

 バカね。

 私、幽霊なのよ。死なないの。

 命をかけて、庇ってどうするの?

 お人好しなのね。

 でも……。

 嬉しかった。

 ありがとう、――さん。

 それと、嘘をついてごめんね。

 私の依頼、あれはキャンセルね。

 良介は、そう言って微笑むゆうりを見た気がした。



 その一時間後、気絶している良介と亜佐美。そして小田兄弟が、駆け付けた警察によって発見された。
 幸い良介の肩の傷も浅く、亜佐美も衰弱はしているものの命には別状が無かった。
 二人の少女の遺体も掘り起こされ、これでやっと、家族の元へと帰ることが出来るだろう。

「よう。助手君。大変だったんだってな……。悪かったな、すぐに来れなくて。色々あってな……」

 良介が、少し照れたように呟く。

「そうよ。一時は、心音が聞こえなくなって、危なかったんだからね!」

 そう言って笑うその顔は、神々しいくらい慈愛に満ちて、輝いていた――。

 ここは、助手君こと良介の妻・奈々の入院している病院の一室。
 病院特有の消毒薬の匂いが鼻孔をくすぐる。

 日付は、後少しで変わろうとしていた。
 ベットには、奈々に抱かれた新生児がスヤスヤと気持ちよさそうに眠っていた。

 まさに、聖母マリアさまだな――。
 男には、逆立ちしても叶わない。

 良介が眩しげに目を細めて二人を見詰める。

「ゆうり……」 ぽつりと良介が呟く。

「えっ?」

「この子の名前さ、“ゆうり”がいいな、と思ってさ」

「ゆうり――。いい名前ね」

 あの時、最後の瞬間彼女は、“ゆうり”は、確かに良介にこう言ったのだ。
「ありがとう。お父さん――」と。

 ゆうりが誰だったのか、何故自分の所に現れたのか、初めて我が子と対面しその顔を見た時、良介は分かった気がした。
 その寝顔には、ゆうりの面影が色濃く現れていたのだ。

 きっとお前は、俺を助けるために来てくれたんだな……。

 こっちこそ、ありがとうな。
 お前のおかげできっと、俺は今ここにいる。

 良介は、安らかなその愛おしい寝顔に、そっと語り掛けた。

 それは、小さな新しい命が起こした奇跡だったのかも知れない。


 こうして、私立探偵・柿沼良介の、長い一日は終わったのだった。





                 おわり



いかがでしたでしょうか? 
探偵小説を読むのが大好きな私です。
いつか、自分でも書けたらいいなぁ、と思っています。
少しでも楽しんで下さったのなら、嬉しいです。













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