昼下がり。雨が降っている中、僕は土手沿いを歩いていた。
周りの人から見たら、何をしているんだろうと思われるだろう。
行き交う人の視線を無視しながら歩いている。
下をうつむいていたが、ふと、足下にタンポポの花が咲いていることに気づいた。
でも、雨に打たれ、風に吹かれ、今にも倒れそうになっていた。
「頑張っているんだな。雨にも負けず……」
改めて、植物の生命力の強さを感じた。
だが、自分はどうなのだろうかと不安になった。
普段、周りからいじめられたり、嫌なことをされたら全てにおいて逃げていた。
それがいじめに拍車をかけ……。
親に相談してもやり返せと言うだけで、助けてはくれなかった。
今日も、殴られたときに怪我をした右頬を抑えながら歩いている。
テストも友達関係も……全てが嫌になっていた。
ついには家での生活自体も嫌になって、家を飛び出した。
傘も差さずにずぶ濡れになりながら歩いている。
時折、人の視線が冷たく当たるがそんなものは今まで受けてきた冷たい仕打ちに比べたらぬるま湯にすぎなかった。
今までのことに比べたら、雨は僕に優しく降り注いでくれているように感じた。
だから、これで良かった。
しばらくの間タンポポを見つめていたが、立ち上がりまた歩き出した。
前を見てみると、橋を渡っている特急電車が見えた。
それと併走するように普通電車も橋を渡っていった。
電車を見て、一瞬魔が差した。
誰にも助けられないのなら、自分なんて居ても意味がない。
「自殺」という言葉が僕の脳裏をかすめた。
でも、いじめに立ち向かう勇気もない僕に「死ぬ」勇気などなかった。
ますます、自分が憎く感じる。いじめにも立ち向かえない。
死ぬことも出来ない。僕はなんて臆病で卑怯者なんだろう。
逆にいじめにあって、自殺したというニュースを見ていて、その自殺した人は勇気があるなと思ったぐらいだ。
僕には到底真似が出来ない。
真似をするような事じゃないかもしれないけど、僕にとっては真似をするようなことだった。
逃げ続けた結果、僕は去年の秋から学校には行っていない。
終業式にも始業式にも出なかった。何回も先生が僕を訪ねに来た。
でも、僕はそれすらも拒否していた。先生の思いやりには気づいていた。
だけど、先生すらも信用できなくなっていた。
自分のわがままだと言うことは分かっている。先生は悪くはない。
僕が自分で抜け出せなくなっているだけ。
しかも、いじめの相手はたった一人。
他のクラスメートは僕の方にもいじめている奴の方にもついていない。
だから、時々僕の友達が心配になって、訪ねてくることはあった。
勿論、心の中ではうれしかった。
でも、その時も「心配しているのに、どうして助けてくれないの!」って言って、帰していた。
友達はただ、「ごめん」と言って、そのまま帰って行った。
当然の反応だと言うことも分かっていた。
自分も信用できない。もう、誰も信用できなくなっていた……。
結構な距離を歩いていたのか、遠くに見えていた鉄道陸橋が目の前にあった。
すぐ目の前を電車が通過していった。
僕は土手を降り始めた。
昔は電車を見ることが好きで、時間があれば土手沿いに来て電車を見ていた。
ただ、見ているだけだったが僕にとっては十分楽しい時間だった。
今は電車に対して、特別な想いを持つこともなくなった。
土手を降り、道路に出た。
普段から土手と平行する道の交通量は少ない。
歩道を歩き続けて、出来る限り家から離れた場所に行こうとした。
途中、僕の通っている学校も見える。
土手沿いにあって、学校の裏手が電車の駅になっている。
なんだか、不思議な立地にある学校だった。
校舎は古ぼけていて、新しくはない。
でも、少し古い感じの校舎が僕は好きだった。
だから、この学校自体は好きだった。
学校が好きな理由など、これで十分だった。
でも、この学校も二年後には閉校してしまう。
丁度、中学のうちはこの学校にいられるが、高校に入ってからはこの中学校に生徒は通わないことになる。
それが無性に寂しかった。
この学校が好きな僕にとっては親友と別れてしまうような心境になっていた。
自分の学校を近くで見たくなり、校門の前まで来た。
「誰もいないか……」
当然であろう。
今日は土曜日。
しかも雨と言うこともあり、部活もない。
僕はそのまましばらく見ていたが、立ち去ろうとした。
その時、目の前に見慣れた姿が見えた。
僕はそれに驚いて、逃げだそうとした。
だけど、手首を強く握られ逃げられなくなった。
そして、傘の下へと促された。
僕は視線を合わせることが出来なかった。
「雨の日にそんな格好で何をしているんだ」
「……ごめんなさい」
僕は素直に謝った。
それを見ながら、僕の担任の中田先生は大きくため息をついた。
鞄からタオルを取り出し、僕の髪の毛と体を無言で拭いた。
僕は本当にひどい奴だ。
先生にも迷惑をかけるなんて、僕なんか存在しなければ良かったんだ……何回思っただろう。
僕は先生に殴られるかと思った。
でも、先生は僕の頭に手を置き、くしゃくしゃなで回した。
僕はそれに驚いて、そっと顔を上げた。
中田先生は微笑んでいた。
「先生の家に来るか?」
僕は軽く頷いた。
そんな僕を見て、先生はうれしかったのかさらに微笑んで、僕の手を引きながらその場から歩き出した。
僕はそのまま、先生について行った。
学校からさほど離れていないアパートの二階。
その突き当たりの部屋が先生の家だった。
ドアを開けるとすぐ目の前が台所で、その先に畳の部屋が一間あった。
実は先生の部屋に来るのは初めてではない。
不登校になり始めたころにも一度来たことがあった。
その時も先生は温かく迎えてくれた。
僕はそんな先生を好きだったが、どうしてこんなに優しくしてくれるのか不信感を抱いていたことも事実だった。
先生は手際よく、タンスから服を取り出し、僕に手渡した。
「少し大きいが、大丈夫だろう? 先生の家には風呂がないからな……よし、何か温かいもんを作るか」
先生は僕の返答を待たずに、台所に立って、冷蔵庫から何やら取り出して料理を始めた。
僕はそんな先生を見ながら着替え始めた。
ずぶ濡れになった服を近くにあったビニル袋に入れて、素っ裸な状態で体を拭き、先生が用意してくれた服を着た。
やっぱり、先生が着る服のようで少し大きかった。
先生を見ると、料理に没頭していた。
ふと、窓の近くにより、窓の外を見てみた。
丁度、雨がやんだらしい。
暗闇から少しずつ、太陽が顔を出してきていた。
僕はそれを見ながら、少しだけ元気を取り戻していた。
「よ〜し、出来たぞ〜!」
先生の大きな声が聞こえて、僕は振り返った。
先生はどんぶりを机の上に置いた。
僕は机の前に座った。どんぶりの中身はうどんだった。
素うどんに卵をとじてあって、刻みネギがのっているだけのシンプルなものだったが、香りが良かった。
湯気と共に香りが部屋中に行き渡る。
僕はその香りにほっとしながら、箸をとり食べ始めた。
そのおいしさに自然と顔はほころんだ。
食べていくうちに体が温かくなってきて、頬も赤くなってきた。
心を少しだけ落ち着けることが出来た気がする。
食べ終わると、僕は先生にお礼を言った。
先生はうれしそうに言葉を返していた。
決して、話の核心には触れずに。
でも、とうとう先生も核心を突こうとし始めたらしい。
「何があったか話してはくれないか?」
先生は学校の中では比較的若い先生だった。
そのためか生徒達からは人気があった。
親しみやすいし、話しやすいのは事実だった。
でも、僕は学校ではほとんど話さない。
むしろ、学校外で話すことの方が多かった。
だから、僕も他の人と同じで先生のことは好きだった。
先生には正直に話が出来た。
だから、今回も正直に話すことにした。
先生は僕の話を聞いて、真剣な目つきになった。
「無理に学校へ来いとは言わないが、お前を心配している奴らはいっぱい居るんだからな。それを分かってやれよ。福田には先生からもよく言っていて、あいつも反省してるから。一度、学校に来てくれ。な?」
僕は今が変わるときなのだと感じた。
今変わらないと、ずっと戻れないと思った。
だから、僕は先生の問いに対して、肯定の意思を表した。
先生は頷いて答えた。僕はそのまま、先生にお礼を言って、先生の家を出た。
家に入った瞬間、母親が駆け寄ってきた。
父親もゆっくりと僕に近づいてきた。僕はしっかり二人の顔を見た。
「ごめんなさい。僕、明日から学校に行くことにする。今まで迷惑かけたけど、明日から変わるから」
僕は両親の返答を待った。
母親が喜んで、僕のことを抱きしめた。
僕はそれに驚いたがそのままの状態で父親を見た。
父親は苦笑いを浮かべていた。
「やっと、分かってくれたか。目の前のことから逃げてはいけないぞ。よし、明日はちゃんと学校に行けよ」
「うん」
両親が伝えたかったことを僕は自分の力で見つけることが出来た。
自分でもうれしかったし、両親もうれしかっただろう。
そして、明日はすぐにやってきた……。
翌日。時刻は8時10分。
始業時間まで後15分。
僕は学校の校門の前に立っていた。
校庭にはしだれ桜が咲き誇っていて、綺麗だった。
行き交う生徒の中に僕のクラスメートもいる。
視線は合わせていたが、すぐに去っていってしまっていた。
でも、僕にとってはそんなことは関係なかった。
そして、ゆっくり校舎の中に入った。
下駄箱の名前がまだ残っていて、少しうれしかった。
てっきり、なくなっているものだと思っていたから。
二年生になって、玄関が一年生の時より広くなっていた。
玄関に繋がっているような形で調理室があり、校舎の中に入る側と逆の方に別の出口があった。
この出口を出ると第二グラウンドに出る。
階段を上がりながら、気持ちを落ち着けていた。
二階にある、職員室に向かった。
扉を開けた瞬間、先生全員が僕の方を見た。
いつの間にか知らない先生も混じっていた。
僕のことを見てまっさきに中田先生が駆け寄ってきた。
「よく来てくれた。良かったよ」
「先生。僕、目の前のことから逃げません。昨日はありがとうございました」
「ああ、頑張れよ」
僕は先生に頭を下げ、職員室を後にした。
二年生の教室は四階。
この階にはプールと繋がっている廊下と、教室に繋がっている廊下の二つがあり、さほど、広い階ではない。
二年の教室も二つだけで、全学年の中で一番生徒が少ない。
正確には去年の新入生が少なかったためである。
僕は2年1組の教室の扉をそっと開けた。
一瞬で教室内が静まりかえった。
クラスメート全員の視線が僕に当たった。
正直、怖かった。体が少しだけ震えた。
男子の生徒は驚いている奴もほっとしているやつも色々居た。
女子の方は温かい視線を送っていたような気がする。
一人の男子が立ち上がり、僕に近づいてきた。
その男子が僕をいじめていた張本人。
福田雄一。
さんざん、いじめられて、僕は嫌になっていた。
でも、僕は変わるんだ。絶対に、変わってやるんだと強い意気込みがあった。
一方、福田は何か言いたそうに下をうつむいていた。
「福田。僕、目の前のことに立ち向かうから」
ただ、一言だけ言った。
その言葉に強い決意を込めて、少し語気を強くして言った。
それに周りの生徒は目をつぶる奴とじっと様子を見る奴の二つに分かれた。
「山崎、ごめん……お前をいじめたりしてさ」
「え?」
僕は思わず、声を出してしまった。
そのやりとりを聞いて、目をつぶっていた生徒も目を開けて、様子を見ていた。
福田は頭を掻きながら、時々僕に視線を合わせていた。
「そのさ……お前と仲良くなりたい訳よ……許してくれるかどうかは分からないけど……」
福田は照れくさそうに僕に言った。
周りのみんなの表情が次第にほころんでいくのが分かった。
僕は福田を見ながら、軽く頷いた。
「うれしい……そう言ってもらえて」
「許してくれるのか!?」
「うん。もちろんだよ」
僕は精一杯の笑顔で答えた。
それに対して、福田は泣きそうな表情でありがとうと言った。
福田の泣き顔って初めて見た。
驚き半分、うれしさ半分だった。
自分がまず変わらなければいけない。
それにあわせて、相手も変わっていくんだと思った。
周りの生徒はみんな立ち上がり、拍手していた。
福田と僕は顔を見合わせながら、照れていた。そこに中田先生が入ってきた。
「良かったなお前達。福田、山崎。これから仲良くな!」
「はい!」
僕と福田は元気よく答えた。
先生が両手で僕たちの頭をくしゃくしゃなで回した。
おかげで、髪がぐしゃぐしゃになってしまった。
少しだけ嫌そうな顔を見せたが、すぐに笑いあった。その時、チャイムが鳴った。
「お、授業だ。みんな席座れ〜」
先生のいつもの声が教室中に響き、授業が始まった。
そして、僕は人並みに学校生活を送ることが出来た。
あれから二年。僕も受験生として、高校受験に望んだ。
結果、第一志望の高校に合格することが出来た。
入学式当日。
僕は一緒に通うことになった友達と校門の前で待ち合わせていた。
この高校の校庭にも桜が植えられていて、散っていく姿が綺麗だった。
散ってきた桜の花が僕の頭の上に落ちた。
僕はそれをつまんで、じっと見つめた。そして、風に流した。
そんなことをしているうちに友達が駆け寄ってきた。
「お〜い、山崎〜」
「遅いよ福田」
「わりぃ、わりぃ」
「じゃあ、行こうか」
「おう」
僕と福田は同じ高校を受験して、合格した。
一年生の秋のころには考えられなかったことだった。
でも、すっかり福田とは仲が良くなって高校も同じになった。
僕も福田もお互いを信頼し合い、頼もしい仲間として認めていた。
校庭の桜が新入生の門出を祝うかのように咲き誇り、散っていく。
その姿を見ているだけでも心が安まり、頑張っていこうという気になった。
僕たちはそのまま入学式を迎え、高校生活のスタートを切ったのだった。
これからも、目の前に何が出てこようと立ち向かっていくと誓って……。 |