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京都不思議散歩(1)地蔵の涙
作:ソンミン


 真如堂から黒谷さんー金戒光明寺に抜ける道は私のお気に入りの散歩道である。真如堂は春は桜、秋は紅葉が美しく、また新緑の季節、夏、冬を通して一年中楽しめる。この寺の裏から墓地へ通じる道がある。この墓地を通って光明寺へといたるのである。
 なぜわざわざ墓場を通って、と思われるかもしれない。無論、ほかにも光明寺へといたる道はある。しかし僕は、歴史の街京都を感じるにこれほどふさわしい散歩道は無いと常日頃思っている。
 墓石に刻まれているのは故人の名前にとどまらない。死亡年月日、死亡場所、その他、故人へのメッセージなどが刻まれていることもある。それらを確認するのも困難なほど古い墓石から、ぴかぴかに光る最近のものまで、実におびただしい数の墓石の中を歩いていく。時々立ち止まっては、それら墓石に刻まれたメッセージを読んだりする。そして、その故人の人生に思いを馳せるのだ。
 無縁仏の墓もある。何か正体不明の石像があったりもする。夕暮れ時に歩くときなど、一瞬背中にひやりとするものを感じることがある。またそれが醍醐味であったりする。故人が何か僕に語りかけようとしているのだ、--そう思うと、そんな感覚も決して怖いものではない。ひやりとした方を向くと、墓石がにこりとこちらに挨拶をしているのが分かる。
 「こんにちは、よく来てくれたね。誰も来てくれないから寂しい思いをしていたよ。」
 僕も挨拶を返す。
 「突然ごめんなさい。すぐに行きます。お休みのところ、騒がしくしたんならごめんなさいね。」
 「いや、もう少しゆっくりしていってくれ。」と、--さすがにそこまでの返事が返ってくることはないが。
 
 光明寺へ着くころには何か心に満たされたものが出来上がっていて、不思議な安堵感を覚えるのである。
 時間があるときには、途中にある三重の塔へ立ち寄る。階段を登らねばならぬので疲れているときはつらいが、そこから眺める京都の町はなかなか絶景である。
 
 さてある日のこと、晩秋のころである。そんなお気に入りの散歩コースに行ってみようと、ぶらりと家を出た。いつも気まぐれである。真っ赤な紅葉を見たかった。土曜、日曜はなるべく避けるのが常である。人を眺めに行ってるようで、風情も何もあったもんじゃない。
 近年、京都の紅葉は美しくない。30年前から京都の紅葉を眺め続けている私の目にはそう映る。大気汚染、酸性雨、地球温暖化、いろんな原因があるのだろうが、なんとも昔が懐かしい。一面血に染まったような見事なまでに美しい紅葉を見ることは本当に稀有になった。
 そんな思いに耽っているうちに電車は阪急河原町駅に到着した。ここからは徒歩である。
阪急河原町駅から金戒光明寺まで徒歩で、と聞くと京都に多少の土地勘のある人なら怪訝に思うことだろう。早足でざっと30分はかかる。大抵の観光客はタクシーに乗る。しかしこの途中の路もコースを選べばそれなりに楽しめる。
 私のお気に入りは、四条大橋を渡り、白川通り、祇園新橋を抜け、東大路通り、知恩院北門の前から白川に沿って平安神宮、そして金戒光明寺--いわゆる”黒谷さん”へと至るルートである。
 承安5年(1175年)法然上人が比叡山の黒谷を下り、この地に草庵を結び専修念仏のための道場とした、と伝えられることが、この寺が”黒谷さん”と呼ばれるゆえんである。
 そもそも黒谷さんそのものが観光地京都にあって穴場的存在である。真如堂が銀座並みの混雑を呈しているときでも、すぐ隣のこの寺は人も少なく、落ち着いて散策できる。またそれなりに趣もある。法然上人ゆかりの地であることから平安、鎌倉の古の時へ想いを馳せるもよし、幕末には、会津藩が陣を取り京の都の治安に当たった場所でもあるから、新撰組の活躍を思い浮かべながら散策するのも良いだろう。
 1000年の時の流れを感じつつゆっくりと京都の街を歩いて欲しい。京都の町に昨今あふれる観光バスの行列を見て思うことである。自分の足の裏に、歴史を直に感じる。これが京都の散策の醍醐味である。
 さていつものとおりのコースを辿り、黒谷さんにたどり着いた。30年前と違って50才近くにもなるとさすがに多少は疲れる。しかしここの空気を吸うと心が安らぐ。疲れも不思議と和らぐ。歴史ある建造物には古の都人のエネルギーが蓄えられているのかもしれない。 
 森林浴ではないが、これらの建物の中に身をおくと何か霊的なものが降り注いでくるのを感じる。これも京都の散策の魅力であろう。
 光明寺の散策は、しかし、後回しにしてまずは真如堂へと向かう。
 脇道へそれると真如堂へ向かう小道がある。この道も観光シーズン中であっても、あまり観光客で溢れることはなく、ゆっくりと散策を楽しめる。紅葉のピークは過ぎたとは言え、途中、小ぶりながらも見事な紅葉を鑑賞も出来る。
 
 本日は天気もよく、晩秋の京都は空気も澄んで、まことに爽やかであった。
 10分もかからない。真如堂にたどり着いた。人はさすがに少ない。あれほど鮮やかだった紅葉もほとんどが散り散りで、残った葉も色は褪せてしまっている。その儚さが侘しいのではあるが、しかしまた美しいのだ。
 春の桜はたとえ1週間で散ってしまうとしても、そこに新しい命の息吹を感じるものである。しかし、秋の紅葉は何か人生そのものを考えさせる。そんな想いにとらわれながら、真如堂の境内をさらに奥へと進んでいった。
 京都の街は今に至るまでに、一体どれだけ数多くの災害に見舞われたことだろう。戦乱、火災、落雷、地震、鴨川の氾濫、伝染病の蔓延、そして飢饉。一体どれだけ多くの人々が苦悶の表情を浮かべながら死んでいったことだろう。
 そういったことを鑑みると、この街で本望ならず死んでいった人々の苦悩に満ちた霊魂の彷徨いを、折につけ感じることがあると、そう僕が言っても決して過言ではないとうことを読者は理解して下さるだろう。
 この真如堂の裏手から広がる黒谷さんの墓苑もまさにそういった場所の一つである。僕はここを散策するたびに強い霊気を感じる。彼らの悲しげな叫びを聞く。一体何と叫んでいるのか、しかしその声の中身まではわからない。僕にもっと霊能力があれば、と思ったりもする。でもそれも怖そうだ。死者と会話できる能力なんて実際はありがた迷惑もいいところだろう。
 真如堂の裏から黒谷さんの墓苑に入る。風情のある景色から一転、目の前に無数の墓標が広がる。恐ろしく古いものもありこの墓苑の歴史を感じる。無論墓苑の歴史まで調べらことはないのでいつの時代ごろから整備され始めたものか、詳しいことはわからないが。
 恐らく軽く一万を越えるのではないか、殆どが西を向いて立てられているその墓碑は、夕日が沈む頃には美しく照らし出されて、古人の西方浄土の思想を偲ばせる。ここ黒谷の丘は南無阿弥陀を唱える浄土宗の念仏信者たちにとって、彼らの墓苑として整備するのにまことにふさわしい場所であったのだ。
 そんな思いに浸りながら、いつもの散策コースを辿る。即ち、真如堂の裏側から墓苑の中の道を通って南へ下がる。そして運慶作と伝えられる文殊菩薩像が安置される三重の塔が左手に見えると右手に曲がり下へ斜面を降りるのである。
 その間、墓標に刻まれた名前など見ながら歩いていくのである。名前、逝去場所が大抵刻まれている。いろんな形の墓石があるのも興味深い。
 晩秋の季節、その日も、いつもの道を辿った。
 快適な散策である。天候は良く、寒すぎることも無い。いつものように三重の塔の前の階段を右手に曲がって斜面を下りようとしたときである。
 丁度日が沈みかける頃でもあり、夕日が眩しく、斜面に照り映えて美しい光景であった。
 三重の塔も美しく夕日に照りだされていた。その塔の傍らに人影が見えた。若い女性のようである。着物を着て、塔の周りを歩いている。不思議な光景であった。ここで着物姿の女性を見ることはあまりない。お彼岸の頃とか、全く見ないという事はないが、殆ど年配の女性で、若い女性の着物姿は何か違和感があり、夕日に照りだされているせいもあるのだろうか、周囲の光景から浮き上がった感覚の人影は美しくもあり、また怪しげでもあり、何か惹きつけられるものを感じた。
 あまり塔の方へ向かって登っていくことは無いのだが、その日は右手に曲がらず、左手に曲がり、斜面を登って三重の塔の方へ向かった。
 
 三重の塔まではすぐだ。墓標に挟まれた階段を上るとすぐに到着した。しかし女性の姿は見えない。裏手に回ったのだろうか。
 そんなことを考えながら気がつくとぐるっと塔の周りを一周していた。
 「幻でも見たのだろうか。」
 そう思ったその瞬間、眼下にその女性の姿が見えた。階段のはるか下の方で、ある墓標の前で佇んでいる。
 あれ、っと思ったのも無理はない。どんな早足でも、この塔ですれ違いざま、あそこまで一気に駆け下りるのはとても不可能だ。
 狐につままれた気分だった。幻でも見ているのか。しかし、眼下にははっきりとその女性が見える。ただ先ほどと同様、周囲の光景から何か浮き上がった感覚である。夕日に照らされているためだろうか、とそんな思いに囚われながら見下ろしていると、何かぐぐっと引き寄せられる力を感じた。何かしら不可解な気分ではあったが、僕はその女性の下へ、ともかく階段を降りていった。
 今度は女性は僕のもとを逃げなかった。女性のすぐ近くまで来た。ある墓標に向かって懸命に手を合わせて祈っている。
 僕はその横を通り過ぎた。その瞬間何とも心地よい香りに包まれた。何と表現してよいのだろう。甘く切ない、そしてなんとも物悲しいような、ーーこの世のものとはというてい思えないようなーー。
 一瞬強い引力を感じた。深い淵へ引きずられるような、ーーそして一旦引き込まれると、二度と出ては来れない様な、そんな恐怖心に満ちた感覚が体を支配した。
 「あっ」
 と思ったが、体は金縛りに会ったようで自由が利かない。
 「このままではまずい。」
 必死の思いで、全身の力を振り絞り、その場を何とか通りすぎた。ーー這いずり出た、とでも言った方が感覚的にはより近いだろう。体の自由が利くようになるやいなや、そのまま後ろを振り返ることなく一気に階段を駆け下りた。下まで辿り付くと、全身の力がどうっと抜けた。そしてその場にそのままへたり込んだ。
 強烈なめまいがした。
 「何だったんだ、今のは。」
 そう思いつつ、恐る恐る後ろを振り替えった。夕日に照らされた黒谷の丘が目の前にあった。三重の塔が美しかった。
 「あっ。」
 僕は言葉を失った。女性の姿が見えない。周りを見渡したがどこにも見えない。
 背中に瞬間寒いものを感じた。それでも僕は暫しその場に佇んでいた。怖くもあったが、情景の美しさにも見とれていた。
 「何だったんだろう。」
 体に力が戻ってくると、僕は急いで墓苑から光明寺の境内に出て、そのまま寺を後にした。一連の出来事に、頭が完全に混乱していた。
 「あの女性、一体何者だろう。」
 徐々に恐怖心が心に湧いてきて、それがどんどんと大きくなった。しかし一方で、そんな恐怖心の中、目に捕らえた美しい黒谷の情景を思い出してもいた。
 「とにかく帰ろう。」
 あたりはかなり暗くなってきた。僕は家路を急いだ。
 
 その日の夜は寝付けなかった。今日体験したことを思い出すのだが、不思議なことの連続に些か辟易してしてしまって、冷静な分析などはとても無理というところだった。
 「あの女性はーー、」
 と、そこまでは考えるがそこから先へなかなか思考が進まない。
 あの強烈な引力は一体何だったのだろう。
 確かに、僕は今までにも多くの不思議な体験をしている。しかし、今回のは強烈だった。 
 先にも述べたが、僕は自分をそんなに霊感が強い人間だとは思っていない。世の中には僕よりももっと霊感の強い人間が数多く存在することは間違いない。
 しかし、今回は何か僕を特別強く引き付ける何か霊的なものがあったのは間違いない。ーーそれは何だろう。
 「もう一度行かねば。」
 多少怖い思いもあったが、自分の目でしっかりと事の成り行きを見極めよう、そう決心すると、幾分気持ちが和らいで、いつしか僕は浅い眠りについていた。

 次の週、僕は再び黒谷さんへと向かった。何か怖くもあったが、ともかくことの真相をはっきり知りたかった。
 無論、今日行って一体何が分かると言うのか、全く未知数ではあった。
 先週と同じく良い天気に恵まれて、晩秋の京都はやや肌寒いものの、日の当たるところでは若干暖かさも感じられ、まことに散歩日和というべき日であった。
 黒谷さんにいつものように到着すると、今回は真如堂へは足を運ばず、まっすぐ墓苑へと向かった。真如堂の裏手から光明寺の墓苑へと向かうコースは人寂しくもあり、先週の体験が強烈だったので、今回は避けたのである。
 黒谷さんの境内から墓苑へ踏み入れるコースは周囲に人も散見され、それほどうら寂しさを感じることは無かった。無数の墓標に挟まれた中央の階段の真下に立った。先週、女性とすれ違ったあと、強烈な引力から逃れようと、一気に階段を駆け下りたところだ。
 見上げると、何人かの人が階段を上り下りしている。墓参りであろう。
 それを見て、これなら大丈夫、と腹をくくり、僕は階段を上り始めた。
 女性のいた位置は大体覚えている。斜面の下のほうだ。そのあたりを目指して階段を上がっていく。
 このあたりだろうというところまで来た。さいわい何の引力も感じなかった。そこで次に、怖くもあったが、そのあたりの墓標を一つ一つ確認していった。何かあの時の体験の説明になるようなものがありはしないかと思ったのだ。
 するとふと異様なものが眼に留まった。
 お地蔵さんである。
 「しかしなぜこんなところに。」
 思わず首をひねってしまった。そう異様なのは地蔵さんの存在そのものではない。小さいお地蔵さんであったが、それが墓標の上に乗っかっているのである。−−ちょこんと。
 眼をこすってみたが幻を見ているのではない。
 あろうことか、墓石の上に地蔵が鎮座ましておられるのである。
 じっと地蔵を眺めてみた。石の 表面の光沢から判断して、墓石とは明らかに素材が違う。あとから墓石の上に乗っけられたものであろう。
 「しかし、一体誰が。」
 そうして地蔵の表情を見ると、いかにも悲しげな表情をしている。
 その表情をもっとよく見ようと、墓石に近づいた。
 じっと地蔵の眼を見つめていると、次の瞬間驚くべきことが起こった。地蔵の眼から涙が流れ出たのである。
 「あっ」と驚いて後ずさりした瞬間、強烈なめまいが僕を襲った。
 「またか」
 僕は目の前が真っ暗になり、その場にへたり込んでしまった。
 前回経験した恐怖感が体を襲った。
 「まずい。」
 その場で、ぐっと体を縮め、僕はめまいが治まるのを待った。
 実際にどれだけの時間が経過したのか僕にはよく分からない。
「大丈夫ですか。」
 という男性の声がした。眼を開けると目の前に男性が立っていて、僕を心配そうに見ている。
 「大丈夫です。ほんの軽いめまいです。」
 「そうですか。」
 「どうもご心配かけて申し訳ありません。」
 そう言うと、僕は何とか立ち上がった。
 もう一度男性にお礼を言って、僕は墓石の方を振り返った。その瞬間、僕は驚きのあまり声を失った。
 地蔵が忽然と姿を消していたのである。
 もう一度眼を皿のようにして見てみたが、やはり無い。さっき確かに見たはずの地蔵はそこには無かった。
 眼の錯覚かもしれない。「脳貧血を起こして幻覚でも見たのだろうか。」ーー そんなことを思いながら、地蔵が乗っかっていた墓石の周辺を丹念に調べてみたが、地面へ落ちた気配も無い。
 狐につままれたようで呆然としてしまった。
 「あの涙は、確かに、確かに、−−間違いない。」
 僕はそう確信すると、その墓石そのものを丹念に調べてみることにした。恐怖感は消え去って、それよりもこの謎を解き明かそうという熱心さが僕を支配していた。
 墓石の正面に立って、もう一度墓石を眺めてみた。
 「陸軍一等兵、山田恭二、中国雲南省にて戦死。」
 墓石の表面にはそう刻まれていた。
 「この人も戦死者か。」
 僕は大きいため息をついた。
 ここの墓苑に限らず、大谷祖廟ほか、他の墓苑を歩いていてもいつも思うのは、何と戦死者の多いことであるか、ということである。当たり前と言えば当たり前なのだが、しかし、こういう墓標を見るたび心が痛む。異国の地で無念の死を遂げたこれらの人たちの心情を察するに、いくら同情してもしきれない自分への苛立ちと、その当時の戦争責任者たちへの腹立ちさがこみ上げてくる。
 「名誉の戦死なんてありはしない。 」
 いつもそう思う。せめて魂の安らぎを願うのみである。
 僕はこの「山田恭二」なる人物について調べてみようと思った。今までにそんなことは考えてみたことも無かったが、今回は事情が違った。すべての謎を解き明かしたかったのだ。
 気がつくとあたりの人影もまばらで、日が暮れかかっていた。夕日に照らされた墓標が美しかった。
 「この人は、浄土へと旅立ったのだろうか。」
 ふとそんなことを思った。「この人は南無阿弥陀仏と唱えながら死んでいったのだろうか。 」とも思った。
 たとえ靖国神社に神として祭られようが、ここ黒谷さんに立派な墓を建てられようが、死ぬよりは生きていたほうがいいに決まっている。
 この人には、子供がいたのだろうか、妻がいたのだろうか、−−ともかく調べてみよう、僕の決心は固まった。
 僕は、墓苑の管理事務所へと足を向けた。そこで尋ねれば、この人のことについて何か教えてくれるかもしれない、そんな風に思ったからだ。しかし、故人のプライバシーは教えられない、と一蹴されるかもしれなかった。
 「ともかくも行ってみよう。」
 時間も遅いし、管理人も帰ってしまうかもしれない、ーーそう思った僕は歩をいっそう速めて墓苑入り口付近にある管理事務所を目指した。

 山田恭二の生い立ちは、比較的簡単に僕の知るところとなった。
 というのも、黒谷さんの墓苑の管理事務所のおじさんは、親切心からというか、生来の口の軽さからと言うか、すぐに、僕に気さくにいろいろと彼のことを聞かせてくれたからである。
 「ああ、山田恭二さんね。はいはい、彼の墓ね、そうなんや、わしらも実は困っとるんや。」
 と言うと、彼は、山田恭二の墓の維持管理費が彼の父が昨年無くなってから未納になっていること、どうもほかに身寄りが全く無い模様であるということ、そのため寺としてはどうしたものか実は困っているという事など、すべて僕に話してくれた。
 「あんた、彼の墓の維持費をこれから払ってもらえんやろか。」
 との彼の半ば冗談と取れる提案に
 「まあ、そうですね、−−。」
 と言葉を濁すと、僕は続けて、彼から恭二の父の住まいの住所を聞き出すことにも比較的簡単に成功した。
 「あんた、山田さんの知り合いかい。」
 と、怪訝そうに尋ねる彼の問いに、
 「いえ、まあ、−−そんなところで、−−。」
 と言い残すと、僕は墓苑を後にして、山田恭二の父の住まいに行ってみることにした。日が暮れるまではまだまだ十分時間がある。
 住所は京都市下京区である。すぐだ。僕は黒谷さんを後にして、山田恭二の父の家を目指した。

 そこは昔ながらの京都の民家が立ち並ぶところであった。随分と古い家が多い。−−恭二の父の家は比較的簡単に探し当てられた。
 そこでも、彼の生い立ちの解明は比較的簡単に進んだ。近所の家を訪ね歩くうち、古くから住んでいるご近所さんで、恭二の父と親しくしていた人が、懐かしそうに昔の話を語ってくれたのである。
 彼からの話では、恭二は父、権三郎の次男であること、権三郎が長男に家督を継がせた後、恭二は福井県小浜の醤油問屋に奉公に出されてしまったこと、さらに長男は海軍に入り、太平洋上の海戦で戦死、次男恭二も陸軍に徴収され、最期はインパール作戦で無残な戦死を遂げたとのことであった。
 「名誉の戦死なんて、そんないいもんやあれへん。犬死や、ほんま、お父さん、お母さんは可哀想やった。息子を二人も無くしたんやからな。」
 彼は恭二の母が二人の息子の戦死の後、心労から寝込んでしまい、その後間もなく病で死んでしまったことなど、権三郎が戦後、寂しい人生を送らざるをえなかった、そのいきさつを、時に目に涙を浮かべながら、僕に淡々と語ってくれた。
 「インパール作戦、−−。」
 聞いたことはある。
 愚かな隊長の無謀な作戦計画のため、結局は失敗に終わっただけではない。撤収のさいに、英軍の追跡、さらには飢えと、病気とに追い討ちをかけられ、白骨街道、と呼ばれるほどに累々と日本軍の兵の屍を連ねた、悲劇の結末を迎えた作戦である。
 「山田恭二はその作戦で死んだ。」
 僕の関心はますます深まった。
 「小浜に行ってみよう。」
 彼の墓標に現れた地蔵の幻が、不思議と、僕の心の中で、小浜のイメージにぴたりと重なった。
 小浜へは何度か足を運んだことはある。ーー京都からはすぐである。
 早速、次の祭日、僕は福井県小浜市へ向かった。

 山田恭二が出征まで暮らした町、福井県小浜ーー久しぶりの訪問となる。といっても、いつもは通り過ぎるだけのことが多い。今回は調査が目的だ。朝、妻に「ちょっと出かけるよ。」と言い残して、京都を出発した僕は、昼前にはもう小浜の町に到着していた。取りあえず僕は車を駅前の駐車場に止めた。
 自らの足で歩いてみて初めてその町の雰囲気が伝わってくる。ーーこれが僕の観光哲学である。この小浜も実際に歩いてみると、田舎の小都市ではあるが、こじんまりしてまとまっていて、町並も整然としていて、昔からの面影を伝えているのがなんとも心地よい。車で通り過ぎたのでは決して味わえない風情だ。
 さて、目的の、山田恭二の奉公先の醤油問屋はまだあるのだろうか。恭二の父のご近所さんから聞いた名前は「丸亀」であった。僕は駅前のタクシーの運転手さんに最寄の交番の場所を聞いた。
 交番はすぐ分かった。
 「すいません。」
 お巡りさんは奥から出てくると、
 「あー、丸亀醤油ね。ここからすぐですよ。」
 と、僕に親切に道順を教えてくれた。ラッキーだった。丸亀醤油は今も営業を続けていた。お巡りさんの話ではこの小浜でも老舗の醤油問屋らしい。
 歩いていける距離だと言うので僕はまずはそこへ向かうことにした。醤油問屋はすぐに目の前に現れた。
 
 目の前に現れた丸亀醤油は近代的な建物であった。戦後建てられたものであるということは誰の目にも明らかであった。慌しそうに人が出入りしている。車の出入り、荷卸、とまことに賑わっていた。商売大繁盛、という感じである。
 「さて。」
 と僕は考えた。
 「こんな雰囲気では、突然入っていって、山田恭二のことを尋ねたところで、追い返されるのが関の山か。」
 しかし、躊躇する余裕は無かった。そもそも2日も3日も仕事を休めるわけではない。ここまで来たら破れかぶれ、という気持ちが僕を押し立てた。
 「すいません。」
 店の中に入ると、受付らしい女の子がいたので、僕は早速来訪の理由を説明した。--即ち、かってここへ勤めていた山田恭二のことを何でもいいから知りたい、その当時のことをご存知の方は誰か居られないだろうか、と。墓標の地蔵の話はわざと伏せておいた。そんな話を持ち出せば、話が混乱することは明らかであったから。
 「私は、昔のことは知りませんので--。」
 女の子は奥のほうへ行くと、年配の男性を連れてきた。彼は、怪訝な面持ちで、
 「何か、昔のことをお尋ねでしょうか、−−−」
 と、改めて僕に来訪の理由を問うた。
 「はい。」
 僕は、正直に来訪の理由を再度説明した。
 年配の男性はじっと黙って聞いていたが、
 「私はここの番頭ですが、そんな昔のこととなりますと、知っておるのは先代の社長だけだと思いますよ。」
 「そうですか。」
 やはり話はそう簡単ではないようだ。しかし、ここで引き下がるわけにはいかない。
 「先代の社長さんとお話が出来ますでしょうか。」
 僕は思い切ってそう尋ねると、番頭は少し困惑した面持ちであったが、
 「よろしいですよ、電話してみましょう。毎日、庭弄りだけが日課ですから、昔の話をする相手が来たら喜ばれるでしょう。」
 と、親切に取り次いでくれることになった。
 「ありがとうございます。」
 僕は、この地の人の素朴な親切心に触れて、なんとも清清しい気分であった。
 「では、電話をかけてまいりますが、−−ところでお宅様は、その山田恭二様とどういうご関係ですか。」
 番頭の質問に一瞬、どう答えたものか、と思案したが、とりあえずこう返事してその場を繕うこととした。
 「実は個人的に太平洋戦争の歴史に関心がありまして、今はインパール作戦のことについていろいろと調べています。その中で、京都出身の山田恭二がこの作戦で亡くなったことを知りまして、彼のことをいろいろと調べていたら、ここにたどりついたわけです。」
 「はあ、そうですか。」
 番頭は相変わらず怪訝そうな顔をしながらも、電話をかけに行ってくれた。
 話はまとまった。
 先代の社長が快く会ってくれる、という。
 彼の家までの地図も書いてくれた。歩いて10分ほどだ。−−僕は早速そこへ向かった。
 
 「ごめんください。」
 実に大きい家であった。庭弄りだけでも1日は悠にかかりそうだ。
 インターフォンを鳴らして待つことしばらく、先代の社長が姿を現した。
 「やあ、いらっしゃい。」
 先代の社長は実に気さくな人であった。名を木村権三と言った。80歳前後かと思われたが、衰えを感じさせない矍鑠とした体つきであった。彼は僕を招き入れるとまずお茶を勧め、そしてゆっくりと昔の話を、僕の求めるままに詳しく語りだした。
 「山田恭二、−−なつかしい名前じゃ。もうほとんど忘れかけておった。」
 「山田恭二さんのことをご存知ですか。」
 僕ははるばるここまで来た甲斐があったと喜んだ。
 「いや、覚えておる、と言っても名前だけじゃ。」
 そこで、彼ははーっとため息をついた。表情が少し悲しげになるのが横顔からでも分かった。彼は続けた。
 「わしはここの木村家に跡継ぎに養子として貰われたんじゃが、それも戦争が終わって何年もしてからのことじゃ。戦争中何があったかは、父、母から聞いただけで、それも彼らは多くは語りたがらなかった。それはそうじゃろう、悲しい出来事だった。あまりにも悲しい出来事だった。」
 「戦争で息子さんを亡くされたのですか。」
 僕の質問にどう答えるべきか、彼は思案していたようだ。ゆっくりお茶を飲み干すと、彼はすべてを語ろうと意を決したのか、はっきりとした口調で語り始めた。
 「山田恭二が、本当はここの跡取りになるはずじゃったのだよ。」
 「えっ--。」
 僕は思わぬ展開に言葉を失った。驚きの表情を隠せないでいる僕に対して、彼は言葉をゆっくり選びながら、過去のいきさつを語り始めた。
 「ここまで、訪ねてきてくれたあんたに隠すこともあるまい。--木村家には息子がいなかったんじゃ。子宝には恵まれなかった、ということじゃ。--唯一、一人娘がおったのじゃが、---」
 彼が語った全容はこうである。
 
 木村家には跡取りとなるべき男子がいなかった。彼らには一人娘がいただけだ。名を美代子という。それはそれはその娘を可愛がっていたらしい。町でも評判の美人の娘さんだったらしい。
 山田恭二はそんな木村家に奉公人としてやってきた。彼はすこぶるまじめで、商売を堅実に学び、いつしか美代子の両親に気に入られるようになった。また、恭二と美代子の仲もたいへん良く、
 「あの子を美代子と結婚させ養子として迎えようじゃないか。そしてうちの跡取りにしよう。」
 と、美代子の両親もそんな思いを巡らすようになった。二人はいいなずけとなった。--幸せな日々。
 そんな矢先であった。恭二に赤紙が届いたのである。召集令状だ。
 「帰ってきたら祝儀をあげよう。」
 そう約束して恭二は戦地へ旅立った。
 そして--
 「そう、帰っては来れんかった。あんたが知ってるとおりのう。」
 権三の目に涙が光った。彼自身もも戦地での戦闘を経験しているのだろう。恭二の戦死のことから思いを巡らし、死んだ自らの戦友のことにも思いを馳せていたに違いない。
 僕はこういうときに何というべきかすっかり困ってしまって沈黙のままでいた。
 権三は、悲しげな語り口で、さらに話を続けた。
 「まだ、ここからが本当に悲しい物語の始まりなんじゃ。」
 彼の語るところによれば、
 恭二の戦死が伝えられると、美代子の両親の落胆振りは大きかったが、それ以上に美代子の落胆は想像を絶していた。彼女は半ば半狂乱状態となり、誰とも口を聞かず、部屋に閉じこもって泣くばかりの毎日が続いたという。
 「そして、ついにある日。」
 美代子は海岸へ赴いて、崖から海に身を投じてしまったのだという。
 「何も身を投げんでものう。」
 そこまでいい終わると、彼は残ったお茶を飲み干した。
 「そうでしたか。」
 僕はかくも悲しい、事の結末に、半ば心は放心状態となった。

 権三の話によれば、娘といいなずけを失った両親は、しばらくはどん底の精神状態であったが、それでも戦後何とか商売を立ち直らせ、彼を養子に向かえ、彼を2代目として店を譲ったとあとは、悠々自適の老後を送ったのち数年前に二人、前後して他界したのだという。
 「それでも、娘さんのことを思い出すたびに、二人は涙を流さずにはおられんかった。」
 特にお母さんは、時間があれば娘が身を投じた崖に足を運び、そこで花を捧げ供養したのだという。
 僕はそこまで話を聞くと、ある思いを心に抱いた。
 「権三さん、たいへん図々しいお願いですが、僕をその美代子さんの自殺の現場に案内していただけませんか。僕も美代子さんの供養をどうしてもそこでしたいのです。」
 権三は僕の発言にやや戸惑った表情を見せたが、
 「あんたも変わった人じゃのう。−−−まあ、よい。何かの縁じゃ。わしも久しく行っておらん。久しぶりに訪ねてみようか。幸い、あんた車で来とるのう。あんたの車で、わしも一緒にお供しよう。」
 とやさしい笑みを僕に投げかけてくれた。
 まだ日は明るい。車を飛ばせばすぐだという。僕たち二人は車に飛び乗ると海岸へ向かった。

 小浜の海岸は実に美しい。特に「蘇洞門」は花崗岩が波に打ち砕かれ、方状節理にそって海蝕してできた奇岩・洞窟・断崖と、断崖から流れ落ちる滝が約6kmにも及び、その豪壮雄大な姿は、日本海側有数の景勝地と言える。
 美代子が身を投げた場所はその蘇洞門までは行かない。その手前だという。僕は助手席に乗る権三から道案内を受け、ようやく目的の場所に到着した。
 車を止めて、しばらく藪の中を歩くと目の前の視界が開けた。小浜の美しい海が眼前に拡がった。
 「足元に気をつけて。」
 権三に言われて、ハッとした。美しい景色に見とれてしまったが、足元はとても危険だ。断崖絶壁である。ここは整備もされていない。足をすべらせればそれまでだ。
 僕たちは途中買い求めた花を供えると、手を合わせて黙祷した。−−僕の思い、権三の思い、それぞれに異なるが、死者への尊厳の思いは同じだ。僕はこの旅の最後がこういう形で締めくくられるようになって、悲しくはあるが、何かしらほっとしたような、そんな気分であった。山田恭二の霊がここへ導いてくれたのだ、とそんな思いだった。
 すると、突然権三が
 「どうじゃ、下へ降りてみんか。別の道があって、そこから下へ降りることが出来る。亡くなった母は時々下まで降りていたようじゃ。それに---」
 「それに?」
 下まで降りることに依存は無かったが、あまり時間が無かった。もう日暮れが近かったのだ。でも権三の言い方が気になった。
 「何か下にあるのですか。」
 権三は答えた。
 「ああ、下に当時の人が立てた小さい祠があるんじゃ。供養のために。地元の人、皆が、美代子さんのことを気の毒に思うて、供養のために建てたんじゃ。最近、それをまったく見てないものんじゃから、今どうなっているものか、折角来たもんじゃから、一度様子を見ておこうかと、−−。」
 権三の提案を受けて、僕は彼とともに崖下へと降りる道へ向かった。その祠を僕も見たいと思ったからである。
 少し険しい道を下ると、崖の下まではすぐだった。切り立った崖は下から見上げても迫力十分であった。祠はどこにあるか、しかし、すぐには分からなかった。
 「もう潰れてしまったんじゃろうか。最近は誰も手入れをするものがおらんかったからのう。」
 権三と僕は何かその残骸でもないか、周りを調べてみた。
 程なく、背高く生い茂った雑草の中に、朽ち果てた小さな祠を発見した。かろうじて元の形を維持してはいるが、覆っている雑草を払おうとすると今にも崩れ落ちてしまいそうであった。
 「ありましたね。」
 と権三に言って、祠の中を覗き込んだ瞬間、僕の目は凍りついた。−−自分の目を疑った。祠の格子状の扉の向こうに地蔵さんが鎮座しているのだ。なんとも悲しげな表情を浮かべて。そして次の瞬間、その地蔵の目から涙が一筋伝い降りたのだ。
 「これは--。」
 僕は直感した。これは紛れも無く、山田恭二の墓標の上に鎮座していたあの地蔵だと。諤諤と足が震えた。突然めまいを感じると、僕は意識をなくしてその場にへたり込んでしまった。
 
 どれぐらいの時間が経過したのか僕にも分からない。
 「大丈夫かのう。」
 という権三の声で意識を取り戻した。意識を取り戻した僕を見て、権三はホーっと安堵のため息をついた。
 「急にへたり込むものじゃから、ほんに、びっくりした。まあ、なにごともないようじゃからよかった。」
 「権三さん。」
 僕は、権三さんに事の次第をすべて話す決心をした。この人なら、僕の話をまともに受け止めてくれそうな予感がしたからである。
 京都、黒谷さんでの不思議な女性との出会い、地蔵の涙の幻、ーーーすべてを話した。権三はその間黙って僕の話を聞いていた。
 すべてを聞き終わると、彼は、すべての事情は分かった、という表情で、こう僕に告げた。
 「あんた、この地蔵さんを京都の恭二さんのお墓へ持って行って、そしてそこへ一緒においてあげたらどないや。美代子さんは彼と一緒にいたいんじゃろう。--こんなとこにいるよりも、こんな寂しいところにほったらかしにされているよりも、そこのほうがなんぼ幸せやろう。頼む、責任はわしが全部持つ。 」
 僕も彼の言ってることが正しいと思った。僕は確信した。--これが僕の使命だったのだ。彼女はなぜか僕を選んで、彼女の生まれ変わりとも言うべきこの地蔵さんを恭二の墓標に持ってこさせようとしたのだ。いつまでも二人で一緒にいるために。
 「わかりました。」
 僕はそう答えると、改めて彼と二人でその場で黙祷を捧げた。何と悲しい物語であろう。美しい海と空、−−戦争さえなければ、二人は幸せにこの美しい海と空をここで肩を寄せ合って眺めていたに違いない。これも運命なのか。運命というにはあまりに過酷だ。
 「あまりにも過酷だ。」
 そう思う僕の目からもいつしか涙が流れ出てきて、感情を抑えきれなくなって、次の瞬間僕は思い切り泣きはじめた。思い切り、思い切り泣いた。
 --どれだけ泣いただろう。
 権三さんに促されて、僕たちは帰路に着いた。僕の若狭小浜の調査旅行はこうして幕を閉じた。

 それから一月程経ったある日のことである。
 「あなた、手紙が2通きてるわ。自分の部屋にこもる前に目を通していってよ。」
 仕事から帰宅するなり、妻がリビングから声をかけた。
 「変な手紙ね、一つは金戒光明寺社務所、請求書在中、って何よこれ。あなた、また変なもの買ったの?もう中途半端な仏教マニアは困るわね。家の家計には絶対迷惑かけないでね。もう一つは、−−これは福井県小浜市から。木村権三?誰?もう、あなたの手紙って変なとこからばかり。」
 妻は、僕宛の手紙をポーンと放り投げると自分宛ての手紙を点検し始めた。
 「まあ、そういうなよ。」
 金戒光明寺からの手紙の中身は分かっている。墓苑の維持管理費の請求書だ。実は例の地蔵さんを恭二の墓標に置いておきたい、と申し出たところ、彼の墓の維持管理費を払ってくれるならいいでしょうということになり、先日地蔵さんを恭二の墓標に収めると同時に管理維持の契約書にサインしてきたのだ。
 その後も、何度か恭二の墓標にお参りしている。墓標の脇に置かれた地蔵は最初に僕に見せたあの悲しげな表情と比べると、最近はいくぶんか、和らいだ表情でいつも僕を迎えてくれるように見える。いつも、
 「ありがとう。」
 と僕に語りかけてくれる。−−黒谷さんへ行く楽しみが一つ増えた、というわけである。
 そしてもう一通、木村権三からの手紙、−−彼とは小浜で別れて以来連絡がない。
 「何だろう。 」
 僕は封をあけてみた。
 昔の人らしく、手紙は見事な達筆でしたためてあった。曰く、

 「拝啓、その後いかがおすごしでしょうか。実は先日、あなたが来られて、ああいう地蔵の一件があったものですから、先代の父母の荷物を一度整理してみようと思いましたところ、1枚の古い写真を見つけました。山田恭二と木村美代子が仲良く並んで写っています。そして、この写真はあなたが保管されることこそふさわしいと思いここに同封しました。よろしくお願いします。云々」

 へー、と思いながら、封筒の奥から写真を引っ張り出し、早速、写真を確かめてみた僕は驚きのあまり言葉を失った。
 僕が黙ってじっと動かないでいるのを、不思議に思った妻が横から写真を覗き込んだ。
 「あら、これ、あなたのお父さんの若いときの写真?まあ、何、これ、あなたにそっくりね。生き写しじゃないの。親子って、まあ似るものだけど、ここまで瓜二つなのも気持ち悪いわね。」
 僕はじっと写真を見ながら、恭二の墓標へと導いたあの不思議な女性のことを思い浮かべていた。
 「あれは美代子さんだったのだ。」
 今、彼女が僕の前に姿を現した理由がこれでようやく分かった。何とも心地よい気分であった。−−すべての謎が解けたというわけである。
 僕の思いは次の瞬間黒谷さんに飛んだ。あの地蔵に思いを馳せた。地蔵さんは満面の笑みを浮かべている。そしていつものように「ありがとう。本当に。」と語りかける地蔵さんに僕はこう答えた。
 「いや、こちらこそ、本当にありがとう。命の尊さを教えて貰って!」














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