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  作品集3 作者:雨宮雨彦
猫の救出
 つまり問題は、野良猫がどうやってあの高さの鉄塔の頂上まで登ったのかということではなくて、あの猫をどうやって地上まで無事に下ろしてやるか、ということだったのです。高さ30メートルもある高圧線のてっぺんに、ハシゴもないのに猫がどうやってたどり着けたのかということに私も興味を感じはしましたが、これはそういう話ではないんです。

 前日の朝早く発見されたわけだから、あの猫めはかれこれ24時間もあそこにいたというわけで、耳をすますと鳴き声が聞こえてきました。いかにも心細そうで、哀れでしたよ。あれを耳にすれば、誰だって一刻も早く降ろしてやろうという気になったに違いありません。それで私が何をしたかということです。まず警察に電話しました。

 自転車に乗って若い警察官がひとり、すぐ見に来てくれましたが、なんでも前の日に3件の銀行強盗事件が市内で立て続けに起こったのだそうで、今は野良猫になんぞかまっていられないほど忙しいのだとそのまま帰ってしまいました。それでも「電気を送る鉄塔で起こっていることなのだから、電力会社に連絡してみてはどうか」とは言ってくれました。そこで私は、さっそく電力会社に知らせたわけです。

 ところがあなた、電力会社の返事もひどくつれないものだったではありませんか。なんでも今は労働争議の真っ最中で、社員は本社の建物に立てこもり、ストライキやら団体交渉やらで、下手をしたら明日にも電気が止まってしまうかもしれないというせっぱつまった状況で、とても猫の救出に出かけるどころの騒ぎではないということだったのです。

 これでは私も電力会社から協力を得るのはあきらめるしかありませんでした。考えたあげく、次は消防署に電話をかけることにしたのです。消防署は銀行強盗ともストライキとも関係なく、すぐにやってきてくれました。エンジンの音を響かせて近づいてくる消防車の赤い車体がいかに頼もしく見えたことか。ところがです。いざ消防車がハシゴを伸ばしてみると、なんと鉄塔の頂上には届かないではありませんか。あとたった5メートルというところなんですが、猫を助け出してやることはできなかったのです。仕方なく消防車は、何もせずに帰っていきました。

 こうなるといよいよ、猫を救出する手はすべてつきてしまったように思われました。鉄塔の下には見物人が100人ばかり集まっていたのですが、上を向いたまま、ため息をつくばかりだったのです。私たちは本当に頭を抱えていました。猫の鳴き声はだんだんとか細くなってきています。あんな場所で飲まず食わずなのですから、仕方がないことかもしれません。

 警察も電力会社も消防署もだめなのであれば、私たちでどうにか救出するほかありません。なにを隠そう、その方法も思いついたのはこの私だったのです。自慢するわけじゃありませんが、近所に住む三太という悪ガキの顔を見物人たちの中に見つけた瞬間、ある作戦を思いついたのです。手招きをし、私はすぐに三太をそばへ呼び寄せました。

 三太は近所でも有名な悪ガキで…、いや、猫の救出に貢献してくれたのだから活発なお坊ちゃんというべきでしょうが、子供時代にイタズラの限りをつくし、市内でも知らぬ者のない存在だった父親の跡を継いで本当に悪い…、いえ、ご活発でいらっしゃったわけです。特にパチンコの腕は大したもので、小石やなんかをゴムひもの力で飛ばすスリングショットともいうやつですが、その腕前ときたら、大通りのこちら側から向こう側をねらって、しゃなりしゃなりと気取って歩いている若い娘のイヤリングを叩き落すなど朝飯前というほどだったのです。成人してから軍隊に入り、名だたる狙撃兵となって勲章を得たのもうなずける話ではあります。

 この三太のほかにも数人が集まり、とうとうスタンバイが完了しました。猫がいる鉄塔のすぐそばを鉄道の線路が走っていました。そこへいき、私は列車の到着を待ったのです。この日の機関士が自分の幼なじみの男であることを、私は偶然知っていました。だから一つ、頼みごとをしてみる気になったのです。

 汽笛が聞こえ、とうとう列車がやってきました。両手を大きく振り回し、私がそれを停車させたのはいうまでもありません。やはり機関士は幼なじみで、見慣れた顔を運転台から突き出し、「どうしたんだい? 何かあったのか?」と言いました。

 私はすぐに事情を説明し、協力を得ることができました。列車は再びゆっくりと動き始め、鉄塔の、つまり猫がいるちょうど真下の位置まで移動しました。客車の窓はすべて開かれ、乗客たちが顔を突き出し、どうなるのだろうと面白そうに眺めています。まったく人間というやつは、無責任でいい気なもんですね。面白いどころか、猫にとっては生きるか死ぬかの瀬戸際なんですから。

 ここで三太の出番となりました。他の協力者たちもみな所定の位置に着き、準備が整ったことを確かめて大きくうなずき、ご自慢のパチンコをポケットから取り出して、三太は狙いをつけたのです。

 ターゲットはもちろんあの猫です。高さの恐怖だけでなく、眼下で繰り広げられている騒ぎにすっかりおびえて、もはや声も出せない様子です。

 三太が指を離し、ゴムひもがピュッと空気を切り、小石が空中へと打ち出されました。数分かけて三太自身が形や大きさ、重さを慎重に選んだものです。この日はほとんど風がなかったことも幸いしたに違いありません。でも最大の功労をしたのは、三太の技術でしょう。それは正当な評価だと思います。

 美しい直線を描いて飛び、小石が猫のおしりに命中したのはいうまでもありません。ギャッと声を上げ、猫は勢いよく立ち上がりました。あの狭い場所にうずくまっていたのですよ。すぐにバランスを崩して猫が落下するのはわかりきっていましたし、実際そうなったのです。ニュートンの法則に従い、猫は地上へと落ちていきました。

 ギャーッとものすごい悲鳴が聞こえます。もちろん猫が上げているのです。でも心配は要りません。その真下には機関車が控えています。ドンぴしゃりのタイミングで機関士はレバーを引き、汽笛を鳴らしてくれました。高い圧力の空気がバルブから勢いよく噴き出すことになります。まるでロケット噴射のようですね。そこへ猫が落ちてくるのです。

 高圧空気の力でブレーキがかかり、猫の落下速度は明らかに小さくなりました。それだけでなく、まるで目に見えないクッションに乗ったかのように落下方向が変化したではありませんか。真下ではなく、その数メートルわきへと進路を変えたのです。

 そこではもちろん何人かが待ち構えていました。落ちてくる猫を受け止めてやろうというのです。最初にその手を伸ばしたのは、学生時代にラグビーをしていた男でした。体を前へ投げ出し、まるでバレーボール選手が回転レシーブでもするときのような具合でした。10本の指をすべて使って、猫の胴体を持ったのです。

 でも、それだけで猫の落下速度を完全にゼロにすることはできません。機関車の汽笛によっていくらかブレーキをかけられているとはいえ、まだまだ勢いが強すぎます。私たちは猫を無傷で救い出したかったのです。だからこの元ラガーは、猫の速度をほんの少しゆるめるだけにしたのです。あまり派手なことをしたら、やわらかな関節や何かにどんなケガをさせてしまうかわかりません。だからこの男は、自分の隣にいる男に向かって猫をポンと投げたのです。

 受け取ったのは米屋の男でした。あの重い米俵を毎日軽々と扱っているのです。その手の中で、猫の速度はさらにほんの少しそがれたのでした。そして次の男にリレーします。次の男は酒屋を経営していました。この男も重い荷物には慣れています。ポーンと酒屋は猫を放り投げました。

 猫の旅は終わりに近づいていました。酒屋の次は女学校の女の先生で、この人は家庭科を教えていました。このときも学校帰りで、授業の中で発生したはぎれを山ほど入れた大きなカバンを抱えていたのです。なんでもこの先生はパッチワークを作るのが趣味で、そのための材料にするつもりだったとか。だからこのカバンの口が大きく開かれ、何十枚ものふわふわしたはぎれの塊に衝突するというのが猫の旅の終点となったのはいうまでもありません。

 その瞬間、周囲ではどれだけ大きな拍手と歓声がわきおこったことか。すぐにカバンから引っ張り出され、体を調べられましたが、猫が小さなケガ一つ負っていなかったのはまるで奇跡のようでしたね。

 話はこれで終わりなのかですって? いえいえ、そうではありません。

 猫は一躍人気者になりました。写真を撮られ、翌日の新聞紙面を飾ったほどです。古いスクラップ帳をご覧になれば、あの鉄塔を背景にして人の腕に抱かれ、フラッシュの光にまぶしそうにしている顔つきを見ることができるでしょう。

 その後いろいろあって、猫は私が譲り受け、飼うことになりました。今でもうちにいて、『帽子』と名づけてかわいがっています。あの時はやせていたが、最近はふっくらして、毛のつやもずいぶんとよくなりました。私は本屋をやっているのですが、レジの横にちょこんといる姿はお客さんたちの間でもすっかりおなじみになってしまいました。

 えっ? なぜ私が猫に『帽子』なんて名前をつけたのかですって?

 それはね、なんだか知らないがやたらと高いところに登るのが好きな猫だからですよ。店の中では本棚のてっぺんを歩道にしていて、お客さんたちを驚かせるのもしょっちゅうです。こんな猫だからこそ、あの鉄塔の頂上に登ってやろうという気を起こしたのでしょう。

 そう、それで『帽子』のことでしたね。だけど紙やインクの匂いが好きではないのか、この猫も本棚のてっぺんに座り込むようなことはしません。ただ歩いて通るだけです。座るときには、そういった匂いのない、でもやはり高い場所をいつも選ぶのです。それはどこかですって? もうおわかりでしょう? 本来なら私の帽子が占めるべき場所ですよ。今だってごらんのように、私の頭の上に腹ばいになって、ニコニコと嬉しそうに笑っているではありませんか。
(終)


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