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  作品集3 作者:雨宮雨彦
鍵の怪異 (妖怪禅師)
 猫坂のように古い町では、ときどき奇妙な噂が流れ、人々の口にのぼることがあります。けれどそれが、真昼間に人通りの多い道路で話すのははばかられる内容の場合もあり、そんなとき人々は廊下のすみや建物の影でコソコソとささやきあうのでした。

 そういう噂話の一つに、『どこかの工事現場から古代の物と思われる石像が発見された』というものがあったことをみなさんはご存知でしょうか。といってもこの噂が語られたのは最近ではなく、もう何十年も昔で、ゼロ禅師でさえまだ子供だった時代のことです。

 古代の石像が出土したというだけでは、それほど珍しい事件とは思えません。けれどこの噂話には、まだ続きがあるのです。掘り出された像は普通の石でできているのではなく、どういう種類なのかは地質学者でも答えに困ってしまう未知の材質で作られていたのです。この石像はなんと空気のように完全に透明で、人の目では見ることができないのでした。

 もちろん手で触ればそこにあるとわかるので夢でも幻でもないのですが、いくら目をこらしても見えず、学者たちが紫外線や赤外線のような特殊な光線を当ててもいっさい光を反射しない実に不思議なものだったのです。

 この石像がいつどこで掘り出されたのかは、噂も正確なことを伝えていませんでした。出土後どこへ運ばれたのかも不明のままだったのです。だけど現在にいたるも、猫坂市内のどこかで人目につかないように大切に保管されていることだけは確かなようでした。

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 コツンとぶつかる小さな衝撃を頭のてっぺんに感じたとき、「これで5回目じゃないか。いったい誰の仕業だろう?」とススムはいささかうんざりしたのでした。無駄とわかっていながら頭上を見上げたのですが、やはり犯人の姿はどこにもなかったのです。

 ススムは学校からの帰り道でした。まわりの家々の屋根の上に人影はもちろん、開いている窓さえ一つもなく、真上をむいても、空を横切っているのは電話線だけで、鳥や虫の姿さえないのです。空は青く、秋らしい雲がポツンポツンと浮かんでいます。それ以外は本当に何も見ることができなかったのです。

 ため息をつき、犯人探しはあきらめてススムは再び歩き始めたのですが、自分の頭に命中した腹立たしい物体を拾い上げることは忘れませんでした。今回も小さなキーで、すでに先客が4つ、上着のポケットの中で互いにぶつかりながらカチカチいっていたのですが、これもそこに加わることになったのです。まっすぐ家へ帰るつもりだったのに、ススムの足は自然と方向を変え、ゼロ禅師の寺へと歩き始めていました。

 寺に着くとすぐにポケットから取り出してみせたのですが、目を丸くして、ゼロ禅師はススムの手のひらの上を見つめることになりました。「ススム君、これをどこで手に入れたのだい?」

 金色や銀色、少し黒味がかった色とさまざまの材質でできていますが、みんな小指ほどの長さの小さなキーたちです。それが手のひらの上で小さな山を作っているのでした。ススムは説明を始めました。

 この日は朝、学校へ行くために家を出た直後からどこからともなく落ちてきては、彼の頭にぶつかりつづけたのです。多少のいらだちと腹立たしさをもって、ススムは言葉を締めくくることになりました。「このおかげで今日一日、僕は散々だったんだから。一度なんか授業中に落ちてきたりもしたんだよ」

「教室の中でかい?」

「まわりの友だちや先生にまで変な顔をされて困ったよ。でもなんとかポケットに入れて、全部持ってきた。誰の仕業なのかもわからないし、第一何のキーなんだろうね。どこかのドアのキーかな? それとも金庫か何かだと思う?」

「みな小さく古めかしい形のものばかりだね。しかしススム君、これを一つもなくしてしまうことがなかったのは本当によかった」

「どうして?」

「これらのキーにどういう手がかりが隠されているか見当もつかないからさ。だからススム君、申しわけないが少しお願いがあるのだよ」

「何さ?」

「このあとも君の頭の上に落ちてくるキーを、一つ残らず拾い集めてほしいのさ。面倒くさいことですまないがね」

「まだ落ちてくると思うの?」

 首を縦に振ってゼロ禅師はうなずいたのですが、すぐにススムはうんざりした表情を浮かべることになりました。なんと5秒もたたないうちに、ゼロ禅師の言葉の正しさが証明されてしまったからです。やはり古めかしい形をした同じようなサイズのものですが、突然また別のキーが降ってきてススムの頭にぶつかり、床の上でカチンと音を立てたのでした。

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 古いことと伝統があることとは、必ずしもイコールではないのかもしれませんが、とにかくミチコの学校は古めかしいところではあったでしょう。なぜって、最近の学校では珍しいことですが乗馬クラブがあり、校庭のすみに馬小屋もあって、馬だって何頭か飼われていたのです。

 部員ではないので乗ったことはなかったけれど、馬を眺めるのはミチコも好きでした。天気の良い自由時間などに、よく馬場の柵にもたれたものです。柵の向こうはやわらかな砂地が広がり、馬たちがじゃれあったり、追いかけっこをしたり、あるいはのんびりとしっぽを揺らしていたりするのです。そういう光景がミチコにはとても楽しかったのです。

 だけどこの日、いつものように柵のところまでやってきて、ミチコはがっかりして、ため息をつくことになりました。馬場がまったくの空っぽではありませんか。馬どころか、部員たちの姿さえないのです。

 ミチコはやっと思い出しました。今日はどこかで馬術大会があり、馬も部員たちも、顧問の先生までもが全員出かけてしまう日だったのです。だから馬場も馬小屋も完全に空っぽなのでした。

 運の悪さに思わず足元の小石をけとばしたのですが、ミチコはすぐに気がつきました。いつも柵越しにこの場所から眺めているばかりで、あの馬小屋の中を見たり、足を踏み入れたりしたことが彼女は一度もなかったのです。見慣れない顔に驚いた馬にかみつかれたりすることがないようにという理由で、部員以外が立ち入ることは禁じられていたのです。それは入学式のときに校長先生の口から直接言い渡されたことだったので、ミチコも強く印象に残っていました。

 だけどミチコは奇妙に感じたものでした。いくら言葉の通じない動物といっても、普段から部員たちが乗り回しているのです。ここには、おとなしくて扱いやすい馬ばかりが集められているはずではありませんか。好物のニンジンをもらうときの表情などを、部員をしている同級生の口からミチコもよく聞かされていたのです。その子の言葉によると、『体を押し付けて、まるで子猫のように甘えてくる』のだそうですが、そういう馬たちであれば、柵に寄りかかってこちらを見ている姿をいつも目にしているミチコにかみついたりするとは、とても思えなかったのです。

『許可なく馬小屋に立ち入っては絶対にいけません』という校長先生の言葉は、ミチコの耳にはいかにも奇妙に聞こえていたのです。「もしかしたらあの馬小屋には、何か重大な秘密が隠されているのかもしれない」などと想像しないではいられなかったのです。

 だけど馬小屋なんかに、一体何を隠すことができるというのでしょう。ミチコには見当もつきませんでした。でも今日は馬も部員たちもすべてが出払い、空っぽになっているのです。何かの秘密が隠されているにしろ、いないにしろ、誰にも知られることなく内部をのぞき見る良いチャンスではありませんか。

 そう思いついてしまうと、ミチコはすぐにも実行しないではいられなくなりました。まわりを見回して目撃者がいないことをもう一度確かめ、柵を乗り越えたのです。

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 馬小屋の中に人影はなく、本当にひっそりとしていました。まぐさのいい匂いが鼻に届くではありませんか。ミチコは少し深呼吸をしてみたい気持ちにまでなりました。

 床はよく掃除され、ゴミなど落ちてはいませんでした。馬には一頭ずつ小部屋が与えられ、まるで電車の踏切のような木の横棒で仕切られているのを見ることができます。もちろん今はすべて空っぽで、馬の姿を見ることはできません。

「ひとつ、ふたつ、みっつ…」

 ミチコは小部屋の数を数えてみようとしました。ここで飼われている馬の数よりも多いような気がしたのです。小部屋はいくつか余っているに違いなく、以前はもっとたくさんの馬がいたということかもしれません。

 小部屋を九つまで数えたところで、ミチコはおかしなことに気がつきました。この馬小屋は長方形ではなく、『L字型』に曲がった姿をしています。ということは、あそこの角を曲がった先にも、馬の小部屋があと一つぐらいは存在しているかもしれません。いま自分が立っている場所からは見えないというだけなのでしょう。

 ミチコの想像は当たっていました。数歩進み、壁の角を曲がって、彼女は息をのむことになったのです。

 そこには確かに小部屋がありました。そしてなんと、その中に馬がいたのです。

 立ち止まり、ミチコは口をぽかんと開けるしかなくなってしまいました。それがとても大きな馬だったからです。これまでに見たことのあるどの馬よりも、二まわりは体が大きいように思えたのです。

 馬というのは本来、決して小さな動物ではありませんが、この一頭はそれこそ見上げるようなサイズだったわけで、大型の戦車を眺めているときのような気持ちがミチコはしたものでした。耳はとがってピンと立ち、丸っこい首の分厚さなどは水道管にも負けないほどです。4本の足は長く太く、まるで昔の船のマストのようではありませんか。

 だけど次の瞬間、クスクスと笑いがこみ上げてくるのをミチコはどうしようもなくなってしまいました。馬の正体に気がついたのです。これは生きている馬ではありません。木でできた馬の像にすぎなかったのです。

 ええ、確かに迫力のあるものではありました。作者が誰なのか、何のためにここに置かれているのかはわかりませんでしたが、本当に木馬だったのです。だけどすぐに、ミチコは奇妙なことに気がつくことになりました。だからもう少し近寄り、目をこらしたのです。

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 驚きのあまり、ミチコは両目をビー玉のように大きくしていたに違いありません。なんとこの木馬は丈夫な太いクサリでもって、建物の柱にしばり付けられているではありませんか。まるで、何世紀か昔の世界で奴隷や囚人をつないでおくときのような眺めだったのです。

 あまりの光景にミチコはすぐそばまで行き、もう一度目をこらすことにしました。

 馬小屋の中は薄暗いのですが、やはり見間違いではありませんでした。彼女の手首ほどもあるクサリが、木馬の4つの足首に何重にも巻きつけられているのです。クサリの反対側のはしは壁に向かって伸び、これも厳重に固定されていることがわかります。そのようにして、木馬はこの小部屋に入れられていたのです。

 一体どういうことなのか、ミチコにはさっぱり見当がつきませんでした。だけど、立ち入り禁止の馬小屋の中にいつまでもいることはできなかったのです。いつ誰に見つかってしまうか、わかったものではありません。何度も何度も振り返りながら、ミチコはその場を離れるしかなかったのです。

 その日から毎日、家へ帰っても教室にいても、ミチコはいつもあの木馬のことを思い出すようになりました。ぼんやりしていると、すぐに心に浮かぶのです。その様子には同級生たちやススムまでが気づき、いかにも『心ここにあらず』というミチコの顔つきをクスクス笑っていたのですが、本人はまるで知りもしませんでした。彼女の心の中を、それほどまでにあの木馬が占領していたのです。

 大きな木馬だから、きっと重さは何百キロもあるに違いありません。表面は古びて木目が浮き出し、かつては塗られていたであろう塗料もすっかりはげおちています。美術品と呼んでよいものなのか、単純ですが力強いシルエットを持ち、ミチコは心ひかれるのを感じないではいられませんでした。

 もちろん、『あの木馬はなぜあそこに置かれ、ああやってクサリにつながれているのだろう』というのがミチコの最大の関心であったことはいうまでもありません。何ヶ月どころか、おそらく何年間もつながれたままであることも確かだったのです。なぜってミチコは、あのクサリには大きな鍵が取り付けられていたことを覚えていました。彼女の手のひらほどもあるサイズの南京錠でしたが、不釣合いに小さな鍵穴があるにはあるけれど、キーが差し込まれた様子はなく、すっかりほこりをかぶっていたのです。確かにあの鍵は、何年間も開かれたことがないに違いありませんでした。

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 あの日はたまたま無人だったけれど、普段の日には、馬小屋には部員たちがいます。あれ以来、ミチコが木馬のそばへ行くことは不可能になってしまいました。だけど今この瞬間もまだあそこに置かれ、クサリにつながれていることをミチコは疑わなかったのです。

 乗馬クラブの部員であれば、あの木馬のことを知らないはずがありません。だから部員の同級生にそれとなくきいてみようとしたのですが、『あの馬小屋にいるのは、本当に普通の馬だけなのかしら』などとほのめかすだけで相手の表情が変わり、「そうに決まっているじゃないの」と答える声まで一瞬でこわばってしまうことに気づくにいたっては、ミチコも作戦を変えるしかなくなったのです。木馬の存在は、外部に対しては絶対に隠さなくてはならない秘密になっているに違いありませんでした。

 だからミチコも、部員に探りを入れるのはあきらめたのですが、興味を失ったわけではもちろんなかったのです。頭を悩ませつつ、その後も馬小屋の観察を続けたのですが、彼女の身に奇妙な出来事が起こったのは、数日後のことだったのです。

 始まりは雨の日の訪問者でした。お父さんはもちろん、お母さんもススムも出かけていて、ミチコが一人で家の留守番をしていたのです。玄関のベルが鳴るので出てみると、黒く長い雨ガッパを着て、全身がずぶぬれの人が立っているではありませんか。

「どなたですか?」もちろんミチコは声をかけました。ところが返事はないのです。雨ガッパには大きな『ずきん』があり、それを深くかぶっているので、男なのか女なのかもわかりません。体つきだって、分厚いゴムの下にすっぽりと隠されているのです。

「どなたですか?」ミチコはもう一度たずねました。とうとう返事があったのですが、なんとそれは若い娘の声だったのです。

「ススムさんはいますか?」

「あなたはススムの同級生? 学校のお友だちなの?」

「私、ススムさんが持っている女鏡を借りにきたんです」

 ここでピンと来て、警戒心が頭をもたげたのは、さすがにミチコはカンのいい女の子だということかもしれません。地底世界を訪問したときにススムが持ち帰った『女鏡』という不思議な道具のことは、ミチコも知っていました。ススムの部屋のどこにしまってあるのかも聞かされていました。もちろん、人間の手にはめったに入らない大切なものだということもわかっていたのです。

「あら残念ね。いまススムは出かけていて留守なのよ」とミチコは言いました。これは本当のことですね。

「でも私、今すぐに女鏡が手に入らないととても困るんです」

「そうなの。ではここで待っていて。ひとっ走りして、ススムを呼んできてあげるわ。ううん、いいのよ。ススムがいるのはすぐ近くだから、10分もかからないわ」

 ウソをつくことには慣れていないので、表情から読み取られてしまうのではないかとドキドキしながら、ミチコはその場を離れたのです。まず2階へ上がり、すぐにススムの部屋へと足を踏み入れたのはいうまでもありません。女鏡を取り出してそっとポケットに入れ、今度は自分が雨ガッパを着て、裏口から外へ飛び出したのです。水たまりが足元でバシャバシャとはねるのも気にせず、ゼロ禅師の寺へと急いだのでした。

 寺にはゼロ禅師の姿しかありませんでした。ススムはお母さんと一緒に親戚の家を訪ねているはずなので、不思議なことではありません。事情を話すと、すぐにゼロ禅師は顔色を変えることになりました。女鏡とはそれほど大変な道具だったからです。地底世界の住人ならともかく、地上の人がその存在を知っているとは、とても考えられなかったのです。特にススムが学校で同級生になど話すはずはないのでした。

 雨ガッパを着た訪問者の正体を探るため、ミチコとともに寺を飛び出すにあたり問題になったのが、女鏡の置き場所でした。妖怪が待っているとわかっている家へ、このまま持って戻るわけにはいかなかったのです。寺の内部を見回し、ゼロ禅師は頭をしぼりましたが、とにかく時間がないのです。ちょうど床の上に寝そべっていた猫をひょいと持ち上げ、そのおなかの下に隠す以上のことは結局思いつかなかったのでした。もちろん猫には、『その上から一歩も動かないように』と念を押しておいたのはいうまでもありません。

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 だけどなんということでしょう。ミチコとゼロ禅師が息を切らせて到着したときには家の中はすでに空っぽで、大きくぬれた水たまりが玄関に残っているだけだったのです。雨ガッパの娘はもう姿を消していたのでした。二人ともくやしがったのですが、そこへちょうど都合よく帰ってきたススムも連れて、3人で寺へ戻ることになりました。

 ところが寺でもまた問題が起こったのです。猫の姿がどこにも見えないではありませんか。もちろん女鏡も床の上にないのです、「しまった」とゼロ禅師が声を上げました。

「禅師、これを見て」というミチコの言葉に、ゼロ禅師とススムはあわてて振り返ることになりました。ミチコは土間を指さしているのですが、なんとそこに水たまりができているではありませんか。だけどススムたちは裏口から入ってきたので、あの場所に水を落とすことはありえません。寺を留守にしている間に訪問者があったに違いありません。

 なんという早業なのか、ススムが気がついたときにはゼロ禅師は土間におりて、もう水たまりの様子を詳しく調べ始めていました。そしてつぶやく声が耳に届いたのです。「ふうむ。傘をたたんで置いた跡がない。どうやら訪問者は雨ガッパを着ていたと見える…」

 ところがその瞬間、ニャーという鳴き声が突然ススムたちの耳に届いたではありませんか。聞きなれた声なのですが、3人が思わず顔を見合わせたのは、奇妙なことに、それがどうも床下から聞こえてくるようだったからです。

 3人は、すぐに土間のすみに集まることになりました。そこでは以前から板が一枚外れ、小動物であれば縁の下へ自由に出入りできるスペースができていました。「猫ちゃん、おいで」とミチコが声をかけると、すぐに姿を現したのです。

 もちろん寺で飼われているあの猫でした。しかも自分がはいだしてくるばかりでなく、口にくわえて女鏡まで引っ張っているではありませんか。すぐに抱き上げ、頭をなでて3人が口々にほめてやったのはいうまでもありません。もうひとしきり鳴いて目を細めるものだから、今夜のエサは少し豪華なものにしてやろうとゼロ禅師まで決心したほどでした。

 猫を床に降ろすとさっそく3人は相談を始めたのですが、ススムの家へやってきたのと同じ訪問者が、女鏡を求めてここへやってきたのは明らかでした。ゼロ禅師の表情がひどく深刻そうなものへと変わったのは、このときのことだったのです。だから「どうしたの?」とススムとミチコは質問したのです。

 二人を見つめ返し、でもすぐに微笑んでゼロ禅師は答えました。「うん、いま説明してもいいのじゃがススム君、その前にミチコさんにあのキーを見てもらったほうがいいのではないかな」

「キーとは何のことなの?」とミチコは不思議そうな顔をしていますが、その間にさっと歩きはじめてススムは引き出しを開け、ボール紙製の箱を一つ取り出していたではありませんか。その中身を見て、ミチコは目を丸くすることになりました。あれからも小さなキーはずっとススムの頭めがけて落ち続け、なんと今では100個近くに達していたのです。それがこの箱の中にまとめて入れられているのでした。

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「このたくさんのキーは一体何なの?」箱の中に手を差し入れ、あきれた顔でミチコはジャラジャラともてあそび始めています。ススムがすぐに説明を始めたのはいうまでもありません。

「へえ、おかしなことがあるものねえ。だけど禅師、雨ガッパの女の子とこのキーがどう関係するのかしら」ミチコは言いました。

「うん」ゼロ禅師は口を開きました。「雨ガッパの娘が女鏡を求めてやってきたのは、実はわしたちが女鏡を使うのを邪魔したかったからではないか、という気がしてね」

「女鏡をどう使うの?」今度はススムが言いました。

「だからこのキーを出してきてもらったのさ。ここにはキーが約100個あるが、もしかすると本物はその中のただ一つだけかもしれないじゃないか」

 やはり姉弟ということなのでしょう。「本物って?」と不思議そうに見つめ返す二人の表情があまりにもそっくりなので、ゼロ禅師はもう一度微笑みを浮かべないではいられませんでした。

「とにかく実験してみよう」ゼロ禅師は続けました。「ミチコさん、女鏡を用意してくれるかい?」

 皿のように丸い形をし、つやつやと光る黒い木材でできたケースの中に入っているところなど、女鏡は化粧用のコンパクトに少し似ています。それがミチコの手に取られ、キーを入れた箱の上にかざされることになったのです。箱の内部にはキーが山盛りになっているのですが、本当であればそれとまったく同じ姿が鏡の中にも映し出されるはずですね。

 でも女鏡は普通の鏡とは違うのです。女鏡は、女の姿を映し出すことがありません。男の人やオスの動物、山や海などといったものは、普通の鏡と同じように映し出すことができます。でも女の人やメスの動物は違うのです。女鏡の前に女の人が立っても、まるでそこには誰もいないかのように、彼女の背後にある風景がただ映るだけなのです。そういう不思議な道具なのでした。

 その女鏡が、100個のキーを入れた箱の上にかざされたのです。

「あっ」と声を上げたのは、ススムとミチコだけではありませんでした。あまりのことに、ゼロ禅師までがそうしてしまったのです。

 それほど不思議な眺めなのでした。女鏡の中に映っている箱は、まったくの空っぽだったではありませんか。中に何も入っていない空っぽの箱。これでは3人が声を上げるのも無理はないでしょう。でもすぐにススムは気づいたのです。

「あれ? 箱の中は空っぽじゃないよ。女鏡をよく見てよ。すみっこに小さなキーが一つだけ映ってる。ほら一つだけ」

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「本当だわ」ミチコも目を丸くしました。ゼロ禅師までが顔を近づけ、熱心にのぞき込んでいます。箱の中に手を入れ、余分なキーを取り除ける作業がすぐに始まったのはいうまでもありません。

 ところが三人は、その仕事を最後までやりとげることができなかったのです。なぜって、突然どこからともなく現れた小動物に飛びつかれ、箱をひっくり返されてしまったのでした。

 ミチコだけでなく、猫までが大きな悲鳴を上げることになりました。箱の中身が床にぶちまけられると、動物はその中から一本のキーをすかさず口にくわえ、またさっと走り出したのですが、その後ろ姿が猫の宿敵だったからかもしれません。なんとそれは、手足は短く、毛むくじゃらだけど胴体はソーセージのように長いイタチだったのです。

 みなさんも動物園などで見たことがあるかもしれません。茶色い色をし、ふちの丸い耳と小さな目を持ったあのすばしっこい動物です。追いかけようと3人が体を動かしかけたときには、もう縁の下に姿を消していたほどです。もちろん怒って猫も駆け出そうとしましたが、ゼロ禅師がとめました。「いやいや、おまえさんでかなう相手ではなかろうよ」

 そういうあっという間の出来事だったのですが、ススムの呼ぶ声が背後から聞こえたので、ゼロ禅師は振り返ったのです。

「どうしたのかな? ススム君」

「イタチのやつ、女鏡に映っていたあのキーを持っていっちゃったんだ。ほら、今はもう何も映っていないもん」キーの散らばる床の上を女鏡を手にしながら見回し、ススムはため息をついています。

「まさか」同じように女鏡をのぞき込み、ミチコも床の上や箱の中を調べ、指先でジャラジャラとかき回していましたが、やはり弟に同意するほかなくなったようです。「ススムの言うとおりだわ。イタチはあのキーをねらって盗んでいったのよ」

「ふう」あまりのことに、ゼロ禅師は床に座り込んでしまいました。「困ったな。やつに協力者がいるとは、わしも思っていなかったよ」

「『やつ』って誰のこと?」散らばっているキーを片付けるのを手伝い、女鏡がミチコのポケットの中にきちんとしまわれたことを確かめてから、ススムは言いました。

「残念だが、それはまだわからないのだよ」

 手の中に抱いていた猫を、ゼロ禅師はそっと放してやりました。イタチを追いかけるのを邪魔されて腹を立てたのか、猫はすねて、すぐにどこかへ行ってしまいました。そこで何か言おうとススムは口を開きかけたのですが、のどを出る前に言葉は止まってしまったのです。不意にミチコが「あっ」と声を上げたからでした。

「お姉ちゃん、どうしたの?」

「私、いま思い出したのよ」

「何を?」

「この小さなキーを見ていて、これがぴったり合う鍵穴って、なんて小さいのだろうと思っていたのよ。だけど、どこかで見たことがあるような気もして仕方がなかった。それをいま思い出したのよ」

「ミチコさん、それはどこで見た鍵穴なのかな?」ゼロ禅師は興味を感じた様子です。だからミチコは、あの馬小屋の木馬のことを話し始めたのでした。

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 すぐに寺を飛び出し、五分後には3人は道を急いでいました。うまい具合に雨はもうやんでいました。行き先はもちろんミチコの学校です。ミチコはともかく、ススムやゼロ禅師は校門の中へ入れてもらえるかどうかもわからなかったのですが、とにかく足を向けないではいられなかったのです。

 ミチコの学校は町の反対側にあり、猫坂川という大きな川を渡る必要がありました。長い橋があるのですが、バスに乗ってそこを渡っているときに三人は目撃したのです。

 窓の外を眺めていて最初に気がついたのはミチコでしたが、肩をつつかれて指さされ、ゼロ禅師は目を丸くし、ススムなどは声を上げてしまいそうになりました。夕暮れで薄暗くなりかけていたこともあって、運転手も他の乗客たちもまったく気づいていなかったようですが、こともあろうに、すぐわきの歩道をあの木馬が走っている姿が目に入ったのです。もちろん学校から走ってきたのに違いありません。

 それは本当に、パカパカという足音まで聞こえてきそうだったのです。木でできた馬が走るなどまったく奇妙な光景に違いありませんが、耳をピンと立て、4本の足をちゃんと動かしているのです。おまけに、しっぽまでが風にやわらかくなびいているではありませんか。

 それでも、体の表面を木目が走っていることも事実だったのです。全体が木製なのだから、本来なら白いはずの目玉のまわりや、口の中の舌や歯なども同じ色をしているのでした。しかもそれだけではありません。木馬の背中の上には、さっきのあのイタチの姿まであったではありませんか。いかにもリラックスした様子で、気持ちよさそうに風を浴びているのでした。キーを使って、このイタチが木馬のクサリをといてやったのは間違いないでしょう。

 長い橋を渡り切り、やっと最初のバス停があって、そこで下車してからススムたちは駆け戻る必要があったのですから、思った以上に時間がかかってしまいました。しかもゼロ禅師が走る速さときたら。とてもついてゆけなくて、ススムもミチコもすぐにへとへとになってしまったほどです。ついにはあきらめ、小さくなってゆくゼロ禅師の背中を見送り、二人とも立ち止まってしまいました。

 それに気づいて自分も一瞬立ち止まって振り返り、ゼロ禅師は大きな声であることを言ったのです。そしてすぐにまた木馬を追って駆け出し、あっという間にゼロ禅師の姿は見えなくなってしまいました。

「ススム君、ミチコさん、君たちは地下鉄に乗って猫坂神社へ先回りしてくれるかい? 木馬の目的地はたぶんあそこだろう。わしはこのまま追ってゆくが、きっとあそこで再会できるはずじゃよ」

 猫坂神社ですって? ススムとミチコは顔を見合わせるしかありませんでした。だけどゼロ禅師の言うことなのです。すぐに駅へと向かったのはいうまでもありません。ホームに降りると、運良く電車はすぐにやってきました。二人は乗り込み、「猫坂神社が一体どう関係するんだろう?」と不思議がったのですが、悲しいことに二人の知恵をあわせても、見当すらつかなかったのです。

 途中で電車を一度乗り換える必要があって、猫坂神社に到着するには少し時間がかかり、すでに日はすっかり暮れていました。だけどとうとう見えてきたではありませんか。つやつやとした灰色の屋根瓦が載った古めかしい大きな門です。正面の二枚のドアは木でできていますが、その一枚だけでもススムの部屋と同じほどのサイズがあるのです。しかも今はぴったりと閉ざされています。二人はその前に立ち止まるしかありませんでした。

「どうするの? お姉ちゃん」ススムは心細そうな声を出しました。

「禅師はまだ来ていない様子ね。到着を待つしかないわ」

「でもお姉ちゃん、禅師よりも先にあの木馬がやってくるんだよ。禅師は木馬のあとを追いかけてくるんだから」

「そうだったわね」

「それに、もし禅師が間違っていたらどうするの? 木馬がここへは来なかったら?」

「そんなこと私が知るもんですか」とうとうミチコも心細くなってきたようです。

 ところがギギギと音を立て、門の扉が少し開いたのは、このときのことだったのです。驚いた二人は、飛び上がるようにして振り返ることになりました。てっきり木馬がやってきたと思ったのです。

 だけどそうではなかったのです。扉を半分ほど開いて顔を見せていたのは、中年の男でした。背は高くありませんが少しやせています。短く刈った髪の毛が年齢のわりに白くなっているのが目に付きますが、全体に人がよく、親切そうな感じがするではありませんか。

「あんたたちはゼロ禅師のつれかね?」とその人は口を開いたのでした。

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「うん…はい」二人は声を合わせて答えました。「おじさんは誰なの?」

 すると男は、にっこりと微笑んだのです。「わしはこの神社の門番さ。日が暮れると、ここにはわし一人しかいなくなるのだよ。神職たちはみな家へ帰ってしまうからね」

「へえ」

「ついさっきゼロ禅師がここへやってきたよ」

「おじさんは禅師の知り合いなの?」と二人は期待を込めてたずねたのですが、男は首を横に振りました。

「知り合いなのはわしではなく、ここの神職たちさ。だがゼロ禅師の顔は以前からわしも知っていた。何かの相談ごとで、神職たちが禅師をここへ招いたことがあったからね」

「ふうん」ススムは目を丸くしています。「こんなに大きな神社でも妖怪が出て困ることがあるんだ」

「それはあるさ」男は笑いました。「猫坂の町は妖怪で満ちている。人の目には見えないが、どこの街角にだっているのだよ。それはそうと、禅師から伝言を預かったのはほんの5分前のことさ。木でできた馬を追ってきたのには驚いたがね。早口で事情をわしに説明すると、木馬のあとを追って、止める間もなくあそこへ入っていったよ」

 男が指さす方向へとススムたちは目を向けました。神社の中に入り、真っ白な砂利を敷きつめた庭を横切ると背の高い塀に突き当たりますが、それをさらに向こう側へ通り抜けるためのもう一つの門があることがわかります。その門の隣には小さな小屋があり、明かりがついたままになっていますから、きっとこの男が寝起きしている場所なのでしょう。

「禅師はあの門を通っていったの?」ススムが言いました。

「そうさ。わしは止めたのだが、どうしても木馬のあとを追わなくてはならんと言って、むりやり入っていった」

「だけど、あの門には鍵がかかっているのがここからでも見えるよ。ほら南京錠がある」

「サルのように身軽に、禅師はひらりと乗り越えていったのだよ。だけどあの門の高さをごらん」

 男の言うとおり、門の高さはススムの身長の二倍ほどあったではありませんか。ゼロ禅師というのは、実はとんでもない人なのかもしれません。

「あのう…それで?」

 男はミチコを振り返りました。「禅師の言うには、あんたたち二人にはここで待っていてほしいのだそうだ。門を超えて森の中へは絶対に入ってはいけないと言っていた」

「だけど禅師を一人にしてはおけないわ。門の向こうにどんな危険があるかもわからないもの」

「いやお嬢さん、危険はあるに決まっているさ。門のむこうには深い森が広がっているのだが、人が足を踏み入れることは固く禁じられているのだよ。立ち入ることが許されるのはごく一部の神職だけで、このわしだって中へ入ったことはない」

「その森には何があるの?」

 深刻そうな表情を浮かべていたのですが、ススムの質問に、男はクスリと笑いを浮かべることになりました。「森だから、もちろん木がいっぱいあるさ。わしはあの門からのぞき込んだことしかないが、樹木は昼間でも薄暗いほどうっそうと生え、下草はじゅうたんのように分厚く、木の幹と幹の間をツタが、まるで網の目のように垂れ下がりながら走っている。塀の外からではまったく想像もつかない風景なのさ。当然動物も多く住み、噂でしかないが狼の遠吠えを耳にした人までいるほどだからね」

「狼って、日本ではもう絶滅したはずでしょう?」

「いやいや、ここならまだ生き残っているかもしれないという気がしてくる。それほど深い森なのさ」

「ねえおじさん」ゼロ禅師のことが心配になり、『この中へ入れてもらうことは本当にできないの?』とススムは口にしようとしたのですが、言葉は途中で消えてしまいました。森の奥から、突然何かが聞こえてきたような気がしたからです。

「あれは何の音かしら?」ミチコも耳をすませています。門番の男までが、同じように首をかしげているではありませんか。

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 それは、何か物が倒れるようなドスンバリンという大きな音でした。音の源が引き起こしたのか、塀の上を越えてちょっとした風まで同時に吹いてきたほどです。何が倒れたのかススムたちには見当もつかなかったのですが、とにかくその大きさが想像できるではありませんか。

 だけど音はすぐに消え、風もおさまり、また元のように静かになってしまったのです。

「あれは一体何の音だったのだろう?」と3人は首をかしげるほかありませんでした。しかしミチコもススムも、ここで待っているしかなかったのです。ゼロ禅師はそうするように言いましたし、門番の男だって、森へと続く門の鍵を開けてはくれないでしょう。身軽なゼロ禅師とは違い、門を乗り越えるのもかなり大変そうです。

 だから顔を見合わせ、3人は困った表情を浮かべているしかなかったのですが、なんと次の瞬間、門の上にそのゼロ禅師がひょいと顔を見せたではありませんか。目ざといミチコが最初に見つけ、声を上げました。「禅師、大丈夫だったの?」

「やあミチコさん、ススム君、それに門番さん」意外にもゼロ禅師は、なんでもない様子で答えたのです。そして門を乗り越え、身軽にさっとこちらへ飛び降りてきたのでした。

 ケガなどしていない様子なので安心したのですが、ススムは思わず口を開きました。「禅師、その葉っぱはどうしたの? 体中が真っ黄色だよ」

 ススムの言うとおり、頭のてっぺんからつま先まで、ゼロ禅師は木の葉におおわれていたのです。レモンのような色をしたイチョウの葉が、それこそ何十枚も服にまとわりついているのでした。そのせいでまるで黄色い雪だるまのような姿だったのです。

「森の中で何があったの? さっきの大きな音は何だったの? 私たち本当に心配していたのよ」とミチコも心配そうな声を出しました。

「いやいや、二人ともありがとう」にっこりしてゼロ禅師は答えたのです。「質問には一つずつ答えようよ。でもまず座らせてくれないかな。さすがにくたびれた」

 門番の好意で、すぐに小屋の中へ入れてもらうことができました。だしてもらったお茶をおいしそうにすすりながら、ゼロ禅師は話し始めたのです。小屋の中に入る前に、体についたイチョウの葉はすべてはたき落としたのはいうまでもありません。記念に一枚だけ、ススムはポケットの中に入れておくことにしました。飲み終わった茶碗を畳の上に置き、ゼロ禅師は口を開いたのです。

「森の中でわしが何を経験したかということじゃが、話すのはいいが、すまないがミチコさんとススム君には、その後でやってもらいたい仕事があるのだよ。もう夜だし、少し大変なことで申しわけないがね。長年の願いがやっとかない、気がせくらしくて、何度言っても木馬は聞き入れてくれなかった。今夜中にすべてを終わらせるという条件で、やっと納得させることができたのさ」

「うん、僕はかまわないよ」ススムは答えました。

「私もいいわ」ミチコも同意しました。

「そうかい」ほっとした様子でうなずき、ゼロ禅師は話を続けたのです。

303

 ゼロ禅師の話が終わると、ススムとミチコは立ち上がりました。そのまま小屋の外へ出たのです。神社の前には、門番が電話で呼んでくれたタクシーが待っていました。二人がすぐに乗り込んだのはいうまでもありません。

 タクシーが向かった先は、ミチコの学校でした。でも校門の前で停車したのではなく、学校の裏側へまわったのです。そこには校長先生の屋敷がありました。明治以来、この学校は創立者の子孫が代々経営してきました。今の校長先生は、なんとその5代目にあたるのです。

 ドアを閉め、すぐにタクシーは走り去りました。ミチコとススムは、屋敷の入口で二人きりになったのです。しかし手はずはすでに決まっていました。ススムはここで待ち、ミチコだけが屋敷の中へ入るのです。小さな学校ですから、ミチコも校長先生も互いに顔をよく知っていました。

 ドアをノックするとメイドが顔を出し、ミチコをすぐに中へ入れてくれました。こんなに遅い時間のことでしたが、「校長先生に大切なお話があるんです」と言うだけで納得してもらえたのです。ミチコの表情が本当に真剣だったからかもしれません。

 ドアが閉まり、ミチコの姿が屋敷の中へ消えてしまうと、ススムは独りぼっちになりました。暗闇にまぎれ、小さくかがんで、電柱のわきに隠れたのです。長く待たなくてはならないのかもしれませんでした。

 雨上がりだけれど、寒い夜ではありませんでした。退屈のあまりススムは何度かアクビをしかけたほどですが、すぐそこの曲がり角をまがってこちらへ近づいてくる人影に気がついたときには、息が止まってしまいそうになりました。その姿が、本当にミチコの言った通りだったからです。黒く長い雨ガッパで、体全体をおおうどころか、深いずきんのおかげで顔も見えません。あれでは中に誰がいるのか、さっぱりわからないではありませんか。

 ススムがここに隠れているのは、あの雨ガッパの人物の妨害をするためでした。校長先生の屋敷へ行かせないようにしなくてはならないのです。屋敷の中でミチコが仕事を終えるまで、時間稼ぎをするのが役目なのでした。

 ゆっくりとした足取りで、雨ガッパは近づいてきます。雨はもうとっくに上がっているのに雨具を脱いでしまわないのは変ですし、まずやつの足音が少し奇妙ではありませんか。あのカサカサと軽い音では、まるでほとんど体重がない人のように聞こえるのです。

304

 そのころミチコは、屋敷の中で校長先生に事情を説明し終えていました。口をはさまず、校長先生は最後まで聞いてくれたのです。ミチコが口を閉じると、大きくうなずきました。

「ミチコさん、こういう日が来るだろうと、少し前から私も覚悟していたのですよ」

「どうして?」

「何日か前、キーがなくなっていることに気がついたからです。誰かが勝手に持っていってしまったのでしょう」

「どんなキーなんですか?」

「そうね」校長先生はかすかに微笑みました。「きちんと説明しないとわかってもらえないわね。ミチコさん、これは先々代の校長がいた時代にまでさかのぼる話なのよ」

「先々代って、校長先生のおばあさまのことですよね」ミチコはうなずきました。

「ええ、私の祖母ということになるわね。祖母は夫を早くなくし、女手ひとつで学校を経営しなくてはならなかった。あの時代だから、それはそれは大変なことだったでしょうよ。男の人中心の世の中で、何か困ったことが起きても、相談できる相手はいなかったわ。だけど祖母にも、ただ一つだけ心の支えがあったの」

「なんですか?」

「それがあの王子の像なのよ」

「王子って?」

 校長先生はクスリと笑いました。「物事を順番どおりに話さないのは私の悪いクセかもしれないわね。もう50年も昔だけれど、祖母が校長だった時代のある日、校庭のすみで体育館の建設工事が始まったのよ。あの体育館は、現在でもあなたたちが使っているわね」

「はい」

「人間がやってくるずっと以前、猫坂のあたりは巨大な沼地だった。だからまずうんと深く土を掘って、基礎を固める工事をしなくてはならなかったの。そうしないと建物が傾いてしまうわ。その掘り下げ工事の最中に、あの石像が発見されたのよ」

「それが王子さまなんですね」

「ええ」校長先生はうなずきました。「地中深くで発見され、すぐに地上へ引き上げられたのだけど、それほど巨大な石像ではなかった。普通の人と同じ大きさをしていてね。ミチコさん、あなたと同じぐらいの年頃の少年の姿をしていた。だけど不思議なのは、立っているのでも座っているのでもなく、地面に横たわり、あたかも眠っているような姿で作られていたことだわ。歴史上、そういう石像はあまり例がないの」

「へえ」

「とても美しい少年の姿でね。年がいもなく祖母は一目で恋をしてしまった。自分の息子か、もしかしたら孫といってもいいほどの少年なのよ。だけど敷地の中から出土したのだから、所有権は祖母にあった。祖母はそれを、自分の屋敷の中に飾ることにしたの」

「屋敷ってまさか…」

「ええミチコさん、今あなたがいるこの屋敷のことですよ。あとで見せてあげましょう」

「でもあの校長先生…」次の言葉を続けるにあたり、ミチコは少し口ごもらないではいられませんでした。『許可なく馬小屋に立ち入ってはならない』という校則を破ったことを白状しなくてはならないからです。でもミチコは思い切って話しました。校長先生は怒ったりしないだろうという気がなんとなくしていたからです。

 ミチコの予想は当たっていました。「まあ困った子ね」とつぶやくのが耳に入りはしましたが、それ以上校長先生は、非難がましいことは一言も口にしなかったではありませんか。それどころか、木馬の由来について説明してくれたのです。

305

 土の中から掘り出された石像を王子と呼び、校長先生の祖母が屋敷の中に飾るようになって何年かたったときのことでした。ある夜遅く、屋敷に突然訪問者があったのです。いいえ、侵入者と呼ぶほうがいいかもしれません。玄関のドアを乱暴にけり倒し、飛び込んできたのですから。

 それがあの木馬だったのです。物音で家中の全員が飛び起きました。そして木馬が駆けまわり、まるで家捜しでもするかのように、屋敷の中のありとあらゆるドアを破ってまわる姿を目撃したのです。「すぐに警察に知らせましょう」と家政婦は進言しましたが、学校に悪い評判がつくのを恐れて、祖母は首を横に振ったのです。その代わりに、このころ偶然隣の家に住んでいた呪文家の元へ使いを出したのです。

 この呪文家は市内でも有名な人で、呪文を用いて、すぐに木馬を眠らせることに成功しました。木馬は死んだように動かなくなったのですが、もちろんこの眠りも永久に続くものではなく、数日後か数年後か数十年後かはわかりませんが、いつまた目覚め、暴れはじめるかもしれなかったのです。だから馬小屋に運ばれ、あのようにクサリでしばられたのでした。

「ふうん」納得してミチコはしばらくうなずいていましたが、不意に表情を変えました。「じゃあ校長先生、なくなったキーというのは、やはり木馬のクサリをとめていたあの鍵のものだったんですね」

「そうですよ。祖母が引退して母の代になり、そのあとを私が引き継いだのだけど、キーは念のためずっと金庫の中に保管してあったわ。それが先日、書類の整理をするために金庫を開いて、何分間か忘れて、私はそのままにしていたの。そして気がついたらキーは消えていたわ。学校の校長室でのことですよ。誰が持っていったのかは、今でもわからないの」

「校長先生」何かを思いついたふうに、ミチコは目玉をクルリとめぐらせました。「キーが消えた後、校長室の床に動物の小さな足跡が残っていたりはしませんでしたか? たとえばイタチとか」

「気がつかなかったわ。どうしてそんなことをきくの?」

「いいえ、いいんです」

「そう? ではミチコさん、あなたにも王子の石像を見せてあげるわ。私についていらっしゃい」

 言われるままに校長先生と一緒に立ち上がり、部屋を出て、ミチコは廊下を歩き始めたのです。

306

 ゼロ禅師から頼まれた仕事をミチコがいつ終えるのか、ススムには見当もつきませんでした。意外と早くかもしれないし、校長先生を説得するのには時間がかかるかもしれません。敵がやってくる前にさっさと終えてほしいとススムは願っていたに違いありませんが、そううまくはいかなかったようです。雨ガッパの人物はとうとう屋敷の正面に立ってしまったではありませんか。こうなると、もうススム自身が行動を起こす以外になかったのです。

 ススムとミチコの話を付き合わせると、このあと起こったのはこういうことだったようです。

 ススムの役目は、雨ガッパの人物をなんとかして足止めすることでした。だからおそるおそる背後から近寄り、「もしもし」と声をかけたのです。もちろん相手は振り返りました。そして偶然ですが、このとき少し風が吹き、あの深いずきんがめくれ上がることになったのです。

 それを目にして、ススムはもう少しで悲鳴を上げるところでした。ずきんの下には顔などなかったのです。顔だけでなく、雨ガッパの下には体だってなかったに違いありません。あるのは黄色いイチョウの葉ばかりだったではありませんか。それ以外は本当に何もなく、ただ雨カッパの下に葉を何万枚も押し込んで、カカシのような姿をしているだけだったのです。

 だけどススムも、驚いてばかりはいられませんでした。正体を見られて腹を立てたのかもしれません。イチョウの葉でできた怪物は両腕を伸ばし、なんと彼につかみかかる気配を見せたのです。

 同じころ、校長先生に連れられ、ミチコは王子の像が置かれている部屋へと案内されていました。1階の奥まった場所にあるのですが、庭に面しているから、昼間なら光が入って、ずいぶんと気持ちのよい部屋なのでしょう。だけど今は夜です。窓の外には何も見えない闇が広がっているばかりでした。雲のせいで月も隠れてさらに暗く、少々何がひそんでいてもわからないに違いありません。

 ここまで大切そうにたずさえてきたカバンを開き、すでにミチコは『かんむり』を取り出していました。猫坂神社の森の奥からゼロ禅師が持ち帰ったばかりのものです。校長先生に見せながら、ミチコは説明を始めました。

「その像の王子がどこの出身で、どこからやってきたのかはわかりません。でも、『あの木馬を自由に乗り回していたのだから、妖怪の一種であることは間違いないだろう』というのがゼロ禅師の意見です。ただの少年ではなく本当に王子であることも、かんむりをかぶっていたことから間違いないでしょう。

 ところがあるとき、王子の頭からこのかんむりが外れて落ちてしまったのです。木馬の背に乗り、猫坂の古代森の上空を飛んでいたときのことですが、不意の突風にさらされたのかもしれません。そしてかんむりは王子の魔力の源だったのでしょう。すべての力を失い、木馬の背を離れて、王子は墜落してゆきました…」

 かつて猫坂の古代森には湿地が点在していました。泥だらけの深い水で、半分沼地のような場所です。水中深く沈み、何百年か後に体育館の工事が始まるまで、この王子は発見されることがなかったのです。一方、かんむりは少し離れた別の森に落ち、偶然ですが一本のイチョウの木の枝に引っかかることになりました。

 木馬の背から墜落しながらもとっさに呪文を用いて、王子は自分自身を石に変えて身を守ったのですが、そういう妖怪の王子が所有していた物なのです。かんむり自体にもかなりの魔力が備わっていました。すると、イチョウの木がそれを悪用しようと思い立ったのも無理はないかもしれません。

307

 かんむりを手にし、校長先生の前でミチコは説明を続けました。

「今夜起こったことですが、木馬のあとを追って神社の森深くへ分け入り、イチョウの木の巨大さにゼロ禅師は思わず息をのんだそうです。うっそうとした森ですが、『かんむりの魔力を用いて巨大化するのはよいが、背が高く伸びて人間たちの目にとまるのはまずい』とイチョウも考えたのでしょう。高さの代わりに、左右方向へと枝を伸ばすことにしたのです。禅師の話によると幹を中心にして、四方八方へと何十メートルもまるで自転車のスポークのように長く、でも低く枝を伸ばし、それだけでもかなりの見ものだったそうです…」

 もちろん木馬は王子を探そうとしました。そして彼なりの努力をしたのですが、水中深く沈んでしまったのでは、どうしても見つけることができなかったのです。かんむりさえあれば、その魔力の助けを借りることができます。しかしそこにも問題があったのです。

 大地を走り、空を飛ぶことができても、木馬にはできないことがありました。木登りです。イチョウによじ登り、巨大な木のどこかに引っかかっているはずのかんむりを見つけ出すなど、木馬にはとても不可能でした。だから今夜、ゼロ禅師がその役を買って出たのです。森へと続く門の前でススムとミチコがゼロ禅師の身を案じて気をもんでいたとき、なんと当の本人はケロリとして木馬と会話をし、そんな手伝いをしていたのです。

 身の軽い人のことですから、木によじ登ってかんむりを探すなど、ゼロ禅師には難しい仕事ではなかったでしょう。もちろんイチョウは妨害しようとしました。この事件が起こったのはちょうど秋が深まった季節のことでしたから、黄色く染まった葉を何万枚もそれこそ嵐のように、イチョウはゼロ禅師にむかって吹き付けてきたのです。森から出てきたときにゼロ禅師が葉っぱまみれになっていたのは、そのせいだったのです。

「そうやって、今あなたが王子のかんむりをここへ届けてくれたというわけね」ミチコの説明がすむと、校長先生は感心した様子で言いました。「びっくりするような出来事が、世の中には本当に存在するものなのね。だけどミチコさん、今度は私があなたを驚かせる番だわ」

 そういって、校長先生は壁ぎわの小さな戸棚に手を伸ばしたのでした。実をいうとこの部屋に入った瞬間から、ミチコは少し不思議な気持ちがしていたのです。なぜってこの小さな戸棚以外、部屋の中には何もなかったからです。本当にガランとした部屋で、まさかあの戸棚の中に王子の像が入っているとは思えませんでした。

「校長先生、王子様の像はどこにあるのですか? この部屋にあるとおっしゃいませんでしたか?」

 とうとうミチコは口を開きました。でもにっこりと見つめ返し、校長先生は唇に指を当てるだけなのです。だからミチコは口を閉じ、校長先生の行動を見守るしかありませんでした。

308

 校長先生が戸棚から取り出した物を見て、ミチコは目を丸くすることになりました。なんと一束の線香だったのです。細長い棒のような形をして、何十本かでまとめてあります。お盆の墓参りのときなどに、みなさんも見たことがあるかもしれません。火をつけてお墓の前に供えますね。

 火をつけると、線香は匂いのある煙を出します。校長先生にはこの煙が必要だったのです。何束かに火をつけたので、部屋の中をまるで霧のように白い煙がただようことになりました。ふうと息を吹きかけ、校長先生はその煙をひとところに集めようとしているようです。

 はじめは不思議そうに眺めていたのですが、やがてミチコにも意味がわかりました。校長先生は、煙を部屋の中央部へ行かせようとしているのです。そして、その煙の中に何かが姿を現そうとしていることに気づいたときのミチコの驚きといったら。

『王子の石像』と聞かされていたので、てっきり石でできていると思っていたのですが、正確には本物の岩石ではなく、魔力でもって自分の体を石のようにかたく固めた物だったのです。そしてその体は完全に透明なのに違いありません。だから同じ部屋の中にいても、この瞬間までミチコは気がつかなかったのです。

 だけどまとわりつく線香の煙が、その姿をまるで幻のように浮かび上がらせているのでした。言葉を失い、ミチコは王子の姿を見つめることになりました。部屋の中を流れる煙がぶつかり、進路を邪魔されることで作り出されるものですから、幽霊のようにはっきりしない輪郭でしかありません。それでも王子の若々しさ、りりしさ、美しさは十分感じ取ることができたのです。

 校長先生もミチコと同じことを感じていたのでしょう。線香が消え、煙が弱くなるまでの何分間か、二人とも黙って王子の姿に見とれていたのでした。

 でもいつか線香の火が消えるときがきます。輪郭はどんどん弱くなり、ついに王子は空気のように再び透明になってしまったのでした。ミチコが口を開きました。

「校長先生、どうしてこれを石像と呼んでいるのですか? これは透明な王子が呪文で深く眠っている姿なのでしょう? もちろんその体は石のように固いけれど」

「王子は地中で発見されたのですよ。泥をかぶり、真っ黒に汚れていたのです。だから最初は黒い岩でできているように見えたのも不思議はないでしょう」

「だけど引き上げて、きれいな水で洗ってびっくりということだったんですね」

「ええ」

 たまった煙を部屋から追い出すため、庭に通じる大きな窓を二人は開きました。そして再びミチコが口を開いたのです。「では校長先生、王子の頭にこのかんむりを載せてもいいですね? 呪文がとけて王子は目を覚まし、地底世界へと帰ってしまうことでしょうが」

「ええかまわないわ」校長先生はうなずきました。「ふるさとには待っている家族もいるでしょうからね。ミチコさん、すぐに載せてあげなさい。王子の頭はたしかこのあたりだったかしら?」

 校長先生がさす指先を手がかりに、ミチコはかんむりをそっと置いたのです。一度か二度は空振りをしましたが、三回目にはうまく載せることができました。まるで組み合わされることがはじめから決まっていた二つの部品のように、かんむりは王子の頭の上にピタリとおさまったではありませんか。このあとは何が起こるのだろうと期待と不安の混じった気持ちで、ミチコと校長先生は部屋のすみへと下がったのです。

 屋敷の前でススムが怪物につかまりそうになっていたのは、ちょうどこの瞬間のことでした。怖さと驚きのあまりススムが思わず、「お姉ちゃーん」と小さな悲鳴をあげてしまったことは内緒にしておきましょう。

309

 王子の頭の上にミチコがかんむりを載せると事件はあっという間に解決してしまったわけですが、ススムは不満でした。何がどうなったのやら、正直なところさっぱり理解できなかったからです。だから翌朝、一番にゼロ禅師の寺を訪ねたのですが、もちろんミチコも一緒でした。ゼロ禅師とミチコを前にして、怪物に襲われたときのことをススムは説明したのです。

「だけど禅師、不思議なことに怪物は突然力を失い、僕の肩をつかんでいた手を離してしまったんだ。そして地面に倒れて動かなくなったかと思うと、あっという間にばらばらに崩れて、ただの雨ガッパとイチョウの葉に変わってしまったんだよ」

「ねえススム」少し興味を持った様子で、ミチコは弟の肩をチョンチョンとたたきました。「そのときあんたは、もしかして私の名前を呼んだりしなかった? 塀の向こうからかすかに聞こえたような気がしたんだけどなあ」

「そっ、そんなことするもんか」なんだかススムは赤い顔をしていますが、ミチコは気がつかなかったようです。ススムは少しほっとすることができました。

「その出来事はススム君」ゼロ禅師が口を開きました。「こう考えると説明がつくのではないかな。偶然枝に引っかかったかんむりから魔力を得て、イチョウは悪用していた。だがミチコさんがかんむりを王子の頭に載せた瞬間に魔力はイチョウを離れ、王子の元へと戻ったのだよ。ススム君を襲った怪物はイチョウがあやつっていたのだから、当然力を失い、元の雨ガッパと葉に戻ってしまったのだろうね」

「そうだわ禅師」ミチコが言いました。「私、少し確かめたいことがあるのよ。手伝ってくれるかしら?」

「もちろんさ」

「ねえススム、キーが100個入っているあの箱を持ってきてよ。いいわ。そこに置いてフタを開けてね。もし私の考えが正しいのなら…」

 フタが開かれた瞬間に言葉を失ってしまったのはミチコだけではなく、ゼロ禅師とススムも同じだったのです。箱の中にあるのはもはやキーではなく、なんと葉っぱばかりだったではありませんか。鮮やかな黄色をしたイチョウの葉です。

「ほらね」ミチコはススムとゼロ禅師を見回しました。「ススムの頭の上に落ちてきたキーも、やっぱりイチョウの仕業だったのよ。本当は葉っぱでしかないのに、魔力でキーに見せかけていたんだわ。そうそう、私はもう一つ確かめたいことがあるのよ」

 そう言いながらミチコは、次に女鏡を取り出しました。そして箱の上にかざしたのです。

 女鏡に映し出されたものを見て、3人はまたため息をつくことになりました。映っているのは空っぽの箱ばかりで、100枚の葉など影もないのでした。

「どうしてかしら? これは私にも理由がわからないわ」ミチコは首をかしげることになりました。「ススムはわかる?」

「ううん、ぜんぜん」ススムも首を横に振りました。「禅師はわかる?」

310

 ススムとミチコに見つめられ、なんとゼロ禅師は不敵にニヤリと笑ったではありませんか。この人はどうもときどき、こういう僧侶らしからぬ表情を見せたのです。「あのイチョウの木はメスだったのではないか、とわしは思うね。だから葉が女鏡に映らないのだろう」

「メスの木って何なの? 木にオスとメスがあるの?」信じられないという顔で、ススムとミチコは目を丸くしています。

「『雌株』と呼ぶほうがいいのかな。たいがいの樹木は一本で同時にオスでもメスでもあるのじゃが、イチョウのように、オスの木とメスの木に分かれているものもあるのだよ。『雄株』は花粉を作り、それを受粉して『雌株』が種を実らせるのだね。そういう種類の木であれば、女鏡に映らなくて不思議はないような気がするね」

「へえ」ススムもミチコも感心した顔をしています。

「それでイチョウの木だが」ゼロ禅師は続けました。「木馬が言うには、王子のかんむりの魔力を用いて自分ひとりだけズンズン成長したのはいいが、あまり巨大になりすぎて、ついには森の養分を一人で全部吸いつくしてしまう恐れが出てきたそうだ。しかしそれでは森に住む者たちが困る。だから住人を代表して、あのイタチが行動を起こすことになったそうだよ。

 まずイタチは、校長先生の金庫からキーを盗み出した。それをミチコさんに届ければ、すぐに木馬を解き放ってくれるだろうと期待したらしいね。ミチコさんは馬小屋で木馬を目撃していたからね。ところが何かの手違いがあり、キーはミチコさんではなくススム君の頭の上に落ちてしまった。君たちの家では、最近何か変化があったのかな?」

「ああ」と声を上げたのは二人同時でしたが、説明したのはミチコでした。「『隣の家の庭に咲いている花の匂いがくさい』とススムが文句を言ったのよ。あんなにいい匂いなのにね。だから私たち、部屋を交換したの。ススムが今いる部屋は、ついこの間まで私が使っていた部屋なのよ」

「なるほど」とゼロ禅師はうなずきました。「それで混乱が起こったのだね。イタチは間違えて、ススム君の頭上にキーを落としてしまった」

「だけど禅師」ススムが言いました。「イタチの件はそれでいいとしても、なぜイチョウまでが僕の頭上にキーを100個も落としたの? 本当はキーじゃなくて、正体は葉っぱだったけれど」

 ゼロ禅師はクスリと笑いました。「たくさんのキーの中にカモフラージュして、イタチが落とした本物のキーがどれなのかわからなくするためさ。そしてそれは成功したじゃないか。イチョウのねらい通りわしたちは、100個のキーをどう扱っていいかわからなくなった。それでじれったくなって、ついにイタチは実力行使に出たのだね」

「ふうん」

 それが今回の事件の真相だったのです。ミチコとススムが神社で聞いた大きな音は、苦労してかんむりを探すゼロ禅師に加勢するために木馬がイチョウに体当たりをし、枝の一本をへし折ったときのものだったのです。枝が一本地面に落ちるだけであの風と音を引き起こしたのですから、イチョウがどれほどに巨大化していたか想像できるではありませんか。

 そして最後に校長先生の屋敷でのことですが、かんむりを載せられると王子は目覚め、立ち上がったのです。その姿はもちろん透明なのですから、ミチコと校長先生の目には、ただかんむりが宙に浮かんだようにしか見えませんでした。開いた窓を通って、すぐに木馬が姿を見せました。主人を乗せて木馬はさっと駆け出し、夜の闇へと消えてしまったのです。


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