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  作品集3 作者:雨宮雨彦
空き地の怪異  (妖怪禅師)
 ススムの学校では、あるイタズラがはやっていました。すぐにではなく、何日間か、場合によっては何週間も過ぎてからでないと露見しない、まるで時限装置のようなイタズラで、すでに何人も被害者が出ていました。

 春を前にしたこの時期にしか実行できないイタズラでもあり、いざ露見しても犯人はまずわからず、被害を受けた人はただ地団駄ふんで、くやしがることしかできません。そういう種類のイタズラだったのです。

 読者のみなさんはカマキリという昆虫をご存知でしょうか。山や野原によくいて、体は緑色や茶色をしていますね。大きなカマのような形の前足を持ち、小さな虫などを捕まえてムシャムシャと食べてしまいます。秋の終わりになるとカマキリのメスも卵を生むのですが、それを野原で拾ってきて、友だちの机の引き出しや部屋のすみ、あるいは上着のポケットの中にそっと隠しておくのです。カマキリの卵は匂いもなく、小さく軽いので、うまくやればまず知られることはありません。

 するとどうなると思います? やがて春になり、卵はかえることでしょう。そして何の予告もなくある日突然、机の引き出しやポケットの中から、ちいさなカマキリの赤ちゃんたちが何百匹もわらわらと姿を現すのです。それを見つけたときの友だちの顔を想像してごらんなさい。

 だけど私がこう言ったからといって、みなさんは実行してはいけませんよ。今からお話しするこの物語は、ススムの学校でこのイタズラがはやっていた時期に起こったことなのです。

 住んでいる家が互いに近いので、ススムがブタ八に出会うのは、そう珍しいことではありませんでした。あの日の学校帰りもそうだったのですが、その姿を見て、思わずススムは目を丸くすることになりました。ブタ八は、何もない空き地の真ん中に一人ポツンと立っていたのです。

 何をしているのかは、よくわかりませんでした。でも長いハシゴを持ち、片方のはしを地面につけ、反対側を空へ向けて垂直に立てているではありませんか。ブタ八は両手でそれを支えているのでした。

「ブタ八おじさん、そんなところで何をしているの?」とススムが話しかけたのはいうまでもありません。

「やあススム君か。実はゼロ禅師に頼まれてね」

「そこでハシゴを持っているように頼まれたの? 禅師はどこ?」

 すると秘密めかして片目を閉じ、ブタ八はウインクをするではありませんか。「あまり大きな声を出すもんじゃないよ。ゼロ禅師はいま、敵の隠れ家を偵察に行ってるんだ」

「隠れ家? そんなものがどこにあるの?」ススムがもう一度キョロキョロしたのはもちろんです。にっこりと笑い、ブタ八は空を指さしました。

「この上なの? ゼロ禅師はこのハシゴを登っていったの?」とススムは目を丸くして見上げることになりました。ちょっと珍しいほど長いものではありますが、それでもハシゴはハシゴに過ぎません。せいぜい6、7メートルというところでしょう。先端はススムの頭上にはっきりと見えていますし、そこにはもちろんゼロ禅師の姿などカケラもないのです。それどころかチョウ一匹とまっていません。

 ススムの表情に気がついたのでしょう。ブタ八はこっそり耳打ちをしてくれました。「妖怪の隠れ家は透明だから、人間の目には見えないのだよ」

「ふうむ」とススムは考え込むことになりました。ブタ八の言うとおりだとすると、ゼロ禅師はこのハシゴをスルスルと登り、目には見えない隠れ家とやらの中へ姿を消したことになります。身軽な人ですから、ハシゴを登るなど難しいことではないでしょう。だけどススムは、どうにも納得できなかったのです。

「じゃあね、おじさん」とだけ言って、なんとススムはそのまま歩き始めたではありませんか。口をポカンと開けてブタ八は不思議そうな顔をしましたが、カバンを抱えなおし、何か言われる前にススムはその場を離れたのです。行き先はもちろんゼロ禅師の寺でした。

 ブタ八は誰かにかつがれているか、だまされているのに違いないとススムは思ったのです。何かの妖怪がゼロ禅師の姿に化けていたのではないでしょうか。ならば本物のゼロ禅師は寺にいるに違いありません。それを確かめようと考えたのです。

 寺までは長い道のりではありませんでした。ススムはすぐに門の木戸を押し開くことができました。ゼロ禅師の姿は一瞬で目に飛び込んできました。縁側に腰かけ、猫の背中をなでてやっていたのです。

「禅師、大変だよ」もちろんススムはすぐに説明を始めました。

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 かまってもらえなくなって不満そうな顔の猫を残して、ゼロ禅師とススムはすぐに空き地へと向かうことになりました。早足で路地を行きながら、ゼロ禅師が口を開いたのです。「それは少し心配な話じゃな」

「どうして? ブタ八おじさんはお人よしだから?」

「そうだね。どんなに幼稚なトリックにでも簡単に引っかかってしまうね」

 空き地へ戻ってきても、先ほどと変わった様子はありませんでした。ハシゴを支えたまま、ブタ八は同じように立っていたのです。ススムと一緒に近寄ってくるゼロ禅師の姿を見て、ブタ八が目を丸くしたのはいうまでもありません。

「あれ禅師、いつの間にハシゴの上から降りてきたんですか?」

「いやいや」ゼロ禅師は首を横に振りました。「ブタ八君、わしはそもそもそのハシゴを登ってなどいないよ。まして目に見えない妖怪の隠れ家のことなど何一つ知らないのだよ」

「じゃあ、さっきの禅師は一体誰だったんです?」

「それが問題だね。その人は本当にわしにそっくりだったのかな?」

「そっくりもそっくり、疑う気一つ起きないほどでしたよ。だからオイラもすぐに信用したわけで。ちくしょう、あれこそ妖怪の化けた偽者だったんだな…」

「その人はどう言ってハシゴを登っていったのか、詳しいことを話してくれるかい?」

 ゼロ禅師にうながされ、ブタ八は奇妙な物語を語り始めたではありませんか。ゼロ禅師とそっくりなその人物がブタ八の家を訪れたのは、その日の昼過ぎのことだったのです。

「やあブタ八君、いるかね?」

 もちろんブタ八は「はい」と返事をしました。昼食を終え、食器の後片付けをしているときだったのです。

「ブタ八君、すまないがわしと一緒にちょっと来てくれないかな。ススム君に頼んでもいいのじゃがまだ学校へ行っている時間だし、力仕事でもあるから、体格のいいブタ八君のほうがふさわしかろう」

 ブタ八はすぐに承知しました。そして連れてこられたのがこの空き地で、その中央でハシゴを支えるという仕事が始まったのです。

「ブタ八おじさん」これで何度目かになりますが、青い空と雲以外は何もないハシゴの先を疑い深そうな表情で見上げながら、ススムは口を開きました。「そのニセ禅師がハシゴを登っていったのは、何分ぐらい前のことなの?」

「40分か、もう45分にもなるかな」

「そんなに長いの? おじさんはもう手が痛くなったんじゃない?」

「ずっとハシゴを持ち続けているからね。少しぐらい休憩してもいいのかな」

 ところがブタ八はすぐに表情を変えたのです。

「どうかしたのかい?」ゼロ禅師が言いました。

「それが禅師」困ったような顔でブタ八は答えました。「なぜだかハシゴから手が離れないんですよ。おや足も動かない。まるで接着剤で貼り付けられたかのようになっている」

 ススムとゼロ禅師は思わず顔を見合わせたのですが、本当にその通りだったのです。すぐにゼロ禅師が手をそえてハシゴから引きはがそうとしたのですが、ブタ八の手はピクリともしませんでした。まるで万力のように、指がハシゴをがっしりとつかんでいるのです。だけどもちろん、ブタ八が自分で力を込めているのではありません。その反対に、ブタ八はなんとかハシゴから手を離そうとしているのです。でもうまくいかないのでした。

「禅師、本当に手が離れないの?」ススムも手を貸そうとしました。ところがゼロ禅師がそれをとめたのです。

「ススム君、ブタ八君やわしの体に触ってはいかん。君の手までハシゴにくっついてしまうぞ」

「どうして?」意味がわからなくて、ススムは目を丸くしています。

「そうなんだススム君」ブタ八も口を開きました。「オイラだけじゃなくて、禅師の手もこのハシゴにくっついて、離れなくなってしまったんだ。禅師、足を動かすことはできますか?」

「いいや、だめじゃな」というのがゼロ禅師の返事でした。「君と同じように地面に張り付いてしまった。これは困ったことになったぞ。あらかじめ、誰かがこのハシゴに強力な呪文をかけていたらしい」

「誰がそんなことをしたの?」どうすることもできず、ススムは二人の顔を交互に見ているしかありませんでした。

「あのニセ禅師に決まっているよ、ススム君」ブタ八が言いました。「何をしているのか知らないが、このハシゴの上で用事をすませる前に、ハシゴを支えるのをやめてオイラがどこかへ行ってしまうのを防ぐためだろうよ。そうでしょう、禅師?」

「ああ、そうに違いあるまいよ。こうなったら仕方がない。すまないがススム君、ブタ八君とわしのために少し骨折ってくれるかい? もしかしたら危険な仕事になるかもしれないが、いつ降りてくるかもわからないわしの偽者をずっと待っているわけにはいかないのでね」

「うんわかった」ススムはうなずきました。「僕は何をすればいいの?」

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 ゼロ禅師から指示された内容を胸に刻みつけ、ススムはすぐに駆け出しました。空き地を離れて角を曲がると、ゼロ禅師とブタ八の姿はすぐに見えなくなってしまいました。

 そのまままっすぐ、ススムはゼロ禅師の寺へと向かったのです。部屋の中へ入り、目的の物をすぐに見つけることができました。ゼロ禅師の言葉どおり、まるで理科の実験に使うような口の広いガラスびんの中に入れてあり、しかもフタはしっかりと閉じてありました。中身は親指の先ほどの小さな塊で、ちょっと小石に似た形で、薄茶色をしています。ビンを持ち上げると、からからと軽い音が聞こえます。

 ススムはそのビンを持ち出したのです。中に入っているのは『リュウゼン香』という物質で、鼻に近づけるとほのかな香りがするはずです。でもある理由で、ゼロ禅師はしっかりと密封して保管しているのでした。そのビンを手に、ススムは中庭へとやってきました。

 寺の中庭には古い井戸がありました。狭い庭ですから大きな井戸ではありませんが、今でもゼロ禅師が毎日使っているのです。この井戸にはフタなどなく、四角い石で囲まれた丸い穴が空を向いて口を開けていました。中をのぞき込んでも暗いばかりで、底まで見通すことはできません。ススムはビンのフタを外すことにしました。

 リュウゼン香とは手に入れるのが難しいものですが、その中でもゼロ禅師のリュウゼン香は、不思議な力のある特に貴重なものでした。その匂いにはなんと妖怪を引き寄せる力があったのです。それをかぐと妖怪たちはゆったりといい気持ちになり、まるでマタタビを前にした猫のように、わらわらと集まってくるのです。ひょんなことでまだ若いころにゼロ禅師が手に入れたものですが、そのいきさつについては、またお話しできる機会があるかもしれません。

 そのリュウゼン香が入ったビンのフタを開け、ススムは井戸の上にかざしたのです。風に乗り、匂いは井戸の底へと降りていったに違いありません。この底にどんな妖怪が住んでいるのかまでは、ススムも知りませんでした。でも危険な妖怪ではないことでしょう。でなければ、ゼロ禅師がこんなことを依頼するはずがないからです。

 ススムの鼻には何の匂いも届いていませんでした。でも妖怪の敏感な鼻には、強く感じられたに違いありません。ススムは長く待つ必要はなかったのです。

 思っていたよりも小さな相手だったので、ススムは目を丸くすることになりました。井戸の中を下へと伸びているロープを伝わってやがて姿を現したのは、一匹のヘビだったのです。その長さは1メートルほどしかなく、太さもせいぜいススムの親指ほどです。模様ひとつない体は本当に雪のような白さですが、ウロコはガラス細工のように輝き、光を美しくはね返しているではありませんか。

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 いったん立ち止まり、白いヘビはススムを見つめました。怖いと感じたわけではありませんが、どうしてよいかとススムが少し迷ったことも事実です。だけど心配はなかったのかもしれません。ロープを離れてピョンと白ヘビは飛び、あっと気がついたときにはススムの腕にスルスルと巻きついていたのです。もちろん強くではありませんでした。

 思わず小さな悲鳴を上げかけたけれど、すぐにススムは落ち着きを取り戻すことができました。白ヘビは体に見合った小さな丸い目をしていますが、そのまなざしの中に、野生動物とは違う知性を感じることができたからです。ススムどころか、ゼロ禅師よりもずっと長い人生をこのヘビは井戸の底で生きてきたに違いなく、金色の小さな瞳をススムはまっすぐにのぞき込むことができました。そして気がついたのですが、まだ何も説明していないのに、白ヘビはまるで事情をすべてさとっているかのようではありませんか。ほっと息をつき、ススムはガラスびんのフタを閉めることができました。

 リュウゼン香の発する匂いが消えても、白ヘビは動く気配を見せませんでした。ススムの腕に巻きついたままでいるのです。白ヘビとともに、ススムはビンを戸棚の中へと戻しにいきました。そのあと寺の中をもう少し歩き回って、そのほか必要な品物をいくつかそろえ、ススムは再び空き地へと取って返したのです。

 空き地の様子は、先ほどとまったく変わってはいませんでした。ススムの腕に巻きついているヘビを見てブタ八は驚いていましたが、ゼロ禅師はにっこりと微笑みました。

「どうやらうまく協力を得ることができたようだね」とゼロ禅師が言いました。

「でも禅師、そのヘビは何なんです?」ススムが近づくと、少し怖そうにブタ八は体を遠ざけようとするのですが、呪文のせいでハシゴに貼り付けられているのでは、ほとんど動くことさえできませんでした。

「そのヘビはわしよりも、それどころか先代や先々代の住職たちよりももっと古くから寺に住んでいるのだよ。寺の本当の主というところかな。妖怪には違いないが、悪さなどしないよ。そうだススム君、そのほかに頼んだ物も持ってきてくれたかい?」

「うん」服のポケットを広げ、ススムは中を見せました。ゼロ禅師が満足そうにうなずいたのはもちろんです。

「ではススム君、わしの体に足をかけてよいから、ハシゴを登ってゆくんだ。手にしっかり力を込めて、転げ落ちたりしないようにね」

 さっそく言われた通りにしたのですが、ススムの手がハシゴをつかんでも、なぜかくっついてしまうことはなかったのです。ゆっくりとですが、そのままススムはハシゴを登ってゆくことができました。もちろんブタ八は不思議そうな顔をしています。「禅師、どうしてススムは、オイラたちみたいにハシゴにくっついてしまわないんですか? あの白いヘビが腕に巻きついているからですかね?」

 足を滑らせないように気をつけて一段一段登ってゆくススムの耳に、ゼロ禅師が説明する声が聞こえてきました。「この世には何千という数の呪文があるが、それらはすべて二つの種類に分けられるのさ。人間に対して力を発揮する呪文と、もう一つは、妖怪を相手にしか働かない呪文だよ。ブタ八君とわしをこうしてハシゴにくっつけている呪文は、人間相手専用のものだろうと見当をつけたのでね」

「だけど禅師、ススムだって普通の人間ですよ。なのに、なぜくっついてしまわないので?」

「それがあの白ヘビのおかげなのじゃよ。かすか過ぎて人間の鼻では感じることができないが、妖怪の体とはある特別な匂いを持っている。腕に巻きつかれていることで、今のススム君は、体全体が妖怪の匂いに包まれているのさ。その匂いのおかげで、ハシゴにかけられている呪文は、ススム君のことを人間ではなく妖怪の一種だと勘違いしている。だからススム君は呪文の影響を受けることなく、ハシゴを登ってゆくことができるのじゃよ」

「へええ、じゃあ匂いで呪文をだましているというわけですね」とブタ八が感心した声を上げたころ、ススムはハシゴの頂上へと達していたのでした。

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 まわりの風景の一瞬の変化に、ススムは思わずまばたきをすることになりました。つい1秒前まではハシゴの段を登っていたのに、気がつくといつの間にか部屋の中にいたのです。

 四角い形をした屋根裏部屋のように小さな部屋で、縦も横も数メートルしかありません。天井も低く、手を伸ばせばススムでも触れることができるほどではありませんか。おまけにあちこちがデコボコしているので、頭をぶつけないように注意しようとススムが心を決めたほどでした。

 壁も床も天井もすべてが岩でできていますが、表面がざらざらしているので、人工のものなのか自然の洞窟なのかはよくわかりません。見回しても、入口らしいものは、いまススムが入ってきた床の穴以外には一つも見つけることができませんでした。どうやらここは酒蔵のようなものらしく、茶色い土を焼いて作ったツボが10個ほど並べてあるのを見ることができます。

 その10個全部が封を切られ、フタが開いていますし、空気中をただよういい匂いからも、その中身がお酒だったことは確実でしょう。だけどあきれたことに、そのすべてがすでに飲みつくされてしまい、飲み助はススムの足元で目を閉じ、気持ちよさそうにグウグウとイビキをかいていたのです。

 サルというものをこんなに間近に見るのは、ススムにも初めての経験でした。どういう種類なのかゼロ禅師と同じように赤い顔をして、体もそれほど大きくはありませんが鼻がとても大きく、まるでイチジクの実とそっくりな形をして、顔の真ん中にぶら下がっているのです。顔に合わせて赤っぽい色の毛は長くはなく、タワシのようにごわごわして、しかもその上に上着とズボンを身につけているではありませんか。それもなんと、赤い布地の上に金色や銀色の飾りヒモを配したなんだか派手なもので、そばには同じ色の帽子も脱ぎ捨てられたままになっています。どう見たって、これはただの野生動物ではありません。

 だけど、ススムはその姿をいつまでも眺めているわけにはいきませんでした。サルが目を覚ます前にやらなくてはならない仕事があったのです。ポケットから道具を取り出しながら、ニヤニヤと顔がほころぶのをススムはどうしようもありませんでした。取り出した道具は二つあり、一つはお経の一説が書かれた『おふだ』でしたが、もう一つはなんとセロテープだったのです。このセロテープを使って、相手の頭におふだをペタンと貼り付けてやろうという作戦だったのです。

 仕事はすぐにすませることができました。頭のてっぺんにペタンと貼り付けられても、相当深く眠っているのでしょう。サルは目を覚ます気配さえ見せませんでした。おふだの影響で、呪文の力が切れたのに違いありません。石の酒蔵の中にゼロ禅師が姿を見せるのには何秒もかかりませんでした。だからススムは話しかけたのです。「禅師、ブタ八おじさんはどうしたの?」

「下でまだハシゴを持ってくれているよ。ススム君とわしが降りるときに必要だからね」

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 ため息をつき、あきれた顔でススムは指さしました。「犯人はこのサルだったよ」

「なんとまあ」サルが身につけている服にゼロ禅師も驚いている様子です。「この様子では、どなたかが飼っているサルかもしれないね」

「この服に見覚えがあるの?」

「そうではないが、妖怪に服を着せるなど、どなたかの従者か家来でもない限りあまりないことだからね」

「ねえ、こいつにどうやって仕返しをしてやろうか?」とススムは目を輝かせたのですが、ゼロ禅師は首を横に振るではありませんか。

「ススム君、そういうことは考えないほうがいいかもしれないよ。酔って寝ているサルに仕返しをするのは簡単なことだが、このサルがあとで自分の主人に言いつけでもしたら、困ったことになるかもしれない。きっとサルは、あることないこと自分に都合のよいウソを主人の耳に吹き込むだろうからね」

「でもさあ…」ススムは不満そうな顔をしています。「ブタ八おじさんをあんな目にあわせたんだよ。何かしないと気が治まらないよ」

「その気持ちはわかるがススム君、ここはわしの言うとおりにしてくれないかな。まわりをごらん。ここは誰かが作った秘密の酒蔵だろう。他人に見つからず、酒を盗まれたりすることがないように、魔力でもって、わざわざ空中数メートルの高さにつり下げてあるのさ。

 200年以上前のことだが、猫坂の町は深い深い森だったらしい。人のオノが入らないのであれば、高さが20メートルをこえる樹木だって珍しくはなかっただろう。そういう木々をつたってのみ酒蔵の入口へ到達できるようになっていたのだろうが、人間たちがやって来て木を切り払い、森を消滅させてしまった。

 それでもこのサルは酒蔵のことをちゃんと覚えていて、主人の目を盗んで、一杯やりにきたのだろう。だからブタ八君をだまして、ハシゴを支えさせる必要があったのだね」

 ゼロ禅師がそっと手を伸ばしておふだを引きはがしても、やはりサルはピクリともしませんでした。いい気持ちで、ぐっすり眠り続けているのです。でも、おふだの力で一度破れた呪文は、もはや復活することはありませんでした。ゼロ禅師に続いて、ススムもハシゴを降りてゆくことができたのです。

 地面に足が届くとほっとしましたが、薄暗い酒蔵の中と違って太陽の光が満ちているのには、何回かまばたきをしないではいられませんでした。ハシゴの上で目撃したことをゼロ禅師がブタ八に話してやっている間も、ススムはまだ自分の頭上を眺めていました。ハシゴはもう地面に横たえられていますが、青い空と雲以外は本当に何一つなくて、あそこに秘密の酒蔵が存在するなど、自分の目で見たのでなければ、とても信じることができないような気持ちがしたものでした。

 ブタ八がハシゴを片付けるのをゼロ禅師と一緒に手伝い、ススムは家へ帰ってきました。うやうやしく両手でささげ持って、白ヘビはゼロ禅師が寺へ連れ帰ってくれましたし、サルの件はこれですっかり終わったものとススムも思っていたのです。身軽なサルのことですから、酒蔵から地面に飛び降りることなど、ハシゴがなくても簡単であるに違いありません。あのサルのことなど、もう話に聞くことさえなかろうとススムは考えたのですが、どうやら間違っていたのかもしれません。

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 真夜中のことだったのか明け方のことなのか、正確な時間はわかりませんでしたが、何かの気配でススムは目を覚ますことになったのです。彼の部屋は特に広くもなく、畳が敷かれ、一方の壁には窓と勉強机があり、そのそばに布団を敷いて眠っていたのですが、ふと目を覚ましてしまったのです。

 外はまだ暗く、カーテンの隙間からも光は差し込んでいませんでした。そういう明かり一つない中で、その女の声は聞こえてきたのです。

 自分はまだ眠ったまま夢を見ているのではないだろうか、とススムがいぶかしんだのも無理はないかもしれません。頭を振って、ススムは意識をはっきりさせようとしました。それでもまだ声は聞こえてくるのです。年齢はよくわかりませんが、年寄りの声ではありません。息づかいと言葉づかいのはっきりした話し方で、ススムが普段から耳にしている日本語と同じものではあるけれど、どこか異国の言葉のように響く不思議なところもありました。女の声は、ススムに話しかけているのでした。

「おまえに質問したいことがあって、私はここへやってきたのだ」

「あんたは誰?」暗闇の中へ向かって、ススムはおそるおそる口を開きました。少し小さい声だったのは、廊下をへだてた隣の部屋にいるお姉さんを起こして、トラブルに巻き込むことを恐れていたからかもしれません。

「私のことなどどうでもよい」暗闇の中の声は答えました。相変わらずその姿はまったく見ることができないのですが、相手がそれほど遠くにいるわけではないことは、なぜか感じ取ることができました。もしかしたら、息がかかるほど近くだったのかもしれません。「質問したいことがあって、私はやってきたのだ。私の酒蔵にあった酒を、おまえは盗み飲んだのか?」

「なんだって?」昼間あった出来事がススムの頭に一瞬でよみがえったのはいうまでもありません。「酒蔵って、あの赤い服を着たサルがいた場所のこと?」

「私の家来のことを、なぜおまえが知っている?」

 昼間の出来事について、ススムは説明を始めました。女の声は黙って聞いていましたが、ススムが口を閉じると答えたのです。「それは、私がサルから聞いたこととはまったく違うな」

「あのサルはどう言ったの?」

「あの酒蔵へは、私が酒を取りに行かせたのだ。もう200年近くも熟成させたのだから、十分味がよくなっていようと期待してな。ところが誰かが酒蔵を荒らし、酒など一滴も残っていなかったとサルは報告するではないか。

 私自身楽しみにしていた酒でもあるので、にわかには信じられず、この目で確かめに行ったのだ。するとなんと、サルの言う通りではないか。私は犯人探しを始め、かすかだが現場にヘビの匂いが残っていることに気がついた。昔からヘビは『ウワバミ』、つまり大酒飲みであると言うではないか。その匂いを追って、私はここまでやってきたのだよ。ヘビではなく人間の子供を見つけて少し驚いたが、ヘビの匂いは間違いなくおまえの体から発しているのでな」

 暗闇の中で、女が体を動かすのが感じられたような気がしました。そばにかがみ、ススムの腕に顔を近づけ、クンクンとかいでいるようなのです。

「それみろ、やはりヘビの匂いはおまえの体から出ている」と女の声がもう一度聞こえました。

 ススムは再び説明を始めなくてはなりませんでした。井戸の中から連れてきたヘビが腕に巻きついたのだという話は、ある程度の説得力があったようです。相変わらず何ひとつ見えはしませんが、女が表情をやわらげたらしいのをススムは感じることができました。

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 ところが女はガンコでした。ススムの言葉をすぐには信じてくれず、あろうことか「その話を、おまえはどうすれば証明できる?」と言い始めたではありませんか。

「証明って?」ススムが目を丸くしたのも無理はないでしょう。

「おまえの話を裏づけることができる証人はいるか、ということだよ」

「ゼロ禅師がいるよ」

「ゼロ禅師? 白ヘビが住んでいる寺の住職のことだな。よし、では行くぞ」

「どこへ?」

「決まっておろうが」女が窓に近寄り、ガラリと大きく開いたことが感じられました。でもこんな時間だから近所の家々はすべて寝静まっていますし、光の届く範囲には街灯ひとつなくて、相変わらずススムの目には何も見ることができませんでした。そして突然、耳に鋭い痛みを感じたのです。

「痛い」

 女が手を伸ばし、ススムの耳を力まかせにつかんだのに違いありませんでした。そして同時に、羽根か巨大な翼が動くときのようなバサバサという大きな音が部屋の中に響いたではありませんか。布団の中から引きずり出されるどころか、自分の体がふわりと空中に浮かぶのをススムは感じることになりました。

 鳥のように夜の空を本当に飛行したのか、それとも稲妻のように空中を一瞬で駆け抜けたのか、ススムにはよくわかりませんでした。だけど気がついたときには、どこかの部屋のひんやりとした木の床の上に座っていたのです。

 ここもさっきと同じように真っ暗ですが、匂いにはなんとなく覚えがあるような気がします。そして何よりも、着陸して女がススムを床の上に放り出した瞬間、嵐のように強い風がさっと巻き起こり、部屋の中にただ一つともっていた小さなロウソクをあっという間に吹き消してしまったのです。だけどその前に、ススムはゼロ禅師の姿をその場に見つけていました。こうやって深夜の訪問者があることを予想していたのか、ゼロ禅師は一人ではなく、かたわらにとぐろを巻いて、あのヘビがいることまで見て取ることができました。ということは、ここはゼロ禅師の寺の部屋の一つに違いありません。

 でもすべては一瞬のことで、ロウソクが吹き消されると何もかもが真っ暗な中に沈んでしまったのです。だけどやがて、ほんのかすかですがヘビの体が光り始めたではありませんか。夏の夜のホタルを何匹か合わせた程度でしかありませんでしたが、ゼロ禅師の表情はなんとか見えるようになりました。その光を頼りにそばへ行き、ススムも並んで座ることにしたのです。

 光の当たらない場所を選んで立っているのか、女の姿は相変わらず見ることができませんでした。指を放されても、強く引っ張られていたときの痛みで、ススムの耳はまだじんじんしていました。そして女が口を開いたのです。

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「ゼロ禅師というのはおまえか?」と女は言いました。

 ゼロ禅師がこっくりとうなずくのが、ススムの目に見えました。女はさらに言葉を続けます。

「家来のサルと、このススムという子供の言うことが食い違うので私は困っている。禅師ならば証人になることができるそうなので、こうしてやってきたのだよ」

「そのことなら」ゼロ禅師がとうとう口を開きました。「わしもススム君と同じ話しかできませんな。わしたちが酒蔵へ足を踏み入れたときには酒はすべて飲みつくされ、部屋の真ん中ではサルが気持ちよさそうに眠っておりましたぞ」

「ふうむ」女は腕を組んだ様子です。「疑うわけではないが禅師、ご自分が信用できるちゃんとした人物であることを、まず最初になんとか示してもらいたいものだな。たしかに、おまえとススムの言葉はどちらも真実と思われる。すると私はサルを罰しなくてはならぬのだが、それにはまだ少し証拠が必要なのだよ。でないとサルも納得すまい」

「ああそうだ」ところがこのとき、ススムが突然大きな声を出したではありませんか。「証拠ならちゃんとあるよ。あのサルのポケットに、僕はカマキリの卵を入れてやったもん」

「カマキリの卵だと?」

「うん」いま学校ではやっているイタズラについて、ススムは説明を始めたのです。ゼロ禅師だけでなく、女までが目を丸くしているのが感じられるではありませんか。ススムは続けました。

「昨日、学校の花壇のそばでひとつ見つけて、お姉ちゃんの机の引き出しに入れてやろうと思って持っていたんだよ。それをあのサルのポケットに入れてやった」

「ススム君、そんなことにはわしはまったく気がつかなかったよ」とゼロ禅師は少し感心した声を出しました。

「だって、禅師が酒蔵の中へやってくる前にやったことだもん」

「そうかい」ゼロ禅師はクスリと笑いました。

「ちょっと待てススム」と女の声の調子が変わっています。「それはつまり、サルの服のポケットの中にカマキリの卵を忍ばせたということか?」

「そうだよ」とススムは無邪気に答えたのですが、暗い部屋の中に突然強い風が吹き始めたのは、このときのことでした。意味に気がつき、ゼロ禅師が声をかけたのです。

「おや、どちらへ行かれる?」

「決まっておる。城へ戻って、サルのポケットの中を確かめてくるのだ」と女の声が機嫌悪そうに答えたのはいうまでもありません。

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 ぼんやりと光る白ヘビの体以外に明かりのない中で、ススムとゼロ禅師は長い間待つ必要はありませんでした。部屋の中を吹く風がやみ、女の気配が消えたのは事実なのですが、1分も立たないうちに彼女はまた戻ってきたではありませんか。突然腕をつかまれてひどく驚いたのですが、ススムの手のひらに女は何かを置いたのです。

 長さが数ミリしかない小さく軽い物体で、皮膚の上でうごめくのか歩くのか、くすぐったい感じがします。白ヘビのそばへ行って光にかざすと、なんとカマキリの赤ん坊ではありませんか。背中に羽根がない以外は親と同じ形をしていますが、とにかくミニサイズでかわいらしいのです。そんな小さな虫が10匹ほど、ススムの手のひらの上にいるのでした。

「あれあれ、もう卵からかえっちゃったの?」とススムの声が響きました。

 それに対する女の返事は「私の城では、おまえたちの世界とは時間の流れ方が違うのだよ」というものでした。

「へええ」

「さあて…」ここでゼロ禅師が言いました。「ススム君とわしにかけられていた疑いは、これで晴れたわけですな」

「まあな」カマキリの赤ん坊をススムの手にすべて渡しながら、女は不機嫌そうな声を出しています。ゼロ禅師が続けました。

「あなたのお名前もお顔も存じ上げぬが、いずれかの城の主であられよう。これだけの人騒がせをしたのだから、わびの言葉の一つもあってよいと思いますがね」

「ふん」と鼻を鳴らしましたが、それでも女は何かを考えている様子です。

「ねえ禅師…」ススムは話しかけようとしました。彼としてはもう気がすみ、これ以上ごたごたを起こしたくない。このまま終わらせてしまいたいという気分だったのかもしれません。ところが彼が言葉を続ける前に、再び女が口を開いたのです。

「そこの柱だが」女はある方向を指さしている様子ですが、もちろんススムたちには見ることができませんでした。だけど女が何を意味しているかはわかったのです。「その柱の根元の地中深くだが、金貨が埋まっているようだぞ」

「金貨ですと?」

「その昔誰かがこっそり隠し、いずれ掘り出しにくるつもりでいたのだが、その前にこの寺が建てられてしまい、どうしようもなくなったらしい。ちょうどこの寺の大黒柱が立てられている真下なのだがな」

「あの柱のことなの?」寺の中で一番大きく太い柱をススムは指さしました。建物の中心を上下につらぬき、下部は地面に深く突き刺さっていますが、頂上は屋根にまで達しているのです。元は樹齢何百年という木だったに違いなく、両腕を伸ばした子供が数人で取り囲む必要があるほどの直径があります。「この下に金貨が埋まっているというの?」

 女はうなずきました。「たったの3枚だがな」

「この寺が建てられる前というと、江戸時代のことか」ゼロ禅師がつぶやきました。「しかし大黒柱の下では、掘り出すことはできまいよ」

「そう思うか?」

 チャリンチャリンという音が突然部屋の中に響き、ススムは目を丸くすることになりました。「あれは何の音?」

 でも正体はすぐにわかったのです。金色をした小さな丸い物が3枚、女の手を離れて床の上をすべり、ススムの足元までやってきたのです。かがんですぐに拾い上げたのはいうまでもありません。

「見て禅師、昔のお金だよ」目の前へ持ってゆき、ススムは見せたのです。何やらややこしい漢字が表面に書かれていますが、その細長い形は、時代劇でも見覚えのあるものではありませんか。

「うん、本物らしいね」手を伸ばし、ゼロ禅師も触れてみました。

「ねえ禅師」声を小さくし、ススムはささやきました。「これをもらって、やっぱりお礼を言わなくちゃならないのかな?」

 ところがゼロ禅師は平気な顔をしているのです。「お礼を言うも何も、相手はもうここにはいないよ。恥ずかしくて帰ってしまったのだろう」

 顔を上げてススムはキョロキョロしたのですが、ゼロ禅師の言うとおりだったようです。暗闇の中にはもう何の気配もないのでした。3枚の金貨を残し、女はとっくに姿を消していたのです。この3枚は、もちろんススムたちが平等に分けることになりました。ブタ八の元へはあとでゼロ禅師が届けに行くことになったのですが、「ススム君はどう使うつもりなのかな?」ときかれ、なんだか甘いような強烈な期待と幸せで、ススムの胸はいっぱいになったものでした。大金とは言えませんが、子供のこづかいとしてはなかなかの金額だったからです。

「禅師はどう使うつもりなの?」とススムからきかれると、「この寺も古くなってきたからね。雨漏りの修理でもするさ」というのがゼロ禅師の返事でした。

「ああそうだ」思いついて声を上げ、部屋のすみへ行ってススムはガラガラと窓を開けました。外はもう空が白く、夜が明けかけています。窓のすぐ下には草むらが広がっています。手のひらを何回か振り、ススムはカマキリをそこに逃がしてやったのです。草の葉の上に降りたり、そのまま地面に着地したりして散り散りになり、カマキリたちはすぐに見えなくなってしまいました。


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