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男爵令嬢と王子の奮闘記 作者:olive

5章:永久の別れ

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51.☆告げられなかった想い

レイジ…一人称「僕」 サツキの呼び方「君」
ディーゼル…一人称「俺」 シャナの呼び方「あんた」
2015年11月修正済み
「残念ながら、打つ手はありません」

 悲痛な面持ちでそう報告をしたのは、クライシス家の主治医、ラルゴである。
 だが実際に宣告された本人は、平然とした面持ちで

「そうか」

 と一言呟いただけだった。

「薄々感づいてはいたが、やっぱりか。もってあとどのくらいだ?」
「そう長くはありません。おそらく……」

 ラルゴに告げられた時間は確かに短かったが、その間にできることはたくさんあるだろう。

「このことは誰にも漏らすな」
「ご家族にも?」
「時期が来たら自分から話す。だから頼む」

 そう頭を下げられては、ラルゴとしても首を縦に振らざるを得なかった。

「………ディーゼル様、気をしっかりお持ちになって下さい」

 しかし彼は不安や恐怖などをおくびも出さず、いつものような明るい笑顔をラルゴに返しただけだった。






 彼は自分の死に対してそういった感情、不安や恐怖はあまり感じていなかった。ただ、自分がいなくなった後、誰がレインを守るのかということだけが不安だった。
 だから、自分がかつてレイジという人間だったと知って、シャナの存在を知って、そして彼女がサツキだと知った時。
 ディーゼルの心は狂喜した。これほどにレインにうってつけの女性はいない。彼女には申し訳ないと思うが、彼を守るためなら、どんな犠牲も厭わない。
 王家を守るため、『クライシス家』の嫡男としては正しいことをしたと思っている。
 ディーゼルにとって、「レイジ」という男の記憶は彼に都合のいいものに過ぎなかったのに。






 それが、いつからこうなった。






 こんなもの、ただの他人の記憶だ。前世がレイジだろうが、今の自分はディーゼルだと。そう思えていたはずなのに、前世の記憶が彼を蝕んでいく。

 眠れば必ずレイジとしての記憶の夢を見た。彼は見たことのない世界で――おそらくあれが前世の世界なのだろう――サツキという女性といつも一緒にいた。
 とびきり可愛い訳じゃない。グラマーでもないし、どちらかというと華奢な部類に入る。なのに夢の中の自分は彼女が誰よりも輝いて見えた。

 彼女は夢の中でも、色んな女たちに攻撃されていた。レイジはあのレインと並び立つ程の容姿だったから、まあ無理はないとディーゼルは他人事のように思った。
 しかし、サツキは強かった。何度も危機的状況はあったが、苦しみながらもがきながらそれらを乗り越える彼女は、とても美しく映った。
 無論、レイジもただ指をくわえて守られていた訳ではなく、決めるべきところはきちんと決めていた。不甲斐ないあの幼馴染にもあれくらい漢気があればいいのにと何度思ったことか。
 そうやって幸せを掴みとった二人は、やがて結婚して、子供を産み育て、時々喧嘩しながらも幸せそうに日々を過ごしていった。

 結婚してからも二人は前途多難だった。いくつになってもレイジを自分のものにしようとする女たちは湧いてくるし、レイジの家族にも冷遇されてる節はあった。住む世界が違いすぎる、と激しく野次されることもあった。
 だが彼女はそれに耐え、たまにえげつない反撃を繰り広げながら、何があっても彼の傍から離れなかった。

「レイジさん、愛しています。何があっても」

 辛い時も苦しい時も、彼女はいつもレイジの横では笑っていた。そして、とびきりの笑顔でそう愛の言葉を口にするのだ。

「ああ、僕もだよ、君を深く愛している、サツキ」

 だから俺も彼女に負けないくらい、愛を込めてそう返すのだ――――――――






 違う、これは記憶だ。俺じゃない、言っているのはレイジだ。

 馬鹿馬鹿しい。たかだか過去の出来事だ。そんなものに振り回されて混乱するなんて、らしくない。
 自嘲気味にそんなことを思う。
 しっかりしろ、ディーゼル。そう叱咤して無理やりレイジを奥底に押し込めて、彼はディーゼルとしてやらなければならないことを遂行する。

 だがレイジはますます彼を侵食していく。
 気付けば目が覚めている時でも考えているのはサツキの――シャナのこと。
 レインの側にいる彼女を見かける度、隣に立つのは自分のはずだという想いが湧き上がってくる。そういう立ち位置に彼女を持っていったのは、彼自身のはずなのにおかしな話だ。

「頼むからレイジ、ちょっと大人しくしてくれよ」

 そう言い聞かせてみても、彼は一行にディーゼルから離れる気配はない。
 認めてしまえば楽になるのだろうか。このまま彼と同化すれば、こんなに苦しまなくても済むのだろうか。そうして、レイジとして、サツキをレインから奪ってしまったらこの鼓動もおさまるのではと。

 だがある時、彼は気付いてしまったのだ。

 この激しいほどの胸の痛みは、レイジのものじゃない。
 他ならぬディーゼル自身のものだということに。

 彼の記憶を垣間見ながら、ディーゼルもまた、サツキという女性の人間性に惹かれていっていた。
 誰よりも強くて美しい心は、ディーゼルを強く捉えて離さない。
そういうところに昔の自分も惚れたのだということがよくわかった。そしてその精神はそのままシャナに受け継がれ、レインもまた、自分たちと同じように彼女の心根が好きなんだと。
あの朴念仁は彼女を意識するようなことを口にはしないが、そこは昔から兄弟のように育ってきた仲。見ていれば彼がいかに彼女を大切に扱っているか手に取るようにわかる。

しかしながら、それが分かったところで、今のディーゼルにはどうしようもない。

状況が今と違うものだったなら。
例えばレインが女性恐怖症ではなかったとして。
彼はなりふり構わず彼女を奪いにいくに違いない。
いや、仮に今のようなレインであっても、自分はそんな不憫な体質を持つ友人を捨てて、シャナを自分のものにしてただろう。

残念ながら彼には時間がなかった。

恋心に気付いても、彼女が自分をレイジだと知って互いに気持ちが通じ合っても、ディーゼルには彼女と過ごす時間など残されてはいないのだ。
 この時、彼は初めて死を畏れた。何故もっと生きられないのかと激しく自分の運命を呪った。
 彼にはシャナと幸せになる未来は選択できない。

 だったら。

 自分は最後まで、レインを守るために全力を尽くそう。レイジの記憶、そして彼自身も利用して、シャナに嫌われても蔑まれても、悲しまれても、悪逆非道なディーゼルとして役割を全うしようじゃないか。
 そうでもしないと死の恐怖に呑み込まれて、気が狂ってしまいそうだった。

けれども、そう決意をしていても、愛しい女が目の前で涙を流していたら、自然と体が動いた。
触れるつもりなど初めからなかった。なのにディーゼルとして抱きしめていた。
頼むから泣かないでくれ、俺はあんたがそうやって悲しんだりしているところは、見たくはないんだ。

全くもって勝手な自己主張だ。泣かせているのは自分だ。
そして彼は、これから更に残酷な現実を突き付けるというのに。






「………………っ、この、悪魔…」

予想した通り、彼女は狂ったように叫んだ。せっかく止まっていたはずの涙が、ボロボロとこぼれて床に落ちる。

「最低、最低最低、あなたなんて大っ嫌い!!」
「いくらでも嫌ってくれて結構だ」

 本当は嫌わないで欲しい。俺だってこんなことはしたくないんだ。 
 そう言いたい気持ちをぐっと呑み込む。

「だがあんたは俺のこの要求を呑む。だってそうだよなぁ、そんな嫌悪感を抱かせている相手だが、同時にそれはあんたが愛したレイジだからだ。言ってみれば、これはレイジからサツキへのお願い、と言っても過言じゃない」

 この気持ちを気付かれないように、彼女が思っているであろう最低なディーゼルの仮面をつけたまま、彼は艶やかに笑った。まるで心底楽しんでいるかのように。
それを見て、彼女は更に怒りを覚えるのだ。
 そうだ、もっと恨んでくれ。このディーゼルという男を。そして嫌ってくれ。
 そうしてくれないと、この世に未練が残ってしまうから。せっかく死を受け入れる覚悟をしたのに、揺らいでしまう。

「あなたって人間は、どこまでも卑劣なのね」
「レインを守る。それが俺の役目だからな。そのためならどんな汚いことでもするさ」
「あなたなんて地獄に落ちてしまえばいい……」
「はっ! 言ってくれるね。まぁ俺は元よりそのつもりだが。しかしそんなこと言っていいのか? 俺が地獄に落ちるということは、レイジも同じ運命を辿るってことだぞ?」
「…………………………」

唇をぎゅっと噛みしめる。そのあまりの強さに血が流れ出るが、拭うことすらせず彼女はディーゼルを恨みを込めるように睨みつけた。

「おー、怖い怖い。そんな顔するなよ。せっかくの可愛い顔が台無しだ」

彼女の視線などものともせず、軽い口調で肩をすくめると、ディーゼルは今度は一転して柔らかな雰囲気になる。
それを見た瞬間、シャナがハッと息を飲む音がした。慌てて目線を外そうとするが、目の前にいる彼がそれを許さなかった。
 そっと手を伸ばすと、彼女の顔をゆっくりと自分の方に向ける。抵抗しようと試みるものの、優しげな手は意外に力が強く、無理矢理に前を向かされた。

「レイジ……さん」
「君にこんなことを強いてしまうことを、本当に申し訳なく思う。だけどどうか、僕のこのお願いを、聞いてはくれないだろうか。こんなこと、君にしか頼めないんだ」
「こんなの、ズルイ………」
「当然だ。俺を誰だと思っている。あんたのことは、レイジの記憶のおかげで全部お見通しなんだよ。レインにはお前が必要だ。だからどんな手段を使っても、あんたを逃がすつもりはないさ」

そう言って再び彼はレイジになる。

「愛してるよ、サツキ」

愛の言葉とともに、もう一度、今度は優しく抱きしめる。
 腕の中のシャナは、やはり昔の彼女と同じように華奢だった。

「…………うっ、ひっく…」

言葉にならない嗚咽を響かせて、彼女は更に涙を流し続けた。












 自室で一人、ディーゼルは息を吐く。 
 今日、彼女が部屋から出ず塞ぎ込んでいるという話をレインから聞かされた。原因は火を見るより明らかだ。
 彼女にとってレイジは、心の拠り所だったのだ。そのレイジがこの世で最も嫌悪する男の中にいるだけでもショックだったろうに、更に重い事実を突き付けられたのだから。

 ディーゼル自身が今、死の淵にいること。そらはすなわち、レイジの死を意味する。彼と会うためにこの世界でたくましくシャナとして人生を送っていた彼女にとって、それは生きる意味を失うことだ。
 強い彼女の、唯一の泣き所が、レイジなのだ。
 レイジが死ねば、彼女も後を追って自ら命を絶つかもしれない。
 ディーゼルとしてそれは困る。彼女にはこれから先も、自分の代わりとしてレインを守る壁になってもらわねばならないのだから。

 だから彼は命じたのだ。
 自分の命がこの世界から失われても、決して後を追わず、これから先もレインの妃として彼を守ってほしいと。
 レイジの顔で、レイジの口調で、レイジとして。
 サツキは愛する男に、他の男との人生を生きろと言われたのだ。
 勿論彼女は激しく拒絶した。当然だろう。しかし結局彼女はその願いを聞き入れる。
 それだけ彼女がレイジを愛しているからだ。彼の願いならば、たとえそれがどんなに自分にとって残酷なものだろうと、受け入れる。

 ともあれ、これでようやく布陣が整った。
 ディーゼルとして、できることは全てやった。これで悔いなくこの世界から旅立つことができる。

「…………っていう予定だったんだけどな、最初は」

 全てはディーゼルが思い描いていたシナリオ通り。
 ただ一つ誤算があったとすれば、ディーゼルが彼女に心を奪われてしまったことだろう。

 ディーゼルとしての役割と、レイジとしての記憶と感情と、ディーゼルとしての感情。ちぐはぐな気持ちがより一層彼の心をぐちゃぐちゃにしていく。本当の自分が誰なのか。時々その存在を忘れてしまいそうになる。

 いっそ捨ててしまいたかった。自分を壊してしまいそうな記憶なんて。
 だがレイジがいなければ、シャナをレインに縛り付けることはできなかった。
 彼が自身の中にいたから、不幸な星の元に生まれた可愛い弟分を助けることができる。

 そう考えたら、自分がレイジの生まれ変わりだった、というのは運命だったのではないだろうか。いや、それだけではなく、サツキの心を持つシャナと出会ったのも、もしかしたら自分の死すらも神から定められた天意なのかもしれない。

 そんな風に自分を納得させようとするが、ここにきてどうしてその神様から与えられた運命に抗ってみたくなる。無駄なことだって分かってる。自分の命の灯は既に吹けば消えてしまいそうなほどに弱い。

 レイジの前ではいつも溢れんばかりの笑顔だったのに、ディーゼルの前では、仕方のないことだが頬が緩むことはなかった彼女。
 当然だ。レイジを心から愛する彼女に、自分がレイジの生まれ変わりだと感付かれないよう、細心の注意を払ってレイジの片鱗がひとかけらも見えない最低な男を演じてみせたのだから。
 けれど。
 一度でいいから、ディーゼルに向けて、笑顔の彼女を見たかったと。それが彼の唯一の心残りだった。

 しかし彼に残された時間はもうなかった。
 心臓が早鐘のように激しく脈打つ。不規則なその動きは痛みを伴い、今にも破裂してしまいそうなほどに、熱く苦しい。あまりの痛みに思わず床に膝をつく。
 喉からわずかに細い息が漏れる。普通に呼吸をすることも、もうままならない状態。
 死神の迎えがすぐ後ろに来ているのを感じ取れる。
 朦朧とする意識の中、浮かぶのはレインのことではなく、シャナのことだった。
 最期くらい、クライシス家の人間ではなく、ただのディーゼルとして死にたい。

 彼女の心をずたずたに引き裂いて粉々に砕いてしまった自分に、その言葉を口にする資格がないことくらい分かってる。
 彼女の涙も心の痛みの原因も、全て自分が引き起こしたことだ。
 悪魔のような仕打ちをした自分にそんな気持ちを向けられても、彼女は嫌がるだろう。

 それでも。






 ――――――――本当に好きだった。彼女のことが。






 ディーゼルは目を瞑る。死の間際、瞼の裏に浮かんだのは、ディーゼルとしてはついぞ見ることのできなかった、彼女の優しい微笑みだった。






 そして――――――――――――
 まだ夜も明けない頃。
 ディーゼル・エルモ・クライシスは、静かに息を引き取った。
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