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妾は猫又である。

作者:道草家守
 
 妾は猫又である。名はとうに捨てた。

 飼い主であった娘の哀れな死を看取り、その血をすすったことでこの身を化生となして以降、決まった名は持っておらぬ。

 当時の娘は良き香りのするかつお節をくれての、なでてくれる手が優しかったで、妾にとってあれ以上によい(あるじ)はおらなんだ。

 怨敵であった者共に復讐を果たした後は、ひなたぼっこに良き土地を求め、西へ東へと放浪の旅を続け、江戸から明治へ、さらにはうるさい世界大戦などを渡り歩いてきた。
 それは草原がこんくりいとや鉄骨でなしたびる群に変わった今でも変わらぬ。

 猫缶などと言ううまいモノが増えたぐらいで、人間どもをからかい、日だまりにまどろみ、かつお節とたまのまたたびをたしなむ日々を楽しんでおったのだが、はて。

「ここはどこかのう?」

 くああと、あくびをしつつ伸びをしてみれば、ざわざわと目の前の人間共が騒ぎ出す。

 妾がおるのは、広々とした露天にしつらえられた祭壇の中心であった。
 平らかなそこには妾を中心に幾何学模様と梵字となにやらわからぬ記号が記され、四方には篝火と常緑の木がしつらえられておる。

 張り巡らされた細い注連縄によって分かたれた先には、白砂利の上に敷布を敷いた上にゆったりとした着物に身を包んだ術者めいたものが座しておった。
 その奥のやけに風通しの良さそうな屋敷には、なにやら大勢の人間がこちらを興味津々に眺めておるようだ。

 妾がぷりてぃなのはよう知っておるが、あまり愉快な視線ではないのう。

 とりあえず問いかけてはみたが、人間共は仲間内で話すのに夢中で全く返事が返ってこぬ。

 あんまりに暇なもので、二つに裂けた自慢のしっぽの手入れをしておれば、ようやく屋敷にいる人間が立ち上がって声を上げおった。

「こここここれはどう言うことでごじゃるか! この気味の悪い白い毛並み! 三角の耳、丸い顔! 不気味に伸びる胴体に、あまつさえ尾は二股に裂けておるではないか!」

 ふむ、妾の毛並みは日の本の猫にしては珍しい灰がかった白でな。
 幼き頃より残った青い瞳と相まって、異国の猫と間違われたものだが、言うに事欠いて、気味悪いとは聞き捨てならぬな。

「そ、そうじゃ。これだけの仰々しい儀式をしておいて、召還できたのがただの気味悪い猫一匹だと!? 魔王に対抗しうる強力な式を作り出すというたから高い金を支払ったというのに、この責任はどうとるのだ!!」

 それを皮切りに、屋敷の方からわめき声の合唱がはじまりおった。

 醜い上にうるさいのう……

 いらだち紛れにぱしっとしっぽを地に打ち付ければ、ふるえた空気が一気に広がり、そこにいたもの全員が一斉に黙り込んだ。
 ただ尻尾で地面を叩いただけなのじゃが……まあよい。

「そんじょそこらの猫と一緒にしてくれるでない。妾は誇り高き猫又であるぞ」

 ぴんと、背筋を伸ばして胸を張ってみせれば、皆驚愕と恐怖を顔に張り付けておる。
 うむ?

「化け猫でごじゃると……」
「失礼な。化け猫ではない。猫又で――」

 もう一度繰り返そうとした瞬間、屋敷の人間たちが気色ばんで立ち上がった。

「者共出合えいっ! その化け猫を殺せ! なんとしても殺すのじゃ!!」

 白塗りでおちょぼ口の烏帽子をかぶった見るからに偉そうな男が、しゃくをめちゃくちゃに振り回して命じる。
とたん、術者共が一斉に立ち上がり、呪符を投げつけてきおった。
 そんなもの子供だましにしかならぬと高をくくっていた妾だが、飛んできた呪符が一斉に炎の鳥だの水の蛇だのに変じて襲いかかってきたのにはちとあわてたの。

 おかしいの、妾の知っておる術者は何時間もお経だの祝詞だのを唱えてようやく化生や妖共を追い払えたものだが。
 ま、それも妾には効かなかったがの。

 だがそのようなものとて、妾のぷりてぃぼでぃを傷つけるにはいたらぬ。
 ひょいと飛び上がって炎の鳥を避け、妾自慢の猫ぱんちで水の蛇をしとめた後は、無粋な剣を振りかざして襲いかかってきた者共の頭の上を渡り歩いてやったわ。

「なにをしておる! あの不気味な化け猫を殺すのだ! ひっ!?」

 そのままそのおちょぼ口のもとにたどりついた妾は、手入れは欠かさぬ爪をにゅっと出してみせた。
 わめき散らすおちょぼ口が気に入らぬでの。

「妾は猫又だと言っておろう」

 がりっと、頬に芸術的なひっかき傷をつけてやれば、男は白目をむいて倒れてしまった。
 む、何とも軟弱な男よの。

「右大臣殿――――!!」
「はよう、はよう手当を!」

 大混乱に陥る屋敷の中をすり抜けて、悠々と屋根へ上って脱出した妾は、眼下に広がる景色に目を点にした。
 コンクリートのビルも、ごっちゃりとごみごみしていた町並みもない、見渡す限り、整然とした瓦葺きの屋根ばかりの実に空が広い光景であったのだ。

 そういえば妾は、さきほどまでべすとお昼寝すぽっとでのんびりごろにゃごしていたのじゃが。

 はて、一体ここはどこだろうのう?





  ☆






 あの妙な屋敷から抜け出して以降、新たなお昼寝すぽっとを探す傍ら聞いたところ、どうやらここは妾の知る日本ではないようだの。

 家並みは妾がただの猫だった頃の江戸時代にそっくりであるし、はじめはかの有名なたいむすりっぷ、とおもうた。
 妾がかろうじて猫だった頃は武家は皆、瓦屋根での。お日様に当たるとぽかぽか暖かくなって良い昼寝が出来るのじゃ。

 だが、始まりの屋敷はてれびで見た平安?時代の建物のようであるし、かと思えば、壁を隔てた先は木と土でできておったり、煉瓦で積み上げた石造りの洋館めいたモノが混ざっておる。
 そのような感じでびるこそないものの、平安時代から果ては明治時代までごっちゃになったような町並みで、更には人間の着ている着物の形が妾の知るものとどことなく違うのは、ちとおかしい。

 さらには化生がやたらと元気であるし、なにより、妾のいた場所より術者共が炎だの水だのを生み出して妖怪共を退治するのが普通であるらしいのだ。
 しかも鬼や魔王などと言うものも暴れておるらしゅうての、なにそのふぁんたじー? とついつっこんでしもうたくらいじゃ。

 なにより、そう、このひげに当たる空気が違うのだ。
 以前にいた日の本よりも、空気が濃いとでもいうのであろうか。
 昔から一雨きそうなときにはなんとなくわかったものだが、その濃い気がなにやら囁きかけてくるようになっての、百発百中になった。

「姐さん、そりゃあ精霊ですぜ。そんなことも知らねえんですかい?」

 こちらで知りおうた狸のたぬ吉のあきれ顔に、妾は二股尻尾を叩きつけてやった。

「ぐあっおいらがなにをしたってえんですかい!」
「妾はここではない外つ国からきたと言っておろう。すぐに忘れるでない」
「や、そうでしたっけえ」

 くい、と首を傾げるたぬ吉の面に、妾はもう一度尻尾を叩きつけてやった。
 こやつ、仲間に売られかかっておったのを助けてやって以降妾にくっついてくるようになったが、そのまま狸鍋にでもされておった方が良かったのではなかろうか。
 二度の尻尾あたっくを食ろうたたぬ吉は、少々涙目になったがめげなかった。

「……い、いくら邪険に扱われようと、ついて行きやすぜ。姐さんに拾われた命、恩返ししなきゃ気が済まねえ」
「まったく」

 ぷるぷる震えながらも必死な化け狸に、妾は一つため息を付いて再び歩き出した。
 妾が歩いておるのは町から町へと通じておる街道――の、近くを通る獣道である。
 ちいと蚤が気になるが、飯を調達するとき以外は人里に降りておらん。
 まあ、このような獣の姿故、街道を歩くのは目立つ上面倒じゃ。
 妾の手配書がそれとなく出回っておるらしいしの。

 とはいえ、妾は同族よりもちいとばかし好奇心が強いが、それでも昼寝とかつお節とまたたびが在れば、そこから動かぬ。
 それがなぜ風来坊を気取っておるかと言えば。

「ならばたぬ吉よ、かつお節を探して参れ」
「かつおぶしっていったって……おいらには全然わからんもんでして」

 こやつにさんざん聞いてわかってはおったものの、狸面で器用に困った顔をするたぬ吉に再度ため息を付く。

 この返事からもわかるように、この世界には妾の三種の神器の一つであるかつお節がなかったからなのじゃ!

 日本らしい世界で在れば当然あるだろうと思うたかつお節だが、はじめに降り立った街、皇都(こうと)をくまなく探したが、昆布はあれどかつお節は陰も匂いも見あたらず。

「姐さんの説明からすっと、棒鱈にしか思えねえんですが……」
「ちがわい。あのような匂いも良くないただしょっぱいだけのものではないのだ」

 皇都(こうと)はこのあたりで一番の都で、そこの乾物屋をいくら探しても見つからないのだから、この世界では広く知られた品ではないのだ。
 もしかしたら、妖術なぞが民にも気軽に利用されて保存技術が発達してるで、未だ作られておらぬのかもしれぬ……(ぶるぶる)
 だが都にない、というだけでかつお節をあきらめられるわけがない。
 と、いうわけで妾は、たぬ吉をお供に、愛しいかつお節を求めて行脚しているのであった。

「そ、そうなんですかい。まあ、方々訪ねた結果、西の方にそれらしいもんがあるって噂を聞けましたから。きっともうすぐですぜ」
「うむ、なかなか長かったのう、早くありつきたいものじゃ」
「姐さんが寄り道しなけりゃ、もう半月ばかし早く着いたと思うんですがね」

 ぼそっとたぬ吉がつぶやいておったが、妾はそれよりも久しく食しておらんかつお節のことで頭がいっぱいであった。
 少し燻されたような芳醇な香は薄く削ることでさらに広がり、口に放り込めば、かむごとにじゅわっとうまみが広がるのじゃ。
 ああ、広がる極上の香りが恋しいのう。

「……うむ?」
「どうしたんですかい姐さん」

 突如として立ち止まった妾にたぬ吉が不思議そうな顔をするが、妾は鼻をひくつかせるのに夢中であった。
 かすかであるがこの、香ばしい中にも複雑な色のある芳醇な香りはまちがいなく!

「かつお節の匂いじゃ……」
「へ、かつお節ってえやつは森の中で生えているもんなんですかい?」
「そのようなことあるわけなかろう。じゃが妾がこの香りを嗅ぎ間違えるわけがない。急げたぬ吉! おいてゆくぞ!!」
「姐さんっ本気出さないでくだせえ! おいらが追いつけねえ!」

 駆けだした妾に遅れてたぬ吉が後ろから鈍足で追いかけてくる。

 まったく、妾より一回り以上おおきいというのにだらしないのう。
 むろん、近くに夢にまでみたかつお節が在るとわかってとどまれるわけがない。

 はよう、はよう、はようじゃ!

 とたん妾の四肢は熱くなり、空を駆けるように軽やかになった。

 うむ、こちらにきてからなんとのう力も強く、足も速くなった。念じれば何でも出来てしまいそうじゃ。

 そうして軽やかに空中(・・)を駆け、森を抜けた先の丘で見つけた。

 そこにおったのは、三人組の旅人を包囲する物騒な輩共であった。
 旅人の一人は娘で、かばうように立つ男は厳しい表情で刀を構え、もう一人の男は地に倒れ伏しておる。

 野盗の方はひい、ふう、みいよ……ふむ、ぜんぶで十と少しと言うところか。
 野盗に扮してはおるが、妙に身なりがこぎれいであるし、ほのかに漂う火薬のにおいからすると銃器をもっておるな。

 この世界では未だに飛道具は高いものじゃ、ただの野盗が持てるわけがない。
 かつお節の匂いは、囲まれておる娘っこからしておった。

 ならばどちらに着くかは簡単じゃ。

「ぜひ、はふっね、姐さん……」
「たぬ吉よ、いつもの手はずじゃ」
「ま、またですかい。ちょっ姐さん!」

 妾はやっと追いついてきおったたぬ吉に一声かけると、ばっと茂みの中を駆けだした。
 妾は狩人じゃ。狩人は無駄口などたたかぬ。

「なんだ!? 足下を何かが通ったぞ!?」
「む、ぐはっ!?」

 まさに刀を振りかぶろうとしていた野盗の足を引っかけるように通り過ぎれば、ものの見事にすっころがった。
 すかさず顔をがりっと猫ぱんちじゃ。

「ぐおっ!」
「なんだあ!?」

 沈黙した仲間の姿に動揺する野盗達が銃器を構えて発砲する。
 じゃがその前に妾は茂みに隠れておるし、流れ弾で仲間を傷つけておる。

「皆の者、気をつけろ! 何か化生が紛れておるぞ!!」

 一人の叱咤でようやく統制を取り戻し始めるが、群の頭が誰だか丸わかりで好都合じゃ。
 手近な木に登り、枝をわたり助走をつけて飛び上がり、その男の背後をとった。

「猫、だと!?」

 驚く頭じゃったが、そこはさるもので、すかさず刀を振りかぶってくる。
 刀身は輝き、化生を断つ輝く霊力が込められておるのがわかった。

 だが妾はくるりと一回りして勢いをつけると、その刃に尻尾を叩きつけてやった.

キンッ!と、耳障りな音をさせて刀が真っ二つに折れる。

 知ってはおったが、さすが妾の尻尾じゃ。いつみてもすごいのう。

「なっ!?」

 驚く頭に向けて、妾は控えさせていたもう片方の尻尾を向けた。

「なあぁぁぉぉおぉん!」

 たぬ吉のいう「精霊」と言うモノに呼び掛ければ、妾自慢の尻尾の先にぱっと光が集まり、氷の息吹となって頭に襲いかかった。

「ぐ、お、お……!」

 あっという間にかちこちの氷の像に変わった頭の前にすたりと着地すれば、残った野盗共は焦りと恐怖を顔に張り付けておる。

 そこへざっと茂みをかき分けてやってきたのは、墨衣に袈裟をひっかけた僧形姿の男であった。
 菅笠をかぶった平々凡々なその男は人に化けたたぬ吉である。

 狸のくせになぜ恰幅も良くない若い男なのが疑問であるが。

 たぬ吉は、呼吸を整えると、手に持った錫杖をしゃんっと鳴らし、厳めしくいった。

「そこなものら、事情は知らぬが、無辜の民を襲うとは何事か。これ以上やるというので在れば、式神と共にお主らを成敗してくれる」

 だらだら汗をかいておるのが微妙に残念じゃがの。
 妾はこの通り見た目はか弱い猫であるからの、威厳が全くない故、こうして人間共と関わるときは妾が攻撃をし、化けるのが唯一の特技なたぬ吉に人の対応を任せることにしておるのじゃ。
 どや顔をきめおったたぬ吉にあわせて妾も毛を逆立てて威嚇をしてやれば、野盗もどきは這々の体で去っていった。

「え、あ……たす、かった?」

 静かになると、呆然と娘がつぶやくのが聞こえたが、妾が振り返ったときには腰を上げ、倒れ伏す男にすがりついておった。
 じゃが、地面に染み渡る血の量と匂いはどうにも……

「父上、父上! 浩三(こうぞう)早く手当を!」
「いえ、旦那様は、もう……」
「あ、あ……」

 共人(ともびと)らしい男が娘の肩に手を置き、首を振るのをみた娘は、唇を戦慄かせておった。
 そのまま泣くのじゃろう、とおもうたが、意外にも娘はぎゅっと唇をかみしめたかと思うと、妾とたぬ吉の方を向いたのじゃ。

「このような力在る式神を従えているのをみますに、どこか名のある行者さまとお身請けいたします。私どもを助けていただき、ありがとうございました」
「あ、いや、その」

 まさか丁寧に感謝をのべられるとは思ってなかったらしいたぬ吉が、顔を真っ赤にして素でうろたえておった。
 みっともないのう。

「ですが私どもも旅のみ空。満足なお礼も出来ませぬ事をお許しください。……ですが、必ず、このご恩はおかえしいたします。何かお力になれることがございましたら、ぜひ徳摩(とくま)の国をおたずねください」
「そ、そうでござるか」

 とうとうと語る娘の勢いに飲まれたたぬ吉は、無様な返事をするしかない。
 そうしてまた深々と頭を下げた娘は立ち上がると、投げ出していた荷物を拾ってこの場を後にする準備を始めおった。
 共人もあわてながらそれに習う。

 まったく、男共は頼りにならんのう。

 ため息を付いた妾は、まさに歩きだそうとした娘の足下にすり寄った。
 見上げながら一声鳴いてやれば、こわばっていた娘の顔がわずかに和む。

「猫さん。あなたが助けてくれたのよね。お礼も言わずにごめんなさい」

 いいつつ娘はしゃがみ込むと、妾を抱き上げた。
 うむ、あれだけのことをなした故、気味悪がるか怖がるかとおもうたが、物事を冷静にみれる眼と頭があるらしい。

 妾にまで礼を言うとは良き娘だのう。

 ついでに襟元に頭をすり付けてやれば、かつお節の良き香りがした。
 うむ、やはりこの娘で間違いなかったの。

「どうしたの? おなかすいたの?」

 娘は言いながら妾を撫でたが、この娘、なかなかうまいの……。
 思わず素でのどを鳴らしてしもうたが、妾は出来るおなごなのじゃ。
 のどをならしつつじっと娘を見上げると、娘は困惑した表情になった。

「え、と……」

 どうしたらよいかわからないと思いつつも、妾を離さぬ娘は無意識では気づいておるのだろう。
 悲しみに凍えかけておるその心に。
 妾は後押ししてやるだけじゃ。

 ゆえに娘の腕から身を起こした妾は、前足を肩に掛けて伸び上がり、娘の目尻を痛くないようになめてやる。
 うむ、妾の舌は毛繕いにはちょうど良いが柔肌を傷つけてしまうことがあるからの、やさしくじゃ。

「え……」

 うろたえる娘が、固まった隙に、妾は呆然と立ち尽くすたぬ吉に視線をとばしてやった。
 これで気づかなかったら、猫ぱんちの刑であるぞ。
 だが幸いにもたぬ吉ははっと我に返ると、慌ててこちらへ歩みよってきた。

「あの!」

 突然声をかけられきょとんとする娘に、たぬ吉はぐっと息を詰めつつも、ゆっくりと続けた。

「急ぎ旅と察するが大事な人を亡くしたばかりであるなら、無理をなさらぬほうがよい」
「ですが」
「こうして巡り会ったのも何かの縁、しばしとどまりご父君を弔ってやりませぬか。僭越ながら拙僧が経をあげよう」

 妾を抱いたままの手にぐっと力が込められる。
 見る見る目尻に盛り上がった涙がこぼれ落ちる頃には、娘の嗚咽はとまらなくなっておった。
 うむ、たまにはたぬ吉もよいことを言うの。
 ゆえに、わあわあ泣き出す娘にうろたえるたぬ吉のなさけなさには、目をつぶってやることにしたのじゃ。







 そうして父君の形見を取り分けた後、近くにあった村で道具を借り、良きところに埋めた。
 たぬ吉の言葉は出任せだと思うたが、割合堂に入った読経を響かせた。

「ありがとうございます。これで父も浮かばれます」

 泣きはらした瞳で丁寧に頭を下げた娘は、まだ悲しみの色が濃いがそれは仕方ない。
 一つの峠は越えおったで、後は時が解決してくれるのを待つばかりじゃの。

「す、少しばかり役に立てたようなら良かった」

 挙動不審なたぬ吉だったが、とりあえず日も暮れたと言うことで、その村の無人寺に一泊している間に、珍しく妾が助け船を出さずとも、娘からいろいろ聞き出しておった。

 なんでも娘――お波は、徳摩の国にある海産物問屋の娘で、御店で新たに作り出した商品の売り込みをするために父君と共に上京しておったという。
 幸いにも卸し先と約定を交わし、揚々と帰路へ着こうとしたのだが、その道中あの野盗のような奇妙な集団に襲われだしたのだという。

「誰か、はわかっているのです。隣国の城主が私どもの作る「徳摩節」の製法を知りたがったからで。海路を選ばなかったのも船が全て乗っ取られてしまったからでした」

 かつお節だと思うておったにおいは徳摩節というものらしく、それ作り出したのはお波自身だという。
 ゆえに詳しい製法を知っているのは職人頭とお波しかいなかったのだが、それがどこからか漏れて、お波をともなった道中をねらわれたのだった。
 それを聞いた妾は次の行動を決め、たぬ吉に目配せをしようとしたのじゃが、意外にもたぬ吉が先に言い出しおった。

「お波さん、よければ拙僧を伴いませんかい」
「えっ」
「あいつ等がこのままあきらめるとも思えぬし、道づれがいた方が良さそうだ」
「いえ、でも」
「それに、うちのあね……式神が、お嬢さんをいっとう気に入ったようでしてな。引き裂くのが忍びない」
「あっ」

 お波が妾を見下ろすのににゃあごと鳴いてみせれば、お波は顔を赤らめてはにかんだ。 
 うむ、妾の魅力に陥落しておるの。

 じゃがそこで待ったをかけたのは共人だ。

「ですがひ……お波さま、このような得体の知れぬ者を同行させるなど」
「よいのです浩三。何かあったらそれまで、私の人を見る目がなかったと言うだけのことです」

 ふむ、先ほどからずっと眺めておるが、この共人とお波の間柄も少々訳ありのようじゃの。
 言葉遣いは市井のものに近いが、所作には隠し切れぬ上品さがのっておる。
 ま、それはおいといて、妾は共人の浩三にねらいを定めた。

「ですが……っ!?」

 まだ渋る浩太の膝元にするりとすり寄ると、あまあく鳴いて小首を傾げてみせた。
 黒目をまん丸にして、ちょっぴり上目遣いがぽいんとじゃ。

 妾達を伴うのは、だめかの? だめなのかの?

「う、ううむ」

 思わず手をわきわきと動かして葛藤していた浩三であるが、だめ押しにするりと腕に尻尾を絡めてやれば、渋い顔をにやけさせて妾の背に手を乗せた。

「し、しかたありませんね」

 ふっ墜ちた。

 褒美にしつこくない程度にごろにゃごと甘え声をだしてやると、浩太は相互を崩して妾の毛並みを堪能し始めおった。
 うむ、及第点にはほど遠い故、これっきりにしてもらおうかの。

 と、思っているとたぬ吉が少々ひきつった顔をしておった。

 ふん、野良猫は人にあえて隙を見せることで飯を用意させ、寝床すら都合させるのじゃ。
 物寂しい野郎一人懐柔するくらいくらい朝飯前じゃ。

「よろしくお願いもうします」
「う、うむこちらこそよろしく頼もう」

 深々とお波が頭を下げたのに、しゃちほこばってたぬ吉が応じたことで、話は決まった。

 そうしてお波と浩三、人型のたぬ吉と猫又な妾という端から見れば珍妙な一行ができあがったのだが、案の定隣の国のお殿様から送られてくる刺客は国に近づくにつれて波のように押し寄せてきた。

 うむ、何せもっともかつお節に近い徳摩節である。
 長期保存が出来る上、何より味と香りが従来よりも何倍もよいものなのだ。万金の価値が在ろう。
 じゃが、その刺客どもは妾の猫ぱんちと尻尾あたっくにかかれば他愛もない。

 道中たぬ吉もへっぴり腰でがんばってのう。
 妾に戦い方を教えてくれと頼み込んできたりして驚いたもんじゃが、尻尾あたっくを教えてやったら、うっかりお波達の目の前でやらかしてしもうての。
 むろん刺客は全て追い返したが、狸に戻ったたぬ吉は土下座の平謝りじゃ。

 じゃがお波と浩三は落ち着いたもので、礼すら言うのにたぬ吉は目を白黒させておった。
 坊さんの振りをしておるくせに言葉はあっという間に崩れたうえ、気を抜いた隙に尻尾がでたり耳がでたり、狸の髭がでていたこともあったでの。
 気づかぬ方がおかしい。
 それを知らなかった振りをしてさらに感謝をされたぬ吉は、おいおい泣いておった。

「お、おいらはこの嬉しさを一生忘れねえ。お波ちゃんのために何でもする」

 邪険にされたことしかなかったのであろう。妾にも覚えが在るで、わからぬでもない。
 まあたぬ吉の正体が明るみになったでな、妾も人の言葉を話すようになったのだが、お波達はむしろそっちの方に驚いておったのう。
 妾の野良猫ぶりが完璧だった証明なのだが、何とも釈然とせん。

「お二方の秘密を知った上で、私たちのことを明かさないわけにはいかないでしょう」

 徳摩の国へたどり着く直前、お浪は妾達に改まった調子で切り出してきおった。

「私は徳摩の国を治める亡き父徳摩豊春(とよはる)が娘、徳摩波ともうします」
「それがしは、徳摩家家臣山内浩三と申す」

 まさに武家の姫の風格で名乗られたたぬ吉は天地がひっくり返ったように驚いていた。

「ほ、本物の姫さんですかい!?」
「はい。と、いっても隣国の干渉を許してしまうほどの弱小貧乏国で、私も幼い頃から市井のもの同然に育ちましたが」

 照れたようにいうお波に驚きがさめやらぬたぬ吉は矛先を妾に向けた。

「な、何で姐さんは驚かないんですかい!? お姫様ですよ! お姫様!!」
「お主は妙に人間くさいのう。姫でもなんでもお波のなにが変わるというのだ。したたかで愛らしくお国のために自ら旅にまででる肝っ玉の太い働き者の娘であることに変わりなかろう」
「猫さん……ありがとうございます」

 うれしそうにはにかんだお波は、またりんと背筋を伸ばした。

「財政難から抜け出すために国の威信を懸けて作り出した徳摩節が、最後の頼みの綱でした。ですからなにが何でも取引を成功させなければいけなかったのです。道中半ばで倒れた父のことを考えると胸が痛みますが、私たちが国へ帰れるのは全てお二人のおかげです。ありがとうございます」
「いやあ、お波さんそんな、おいら達はやりたいから着いてきただけさ」
「うむ、たぬ吉がいうことではないが、妾も少々思惑があってのこと。気にするでない」
「思惑、ですか」
「うむ。妾にとっては重大な、とても大事なことなのだ」
「私に出来ることで在れば何でもおっしゃってください。お二人は命の恩人です」

 顔を引き締めたお波に、妾は重々しくいってやる。

「では、妾が立ち寄った際には、お波の作った徳摩節を好きなだけ食させてたもれ」

 目をドングリのように丸くするお波に、妾がぱちりと片目をつむってみせれば、お波はころころとおかしそうに笑い始めた。

「はい! それでしたら私どもの国で暮らしませんか? 小さいですが山に抱かれ、海に恵まれていますから、食べ物にも棲むところにも困りません。もちろん徳摩節も食べ放題です!」
「よう言うた。お波よ、乗った!」
「は、へ、姐さん? 飼われるつもりはなかったんじゃないんですかい!?」
「かつお節食べ放題にまさるものなどない。たぬ吉はどうするのじゃ?」
「お、おいらですかい?」
「たぬ吉さんも人里で暮らすのが苦でなければ、いらしてくださいませんか」

 お波にじっと見つめられたたぬ吉はぽんっと狸しっぽと耳をだして慌てておったが、こ奴に首を縦に振る以外の選択肢など在るはずもない。
 と、言うわけで妾達はお波達について徳摩の国に住まうことになったのじゃ。



 外海を眼前に、背後をぽーんと高い山脈に抱かれた徳摩の国は、冬は海がきらめき、夏は山の深緑が青々と目にまぶしい。
 じゃが、平らな土地が少ないで、米や作物を育てることが難しく、隣国からの作物の仕入れに銭が必要で、徳摩は蓄えが出来ずいつまでも弱小のままであった。
 そこにお波が市井の者と作り出した「徳摩節」の登場じゃ。
 徳摩節は一度都に流れたらば、あっというまに公家や商人を虜にし、売れに売れた。
 千石船に乗せた徳摩節は帰りには大量の生活に必要な古着や小間物を満載し、それと同時に銭をもたらしたのであった。

「これで、子供が飢えることが無くなります」

 ほっと息をつくお波の顔は満ち足りておった。
 お波の願いもあって城を寝床にした妾は、ふらりふらりとべすと昼寝すぽっとを渡り歩く日々じゃ。
 妾のことは城下に広まっており、かつお節ならぬ徳摩節のほかにもうまい飯はどこでも食べ放題。
 しかもだんだんになっている土地柄故、べすとお昼寝すぽっとも選び放題。
 さらにお波のなでなで攻撃に妾は骨抜きである。

 うぬぬ……お波よ、てくにしゃんじゃの。

 野良猫の鏡のような日々を送っている妾じゃが、にーとではなく、きちんと働いておる。
 徳摩節保管倉の見回りをし、大事な徳摩節に手を着けようとする小さなねずみや、作業場に侵入しようとする不届きな大きなねずみ退治じゃ。

 妾は狩人の勘を鈍らせるつもりはないでな、良い肩慣らし相手なのじゃ。
 ほかにもちょっかいを出してくる化生どもと話を付けたりもする。
 時折話し合いに爪を出さざるを得なくなるが、徳摩の国は妾の縄張りじゃ。当然じゃろう?

 そんなことをしておるうちに、ちまたでは妾のことを「徳摩の姫の守護猫さん」「死神化け猫」なぞと呼ぶ輩がおるらしい。
 妾は化け猫ではなく猫又だというておろうに、どうやら妾の爪の汚れになりたいようじゃの。

「猫さーん、猫さーん。あ、いた!」

 べすとお昼寝すぽっとである、かつお節の日干し場の片隅でくてっとしておった妾はお波の声に目を開ける。
 お波は姫のような柔らかものを着てはおらず、市井のものと変わらぬ、何度も水通しをした木綿の着物に股付きの袴という作業着姿であった。
 お波は自分で徳摩節を作ったと言うだけあって、毎日のように徳摩節の作業場へ繰り出し、市井のものに混じってよう働く。

 人にとっては生臭いだけの匂いを少しも苦にせず民と気さくに話し、徳摩節を作っていると思えば、城で色鮮やかな柔らかものを着こなし、城主の姫としての役割ときっちりこなしておる。

 この間など、隣国からの使節が威張り散らすのを、まさに姫という立ち振る舞いで応対し、ぐうの音もでぬままに追い返しおったのには笑い転げたわ。

 妾に名をつけんでおくれ、と言った時も、不思議そうな顔をしながら了承し、お波は妾を「猫さん」と呼んでくれる。
 愛らしくもしたたかで、民を想い、少々お茶目でもある。
 そのようなところが、あの飼い主に似ておる。
 だからかの、なんとのう、はなれられぬのじゃ。

「お波よ、なに用かの」
「猫さんったら、私の用がなにかわかってるくせに」

 うむ、漂ってくる香りでわかってはおるのだがの、聞いてみただけじゃ。
 案の定お浪が笑いつつ差し出されたのは、最高級またたびの枝じゃ。
 ふああ、たまらんのう。

 けりけりしつつ、またたびの枝にごろにゃご懐いておると、傍らにお波がしゃがみ込んできた。

「いつもありがとうね。猫さん」
「己の住処を守るのは当然のことじゃ。気にするでない」
「でも、猫さんが着てから、みんなが和むようになったもの。かく言う私もそう。なんだかのんびりひなたぼっこしている猫さんを見てると、ほっと出来るの。それに徳摩節のおかげで、みんなの生活もだいぶ楽になったし、空元気じゃなくて心から笑顔になれるようになったの」

 遠くを見つめるお波は苦難の日々を思い出しておるのだろう。
 うむ、妾から見てもこの国に着た当時より、人の顔が優しくなった気がするの。
 妾に飯をくれて愛でてゆけるのは、心の余裕があると言うことでもある。

「それもこれも徳摩節を守ってくれる猫さんのおかげなのよ」
「妾はかつお節を食したいだけじゃ」

 なんとのう面はゆくて、にっこり笑うお波から顔を逸らす。

「たぬ吉とはどうなのじゃ。最近顔を合わせないでの」
「たぬ吉さんですか。その、作物勘定所で活躍しておられますよ。そろばんも書類作成もお得意で、今では城のほどんどのお金を管理されてます」
「うむ、あやつ、前から金の勘定は得意であったからなあ」

 あやつ、狸のくせに町中へでて見せ物をして稼いだ金を一文単位で記録しておったのだ。
 そこらの人よりも堅実での、あれには驚いた。

「それに、あのようなお人柄ですから、どなたの懐にもするりと入り込まれて。城のものにも頼りにされております」

 くくく、狸だというのに人柄、というのがおかしゅうてならぬが。

「たぬ吉は、人を化かすことが出来のうて、仲間から追われたでの。人里の方が水があっておったのだろう」
「はい、それはたぬ吉さんからお聞きいたしました」

 まじめな顔でうなずくお波に、妾はくいと視線をあげて見せた。

「おや、それほど深い話をする中にいつの間になったのじゃ?」
「あ、そそう言う訳じゃないんです!」

 とたんにわたわたと慌て出すお波はおもしろいのう。
 お波の笑顔が誰の元で一番輝くかは一目瞭然であるのに、当のたぬ吉だけがいっこうに気づかぬ。
 じゃから朴念仁化け狸から昇格できないのじゃ。
 まあの。気づいてしもうたらあきらめられんようになるじゃろうて、致し方ない部分もあろうが。

「いいんです。私は、たぬ吉さんとお話しできるだけで楽しくてしあわせなのです。私はいつか他国へ嫁ぐ身。多くは望みませぬ」

 こうしてぽっと頬を染めるお波は娘らしく愛らしいが、ちと寂しいの。
 人と化生の恋路はどんな場所であろうと困難が伴う。
 ましてやお波は市井と交わろうと国の姫で、たぬ吉は馬の骨どころか、狸の化生じゃ。
 のんびり和気藹々とした徳摩の城の中でも、お波とたぬ吉が仲良うするのをとがめるものも少なくないでの。
 せめて、お波が泣かぬ結末になってほしいものじゃと見守るぞ。
 たぬ吉は知らぬ。勝手にせい。

「お波は欲がないのう。好いた男であれば押し倒すくらいしても良いと思うが」
「お、押したおっ!?」

 顔から首から真っ赤にすして絶句するお波に、二股尻尾を揺らめかせて言った。

「妾はこの国を気に入っておるが、とくにお主を気に入っておる。夜這いでも駆け落ちでもしとうなったら声をかけい」
「猫さん……」

 怒りかけたり泣きそうになったり嬉しそうに顔をほころばせたり忙しいお波を横目に、妾はまたたびを味わうことに没頭したのじゃったが。

 それからまもなく、お波に縁談が持ち込まれた。




  ☆




 妾が城下をぶらりぶらりと散歩して城へ戻ると、妾のべすとお昼寝すぽっとに裃なぞを着たたぬ吉がこわばった顔で待ちかまえておった。

「姐さん! こんな時にどこへ行ってたんですかい」
「なにっていつもの散歩じゃ。まあ町中も葬式のように静まりかえっておってつまらぬから、とっとと帰ってきたがの」
「当たり前でさあ、何てったってお波ちゃんが魔王に生け贄にされちまうんですから!」

 焦燥と動揺を隠し用がないたぬ吉の言葉は間違いではないが、的を射てもおらぬ。
 お波の元へ来た縁談は、魔王と呼ばれ、大陸中から恐れられている迦楼羅(かるら)国の王からであった。

 民が皆化生である迦楼羅国は、九重(ここのえ)大陸から海へ立てた先にある島一つを領地としておる。
 早々にはたどり着けぬが、海上では船が襲われ、沿岸部の国では化生どもが海賊よろしく上陸して暴虐を尽くしておるのだという。
 その被害を憂えた日輪(ひのわ)国の将軍が魔王に対抗できる神霊を呼び寄せようと大々的な儀式を行ったというが、失敗に終わったそうじゃ。

 ふむ、他人様に頼るからそうなるのじゃ。
 将軍と言うからにはまずは己の力で何とかせい。

 領地に侵入してくる以外は何ら交渉の場を持とうとしなかった迦楼羅国であったが、突然、人の姫を一人よこせと言ってきおったらしい。
 いちおう婚姻であったらしいが、誰しもが化け物の元に輿入れなぞ生け贄と変わらんとおもうた。
 じゃがこの婚姻がなされれば、二度と襲わないと約定もある。
 それでも力ある大名家はもちろんいやがり、たらい回しにされていった結果、弱小国のお波に白羽の矢が立ったのだった。

「徳摩が日輪の属国だから断れないのを良いことに、そんなむごい要求ありますかい!」
「じゃがたぬ吉よ、これを突っぱねれば徳摩は日輪に滅ぼされるぞ。人の事情はおぬしがよう知っておろう」
「で、ですが、これじゃあお波ちゃんがあんまりにも不憫だ……」

 唇をかみしめていたたぬ吉は、不意にざっと袴を払ってその場に座した。

「おいらは出来損ないの化け狸だ。人を化かすのができなくて仲間にすら見捨てられたのを姐さんが拾ってくれた。それどころか、姐さんのおかげでおいらでも生きて言って良いって受け入れてもらえる場所にめぐりあえた。感謝しても仕切れねえ。それを承知で頼みます」

 勢いよく地面に頭をぶつける勢いで妾に深々と頭を下げたたぬ吉は、血を吐くような思いを滲ませていった。

「たぬ吉一生のお願いです! お波ちゃんを、助けてくれやしませんか!!」

 たぬ吉の嘆願に、妾はぱしっと軽く尻尾を地に打ち付けた。

「たぬ吉よ。それは、お波に不幸になれと言うことかの。お波を連れ去ることはたやすかろう。じゃがそれでは腹いせに皇都やら迦楼羅国に徳摩の国が滅ぼされることになるかもしれぬのじゃ。それならば、一縷の望みをかけて迦楼羅へ嫁ぐ方がましと言うぞ」

 なんて言ったって、妾にすら不平を漏らさぬ娘じゃて。
 自分の幸せを押し込めてまで他者の幸せを守ろうとする。
 連れ去ったところで、あの娘は喜ばぬ。わざわざ迦楼羅国に言って婚礼をあげることだろう。
 まったくこんなところまで昔の主に似ているとはの。

「そ、そんなんじゃねえ! ただ、お波ちゃんに幸せに……」
「もしかしたら迦楼羅の国王が良い化生でお波は幸せになるかもしれぬ。その可能性もつぶしてまでことを起こしたいというのか、たぬ吉よ」
「おいらは、おいらは」

 顔を上げて言いよどむたぬ吉に、妾はもう一度、強く尻尾を地面に叩きつけた。
 びくっとおびえるたぬ吉を厳しくにらみあげ、妾は腹の底から声を出した。

「素直になれ、たぬ吉! おぬしの真の望みは何じゃ!!」

 妾の気迫に圧倒されていたたぬ吉であったが、震えながらも泣きそうな顔で言いおった。

「わ、わかってらあ。お波ちゃんはお姫様でおいらはただの人間の振りがうめえ化け狸だ。だからこそほかの化生ん所に嫁にいくなんて冗談じゃねえ。どんな化生より、おいらの方がお波ちゃんを幸せにできる!」

 泣きそうな顔と思うておったらほんに泣いておったたぬ吉は、それでも言葉を止めなかった。

「お願いです、おいらはお波ちゃんが好きだ! このまま横からかっさらわれるのはイヤなんです!」

 言うことは情けないが、今までのどんなときよりも、たぬ吉は男らしい顔をしておった。

「たぬ吉よ、そこはどこの誰よりも、と言うところじゃ」
「す、すんません。姐さん」

 すぐにしょんぼり顔になったたぬ吉に、妾は一つため息をついて、膝の上で握りしめられた拳に、肉球を乗せてやった。

「だが、よう言うた」
「!」
「お波も徳摩の国のも世話になったでの。妾の猫の手を貸してしんぜよう」

 妾とて、このままはイヤなのじゃ。
 驚いた顔で妾を見下ろすたぬ吉ににんやりと笑うてみせれば、なぜかたぬ吉はちょっぴり顔を青ざめさせた。

「ね、姐さん。穏便に頼みますぜ」
「なにを言うか。妾はいつも穏便であるぞ。それにの、お波と徳摩の国を助ける為じゃ。出し惜しみはすべきでは無かろう」
「で、ですがね」
「たぬ吉よ、すべてを救うには何でもする覚悟がなければならぬぞ」

 急に弱気になるぬ吉をぎろりと睨めば、意外にも真剣に見下ろしてきた。

「それはもちろんです。おいらは、お波ちゃんのためだったら何でもやりやす。何でも申しつけてくだせえ」

 うむ、男子というものはいつの間にか変わるものだの。
 弟分の成長に感心しつつ、妾は尻尾を揺らめかせて、しばしたぬ吉と話し込んだのであった。








 お波の輿入れ前夜。
 妾がお波の座敷へ滑り込めば、案の定、お波は夜着のまま廊下に座ってたたずんでおった。

 折しも夜空は晴れ、まん丸いお月さんが一つぽっかりと浮かんでおる。
 何とのう踊り出したくなるような良い夜じゃが、ぼんやりと虚空に視線を投げ出すお波の瞳には、映っておらんじゃろう。

「お波よ。ちと良いかの」
「あっ、猫さん」

 妾が声をかけてようやく気づいたお波は、それでも嬉しそうな笑顔を浮かべて、妾の背に手を伸ばす。
 じゃがやはり不安が色濃いの。無理しているのがようわかる。

 妾の主もそうじゃった。
 最後まで己の真の想いを口にできず、妾をなでて、抱きしめて、ひとときの安らぎを得ることしかできなかった。
 こぼすことのできぬ想いを聞いたところで、叶えてやることなどただの猫であった妾にはできず、ただ、すべてが終わってしまったあとに、その怨敵に復讐をすることしか出来なんだ。

 じゃが、今ならまだ間に合おう。

「お波よ。まことにこれでよいのかの」
「いいのよ。誰かが行かなくちゃいけないの。それならか弱い姫様より私の方がいいに決まってるわ。それに、猫さんやたぬ吉さんみたいな良い化生かもしれないじゃない」
「では、言い方を変えよう。たぬ吉とはこれっきりでよいのか」

 とたんに顔をゆがめてうつむくお波に妾は静かに言うた。
 ただの猫の頃には言えなかった言葉を。

「妾は猫又じゃ。人のしがらみだの掟だのには縛られぬ。言いたいことを言うてもよいのじゃよ」

 やがて、そっと膝の上で拳を握ったお波は、震えるような声音で言った。

「あれから、たぬ吉さんに避けられているような気がして。しょうがないよね。だって。私、他の人に嫁ぐんだもの。しょうがない……でもっ」

 ぼろりぼろりと大粒の涙をこぼしながら、お波は静かに慟哭した。

「できるならたぬ吉さんと一緒になりたかった……!」

 ずっと耐えてきたのであろう、たちまち両手で顔を覆ってしゃくりあげるお波の、その涙を一口、舌にすくい上げる。
 しょっぱいのう。悲しみと愛しい想いが混じり合っておる。
 あまり、味わいとうないものじゃな。
 じゃから、これっきりにしてみせようぞ。
 やがて泣きやんだお波は、どこかすっきりと晴れ晴れとしておった。

「ありがとう、猫さん。最後に、誰かに言えて良かった。お礼が、できるといいんだけど」
「うむ、それなら一つあるぞ」

 ちょこんと座った我を見て、お波は泣きはらした目でもおかしそうに笑った。

「徳摩節をたべほうだい?」
「いいや、妾に名をくりゃれ」

 さりげのう言ったつもりじゃが、お波の目はまん丸になった。

「なんで、猫さん飼われるつもりはないからって」
「気が変わったのじゃ。むろん、今でも飼われるつもりはないがの。おぬしのそばは居心地がよいのでな。帰る場所にしとうなった」

 妾の小さな心の臓がばくばく言っておるわ。
 己でもこのような気分になれるとは思うておらなかったでなあ。
 どうにも気はずかしゅうてそっぽを向けば、お波はまた感極まったように口元に手を当てていた。

「猫さんっ……ついて、来てくれるの」

 うむ、ちと勘違いしておるようだが好都合じゃ。

「どうするのじゃ。お波よ」
「ちょ、ちょっと待ってね! えっとどうしよう」

 催促をすればお波は慌てながらも真剣に考え始める。
 あんまりも悩むで、飽きてきてしもうて、毛繕いを始めてみれば、背中をと整えたあたりで「よしっ」と言うかわいらしい声が聞こえた。

蒼氷(そうひ)で、どうかな」
「おや。青か」
「うん。だって、猫さんの目はとても澄んでいてきれいなのだもの」

 お波は妾の瞳をのぞきこんで嬉しげに言う。

「妾は白い毛並みも自慢なのじゃがの」
「あ、え、ごめん! やっぱり変えようか!」

 慌ててもう一度悩もうとするお波に思わず笑ってしもうた。

「いや、それでよい。妾は今日から蒼氷じゃ」

 まったく、そういうところまで妾の前の主に似ておるわ。
 ただ名前をもらっただけであるはずなのに、この地に足が着いた気分は何なのであろうな。
 自由でないのはイヤじゃと思うておったはずなのに、それが何とも心地よい。

「よろしくね。蒼氷」

 お波は嬉しそうに妾の頭をなでると、うーんと伸びをした。

 「蒼氷が一緒に来てくれるのならもうなんにも怖くないわ! 早く寝て英気を養わなくちゃ」
「いいや、ゆくのは一人だけじゃぞ。いや、正確には一匹だがの」
「え」

 虚を疲れた顔をするお波の額に、妾の肉球が押された。

「そう、ひ……」
「ゆっくり眠るが良い」

 たちまち妾の妖術でその場に倒れ伏したお波を受け止めた妾は、静かに庭へ現れたたぬ吉を見やる。

 ……なんか、超ずびずび鼻を鳴らして嬉しそうにしているのが気持ち悪いのじゃ。

「お波っちゃんがっおいらのことを……!!」
「ええい泣くでない。ほかのものが起きたらどうするのじゃ」

 はっと口元を押さえたたぬ吉は、ようやく己の役目を思い出し、眠り込むお波を大事そうに抱えた。
 そのまま去る手はずであったが、たぬ吉は妾を心配そうに見積めて動かぬ。

「本当に、いいんですかい?」
「……たぬ吉よ、お主もなんとのう勘違いしておらぬか」
「や、だって姐さんはお波ちゃんの身代わりになるんでしょう? そ、そんなおいら……」
「妾と割とつきあいが長いくせに、おぬしはいつまでも阿呆だの」
「こ、今生の別れなのにそれはあんまりですぜ」
「だから阿呆というておる。わかったらとっとと頼んでおったものを出せい」
「そ、そんなあ」

 呆れかえって鼻を鳴らした妾は、例のものを受け取ると、涙ぐむたぬ吉をしっしと追い払ったのだった。





  ☆





 多くの兵たちや見送りの民たちが待ちかまえる中、花嫁の乗る輿は港へたどり着きおった。
 約束通り、日が沈み宵闇の気配が混じりあう黄昏時。
 気の利いたものや城のものが篝火を始めたそのとき、空より訪れるは百鬼夜行の軍勢であった。

 暗雲を引き連れた一行からたちまち一両の牛車と介添えの化生どもが降りてきて、姫を移し替えるように要求する。

 まあ、牛車と言っても牛はつながれておらず、車輪の部分に般若の顔がひっついておったがの。
 おとなしく輿からしゃなりと出て牛車に移れば、周囲からほうっとため息と共に、すすり泣きが聞こえた。
  じゃが無情にもぱさりと御簾(みす)が落とされ、わずかな浮遊感と共に牛車が動き出す。

 ひどい揺れと、外から聞こえる百鬼どもの胴間声は、ただの娘ならば卒倒すること請け合いじゃ。
 全く、おなごを迎える作法がなっておらん。

 そうして牛の弾かぬ牛車に揺られることしばし、ようやく乱暴に牛車が地におろされ、目的地に着いたことがしれた。
 周りから化生どもの気配がぷんぷんしよる。
 御簾をあげられたかと思うと、醜い鬼どもが白の婚礼衣装を乱暴に引っ張り、地面に引きずり出された。

 どうやら屋内の広間のようじゃの。床はなめらかな石が敷き詰められ丁寧に掃除されておる。
 それにしても、意外と洗練されたしつらえじゃのう。寄せ集めの化生の国、未開の野蛮人に等しいと聞いておったが。
 と、すると、目の前におる、面で顔を隠した迦楼羅王らしき化生にもちいと期待がもてるかの。

「ふん、人の子よ。人間の分際でこの地に足を踏み入れ、側室となれることを光栄に思うが良い」

 同時に周囲にいた百鬼もげたげた笑い、はやし立て始めおった。

「……ほう」

 訂正じゃ。こやつらぎるてぃ。

 妾は猫をかぶるのをやめ、かぶっていた綿帽子を引っ張っておった小鬼をひっつかむと、壁際に投げ飛ばした。
 ズガン!! となかなか良い音がして、一気に広間が静まりかえる中、妾は脱げた帽子にかまわず、打ち掛けを落として加速し、眼前におる面を着けた化生に鋭く爪を振り抜く。

 じゃが、喉元をねらったそれは寸前でよけられてしもうた。
 掠ったことで面がはがれ、二本角の赤鬼のまさに鬼の形相が露わになるにとどまる。

 ちっ、群の長を倒せればらくちんと思うたが、さすがに簡単にはやらせてくれないの。

「くっ! 貴様、人の姫ではないな! 姿を現せい!!」

 距離をとろうとしたが、金襴緞子の花嫁衣装が存外重く、赤鬼が放った妖術に当たってしもうた。
 ぼんっと何とも間抜けな音と共に、たぬ吉に施してもろうたお波の姿がほどけ、妾本来の姿に戻る。

 ぱっと、艶やかな白銀の髪が散って頬をくすぐった。

 うむ、ばれてしもうては仕方がないの、と、爪で動きにくい裾を切り裂けば自慢の二股尻尾が解放された。

 ああすっきりなのじゃ。

 たぬ吉は人を化けさせる事もできるでな。
 あらかじめ人に化けた妾の、目鼻顔立ちだけお波にできるよう組んだ術をもろうたのじゃ。

 人に化けるなんて何十年ぶりでの、負担にはならぬのじゃが、耳の形がちごうておったり、尻尾がなかったりして違和感がはんぱなかったわい。
 ま、それはともかく、呆然とする百鬼どもをくるりと見渡し、妾は牙をむいてやる。

「さあ、朴念仁の唐変木ども、妾の爪の汚れにしてやるでな、さっさとかかってくるが良い」

 くいくいと、爪の伸びた指で挑発してやれば、赤鬼はじめとする百鬼が見る見る頭に血を上らせるのが手に取るようにわかった。

 妾の考えた策など単純じゃ。
 ようは、お波の嫁ぎ先が無くなればよいのじゃろう。
 この国は化生の国。強いモノが長になる。
 ならば、妾がここで一番になればよいのじゃ。

 たちまち襲いかかってくる百鬼に対し、妾は久しく感じなかった闘争の愉悦にちろりと唇をなめたのであった。



 妾はこの世界に着てから、足がはようなり、力が強くなり、妙な術まで使えるようになったが、それでも本気を出すことはことはほとんどなかった。

 妾は狩人じゃ。それゆえに確実に獲物をしとめる方法を考える。
 逆を言えば、しとめられるだけの力と技術があれば良く、それ以上は無用の長物であったのだ。

 じゃが、今、このときだけは全力を出そう。

 徳摩のため、お波のため、ちょっぴりたぬ吉のため。そして、妾がお波の元へ帰るために。
 妾は売られた喧嘩は猫ぱんち三倍返しと決めておるでな。

 じゃがさすがにはじめに頭をしとめられなんだのはきつかったのう。
 と、妾は、ぼっこぼこにした赤鬼を前に、すっかりあがってしもうた息を整えておった。

「くそ、このような化生がまだ九重大陸にいたとは……貴様は危険だ! この場でしとめる!!」
「ぬしはそういうがの、そなた等の配下はすでに半分以上が倒れておるぞ」

 ゆっくりと立ち上がる赤鬼は憎々しげに妾を睨むだけで、言い返してはこぬ。
 広間には襲いかかってきた百は下らぬ化生が倒れ伏しておるからのう。

 じゃがさすがに筋肉むきむきの鬼だけあってしぶといしぶとい。

 妾なぞ、せっかくの豪華な婚礼衣装が血でまみれて、金襴緞子の帯なぞとうにほどけてどこかへ行ってしもうた。
 現徳摩家当主であるお波の兄が、お波のために大事に大事に仕立てた花嫁衣装じゃから、ちと心が痛まぬ訳ではないが。

 妾もかまっていられるほど余裕はないのじゃ。許せ。

 逃げていった化生が何人かおったからの、増援が呼ばれる前に目の前の赤鬼だけはしとめねばならぬ。
 ゆらりと二股尻尾を揺らめかせ、妾は気づかれぬようにそっと準備を始め、赤鬼も、体中に力をみなぎらせる。

 まさにぶつかり合おうとしたとき、圧倒的な気配を感じた。

 物理的な圧迫感さえ感じそうな強い化生の気配に、思わず走り出そうとした足を止めてしまった妾は、赤鬼の顔が真っ青になるのを見て取った。
 や、顔は真っ赤なのじゃがな、ほんとに青ざめてしもうておるのじゃ。

(しゅう)この騒ぎは何だ! 俺に無断で人の娘をかっさらってくるとはどういう了見だ!!」

 そうして突然現れたのは、絢爛な中華風の長袍(ちょうほう)を無造作に着崩した黒虎の頭の男であった。
 じゃが、まとう覇気が違う。
 野性的で乱暴な仕草であるはずなのにその一つ一つに気品が宿り、王者の風格を漂わせておる。
 もしや妾は……

「王っ! こちらは危険です! お下がりください!!」

 秋と呼ばれた赤鬼が焦ったように呼ばわったことで、妾は己の勘違いを悟った。
 動揺を押し殺し、妾はすぐさま黒虎(こっこ)の化生に向けて走り出し、尻尾にためておった渾身の妖術を放つ。
 その直前黒虎と目があった。
 見開かれた金の瞳は妾が生じさせた絶対零度の吹雪によって遮られる。

 広間すべてが白の世界になった。

 これで凍ってくれれば御の字じゃが、おそらく無理じゃ!

 ゆえに妾は自らその吹雪の中に身を投じ、背後に回り、研ぎ澄ませた爪を急所へ振るった。
 が、突然、吹雪の中、半分凍りかけた腕が妾に伸びてきた。
 白引き振袖の裾と袖がはためき、吹雪が散じた瞬間、妾はなぜか黒虎の腕にとらわれておった。

 目の前には黒虎の表情は歓喜に彩られ、興奮に黒目がまん丸になっておる。
 腕は凍りかけで危ない感じであるのに、それすら気づいてないようだ。

「ああ、こっちで俺と似た生き物に出会うたあこんなに嬉しいことはねえ」

 全く敵意がないのがかえって怖い。
 な、何じゃ。

「おう、あんたに合わせた方がいいな」

 変化の術を使ったらしく、みる間に黒虎の頭がほどけ、野性的で無骨な美しい男の顔が笑んでおった。
 黒髪がさらりと流れ、頭にはひこひこと虎耳が動いておる。

「な、なんじゃ!?」

 さすがの妾も混乱しておれば、黒虎はとろけそうな笑みで妾の顎に手をかけた。

「俺の名は黒炎(こくえん)だ。なあべっぴんさん、俺の番になってくれねえか?」

 ……つがいじゃと? だれが、誰の?



「「「「「はああああああ!?」」」」」



 赤鬼とほかの百鬼どもが絶叫したで、妾は叫び損ねてかえって冷静になってしもうた。
 こやつ、妾を嫁にしたいと?

「こんな真っ白できれいな毛並み! 俺の腕に収まるちっちぇえ体! 何よりこの強い青の瞳なんて宝石みたいじゃねえか。こんなべっぴんさんそうそういねえぞ!!」
「お考え直しを! 人の元から着てあまつさえあなた様のお命をねらおうとした化生ですぞ!」
「てめえらずっと俺に嫁とれ嫁取れうるさかったじゃねえか。しかも俺に黙って人の国から輿入れさせてきたの、結構頭にキてんだからな」

 牙をむいて威嚇された赤鬼と百鬼は青ざめて縮こまった。
 ようわからんがどうやら、迦楼羅国がわにも事情があるようじゃの。

「俺がこいつに(たま)ぁとられたらそんときだ。なあ、べっぴんさんよう。俺のつがいになってくれよ」

 人型になっておるのにのどを鳴らす雰囲気ですり寄ってきただけでなく、黒い尻尾を妾の白尻尾に絡めてきおった!

「なにをしくさっておるこの小童(こわっぱ)が!!」

 妾渾身の猫ぱんち(爪付き)をもろにくらった黒虎は妾ごとその場に倒れ伏す。

「お、王ぅぅぅぅ!!」

 赤鬼達の絶叫が聞こえる中、黒虎の腕から抜け出した妾は、なぜかどきどきする胸を押さえて、ちとしまったかもと、何百年ぶりかの後悔をしたのであった。






 ☆






 敵もさるもので、すぐさまむくりと起きあがった迦楼羅の王、黒炎はそれでも妾を最上級の賓客待遇でもてなしてきおった。
 やたらめったら妾を膝に乗せたがるのをよけながら事情を聞き出せば、今回の縁談はほんに縁談で、いくら化生の娘を薦めてもなかなうんと言わぬ黒炎にしびれを切らした家臣どもが、人の娘なら良かろう!と勝手に先走った結果だったそうな。

「とりあえず後でシメとくから安心してくれ!」

 笑顔の黒炎の後ろで家臣どもが震え上がっているのには同情せん。
 妾たちも迷惑を被ったでな。
 じゃが妾の受難はそれからであったの。

 寝てもさめてもでっかい黒虎が妾にひっつき追いかけ回し、口を開けば「好きだ、美人だ、嫁にこい」じゃ。
 やはりこの黒虎、妾より五十歳も年下であった。

 うるそうてたまらんしなにより落ち着かん。

 と、言うわけで渋る黒炎を説き伏せ、もう二度と人の姫は要求しない。と言う確約をとった数日後に徳摩の城へ送ってもろうたら、人に止められながらお波が庭に出てきおった。

「蒼氷、私は怒ってるんだからね!!」

 言葉とは裏腹にぼろぼろと涙をこぼしながら人型のままの妾を抱きしめるお波の背に、妾はそっと腕を回した。

「うむ、すまなんだ。お波よ、ただいまじゃ」
「っおかえり! だけど声が軽すぎるわ!!」
「すまぬすまぬ、じゃが妾が蒼氷だとようわかったの」
「当たり前じゃない! 蒼氷が人間だったらーっていうまさにその通りの容姿だし、その白い猫耳にさわったら気持ちよさそうな白い二股尻尾は蒼氷よ!」
「お、おう、そうであるか」

 お波の剣幕に妾が気圧されておると、同じ牛車に乗っておった黒炎が降りてきおった。

「おーここが人の城か。爪のとぎがいがありそうな柱がいっぱいだな」
「黒炎よ、国主であれば、ちと言動を慎めい」

 黒い美々しい男の姿をしておる黒炎に、お波とその後ろから出てきたたぬ吉があんぐり口を開ける。

「あ、姐さん。その方は」
「迦楼羅国の王だ。ちと、徳摩当主に面会できぬかの」

 一瞬の沈黙の後、徳摩の者たちの絶叫で、城が揺れた気がしたの。
 妾の耳がきーんとなってしもうた。
 とりあえず、上を下への大騒ぎになったが、徳摩家当主と迦楼羅国王の会談となり、正式にお波との婚姻は消滅となり、さらに和睦が結ばれることとなった。

 当主は魂が半分抜けておったが、まあよい。

 それにしても黒炎め、このような場ではきちんと国主らしく振る舞うとはずるくはないかの。
 まあ、徳摩を滅ぼそうとせぬように、最高級徳摩節攻撃をしたがのう。
 虎とはいえやつも猫、あっけなく陥落しおったわ。

「こいつは是非ともうちに欲しい! ついでにいくつか欲しいもんがあるから買わせてくれ!」

 なんでも沿岸の国を襲っていた、というのは貿易を持ちかけようとしていたのを襲撃に間違われたからなのだという。
 じゃが、手に入らないからと海上で船を襲っておったと言うから同情の必要はないの。
 と、言うわけで徳摩と迦楼羅の貿易はその場でとんとん拍子で決められ、たぬ吉が責任者に決められた。
 国の外交がかかっておる重大事業に腰が引けるかと思うた意外にもたぬ吉はやる気である。

「おいらがこの仕事をうまくやれば、お波ちゃんをめとらせてもらえる約束ですんで」

 どうやらたぬ吉はこの数日の間に当主へ土下座し説得し、妹にほだされた当主が折れたのだという。
 うむ、お波の幸せそうな顔は良いものだの。

「それに、徳摩と迦楼羅がつながっていれば、姐さんのお役にも立ちますから!」

 じゃが、たぬ吉のすべてわかってます的などや顔が意味わからぬ上うざかったので、祝い代わりに尻尾あたっくを顔面に見舞ってやった。






 久々に徳摩のべすとお昼寝すぽっとでのびっとしていれば、この最近でなじんでしもうた黒虎が、妾を囲むように丸まってきおった。

「蒼氷と言うのだな。あの人の娘に名付けてもらったのか」
「あの娘は妾の友じゃ。そして妾はこの地を帰る家と決めた。ゆえにいくら脅そうとねだろうと迦楼羅にはゆかぬぞ」

 ちろりと牙を見せてやれば、じゃが黒炎はちいと心外そうな顔をしおった。

「あの娘は徳摩節を作る魔法の手を持っているから殺すには惜しいし、おまえが大事にするモノを壊す訳ないだろう。ただ、良い名だと言おうとしただけだ」

 先走った気まずさに尻尾を揺らめかせつつそっぽを向いて丸まれば、振りにべろりと背をなめられた。
 なにぶん体格が違うからの、ひと舐めで胴のほとんどを覆うのじゃ。
 次いでに強さも違うでの、身体を持っていかれそうになる。

「なにをしよる!」

 眠ることができなくなった妾は、背を逆立てて抗議すれば、黒炎はじっと熾火のような琥珀の瞳で見下ろしてきておった。

「蒼氷、俺はあんたが良い。あんたにそばにいて欲しい。俺だけを特別にして欲しいのは本当だけどよ。あの日、この国の奴らのために血濡れの花嫁衣装を翻えすあんたに惚れたんだ。だからよ、徳摩を捨てろなんて言わねえからさ。俺のそばも帰る場所にしてくれないか」

 そうして、妾の腹に頭をすり付けてきおった黒炎に、妾は途方に暮れてしもうた。
 まったく。でかい図体のくせにごろごろ甘えた声で鳴きおって。

 この身を化生と成して数百年。情を交わすことも、想われることも無いわけではなかった。
 だが、それは長い時を紛らわす遊技のようなもの。
 仕掛けられればつきあうのみで、強いて欲しいと思うたことはない。
 じゃが、これほどまでにまっすぐに、あけすけに思いを伝えられたのは初めてでのう。

「ふん、あんなへたくそな毛繕いで、妾をつがいとしようなぞ片腹痛いわ」

 するりと立ち上がって逃れた妾に、黒炎は地面に伏せてしょんぼりとした顔をしておったが、はっとする。

「毛繕いがうまくなったら嫁に来てくれるんだな!!」

 無言を肯定ととったのじゃろう、嬉々とした黒虎が、昼寝をあきらめ町の散歩に切り替えた妾の隣に、走り寄る。
 まったく、なんと頭がおめでたいやつじゃ。


 ……困るのは、妾もそう悪い気がしておらぬと言うことなのじゃが。


 とりあえず、黒炎よ、その図体でじゃれつこうとするでない!

 その後、徳摩の城下を黒の虎と白の猫が寄り添って歩く光景が有名になってしもうたのは、妾の不覚であった。




 妾は猫又である。名は蒼氷と言う。

 異世界なんぞに呼ばれても、大して変わらぬと思うておったが。
 べすとお昼寝すぽっとに、うまいかつお節とまたたび。
 さらに良き友とまあまあ良き弟分に恵まれ、そう遠くない時分には伴侶ができるらしいこの世界は、なかなか幸せなのであった。




 《おしまい》




ここからは頂き物のご紹介になります。
じゃのめさんから頂きました、花嫁衣裳な蒼氷!

挿絵(By みてみん)

血染めの花嫁衣装に、爪を構える姿が華麗でほれぼれとしてしまいます。
じゃのめさん、ありがとうございました!


さらに、めたるぞんびさんより頂きました、蒼氷と黒炎っ。

挿絵(By みてみん)


さらにさらに頂きしは、うちの宿六がすみませんねぇな蒼氷と黒炎のコンビです。

挿絵(By みてみん)

夫婦漫才をやって欲しい……っ。
めたるぞんびさん、ありがとうございました!
猫又さんのそれからも気になる? でしたらこちらもどうぞ
『妾は猫又である。~徳摩に夏がやってきた~』

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