サンチョ・キホーテちゃん危機一髪
もっとも大きな検問所はセゴビアの中心、アソグエホ広場に設けられていた。主要な街道はここで交差し、またそれぞれの地方へと別れていく。セゴビア市街地の広がる盆地の最も低い場所だ。この谷間をこえて水を運ぶため、古代ローマ人は途方もなく巨大な水道橋を建設した。
細い路地も含めてすべての道に兵士が配置され、人も馬も自動車も、検問所へ誘導された。ここを通らずには先へ進めなくなっていた。戦時中のせいか、夜だからか、さほどの渋滞は発生していなかったが。
グリエゴ神父と僕は、ポルトガルからミルクや作物をマドリードに売りに行く農夫とその孫娘、という設定で変装していた。兵士達が探しているのは若い女と少年、馬のセット。変装したぼくらは老人と少女、馬車のセット。姉と僕の荷物はそのまま農夫と娘の旅の荷物としてごまかせると思えた(姉が気に入っていた修道女の服は、残念ながらバラック小屋に置いていくことにした)。したがって、検問でひっかかる要素はなにもないと想定された。
だが、想定外の事態は想定できないから想定外なのだ。なにが起こるかわからないので、ボロがでないうちに、なるだけはやく検問を抜けようというのがグリエゴ神父の作戦だった。
神父は訛りのきついポルトガル語でまくしたてた。
「あんダら、なんがい検問すりゃ気がすむダべか?この街さ入って、なんがい検問されダと思っデいるダね?こんなんじゃ、マドリードさ着くころにはミルクが腐っヂまうべよ!」
「いったいなにをわめいているのだ?このポルトガル語はわたしには無理だ」
ドイツ訛りの兵士が当惑して同僚に言った。ポルトガル語がわかるらしい、スペイン人兵士が助け舟を出した。
「このオヤジはな、マドリードの連中が攻撃されていると聞いて、矢も盾もたまらずミルクをブリキ缶につめこんで、ありったけの野菜をのせて、田舎から出てきたらしいのさ。きっと食料が不足してるだろう、高く売れるはずだ……と皮算用したんだな。笑っちまうぜ、アカしかいないあの街の連中が、カネなんぞ持ってるわけ、あるかい」
「ブリキ缶でミルク?いまどきか?フランダースの犬か?」
「19世紀に生まれた人間に時代の変化なんて関係ないのさ。十代のときに覚えた生き方を死ぬまで続けるだけ。オレのジイさんもそうだった」
ドイツ訛りの兵士は、おそらくナチスが派遣したのだろう。鍵十字の襟章でもつけていたのではないかと思うが、あいにく僕は変装のためにメガネを外していたためよく見えなかった。そういうわけだから、この項の外観に関する描写は、近眼の僕が、そのぼやけた視界から受けた印象を文字にしたものだ。写実ではないことをあらかじめことわっておく。
ポルトガル語のわかる方の兵士が、なだめに入った。
「なあ、じいさん、あんたの言い分はわかるが、危険人物がうろついているんだ。オレたちがきちんと調べないと、みんな安心して通行できんのだよ」
グリエゴ神父が帽子をかぶりなおした。僕への合図だ。リハーサル通り、僕は女声をつくって、ポルトガル語で甲高くわめいた。
「じいちゃん! オシッコ! もれちゃう! がまんできない!!」
そう、台本にあった僕のセリフはこれだけだった。
「孫も切羽つまっデおるダ、なあ、通しデくれんかね?」
とグリエゴ神父。兵士はあきらめたように言った。
「わかったわかった……オレたちもジジイを探してるわけじゃない。行っていいぜ」
これでひと安心……と思いかけたら、それに続いた言葉が僕たちの(おもに僕の)安堵を絶望に変えた。
「……ただし、そっちのおにゃのこの身体検査がすんだらな」
脂ぎった顔をした兵士は目を細めてニヤニヤと笑みを浮かべた。
グリエゴ神父は焦って言った。
「なっ……?見てのとおり、ただの子供じゃぞ?」
ポルトガル語だが、焦るあまり、訛りが消えていた。だが、兵士は気付かなかった。僕をジロジロとなめまわすように見るのにいそがしく、それどころじゃなかったようだ。
「わかるもんか。服の下にダイナマイトを隠したテロリストかもしれん」
「……わしだって、隠してるかもしれんじゃないか」
「ジジイの服の下に用なんかあるか!」
兵士は一喝した。もはや、検問という建前を守ろうともしていなかった。
派遣されたナチ兵も口元をいやらしく曲げて言った。
「この少女、この歳ですでにコミュニストかもしれぬ。貴族の家から盗み出したスペインの資産である宝石を隠しているかもしれんな。女性だけが持つ部分に」
「おおーっと!さすがドイツ人、論理的に目のつけどころがちがうぜっ!まったくだ、そこは!ぜひ!たしかめなくてはな!そこは!」
頭に巻いた赤いカチューシャを震わせて、僕は絶句した。
「ブヒヒ、ふるえてるな……声も出ないってか?かわええなあ」
兵士は荷車にのぼり、にじりよって、白いブラウスの上から僕のぺったんこの胸をサワサワとなでた。
「まっ……待て!」
グリエゴ神父は叫んだが、さらに別の兵士に制止させられた。
「だまって見てな、じいさん。この銃が見えねーのか?」
そして小声で言った。
「すまねえな。オレだってヘドが出そうなんだが、あの二人の方が階級が上なんだよ」
ほとんどの軍隊がそうだと言えるが、ナショナリストの軍隊では特に、階級は絶対であり上官にはさからえなかった(なお、リベラリストが作った共和国派側の軍隊にはそのような決まりがなく、軍隊内でさえ自由が尊重された。結果として共和国派の軍隊では作戦が作戦どおり行われることがまれで、面白いように敗北した)。
部下のぼやきが聞こえたのかどうかわからないが、ドイツ兵は神父に言った。
「我々とて勤務中である。なにも男性器を挿入しようというわけではない。あくまで、スカートの下の、スペイン語でいう所の『下の服』に隠された部分を目視と触接で調査するだけである」
荷車にあがった兵士はブラウスの上から胸をなでるのをやめると、フラグが立ったといわんばかりに、次に僕のスカートにめくりあげた。
「おじょうちゃんがわるいんだよおおおおおお。オシッコがもれちゃうなんて言うからあああああ。おぢさん、スイッチがはいっちゃったんだああああ。もお止まんないよおおおおおおおおおおお」
僕は絶句した。
「いくらでもおもらししていいからねええええ。ずぇ~んぶ、おぢさんがきれいにしてあげるからああああああ」
ぼく絶句。
「あれれれれええええ?まるで男の子のはくような下の服なんだねえ。女の子なんだからオシャレしなきゃいけないよお?こんなのはいてたら田舎娘ってバカにされちゃ……いやっ!いいっ!その素朴さがいいっ!いいんだよおおおうっ!はぁーん、素朴でいい下の服だなあ。この下の服の中身も、まだ未使用の素朴な色とかたちをしてるのかなあ?いま、おぢさんがたしかめてあげるからねえええええ」
絶句絶句絶句絶句絶句絶句絶句絶句絶句絶句―――――――――!!!!!!!!!!
兵士の、太くて、節くれだった、ゴツゴツの、汚れた、色黒の、固そうな短い毛がびっしり生えた、爪の垢がみっちり詰まった、トイレに行ったあと洗ってなさそうな、マメやタコのできた、皺の深い、何度引金を引き何人を殺したか本人も覚えてないであろう、その指が、僕の下の服を脱がそうとしていた。
このまま僕の、男性だけが持つ部分があらわになれば、検問を無事に通るのは難しくなる――
だが、兵士はその仕事をまっとうできなかった。閃光と爆発音。爆風。いななくロシナンテ。ふっとぶドイツ兵。荷車に上がった兵士も爆風を背中にモロにあびて、僕を押し倒した。それらが一秒以内にいっぺんに起きた。
僕はあらん限りの力で気を失った兵士を払いのけて荷車の下に投げ捨てた。
なにが起きたのかわからず右往左往する検問所の兵士たちに、高らかに犯行声明が投げかけられた。
「ダイナマイトを持ったテロリストなら、ここにいるぜ!」
見覚えのある覆面。聞き覚えのある声。ブルゴスで落下する姉を救った、正体不明の覆面男が、そこにいた。右手にライター、左手にダイナマイト。ほら男爵の腰にくくりつけられたカモのように、たくさんのダイナナイトが腰のベルトにはさまれていた。
怪我のなかった兵士が銃をつきつけて言った。
「だれだ!?貴様はっ!」
おそらく彼は出世できず戦場で死ぬタイプだ。質問なんかしてる場合じゃなく、つきつけた銃の引金をひくべきだった。覆面男は物陰にとびこんで身を隠しながら、ドルシニオ氏そっくりの声で挑発した。
「貴様らザコに名乗れるような安い名前じゃないが、本日は特別無料セール実施中だ!教えてやろう、我こそは千の手配書を出された男、ミル・カラニアヤシ!!」
「げえっ!あの凄腕レジスタンスの、ミル・カラニアヤシか!おおい全員集まれ!」
駆け寄ってきた兵士の一人がぼくらに叫んだ。
「じいさん!ここは危ない!さっさと行ってくれ!」
「ほいきたがってん」
言うが早いかグリエゴ神父は軽くムチをふるい、ロシナンテを走らせた。ロシナンテもここぞとばかり全力疾走した。
わらわらと集まってくるファシストたちに、ミル・カラニアヤシは次々とダイナマイトをお見舞いしていた。
「きさまらなんぞにつかまるカラニアヤシ様じゃないぜ!あばよ!」
遠ざかる僕の耳に、かすかにそうさけぶのが聞こえた。
ミル・カラニアヤシ。内戦勃発前、主にバスク地方では名前の知られたレジスタンスだった。神出鬼没・大胆不敵。数年間、カスティーリャ人たちを怯えさせたあと、突如ぱったりとその活動を聞かなくなった。死んだのか、引退したのか、人々は結論の出ない議論をしばらく続けた。
いま、僕はカラニアヤシの正体をなんとなく知ってしまった。予想が正しければ――すなわち、カラニアヤシの正体がドルシニオ氏なのだとしたら、なぜ二十歳そこそこのドルシニオ氏がバスク社会労働党のゲルニカ支部のリーダーに抜擢されたのか、納得もいく。アナキストの中にドルシニオ氏の裏の顔を知る者がいて、その手腕を買って表舞台に立てるよう手を回したのだろう。
かくして、伝説のバスク人レジスタンスのミル・カラニアヤシはいったん消えた。そしてゲルニカ空爆を機に復活した――というわけだ。
ぼくは、揺れる荷車の上で脱がされかけた下の服をひっぱりあげ、まくられたスカートを直すと
「ありがとう、ドルシニオ氏にそっくりな声の、ミル・カラニアヤシ……」
と、心の中でつぶやいた。
ロシナンテは疾走し、姉と合流する約束の場所である、南東側の橋の端に、早々に到着した。まもなく、フランコ軍の兵士達が目を皿にして消えたミル・カラニアヤシを探しに来た。
僕達はあやしまれないよう、わざと目に付く場所で堂々と仮眠するフリをした。僕はときどき本気で眠ってしまい、荷車を調べる兵士に起こされるハメになった。幸い、兵士達は不埒なお楽しみをやってる場合じゃなかったようで、僕の「下の服」が再び脱がされかけるといったこともなかったのだった。