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黒獅子物語 作者:黒井ここあ

第一章 眠れる獅子の旅立ち

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二、小さな希望

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     1

「何かご用でしょうか」
「ああ。急に呼び立てて悪いのだが、これを図書室に返しておいてくれないか」
「かしこまりました」
 グラズアは、本を手渡し、鈴の音でやって来た女中を軽く追い返した。
「……良さそうね? じゃ、さっさと城から出ましょ」
「待ってくれ、荷作りくらい――」
「ああ、はいはい。ちょっとくらいなら待ってあげるわ」
 扉を閉めてすぐに正装から旅装束に着替え、初めて使う革鞄に荷物を手早く詰めると、テュミルに誘われるまま暖炉の裏に潜る。
「あんた、あれでしょ? 囚われのお姫様」
「……国王だ」
「状況の話よ、状況。世間知らずそうだから教えてあげる、今のヴァニアス」
 少女は道すがら、グラズアに世間の情勢を教えてくれた。

 リンデン伯爵の政治が始まってから、各地で原因不明の行方不明者が続出していること。
 反国王派の革命家たちは、実はリンデン伯爵と裏で繋がっていること。
 革命を起こし国王を引きずり下ろした暁には、リンデン伯爵が玉座に座ろうとしていること。

「何でそんな事、お前が知ってるんだ?」
「トレジャーハンターだもん。ヴァニアスを股にかける冒険者には、色々聞こえてくんのよ」
「答えになってないが……。で、その、とれじゃーなんとか、っていうのは、何をしてるんだ?」
「一口に言うと、歴史研究家ね! まだ見ぬお宝探してどこまでも! 土を掘ってみたり、遺跡を探したり?」
「盗んだりはしないんだな、見直し――」
「研究のためだもん! 隙あらば、ちょっと借りることもするわよ?」
「……手癖悪いぜ」
 二人が辿り着いたのは、城の地下深く用水路だった。
 グラズアを先導するテュミルの顔が、蝋燭の炎で橙色に照らし出される。
 その、形の良い唇から飛び出した言葉は辛辣なものだった。
「ぼんぼんの癖に、理解が早いわね。ぼんやりした喋り方して、馬鹿じゃないかと思ったけど、案外救いようがありそう」
「ぼんぼんって……! 侮るなよ? 仮にも王様なんだぞ?」
「お姫様みたいに、こうして助けられるまで閉じ込められてた軟弱者が、王様?」
 少女は鼻で笑う。
「うるさいな! ……仕方が……なかったんだよ……」
 グラズアの一挙一動が、二人の妹の首を絞めることになる。
 それは、何に代えても避けたいことだった。
「逃げようと思えば、こうやっていつでも逃げだせたのに?」
「妹が! 妹が……人質にとられてるのに、一人で逃げ出せるかよ!」
「!」
 テュミルは思わず、自身のまわりすぎた口を押さえた。
 叫んだグラズアは、自分自身でも驚いていた。
 五年間、感情を制御してきたはずなのに、激昂出来た自分に。
 沈黙の合間を縫う鼠の足音に、用水路に満ちた異臭の原因がわかる。
 気まずそうにうつむく少女。
「……悪かったわよ……」
「……俺、やっぱり、戻――」
「だめ。一緒に行くの」
「……でも――」
「大丈夫。城での事は、あんたの部下がどうにかしてくれるから」

     2

 黴臭く、細い通路を進む。
 でたらめに曲がろうとすると、テュミルにマントの端を引っ張られた。
「一日中、ここで迷っていたいなら、勝手にすると良いわ」
「意地悪な物言いだな」
「だって、あたしは早く出たいもん」
 石づくりの通路は苔むしており、歩くのには慎重さを要した。
「お! 明かりだ!」
 自然光が入りこむ出口が見えると、二人の気持ちもなんとなく明るくなった。
 しかし、その光を遮る巨大な影が、のっそりと水路の中から現れた。
 そこでは何かが蠢いていた。
 グラズアは手に持っていた蝋燭を落としそうになる。
「何だ、あれ!?」
「カエルじゃない?」
 けろりと、あたかも普通であるように答えるテュミル。
 しかし目前の影は通常のカエルの手のひらサイズとは程遠い、遠くから見ても大きいとわかるものだった。
「あんなデカいの、見たことないぞ!?」
「やっぱ、箱入りのぼんぼんね! 最近、増えてるのよ、ああいうの」
「おいおい……。俺の知ってるヴァニアスじゃねえぞ……」
 黒髪の青年が戦慄する隣で、少女は何やら自分のウェストポーチをあさっていた。
 取り出した円筒状の細長いものを両手いっぱいに握るテュミル。
「ちょっと、あんた、剣使える?」
「侮るなよ! 剣術は得意だ!」
 対人の模擬試合しかしたことはなかったが、初めての実戦にグラズアの血潮が滾る。
 剣の柄を握ると、恐怖やわななきが遠ざかって、勇気が生まれるような。
 グラズアは、ラインが刀を手放さない気持ちが、少しだけ理解できたような気がした。
「意外ね! あんた、随分と綺麗な剣を持ってるけど」
「あと、あんたってのは、嬉しくないな。グラジルアスだ、テュミル」
「ぐらじら――!? ああ、もう! あんたの名前、長すぎんのよ! 舌、噛んじゃったわ!」
「……グレイでいいぞ」
 髪の毛が黒いのにグレイとは。
 自身の提案を自重するグラズアに、テュミルが意気揚々とした顔を向けた。
「じゃ! ちょっと、ハラワタ見えるまで切り刻んでくれない、グレイ!?」

     3

 グラズアは長剣を引きぬくと、巨大カエルに切りかかる。
 でっぷりとした体には意外と脂が乗っていて、なかなか切れない。
 そもそも表面がぬるぬるしているため、剣の刃が皮膚に引っかかりもしないのだ。
 幾度となく剣を叩きつけるも、ぼよんと弾む背腹で、グラズアの体力が削られていくばかりだった。
 カエルはと言うと、目の前を往来する蠅に舌を伸ばすのに夢中で、グラズアを気にも留めていない。
 黒髪から汗を滴らせるグラズアが、後方に控えていたテュミルの方に戻る。
「お前も休む暇ないぜ!」
 粘液がまとわりついた剣を用水につけ、粘り気を取ると、グラズアは湿気た前髪をかきあげた。
「ミ・ル・ちゃん」
「は?」
「お前って言われるの嫌いなのよね! ミルちゃん、どうか助けてください! って、頭を下げたら、やらなくもないわ」
 少女は表情をころころと変える。
「んなこと、言ってる場合か!」
「まあまあ。もうちょっとだけ持ちこたえてよ、ね?」
 長い睫毛から放たれたウインクに、グラズアは一瞬たじろぐ。
「……偉そうにしやがって」
「どっちがよ!?」
 すると、話し声に反応したらしく、巨大なカエルはいつの間にか二人の方に体の正面を向けていた。
 グラズアが気付いた時には既に、その長い舌が伸びてきているところだった。
 咄嗟に身をかわしたグラズア。しかし避けた先にはまだ、テュミルがいた。
 ぬらぬらと蝋燭の光を跳ね返す舌が、テュミルに巻きつこうと――!
「きゃあああああ!!」
「ミル!!」
 用水路に転がったグラズアが顔を上げると、何事も無かったかのようにテュミルがそこにいた。
「なぁんて! 言うと思った?」
「お前……なんで――!?」
 素早く立ち上がったグラズアは、ぽかんと口を開けるばかりだった。
 カエルの舌が勢い良く戻っていくのを見送ったテュミルが、突然、彼の胸にしなだれかかった。
「ねえ、ちょっと抱いてくれない?」
 服越しに感じる、女性特有の柔らかで豊かな膨らみ。それと、少し甘酸っぱいような体臭。
 初めて感じる、少女の肉体。
 あまりに急な接触に、グラズアは頭が真っ白になる。
「な、何言って!?」
「んもう! 遅い!」
 テュミルは彼の首に両腕を巻きつけると、その体重を彼に載せた。
 そのせいでバランスを崩したグラズアの耳には、なにか時計のような音が聞こえて――。
 二人はそのまま、濁った水の中に落ちた。
 落ちたその瞬間に、地を揺るがす爆発音が辺りに轟いた。
 濁った水路から、二人が揃って首を出す。
「――ぷは! なんだったんだ、あの爆音は!?」
「うげぇ……気持ち悪い……」
「お、お前から抱きついてきたんだろ!?」
「! あ、あんたじゃないわよ! この水よ! 臭いし、汚いし! やだ、もう!」
 慌てて離れた二人が敵を目視すると、そこにいた巨大カエルは焦げくさい肉塊に変貌していた。
 辺りには火薬のにおいが満ちている。
「……何をしたんだ?」
「あたしの代りに、もっといいものを食べてもらったんだ。外が駄目なら内側から、ってね! 鍵開けと一緒!」
「……爆薬を使うのも……か?」
「ほら、吹っ飛んでくれたら、手っ取り早いし?」

     4

 息のつまるような暗闇から日の元に出ると、そこは二人の妹が軟禁された離宮のすぐそばだった。
 グラズアは幼少を過ごした離宮に変わりがないことにほっと胸を撫で下ろした。
 だが、離宮の近くで化け物が出たという事実には目をつぶれない。
 今行けば、二人の妹の顔を見られるかもしれない。彼女らの安全を確認できるのかもしれない。
 しかしそうすれば同時に、彼が王宮を抜け出したという事実が明らかになってしまうだろう。
 ジレンマに、ぐっと、歯を噛み締めるグラズアを、テュミルが見上げた。
「……やっぱり……妹が心配?」
「ああ。俺、やっぱり城に戻ったほうが――」
「……戻っても、変わらないと思う……」
「どういう……? 二人に何かあったのか!?」
「……命に別条はないわ。でも……傷が付いたのは確か……」
 テュミルは、怒りに我を忘れ大股になるグラズアを制止する。
「あたしも詳しいことは知らない……。知りたければ、黙ってついてきなさいよ」

 疲弊し、とぼとぼと歩く彼らを迎えたのは、一軒の農家だった。
 小奇麗に整えられた石造りの家には、青々としたツタが絡みついている。
 グラズアはわらわらと自発的に家畜舎に帰っていく羊たちを見て、唖然とする。
 殺伐とした王宮内や怪物と戦ったのが嘘のように、平和な光景だった。
 テュミルに誘われるまま、戸口をくぐる。
「ただいまー!」
「おお、ミルよ! 遅かったのお!」
「下水道で通せんぼ、されたんだよね。っま、あたしにかかれば木端微塵! だけどね!」
 豪快に笑う少女の声に、中年男性の笑い声も被せられる。
「!?」
 そこにはグラズアのよく知る人物がいた。日焼けした肌に、白髪の増えた焦げた茶髪を無造作に撫でつけている彼は、いつもの鎧は脱ぎ棄てラフな麻のチュニックを纏っていた。その手にはウイスキーの瓶が握られていた。
 間違いない。
「セルゲイ!? なんでこんなところにいるんだよ!?」
 小汚い二人を迎えたのは、ヴァニアス騎士団団長、セルゲイ・アルバトロスだった。
 彼は遅めの休暇を取っているはずだが――。
「グラズア! ようこそ、我が家へ! ほれ、酒もあるぞい!」
 既に楽しんでいたのか、酒臭い息がグラズアに吐きかけられる。
 即位してからというものの、王宮の守護神である彼しか見ていなかったグラズア。久しぶりに目の当たりにする好々爺との落差に、若き国王は戸惑った。
「……えっと……。本日はお招きにあずかり……感謝の意が……」
「んあー……。陛下におかれましては……泥んこになられて……」
 国王と騎士は、不格好に宮廷式の挨拶をかわそうとした。
 しかし、なんだか馬鹿らしく感じられて、どちらともなく笑いだした。
「……なにやってんのよ、二人とも?」
「いや、だってさ! 俺達、いつもはこんなんじゃないんだぜ!?」
「グラズアなんか、ひどくしみったれた顔をするんじゃぞ! ミルにも見せてやりたいのぉ!」
「……いつもなんて、知らないわよ?」
 荷物を置き、濡れた装備を壁につるすテュミルは、小首を傾げた。

 グラズアにとって、誰かと顔を突き合わせてとる食事は実に五年ぶりだった。
 キッチンから漂う美味しそうな香りにわくわくして、グラズアは席についた。
「おまたせしましたぁ!」
「おお、ぐったいみーん」
 子供の声がする、と思うと、やっぱり子供がやってきた。
 オーク色の髪を二つに分け、大きなバンダナでぐるりと頭をひと巻きした少女が、大皿を掲げてやって来た。その皿の上には、色とりどりのオードブルが載せられている。
 少女が大皿を食卓に載せたのを見ると、アルバトロスが彼女の背中をぽんと叩いて促した。
「ほれ、ご挨拶せんか」
「ご挨拶、遅くてごめんなさい。アーミュです、よろしくおねがいしますです、へいか」
 ぺっこりと頭を下げる少女の真っ直ぐさに、グラズアは心打たれる。
「よろしく、アーミュ。君は――」
「アーミュ、ここでみんなのお世話をしてるんです。おじじさまがお父さんになってくれたから……」
「お父さん? じゃあ、ラインの妹……みたいなもんか?」
「そうです!」
 グラズアの胸元までしか無い小さな少女。
 アルバトロスの養子同士、義理の兄妹とは言え、ラインにも妹が出来たとなると、同じく妹を持つグラズアにとって他人事ではない気がした。
「へえ! 俺、あいつから何も聞いてなかったな……」
「アーミュはえらいんだよなー?」
 目を細めたアルバトロスが少女の頭をなぜるも、その力は強いようだった。
「いたいです、おじじさまいたいー」

 アーミュとテュミルが食器を片づける裏で、二人の男はひっそりと事実確認をしていた。
「ミルから、なんとなく話は聞いたのじゃろう?」
「ああ」
「……妹姫さまのことも?」
「……詳しくは、まだ」
 苦々しく口を開くアルバトロス。
「……エフゲニーの奴、夜風に当たっていたリシュナ・ティリア姫を鞭打ちにしたというのじゃ……」
「! セルゲイが、それを見たのか!?」
 老騎士は首を振る。
「……じゃあ……」
「ミラーじゃ。剣術の指導の際、気がついたんじゃと……」
「ミラーが! なんで……教えてくれなかったんだ!?」
「……知れば、陛下は独りで突っ込んでいくかと思うたんじゃと……。これに関しては、わしも一枚噛んでおる。申し訳なかった……。姫様を守るために離宮へやったのに……」
「……それは……。俺だって、リシュナに合わせる顔が……」 
 グラズアの拳が、ぎりぎりと音を立てる。
「このまま、エフゲニーに好き勝手をさせるわけにはいかない」
 サファイアの瞳に闘志が宿るのを、セルゲイは認めた。
「俺がここにつれてこられた、その理由を聴きたい」

     5

 アルバトロスは、グラズアが王位についてからのリンデン伯爵の動向を窺っていた。日増しに権力を手中に収めてゆく彼に対し、危機感を覚えたのだそうだ。
 伯爵は、王国を我が物にするだけでなく、ヴァニアス全土を支配するつもりらしかった。
「意図は簡単につかめたんじゃが。……何せ、予想通りの筋書きじゃったからの。じゃが、方法まではなんとも……手を打ちあぐねていた近年、革命家の活動が急に活発になったことに気付いたんじゃ」
 アルバトロスは悪戯っぽく片眉を上げて、おどけた。
「王政に対しての反発が、いつの間にか、陛下個人に対する反発にすり替えられていたのには、お気づきでしたかな?」
「……全然」
「おじじ。そこんとこは、あたしが話したからいいでしょ?」
 お茶が満たされたマグカップを片手にテュミルがやってきて、おもむろにグラズアの隣に座る。
「さっさと、次、次!」
「お前、そんな口の利き方――!」
「あんただって、さっきからなめた口、利いてるじゃないの?」
「そ、それは……セルゲイが……父親みたいなものだから……」
「あたしにだって、そうよ?」
 グラズアは反論できずに、悔しそうに顔を歪めた。
 それを見て、アルバトロスとテュミルがにやりとする。
「ミルには敵わんもんじゃ、グラズア! それに、話は途中じゃぞ」

 そこでアルバトロスは、王国の奪還を目的とする正しいレジスタンスをつくることにした。
 ヴァニアス王国は約一〇〇〇年の歴史を持つ国家。国が長きにわたり反映してこられたのは、ひとえにヴァニアス国王を中心として各地の伯爵を招致する共和的な議会が成功していたからにほかなかった。
 影の独裁者から、平和なヴァニアスを取り戻すための保守派の集まりに、アルバトロスは解放軍と名前を付けたのだという。
「指揮者としては、わしはもう老体じゃからの。倅にやらせようと思ったんじゃが――」
「そんな無茶な」
「じゃろ? あいつには戦は似合わんよ」
「悪い冗談だな、それ。だからって俺がリーダーなんて――」
「保守派の理に適っておろう」
 とんとんと話を進める男たちに、テュミルが割って入る。
「よく解んなくなってきた! 確認していい?」
「いいとも」
 アルバトロスが頷くと、テュミルが人差し指を立てながら情報を整理しだした。
「リンデンのちょび髭は、島を征服したい。だから王様になりたくて、グレイを王座から引きずり降ろしたい。あってる?」
 テュミルが不安げな視線をグラズアに向ける。
「あってる」
「でも、自分の手を汚したくないから、市民にやらせようとしてる?」
「つづけて」
「解放軍の目的は、革命家の鎮圧と、ちょび髭の失脚、ヴァニアスを元通りにするってこと……か。そのリーダーが、グレイ本人って……」
 少女は事態の整理がつくと、くすくすと笑いだした。
 グラズアはばつが悪くなって、赤面する。
「お前なあ……。知ってたんじゃないのかよ?」
「知ってたけど! だって、変じゃない。今の政治をひっくり返そうとしてるのが、現国王とか!」
「仕方ないじゃろう、グラズア。国家元首のお前が今の世の中をつくっとるというのが、国民の理解なんじゃ。それに、解放軍と言うても、とても軍とは言えんもんじゃしの。保守派寄りの農民と漁民が有事には協力すると、賛同してくれているだけじゃ」
 アルバトロスが、グラズアにウイスキーの入ったグラスを差し出す。
 それをひと思いに飲み干すと、芳醇な香りが鼻の奥を訪ねてきた。それは彼を鼓舞するようだった。
「おじじさまー! ゆあみのしたく、できましたー!」
「話もまとまったことだし、入ってきて良さそうね? じゃあ、お先に!」
 アーミュの声を聴くなり、テュミルはタオルを手に、すっくと立ち上がった
 グラズアは腑に落ちない顔をして、アルバトロスにグラスを突き出している。
 ふと、少女が青年をねめつけているのに気がついた。
「……覗くんじゃないわよ」
 アルバトロスが体を大きくびくつかせる手前で、グラズアは顔を赤らめた。
「俺!? 誰が覗くかよ!」
「ミルちゃんがいくなら、アーミュもいくー」
 二人の少女は本当の姉妹のように、仲良く風呂場へと向かった。

     6

 居間には、黙ってウイスキーを舐める二人の男が残された。
 アルバトロスが急に立ち上がり、頻りにグラズアの方を気にしながら後退りしている。
 彼の進むの方向は、浴室の方――。
 グラズアはウイスキーの瓶を傾けながら、素知らぬふりで声をかけた。
「……セルゲイ……?」
「!? なんじゃ!? わしゃ、何も!」
 本当に床から飛び上がったアルバトロス。彼が覗きに行こうとしていたのは図星のようだった。
「いい加減、じじいなんだから落ち着け――」
 すると。
「アーミュ、ちょっとおっきくなってきた?」
 二人の耳に、少女たちの楽しそうな声が、廊下の向こうからかすかに聴こえて来た。
 思わず黙りこくり、耳をそばだててしまう。
「ほんと!? でも、ミルちゃんまで追いつくのかなあ?」
「おねいちゃんが揉んでやろうかぁ?」
「やーだーよー! くすぐったいもん」
 きゃっきゃっと、戯れる声には水のはじける音が混じっていて。
「……」
 気まずい雰囲気が居間に流れる。
 グラズアは手持無沙汰なのを、グラスに口を付けることで誤魔化していた。
 頬の火照りは、ウイスキーのせいだけではなかった。
「……ミルはでかいからな」
 生唾を呑み込むアルバトロスの呟きを耳にし、グラズアは口の中身を盛大にぶちまけた。
 青年が、彼女の豊満な膨らみに気付かないはずがなかった。
 グラズアは用水路の戦いで、成り行きながらもテュミルの柔らかなそれに触れてしまっていたから。
「もう! なんなんだよ!? 宵の口でも、言っていいことと悪いことが――!」
「なんじゃ、ボインは嫌いか、グラズアよ? マニアックに無いチチか? ん?」
 浴室を覗けないとなると、アルバトロスは標的をグラズアに変えたようだ。
 夜。酒。男同士。
 条件がぴたりとそろってしまえば、アルバトロスの趣味の会話はとどまることを知らないのだ。
 その趣味とは――。
「よもや、おなごに興味が無い訳、ないじゃろ? ん? ほれ、人生の大先輩に言うてみ?」
 開き直り、青年の肩を抱く老騎士に、グラズアはたじろぐ。
「いや別にどっちでもいいし……って、何を答えさせるんだよ、エロ爺!」
「わしゃあ、手のひらから、こう、溢れかえるくらいがいいのぉ」
 こう、これくらい。
 そう言いながら、空中に漂わせた両手で何かを揉みしだく仕草をするアルバトロス。
 掴んでいるのは乳房でもなくて、夢でもなくて、空気だとグラズアは思った。
 しかし、酔いの回ってきた彼の頭に思い起こされるのは、先程、胸板に押し付けられた、あの柔らかなもの――。
 グラズアの顔が真っ赤になるのを見て、アルバトロスは機嫌を良くしたようだった。
「お前も男じゃろ、わかってくれるじゃろ? やーらかいのに弾けるような――」
「はいはい! わかるわかる! おっきいのがいいですよね!」
 半ばやけくそに返事を返したグラズア。
「二人とも……、なんの話をしてるの?」
 そこには、湯上りのアーミュがいた。
 あどけない視線を正面から受けて、グラズアの背中に何故か冷や汗が流れる。
「い、今のはセルゲイがだな……アーミュ!」
「おじじさま……? あー! また、ミルちゃんのこと、覗こうとしてたの!?」
 アーミュは愛らしい顔を精一杯にしかめた。
 アルバトロスは何食わぬ顔で、酒蔵に行くと言って、さっさとそれから逃れた。
 それを見送った養女は、ふんっとひとつ溜息をついた。
「どうしておじじさまってば、女の子の気持ちがわからないかな!」
「……どうしてだろうな」
「そうだ、へいかも入ってください! これ、タオルです」
 グラズアは、グラスの底に残っていたウイスキーを軽く煽ると立ち上がった。
「ありがとう、アーミュ。それじゃあ――」
「あ! ミルちゃんがまだ――!!」
 アーミュの制止は、一呼吸遅かった。間にあわなかった。
 不審者を撃退すべく、少女の手から放たれた桶が、グラズアの額にクリーンヒットした。
「ご、ごめんなさいぃ……」

 あてがわれた客室、そのちょっと固いベッドの上。
 湯上りのグラズアは、額をさすりながら考え事をしていた。
 解放軍、っていうくらいなんだから、他にも人がいるはず。
 もしかして、自分で集めるとか?
 彼はシーツを手繰り寄せ、眠る姿勢を取った。
 まさかな。

     7

 ヴァニアス国王が部屋から消えたことに、最初に気付いたのは国王近衛騎士副官ミラー・シールだった。
 彼女は何かと目撃者になりやすい体質なようだと、小首を傾げることもしばしばだった。
 しかし今回は大事ゆえに、さすがの彼女も大慌てで王の部屋から駆けだした。
 暖炉が真っ黒に汚れ、その足跡はベランダから忽然と消えていたのだ。
「若様が、誰かに連れ去られたんだわ!」
 彼女は真っ先に上司の宿舎に駆け込んだ。
「ライン殿! 若様がいらっしゃらないんです!」
 ミラーの金切り声に対し、彼は寝言のように答える。
「……うん」
「うん、じゃありませんよ! はやく探しにいきませんと! ほら、起きてください!」
「……だいじょぶだよ、ミラー。おいでー……」
 危機感の無いラインは、まるで猫を誘い入れるかのように布団を持ち上げた。
「なっ!? 結構です! 何を考えているんですかっ!? こんな非常事態に冗談はやめてください!」
 ミラーが真っ赤になるのを静観し、彼は呟く。
「……本気」
「もう! 私、先に行きますからね!」
「……行かないで……」
「――――っ!! 今度はなんですか?」
 ミラーは気持ちが急いていらいらしながら、ラインの指す机の上へ振り返った。
「……で、何があるんですか?」
「手紙」
「…の山、ですけど――」
「おじじの、手紙。あるから、読んで……」
「探せと? この緊急事態に?」
「うん」
「却下です。ライン殿はお馬鹿なのですか?」
 ミラーの言葉に、やっとラインが起き上がった。
 癖のないアッシュグレーの髪が、寝ぐせで八方に跳ね上がっている。
 のっそりとゆっくりと、手紙の山を切り崩すさまは、あたかも川辺に潜む魚を探す熊のようだった。
 彼の針のように細い姿恰好は、熊に似ても似つかなかったが。
 あまりにものろい彼の手付きにしびれを切らし、ミラーが手を貸す。
 すると、呆気なく目的の手紙は見つかった。
 彼女はそれにさっと目を通す。

ライン

かのじょの飯で過ごす休日はどうじゃ?

「アルバトロス殿……」
 彼女の上司の養父。アルバトロスの戯言に、ミラーは青筋を立てずにはいられなかった。

   いまも寝とるんじゃろうが。
   ほんとうに心配をかけさせるの、お前ときたら。
   うそみたいに眠り続けるんじゃからの。
   ぐちょくにもほどがあるわい。
   んー、でもそこも含めて可愛いとおもっとるよ。
   にあわんかの、こんな言葉はわしに。
   へんだったら言っとくれよ。
   いいじゃろ、わしとお前の仲だから遠慮はいらん。
   かのじょにもよろしく伝えてくれよ。

     セルゲイ・アルバトロス

 ミラーは溜息をついた。こんな物の為に数分も無駄にしたと。
「こんなの、老人特有の、近況報告じゃないですか!」
「……とおもうでしょ」
 ラインは、寝ぼけているのかまだ足元が覚束無い。
 躓いた拍子にミラーの肩を掴む。
 彼女を、後ろから抱きよせているかのような姿勢になるが、彼はまったく慌てなかった。
 一方のミラーは耳まで真っ赤になる。
 ミラーの持つ手紙を背中越しに覗き込んでいるため、顔も息が掛かるほどに近いからだ。
 ラインは、反対側の手で、横書きの手紙を縦になぞった。
「……こう」
「……! ついに、はじまるのですね!」
 瞳を輝かせるミラーに、ラインも満足そうに頷く。
 そして、彼は再びベッドに潜り込もうとしたが、ミラーに首根っこを掴まれたので、暖かい寝床には戻れなかった。
「さ、そうとわかったのですから、早速お仕事ですよ、騎士様」
「……きょうはやす――」
「休めませんよ」
「……ごはーん」
「……あなたは、犬かなにかですか?」
 ラインは、ぼんやりと虚空を見上げる。
「僕は……若の部下……犬……」
「その言いかた、おかしいですけど、どうぞ続けて」
「……犬だったら番犬。猫だったら……ばんにゃん?」
 かくんとひとつ、小首を傾げる青年。
 ミラーは日頃の凛々しい彼と、寝起きの間抜けな彼との落差に、悶えそうな自分を必死に抑えていた。
「っつ……摘まめるものを持ってきますから、その間に着替えておいてくださいね?」
 ラインが素直に頷くのを見ると、ミラーは素早く彼の部屋を後にした。
 閉じた扉を背に、ふう、と胸を撫で下ろす。
 鬼神。
 アルバトロスのあだ名、守護神と並ぶ、最強の武人の一人。
 その鬼神の相棒を求めるということで、ミラーはヴァニアスにやってきたというのに。
 あんなことをする鬼神だなんて、想像もしなかった――。
 ミラーは、未だ熱気の冷めやらぬ頬に両手をあて、自身を落ちつけようと努力していた。
「あぁ……心臓に悪い……」

 リンデン伯爵が、国王の部屋へやってくる時間が来た。
 形だけでも、国王の承認を得て、政治を動かしていると見せるためだ。
 靴音も高らかにやってきた伯爵を、国王の部屋の前で二人の忠臣が敬礼で出迎えた。
「ライン卿、シール女史、御苦労である。陛下のご様子はいかがかな?」
「ご機嫌麗しゅう、リンデン卿。ご足労いただいたところ申し上げにくいのですが、陛下は今、誰ともお会いしたくないとおっしゃられておりますゆえ。なにとぞご理解のほどを」
 ミラーは相棒のそつない対応を、こっそりと称賛していた。
 寝ぼけてないと、しっかりしているのよね。
「……そうか。しかし、陛下のご意向を窺わねば……」
 ラインは穏やかな頬笑みを湛えた、精悍な表情で答える。
「陛下は、リンデン卿の手腕が優れていることをご存知です」
 穏やかな頬笑みさえ浮かべるラインを、再びミラーが称える。
 上手く言いましたね。「一任する」とも「正しい」とも言わないなんて。
「そうか、陛下の信頼にこたえねばならぬな」
 伯爵は口元に笑みを作ったと思うと、臙脂色のジャケットを翻し去っていった。
 彼の姿が見えなくなると、ミラーはぽつりと呟いた。
「……ちょび、でしたね」
「わん」
 いたって真面目な顔のライン。
「貴方は犬ですか」
「わん」
「ちょびは名前ではありませんよ?」
「君の言いたいことは、大体わかってるつもりだよ」
 彼は真顔をにやりと崩した。
 そして、両手の人差し指で、鼻の下にハの字を作った。
ここあ曲で、より『黒獅子』の世界へ!
ヴァニアス城地下道「おいでませ迷宮へ」 https://www.youtube.com/watch?v=eiBOwrYeKgQ
通常バトル「Battle1」 https://www.youtube.com/watch?v=F2GztqI_xy8
ボスバトル「The Predicament」 https://www.youtube.com/watch?v=CA72yWR-JbY
勝利のファンファーレ! https://www.youtube.com/watch?v=i8U4htbNZ5s

フィールド「Beyond the Horizon」 https://www.youtube.com/watch?v=CV7zQRspdR4
離宮のテーマ「Live in the ToyBox」 https://www.youtube.com/watch?v=Bzdg8U7DsWs
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