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黒獅子物語 作者:黒井ここあ

第三章 マリオネットの憂鬱

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四、囚われの公女

     1

 ラズ・デル・アニルを出発して二日目の夜。
 意を決したグラズアは、焚き火を囲んだ仲間の前で、自らの正体――彼こそが国王グラジルアスであるということを占星術師に明かした。
 しかし発言した本人が、そのサファイアの瞳を丸める事態に直面していた。真ん丸の瞳には赤々と燃えあがる炎がくっきりと映り込む。
「……驚かないんだな、あなたは……」
「ええ。むしろ、幼少の頃の陛下をよく知るサンデル公がその正体に気付かなかったことのほうに驚いていますよ」
 そう言うマルセル・オラールの顔には普段と変わらぬ穏やかな微笑みが湛えられている。彼は橙色に照らし出された相貌をグラズアから逸らした。
「ああ、でも何よりも、私はあなた方二人に出会えた運命に驚き、感謝してもいます」
 額の雫石に触れて祈りをささげ、藍色の髪を揺らす占星術師。
 その顔を向けられた少年少女が、首を傾げる。
「……僕?」
「あたし?」
 素直に笑顔を綻ばせる年長の男。その表情に含みがちなところは見受けられない。
「ええ。これはなんとか四月十五日までにアニルに戻って、是非サンデルの《雪解けの知らせ》に出席していただかなくては! もちろん、グラジルアス陛下にも《御山》の伝統的なものをご覧いただきたいですし……」
「《雪解け》――それって何なんですか? 謁見の間でも言われてましたよね?」
「全く単純な話です、ルヴァ。《御山》――サン・デル・モンテの天辺にある村、ラズ・デル・マールの《光の神子》が国の一年を占う御神託――神の御言葉みことばを受け、それを知らせに来てくれるのです。サンデル公の御膝元ラズ・デル・アニルを皮切りに、《神子》たちがヴァニアス全土を回り御神託を伝えて回ります」
 そう言ったオラールの藍色の瞳に何かが揺らめいたのを、紅一点の少女が気付く。一方、彼女に並んで座るルヴァは、夜闇の色を溶かしこんだコーラルブルーの瞳を丸めていた。
「そうなんだ! そんなに大事な行事だったら、グレイさんのところにも毎年、《光の神子》さんが来てくれているんですね――?」
 肯定を求めて首を回した少年に、グラズアは首を横に振った。
「いや、ヴァニアス王家だけは例外なんだ」
「へっ? どうして?」
「王家の血筋には、思い出せぬ昔から、四大元素とは異なる、光と癒しの術に長けた《光の神子》が生まれるんじゃ。しかも女性ばかりに、な」
「若は違いますよ。魔法を使うどころか全部消しちゃうので」
「それは知ってるわよ」
「そうでしたね」
 次々とフォローを入れる仲間たちに、ルヴァは目を丸める。
「じゃ、じゃあ、グレイさんじゃないとしたら……《神子》さまって……」
 ナティアかフィナのどっちか……。
 その言葉を飲みこんだルヴァ。
「ええ、お会いしたことはありませんが、今の第一王女様が母君に代って《光の神子》の力に目覚めたと聞きます」
「……リシュナ……さまが……」
 薪の爆ぜる音が、不意に訪れた静けさを強調する。
 沈黙を破ったのは若き国王の声だった。
「本場《御山》の《知らせ》か……! これは早く帰らないといけないな!」
「そう、簡単に行くとよいのですが……」
 言葉を濁す占星術師に、老騎士が眉を上げる。
「オラール殿、何か知っておいでか?」
「……アマネセールには明日到着予定です。……ここでこちらも、真実を述べさせていただきます。ここまで来て伏せておくわけにはいきますまい……」

     2

 一行が心の準備をして迎えた、四月九日。
 古城アマネセールと、それを囲むようにして集った十数隻の船を丘から見降ろすグラズア一行は、オラールの話が真実であるとやっと信じることが出来ていた。
「うわぁ……! 本物の海賊だ……! 公女を幽閉して城を占拠なんて、とっくに時代遅れだと思ってたけど……本当に見られるなんてな! 子供たちに良い土産話ができたな!」
 な、ミル? と振り向き浮足立っているのはもちろん、仲間内で世間知らずの名をほしいままにしているグラズアだった。
「なあ、ルヴァ、お前は初めてじゃないんだろ? あの船の帆に見覚えないか?」
「えっ!? た、確かに海賊船は初めてじゃないけど……。望遠鏡も無しにここからじゃ見えないですよ……」
「ちょっと……船の数が桁違いじゃないの? あの人数を相手取るのに、こっちには六人しかいないのよ? ……あんのヒゲ公、帰ったらタダじゃおかない……!」
 はしゃぐ青年だけでなく、重要な事実をあえて隠したサンデル公に苛立ちを隠さないテュミル。彼女はその両手に得意の爆薬を幾つも仕込んでいた。憂さ晴らしをする準備は万全というわけだ。
「何も正面から相手取る必要はないんですよ、テュミルさん。無駄な殺生は良くありません。海賊が悪い事をしたなら、その時は僕とこいつの出番です」
 そう言って愛刀を見せるラインに、テュミルがじっとりとした視線を送る。
「……海賊って言うからには、既に海の上で悪事を働いているんじゃないの?」
「では号令を、若! 僕が先陣を切ります」
 腕まくりをしていた仲間達を、グラズアが両腕を開いて制した。その拍子に海風が彼の深緑色のマントを大きくはためかせる。
「お前ら、事を荒立て過ぎだ! 隙を見て侵入したらいい話だろ?」
「そうですね……なにか策がおありですか、グラジルアス陛下?」
「……」
 占星術師の冷静な言葉に突然黙りこくった若人たちを、老騎士が笑い飛ばす。
「古城アマネセールは、城といえども小さな要塞都市なのじゃ! さて、どこから落とそうか?」

     3

「……ふぅ……」
 海賊船・青龍丸の船長、《ウィリー・ザ・ウィング》ことウィリアムの口からは、溜息しか出なかった。
 窓からやってくる潮風が、彼の短髪を優しく梳かす。
 ある秋の日、長らく空いていると聞いていたアマネセール城を一晩の仮住まいにしようとしたら、なぜか陸に縛られる結果となってしまったのだ。そのせいで、彼の右手が失われたときよりも長い間、憂鬱と倦怠感が彼を支配していた。
 現に今、彼の左腕の自由も物理的に奪われ続けていたのだが。
「ウィリー様、浮かないお顔をなさっていらっしゃるの。……何かございまして?」
 彼の左腕にすがりついている女が、その視線同様な甘ったるい声を出す。船長の精悍な頬を、しなやかな指先が誘うように伝う。女はその色っぽい仕草に見合う、美しい相貌を持っていた。
 元凶はお前だ。
 ウィリアムはぴったりと寄り添って離れない女を恨めしげに睨みつけた。その眼光は、乗組員の心臓を一突きするに等しい鋭さを持っていた。
「嫌ですわ、その瞳……しびれてしまいます……。およしになって……」
 しかし、赤みがかった栗色の巻き毛を胸元に垂らす女は、けぶる様な睫毛をうっとりと瞬かせるだけだ。
 愚か者に与える物は全て無駄になる。
「ふ……」
 聞きかじりの諺を思い返し、ウィリアムは自嘲気味に鼻で笑った。
 この女には言葉さえも無駄なのかもしれない。
「い……今のも素敵ですわ……」
 色惚けた女の視線を避けるようにウィリアムが見たのは、自身のいる最上階の部屋から見える海原だった。彼女が甘く巻きつける腕を払い、おもむろに窓の彼方へと左腕を伸ばす。
「こんなに……近くて遠いとはな……」
 掴みとれない自由に再び溜息を吐いた船長の背中。そこに、粗野な足音がどたどたと聞こえてきた。
「船長! ちいと来てもらっていいすか!?」
「……ああ」
 ウィリアムは呼び声に応じてすっくと立ち上がった。金の刺繍が美しい黒いジャケットに、悲痛な声がかかる。
「もう行ってしまわれるのですか、あたくしを置いて……!」
 大げさに哀しんで見せる女の声がヒステリックに高まってゆく。
 高音に耳が痛くならないうちにと、ウィリアムは部下に指示を出した。
「……おい」
「へい!」
「……誰かをここにつけといてやれ」
「へいっ!」
 部屋を後にし、乗組員たちに誘われるまま見張り台にやってきた船長は、潮風を胸いっぱいに吸い込んで問うた。
「で?」
「へい、船長! 今、この城に向かって冒険者が来てるらしいンす! どうしやす? やっちゃいます?」
 そう言われる傍から、ウィリアムは見下ろした先に六人の人影を見つけた。六人はアマネセールの正面を堂々と駆け抜けている。
「……ああ、あれか」
「そうッす、あれッす!」
「……久々のお客さんか……剣士が三人……あとは……」
 ウィリアムの飴色の瞳が、水色の髪と真っ赤なバンダナを捉え、ぐるりと見開かれる。
「あれは……」
 共にそれを見降ろしていた乗組員たちが、口々に実況報告するのが彼の耳に飛び込んでくる。
「どうしよう! お飾りの門番がやられたッす! 簡単に侵入されちゃったッす!」
「うわ! 煙幕で何も見えないッす! うわ、煙昇ってきた! げほげほ!」
「なんかよくわかんないけど、魔法使いまでいるみたいッす! ご丁寧に消火してもらってるッす!」
 どうしよう、という意見が一致した乗組員たちが、一斉に船長を見上げ、指示を仰ぐ。
 半年に及ぶ陸の生活ですっかり腐抜けてしまった部下に、ウィリアムの溜息はとどまることを知らなかった。
 ウィリアムの想像通りならば、冒険者たちの狙いがあの女であることは間違いなかった。
 なぜなら、ここのところラズ・デル・アニルからの使者がひっきりなしにここ、アマネセールを訪れていたからだ。
 遂に武力行使の番か。
 しかし、彼らが彼女を引き取ってくれれば、彼は再び波の上を自由に飛べる。
 第二の母親とも言える波のふところへ帰れる兆しが見えてきたせいか、海賊船長はその瞳に光を取り戻しはじめていた。
「……総員、怪我をしないように、公女の部屋まであいつらを誘導しろ」
「へい! で、でもいいんすか? ヘルミーナさんは船長を……」
 少しだけ名残惜しそうにする乗組員を、船長は肘から下の無い腕で否定する。
「関係ない。そろそろ潮時だろう。良い機会だ。夢見るお姫さんにも現実を見てもらわんといかん。……あいつの言う王子様が迎えに来ちまったから、夢から覚めねえかもしれないが」
「……そんで、冒険者がヘルミーナさんを連れてっちゃうとき、船長はどうするんすか?」
 ウィリアムは両の肩を丹念にほぐしながら宣言した。
「そうだな。この左腕が腐っていないかどうか、確かめてみるとするか」

     4

 駆け抜ける六人の冒険者は、陸の海賊たちをいとも簡単に蹴散らしながら最上階を目指していた。
「結局、正面突破になってるじゃないの! ていうか、発破してるの、あたしだし!」
「ミル! そうは言ってるけど、お前、今までで一番楽しそうだぞ!」
「だって、好きなだけ投げて良いんでしょ? 今日はマップ係兼マッチ係もいるしね! 絶好調で行くわよ!」
「韻を踏んでいますね。マッチを擦るくらいなら誰でも出来ますから。もちろん私でも」
 アマネセール城内を駆け上る彼らの先頭を行くのは、煙幕係のテュミルと彼女に火種を渡すオラールの二人だった。彼らが先制攻撃で煙幕を散らしてからが、グラズア達三人の剣士の仕事なのだ。彼らは鞘のまま海賊たちをいなしていた。
「そして、漏れなく消火しながらだなんて……若はやはり素晴らしいです……!」
「これ、僕の魔法ですよ、ラインさん……」
「……この城が壊れてしまっては元も子もないからのぉ……」
 軽口を叩けるほどの余裕を持って進む彼らだったが、テュミルだけがその進み易さに違和感を覚えていた。
「ねえ、あたしの気のせいじゃなかったらいいんだけどさ!」
「なんだ、ミル?」
「海賊たちに、あたしたちの進む方向を誘導されてる気がするんだよね!」
「え? そうなのか?」
 そう聞いて振り返ったグラズアの目に、いなされた拍子とばかりに綺麗な前回り受け身をとる海賊たちが飛び込んできた。グラズアは彼らの怪我もせず平和な様子に、いからせていた肩と長剣を落としそうになる。
「……あいつら、ふざけてんのか……?」
「元気そうでなによりだけど……なーんか、きな臭いったら……!」
 テュミルが言い終わる頃に辿り着いたのは、最上階の部屋、その扉の前だった。
 木戸に耳を付け様子を窺うグラズアとテュミルの耳に飛び込んできたのは、ここはどこかという、彼らの疑問への答えだった。
「ヘルミーナさん、下がっていてください!」
「な……な……! 一体何事ですの、この騒がしさは? お父様がついに騎士団を……!?」
「なんかよくわかんないッすけど、騎士じゃないみたいッす!」
「ほ……。それなら良いですわ。そうと決まればあなたたち、ひと思いにやっておしまいなさい!」
「……絶対負けると思うッす」
「どうしてそう言えますの? 戦わずして勝利は得られぬものですわ! 男ならば、びしっと姫を守り抜いてごらんなさい!」
 グラズアとテュミルは揃って振り向くと、これまた揃って頷いた。
 ここだ。
 ラインとアルバトロスは、階段下からやってくるだろう新手を迎え撃つために踵を返した。
 彼らの後方にはルヴァが控える。
 オラールはマッチとマッチ箱を手元に構え、静かに擦りつけ火を灯す。
 テュミルは火種を受け取り早々に導火線に着火すると、扉を開け、その中に爆薬を投げ込んだ。
 一度閉めた木戸の向こうから爆発音と複数の悲鳴が聞こえたなり、グラズアが室内に突入した。
「ヴィルヘルミナ!」
 硝煙に満ちた屋内から、げほげほと咳き込みながらの文句が聴こえて来た。
「ああ、煙たい! お前がこんなことをしたのね! それだけでなくあたくしを呼び捨てにして――まずお前から名乗りなさい!」
 彼女は上方に立ち上る煙から逃げるように、床に這いつくばって現れた。
 グラズアは、サンデル公の色をそっくり移した赤みがかった栗色の髪で、彼女がサンデル公女ヴィルヘルミナその人であるという確信が持てた。
「俺はグレイ! お前を助けに来た!」
 差し出された手とグラズアの顔をぼんやりと交互に見つめるヴィルヘルミナ。
「……助けに……?」
「ああ! 何、ぼーっとしてんだよ、早く来い! 逃げるぞ!」
 グラズアはその言葉同様に、強引に公女の腕を引いて駆けだした。

 一行が城から脱出するのにも、邪魔は一切入らなかった。
 脱出時も変わらず先行するテュミル。
 その横を行くルヴァは、彼女のつるりとした額に深い皺が刻まれているのに気が付いた。
「……」
「……テュミルさん……?」
 銀色の髪がたなびき、テュミルの不機嫌な顔が露わになっている。ラベンダー色の視線は、公女の腕をとるグラズアの右手に突き刺さっていた。
「……なんか……すっごい……嫌な気分……!」
「……うん……。きっと……そうなんだろうと思ってました……」
 殿しんがりを務める二人の騎士が、鎧の音に隠れながら何やら話していた。
「わあ、これが嫉妬ですね、お爺様」
「しっ! お前はサンデルに着くまで黙っちょるほうが良い!」
「それまで話してはいけないと? うーん……憶えていられるかな……」

     5

 階段を幾つも駆け降りて辿り着いたのは、城塞の真ん中に開けた四角い砂場だった。うまやらしき小屋まであるのをみると、かつては訓練場だったことが窺われる。
「……よぉ……お客さん……。お目当ての物はあったか?」
 年季の入ったハスキーなバスバリトンは、いぶし銀のくすんだ輝きを思わせる音色。
「――!?」
 そこには、これまでグラズア達がなぎ払ってきた海賊とは異なる身なりの男が佇んでいた。男は金縁の刺繍が美しい黒いジャケットを纏い、その左手に幅広のカットラスを携えている。
 彼の好戦的な隻眼が、公女の手を引いていたグラズアを貫く。
 グラズアは思わず彼女を自身の後ろへと強く引き寄せた。
「ああ。案外簡単に見つかったんで、御暇しようとしてたところさ。……お前が海賊の親玉――」
「ウィリー!? ちょっと! なんでウィリーがここに居るのさ!?」
 英雄然として、少し気取っていたグラズアの話の腰をぽっきりと折ったのは、船乗りの少年だった。
「お前……やっぱりルヴァか……! 大きくなったな……!」
「え? 何? 知り合いなわけ?」
 海賊船長の瞳に一筋の暖かな光が宿るのを見て顎を下げるテュミル。彼女に向って、ルヴァが生き生きと説明する。
「スキュラで最初に僕とシグを雇ってくれたのがこのウィリアム船長なんです! うわあ! 全然変わってないやぁ!」
「お前こそこんなところで何をしているんだか……。だが、お前がその調子なら、シグルドも変わりなさそうだな」
 高揚感そのままにウィリアムに駆け寄ったルヴァの頭をなぜるため、海賊船長は左手のカットラスを一度鞘に納め直した。彼の右腕に光るフックが、彼の失ったものが何かを雄弁に語っている。
「……えっと……」
 グラズアは調子を取り戻すのに、数回の瞬きと咳払いを必要とした。
「……感動の再会は良かったんだが……。先に公女の幽閉について聞かせてもらいたいな、ウィリアム船長?」
「……真実か……。それを知る前と後では……どちらが楽しい戦いになるんだ、坊主?」
 隻眼の船長は、ルヴァの背中をそっと押し、グラズアの元に戻してやった。そしてその左腕にカットラスを構え直す。真正面に突き付けられた切っ先、そしてウィリアムの整えられた口髭がにやりと持ち上がるのを見て、グラズアは彼の意図を明確に受け取った。
「タダでは通してくれないってか……!」
「そこのお姫さんのお陰で、鈍ってしまったからな……。運動に付き合ってもらうだけだ」
「……とか言って、俺が負けたらヴィルヘルミナを置いて行けと言うんだろ?」
「勝負の結果はお姫さんとは関係ない。お前が勝とうと負けようと、お姫さんは王子様のお前がサンデルのお家に連れてってくれ」
「……ウィリー様……!」
「王子ね……。……今は違うんだがな!」
 息を飲みこんだ公女をよそに、しゃらりと涼しい音を立て、グラズアの長剣が引き抜かれる。だが、彼の目前に、騎士ラインの細腕が伸びてきた。その拳には愛刀が握られていた。
「ふむ。骨があるのが二人と、骨だけが一人……。どこからでもかかって来い――と言いたいところだが、ハンデをくれないか。一対一でやろう」
「鈍ってると言う割には、随分と余裕じゃないか。いいぜ、決闘と行こう。さて……」
 グラズアが首を回しサファイア色の視線を飛ばすと、降りてきた階段に腰を落ち着けている仲間に気付いた。老騎士は青年王の眼差しに気付くと、ひらひらと右手をやる気なく振った。
「わしゃ、決闘というにはもう歳じゃし、勘弁な。こやつやルフィノの言う通り、骨だけじゃし」
「拗ねてんじゃないわよ、おじじ」
 自嘲する老騎士の両隣に立っていたテュミルとオラールが揃って苦笑する。
「ここは俺か、ラインが出るしかないか……」
 どちらの青年が決闘に赴くべきか考えあぐねているグラズアに、ルヴァが耳打つ。
「……ウィリーの剣捌き……。僕が覚えてる限り、風に乗ったウミネコみたく自由なんです。それは、《ウィリー・ザ・ウィング》っていう渾名あだなの通りに……。気をつけてください、グレイさん」
 ひらひらと自由に空を泳ぐウミネコ。その白い翼が風を我が物にするのをグラズアも知っていた。風を読めるほどの手練てだれが相手ならば、こちらも同等の力量を持つ剣士をあてがうべきだった。
 しかし。
「……俺が行こう」
「え? 若、どうして――?」
「サンデル公は、俺の力量を測るのにこうして課題を突きつけてきたんじゃないのか……と思ってさ。だから、この件は俺がピリオドを打たなくちゃいけない――そんな気がするんだ」
 グラズアが脱ぎ捨ててよこしたマントを顔面で受け取ったラインが、最終確認とばかりに言う。
「……でも、テュミルさんの手前、負けたらかっこ悪いですよ?」
「……余計な御世話だ、馬鹿。むしろ引き下がってお前に戦わせた方が、ぼんぼんだ、って罵られるんだぜ、きっと。それに、はなから負ける気は無い」
 太い眉を上げて見せる主君に、ラインも肩を竦めてみせる。
「では僕は、剣の師範としてお爺様と見守らせていただきますね」
 ラインが引き下がってきたのを見て、老騎士は辺りへ唾をまき散らした。
「おい、ウィリアムとやら! 幾ら決闘とは言え、グラズアの命を奪う気は無いじゃろうな? もしそうならこの骨が相手になるぞ!」
「……何かと思えば。爺さん、俺が欲しいのは、戦った相手の命ではない。戦いに沸き踊る興奮……それで十分なのさ」
 落ち着きはらっている海賊船長の不敵な笑みは、思わぬところにクリーンヒットしていた。
「……はぁ……痺れますわ……!」
 人質だった公女がウィリアムにうっとりとしているのを見て、テュミルは思いっきり顔をしかめた。

     6

 ウィリアムは手下に帽子を二つ持ってこさせると、片方を被り、片方をグラズアに投げてよこした。
 回転の効いたつば広の帽子が、グラズアの右手の中に吸い込まれるように飛んできた。
「それを被れ。この決闘……どちらかが帽子を落とすまでを勝負にする……簡単なルールだろう?」
 グラズアは言われたとおり、海賊船長の帽子で黒い頭を覆った。試しに首を振ってもずれない程、あつらえたかのようにぴったりと隙間なくはまっている。
「この帽子が首の代わりってわけだな。俺にはちょっときついから、なかなか落ちないと思うぜ」
「こうも的がでかいとやり易そうに見えるがな」
 対峙する二人の瞳が、既に火花を散らし合っているそのはるか後方で、テュミルがこそこそと話しかけた。
「……ルヴァ、ルヴァ! 帽子を落とすとか、子供じみてない? 海賊の決闘って、そんなもんなの?」
「テュミルさんはやることが無いと思いますけど……あれ、すごく怖いんですよ」
「なんで?」
「帽子を狙った剣の切っ先が、真っ直ぐに顔に向かってくるんです。それこそ、腹や心臓を狙われるよりもずっと怖い……! ウィリーの顔の傷跡を見たでしょう? 間合いを読み間違えたら、最悪失明も……」
「嘘……!? そんなの、すぐにやめさせなきゃ!」
 そう言って決闘の場に大きく踏み出そうとしたトレジャーハンターの二本の腕を、それぞれ二人の騎士が押さえた。
「なんで……! なんであたしを止めるのよ! 止めるならあっちを――!」
「ごめんなさい、テュミルさん。若のプライドがかかってるので」
「そんな……そんなちっぽけなプライドで傷ついていい奴じゃないでしょうが!」
「……僕は、若の決めたことに従うだけですから……」
「――! ……あんたはグレイの犬ってわけね……!」
「……不思議だな、ミラーと同じことを言うのですね、あなたは」

 仲間たちの掛け合いが終らぬうちに、グラズアとウィリアムの打ち込みはとっくに始まっていた。
「うお……!」
「怖気づいたか、坊主?」
「まさか……!」
 互いの帽子目掛けて繰り出される剣の閃きは、首をとらんとする様子そのものに見える。
 海賊船長は小さな手首の捻りだけで自在にカットラスを操るものだから、グラズアは首だけでなく身体ごとそれを避けねばならなかった。幅広の海賊剣は風を切るように迫ってくる。
「《ウィリー・ザ・ウィング》ね……! なるほど、読めないし速いわけだ!」
「お前こそ……図体がでかい割に、ちょこまかと良く逃げる……」
 鼻のすぐ下に生えそろった赤髭がまんざらでもないように持ち上がるのを、グラズアは見てはいなかった。
 サファイア色の視線が捉えていたのは、黒いコートの下に見え隠れするウィリアムの左手首だったからだ。しなやかな肘は柔らかに回る手首の動きを支えている。しかし、切っ先がどの角度で切り込まれるかはその手首にかかっていたのだ。そしてウィリアムの手首は、彼の肩、そして彼の顎先を真っ直ぐと直線で結べる高さにあった。船長が、青年剣士の視線をその顔に浴びていると勘違いできるほどに。
「坊主。威嚇のつもりかも知れんが、じっと見ていても始まらないぞ」
 グラズアは突き出された切っ先を左に避けるも、カットラスの先端が切り取った黒い毛先が、はらりと宙を舞う。その拍子に、グラズアは二歩ばかり後退る。
「ああ……すぐに終わるかもしれないな……!」
 ウィリアムの左腕はグラズアを追随する。挑発的に踵が打ち鳴らされる。
「……他愛もない……」
 応戦することもなく、ただ睨みつけているだけの青年の頬に向かって、カットラスが鋭角に。
「――!」
 しかしそれは長剣によってはじき返された。

 傍から見ても、グラズアの劣勢は明らかだった。
 まるでウィリアムの切っ先を進んで受けに行くかのような近接した間合いに、見守る仲間の拳に自然と汗が握られていた。

 あと少し……。

 グラズアはウィリアムの攻撃パターンを掴みかけていた。
 切っ先だけを見ていては、それこそ彼の思うつぼだったろう。

 手首を反時計回りに一回し。
 その回転に沿わせて腕も一捻り。
 掌が天を向いた拳は、軽くしゃくられ。

 これらを滑らかに繋ぎ繰り出されるのが、ウィリアムのフェイントだった。
 それは腕を大きく振らない分、相手に攻撃の種類を気取られにくいものだった。しかし、最後の手首の返す角度が変則的に変えられるだけで、それ以外はそうでもないとグラズアは踏んだ。
 彼の左肘、その裏側に素早く回り込めれば、グラズアにも勝機が訪れるとも。
 改めて口元を引き締めた青年王は、利き手である右手に握っていた長剣を、左手に持ち替えた。右手は緩く握られた拳もそのままに、彼の背中、腰の裏へぴったりと沿わせられた。
 態度を豹変させた相手に、海賊船長が一つ瞬きをくれてやる。
「……坊主……。お前のそれはわざと負けようとしているのか? お前の利き腕は右だろうに」
「ああ、生粋の右利きだ。……でも悪いな――今日はこの左腕で勝たせてもらう」
「……俺の右手は海に還って久しいが、この左手は生まれてこの方、俺の意のままに動いてきた……。ハンデは無し、ということになるが……」
「構わないさ……!」
 次の瞬間、大きな踏み込みから繰り出された重たい打撃がグラズアの長剣を直撃した。彼は再び防御に成功していた。
「ふん……。悪くない反応だ……!」
 金属同士がぶつかり擦れ合う不快音がアマネセール城のロビーにこだまする。いつからか、それを包むざわめきがあった。それはいつの間にか増えた見物客のものだった。先程グラズア達がのしたはずの乗組員たちが興味津々で階段の上から自身の親玉を見守っているのだ。
 グラズアは攻撃を読み、それを長剣で受け流すという作業を続けた。
 利き腕ではない左腕が、慣れぬ運動に悲鳴を上げているのが解かる。
 しかし、相手の隙を待つ他、帽子を払い落すという特殊な勝利条件を満たすことは難しいように思われた。

 固唾をのんで見守るテュミルの足元で、公女ヴィルヘルミナはへたり込んだまま肩を震わせていた。
「……ウィリー様……。グレイ……様……」
 そうかと思えば、ゆらりと立ち上がった公女は、ふらふらと決闘の地へハイヒールを踏み鳴らし始めた。その先では、剣が剣を打ち鳴らす激戦が繰り広げられている。二人の帽子に刺さっている九官鳥の羽根が大きくお辞儀を繰り返すのも気にならない程の。
「ちょ、ちょっと……あんた! 待ちなさいよ!」
 しかし、テュミルの制止は全くの無駄に終わった。
 公女は、二人の男が閃かせた一撃、その合間に身体を滑り込ませたのだ。
「――!?」
「あぶな――!?」
 決闘者が筋肉を緊張に強張らせたおかげで、彼女の身体に傷は付かなかった。
 ヴィルヘルミナはそのどちらの刃をもそっと両手で退けると、その手を胸元で固く組んだ。
「……おやめになってください、お二方! あたくしの為に争うのは、どうか、どうか……!」
 棗色の瞳に涙をたっぷり浮かべて訴える公女。その背丈はハイヒール込みでグラズアに匹敵するものだった。ウィリアムに至ってはハイヒール分、彼女より低かった。
 テュミルは、いつの間にかあちこちから首を伸ばしていた海賊たちと共に、事の成り行きをぽかんと見つめていた。
 公女は豊満な肉体をくるりと海賊に向き合わせる。
「ウィリー様……あたくし、貴方の事を愛しておりましたわ……。素敵な思い出が、あたくしの心に宝石のように煌めいてあの波間の様に打ち寄せてまいります。あの日、あたくしめがけてアマネセールにいらっしゃったこと。流れる血の違いから発音は違うものの、全く同じの名。そして、今日まで大切にして下さったことも――」
「……ふん」
 公女の言葉は、まるで戯曲の一場面の様に高らかだ。ウィリアムに向かって優雅に差し伸ばされた右手はひらりと返り、これまた豊満な彼女の胸元へと舞い戻った。
「しかし、ああ、なんと運命は残酷な事をするのでしょう! 貴方と育んだ愛に偽りは無かったと言うのに。いとも簡単にそれを洗い流そうとしてしまうの。真実の愛は彼方から勝手に舞い降りて、こうしてあたくしをさらおうと致しますの。おお、赦して下さいまし、ウィリー様。あたくしは運命からは逃れられないのです。あたくしたちの思い出は美しいまま、記憶のボトルに詰めて波に任せなくてはいけませんの……。あの、美しい思い出の宝石の輝きと共に!」
「……」
 オペラ女優の様に朗々と独壇場を繰り広げるヴィルヘルミナ。
 彼女は沈黙を返事に代える船長に踵を返し、グラズアに向きなおった。そしてそのまま、彼の胸板にしっとりとしなだれかかった。
「グレイ様。貴方様の勇気と知恵をしかと拝見いたしました。貴方様が、あたくしの本当の王子様でしたのね……! このヘルミーナ、ずっと、ずっと貴方様がいらっしゃるのを、心からお待ち申し上げておりました! あたくしの生まれた星に重なる《運命の人》よ!」

     7

 こうして男同士の決闘は、思わぬ形で幕引かれた。
 しかし、それと同時に女の戦いが始まったことに、あのラインでさえも気付いていた。
「お爺様、あれが修羅場なんですね」
「お前は黙っちょれ……」
 グラズアにべったりと張り付いて離れない公女ヴィルヘルミナ。その二人に対し、テュミルは凍てついた態度をとり続けている。それを見て慌てるグラズアにヴィルヘルミナが身体を押しつけ……。
 いたちごっこをくりかえす三人から離れるようにして、男達はウィリアムの自室へと引き上げていた。身柄確保とは名ばかりの、軽い質問の為である。
 そこでは、船乗りの少年が海賊を擁護していた。
「あのですね、ウィリーは確かに海賊です。でも、襲うのは違法な漁船とか、奴隷商とか、悪い奴らの船なんですよ。乗組員の中に、奴隷商から助けられた人も結構いるんです。だから、今回もウィリーはとばっちりで、悪いことは何もしてない……と思う……」
「なるほど。ヴァニアスの海域を根城にする義賊がいるとは聞いていたが……お主の事じゃったか、ウィリアム。海軍の必要がないと言われるほどの実力と聞くぞ」
「……何も褒められたくてしているわけじゃない」
 仲間達は、ウィリアムという海賊を少し見直していた。
 少年の必死さに胸打たれたこともあるが、乗組員達の信頼の厚さや、今回の襲撃における負傷者の数などを見て、彼のリーダーシップと人望に一目置いたのだ。
「しかし、我があるじサンデル公は海賊が悪い、と。公女様を半年の間幽閉し続けた罪は重いと……」
 窓からの風を受けるオラールが言葉を濁す。
「ね、ウィリー。本当のところを教えてよ。少なくとも、ここにいるみんなは味方だから……ですよね?」
 仲間たちが各々同意して見せると、海賊船長は重い口を開いた。
「……アマネセールは捨てられた城塞都市だ……。それも港を持つ、堅牢な……。半年前、ここを拠点の一つにできないかと立ち寄ったのが、俺の間違いだったのさ……。ここはあのお姫さんの別荘として使われていたらしい……。まあ、あいつに聞いただけだから、真偽のほどは定かじゃねぇが……」
 ルヴァが納得して見せる。
「ってことは、半年前からずっと陸にいたんだ? あの公女さんのせいで?」
「……ああ」
「なんて言われたのさ?」
「……『海の彼方から迎えに来た運命の人』だの……さっき坊主に言っていたみたいな事を恥ずかしげもなくな……」
 寡黙な海賊船長がとつとつと語るのに、昔馴染みのルヴァがくすりと笑いを溢す。
「ぷふっ……! ウィリー、それにまんまと乗せられちゃったの?」
「まさか……。先に他の乗組員にも同じことを言っていた……。俺は早くここを去るつもりだったが、ほぼ全員がここにとどまりたいと言いだしてな……」
「あ、わかった。それ、色仕掛けって言うんですよね。お爺様の大好きな」
「……ライン、黙っちょれと言ったじゃろうが」
 男たちが絶句したその沈黙を縫いとるように、テュミルの金切り声が聴こえてくる。
 彼らが揃ってグラズアの方を見やると、案の定、哀れな青年は夢見がちな公女の腕の中で自身の無実を主張していた。
 可哀想に。
 溜息のユニゾン。
 男たちは首を元に戻す。
「……素直に言え。滑稽こっけいだと」
 オラールは致し方ないと言う風に苦笑する。
「滑稽なのはあなたではありませんよ……同情いたします。なにせその《運命の人》というのは私の占いから出てきた言葉ですし……。それを鵜呑みにし続けるヴィルヘルミナ嬢の才能が成せる業と言いましょうか。しかし、サンデル公の気が済みますかどうか……。本当に何もなかったのですか?」
 何も、という言葉に男達はそれぞれ小さく反応する。
「……お前達が期待するような下世話なことなぞ無い」
 顔面を真っ赤に染めていたルヴァが、ウィリアムの言葉にほっと胸を撫で下ろす。
「ほ……。ウィリーはやっぱり優しいんだね……」
「……その優しさとやらに付け込まれたんじゃのう、ウィリアムよ」
「……」
 話が一段落したと見るや、ラインは隣室の方へとつま先を向けた。
「若……。お一人で修羅場は大変そうだ……。ここは僕が――ん?」
 青年騎士のジャケットの裾をぐっと引いたのは、赤いバンダナの少年だった。
「行かないでください……。ラインさんが行ったら、話が余計にややこしくなります……」
「そうかな? 僕はヴィルヘルミナ嬢を引き剥がせるよ」
「……物理的に、ですね」
「それじゃ駄目なのかい?」
「駄目というか……無駄というか……。ほら、見てみてください――」
「どれどれ」
 ラインとルヴァが戸口から覗き込んだ隣室。
 古びた寝椅子や椅子が乱雑に居座るサロンには、三人の男女が隔離されていた。
「グレイ様! グレイ様はどちらからいらっしゃったのかしら? その訛りの無いお言葉遣い、王都のご出身ではなくって?」
 そこで無理矢理寝椅子に座らされているグラズアは、ヴィルヘルミナに身体を拘束されていた。彼女の豊かな肉体が、彼に体重を預けられている。
「まあ……そうだけど……。質問はともかく……先に……離れてくれないかな……。俺――」
 女性の柔らかさが押し付けられるのに、グラズアは気まずさを隠せない。テュミルの手前、抗議をしようと開いた彼の唇は、公女のしなやかな指ですぐさま封をされてしまった。爪の先までつややかな指先に、彼女のこれまでがうかがえるようだ。
「仰らないで! そんなに恐縮なさらないでくださいまし。あたくし、貴方様が貴族の出身でなくとも全く気にかけませんことよ。運命で結ばれた、あたくしと貴方様の間柄ですもの。身分や歳の差でそう簡単に引き離せるものではありませんわ!」
 ぱちくりと輝く棗色の瞳は恋する女のそれだった。
 彼女の妖美ようびな仕草に、乗組員達が陶酔してしまうのも無理は無い、とグラズアは理解した。しかし、開き切った花のように女の香りを惜しげもなく振りまく年上の女性というのは、グラズアには受け入れがたいものだった。
「……いいから離れなさいよ……」
 青年の耳にまじないに似た言葉が聴こえる。
 グラズアが何と言ってよいものかと考えあぐねている間、ヴィルヘルミナのぽってりとした唇は忙しなく動き続けていた。
「そうそう、歳と言えば、グレイ様は二七のあたくしよりも年下に見えますわ。おいくつかしら? 二五? それとも二三?」
 俺は実年齢よりも老けて見えるのか。
 グラズアはちいさなやるせなさと共に息を吐く。そして、何時解放されるかもわからぬ拘束にも。
「……十九……」
「まあ! まあ!! お若いのね! 十代にして、レディのあたくしにふさわしい落ち着いた風格! 素晴らしいですわ! きっと素晴らしく頼りがいのあるお父上におなりでしょうね! あたくしの母性と対になるがための様な素質でいらっしゃいますわ! 素敵な家族を作りましょうね」
 ヴィルヘルミナは輝く笑顔をグラズアの胸板に寄せる。
「……なにがレディよ……」
 呪詛を吐き続けるテュミルに、グラズアは堪らず首を回す。困惑しきった青い瞳が、不機嫌な少女の瞳と出会い、さらに歪む。
「……ミル……助けて……」
「知らない。自分で押しのけようと思えばできるじゃないの」
「公爵の手前……怪我をさせたらまずいかなってさ……」
「いいから早くやんなさいよね。じゃないと、あたし達、あんたを置いてさっさと帰るから」
「それは止してくれよ! ラズ・デル・アニルに戻らないと、《雪解けの知らせ》が――!」
 サンデル城を擁する都、ラズ・デル・アニルの名を聞いた途端、公女は飛び起きた。
「まあ! そうですわ! 名案ですわ! 流石はあたくしのグレイ様ですわ! すぐにでもアニルに帰ってお父様に貴方様をご紹介いたしましょう! そうすれば結婚までまっしぐらですわ!」
「結婚!? 俺はそんな事一言も――!」
 猛烈な反応を見せたグラズア。
 だが彼よりもテュミルの方が、怒りの頂点に達していた。
 少女はぐいっと乱暴に公女と青年を引き剥がすと、二人の間に割って入った。
「ちょっと! そんな話、勝手に進めないでくれる? グレイは腰の重いあんたの親父に代って、あんたが生きてるかどうか見に来ただけなの! それを結婚とか――」
 少女のいきり立った声を耳に止めたヴィルヘルミナのそれも、グラズアに対するものから一変した。彼女の高身長も相まって、高飛車な物言いが高圧的に響く。
「ああら。さっきから五月蠅いと思っていたけれど、虫じゃなかったのね。小間使いが何をほざいているのかしら? グレイ様のお世話ならもう結構よ。あたくしが妻としての責務を果たしますから。お行きなさいな」
「む、虫ぃ!? 小間使い!? 妻ぁ!? 人が黙ってたら良い気になって! ちょっとグレイ! あんたがぼーっとしてるから付け込まれんのよ! 能天気ぼんぼん! ほら、さっさとヒゲ親父のところに戻るわよ!」
 テュミルはグラズアの腕を引き立ち上がらせると、戸口の方へと彼の背中を押した。そこから覗いていたラインとルヴァは、本人達もなぜか自覚しないまま、慌てて首を引っ込めた。
「あ、ああ、そうだな――わっ!?」
 しかしそれは、公女の長い腕により阻まれた。
 再び豊満な胸元へと抱き寄せられるグラズアの顔は、混乱を極めた何とも言えないものだった。
「あたくしが折角、一度は目を瞑ってあげたのに……お父様を二度も愚弄するだなんて! グレイ様! こんな女、はやく首にしてくださいまし。貴方様の凛々しい声音に野蛮な言葉が移ってしまいます。貴方様の恋人からのお願いですわ」
「ぬぁんですってぇー!?」
 テュミルの陶磁器の様な顔に深い皺が刻まれるのも無理は無い。
 再び恐る恐る様子を窺っていたラインとルヴァは、思わず顔を見合わせた。
「これは……。無事にラズ・デル・アニルに戻れますかね、ラインさん?」
「こんなとき、ミラーならどうするかな……?」
「みらーさん……? ああ、テュミルさんの! うーん、僕はミラーさんを知らないしなぁ……」
「……やっぱり、ミラーがいないと駄目かな。僕一人では限界があるのかな……」
 そっと表情を翳らせる青年騎士に、ワニアの少年ははっとさせられた。
 普段、感情の起伏に乏しいラインの言動に、自身がリシュナ・ティリアに抱く様な感情を見たルヴァは、そっと青年に心を寄せた。
「ラインさんは……、その、ミラーさんのことを……?」
「……ミラーがいたら、面倒事もさっくり片づくのにな……」
「あ……そっち、ですか……」
 こっそり肩透かしを食らった少年の背に、聞きなれた老人の声がやってきた。
「おうい、子供らよ! 今日はここに泊っていくことにしたぞい! 明朝、乗組員をアマネセールに置いてラズ・デル・アニルに向けて出発する! 気の毒なウィリアムも一緒にな! わしらが弁護してやらんことには、これから肩身が狭かろうて。ほれ、聴こえたら返事せい!」
 振り向いたラインとルヴァは口をそろえた。
「わかりました」
「はあい!」
 さっそく甲冑を脱ぎ始めた老騎士が口を尖らせる。
「……くそ王子の声が聞こえんが?」
「若は今、痴情の縺れでお返事出来かねる状況です」
 国王の騎士が、無礼にも顎でそちらを指し示す。
「まったく、けしからんな!」
「……気の毒にな……」

 口数の少ないウィリアムにまで心配されたグラズア。
 彼はこのあと、一人で眠る場所を確保するのに一時間逃げ惑った。
 やっと見つけ出した安寧の褥、見張り台の上でマントを身体にきつく巻きつけ横たわると、彼はふと思い出した。
「あ……エイノの宿題……! 全く読めてない……。時間、つくらないとな……」
 探し求める公女に聞かれぬよう、彼は溜息さえも押し殺した。

     8

 時は四月十日。
 ヴァニアス王宮は王の不在に混乱を極めていた。
 この肝心な時に、国王直下の騎士団長アルバトロス及び国王近衛騎士ラインの不在も相まって、城中が大騒ぎに包まれていた。城壁の外や城下町で革命家が騒ぐのに匹敵するほどの大声が、執事や召使の間で交わされる日々が続いていた。
 そこへ、鷲の紋章――リンデン家の旗を掲げた一団が入城した。
 物言わぬ騎士たちが一糸いっし乱れぬ整列で進むのに、革命家たちは圧倒され何も言えないまま道を開ける。
 彼らのマントには漏れなく赤、白、青の三本の薔薇をモティーフにした徽章きしょうが縫いとられていた。
「リンデン伯爵――宰相殿がご自分の騎士を連れて戻られるとは……連絡も無しに……」
「陛下が居られないことをどのようにお伝えすれば……」
「出迎え御苦労」
「御帰りなさいませ、宰相殿」
 リンデン伯爵を出迎えるために扉を開いた二人の執事はそのまなこを限界にまで見開いた。
 ハの字の髭はそのままで、リンデン伯爵には何も変わっているところは無い。
 しかし、彼らが見ているのはそこではなかった。
「――!?」
 あんぐりと開いたまま閉じられない二つの口に、リンデン伯爵は不快感を露わにした。
「どうした、お前達? 暫く見ぬうちに作法も忘れたか?」
「い、いえ……! その……!」
「あ、あの、宰相殿、こちらは一体どなたであそばされますか……?」
 リンデン伯爵は深い溜息を吐くと宣言した。
「何を言っているのだ? グラジルアス陛下に決まっているじゃないか。陛下、私めは伝令を出しますゆえ、お先に」
「ああ。頼むよ、エフゲニー」
 リンデン伯爵の後ろから歩み出てきたのは、黄金の髪を短く切りそろえた青年だった。その色さえ除けば、相貌や背格好など本当にグラジルアスに生き写しだった。声の響きもどことなく似ているが、この青年の方が豊かな音色を宿しているようにも聞こえた。
 青年をぽかんと見つめていた執事たちだったが、ふと気を取り直した。
「た、確かにお姿は瓜二つですが……、髪のお色が……」
「染めたのだよ。何か問題でもあっただろうか?」
「……!」
 柔らかな微笑み、その瞳が赤くぎらついたのに、執事は背筋を凍らせて黙りこくった。
「うむ。人の趣味にとやかく言える立場ではないことをわきまえておくことだね。下がりなさい」
 グラジルアスモドキはそう吐き捨てると、颯爽さっそうと城内に進んだ。
 真紅のビロードが輝く美しいジャケット。その裳裾もすそが、彼の軌跡を描いた。
+注意+
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