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黒獅子物語 作者:黒井ここあ

第二章 二人の王

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19/29

十、王様の冬休み

     1

 ささやかな宴が開かれたその翌日、十月十五日。
 グラズアはアルバトロスとラインとを伴って、アルバトロス邸を後にしていた。
 エイノを正式にヴァニアス城に招待するのには、形式上でも国王直筆の書類が必要だった為、早くに王宮に戻ることにしたのだ。
 アルバトロス邸から森を抜けたところに、街道が二手に分かれるポイントがある。
 その王都ヴァニアスと離宮の分岐点で葦毛の馬を止めたのは、ラインだった。
「若、僕はミラーを迎えに行ってきますので、城内でお会いしましょう」
「ああ」
 黒髪を揺らす青年の隣で、アルバトロスは口元を緩めた。
「おう、ラインよ。二人乗りで帰ってくるのを楽しみにしとるぞ」
「……二人で馬に乗りますけど……、それがなにか……?」
「まこと、羨ましいのぉ! 二人乗りという免罪符でどさくさに紛れて色々やってこい!」
 目じりを下げ切っているアルバトロスに、二人の青年はそれぞれに呟きを洩らした。
「どさくさにいろいろ……?」
「ライン、真に受けるんじゃないぞ……!」
「冗談じゃ、冗談! 気を引き締めて行けよ」
 国王と老騎士は葦毛の尻尾と灰色の髪を見送ると、手綱を引いた。
 すっかり削れ切ったあぜ道を蹄鉄が叩き、埃を立てる。
「結局、ルヴァには会えず仕舞いだったな……」
「ルヴァ……。お主の言うておった古代の民の末裔か」
「ああ。アーミュの話だと、こっちにきてからずっと一人で出掛けているらしい……」
「なあに、お前よりも男気がある様じゃの。ちゃんとコレと逢瀬をしとるんじゃから」
 そう言うと、アルバトロスは節くれだった小指を天高く立てた。
「な! 俺の知らないところで……!? 聞いてないぞ……やっぱり、会ってとっちめるべきだったな!」
「そうじゃな。きちんと教育せんと、最年少の仲間が加入することになるぞい」
 生え揃っている歯を見せびらかし、けたけたと笑うアルバトロスを見て、グラズアは呆れかえる。
 老騎士は約三週間の監禁後にも拘らず、言葉だけでなく体までもいつも通りの様だ。
「……下品」
「いんや、お下品じゃ」
「……そんなんだから嫁さん貰えないんだぜ……」
「童貞に言われたかないわな」
「……うっせ……」
「お! 素直じゃのう! 素直な良い子には夜の妖精さんを召喚してやろうかの? ん?」
「……」
 風に白髪を弄ばせるアルバトロスが、ちらと視線を若き主君にくれてやる。
 唇を真一文字に引き結んだグラズアは、ぼんやりと馬の耳を見ているだけだった。
「……はぁ……」

     2

「……はぁ……」
 暖炉の前で、毛布にくるまる少女が深い溜息をついたのを、ドーガスは聞き逃さなかった。彼女にそっと、暖めたミルクを差し出す。
 少女はそれをぼんやりと認めると黙って受け取り、口を付けた。
「……ミルちゃん、今日は髪を降ろしたまんまなんですね」
「……うん」
 カップを両手に包む少女の髪は、暖炉の炎を受け取って太陽のように燃え上がっている。そしてその流れは川の様に彼女の頬を流れている。
「本当に……世界の色を映す、綺麗な髪です……」
「……ありがと……」
「私なんて、ただ黒いだけですから、なんの面白みも――」
「――好きだよ、黒……」
 ぷっくりとした桃色の唇が、か細く動く。
「……グレイ君の色ですしね」
「な……! なんであいつが出てくんのよ……」
「ふふ。ミルちゃんは解かりやすいんですから、こっちとしては対応に困りません」
「……からかいたいなら、どうぞご自由に……!」
「もう、素直じゃないんですから……」
 暖炉の前、絨毯の上で座り込む少女の背中を見守るように、ドーガスはソファに腰を落ち着けた。
 丸まった背中は、凍える体を縮こまらせるのに似ていた。
 「……しいって……」
 「……?」
 「……寂しいって、あいつに言ってみたところでさ……。無駄だって、わかってるから……」
 「無駄だなんて、そんな――」
 「――あたしには! あたしには、あいつを引きとめる義理もないし、理由も……」
 「……理由……ねぇ……」
 きゅっと自分自身を抱きしめたテュミルの姿は、先程よりも一回り小さく見えた。
 ドーガスの目に、彼と出会ったときのいたいけな様子が被って見える。
 伏し目がちな美しい少女に、剣の教えを授けることになった、あの日の背中に似ている。
 彼女はあの時も、理由を求めていた。
 剣を握り、振りかざす、その理由を。
 ドーガスは半分ほど残っているマグをテーブルに置くと、彼女の背中にそっと掌をあてがった。
 それは心臓の真裏。
 「……ミルちゃん、ミル。あの時と同じです。君のココに聞いてみたらいいんです」
 「……」
 少女は小さく頷くと、瞳を伏せた。
 ドーガスは大きく上下する背中に、少女の精神が一点に集約しているのを感じ取っていた。
 やがて、彼女はいからせていた肩をすっと落とした。
 「……今日は、寒いね……。って、あたしのココは、そう言ってるよ……マスター……」
 「そうですか……」
 少女ははにかんで頷いた。
 それは照れからくるものではないと、ドーガスには解かっていた。
「早く、暖かくなるといいですね……」
「……うん」
 すると、どたどたと床を打ち鳴らす足音が上から降りてくるのが聴こえて来た。
 階段の手すりに飛び乗って滑り降りた双子は、うずくまる少女を見るなり駆け寄った。
「ミルちゃん……だっこしよ」
「ぎゅーです……」
 そう言って短い両腕を養母に巻きつける双子も、彼女同様の表情を浮かべていた。
 少し濁った瞳の色に、溢れ出そうな気持ちをせき止めるかのように噤み尖らせた唇がいじらしい。
 テュミルは二人の細腕にそっと手を乗せ、撫でる。
「……シロ、クロ……。グレイ……ううん、父上が……いないのは、寂しい?」
「……ぐーさま、父上……?」
「……そうよ」
「……ミルちゃんは、母上……?」
「……そう……」
 テュミルが頷いたのを見るなり、双子は抱きしめる腕を強めた。
「……父上、いないのやだ……」
「……母上は、いなくならないです……?」
「いなく、ならないわよ……」
 ぎゅっと、二人の子供を胸に抱くうら若い母親は、儚い頬笑みを浮かべていた。

     3

 暖炉前で暖まる義理の親子から、そっと去ろうとしたドーガスの背中に、ぶつかるものがあった。
 振り向いて、それが少年だと気付く。
「……ルヴァ……? やっと起きたんですか?」
「……うん……。ちょっと、だるくってさ……」
「グレイ君のお見送りに来なかったのは、そう言う訳ですか……」
 ドーガスはワニアの少年が手にしているものに目を落とした。一通の手紙だ。
「……これだけじゃないけど……。ちょっとね……」
 浮かない顔の少年を伴って玄関ホールまで行くと、ドーガスはコートを羽織った。
「……あんまり一人で抱え込むんじゃありませんよ? なんなら、一緒にスキュラへ――」
「ごめん。僕は帰らない。エイノさんから頼まれた翻訳作業もあるし……」
 俯いたままぼそぼそと喋るルヴァに、ドーガスも不審がる。
 少年らしく繊細な指先が、手紙を弄んでいる。
「……で、それがその言い訳、というわけですね?」
「……頼める、マスター?」
「……高く付きますよ?」
「出世払いで……」
「それじゃあ船長みたく、海賊にでもなって荒稼ぎしてもらいますかね!」
「……冗談はよしてよ……。じゃあ、気を付けてね、マスター」
 手紙を渡したルヴァはすぐに踵を返した。
「……ええ。ルヴァも」
「……」
 そっと人知れず家を出たドーガスは、履き慣れた革靴で街道を歩きだした。

 ヴァニアスの王宮から一番近い港町、スキュラ。
 海賊によく見間違えられる風貌を持つシグ船長の家は、その港を一望できる所にあった。
 冬の間、国と国、街と街の間を行き交う輸送船の運航は、夏に比べて少ない。
 であるから、船長は久しぶりに我が家で骨を休めていた。
 轟々という浜風は、丘を駆けあがってきて彼の家の窓を叩く。
 彼の巨体を受け止める揺り椅子が、苦しそうに唸る。
「……あいつぁ、元気にやってんのか……?」
「ええ。その手紙の通りだと思いますよ、船長」
「嬉しいんだか、そうでないんだか。初めて手紙なんか貰ったと思ったら、ワニアだか解放軍だかばっかり書いてあってよぉ……、俺への愛のかけらも無え」
「本当に、それだけでしたか?」
「……ほれ」
 シグが太い腕をドーガスにつきつける。
 小奇麗に縮れ毛をまとめた男の目前には、活きの良い文字の流れ。
 文章の結びには、ルヴァ・アルタイネの署名。
 それは、シグルドの息子の手紙に間違いなかった。
 ドーガスは、船長の大きな手から手紙を受け取り、その両面をひらりとひっくり返す。
 彼は、あたかも投げやりに走らされた文字列を発見すると、口元をほころばせた。
「船長、これは一つの愛だと、私は思いますけどね」
 シグルドはドーガスに差し出された手紙の指さされた部分を見た瞬間に、みっともなく顎を下げた。
 そして手紙を奪いとり立ち上がった。
 揺り椅子はその衝撃でひっくり返る。
 敢えて読みにくいように、小さく、そして乱暴な筆跡にしてあったそれ。
 何と書いてあったかというと――。

 『僕にも守りたい人が出来た』

     4

 ヴァニアス王宮から、ロフケシア王立図書館の名誉図書館司書エイノユハニ・ヘンリク・クルーセル宛てに招待状が届いたのは、その二日後だった。
 グラズアのしたためた手紙だと聞いて、興味津々にエイノを付け回す仲間たちの中から、彼が自室に呼びだしたのは同郷の二人だった。
「ふむ。流石というところだな」
 陽光の差し込む窓辺で手紙を開いたエイノが、形式にのっとった美しい文面に感嘆の溜息を洩らす。
「迎えの馬車が来るとは、恐れ入ったな……。意外と資料を持ちこめそうだ……」
「ね、エイノ! あたしたちもこっそりお城に行けないのかな?」
「無理だろう。僕は、僕の肩書があってはじめて、招待状を書いてもらえたんだからな」
「えー! あたし、学生だから大丈夫だって!」
「オレも勇者だし!」
 小麦色のお団子をゆらすウェンディが眉を傾ける隣で、筋肉質な青年も諸手を上げる。
「はいはい。ユッシもそうだが、ウェンディ、君にはここに居てもらわないと困る」
「なんで?」
「冬の間、皆の家に守り手がいないのはよろしくないだろう?」
「それは、よろしくないわ!」
「わかった! オレに任せとけ!」
「あっれ、ユッシ。エイノーエイノーって言わないんだね?」
「そんなに言ってンのか? グレイが王様ってのは変わんねージジツってやつだけど、オレはやっぱ、エイノの言うことをきく。間違いねーもん!」
「ほう。エイノの犬とな?」
「犬じゃない! 楯だ! 剣だ!」
「剣、けん、きゃん、きゃん。はいっ」
「きゃんきゃん!」
「ほら、犬だ」
「ちげえ!!」
 賑やかな二人の声に耐えかねたエイノは、その鼻先に一枚の羊皮紙を突きつけた。
「何でもいい。とりあえず、君たちにやってほしいことはここに書いておいたから。よろしく頼む」

     5

 日付は十二月十五日。
 何事も無くふた月が立っていた。
 その日、十九歳の誕生日を迎えた国王グラジルアスは、空から予期せぬプレゼントを受け取っていた。
 彼は思わず、バルコニーへと飛び出した。
「……雪だ……!」
 城内は普段と変わらず、ある種の静けさが支配していた。
 彼の誕生日に際して、国を挙げての催しは無かった。
 グラズアが堅く固辞したのだ。
「……エフゲニー叔父がいたら、派手に舞踏会、やるんだよな……」
 彼は一向にグラスリンデンから戻る素振りを見せていなかった。
「……また、ヒトクイをしているとしたら……こんどこそあいつを……」
 硬い拳もそのままに、グラズアは舞い落ちる雪が静かにヴァニアスを彩るのを、テラスから望む。
 音も無く白く染まってゆく城下町、そして丘。
 グラズアは、離れている仲間たちやヴァニアス王国に生きる人々の生活に思いを馳せた。
 海はしけていないだろうか。
 薪は足りているのだろうか。
 家族と共に居られているのだろうか。
「……さむ……」
 グラズアは少し身震いした。
 彼の部屋で、暖炉は持ち主と同様に静かにたたずんでいた。
 開け放たれたバルコニーの窓から、凍った空気がゆったりと流れ込む。
 少しの寒さは、少しの期待で我慢が出来た。
 それに、正装のジャケットは正面のホックを留めれば、意外と温かいものだった。
 しかし、切りそろえたばかりの黒髪が首元に風を通すものだから、彼は終始肩をすくめなければならなかった。
「……きらきら……してる……」
 真っ白な雪が光を湛え始めたのを見て、グラズアは落日を悟った。
 すると、バルコニーで彼の右頬に吹きつけていた雪が、彼の部屋に向かって一斉に流れ込み始めた。
「……!」
 その時を待っていた。
 風向きが変わる瞬間を。
 どんな顔をしようか、考える暇はもう用意されていなかった。
 両の頬をそれぞれの手でそっと揉みほぐす。
 そして、そっと両腕を開いた。
 振り向きは、しなかった。
「……遅かったな」
 思ったよりも声が掠れてしまい、グラズアに小さな後悔が押し寄せる。
「……あ、あのさぁ……」
 少女の声が、背中に。
「城に入れば暖かいと思ってたのに、どうして同じくらい寒いの? 説明してほしいんだけど……?」
 ふた月ぶりに聴く、彼女の声。
 生き生きとグラズアの中に蘇ってくるのは、思い出だけではなかった。
 体中の血管がざわめく、あの感覚も。
「そりゃあ……暖炉もつけてなけりゃ、窓も開けてたからな」
「……これが、あんたなりの歓迎……ってわけ?」
「もちろん。火傷をさせるわけにはいかないだろ?」
 グラズアはくるりと踵を返した。
 音も立てない暖炉の前にたたずむ少女を見据える。
 サファイアの瞳が舞い散る雪の向こうに見つけたのは、ふた月の間、恋い焦がれた少女――テュミルの双眸だった。挑戦的なラベンダー色の瞳が、霜やけた頬の紅に包まれて、なんだか愛らしく見える。
 彼はバルコニーの窓を閉じるのも忘れて見惚れていた。
「……あんまり……じろじろ見ないでくれる?」
 埃っぽい藍色のマント――元はグラズアの物だった――をしっかりと着こんだテュミルが、彼の目前に不敵に立っていた。
「……悪い……」
 言い知れぬ気まずさが、国王の部屋を支配する。
「……あと、窓……。閉めたら?」
「あ、ああ……!」
 テュミルに言われるまま窓を閉めた後、手持無沙汰に指を動かしていたグラズアは、思いついたように蝋燭に小さな炎を灯した。
 薄闇が包み込んだ室内に、ほのかなオレンジ色が満ちる。
 指先で揉みつぶせるほどの小さな光は、それだけでも不思議と温かさを感じるものだった。
「……」
「……」
 会って、言いたいことは山ほどあったような気がする。
 そう、顔を見るまでは、何を話そうかずっと考えていたはずなのに。
 瞳がテュミルを捉えてから。
 真っ白だ。
 ヴァニアスを覆う雪のように。
「……」
 グラズアが、揺れる灯火にどうすればよいかを尋ねていると、彼の左手が柔らかくて、少し冷たい何かに包まれた。
「うおっ!?」
 気がつくと隣に来ていた、テュミルの右手だった。
 俯いていて、その表情はわからない。
「……寒いから……あっためろ……」
 グラズアは指を、徐々に折りたたむ。
 彼女の指の形を確かめるように、そっと指の腹で撫でる。
 冷えて強張っていた指先。
 しばらく包み込んでいるうち、グラズアの体温が伝わったのか、彼女もおずおずと指を絡めてきた。
「……あったまった……?」
 やはり、思っていたよりも掠れた声が出てしまう。
「……まあ……」
 二人は繋いだ手で、もじもじとお互いの指を撫でている。
「……そっか……」
 少し嬉しい半面、物足りなさを覚える自分もいて。
 ちりちりと蝋燭の燃えるささやかな音が、部屋を支配している。
 しかしそれよりも、自身の鼓動がグラズアの聴覚を満たしていた。
 鼓動が立てる音の大きさに、喉の渇きさえも覚える。
 無理矢理に唾を飲みこんで、潤す。
「……今日は……帰らない……んだろ……?」
 テュミルは小さく頷いた。
「……ミレニアが泊めてくれるって……」
 グラズアの鼓動が、自覚と共に高まってゆく。
 指先から彼女に伝わってしまっているかもしれない。
 いっそ。
 それならば。
 生唾は収まるところを知らない。
 グラズアは繋いでいない右手で、彼女の頬を包み込んだ。
「っ!?」
 彼が目の当たりにしたもの。
 険しい眉根の下に、困惑した瞳。
 口元は緊張なのか一文字に引き結ばれて。
 彼の右手が語る。
 温かな頬は、紅に染まっていると。
「……ミル……」
 ぷっくりと肉感的な唇に、視線もろとも吸い込まれそうになる。
 あの日のくちづけの、柔らかなときめきがまざまざと蘇ってくる。
 甘い疼きが体中を支配する、あの感覚。

 ――もう一度……。

 青い瞳を伏せたグラズアに、テュミルが小さく叫んだ。
「グ、グレイ……!」
「……何?」
 テュミルは彼女の左手で、瞼を上げたグラズアの前髪を弄ぶ。
「っか……! 髪……、切った?」
「あ! ああ……」
「そっか……、そっか……」
 二人はどちらともなく近付けすぎた顔を離し、視線を逸らし合う。
「……ミルは、伸びたな……」
 グラズアもお返しとばかりに、彼女の前髪のひと房を撫でる。
 額の中心で分けた銀色の前髪が、すっかり顎の下に届くようになっている。
「さ……触らないでよ……」
 弱々しく体を捩る少女。
「……湯浴み、してないから……って言いたいんだろ?」
「だ、だって! お風呂入った後に外に出たら風邪ひくじゃない、冬なのよ!」
「……今すぐ、用意させようか?」
「! あ、あんた、そんなこと言って――!」
「べ、別に! やましいことは一つも考えてないぞ! セルゲイとは違うから!」
「あらそう! そそられない程、あたしに魅力がないって言いたいわけ?」
「そうは言ってないだろ! 俺はお前の事を思ってだな――!」
「思ってたら!! ……思ってたら……一回くらい……会いに来て……くれたって……」
 先程までの激昂が嘘のように、しぼむテュミル。
 グラズアの両腕は、勝手に彼女を抱きしめていた。
 少し汗の混じったフルーティフローラルが、グラズアの心を締め付ける。
「……ごめん……」
「……怒ってるんだから……」
 彼の胸の中に少女が呟く。
「……ごめんって……」
「……絶対に許さないもん……」
「……どうしたら許してくれる……?」
「……」
 少女の瞳が、おずおずとグラズアを見上げる。
 頬どころか、目元までほんのりと薔薇色に染まっている。
 震える睫毛が、そっと伏せられた。
 グラズアは、少女の陶器のようにつるりとした頬を、壊れ物のようにそっと手で包み込む。
 瞬間、テュミルの身体が強張る。
 それはグラズアも同じだった。
 生唾を飲み込む。
 少し乾いていた自身の唇を舐めて潤して。
 あの日のように、鼻を絡ませて。

 彼の唇が、少女の――。

 くちづけが交わされようとしたその時。
 大きな音を立てて、国王の部屋の扉が開け放たれた。
「若、テュミルさんは何時頃居らっしゃるんです?」
「ライン殿! ちゃんとノックしないなんて――!」
 飛び込んできたのは、王の友人にして部下の二人だった。
 国王とその恋人は、彼らが侵入してきた瞬間にそれぞれに身体を離した。
「あ!? 何も、何もしてないぞ! こいつが寒がって抱きついてき――」
「それはあんたでしょ! 暖炉もつけずに!」
「だからそれ、さっきも言っただろ? お前が来るから――」
 二人は、蝋燭の明かりの中、抱きしめ合っていた男女を認め、それぞれ過敏な反応を見せた。
「ミルちゃん!? 速いよ、いつの間にだよ!? わた、私、出ます! 今すぐ出ます!!」
「若、そうならそうと、事前に言ってください。ミラーを管理し損ねたじゃないですか」
「え? 俺が悪いの?」
「管理ってなんですか、ライン殿! 私は大丈夫です! むしろ、邪魔に入ったのはライン殿じゃないですか! さ、出ましょう!」
 二人なりに慌てているのを見て、恋人達はぽかんとし、どちらともなく笑いだした。
「若、女中に湯浴みの準備をさせますので、今しばらくお待ちを。それとテュミルさん、折角ですから晩餐のドレスをお持ちしましょう。もちろん、ミラーに選ばせますから、ご心配なく」
「今すぐ着替えを持ってくるから、それまで絶対部屋から出ないでね、ミルちゃん! 絶対だからね!」
 では、と揃った一言を残すと、二人の側近は素早く国王の部屋を後にした。もちろん、扉はしっかりと閉めて。
 突然やって来た嵐に、雰囲気も何もかもぶち壊された二人だったが、その表情は晴れやかなものだった。彼らが緊張を解いてくれたと言っても過言ではない。
 二人は、どちらともなく両手を繋いだ。
 グラズアが、自身の額を彼女のに軽くぶつける。
「……誰か来る前に、っていうのは、嫌か?」
 サファイアの瞳が煌めくのを、テュミルは見逃さなかった。
 彼女は、グラズアの高い鼻に自身の鼻をこすりつける。
「……悪くないんじゃない……?」
 二人は絡ませ合っていた視線を解く。
 そして、微笑んだ口元もそのまま。
 唇をそっと触れ合わせた。
第三章へ!
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