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黒獅子物語 作者:黒井ここあ

第二章 二人の王

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九、Under the Roses

     1

 街道の轍の上で、馬車は北へ向かって車輪を回す。
 それを自在に操っている矮躯の御者に向かって、黒い頭がひょっこりと顔を出した。
「なあ、ロップ。ちょっと聞きたいことが――?」
「なんなのネ? 商品を勝手にいじるのは誰であっても許さないのネ。帳簿と在庫が合わないと面倒くさいからネ」
 キツネ目の小人――コロボックル族のロップは、張りのあるバリトンに素早く振り向いた。良く回る口と語気はきついものだったが、ご機嫌なキツネ目とふっくらした頬のせいで、その効果は半減していた。
 グラズアはそれを笑い飛ばす。
「それなら大丈夫だ。俺は、人の物を勝手に取らないから」
 俺は、という強調に反論する声が、後ろから威勢良く飛んできた。
「ちょっと! それ、まるであたしが盗むみたいな言い方じゃない?」
「じゃあ、その手に握っているリボンは何だ?」
 グローブを外した少女の掌。そこに乗っていたのは、繊細な指先に似合う細口のリボンだった。
「何よ! 見るのも駄目なわけ?」
「別にそこまで言ってないだろ? その前に、勘違いされるような真似をしているのが、いけないんじゃないか?」
「むぅ……! ちゃんと元に戻してるのに……!」
 未練がましく、薔薇色が美しいサテンのリボンを弄ぶテュミル。
「持ってっても良いけど、その時のねーさんのお代はグレイにーさんにつけとくからネ」
 ロップの言葉に、男女がすかさず食らいつく。
「ほんと!?」
「え!? なんで、俺!?」
「なんでもなにも無いネ! 国王様のグレイにーさんがこの中で一番のお金持ちだもんネ! ああ、あと帳簿にマイナスを書いておくのも忘れないでネ」
 言葉に詰まるグラズアは頬に何かを感じた。それは、すこし気おくれしながらも、きらきらと期待に輝く視線。
「……ほんとにいいの……?」
「いや……、ミル……あのな……」
 弁明を図ろうとしたグラズアの青い瞳に、頬を染める少女が映り込む。
 テュミルは、照れか喜びか、はたまた悔しいのか、頬を持ち上げながら眉を傾けるという複雑な表情を浮かべていた。
「……な……、なんて顔してんだよ……」
「……う……嬉しい顔……、かも……」
 とどめと言わんばかりに、へへっ、と小さな照れ笑いを溢されてしまったので、グラズアは耳を赤くして口を噤むほかなかった。

 ヴァニアスへの帰路は、時間の経過が早く感じられていた。
 アルバトロスが馬術を披露しようと老体に鞭打ったせいで腰痛を患えば、そんな彼のためにとりだしたロップの薬が思わぬ副作用を生じさせたりと、グラスリンデンへの道のりが嘘のように、晴れやかなものだった。
「……でも、本当に良かったのか? 成り行きで解放軍なんか入って……」
 揺れる馬車に背中を預けるグラズア。その隣ではテュミルが薔薇色のリボンを髪に編みこんで遊んでいる。
「ああ、その話ネ。ワタシが前線に出るわけでないしネ。それに、王様に恩を売る機会なんてお金を出したって買えないのネ! 革命打破の暁には、ヴァニアスの商人ギルドを牛耳るのも時間の問題になるのネ……! フフフ……」
 不穏な笑いを浮かべるロップに、グラズアはにわかに戦慄を覚える。ヴァニアスの流通経済の全てを彼に乗っ取られてしまうのは、なんだか良くない気がしていた。
「……国を取りかえしたらまず、経済の勉強をしないといけないな……」
「……ま、そういう野望を持ってると、知ってておいてネ。世界にとどろくロップ商会のためなら、買い出し、売り込み、ゴシップ、その他! 街に出てすることは全部、僕がこの広ーい顔を駆使してやってあげるのネ!」
 彼の申し出に嘘は無いように思えた。
 そして、ロップの存在があったからこそ、補給のために街に寄らずに済み、真っ直ぐにヴァニアスを目指せていたのだ。
 ヴァニアス領にもとっくに入っており、アーミュの牧場――アルバトロス邸まではあと一日というところだった。
 ロップが御者を務める彼の商業馬車、その中で、荷物同然の扱いを受けていた男女がいた。
 進行方向とは真逆の、馬車が残す足跡を眺めている二人。
 髪結いを終えたテュミルがぼやくのを、グラズアはやんわりと受け流していた。
 彼女は、どんどんと遠ざかってゆく景色に、愚痴をぽろぽろと置いて行くつもりらしい。
「あーあ。早く降りたいなぁ……」
「……ああ」
「お尻だけじゃなくて、身体あちこちが痛いし!」
「……ああ」
「あと、ミレニアに問い詰めたいことも一杯!」
「……例えば?」
「ラインのどこがいいのとか、おじじに変なことされてなかったかとか、色々!」
「……その色々を聞きだすくせに、自分からは何も喋らないんだな?」
「……五月蠅いわよ……!」
「――痛っ!」
 テュミルの拳骨がグラズアの方にがっつりと決まる。
 馬車の中、グラズアとテュミルはそれぞれのマントを丸め、腰に響く衝撃を和らげようと努力していた。その少女の膝では、精霊が何故か実体化して、すやすやと眠っている。
 子供に懐かれ易い彼女を見て、肩をさするグラズアは小さくほほ笑みを零す。
 しかし、グラズアの心を覆った謎の靄は一向に晴れないのも確かだった。
 エドゥアルガス、シャラーラ、そしてラミナス。
 グラズアにまとわりつく三つの名前。
 謎の言葉はそれだけではなかった。
 《三本の薔薇》、《用済み》、それから《真実の王》ほかにもあったような――。
 グラズアは揺れる馬車の中、諸手を上げて頭を掻き毟る。
 乱雑に記憶した情報が、一向に繋がらないのだ。
 解けそうな謎も、このままでは謎のままである。
 青年の苛立ちはそのまま叫びになっていた。
「あ~~~! もう、わっかんねぇよ!」
「ふぁ!? と、突然何よ!?」
「……んー? ……えど、どしたの……?」
 テュミルの膝の上でうとうとしていたココも目覚めたようだった。
「だって、ミル! 俺達、何回も他人の名前で呼ばれてるんだぜ? しかも俺はご先祖様のエドゥアルガス、お前はシャルとか、シャラーラとか――!?」
 グラズアはふるった自身の熱弁で気付いてしまった。
「……な、何よ……?」
「え……! だって、俺、最初にお前を見たとき……!」
 サファイアの瞳が真ん丸になるのを見て、テュミルも目を丸める。
 その彼女の顔を、グラズアはまじまじと見つめはじめた。
「……ミル……!」
「え……?」
 見つめる時間が一秒延びるごとに、彼の顔が近付いてくるものだから、テュミルはたじろぐ。
「え……? ね、あの、ココもいるし……、今は……」
「……」
 グラズアは生唾を飲み込み、しっとりと瞬く。
「……だめだってば……」
「……やっぱり、そうだ……」
「……へ?」
 グラズアは、頬を染める少女の相貌をつぶさに観察していた。
 つるりとした頬に、意思の強そうな愛らしい目元。
 眉の角度、唇の薄さに至るまで。
 そうだ。
 目前の少女が、誰に似ているのか――。
「お前を最初に他人と間違ったのは、ほかでもない俺だったよな……?」
 グラズアの独白に、テュミルは一瞬瞳を丸めると、慌てふためき耳まで真っ赤にして笑いだした。
「――あ! そ、そっちか! あはは!」
「……今はその話をしてただろ?」
「そ、そうだったわね! えっと、なんだっけ――?」
「最初にお前と会ったとき、俺がお前の事を巫女姫様と勘違いしたっていう話」
「……そういえば、誰だかに間違えられたわね」
「お前が間違えられ続けているシャラーラっていうのは……巫女姫シャラーラ様の事だったんだよ!」
 興奮に息巻くグラズアに対し、テュミルが申し訳なさそうにする。
「ごめん……。その……すごさがよく……解んないんだけど……?」
「悪い。その人は、俺のご先祖様、エドゥアルガスの妃だったんだ。ヴァニアス王家の跡取りは王位継承の儀式で、彼ら二人の横顔に平和な治世を祈ることが義務付けられてる」
 テュミルが銀の髪を横に流し首を傾げる。
「うーんと……。じゃあ、グレイの遠いお祖母ちゃんってことか……。なんか複雑な気分ね……」
「その言い方のせいだろ……」
「そうだよ、しゃるだよー!」
 点と点がリンクした喜びに感嘆の声を上げているグラズアに対し、ココも手放しで同意する。
 彼は子供に向きなおる。
 そうだ、ここにも糸口が居たのだ。
「ココ。エドって言うのは……、ご先祖様のことであってるんだよな?」
「ううん、えどはえどだよ」
 彼の膝の上に登ってきてきょとんと小首を傾げる子供に、肩透かしをもろに食らう。目の前の精霊は、グラズアをエドゥアルガス本人だと誤認したままなのだ。
「ああ、ごめん、俺の言い方の問題だったな……」
 シャラーラと対になって語られる名前。
 それは、グラズアの先祖、ヴァニアス王家の始祖の名前であり、《英知の書》の著者だ。
「……百歩譲って俺ということにして……。エドって本当は、エドゥアルガスって言うんだろ?」
「あたり! えど、すごい!」
 目に見えて喜んだ精霊は、彼の膝の上、羊の脚で立ち上がってグラズアに抱きつく。
 青年はそれを優しく抱きとめながら、最後の質問をした。
「……ラミナスって、エドの知り合いだったんだろ? どんな関係だったか、聞いてないか……?」
 ココの体に緊張が走ったのを、グラズアは察知した。
 こくりと頷く子供が、テュミルの方に腕を伸ばし、助けを求める。
「……ココ、おいで」
 グラズアの膝からぴょこんとテュミルの元に飛び移った子供は、テュミルに抱かれると少し安心した様子を見せた。
 申し訳なさそうに、瞳を動かす子供。
「あのね、らみなすはね……」
 獣のような爪と爪をかりかりとさせている。
「あのね、えどのね……」
 二人は、馬車の車輪の音にかき消されそうな声に耳をそばだてる。
「……おにいちゃんだよ」
 ぽつりとつぶやいた声。
「そ、それは――」
「グレイ! ココがまだ――」
 テュミルが右手でグラズアの口を塞ぐ。
 もごもごと口を動かすその前で、ココはテュミルを見上げた。
「らみなす、らやが、やっつけてくれたんだよね! ね、しゃる?」
 轍の上を行く馬車。
 その中で、二人の男女は首を傾げあった。
「……らや?」
「……どっかで聞いたことあるんだけど……!」
 テュミルは、再び頭を抱えた彼の肩を労うのだった。

     2

 ルヴァは、水色の瞳を限界まで丸めていた。それは、闇夜に浮かんでいる月に似ていた。
「ふ……、ふわふわなのに、もちもちする……! なんだこれ……!?」
 その手には、耳が長くてもっちりとした手触りの、兎に似た生き物がくったりと抱かれていた。
 それが兎ではないと言い切れる証拠に、その生き物の額には淡い緑色の結晶がはまっていた。それは森の色に似た若々しさと、海の色に似た透明度を誇っていた。
「ラヤよ。かわいいでしょ? ラヤ、ルヴァの事は怖くないみたい!」
 ナティアがにっこりほほ笑むと、ラヤと呼ばれた生き物は一声鳴いた。
「むぅ!」
 両の掌に載る愛らしい姿かたちにも拘らず、その声は羊のようにくぐもっていたので、ルヴァは思わず吹き出してしまった。
「な! なんで笑うの、ルヴァ?」
「だって、だってさ……! むう、って鳴いたんだよ! なんだかおかしくて!」
「ラヤはずっとそうだもん! ねー?」
「むぅー」
 少女と偽兎が同じ調子で返事をするのも、ルヴァには面白く感じられた。
 ナティアに抱きあげられたラヤは、嬉しそうに彼女の頭に乗ると、彼女の髪の毛を食み出した。
「ナティア……髪の毛、食べられてるよ?」
 ルヴァの心配をよそに、ナティアはあっけらかんとしていた。
「大丈夫よ。これもいつものことなの」
「あと……重たくないの?」
「いいえ、全然」
 ナティアは躊躇なく、少年の頭に白い生き物を乗せた。ラヤも大人しくされるがままだった。
 しっとりと髪の毛の上に乗ったラヤは、短い手足で佇まいを整えている。
「……く……くすぐった……!」
 その小刻みの動きがなんだかこそばゆくて、ルヴァは笑うのを必死にこらえた。
 むずがゆさが止まると、彼の前髪のひと房が引っ張られるのを感じた。しかし、不思議と痛くは無い。
「……わあ!」
 ナティアが歓喜に声を高める。その瞳もきらきらと輝いていて、ルヴァはそこに星を見出した気がした。
「ルヴァったら、ラヤに気に入られたみたい! これはすごいことなのよ!」
「そ……そうなの……?」
「ええ! お兄様にもまだ、もむもむしていないのに……。やっぱり、わたしたち、気持ちが通じ合ってるのね!」
「むぅむぅ!」
 頭上の生物に少しだけ嫉妬するルヴァ。
 夜風がむき出しの頬に沁みる。それは、冬の足音のように、静かで冷たい。
「へえ……ナティアにはお兄さんもいたのか……! 初めて知ったよ。どんな人なの?」
「言ってなかったかしら。グラズアお兄様はね、とってもお優しいの。わたしが間違って魔法を当ててしまっても、全然怒られなかったくらいよ!」
「……ぐらずあ?」
 ナティアがご機嫌に頷く。柔らかな金髪が一呼吸遅れてたなびく。
「お兄様の愛称なの。本当は、グラジルアスっていうのよ。わたしたちのお爺様にあやかったお名前だって、お母様が言ってらしたわ」
「グラジルアス……!」
「……ルヴァ?」
 少年は、自身が犯し続けた過ちに、ついぞ気付いてしまった。
「ナティア……。君は……」
「はい?」
 ナティアは、貴族の子女ではなかったのか。
「……ねえ。僕の言うことが間違ってたら、言って欲しい……」
「なあに、急に? 聞かせて?」
「君は……」
 それよりも位の高い、この島国を統べる王の、実妹だったというのか。
「……王女様……なのかい……?」
 彼女の、陶器のように滑らかで、小さな愛しい顔。
 それを眺めることすら、咎められているような気分が彼に滲む。
「…………はい……」
「……そっか……。そう、なんだね……」
 国を改革しようという、解放軍に首を突っ込んだ船乗りの少年。
 彼はおもむろに、繋いでいた手から力を抜いた。
 優しい繋がりは、たったそれだけで解けてしまう。
「……ルヴァ……?」
 僕達が出会ったのは、間違いだったのかもしれない……。
「……知らなかったよ……」
 目の前に恋人がいるのにも拘らず、ルヴァは絶望感に腕を垂らすのであった。

     3

 三階建の石造りの家。その門前に、商人の馬車が止まっていた。
「みんな! けがしてなあい? 元気だった?」
 壁を登るツタが枯れた、どこか懐かしい牧場の家で、満面の笑みを浮かべて一行の帰りを迎えてくれたのは、小さなホストマザーのアーミュだった。その顔は安堵で緩められていた。
「まずは、ようこそいらっしゃいました! えっと――」
「聞き耳、うさ耳、ロップの耳! で毎度お馴染み、コロボックルの大商人ロップなのネ!」
 同じ背丈の二人が握手をする。
「わあ! はじめまして、ロップくん! 同じくらいなのにお仕事、すごい!」
「ああ! 人間の見た目で言うと、十歳くらいに見えるよネ! でもほんとは二五歳なのネ!」
「まじか!! ちみっころ、俺より年上だったのか!!」
「実年齢もそうだけど、精神年齢もワタシよりずっと下だよネ、ユッシにーさん」
「うわー……。先輩かよ……なんかショックだ……」
 愕然とするユッシを先行し、エイノがアーミュの頭を撫ぜた。
「帰ったよ。お疲れ様、アーミュ」
「おかえりなさい、エイノくん」
「ああ、ただいま」
「ユッシくんも! ほら、元気出して!」
「……おー!」
 汗と旅の埃とにまみれている仲間達一人一人に声をかけながら、温かい抱擁をする少女。
 彼女は姉のように慕うトレジャーハンターを見つけるなり、一目散に駆け寄った。
 テュミルは彼女を受け止めるために、膝を土で汚す。その隣には本の精霊の姿もあった。
「ミルちゃん! おかえりー!」
「アーミュ! 今日は一緒にお風呂入ろう!」
「やったぁ! ココちゃんも一緒?」
「しゃるとあーみゅといっしょ!」
「そうだよね! 一緒がいいよね!」
 迎えられた仲間から、家に入っていく。次はグラズアの番だった。アーミュの顔が、途端に曇る。
「――あ……。ぐ……ぐれ……」
 グラズアはまごつく少女に向かって屈みこんで、彼女の顔を見上げた。
「……エイノがみんなに言ってくれたんだってな。どっちでも、言いやすい方でいいぞ?」
 ほんの少し、照れくさそうにもじもじすると、少女はおずおずと彼に腕をまわした。
「……へいか、おかえりなさいです……」
「ああ。ただいま、アーミュ」
 グラズアも、いじらしいアーミュの抱擁に応える。
 その広い背中に対して、演技がかった声が飛んできた。
「まだかのぉ。後ろが閊えとるぞい!」
 その声の主に気付いたアーミュと抱擁を解いたグラズアは、彼女の背中を軽く押してやる。
「おじじさま! 長旅お疲れ様だよ!」
「ちょっとは大きくなったか、アーミュや?」
「背は伸びたよ!」
 アーミュは鎧の養父を抱きしめると、最後の一人に向きを変えた。
 アッシュグレーの髪を持つ青年の顔を見るなり、少女の瞳がこぼれんばかりに見開かれその動きが止まった。
「え、うそ、お兄ちゃんも一緒だったの!?」
「アーミュ、ただいま。僕にぎゅーは無しなのかな?」
「ううん! 久しぶりだね、お兄ちゃん! おかえりなさい!」
「はい、久しぶり」
 同じ養父を持つ血の通わない兄を、アーミュはしっかりと抱きしめた。
 彼の方も、久方ぶりに会う義理の妹の頭を優しくなぜた。
「アーミュや、わしにするよりも時間が長くないかね?」
「だって、おじじさま臭いんだもん」
 義理の親子が揃って口を尖らせたのを、グラズアとラインが笑い飛ばした。

     4

 グラズアが家の中に入ると仲間たちによる、さらなる熱烈な歓迎を受けた。
 特に双子は顔を見るなり飛びついて来て、それから一向に離れようとしなかった。
「ぐーさま! おかえりおかえり!」
「ぐーさま! おみやげないですか?」
「……お前達、それをどこで覚えたんだ?」
「お出かけに付随する、置いて行かれた者の寂しさを埋めるものは、お土産しかない! っていう公式があるのを教えてあげたんだよ!」
 キッチュなメゾソプラノが、双子の喧騒を突き抜けてきた。左右非対称のお団子を揺らしながら、薬学生がととと、と軽い足取りで躍り出る。
「お前か、ウェンディ!」
「悪かったー? いやあ、グレイがいないから、暇で暇で! はい、じゃあ右から飲んでみようか!」
 新緑と同じ色をした瞳を輝かせる少女が取り出したのは、色とりどりの試験管。グラズアに向かって、早速と言わんばかりに付きつけてくる。
「疲れた体にガツンと聞くお薬だよっ? 遠慮はいらないよっ?」
「……結構です――」
「ああ、ここにいた! ウェンディ、例のやつ、使ってみたわよ!」
 ふと、グラズアの隣にふわりと清潔な香りが漂った。
 香りの元を辿ると、テュミルが革袋を片手に立っていた。彼女は先程まで纏っていた旅装束から、ゆったりとしたリネンのワンピースに着替えていた。大きく開いた胸元が、グラズアの視線を誘う。思わず注視していた自分に気付くと、彼は思いっきり首を捩った。
「おおっ! ミルやん、お着替え早ーい! んで、どうだったアレは? どうだった?」
「いい感じだったわ! あとは導火線の火の付きが良かったら、文句ないわね!」
 例のアレ、という言葉に首を傾げたグラズアだったが、テュミルが導火線と言ったことですぐに何かを理解した。
「ああ、爆薬のことか!」
「そうだよ、グレイ! ふーむ……研究の余地、ありありだね! 暇つぶしがてらに爆薬の研究を平行しても良いかも知んない。そうそう! 暇つぶしといえば秘密訓――」
 黒板とチョークを手に口を回す少女に、ドーガスの声がキッチンから飛んできた。
「ウェンディちゃん! 手伝ってください!」
「ごめんマスター! 今行くー! そんじゃミルやん、詳しくは夜ってことで!」
「わかったわ」
 忙しなく去った少女の背中に、テュミルが手を振る。
 その隣のグラズアは、しがみついてくる二人の養子を引っぺがそうと躍起になっていた。
「ほら、お前達、ミルのとこにも行け、な?」
 二人はほっぺたを膨らませ抗議する。
「ミルちゃんとは、今日一緒に寝るもん! 今はぐーさまなの!」
「ミルちゃんは後です! ぐーさまも、旅でミルちゃんと寝てたです?」
「寝てない! 俺達は寝てないぞ!」
「何、大声で言ってんのよ、馬鹿!」
 双子の無邪気な発言を受けて、大げさに反応する男女。
「寝ないのか! すごいな、ぐーさま!」
「寝ないと辛いのに、すごいです、ぐーさま!」
 双子は羨望の眼差しを若き養父に送る。
「いや、そっちじゃなくて……!」
 真っ赤になって慌てふためく二人を見て、たった一人を除いた、ほとんどの仲間たちがそっと口の端を持ち上げていた。
「あの赤いほっぺた……! やはり、お二人は風邪を召されたのでは……!」
「お、お兄ちゃん! へいかは大丈夫だよっ! それよりも先に、お部屋に行こうよ? 荷物置かないと――」
「僕の荷物より先に、若のを――」
「ああ、もう! いいから、こっちきてー!」
 事態を深刻にとらえる青年の腕を、義理の妹が掴み、そのまま、ずるずると引きずっていった。

     5

 仲間の帰還に沸き立つアルバトロス邸で、賑やかな夕餉が催された。
 普段は鳴りを潜めているシャンデリアなどの照明器具たちが、それぞれに炎を得て生き生きとしている。灯りが食卓を暖かく照らし出す。
 成人していない子供たちは、食事が終るなりすぐにじゃんけんをはじめた。湯浴みの順番と支度を決める儀式らしい。
 仲間たちが行き交うのをソファの上から見守っていたグラズアの目前に、グラスが置かれた。芳醇な香りのこんがりとした飴色の液体から、それがウイスキーだとわかる。
「グラズア! ほれ、今日は付き合っとくれよ!」
 からりと一つ、自身の空いたグラスの氷を鳴らしたのは、九死に一生を得た老騎士だ。
 青年はウイスキーを舐めると、やれやれと片眉を上げる。
「体力が落ちてるところに、酒を注ぐのはやめとけ、セルゲイ。明日に響くだろ?」
 纏った草臥れたローブを引きずって、アルバトロスはグラズアの正面にあるソファに深く腰を沈める。右手に持っていたボトルの中身をグラスへなみなみと注ぎ、それを養子に手渡す。
「これで滋養を付けなくて、何で付けろというんじゃ! ほれ、ラインも」
 受け取った青年騎士は、それをひと思いに煽った。
「……ごちそうさまでした。若の言う通りだと思います、お爺様。今日はやめておきましょう」
「……つれないことを言う割に、しっかり飲むんじゃな、お前達は……」
「喉が渇いていただけですよ。ユッシ殿にとってのエールみたいなものです」
「何、エールとな?」
「ああ! フォウルのヴァイツェンは旨かったな、ライン!」
「はい、飲みやすかったですね。やっぱり、ミラーに買ってきてあげればよかったかな……」
「何!? フォウルで飲んできたのか!? くそう! 樽か? 瓶か?」
「樽でしたね」
「おのれ……! けしからん、大変けしからんぞ! これが飲まずにいられるかっ!」
 勢い余って、瓶に直接口を付けたアルバトロス。
 突出した喉仏が何度も上下するのに、グラズアは軽く頭を抱えた。
「あーあ……。俺、知らないぞ……」
「これ、グラズア! うちの蔵の底力、見せつけてやるわい! ほれ、ついてこんか――!」
 息巻く老騎士のウイスキーを、上から何者かがひょいと奪い取った。
「アルバトロス殿。晩酌は顔合わせの後にしていただけますか? 折角の威厳が、酒気で八割減してしまうと、今後の士気に関わりますから」
 濡れて濃い色をしているオリーブ色の髪の青年が、アルバトロスの背後でその髪を拭いていた。
 トレードマークである眼鏡は、彼のシャツの襟繰りに引っ掛けてある。いつの間にか湯浴みを終えていたようだ。
「ぬぅ……。エイノユハニに言われては仕方あるまいか……」
「……エイノ、助かった――」
 エイノは、残念そうに眉を傾けるアルバトロスからグラズアに、胡桃色の視線を投げた。はっきりと見えないためか、その眼は不機嫌そうに細められていた。
「ああ、グラズア殿もその一杯だけにしておいてください。また、急にテュミルさんと踊りだされては困るので」
「え、エイノ! あれは――」
「なんじゃそれは!? わしのおらぬ間に、面白いことばかり起こりおおせて……! 聞かせんかい、ええ!?」
 青くなったり赤くなったり、忙しい老騎士。
「ぐーさまー! ミルちゃんのお風呂終った!」
「ぐーさまー! 早く来て下さーい!」
 まさに天の采配。
 双子の声を耳に入れた途端、グラズアはウイスキーを飲みほして浴室へそそくさと逃げた。
「あ、後で! 後でな!」

 最後に湯浴みを終えたグラズアは、新鮮なお湯やタオルを運んでくれた双子を労うと居間に向かった。
 と、アーミュがばたばたと椅子を運んでいたので、それに手を貸す。
 日付は十月十四日。時刻は午後九時を回ろうとしていた。
 それぞれに旅の汚れを落とした旅人達と、牧場で待機していた仲間が居間で顔を突き合わせた。
 グラズアはその顔ぶれを見回す。
 老若男女、国籍も人種も異なる総勢十一名。
 今はここにいないミラーやルヴァも入れれば十三名だ。
 約一カ月、たったそれだけの期間に出会い集った仲間達だったが、すでに馴染んだ顔として、なんとなく安心するものだった。
 居間の机に書類を置いた軍師が、眼鏡の奥で胡桃色の瞳を瞬かせる。
「さて。若干おねむの子供たちがいるけれど、それは致し方ないとして……。グラズア殿、まず騎士の御二方をご紹介願えますか?」
「ああ、わかった」

 グラズアが二人の騎士と仲間とを紹介するのが終ると、居間の真ん中を陣取っていたアルバトロスがソファから立ち上がった。ウイスキーを水のように飲んだ割には、足元は一切ふらついていなかった。
「ご挨拶が遅れてすまなかった。わしが、ヴァニアス王家の騎士にして騎士団長を担うセルゲイ・アルバトロスじゃ。お集まりいただいた諸君においては、この国を正すという、わしの理念に賛同いただけたこと、感謝を申し上げたい」
 アルバトロスはヴァニアスの現状と、この解放軍の目的を端的に説明しはじめた。

 現国王グラジルアス・ラズ・スノーブラッド・ヴァニアスを暴君に仕立て上げ、実際に政治を行っているのは、彼の叔父で宰相のリンデン伯爵であること。
 その彼が議会制から絶対王政へ移行してしまったヴァニアス王国の政治を、元の議会制に戻すこと。
 更にリンデン伯爵は、革命家を裏で手引きし、自身で布いた絶対王政を覆して自身が国を乗っ取ろうとしていること。
「我らは保守派。その目的は、王国と王家の保全じゃ。その為に、リンデン卿の失脚はいとわぬ。ゆくゆくは王城に軟禁されているグラジルアス陛下を、この軍の指揮者としてお迎えしたいと思っておる。それまでは、このグレイが――」
「あ、あのさ、セルゲイ……」
「何じゃ、くそ王子――!? いや、くそ坊主!!」
「お爺様、無駄な努力は止して下さい」
「な、何を言う我が息子よ!」
 先程までの威厳はどこへやら。アルバトロスは話の腰を折られて調子を狂わせた。
「おじーちゃん。あたしたち、もー知ってるよ? グレイって王様なんでしょ?」
 それを畳みかけたのは、小麦色の髪を降ろしたウェンディだ。
「ぬぅ!? これは一体……!?」
 戸惑いに鳶色の瞳を丸める老人のローブを、引っ張る小さな手があった。
 それは、申し訳なさそうに身体を縮こまらせている、彼の養女のものだった。
「……あのねぇ……。アーミュがいけなかったの……」
 か細い声を補強するように、軍師が口添える。
「アルバトロス殿、犯人は僕です。アーミュは、あなたの教育通り、真っ直ぐに育ちました。だからこそ、グラジルアス陛下の二面性に対応できずにいました。ですから、見かねた僕が皆に真実を伝えたんです」
「っま、最初はびっくりしたけど、グレイは悪い奴じゃないって信じてたしな! 王様でも関係ねーや!」
 入浴後の為、桃色の髪が大人しいユッシが白い歯を見せる。
「そもそも、こいつが国王に見えた試しがないわ。……確かに、世間知らずのぼんぼんだったけど」
「な!? ミル、それをまだ言うか!? エイノ、お前は――?」
「……グラズア殿には悪いですが……」
 珍しいことに、トレジャーハンターと司書の意見が一致した。
 初めて王冠を被った十三歳のときから、体躯も精神も成長したという自負があったグラズアは、仲間からの評価にがっくりと肩を落とす。
「……俺にはまだ、重すぎる王冠ってことなのか……?」
「若、大丈夫です! 若は僕にとって、何時までも若ですから!」
「……それじゃ駄目なんだよ……ライン……」
 そもそも《若君》とは、家を継ぐ者を呼ぶ愛称であると、ラインは理解していないようだった。十三歳で王冠とオーブ、そしてテンのガウンと共に王位を継承したグラズアには、《若》という呼び名はとっくにそぐわないものなのだ。
 失意に項垂れるグラズアに向かって、アルバトロスの豪快な笑い声が飛ぶ。
「ばれてしまったもんは仕方ないし、グラズアがお子ちゃまの甘ちゃんのぼんぼんなのも事実じゃ! まあ、お陰で話が簡単になったわい。と、言うことで、今日からこいつがこの小さな軍の指揮者じゃ」
「え!?」
 アルバトロスの爆弾発言にグラズアは顔を崩す。そして声にならない声でラインに助けを求めた。
「ど……!?」
 どういうことだ?
「え? 最初からこういうお話じゃなかったんですか?」
 グラズアが諦めたような表情をする隣で、眼鏡の青年が挙手した。
「グラズア殿がリーダーということに異議はありませんよ。ライン殿の言う通り、元からそういう予定でしたしね。しかしながらアルバトロス殿、我々は軍と言うには余りにも小さく、それ故に王国の――リンデン卿の所有する軍隊と戦う術もほとんどありません。その辺りはいかがお考えなのですか?」
 グラズアも彼の指摘に賛同した。
 みずから軍師と指名したロフケシアの青年に、アルバトロスはにやりとしてみせる。
「そう言うと思っておったぞ。軍を動かすんじゃ……これっぽっちの頭数じゃ、物足りんじゃろう?」
「もったいぶらずに、簡潔にお聞かせ願いたいですね」
「おうおう! 少し待っちょれ!」
 アルバトロスは用意してあった羊皮紙を広げる。そこにはダイヤの形を模したようなヴァニアス全土の地図が描かれていた。
 アルバトロスが黒いチェスの駒をヴァニアス島の南部に置く。
 「ヴァニアス直轄領とグラスリンデンは、リンデン卿の息がかかって久しい。ここにいる兵士の数をかき集めると、二万に行くかどうかと言うところじゃろう」
 次に、白いチェスの駒をヴァニアス島の北部に点々と配置した。
「しかし、ヴァニアス直轄領から上は、サンデル卿を中心に、リンデン卿の圧政に抵抗している貴族たちがおる」
エイノが頷く。
「彼らの協力を仰げば、同等の兵力を持てると……。王国の領土としても丁度南北にほぼ互角の面積を保有できることになるか……。ミラー殿の書類と差異がないな。この中でいくと……、まずは、ヴァニアス王家と関係の厚いサンデル卿に会いに行くのがベストということか……」
「あれ、サンデル公爵家って、ヴァニアス王家とどう繋がってんの?」
 挙手した後、質問を繰り出したウェンディに、グラズアが応える。
「俺の祖母様がサンデル公女だったんだ。血縁関係もあるけど、ヴァニアス議会の議長は、ヴァニアスの建国時からサンデル公が努めることになってる」
「ほー! 幼馴染って感じか!」
「……よくわからない例えだけど、大体そんな感じかな」
 グラズア達は地図を覗き込んで、現状とこれからについて考えていると、つんけんした少女の声が上がった。テュミルだった。
「でも、これから交渉しに行くわけ? 真冬のヴァニアス北部に? 遭難して死ぬつもりなの?」
「ミルちゃん、北はそんなに寒いの?」
「寒いなんてもんじゃないわ。平地ならともかく、山を越えようだなんて狂気の沙汰よ」
 テュミルの嫌そうな声に、アーミュだけでなく皆の士気もがくっと下がったようだった。
 そう、ヴァニアス直轄領から南部は雪がちらつきはするものの、乾燥した冬が訪れる。旅をするのも難しくはない。しかし、一度山を北へ越えてしまうと、そこは雪国なのだ。
 エイノはやれやれといった面持ちで答える。
「そんな無謀なことを僕が許すわけないだろう、テュミル君。最初に言ったじゃないか、僕達はこれから冬眠するようなものだと」
「何時の話よ? ま、いいわ。あんたがそう言うってことは、雪が溶けるまでゆっくりしててもいいのね」
 テュミルが納得した隣で、グラズアは焦りを覚えていた。グラスリンデンに置いてアルバトロスを助けることができたが、ヒトクイそのものを止めることはできなかったのだ。
「そう、なのか……? 俺達が時を待つ間に、リンデン卿はヒトクイを続けて……あいつも……ラミナスも目覚めてしまうんじゃないのか……?」

 グラズアは、グラスリンデンで目撃したリンデン伯爵の奇行と魔術、それに纏わる《三本の薔薇》についての情報を仲間と共有することにした。
 難しい話が続いたせいか、双子たちは眠たそうにしてそれぞれグラズアとテュミルの膝の上にやってくると、こっくりこっくりと船をこいでいた。
 アーミュは、エイノにお茶で満たされた木製のカップを手渡すと自身の席に着く。
「まずは、リンデン伯爵が愛用する《三本の薔薇》の紋章について確認したい。ご覧いただけるように、ロフケシア王立図書館の隠し部屋にあった《英知の書》に、同様の物がある。隠し部屋の床にも同じモザイクがあった。この本はヴァニアス王家、初代国王のエドゥアルガス獅子王の手による魔術書であり、本来ならばヴァニアス王家の秘宝と言ってもよいものだ」
 エイノが《英知の書》を片手に開く。その最初のページを、皆に見えるように中央にある机に置いた。
 序文らしき文字列が、白い薔薇と紅い薔薇、そして青い薔薇のツタに包まれて中央に位置している。
「この本の精霊ココが、僕に真実を教えてくれていることは間違いない。しかし、僕とて研究者の端くれだ。自力で読み解いてみたんだが……ルヴァに確認を……。……ルヴァはいないのか?」
「ルヴァくんなんか……しらないもん……!」
 ぷっくりとした唇を突きだすアーミュ。
「……いないならそれまでだ。話を続けよう」
 エイノは片手に持った羊皮紙を、滑らかに読み上げ始めた。

    三本の薔薇 二人の誓い。
    香り残さぬ 秘密の印。
    我らが秘法 我らが薔薇の名のもとに。
    白き薔薇、その高貴なる棘、赤き滴りを落とす。
    白き花弁、

「その純潔なる色、あけに染まり。赤き薔薇、その赤きこと、情熱のごとし……」
 エイノの朗読を遮ったのは、グラズアだった。
「ヴァニアス王家の詩句だぞ……? 親から子にしか言い伝えないこれを、どうしてお前が知ってるんだ……?」
 紋章の詩――それは、王家成立の以前から、紋章と共に一族に伝えられてきた言葉だった。彼も例にもれず、幼少に母親から聞かされていたのだ。
 エイノの指さしたのは、《英知の書》の序章部分だった。
「なぜって、ここに書いてあるのを読んだからに決まっています。しかしグラズア殿、あなたが知っているのは、白き薔薇の二行と、赤き薔薇の二行だけ……ではありませんか?」
「……ああ」
「……どうやら、この詩はこれが本来の形のようですよ」
 エイノはその胡桃色の瞳でグラズアを制すと、再び口を開いた。

    三本の薔薇 二人の誓い。
    香り残さぬ 秘密の印。
    我らが秘法、我らが薔薇の名のもとに。
    白き薔薇、その高貴なる棘、赤き滴りを落とす。
    白き花弁、その純潔なる色、緋に染まり。
    赤き薔薇、その赤きこと、情熱のごとし。
    赤き血潮、流したるひと、瞳に青き涙。
    青きもの、その願いたるや、祝福せん。
    青き願い、届かぬ夢を、実らせん。

「白……赤……、それから青……。薔薇が三本……」
「ね、グレイ。あんたの紋章とこれ、比べてみてよ」
 グラズアの隣に腰かけていたテュミルが、薄汚れた布切れを彼に手渡す。
 それを受け取った彼もまた、ポケットから自身のハンカチを取り出した。
 右手には、二輪の紅白の薔薇が寄り添う、見なれたヴァニアス王家の紋章。二つの薔薇は楯に似た枠で包まれ、その上には青い星を抱いている。
 左手には、紅白の薔薇の上に青い薔薇が乗せられた、《三本の薔薇》の紋章。三つの薔薇は正三角形をなすように並び、茨が丸くそれを包み込んでいる。
 見比べていたグラズアは低く唸る。
「……ね? 似てると思わない?」
「ああ……。色の配置がまるで同じだ……。お前、もしかして最初からこれを――?」
「……確信は持ってなかった。でも、あんまりにも共通点が多いから……」
 二つの紋章を見比べる男女に、穏やかなハイバリトンが口を挟む。
「そう。ヴァニアスの紋章にそっくりの《三本の薔薇》があったからこそ、僕達ロフケシアの司書は《英知の書》をヴァニアスのものに違いないと考えていたんだ」
「でも、お前は《英知の書》をヴァニアスの国宝だって言ってたじゃないか?」
 エイノは乾いた髪を揺らした。
「一〇〇〇年も昔の書物が戦禍をくぐり抜け、完璧な状態で残っているのは奇跡に等しい……。それだけで宝だと、我々は認定しますよ」
「なるほど……そういうことか……」
「さて、閑話休題だったな。僕の推論はまだ続いています。この詩の解釈から、エドゥアルガスの魔術研究当時のことがうかがえると思いますよ。では、上の三行だけ」
 そう言って眼鏡の位置を直した軍師の目前で、双子のあくびが飛び出した。しかしエイノは気にも留めず続ける。
「『三本の薔薇 二人の誓い』――これは簡単ですね、では――」
「二人ってことは……エド王には協力者がいたってことになるね!」
 ウェンディが黒板にチョークを打ちつけながら独りごちる。
「早いな、ウェンディ。では、『香り残さぬ 秘密の印』――これはどういうことだと思う、テュミル君?」
「あたし? えっと……、香りを残さないんだから……誰にも気取られないようにしてた……?」
「そうだな、これは次の行と対応してもいる。『我らが秘法、我らが薔薇の名のもとに』――ここで言う『秘法』とは魔術に他ならないだろう……《英知の書》が何の図書だったかを鑑みれば、おのずとそれが正解だと理解できる。そして、『我らが薔薇の名のもとに』だが……」
「これは俺の番だな。『我ら』っていうのは、エドゥアルガスともう一人だろ。それから、『我らが薔薇』は、スノーブラッド家の紋章の事じゃないか? どうだ、エイノ?」
「ふむ。七〇点ですね、グラズア殿。非常に惜しい」
「ってことは、もう一つ意味があるのか……」
「そう言うことです。まあ、答えを言ってしまえば、『薔薇の名のもとに』というのが引っ掛けなんですよ。ここに意味が二重に掛けられている。一つ目は、グラズア殿の言った通りで、スノーブラッド家の紋章の意味。二つ目は少し頭を捻らなければならない。グラズア殿、その《三本の薔薇》の布切れを貸りますよ」
「ああ」
「見ての通り、青い薔薇が紅白の薔薇の上に乗っています」
「そうじゃの」
「『薔薇の名のもとに』――これには、『秘密裏に』という意味合いもあるのです。これが、二つ目」
 ある者は感嘆に息をもらし、ある者は首を捻る。
 前者だったテュミルは、エイノから布切れを手渡されるとそれをしまった。
「……まあ、詩の解釈については、僕が皆と共有したいだけなので、理解が追い付かなくとも結構だ」
「……随分駆け足だな?」
「コイツのいびきが始まる前にと、思っているので。それにここからは、彩りを添えるような言葉ばかりですから、幾分飛ばしても大丈夫でしょう」
 そう言うエイノの背後では、腰かけたソファからずりおちているユッシの姿があった。
「しかし、結びは大変意味深に閉じられている……。『青きもの、その願いたるや、祝福せん。青き願い、届かぬ夢を、実らせん』――青い薔薇は未だ見つかっていない、叶わぬ夢の象徴だ。それを紋章に入れて掲げ、実現させようと宣言をしていることから、――ここからはまとめに入るが――、エドゥアルガスは魔術の研究で何かを体現しようとしていたことが窺える。よって、この《三本の薔薇》は、魔術研究の象徴ともいえる紋章だ」
 ぱたりと《英知の書》を閉じたエイノが、その表紙を皆に見えるようにした。
 目にもとまらぬ速さで論述が進んだため、一部の仲間は未だぽかんとしている。特に子供たちはエイノの語りを子守唄に各々夢へと旅立っていた。
「……まだ、整理がついてないんだけど……」
「解からなくなったら、その都度聞いてくれ」
 グラズアは頤に手をあてがいながら頷いた。
「……それで? 《三本の薔薇》がその、エドって王様が研究してた魔術の印だっていうのはわかったけど、どうしてそれをちょびが知ってんのよって話になるわよね?」
 唇を尖らせ足を組み替えるテュミルに、エイノは両手を上げて見せた。
「さあ、そればっかりは本人に聞いてみないと。青き薔薇の名の元――秘密裏に研究していた魔術なのに、専門家ではない彼が魔術を――ましてや古代の魔術について知っているのは、僕だって変だと思っている」
「それには、ラミナスっていう一〇〇〇年前の魔術師が関わってるのかな?」
 情報を確認するウェンディの言葉に、グラズアがすぐさま反応する。
「ココが言うには、ラミナスはエドゥアルガスの兄だって――」
「それは本当なのか!?」
 エイノが食らいつく。
 彼の尋常でない様子に、グラズアはたじろぐ。
「あ、ああ……。でも、俺はそこまでヴァニアス史を読みこんじゃいないし……」
「読み込まなくたってわかるだろう、グラズア殿! エドゥアルガスに兄がいたとすれば、彼が……長男がスノーブラッド家の正当な爵位継承者で、王家の始祖だったはずなんですよ!」
 成り行きを見守っていたラインが、唇にあてがっていた右手の中に呟く。
「《真実の王》……。リンデン卿は……もしかして、このことを知って……?」
「ふむ。仮に二人が兄弟ならば、二人の誓い、という言葉も頷けるのお。それに……」
 アルバトロスがグラズアをちらと見る。
 グラズアには彼の言いたいことはわかっていた。
「ラミナスと俺がそっくりなことに、納得がいくと言いたいんだろ?」
「先祖がえりというのは、あるもんじゃからの!」
「一〇〇〇年間で、いいだけ混血してるっての……」
 少し不本意な気分のグラズアの隣で、テュミルがエイノに提言する。彼女の膝の上のシロは、全身をくったりとさせていた。
「でも、ココはいつも、えど、って言うときには、しゃる、って言うわよ? そのシャルとエドの二人が誓ったとも考えられるんじゃないの?」
「シャル……巫女姫シャラーラだね!」
「歴史書によると、シャラーラは空に透き通る銀髪を持つことから、ワニアだと言われているが……。ヴァニアス家に今も、魔力を持つ子供が生まれているのは本当なのですか、アルバトロス殿?」
「ああ、そうとも。じゃじゃ馬のアナシフィアもそうじゃったし、グラズアの二人の妹もそうじゃ」
 聡明さは姉に、お転婆なのは妹に遺伝したと笑う騎士に、グラズアもささやかに口元をほころばせる。
「なるほど。それでは、ワニアの血脈が混じったことに間違いないな」
「どういうことだ、エイノ?」
「ワニアが魔法を使えることは、既にご存知ですね、グレイ殿?」
「ああ。ルヴァと出会うまでは信じられなかったけど。それが?」
「ワニアとソレナの混血児もまた、魔法を使えることがあるんです」
「ことがある……だから、使えない子もいるってことだよっ。限定してるの、限定」
 ウェンディが口をはさむ。その手には小さな黒板があり、模擬家系図を書き込んでいた。
 エイノが頷いて席に着く。そして彼の肩にこつんと当たってきた、眠るユッシの頭を、乱暴にどかした。
「彼女の言う通りだ。さて、歴史の話に戻ると、ヴァニアス島がまだ『伯爵の島』と呼ばれていた頃、すなわち『沈黙の時代』には、貴族がそれぞれの家系の力を強めようとして、積極的にワニアを娶る流行が起きたらしい」
 かつかつとチョークを黒板に叩きつけてメモをとるウェンディの隣で、眠たげな瞳を擦るアーミュが首を回し、ドーガスに問う。
「めとる、ってなーに?」
「お嫁さんにもらう、と言うことです」
「じゃあ、そうしたら、魔法使いの子供がいっぱい生まれたってこと? あってる、エイノくん?」
 アーミュの顔はエイノに向けられた。彼女より小さなロップも、揃ってエイノを見る。
「その通りだ、アーミュ。ウェンディの言う通り、使えない子が大半だったろうがな。もしかしたら、巫女姫シャラーラもワニアで、エドゥアルガスもワニアの血が目的で彼女を迎えたという可能性もある。しかし、ここでもう一つ問題になるのは、王家の発端についてだ」
「エド王とシャラーラの結婚が最初なんだろ?」
 それは知っている、とグラズアが口を挟むのを、エイノが訂正する。
「それも一つの側面です。けれど、ソレナの伯爵とワニアの少女が結ばれたからと言って王国が建国されるわけがない。それ以外の要因の方が大きいんですよ」
 結ばれる、という言葉を耳にし、グラズアとテュミルの視線がはたとかち合う。しかしそれは、すぐに逸らされた。
 ぎくしゃくする男女に気付かないウェンディが、チョークを動かす手を止めた。
「でもエイノ! こないだヴァニアス史を読んだばっかりだから覚えてるけど、そこらへんで大きな事件とか無かったと思うんだよね!」
 エイノが勤勉な女学生を叱咤する。しかしその表情は穏やかなものだった。
「ウェンディ、それは内容が薄い本だったんじゃないか? 僕の記憶だと、アルバトロス殿が調べてこられた、あの事件――《神隠し》と呼ばれる失踪事件と同じことが、一〇〇〇年前にも起きていたはずだが。獅子王と巫女姫の二人が過去の《神隠し》を解決したことで、諸侯たちはスノーブラッド家に忠誠を誓うようになったんだからな」

     6

 蝋燭の背丈がどんどんと縮む夜。
 雪解けを迎えてからサンデル公に協力を仰ぐと言う、これからの指針を聞いて納得し、眠気を訴えた仲間たちが各々の部屋に戻り始めていた。
 居間に数人が残るようになると、エイノの膝の上にココが現れた。どうやら精霊は今の持ち主と感性が似ているらしく、静寂を愛するようだった。
 一つのソファにはグラズアとテュミルが、食卓の前にはエイノが、もう一つのソファにはこの家の主である老騎士が体を横たえ、彼の養子は階段の手すりに背中を預けていた。
 精霊の登場を待っていたグラズアは、子供の顔を見るなり、ソファに預けていた体を前に乗り出した。
 ココも機会を窺っていたのか、羊のような脚を器用に使ってグラズアの元にやってくると、彼のマントの中にもぐりこみ、顔だけをのぞかせた。その頬は幸福感いっぱいに持ちあげられている。
 懐に居る子供に向かって、グラズアは語りかける。
「ココ、また色々教えてくれないか?」
「いーよ。えど、なーに?」
 青年の温かな声音と表情に、テュミルは彼の父性を垣間見たような気がし、そんな考えを持った自分に赤面した。
 テュミルがマントに顔を埋めるのを黙視したエイノは、机に広げた羊皮紙に向かっていた。その手には、羽根ペンが用意されていた。鋭利な先端をインク瓶に浸すと、瞳でグラズアに合図を送る。
「一個ずつな。エドって昔、どんな見た目だったんだ?」
 グラズアの知るエドゥアルガスの相貌は、大理石のレリーフのみだった。彼は王家の始祖にも拘らず、肖像画の一つも残さないで歴史の表舞台から去っていた。
「んー? えどはえどだよ! でも、あたま、ちがうの。きんぴか!」
「黒じゃなく?」
「きんぴかー!」
 エイノの速記が追い付いているか、グラズアはちらりと目線を動かす。彼の手は既に止まっているのを見ると、問題はないようだった。
「そうか。じゃあ、次だな。ラミナスはどうして俺に似ているんだろうな?」
「らみなす、おにいちゃんだから」
「そうだな。でも、兄弟でもあんなにそっくりになるもんか?」
「いっしょにうまれたって、えど、いってたよ? おぼえてない?」
「あ、ああ……ごめん、忘れてるみたいでさ……。エドゥアルガスとラミナスは双子なんだな?」
 グラズアの不自然な取り繕いに、アルバトロスが吹き出す。
「そう、それ!」
「わかった、ありがとう。エドの兄弟は、ラミナスだけか?」
「うん」
「妹も、弟もいない?」
「いないよ。ふたり」
 エイノが深く溜息をつく。その口元は満足げに引き結ばれていた。
「どうして二人が魔術を研究していたか、知ってるか?」
「ううん。ココは、えいちのしょだから。さいごにできたから」
「最後……?」
「さいごだよ。えどが、さいごにおしまいってしたときに、ココができたの」
 グラズアが堪らず顔を上げ、お手上げだとエイノに助けを求める。
「本を書いたことがあれば理解できることなんです。序章、終章を書きあげた後に署名と印を押すんですが、ココはそのことを言ってるんでしょう」
 テュミルが腕を伸ばし《英知の書》を手に取り、最後のページを丁寧に開く。
 そこには確かに、気品のある署名とヴァニアスの印が押されていた。その下に、砕けた筆記体で何やら一言二言、書かれているようにも見えたが、テュミルには読めなかった。エイノなら可能かと思い、本を差し出そうと思ったが、彼は速記の真っ最中だった。
「じゃあ、魔術の研究が一段落したときに、お前が生まれたってこと、なのか?」
「うん。からだ、なかったけど、えどとしゃると、いっしょ」
 立ち上がったテュミルが覗き込むエイノのノートに、英知の書完成時、ココの魂が生まれた、と流麗な文字列が生まれる。
「エドとラミナスが魔術を研究していたんだろ? ラミナスは一ページも書いてないのか?」
 子供が小さく頷く。
「……らみなす……いなくなったから」
「いなくなった?」
「うん。らみなす、ヒトクイした。だから、らやがやっつけた」
 子供なりに胸を痛めているのだろう、ココの声が小さくしぼんでゆく。
「まじゅつ、いのちつかう。えどとらみなす、いのちつかった。それでふたり、けんかしたんだよね?」
「ま、待て、ココ! それじゃあ、エイノはどうなるんだ!?」
「えいの? だいじょうぶ、ココ、いるから!」
「……僕の命を削って、魔術を使っているわけではないのかい?」
「うん。ココのつかってる」
「それじゃあ、お前が消えちまうだろ!?」
「えど、ココ、だいじょうぶ! ココ、せんねんぶんある!」
 ココの隣に、テュミルが寄り添う。ほっと胸を撫で下ろすエイノがちらと視線を上げると、あたかも両親が子供を囲んでいるような光景が視界に入った。
「ねえ、その、らや、って誰なの? この間も言ってたわよね」
「しゃるの、ともだちだよ」
「友達……?」
「うん。おっきい、ふわふわ、ぴかぴか!」
「……要領を得ないわね……」
 眉間にしわを寄せるテュミルに、ココが飛び付く。
「しゃるは、しゃるのまんま!」
「グレイといいあたしといい、まだ覚えてないみたいね。あれはグレイ。あたしはテュミル。みーるー」
「ちがうもん。しゃーるー」
「……もう、いいわよ」
「おわかれ、したときと、かわんない! しゃるすごい!」
 テュミルにココを預けたグラズアが立ち上がると、エイノが羊皮紙をぺらりと彼につき付けた。

    ・グラジルアスとエドゥアルガスの差異は、髪の色のみ
    ・ラミナス、エドゥアルガスは双子の兄弟
    ・《英知の書》はエドゥアルガスが一人で書いた
    ・《英知の書》完成時、ココの魂が生まれた
    ・魔術は使用者の命を削る
    ・ラミナスを破ったのが、らや、というシャラーラの友人
    ・テュミルとシャラーラに差異が無い

 グラズアは感嘆のため息を漏らす。
「素晴らしく綺麗にまとまってるな」
「書いたのはこの僕ですから、グラズア殿」
「元々、侮っちゃいないさ」
「そうでしょうとも」
 軽口を叩き合う二人の青年。
 ココの言うことが真実だという裏付けは何もない。しかし、真実を知る切っ掛けになるだろう確信は持てていた。新しい情報を得たとしても、グラズアは冷静だった。
「ココが知っているのは、《英知の書》の完成から、ロフケシアで封印されるまでみたいだ。肝心のラミナスに関わる情報は得られないかもしれない」
「そうですね。その時系列もあやふやですし、なにせ歴史書に書かれている事実と乖離している部分があまりにも多いです。冬休みのつもりでしたが、僕にとっては無いも同然ですね」
「歴史書か……。ヴァニアス城の書架をエイノに見てもらえたらいいんだろうが……」
 ソファに横たわっていた老将軍がおもむろに口を開いた。
「おお! それは名案じゃの。冬の間、牧場に置いておくのも芳しくなく思っていたところじゃ。わしの客人として招くのも良いじゃろうな」
「しかしお爺様、リンデン卿がいつ戻るかも知れぬまま、エイノ殿をお招きするのはどうかと」
 寝巻になってまで帯刀を解かないラインが、養父の気紛れを叱責する。
「ライン殿、ご心配賜り感謝する。だが、ここに答えがあるんだ。リンデン卿が戻るタイムリミットを計算できるものがね」
 エイノはそう言うと、《英知の書》を後ろからめくりだした。
 エドゥアルガスの直筆署名のあるページから、ほど遠くないところで彼の手が止まった。
「ヒトクイをしてまで作るもの……魂と、その器……。この魔術を禁術として獅子王が書き残している。これによれば、一〇〇〇人分の魂を触媒にし、その体液を合成した溶液にベースとなる人間のかけらを投入し、空気に触れさせることなく溶液に三三四日浸し続けるのだそうだ。しかし、一度空気に触れればもろく壊れるとある……。あのラミナスの体がすっかり壊れていれば一年、そうでなくても半年は修復に時間がかかるだろう。もし、リンデン卿がヒトクイを続ける気力があるならば」
 ラインとアルバトロスは頷き合った。彼らはその手でラミナスを溶液の中から解放したのだ。
「では、雪が溶けるまでは安全だというのじゃな」
「たとえ急にリンデン卿が戻られても、僕にはこれがある」
 エイノがひらりと一枚の地図を見せる。それはラインが完成させたヴァニアス城の抜け道の地図だった。
「でも、どうしてリンデン卿がこの方法を知っているんだ!? この本はつい最近、封印を解いたばっかりじゃないか!」
「そう。ここでもまた一つ疑問が生まれたわけですね」
 エイノは《魔術大全》をグラズアに託すと、羽根ペンにインクを付けて、先程の羊皮紙にさらさらと書き加えた。

    ・リンデン卿がいかにして禁術を知ったか

「ああ、まだありましたね」

    ・リンデン卿がラミナスに固執する理由とは

「王座を取ろうというのなら、グラズア殿を早々に始末すればよかったのです」
 エイノが始末、と言った傍で、ラインは抜き身の刀をエイノにつきつけていた。
 軍師と将軍は身じろぎもせず、視線さえ交わさなかった。
「ライン!! ……刀を降ろせ。ただの例え話なんだから」
「でも――」
「君の主君を愚弄するつもりは全くない、許してほしい、ライン殿。しかし、僕には納得がいかないんだ。もっと賢い国取りが出来るだろうと思うからだ。そうでしょう、アルバトロス殿」
 アルバトロスが頷くのを認めると、ラインは刀を鞘におさめた。
 グラズアがほっと胸を撫で下ろす。
 どうしてこいつは、俺のこととなると見境なく、こんなに熱くなるんだ。
「左様。グラズアのことは我らが守り抜くつもりではいたが、あまりにも遠回りな手段ばっかり用いやがるのでな。真意が読めん。兄君のクラヴィス殿下とは大違いの腹黒野郎よ」
 歯の隙間から漏れ出る男の言葉は、重く苦いものだった。
 しかし、養子の人差し指は自身の鼻の下にちょこんと乗せられた。
「そしてちょびです」
 テュミルは無表情にふざけて見せるラインに苛立ちを隠せない。
「……真剣な話をしてるんじゃないの?」
「ええ。僕は真面目です」
「……ミレニアも、こんな奴の何処が良いんだか……」
「ミラーですか? そういえば、雪が降る前には迎えにいかないと……」
 テュミルが膝の軽さに気がつくと、そこからはココの姿が消えていた。精霊にもおねむが存在したらしい。
「決まりだな。俺達はエイノをつれて城に戻る。雪が融け次第、サンデル卿に面会を乞おう。それまでは……ゆっくり骨を休めていてもらおう」
 グラズアの宣言に、テュミル以外が賛同の仕草を見せた。
 少女は、物言いたげな視線を恋人にくれてやったが、彼はそれに気がつかなかった。

 居間の明かりが届かぬ廊下で少年の拳が、わなないていた。
 左手に持っているグラスから水がこぼれんほどに。
 彼は、昼間の逢瀬から帰ってきていた。
 ルヴァのポケットには、エイノに見せるために翻訳した文書の数ページが折りたたまれていた。
 それをエイノに見せるためにやってきた少年は、ひた隠しにされていた真実を知ってしまったのだ。
「どうして……?」
 彼の心に、隙間風の様な疎外感が吹きすさぶ。
 ただの旅人ではないことは肌で感じていたのだが。
 今となっては全てが合致する。
 ロフケシアでの荷物の一件、そしてリーサ女王の前で見せた優雅な挨拶。
 国の守護神と謳われるアルバトロスに対する気心が知れたような態度。
 王家の紋章が縫いとられた衣装を持っていたことも。
 彼が。
 彼こそが国王グラジルアス――。
 少年の記憶の中で、二対の青い瞳が煌めき、重なり合う。
「グラジルアス……ナティアの……お兄さん……」
 喜んで良いものか、彼には解からなかった。
 兄の様に慕っている青年が、圧政を強いる暴君と名高いグラジルアスで、思い人の実兄であることに。
 しかしルヴァは、今目にしているグラズアの横顔にナティアと同じものを見出していた。
 穏やかで理知的な微笑みからは、育ちの良さが滲み出ている。
 とても、国民に重税を課すような強欲王には見えなかった。
 ふと、彼女の頭に乗っていた、小さな生き物の事を思い出す。
 想像の中で、試しにグラズアの頭の上にあの生き物を乗せてみる。
 精霊の言っていたように、大きくはない。むしろ、とても小さい白い生き物。
 しかし、ふわふわな手触りで、ぴかぴか光る石を額に載せている。
「ラヤ……って、あの、不思議なコのこと……?」

     7

 リシュナ・ティリアは自室の寝台の上で、久しぶりの休みを楽しんでいた。
 ミラー・シールによる剣術の稽古が無い日も珍しいものだった。
 離宮に隔離されてからというもの、これほどの長い間リンデン伯爵と会わないことはなかった。
 着心地の良いリネンのドレスに包まれた姫は、手足を思い切り伸ばして寝転んでいた。
 天蓋が、彼女を守るかのように寝台を包み込んでいる。
 彼女の胸の上には、長い耳と額の宝石が特徴的な、手足の短い生き物が乗っていた。
「気分が良いわね、ラヤ」
「むーぅ」
 ころりと姫がうつぶせになると、ラヤは彼女の胸元から這いつくばって出てきた。
「背中の傷も、治って来たのよ」
「むぅむぅ!」
 少女の言葉を理解しているのか、ラヤは小さな手足を動かして彼女の背中に登った。
 金色の房がくしゃりとたわみ、あらわになった背中には治りかけの蚯蚓腫れがあった。
 それは少女の抜けるような肌に、痛烈な赤みを刺していた。
 この傷は、魔物の咆哮に怯える妹のために、こっそり離宮を抜け出して夜に魔物を退治していたリシュナ・ティリアを見つけたリンデン伯爵が、お仕置きにと手にかけたものだった。
 しかし、その腫れよりも今は、リシュナ・ティリアの頬の方が赤かった。
 うっとりと青い瞳が細められる。
 寝台の向こうへ少女が腕を伸ばすと、幻想の中の恋人も彼女に向かって腕を伸ばしてきた。
 その細くて、しかし筋肉質な両腕が少女をしっとりと包みこむ。
 リシュナ・ティリアは、その腕の中で、甘やかな口付けが降ってくるのを、瞳を閉じて待った。
「……ルヴァ……、あんまり、見ないでほしいな……」
「むーぅ?」
 自身を抱きしめた少女が瞳を開けると、その目と鼻の先には、ラヤのもっちりとした顔があった。
 それで、一気に現実へと引き戻された姫は、自身が見ていたものが白昼夢だと悟った。
「やだ、わたしったら……! えへへぇ……! はしたないわ!」
「むぅむぅー」
「はやく会いたいな……ルヴァに……」
「ねーたまー!」
 少女が再び甘い逢瀬の記憶に耽ろうとするのを、小さな弾丸が遮った。それは姫と言うには余りにも活発な妹だった。
 リシュナ・ティリアは妹の突然の登場に、体を跳ね起こした。自分でも驚きの反射神経だった。
 そして、何事も無かったかのように、衣装箪笥を開き、衣装を寝台の上に散らかすと、衣装選びに悩んでいるそぶりをした。
「フィナ!? ど、どうしてノックもせずに入ってくるの!?」
「したよ? こんこんってしたよ? 何回も。ね、アレク?」
 けろりと答えて見せる妹は、自身が開け放った扉を振り返った。
「……ええ、セレス・フィナ様。リシュナ様、入ってもよろしいですか?」
 声変りもしていない、張り詰めた少年の声に丁寧な言葉。それは彼女の許嫁のものだった。
 リンデン伯爵の執政が始まってすぐに取り決められた、リシュナ・ティリアとアレクセイの縁談。
 二人がそれぞれ満十七歳、満十六歳を迎えるとき、すなわち成人とみなされた段階で、アレクセイがヴァニアス王家に婿入りするというものだった。その時が訪れるまで残すところ、三年を切っていた。
 兄王のグラジルアスはそれにやんわりと反発してくれたようではあるが、正式に受けたのはリシュナ・ティリア本人だった。彼女は、兄との約束を信じていた。あの晩餐で誓い合った、国を取り戻すという約束を。
 それに当時、少女は知らなかったのだ。
 恋をするということを。
「……勝手になさいな」
「お具合がよろしくないので――?」
 アレクセイは彼女の足元にそっと膝まづくとその手を取り、いたわった。
 嫌。
 そう思った瞬間にはすでに、姫はその手を振り払っていた。
「……触らないで下さい」
「これは、とんだ御無礼を……。許していただけますか」
 アレクセイは、悪い子じゃない。
 そう、自分で兄に言ったばかりで、その考えは今も変わらないはずなのに。
 どうしても、彼の事を愛することはできないと悟ってしまった。
 それからは彼の声も、顔を見ることも、その存在さえも呪わしく感じられる。
 彼のあかがね色の髪。陽光にぎらつくそれが、目に刺さるような気持ちがする。
 それに比べて、あの、古代の血を引く少年の空に透き通るような美しい髪ときたら。
「……ええ。わたしも、少々きつく言いすぎました」
 今はただ、自身の運命を呪うばかりだった。
 王家に生まれなければ。
 魔法が使えなければ。
 許嫁がいなければ。
 恋した少年と一緒に居られたはずなのに。
「ねーたま、はやく行こうよ! ミラーをおみおくりしないと!」
 妹姫の声が、重々しい沈黙を打ち破ってくれた。
「先生が!? もう、どうしてそれを早く言わないの、あなたは」
「今、言いにきたんだよー? ねーたま、へんだよ? あっ、ラヤだ! おいでー!」
「むぅー!」
「きゃあ! ふあふあだー! あははは!」
 ラヤを抱きかかえると、セレス・フィナはスカートの中身が見えるのも厭わず、嬉しそうに姉の部屋を飛び出した。
 天真爛漫、無邪気で、お転婆で。
 鳥籠の中に居るのを自覚していないのか、籠の中でささやかな自由を謳歌する妹。
 そんな彼女と、真の自由を外に渇望する自分。
 そのどちらが幸福なのか、リシュナ・ティリアにはわかりかねていた。
「……貴方も、先に行っていて下さる、アレク?」
「扉の前でお待ちします」
「結構ですと、言っているのです」
「……承知しました。では、お先に参ります」
「ええ、そうしてくださいな」
 扉が乾いた音を立てて閉まった。
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