挿絵表示切替ボタン
▼配色







▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる
黒獅子物語 作者:黒井ここあ

第二章 二人の王

しおりの位置情報を変更しました
エラーが発生しました

ブックマークしました。

設定

更新通知 0/400

設定を保存しました
エラーが発生しました

カテゴリ

ブックマークへ

以下のブックマークを解除します。
よろしければ[解除]を押してください。

ブックマークを解除しました。

14/29

五、アルバトロスの子供達

キャラクターデザイン(外部リンクです)
http://toumorokosi.zero-yen.com/kurosisiframe.html

キャラクター紹介
http://ncode.syosetu.com/n2893cc/
     1

 ラインが国王の部屋に明かりを灯す。
 久方ぶりに炎を手に入れた蝋燭たちが、嬉しそうに明かりを揺らしている。
 そうして国王と、彼に抱かれる少女の影が照らし出された。
 月光に包まれていた二人は、室内から零れだした暖かな明かりに気付き振り向いた。
 そして揃いも揃って顎を下げた。それは二人の側近も同じだった。
「あ」
「ミルちゃん!? 若様!? ライン殿ーっ!?」
 青年騎士の隣にいた副官が、我を忘れて取り乱す。
「ミラー、君は実は、慌てん坊さんだったんだね」
「だって……! だって! 若様とミルちゃんが!」
 国王の方も、側近の姿を認めると、彼らはどちらともなく身体を離した。
 グラズアは窓枠を越え、腹心たちに弁明を図る。
 涼やかな月光に似合わない喧騒だ。
「こ、これは違う……! 誤解だ!」
「誤解ってなんですか?」
「え、えっとだな……。とにかく、こいつとは何でもないってこと!」
「何でもない……?」
 グラズアは身の潔白を証明しようと躍起になっていたが、ラインは真顔でそれを聞いていた。
 一方のテュミルは、驚愕でわなわなと震えるミラーに対し、同様に自身を弁護していた。
「こいつが子供みたいにへこたれてるのがいけなかったのよ、ミレニア! だからあたしは――!」
「励ましてくれないかな……とは思ってたけど……。まさか、若様とミルちゃんが抱きしめ合う仲だっただなんて……」
「違う違う違うッ!! 断じて違うからッ!!」
「はわ……。どうしよう……。どうしよう……想定外すぎることばっかりだよう……」
 一度に思考できる許容量を超えたのか、ミラーがくらりと眩暈を起こす。
 それを相棒が受け止めた。
「ミラー、何でもないと若が言っているから、とりあえず落ち着こう」
「はひ……」

     2

「大丈夫かい、ミラー? さっき、僕に教えてくれたことをお二人にも……ね?」
 騎士の腕をやんわりと解く副官。
 ラインに促されるまま深呼吸を繰り返し、ミラーは数分で落ち着きを取り戻せたようだ。
 蝋燭が照らす中でも、その頬が羞恥でほんのりと赤く染まっているのにグラズアは気付いていた。
「アレクセイ様が言うに、ラミナスという――若様にそっくりな魔術師――の復活のために、リンデン卿はヒトクイ行為を続けていて……。その、閣下がその最後……一〇〇〇人目、という話なんです……」
「若に似ている魔術師……? ヒトクイ……一〇〇〇人目? それは、彼の作り話じゃないのかい?」
 反芻するラインの声は、疑心暗鬼に満ちていた。
 だが、副官の少女はしっかりと頷いた。
「……ええ。アレクはリンデン卿に似ず、嘘をついてまで脚光を浴びたいと思う子ではありませんから……」
「どうだか……。ミレニアが剣の師匠だからって、おべっかを使ってるだけじゃないの?」
「……ミルちゃんは、アレクの事を知らないでしょ……」
「ええ、もちろん。あいつの息子ってこと以外はね」
 姉の吐き捨てる冷たい調子に、妹は瞳を曇らせる。
 聞き慣れない単語に、グラズアはサファイアの瞳を瞬かせた。
「ミレニア……?」
 すかさず、友人がその耳にささやく。
「ミラーの本名だそうですよ、若。そして、お二人は姉妹なんです」
「ええっ!?」
「いっこ違いらしいです」
 へえ、と感心するグラズア。
「……ミラーが、姉……?」
「あたしよ!」
 ラインの情報を得て、国王は二人の少女を交互に見比べる。
 言われてみれば。
 前髪の癖や、髪や肌の淡い色彩。身体の作りなどが似ているような気もする。
「はあ……、それにしても……」
 双方ともとそれぞれに寝食を共にしたことがあるグラズアには、一つだけ引っかかる点があった。
 明朗快活を体現し、その口同様、軽やかな身のこなしでグラズアと共に窮地を切り抜けてきたテュミル。
 片や、冷静沈着をモットーに、献身的にグラズアとラインを支えるミラー。
「……性格が違いすぎないか?」
 二人の少女はそれぞれに勢いよく口を開いた。
「当たり前だわ。違う人間なんだから、性格だって違うわよ」
「そうですよ。血は繋がっていても、あくまで個人です。その証拠に、私は姉さんみたくがさつじゃありません」
「なにをー!?」
 異なる口調と言葉で、同義を述べられたグラズアは納得した。
 しかし彼の隣のテュミルは、妹の言い草に不服なのか、ぶつくさと不平を呟いていた。
「御理解いただけたようですので、話の続きをしますね」
「ああ、頼む」
 姉を無視した副官が頷き、書類を一枚めくり上げる。
 どうやら彼女は、少年の話をメモにとっていたらしい。
「ミラー、ヒトクイって――?」
「ヒトクイは……。生きたままの人間からえぐり出した心臓を、そのまま食す行為……のようです」
 灯火に透けるプラチナブロンドの短髪が、少女のふっくらとした顔立ちに濃い影を落とす。
「どうせ伝聞なんだ。紛らわしい、ようです、っていう言葉は削ろうよ、ミラー?」
 相棒の提案に、副官はしゃらりと髪の毛を揺らす。
「リンデン卿がそうして心臓を一〇〇〇人分食べることで、魔術師ラミナスの復活が実現します。アレクセイ様が聞いた、残り五〇という数字は、カウントダウンそのもの……。一食につき一つの命を食らうということなので……」
「……っ!」
 国王の部屋が静まり返る。
 全身の筋肉が強張る音さえ、グラズアの耳に聞こえるほどだ。
「彼がグラスリンデンに到着した日付から計算するに、十月十二日の正午に、閣下の処刑があるかと……」
 ちりちりという灯火の声がすぐ傍で鳴っているような。
 それほどまでに、四人の息が詰められていた。
 憤怒のグラズアは、顎に痛みを感じていた。
 怒りとやるせなさ、そして憎しみに、歯を食いしばってしまっていたためだ。
 そうしなければ、無心に暴れ出してしまうような、沸騰した感情。
 その歯の隙間から。
「……あいつには……、人の心ってのが……っ!」
 打ち震える、青き拳。
 グラズアは誰かを憎まず、罪を憎む男だ。
 それほどまでに強い正義感を持つ彼が、その端正な顔を憎悪に歪め、青筋を立てている。
「……グレイ……」
 ロフケシア行きの船で奴隷商に向けた瞳の色が、何もかもを凍りつかせる冬の海の色だとすれば。
「……父上と母上を殺めただけじゃ飽き足らず……!」
 今のグラズアの瞳は、何もかもを燃やしつくす蒼い焔の色だった。
「自身の満足のために……、王宮で残虐な生体実験を行って……!」
 からからに乾いた喉から絞り出される、悔しげな呟き。
 テュミルには、彼の気持ちが痛烈に伝わってくる気がしていた。
「おまけに人間を食らうだとッ!? 笑わせるなッ!!」
 グラズアの咆哮が、ほの暗い部屋に響き渡る。
 怒り猛る青年の隣で、銀髪の少女が呼吸を立てた。
「……ミレニア、グラスリンデンにはどのルートが一番早いの?」
「……!? ミルちゃん……!」
 ミラーは彼女が何を言いたいのか、すぐに理解し、瞳を丸めた。
 乱れたマントを整えるテュミルは、瞳を誰とも合わせない。
「……グレイは荷物を準備して」
「それなら僕がしよう」
 ラインはすぐさま踵を返し、グラズアの衣装箪笥を開く。
「ミル、お前――!?」
 グラズアが見下ろしたアメジストの瞳は、彼を真っ直ぐに見据えていた。
 揺らがない決意の光。
 月光が映り込むだけでは、そうは輝かないことを、彼は知っていた。
「グレイ! おじじを助けに行こう!」
 確かに名案だった。
 これ以上、グラズアの大切な人を失いたくはなかった。
 しかし。
「行きたいが……! 今から行っても……」
「……行っても?」
 首を傾げるテュミルから、グラズアは顔を背ける。
「今も……。こうしている今も……、一人ずつ喰われてしまってる……俺は……」
 その人たちを助けることができない。
 その自責の念の重たさに見下ろした、非力な両掌。
 そこには、血が滲んでいる。
「行かなかったら、最終的におじじも喰われちゃうのよ!? あたしはそんなの嫌よ!」
「……でも、間に合うかどうか……」
 はっきりしないグラズアに、テュミルは地団駄を踏む。その足音は厚い絨毯に吸われ。
「間に合うか間に合わないかじゃない、間に合わせる!」
 ぐるりと回り込み、下からグラズアの顔を覗きこむ少女。
 彼女は心配そうに眉を傾けていたかと思うと、ぐいっとその角度を強気に変えた。
「なーに、腑抜けてんのよ、ぼんぼん!」
 テュミルの挑戦的な猫目が閃く。
 そうだ。
 彼女に挑発される度、まんまとそれに乗ってきたじゃないか。
 まんざらでもない気分で……。
 グラズアは、忘れかけていた自身の口癖を思い出した。
「……侮るな、よ……?」
 サファイア色の瞳に、星の輝きの様に蝋燭の明かりが映り込む。
「……何処だって行ってやるよ……! ロフケシアだろうと……グラスリンデンだろうと!」
「そうこなくっちゃ!」
 その凛々しい目つきに、テュミルは心が踊り出すのを感じていた。
 そして、話に乗った青年に向かって、両の頬を持ち上げて見せた。
 いつものグレイだ。
 ふふっ、とひとつ満足げに少女は微笑んだ。
「そうと決まったら、ちょっと食べ物を頂戴しないとね」
「それなら、地下道から食堂に抜けられる道があるので、この地図を参照して行ってみてください」
 そう言うとラインは、テュミルに書類の束を手渡した。
「これが、エイノユハニ殿にお渡しする書類です。こうなっては、いつ渡せるかわかったものじゃないですが」
 的確なアシストに、テュミルが親指を立てる。
「わかったわ! エイノなんて待たせとけばいいのよ! それじゃあ、地下水路の出口で会いましょ! 月が落ちる前に!」
 ごしっとひとつ、目元に残っていた滴を乱暴に拭った少女は、白い歯を見せびらかした。
 彼女の勇み足に、グラズアはどことなく安心感を覚える。
 振り向いた背中は、あのとき、小さく震えていた少女のものではなかった。
 どこか逞しくて頼りがいさえ感じさせる相棒の背中に、グラズアは軽く言葉を投げる。
「ああ。気をつけろよ、ミル」
 多すぎず、少なすぎず。
「侮らないでよねっ」
 そんな言葉でも、十分に通じ合える充足感にグラズアは口の端を持ちあげる。
「あっ、ミルちゃん! 私まだ……!?」
 銀色のポニーテールを月光にきらめかせ、颯爽と暖炉の下へ潜ったテュミル。
 副官の少女は急展開に瞳を丸めるばかりだった。
「若様、本当に行くのですか!? 姉さんと二人だけじゃ、あまりにも危険すぎます!」
「いや、ミラー。僕も行くから三人だよ」
 いつの間にかグラズアの荷づくりと、自身の支度を整えたラインが、ミラーの肩を叩く。
 とはいうものの、彼の装備は刀と軍服のみだったのだが。
「いくらライン殿が行っても、三人だからって安全な訳じゃ……!」
 慌てて口を開いた副官の手から、長い腕によって書類一式が全て抜き取られる。
 グラズアだった。
 彼はぺらぺらとそれをめくり、目的のものを一枚引き抜くと、窓のすぐ隣に据えられている書きもの机に足を向けた。
 ラインがそつなく、彼の手元に燭台を運ぶ。
「……私も行きま――!」
「ミラーには休暇をやる」
 そう言いながら、羽根ペンを紙に走らせる国王。
「そんな!? 若様、どうしてですっ!?」
 彼に駆け寄った副官は、その鼻先に紙を突きつけられた。乾き切っていないインクの、青い臭いをもろに嗅ぐ。

  国王近衛騎士副官 ミラー・シール

  日頃の奉仕をここに高く評価し、一友人として、シール副官のヴァニアス王家離宮での静養を認める。

  グラジルアス・ラズ・スノーブラッド・ヴァニアス

 右方向に斜めに跳ね上がる達筆。
 まぎれもなくグラズア本人による書状だ。
「若様、これは――!?」
「ちゃんとサインをしたから、大丈夫だよな?」
「そ、それはそうなんですが――!」
 グラズアは乱れた黒髪を梳くと、ラインが開いたマントを纏った。
 凛々しく引き締まった青年の顔は、国王のそれだった。
 月光に白く浮き彫りにされた横顔に、ミラーははっと息を飲む。
 少し泣き腫らした目元にそぐわない、決意に充ち溢れた表情。
 乗り越えられたんだわ、彼を苦しめていた物から。
 青年王はよく通る声で言う。
「セルゲイもいない、ラインもいないとなると……。お前しかいないんだ、ミラー……」
「若様……」
 ミラーは、自身の肩に託される意味を理解した。
 いざというときに備えて、ミラーが控えるのだ。
 万が一の場合、グラズアの遺志を継ぐために。
「リシュナやアレクセイは、お前によく懐いているんだってな。俺のいない間、あいつらを守ってやってほしい。……頼む」
 彼の瞳が、漆喰で塗り固められた壁を越え、その遥か彼方を見据えている。
 その方角に、彼の宝物がいる離宮があることに、ミラーは気付いていた。
「……」
 ミラーは彼の頬に向かって最敬礼をした。
 グラズアはそれを受け取ると、マントを翻した。
「ライン。エフゲニー叔父は、この冬の間、ヴァニアスに帰ってこないつもりなのか?」
「はい。僕達はそう聞いています」
「そうか……。国政はどうなってるんだ?」
「《口減らし》として子供がグラスリンデンに流れる政策以外、いつもと変わりませんよ。判子を押す人もいりません」
「ほぼ、凍結状態と言うことに変わりなし……、か……」
「この圧政です。国民は、長い冬を乗り越えるのに精いっぱいでしょうね……」
「……」
 若き国王は一つ頷くと、宣言した。
「俺達はグラスリンデンまで行く」
 その朗々さたるや、歴代の国王に引けをとらぬものだった。
 それを知る者はここにはいなかったのだが。
 騎士が口元を引き締める。
「ミラーは離宮で、リシュナ達と遊んでやってくれ」
 副官の少女は、プラチナブロンドの頭を縦に揺らす。
 青年は頼もしい側近の視線に、小さくおどけてみせた。
「あと一週間と言わず、じいさんには、これから先も長生きしてほしいからな」
 悪戯っぽい頬笑みが口元に浮かぶ。
 しかしその瞳は、闘志に燃え上がっていた。

     3

 ヴァニアス城の隠し通路、その石畳に踵を打ち鳴らすのは、国王とその腹心だった。
 その出口付近に近付くと、新鮮な空気の中に、ほっそりとしたシルエットがぼんやりと浮かび上がる。
 その頭頂からたなびく一つの流れで、出口を固めるアーチに背を預ける人物が誰かは明白だった。
「あら、早かったじゃない?」
「それはこっちの台詞だ。よく迷わなかったな」
「まあね! お褒めにあずかり光栄だわ、陛下!」
 テュミルは着てもいないドレスの裾を摘まむようにして、大仰に宮廷式の礼をして見せた。
「似合わないな!」
「黙れ、ぼんぼん!」
「侮るなよ!?」
 元の調子に戻ったかと思うと、早速口喧嘩を始めた男女の間に、ミラーが割り込む。
「ああ、もう! 二人とも静かに――!」
「そのお嬢さんの言うとおりだ。こんな夜中に、よくもまあ大声で喚くものだな」
 少女の可憐な声に力添えをする、さわやかながらも棘のある青年の声が、少し遠いところから。
 グラズアの耳に、それがラインの物ではないことはすぐにわかった。
「その声は……!」
 振り向いた彼の視線が捉えた、月光を反射させるもの。
「やっぱり、エイノか!」
 グラズアの歓声にも関わらず、エイノはそうでもない様子だった。
 その原因が、彼の隣にいるピンク色の頭の剣士だということは、傍目にも明らかだった。
「オレもいるぜェー!!」
「ユッシも!?」
 そう。
 後からやってきた解放軍の仲間――ドーガスにユッシやウェンディ、双子の兄弟、それからルヴァには、グラズアの素性を知らせずにいる予定だったのだ。
 そういう話に、なっていたはずだったのだが。
 今、ユッシが王宮の隠し通路、その出口に来ているということは……。
「……エイノ、あんた、みんなにばらしちゃったわけ……?」
 エイノは目に見えて申し訳なさそうにしていた。
「……すみません、グラズア陛下。アーミュが嘘を吐くのを見るのは、あんまりにも痛々しくて……」
 グラズアとテュミルが両眼を見開くのを見て、ツンツン頭の青年が得意げに両腕を組んだ。
「おう! グレイって王様だったンだって? 驚いたぜェ! オレ、王族の友達いっぱいじゃん!」
「……お前も大概だ、ユッシ」
「え? どういう意味?」
「黙れ」
「わかった!!」
 四頭の馬とユッシを従えている軍師が、不服そうに口を開いた。
「あなたの事だから、今すぐグラスリンデンに乗り込むつもりなんでしょう?」
「なんでお前がそれを――!?」
「あなたという人間が、チーズより青臭い正義感で出来ていることはわかっていますから。他の要因をあわせて推理してみたまでで」
 夜風が身体に沁みるのか、ジャケットの上からさらに着こんでいる羊毛のマントを、エイノはきつく身体に巻き付け直す。
 喉の奥までもあっという間に乾燥させる秋風が、力尽きた枯れ葉達を巻き上げ、何処かへとさらってゆく。それは、うっすらと月を覆う雲をも拭い去る。
 月光にくっきりと照らし出された二人の青年と国王の一行は、それぞれの歩幅で歩み寄った。
 そして、グラズアを仲介してそれぞれの自己紹介を軽く行っていると、エイノが携えていた《英知の書》がおもむろに震えだし、勝手に開いた。
「えどー! しゃるー!」
 幼い声と共に空中に飛び出したのは、本の精霊ココだった。
 ココは《英知の書》を山羊の脚で踏み台にし、くるりと宙返りするとグラズアの頭の上にぽすんと落ちてきた。グラズアの首が、三歳児程度の体重を受け止めるのに少しぐらついた。
「痛っ!?」
 精霊の両手は四足の獣のそれで、五つの肉球と爪がしっかりと生えそろっていた。
 それがグラズアの額に引っかかる。
「えどー! あいたかったー!」
「若! 離れてください!」
 いつの間にかラインが、さやから引き抜いた刀を構える。
 急に殺気立ったラインに、テュミルとユッシが身構える。
 ミラーとエイノの驚きは、その双眸を少し見開いただけにすぎなかったのだが。
 腹心を、主君がバランスを辛うじて保ちながら左腕で制止した。
「よせ。こいつは大丈夫だ」
「……」
「ココっていうんだ。この本に宿った精霊で……害はない」
 グラズアの声を聞きいれ、刀を収めたラインに、全員がほっと肩の力を抜いた。
 青年騎士は、そのままグラズアの一歩後ろに控えた。
 しかし、それよりもココが話す言葉が理解できるのに、グラズアは驚いていた。
「ところでお前、現代語を話せるようになったんだな!?」
「なったー!」
 ちょのんと屹立する短い尻尾が嬉しそうにぱたぱた振られる。
「ふわ……可愛い……」
 それを見ていたミラーがそっと呟いたのを、姉は聞き洩らさなかった。
「なんか、子供に好かれるのよね、グレイって」
 双子の兄弟やアーミュも等しくグラズアに懐いているのを、テュミルはまるで私事のように誇らしく思った。
 暖かな笑顔を見せる姉に、妹も同意した。
「若様が、お優しい方だって直感でわかるんだよね、きっと」
「こいつなら遊んでくれそう、っとは思うかもね」
「ミルちゃんも?」
「五月蠅いわね!」
 小声で口争う姉妹の手前では、エイノがグラズアの頭からココを剥がしているところだった。
「少し本を読ませてみたんです。そうしたら――」
「オレと一緒に読んだんだよな! ココ!」
「よんだー!」
「絵本を、な」
 口を挟む二人に、エイノが睨みをきかせる。
 とはいえ、ココはエイノに抱かれていた為、その視線をもろに食らったのは、ユッシだけだった。
 ツンツン頭の剣士が慌てて口を真一文字に閉じたのを認めると、エイノは大げさに溜息をついた。
「……実に軽々と覚えてくれました。やはり本の精霊とあって、脳味噌の出来がいいみたいで。それに比べて――」
「しゃるー」
 ココを《英知の書》ごと抱きかかえたエイノはそう言うと、ちらりとテュミルの方に胡桃色の瞳を向けた。ついでに、ココの玉虫色の視線も彼女に。
 ひそめられた視線がぶつかり合い、火花を放つ。
「何でこっちを見るのよ」
「さあ? 君こそ、後ろめたいからそういうことを言うんじゃないか?」
「っ! むかつくっ!」
 苛立ちを露にするテュミルを、ミラーがくすりと笑った。
 姉が妹をきつく睨みつけるも、大した効果は無いようだった。
 寒そうに身体を震わせる馬に身体を寄せるエイノ。
 そのマントの中に、ココがもぞもぞと潜りこんでいる。
「ともあれ、すれ違わなくてよかった……。真実を伝えずには居られなかったのです」
「真実?」
 グラズアが、額につけられたココの爪後を撫でさすり、問う。
「ええ。あなたのご先祖、獅子王エドゥアルガスに纏わる話……」
 ロフケシアの青年は、そのフードを被り直した。
「……今、僕が手にしている《英知の書》。これを書いたのは、エドゥアルガス王なんです」
「初代国王が、魔術書を……? それって、どういう意味だ……?」
 確かに、ヴァニアス王家には魔法を使える不思議な血脈が流れているが……。
 グラズアが首を捻る目前で、ユッシが素振りをしながら声を上げた。身体を動かしていないと暇をつぶせないらしい。
「なー、エイノー! 魔法と魔術って、なにがちげーンだ?」
「ああ、それ、あたしも聴きたい!」
 好奇心に身を乗り出す二人に、解説が入る。
 それは意外にも、少女の声で語られた。
「魔法は、古代の民、または古代の民を祖先に持つ人間が使える、超常的な能力ですね。概して、四大元素――自然の力を引き出すことに特化していると、読んだことがあります。一方の魔術は、魔法能力の有無に関係なく、術式を用いて魔法の様な力を用いること……。ですよね、エイノユハニ殿?」
「満点の回答ですね、ミラー殿」
 満足げに頷いたエイノが、再びテュミルに冷たい視線を浴びせかけるものだから、テュミルも首を背ける。
 それを見てくすりと微笑んだグラズアだったが、ミラーの博識ぶりにも舌を巻いていた。
「すごいな、ミラー!」
「え、えへ……」
 グラズアから手放しの称賛を浴びて、ミラーが照れに頬を染める。
「そう、ミラー殿の言った通り、魔術というのは一種の学問ですから。魔術を使えない者が、魔術について書けるわけがないでしょう……。数学や音楽がそうであるように」
「もっと、わかるように言いなさいよ!」
 口を尖らせる銀髪の少女。もはや、食らいつかないと気が済まないらしいほど、苛立っているようだ。
 しかし、それも呆気なく返り討ちにされる。
「順を追って説明しているのがわからないのか、テュミル君?」
「ミルちゃん、エイノユハニ殿の邪魔をしちゃ駄目だよ?」
「ふんっ! なにも、二人で責めることないじゃない!」
「まあまあ、ミル。落ち着け、な?」
 グラズアがテュミルを宥めすかすのを認めると、眼鏡の軍師は足を組み直した。
 その腕の中からは、いつの間にかココが消えていた。おおかた、本の中に戻ったのだろうと思われた。
「ここからが重要なんです。最新の歴史書に置いて、エドゥアルガスが魔術に手を染めていた記述はありません。一切。しかし彼は、こんなにも厚く、綿密な魔術研究を行ったという証拠を、本として残している……」
「では、軍師殿は、エドゥアルガス王が魔術師だったと……?」
 暫く黙っていたラインが、確認するかのように反芻するのに、エイノが強い同意を見せた。
「そうです、ライン殿。そしてココは、エドゥアルガスに書かれた本から生まれたココは……、彼とグラズア陛下を混同している……」
 そこまで聞いたミラーが、口元を両手で押さえる。
 その拍子に、いつも抱えている書類が砂利の上に音をたてて落ちた。
「! まさか、若様と初代様はそっくりのお姿なのでは――!」
「そういうことです、ミラー殿」
 一行が絶句した。
 ユッシの大剣が空を着る音と、梟の声が秋風の中に。
 エイノは、そのユッシの頭を一殴りすると馬鞍を整え始めた。
 話は終りということか……?
 嫌な気分を、唾と共に飲み込むグラズア。
「なあ、エイノ……。リンデン卿が、ヒトクイをしてまで復活させようという、真実の王は……ラミナスという名の魔術師らしいんだが……?」
 軍師の動きが止まる。
「……王……。ラミナス、と言ったのか……? エドゥアルガスではなく?」
「ああ」
 頷いたグラズアの耳に、苦々しい呟きが届いた。
「……真実は、歴史の闇の中……かもしれないな……」

     4

 出発の時が訪れた。
 藍色のマントを翻し、主君と相棒と共に去ってゆく実姉を、妹が見送る。
「あの日とおんなじで……、だんまり……かぁ……」
 あの日の疑惑が、ずっとしこりのように彼女を苛んできた問いが、ずっと喉から出たがっていた。
 どうして四年前、私を置いて出て行ったの?
 彼女の爪先に、枯れ葉が絡みつく。
「……がんばれ、私……!」
 今なら、聞ける。
 少女はぐっと拳を握り直す。
 むしろ、今しか――!
「ミルちゃ……、姉さん!」
 姉は一行を先に行かせると、颯爽と振り向いた。
 ぱちくりと強気な瞳を瞬かせ、妹を見据える。
 ミラーはそこに、一抹の希望を見つけ、駆け寄った。
 息せき切った彼女の声。
「ねえ、教えて! どうして四年前、勝手に出て行っちゃったの!?」
 喉よりさらに奥、腹から出てきた言葉。それは彼女が、夢枕に呟いていたものだった。
「みんなで探したんだよ? 私……、寂しかったんだよ……!?」
「……っ!」
 そっくりの目元が、それぞれに曇る。
 二人とも、長いまつげと紫色の光彩を持っていた。ミラーの紫は赤みがかった菖蒲色でテュミルのそれは青みがかったラベンダーの色。
 彼女の視線から逃げた。
 形の良い横顔だ。
「……《三本の薔薇》を……探しに……ね……」
「それって、死んだパパとママが研究してたっていう……? 言ってくれたら、私も一緒に――!」
 妹は思わず縋りついていた。
 だが姉は彼女に揺さぶられようとも、その顔を妹に向けようとはしなかった。ただ、銀色の髪が揺れるだけだ。
 ミラーは頑なな姉に、失望の色をした怒りを覚え始めていた。
 また、はぐらかすんだ……!
「ねえ、ミルちゃん! どうして教えてくれないの? パパとママが死んじゃった理由もそうだよ! どうして、私には何も――!」
「あんたに……! あんたに、言うことじゃ……ないわ……」
 やっと聞けた答え、テュミルの喉から絞り出されたそれは、ミラーを絶望させるものでしか無かった。
「……何、それ……! たった一人の……家族なのに……?」 
 ひりひりになったミラーの心に、容赦のない言葉が浴びせかけられる。
「……そうよ」
「……」
 ぎゅっと、藍色のマントを握りしめていた手が緩むと、テュミルはそれをやんわりと跳ねのけた。
 そして、ブーツの踵を前に――。
 何も語らない背中に、ミラーが悔し紛れに叫ぶ。
「そうやって! なんでも隠し持って逃げるんだね!?」
 銀色の流れが、それを受け止める。
 はたして、受け止めているかどうかすらも、妹には不確かだった。
「……ミルちゃんは、ずるいよ……!」
 姉は、決して振り向かなかった。

     5

 ミラーと何やら話しこんでいたテュミルが、一行に追いついた。
 彼女と歩みを並べたグラズアは、彼女の方を見ずに問うた。
「ミラーにお別れでもしてきたのか?」
「……あんたに関係ないわよ」
 ちらと少女の顔を窺うグラズア。
 覇気が無い。
 かといって、不機嫌そうでもない。
 言いたくないんだな。
 そう、グラズアは一人で納得する。
「……そっか」
「……」
 四頭の馬、五人の人間。
 それぞれの歩む音が複雑に絡み合う。
 先頭を行くユッシが、何やらラインとエイノを相手取り、剣について熱く語っているようだったが、後方を行く男女にはその言葉を明瞭に聞くことができなかった。
 暫くの間、だんまりを決め込んでいた少女が、ぼそりと呟いた。
「……気にならないの?」
 一瞬、何を聞かれているか解からず戸惑うグラズアだったが、すぐにピンときた。
「……? ああ、さっきの話か?」
「……うん」
 関係ないと言い放って置いて、この掌の返し様である。
「気になるさ。でも、家族だけの話ってあるだろ? だから、聞かないでおこうと思って」
 咄嗟に口から出た言葉だった。
 根掘り葉掘り聞き出すのも、悪くはないだろう。
 しかし。
「……それは野暮ってもんだろ?」
「……え?」
 そう、グラズアは教わったのだ。
 あの好々爺に。
「言いたくなさそうな事を、わざわざ無理に聞くのは、な?」
 日に焼けた肌と白髪交じりの髭のアルバトロスの顔を思い出し、グラズアは再び、彼を救出する意欲に心が燃え上がるのを感じた。
 隣を行くテュミルが、二、三歩グラズアに先んじる。
「……ありがと……」
 感謝の言葉が、彼女の香りと共に風に乗ってグラズアの元へ。それはあたかも、彼女の代りに、彼女のポニーテールが礼を言ったようだった。
「……いつか教えろよ?」
「……憶えてたらね」
 まだ夜は明けない。
 しかし、満月は傾いていた。

     6

 日付は変わり、十月六日となっていた。寒空の下を行く一行は、街道に出るとその足を休めることにした。その小休止の間、乗馬のために、それぞれが馬に載せる荷物を整えていた。
「……多すぎたか……」
 しっかりと防寒するエイノが、珍しく自身の失態を恥じていた。
「申し訳ない。慌てて荷作りをした為に、重量を越えてしまったようだ」
「ああ、大丈夫ですよ。若の荷物は比較的軽くしてありますし――」
「それもそうだが、馬も四頭しか連れて来られなかった。うち一頭は二人で乗ってもらわなくては。この中で、馬術の心得が無いのは……」
 全員が顔を見合わせる。
「俺は大丈夫だ。ラインもだろ?」
「はい、若」
 王族の嗜みとして、そして騎士の技術として、馬術は一般的な教養だった。
 テュミルが意地悪そうに問う。
「エイノは無理でしょ?」
「テュミル君は、僕が歩いて馬を城まで連れて来たと言いたいのか? はずれだ。達人とはいかないが、人並みにはできる」
 少女は軽く舌打ちすると、自身と身長の近い青年剣士に矛先を向けた。
「……じゃあ、ユッシは?」
 少女が片眉を上げて見せる。
「オレ、乗れる」
「……」
 少女の口元が若干ひくついているのに、グラズアは気付いた。
「……で、ミルはどうなんだ?」
「……」
 少女は、悔しそうに首を横に振った。
 エイノが、さっきの仕返しとばかりに一つにやりとした。
「決まりだな」

     7

 積み荷が整い、それぞれに馬に跨った。
 グラズアはおっかなびっくりのテュミルを馬上に載せてやると、その後ろにぴったりと寄り添った。
 歩き始めた馬の上、その狭いスペースで、少女はできるだけ青年から離れようと努力していた。彼女はもぞもぞと腰を前方へずらす。
 グラズアは、彼女にそれに合わせて、馬がその歩みをぎこちなくするのを感じとっていた。
「こら……、離れるなよ……」
 手綱を離した右手で、彼女の肩を彼の胸元に引き寄せる。
「なっ……!?」
 触れあった身体が、お互いに緊張する。
 仕方ない。
 こうせざるを得ない状況なんだ。
 グラズアは頬の火照りを無視しようと努めていた。
「……なにすんのよ……!」
「……バランスを崩したら、馬に悪いだろ?」
「……なにそれ」
「簡単に言うと、落ちるぞ」
「それは嫌っ!」
 少女は、これでもかとグラズアによりかかった。
 グラズアの背筋に、想定外の負荷がかかる。
 身体の前面に、少女の体温が温かい。
「……重たい」
「失礼な!」
 四頭の馬は右手に落ちてゆく月を見送りながら、左手から昇る太陽を心待ちにして歩んでいた。その足どりは、きわめてゆっくりだった。
「ねえ。こんなにゆっくりで、グラスリンデンまで間にあうの?」
 テュミルは藍色のマントを体に巻きつけながら、文句を言った。
「歩いた方が早いんじゃない?」
 その質問に答えたのは、先頭を行くエイノだった。
「片道切符の旅ではないからな。馬の体力を温存したい。高低差の多いヴァニアス丘陵を走れば、足の負担にもなるだろう。ここを過ぎれば、グラスリンデンだ。平地になれば馬を走らせることもできる。今は、我慢のしどころだ」
 彼の表情は、フードを目深に被っていてわからない。しかし、その言葉尻は乗馬のリズムと合わさって、少し軽やかだった。その隣には、逆立てた桃色の髪を上下に揺らされている青年がいた。
 エイノに並んでいたユッシが、グラズアに振り向く。
「なあなあ! 守護神アルバトロスって、どんな人なンだ? オレ、一回会ってみたかったンだよな!」
「どんな人……か」
 ユッシの質問に、グラズアは朝焼けの萌えだす山間に、彼とアルバトロスの記憶を探していた。
「気付けば……母上の傍にいつもいて……」
 眩しい金髪の女王。
 その二、三歩後ろでは、いつも彼が濁りない眼光を閃かせていた。
 私生活においては、足の不自由な王配を気遣い、傍に控えていた。
「それで……両親を亡くしてからは、親代わりになってくれて……」
 リンデン伯爵の息がかかった兵士に代わり、グラズアの監視を申し出たアルバトロス。
 それはひとえに、彼の限りある自由と尊厳を守ろうとしてくれていたからだと、今のグラズアには理解できた。
「……勝った試しのない、剣の師匠……かな」
「なンだそれ、すげー! かっこいい!」
 ユッシの鼻息が荒くなる。
「俺にとっては、な。ラインのほうが、よく知ってるんじゃないか?」
「え? そうなのか!?」
 首回りが寒いらしく、灰色の髪をすっぽりとストールで包み込んだラインが頷いた。
「僕にとっては、初めての父親ですからね」
 ユッシはよそ見をしたまま馬を歩かせている。
 その眉根は、答えのない問いに歪められていた。
「? よくわかンねえ! ラインの親父さんが、守護神なのか?」
 ラインはそっと口元を緩ませた。
「いえ。僕は彼に拾われたんです。助けられたとも言うんでしょうか……」
「……オレ、まずいこと聞いちゃったか?」
 ユッシがエイノに、助けてほしそうな視線をくれるが、彼はそれをちらと頬に受け止めただけだった。
 だが、当事者のラインは、特別気分を害されたわけではないようだった。
「いいえ。僕みたいな、不幸な――いや、お爺様に拾われたんだから、幸せ、なのかな――子供は、他にもいますから、特別な感じはありませんね。アーミュなんて、物心ついたころからお爺様と暮らしているんじゃないかな」
「ほぉー……!」
 ユッシは、感嘆のため息をつく。
「まあ、くそのつくエロ爺が、奥さんも貰わず子供を拾って、何してるんだとは思いますけどね」
「!?」
 無表情のラインとその顔にそぐわない言葉に、開いた口がふさがらないユッシ。
 それを見て、テュミルはグラズアの懐でくつくつと笑みをかみ殺していた。
「ユッシのあの顔……! 意外とウブなんだ……」
「あの顔であれを言われたら衝撃的だろう……」
 声なき狼狽を見せるユッシに、テュミルが助け船を出してやった。
「ユッシ、気にすることないわ! おじじは大人の女性にしか興味が無いから」
「そ、そうか! や、やっぱ、守護神って呼ばれるだけあるなァ! あはははは!!」
「良く解からないし、五月蠅い」
 エイノに小突かれたユッシは、ほっとした様子を見せ、唇を引き締めた。
 寒さに言葉が減る道中、小さな会話で心が温まる。
 グラズアはふと、小さな疑問を覚えていた。
 青年王を王宮から連れ出す手配をしたのがアルバトロスだった。
 しかし、ただそれだけならば、彼が直接王を連れ出すことだってできたはずだ。
 わざわざトレジャーハンターの少女を派遣した本意が知れない。
 そもそも、どうして――。
「そう言えば、なんでミルはセルゲイのところに居たんだ?」
「言ってなかったっけ? あたしも、つい最近“拾われた”口なんだよね」
 彼女はグラズアに、へへっ、と照れたようなほほ笑みを肩越しに向けた。
 ふっくらした頬が愛らしい。
 そう思った自身を、グラズアは必死に否定している傍で、テュミルの独白が続いていた。
「二年位前かな。ついに資金が尽きちゃって、発掘にも行けなくなって……。そんなときに、アーミュのところに辿り着いたんだよね。アーミュもおじじに感化されちゃってるからさ、簡単に泊めてくれて、そのままずるずると……」
「発掘……?」
「ほ、ほら! お宝があたしを呼んでるから!」
「ほっほーう?」
 体で包み込んだ、少女の体温。
 彼女らしい笑顔。
 悪戯っぽく光る、ラベンダー色の瞳。
 そこには、お互いちょっとだけ目元が赤いのを見過ごし合う、暗黙の了解があった。
「泥棒の話には興味ないな。しかし、二年もとなると、テュミル君とライン殿に面識が無いのは不自然な話だ」
「泥棒じゃないわよ! まあいいわ。だってあたし、アルバトロス邸を起点にあちこち行ってたから。連泊することなんて無かったのよ」
「ラインも、ミルに気付かなかったんだな?」
「いえ、なんだか荷物が増えていたので、また誰かが住み始めたんだなと思って、そのまま……」
 気付いていたのか、いなかったのか。
 グラズアは大仰に溜息をついて見せた。
 頭を下げた拍子に、彼の顎をテュミルの頭にあやうくぶつけそうになった。
「まったく……。危機感が無いな」
「実家に居る時ぐらい、のんびりしたいじゃないですか」
「それ、俺に言うか?」
「面目ないです」
 仏頂面で頭を下げるライン。
 その背後から太陽が天上を目指し昇ってきていた。
 あちこちから朝を告げる鳥たちの声が上がる。
「さしずめあなた達は、アルバトロスの子供達、というところか」
 エイノは納得したようだった。

     8

 ルヴァとナティアは、白んだ月が塀の下へと沈んでいったのを、二人で見送った。
 その手は、一晩中握られたままだった。
 冷たい風に震える少女に、ルヴァは自身のショールとマントとをかけてやっていた。
「ありがとう」
 少女は、実に嬉しそうにほほ笑んだ。
 寒さのせいなのか、薔薇色に染まった頬がふっくらと持ちあがって。
 それがなんとも愛らしくて、ルヴァはどぎまぎするのだった。
 グレイさんとテュミルさんのことを、からかっていた自分が恥ずかしい。
 でも――……。
 ナティアと過ごす時間が、彼を温かい気持ちにさせる。
 自身の誇りなど、どうでもよくなってしまうような心地よさ。
 ずっと、彼女とこうしていられたら――。
「リシュナ様? どちらにいらっしゃいますか?」
 女性の声に、二人の体が強張る。
 彼女を探す声だ。
 見つかってしまうわけにはいかない。
 しかし――。
 敬称で呼ばれる女中がいるのだろうか。
 ルヴァの心が、にわかに震えだす。
「ナティア……? 君はメイドさんじゃ……?」
「ルヴァ……、それは……。わたし、いかなくちゃ……」
 少女は目に見えて焦っていた。
 仕方なく手を離す。
 彼女を苦しめるわけにはいかない。
 でも、僕は。
 君と少しでも。
 太陽が昇る。
 ずっと見えなかった、愛しい少女の顔がくっきりと浮かび上がる。
 触れたい。
 ルヴァは、せめぎ合う自身の誘惑と戦った。
「……次は……」
 ナティアの青い瞳が泳いでいる。
 そう、ここは、男らしく、しっかりしなくては。
「次は、新月の日に会おう。今日から十五日だ。大丈夫、またすぐに――」
「……嫌……」
 ナティアの呟きは、乾いていた。
「え……?」
 やんわりとした拒否が、ルヴァの心を容赦なく切り裂く。
 僕は、こんなに君を思っているのに。
 きゅっと締め付けられた心臓に向かって、ナティアは再び飛び込んできた。
 首に甘く巻きつけられる細腕の柔らかな感触。
「立待月にしましょう。……あさってに。待てないの……会いたいの」
 そっと体を離し見つめてくる、サファイアのような瞳。
 恋慕のためか、切なく細められたそれに、ルヴァは吸い込まれそうな錯覚を覚える。
 二つ、瞼が瞬いて。
 言い表しがたい興奮が、少年の全身を一瞬で駆け巡る。
「ナティア……!」
「ひゃっ!?」
 ルヴァは堪らず、ナティアを抱きすくめてしまった。
 抱かれたナティアはと言うと、いきなりの事に体を強張らせたが、次第にその力を抜き、ルヴァに体重を預けてきた。
 絹のような髪からは、ふんわりとバラの香りがする。
 いつも、いつまでも嗅いでいたい香りだと、ルヴァは思った。
「……あさってよ。約束だよ」
「ああ、約束だ……」
「リシュナ様!? ……こちらにもいらっしゃいませんか!? ど、どうしよう……!」
 女性の声がヒステリックに高まっている。
 二人は熱い視線を交わす。
 ナティアは、ルヴァから借りていた防寒具を脱ぐと、彼に手渡した。
 そしてそっと、どちらともなく離れた。
 陽光が、照らしだす離宮を、ルヴァは名残惜しみながら後にした。

「だれです? わたしはここにおります」
 ナティア――リシュナ・ティリア姫は、細い体に見合わない凛々しい声で答えた。
「リシュナ様! こちらでしたか……、ミラーは心配いたしました……」
 声の主が、慌てて駆け寄ってきた。
 庭に差し込んでいる太陽光に、短髪が色を失くしている。あたかも光と一体化しているようだ。
 彼女は、いつも離宮にいない人物なのでリシュナは驚いた。
「先生!? なぜこちらに……?」
 息を切らせて駆け寄り、リシュナを抱きしめたのは、彼女の剣の師匠――ミラーだった。
 彼女は心底ほっとした様子だった。
「グラズア様からお暇をいただいたのです。折角ですから早稽古をと思ってお部屋に参りましたらいらっしゃらないものですから……! お兄様に似ず、早起きでいらっしゃるのですね。さあ、ミラーの休暇の間は、お稽古のお休みはありませんよ!」
 そう言う彼女の表情は、陽の下にも拘らず、濃い影を落としていた。

     9

 匂いがした。
 埃が黴ついたような、古臭さ。
 ふわふわと揺れる視界を止めようとするも、歩みは止まらない。
 あ。
 少年は、歩きながらに白い薔薇と赤い薔薇が絡み合う紋章を見つけた。
 それは王家の紋章だった。
 それらが長方形の石に刻み込まれている。
 その石が、幾つも、幾つも立ち並んでいる。
 今いる場所、薄暗い石造りの建物。
 そこが霊廟であると、彼は察した。
 そう思ってしまうと、急に恐ろしさがこみあげてくる。
 引き返したい。
 空恐ろしく思うも、彼の踵は前方へと進むのをやめない。
 引き返したい。
 命令を聞き届けぬ自身の肉体が、恐怖を助長する。
 何かに導かれるようにして、真っ直ぐ突き進んだ霊廟の奥。
 そこに、男が一人立っていた。
 黄金色をした長い髪を、丁寧に一つにまとめている。
 彼の衣装は、刺繍にレースなど、手の込んだものだったが、どこか古めかしい。
 ただ、高貴な身分の人間であることは、すぐに理解できた。
 少年の気配を察したのか、男は踵を返した。
 その相貌は、色彩を除けば、彼の許嫁の兄と瓜二つだった。
 穏やかな微笑みまでも。
 グラジルアスの瞳は、サファイアの色。
 髪は、夜闇のように深い黒を湛えて。
 しかし、目前の彼はその真逆の色彩を持っていたのだ。
 男の瞳をまともに受け、少年の鼓動が急激に跳ねあがる。
 口元を醜悪に歪ませた男の瞳の色が。
 ルビーのように、ぬらりと光ったから。

「……っ!!」
 アレクセイは飛び起きた。
 まだ、動悸がおさまらない胸を掻き毟る。
 栗色の瞳を縦横無尽に動かす。
 あの男が傍にいないことを確かめるかのように。
 そこに映ったのは、オークでできた書きもの机、衣装箪笥、小ぶりな鏡台。
 彼はひとつ、溜息をつく。
 離宮での住まい――見なれた自身の部屋であることがわかったからだ。
 部屋は奇妙に明るく、時間の区別がつかなかった。
「……僕は……」
 彼は、汗でしっとりとしている頭を抱えた。
 危うげな記憶に、父親の奇妙な笑顔と、馬の鬣、そして彼の敬愛する師匠の顔があった。
 今日が何日なのかもはっきりしない。
 身体の節々が軋むのに、彼は顔をしかめた。
 すると、彼の部屋にノックが響いた。少年は体を強張らせる。
「アレク、わたしです」
 聞きなれた少女の声がしたと思うと、扉が開いた。
「……リシュナ……さま?」
「ええ。おはよう、アレク。気分はいかがかしら?」
 彼女の言葉で、今が朝であると彼は判断できた。
 ここが離宮で、さらに思い人が目の前にいることがなんだか不思議で、アレクセイは自身が再び夢の中にいるのではないかという錯覚を覚えた。
「僕は……? 確か、ヴァニアス城で先生と……」
「憶えていないの? 先生が、あなたをここまで連れて来て下さったの」
「……」
 彼の許嫁に続いて、見たことのない女中が入ってきた。
 小柄な女中は、浅瀬を思わせる淡い緑の髪をしていた。
 魔法めいた色合いに、アレクセイはまじまじと彼女を見つめてしまう。
 そんな不躾な態度をとられているにも拘らず、女中の表情は全く動かなかった。
「シア。アレクの支度を手伝って来て頂戴。アレク、調子が悪くないのでしたら、先生に稽古をつけていただきましょう」
 女中が頷くのを認めると、そっけない、用件だけの言葉をアレクセイに投げつけてリシュナ・ティリア姫は去ってしまった。

     10

「あれ? みんな、どうしていないの?」
 ルヴァが帰ってくるなり素っ頓狂な声を上げたので、アーミュは唇を尖らせた。
「ルヴァくんがいないのが、よくないんだよーっだ」
「ええっ! 教えてくれないの、アーミュ?」
「だって、アーミュ、昨日から寝てないんだもん。シロくんもクロくんも今寝たんだよ! 晩御飯終わったらミルちゃんが出掛けて、寝ようと思ったらエイノくんとユッシくんがお馬さん連れてくからって厩に行ってたし。二人を見送って、朝御飯の支度をして、さあ寝ようと思ったらルヴァくん帰ってくるし!」
 普段はほんわりと陽だまりの様な少女が、きんきんと声を荒げている。
 ぎらついた太陽の眩しさにも似たそれに、ルヴァは思わず目をしょぼつかせる。
 寝不足は、人をここまで削るものなんだな。
 ルヴァは大きな溜息を吐いた。
 束ねきれなかった水色の髪で、少年の目元が隠れる。
「……だいたいわかった。僕が悪かったよ、アーミュ。今日の仕事は僕が全部やるって言ったら、機嫌を直してくれる?」
 髪をかきあげる少年の提案に、アーミュはすかさず食らいついた。
「ほんとっ!? ご飯もっ!?」
「うん、いい加減でいいなら――」
「みんなの餌やりもっ!?」
「……うん。どれをどれにって教えてもらえれば――」
「お掃除もっ!?」
「……。……そこまでは……手が……回らないかも……」
「いいよ、いいよ! 一緒にやったら早く終わるよ!」
 いとも簡単に不機嫌を裏返した少女。
 だが次の瞬間に、にんまりしていた口元を、今度はあんぐりと開けた。
「ああああっ!」
 その茶色い瞳までも見開かれている。
 重大発表の予感に、ルヴァはうんざりとしてみせた。
「……他にも何かあるって言うの?」
「あった! 忘れてた! 危なかったー!」
 そう声を上げながら、アーミュはパタパタと走り去った。
 扉が開いて、再び閉じる音がしたと思うと、再び足音が。
 すぐに戻ってきた少女は、彼女の体に見合わない少し大きめの本を抱きかかえていた。
 ルヴァの手に、重たい本が乱暴に載せられた。
「はい、これ!」
「重たっ!?」
 少年の、成長途中の細い肩に衝撃が走る。
「これね、エイノくんがルヴァくんに宿題だ、って言ってたの。エイノくんが帰ってくるまでに、ほんやく? しといてほしいんだって」
「ほんやく……、翻訳ねぇ……」
 ルヴァは、あくびをかみ殺した。
 外国語を母国語に変換する作業が、翻訳。
「……面倒だな……僕、外国語なんて勉強したこと……――!?」
 何気なく見降ろした本の表紙。
 そこには彼が、ロフケシアの図書館で探していた言葉があった。
 ワニア。
 司書が必ず教えてくれるといった、あの言葉だ。
 途端に動かなくなってしまったルヴァを見て、アーミュもその本の表紙を覗き込んだ。
「ねーえー、なんてかいてあるのー?」
 二人の子供がそうしているのを、フライパンを手にしたドーガスが、キッチンから微笑ましく見守っていた。
「お留守番を引き受けたはいい物の……。お子様ばっかりで、まるで学校ですね……」
「ますたー! ぱんけーきはー?」
「ますたー! ぱんけーきにはここあですよ!」
 彼の足元には、おやつをせびる双子の兄弟がいた。
+注意+
特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。
↑ページトップへ