僕の住む場所
「交流サイト 小説喫茶企画」参加作品です。
我が家、我が城、我が……賃貸。
小さな庭付きの、木造平屋建て。
夢にまで見たイメージ通りの古い一軒家が、目の前に静かに建っている。
いくつもの不動産を渡り歩き、想像通りの一軒屋を見つけられたのは、奇跡にも近いだろう。
周囲は閑静な住宅街。白昼夢かと思えるほど音はなく、猫一匹見かけない。
色とりどり華やかな二階建ての邸宅が密集している中で、違和感すら覚える平屋建て。
だが、僕は賃貸だが自分の物となった家の素晴らしさの方が、どんな家よりも勝っていると胸を張り、アゴをあげ、大家さんから預かっていたカギを握りしめた。
「隣三軒、両隣って言うしな。昔の人は大変だな、六件分も手土産持参しなきゃならないんだから」
大きな荷物はすでに運び込まれているはずで、持ち物といえば自分のカバンを肩からさげ、片手に大きな買い物袋くらいだ。
うるさく音を立てるソレには、両隣三軒分ずつの、挨拶回り用のタオルが仕込まれている。
僕が一人、誰に言うともなく言った言葉に、誰もいないと思っていた背後から声がかけられた。
「向こう三軒、両隣。自分の家とするからには、両隣には挨拶をしとくべき。という事だよ。ちゃんと覚えたまえ? 村野くん」
文字通りに飛び上がってしまった僕は、慌てて振り返る。
目の前には、この家の大家さんをしている初老の男性、林さん。
白髪、白ヒゲ、若草色のジャケットをはおり、人生を表すような笑いジワを、さらに深く刻みながら、楽しげに笑っているナイスミドル。
思わず自分を見つめ直してしまう僕。
最近、散髪に行けていない為、中途半端に伸びた黒髪。
ヒゲは二、三本しか生えてこないため、剃ってはいるもののカミソリがもったいない。ヨレヨレの青い七分袖Tシャツに、ジーンズの三十路。
あまりの格好悪さに、うすら笑いを浮かべた時点で、勝てるわけがない。
「こんにちは、大家さん」
ぎこちなく目を泳がせる僕に、ナイスミドル林さんが、面白そうに笑う。
静か過ぎる住宅街に、彼の笑い声が響き渡り、ついでにつられ笑いした僕の固い笑い声が続いた。
「さて、この家は今から君に貸し出すわけだが……条件を覚えているかい?」
ふと笑いを収めて聞いてくる林さんに、僕はうなずく。
「えーと、あれですよね。家を壊さない、木を切り倒さない、庭の草むしりをする、掃除ゴミ捨て忘れない」
指折り数えながら言う僕に、いちいち笑顔でうなずく林さん。
それくらいだったかな。とつぶやけば、林さんは表情を一変させ、それはそれは恐ろしい顔で詰め寄ってきた。
「……一番大切な事を、忘れているんじゃないかい? 村野くん」
「大切?」
なんだっけ? と本気で悩む僕に、林さんは笑顔で肩をつかんできた。
その力は歳のわりに強くて、ものすごく痛いんですけど。
「誰かが尋ねてきたら、なんて言うんだっけかな? 村野くん」
「え? あ、ああ……たしか、『条件を守らなければ……』ですよね?」
「その前だ! 『数打ちゃ当たる』だろう? しっかりしてくれたまえよ」
しっかりもなにも、僕はこんな合言葉なんて、冗談としか思ってなかったのだ。
そして、力説されている今、この時でさえも冗談としか聞こえないというのに。
「君は忘れっぽいみたいだからな、復唱したまえ」
「え、ええ? ここでですか?」
「いやなら、契約不履行で退去してもらうぞ」
横暴だ。これを横暴というのだ。
しかし僕は逆らうわけにはいかなかった。
この夢のような格安物件を、みすみす逃したくなかったのだ。
渋々だがうなずき、三度も復唱してやると、林さんはやっと満足そうにうなずいてくれる。
「よし、忘れるでないぞ。村野くん」
「……はい」
本当にその確認のみで来たのだろうナイスミドルな彼は、鼻歌を歌いながら来た道を戻っていった。
「まあ、いいか」
気を取り直して、鍵を握りなおす。
条件は呑んだのだ。大家さんが「返せ」と言ってくるまでは、僕の家。
わけの分からない状況に、へこたれかけていたが、カチャリという小気味良い音に、心は高揚した。
「ただいまー」
一人という事が分かっているのに、すりガラスの引き戸を開け、中に声をかけた。
最近まで林さんが住んでいたこの家の中は、いたって綺麗だった。
床は板張と畳が二部屋ずつ。あと台所と風呂場。
積まれているダンボール。小さなテレビ、布団にちゃぶ台。この日の為に新調しておいた、丸いヤツ。
ささやかな夢が着々と叶っていく。思わず笑みがこぼれた。
背の低いモノクロタンスと、プラスチックの衣装ケースがそぐわない。とりあえず、こいつらは隅に追いやっておく。
「よしよし。今度ホウキと雑巾買ってこないとな」
そう言いつつ、手に持っているタオルをながめ、
「せっかくだから、自分で作ってみるか」
林さんは「両隣に挨拶をする」と言っていた。
という事は、大量に余るんじゃないか? コレ。
二枚減ったとしても、残り四枚。
床拭き用、台所用、洗面所用……新品を雑巾にするのは、なんだかスゴクもったいない。古くなったタオルが、山のようにあるというのに。
「やっぱり全部配るか」
とりあえず、突っ立っているわけにもいかない。
肩から提げていたカバンを床に置き、とっておきのブランド店の紙袋を出して、そこに丁寧に包まれたブランドとはかけ離れたタオルを放りこんだ。
呼び鈴が、二度鳴らされる。
僕は耳を疑い、大家さんが戻ってきたのかと、すりガラスの玄関を息を殺して、こっそりのぞく。
「ごめんくださーい」
快活な少女のよく通る声。近所の人が、偵察にきたのだろうか?
出て行くのにためらっていたら、再度呼び鈴が鳴った。
「はーい」
ちょっと恥ずかしいが声をあげ、タオルを一つ出して玄関に向かう。
勢いだ! 最初は勢いだ! 相手に呑まれるなよ、僕。
考えていた挨拶を、頭の中で反芻させながら、玄関を開けた。
目の前には、かわいらしい少女が一人、半袖シャツに青いジーンズをはいているのに、この差はなんだ。と言いたくなる。
――言えないけど。
僕を見て、あからさまに訝しげな表情を浮かべる彼女に、とりあえず考えていた口上をのべた。
「本日、引っ越してまいりました。村野……」
「あなた、パパ?」
「……は?」
意味がわからない。
もう一度、頭の中で少女のセリフを繰り返してみたが、検討もつかない。
パパ。思いつくままを浮かべれば、少女と血を分けた父親。もしくは、いろんな意味でのパパ。
そんな事あるもんか! 三十路にもなって? と言われるかもしれんが、血を分けるような女などいないのだ!
それに、そーゆー意味でのパパでは、そんな金があったら、もっと早くに家を探せたんだ!
ゆえに、そんなバカな。としか思えない。
春だな。夏にほど近いけど、まだ春だ。
そうか、暑くなればなるほど、おかしな人が出るもんだ。
僕は一人納得して、引き戸を閉めにかかったのに、少女は閉められないように食い下がるではないか。
「パパ? 逃げるってことは、パパなんでしょ?」
「違うわ! なんだ、家を買ったばかりだから、援助する金なんかねーぞ!」
「なんで違うの? 違うなら、ちゃんと話をさせてよ!」
少女の言う事は、理に適っている。
仕方なく扉を開き、彼女を一歩も中に入れないように、立ちふさがる。
「お前、年齢はいくつだよ」
「お前じゃないわ、川田寛子。寛大な子って書くのよ。歳は十五」
「十五か。それじゃあ、あるのかな。って、ねーよ! あるわけねーだろ! その頃は確かに興味があるお年頃だけど、まだまだ純粋だったんだ!」
声を張り上げてやったのに、寛子はさもありなん。とうなずいた。
「最初は、みんなそう言うのよ」
「って、どれだけ当たって砕けてんだよ」
「パパで、十八人目」
「うあ、どこまでいっても中途半端だな、僕。ってか、パパじゃないし」
なんか僕、泣きそうだ。もうイヤだ。帰ってくれないかな、このコ。
「パパ!」
抱きついてこようとする彼女を両手で押し戻し、近づけないように肩を押さえる。
どうしたら――と、脳みそをフル回転させると、やっと引っかかった言葉。
「数打ちゃ当たる! 数打ちゃ! 当たっとけ!」
「……なんでパパがその言葉、知ってるの? じゃあ、本当にパパじゃないの?」
力比べが、やっと終わりを見せた。
僕は安堵のため息を大きく吐きながら、
「今のは、ここの大家の林さんに教えてもらったんだよ。僕はここに今日越してきた、村……」
「おじさんは? おじさんはどこに行ったの? 私を、見捨てたのね!」
「いや、大家さんは、もっと優雅なマンショ……」
「ひどい! ひどいよ!」
わあっと声をあげて、少女は走り去ってしまった。
静けさが戻ってくる。
取り残された感は拭えないが、白昼夢かとも思ったが、ヨレまくり僕の体温で生暖かくなったタオルが、現実だと告げていた。
「なんだったんだ?」
放心しながら、僕がつぶやくと、騒ぎを聞きつけた隣家の奥さんが、哀れむような、それでいて面白いものを見る目でのぞきにきてくれた。
「引っ越してきた村野さんでしょう? 林さんから聞いてるわ」
「はあ」
どうしても毒気が抜けず、空返事をしてしまったが、奥さんは気にも留めなかったようだ。
彼女は小さく息を吐きながら、困り声を出す。
「あの子もね、悪い子じゃないんだけど。ほら、年端もいかないうちに両親が離婚してね? 物心ついた時から、ここいらの人たちに、同じ事聞いて回ってるのよ」
「はあ」
なんだか、すごく疲れた。
しかし、次に発せられた奥さんの言葉が、僕を正気に戻す。
「あの子が納得するまで、きっと何度もくるだろうけど、頑張りなさいね」
「はあ!?」
開いた口がしまらない。僕は何を言えるでもなく、アワアワと両手を上げたり下げたりすると、奥さんは残念そうに、静かにうなずいてくれた。
なんの助けにもならない。僕はうなだれて、足元をみつめ――気がつく。
「すみません。あの、遅くなったんですけど、引っ越してきたんで。タオルなんです」
シワだらけの包装紙に包まれたタオル。
出してから、しまった! とは思ったが、奥さんは笑顔で受け取ってくれた。
「がんばってね? 前に来たコは、二ヶ月で出てったけど」
奥さんは、笑顔で帰っていく。
我が家、我が城、我が……試練の館。
高揚していた気分は、台無しだ。めんどくさいとしか、今となっては感じない。
自分の気に入った家だったはずなのに、今では重苦しい雰囲気しかない。
ひょっとして、来た時に静まり返っていたのは、あの少女が来る事を警戒して、息を潜めてやり過ごそうとしていたんじゃないか?
そこに現れたのが、僕。格好の的になってしまったのかもしれない。
家を壊さない。木を切り倒さない。
どれだけストレスに対抗出来るのか。
今では、ナイスミドル林さんの嘲笑が聞こえてくる気がした。
きっと、そんなに長くはいられないだろう事を、僕ははっきりと悟っていた。
そして、思わず叫んぶ。
「頼むから、金を返してくれー!」
関わったら終わりなのか、誰からも苦情はこなかった。
挨拶回り用のタオル。もう配らなくても、いいんじゃないかな。
僕は重い足取りで家に入り、しっかりと施錠した。
読んでくださって、本当にありがとうございます!
もうコメディだかなんだか、分からなくなってしまっていて、すみません。
「僕」が途方に暮れちゃった。という事が、なんとか伝われば……とは思います。
ここまで読んでくださって、ありがとうございました。
もっともっと精進します。