「君がこの手紙を読む頃には、僕はもう此処にはいないだろう。
なんてありがちな事を書いたら、飽きっぽい君の事だからきっと読むのをやめてしまうだろうが、まぁこれが僕の最後の無理強いなんで、諦めて最後まで目を通してくれ。
僕は死のうと思っている。というのも、何が上手くいかないとか、女にこっぴどい振られ方をしたとか、借金があるとか、まぁとにかく理由があって死ぬわけではない。
例えるなら、朝天気がいいから散歩にでもいってみようか、くらいの気持ちで死ぬのである。天気がいいからといって散歩に行かなければならないわけではないだろう?そういう事だ。といっても、これを書いているのは深夜一時であって決して朝ではない。
あまりどうでもいいことを書き連ねていると、君の迷惑そうな苦笑いが浮かんでくるので本題に戻そう。
僕が死ぬのは、僕の問題であって、君は自分には関係ないと思うだろうが、僕が君にこの手紙を書いているのには理由がある。一週間前、そう僕の誕生日に、君はお祝いのメールをくれたね。だから僕も君の誕生日にはメールを送ろうと思っていたんだ。だが、君の誕生日はまだ十ヶ月も先だろう?正確にいえば十ヶ月と七日。もし僕が明日にでも死んだら、君にはメールが送れなくなる。それだけが心残りだったわけだ。だからその非礼をわびるためにこの手紙を書いた。
さすがにそれだけじゃあ素っ気ないだろうから、もう少し話をさせてくれ。僕が死んで、もしかしたら周りじゃちょっとした騒ぎになるかもしれない。出来る限り自殺と判るように死ぬつもりだが、自殺と判ったら判ったで、自殺の原因を探そうとする人間もいるかもしれない。その時は、「彼は昔から口癖のように、この日が来たら死ぬと言っていました」とでも、「彼は自分の陰茎が勃起すると死にたくなると口走っていました」とでも、適当理由を作ってほしい。ただ、その理由を「社会に適応出来ない」とか「女に裏切られた」とか他者に作るのはやめてほしい。他人に依存してきた僕が、他人に理由をこじつけて死んだとなっては、救いようがないからね。あと、この手紙の内容も公表はしないで欲しい。でも僕はこの手紙以外に遺書を書くつもりがないから、万一、他殺の可能性が疑われたりしだしたら、迷わず公表してくれ。そうでないと本末転倒だからね。
ここまで書いたからには、君に迷惑がかからないように、僕の死ぬ理由を考えなければならなくなってしまったわけだが、そうだな、僕はこの手紙を書く前に自慰行為をしていたんだ。(ちゃんと手は綺麗に洗ってからこれを書いているよ。僕にはそんな趣味はないからね)君は、こういう下ネタは平気だったと思うから、この話を続ける。まぁ、ネタじゃなくて真実だけれども。
そう、僕は自慰をしていた。相手がいないからといったらそれまでだが、僕はセックスよりも自慰の方が快感を得られる性質なんだ。それは至極当然な事だと思う。だって女を抱く時は、どうやったら女がもっと悦ぶかとか、自分が達するタイミングはこれでいいのか、いや、もっと言えば、自分の陰茎は女から見るとどうかを気にしてしまう。自分が絶頂に達する前には、いちいちゴムが破れていないかという不安までついてくるのだ。
それに比べて、自慰行為といったら!抱く女は理想の容姿に理想通りの反応。すべて自分の理想、不安や気遣いなど一切必要ない。女の胸の形や声や態度や下の具合が全く予想を悪い方に裏切って、それでも男のプライドを保つため、萎えるわけにはいかないというプレッシャーは要らないのだ。その点、女は楽だと思うよ。
あぁ、気を悪くしないでくれよ。僕が神経質なだけなのだから。で、僕にとって自慰こそ快楽の極みであるのだが、そこには何一つ現実というものは存在しない。あくまでも理想の女も理想のセックスも僕の空想(妄想)の世界に始まり、完結する。世間では、理想を求めて努力し現実にするなんていう、それこそ理想論が浸透しているが、理想はあくまで理想で現実になる事はないんだよ。
僕は、現実というものに、何の魅力も感じない。理想の世界で生きたいんだ。特に時間というものは恐怖以外の何者でもない。僕の理想は変わらずとも、僕自身を蝕む。老いる事を考えるとそれだけで、僕は居ても立ってもいられなくなる。バタイユの『エロティシズム』を読んだ事があるかい?そこにこういう一節がある。
「非連続的な存在である私たちにとって、死は連続的な意味がある。」
エロティシズムは、死にまで至る生の高揚だと彼は言っている。ただ僕の考えと異なるのは、彼のいうその死にまで至る手段がセックスだという点だ。僕は自慰こそが、現実から離れた死に至る手段だと考える。実在する女と繋がったって意味はないのだ。理想と繋がる唯一の手段が自慰なのだ。僕の中には今、理想の女がいる。それが今の僕の全てだ。
先程、時間について少し触れたが、時間というものは、僕の外面だけでなく、僕の理想すら蝕む厄介な代物だ。僕はそれがたまらなく憎い。僕の唯一である理想の女が、僕の変化によって壊されることが不安でならない。だからもう現実は僕にとって憎む以外に価値のないものなのだ。僕は心中しようと思う。僕の中に在る理想の女とともに。
あぁ、思いの他長くなってしまった。君はそういえば、小説を趣味で書いているんだってね。時間をとらせてしまったお詫びになるかは、判らないけれど、執筆が行き詰ったら、僕のような人間をネタにして書いてくれて構わないよ。ただし、匿名でね。
それじゃあ、お元気で。君の幸福を祈ります。
」
この手紙を受け取ったのは、もう三ヶ月も前の事だ。この手紙を、匿名の男は、直接私のところへ手渡しにやってきた。
「遺書を書いたら、心が軽くなったよ。これで僕はもう、いつでも好きな時に思うように死ぬことが出来る。」
そう朗らかな顔つきでいいながら。
もちろん、この男はまだ生きている。
了
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