四章 正しい機関砲の使い方
笛と鈴の音が響き渡った。赤、黄、青、極彩色で彩られた、東洋の着物みたいな服をまとった者が、広場の中央で笛と鈴の音に合わせて舞う。その顔には、目から眉まですべてのパーツが大仰にできた、巨大な鬼面を付けている。
時折入る、とととん、という太鼓の拍子に操られるようにして、仮面の鬼は身動きを止め、また舞い、時に片足のまま身体を硬直させた。その独特のリズムは、見る者を惑わせながらも引き込んでいった。
アルが足を止める。珍しく、アルに付き従うのを忘れたかのように、シュテルが立ち止まって仮面の舞を見つめていたからだ。
「行くぞ、シュテル。今日の宿を見つけなければ。」
「あ・・、はい、マスター。失礼いたしました。」
「あの舞、面白かったか?」
「はい。祭りの際に舞を奉納する、というのは書物で読みましたが、実際のその舞を目にするのは初めてだったもので、つい・・・。」
「そうか。」
シュテルの持つトランクの中からも、声が聞こえた。
「え? なになに? 外で何かやってるの? 賑やかな感じなんだけど。カーニバル?」
リリヤだ。夕方になり、起き出してきたのだろう。トランクがわきわきと揺れ、好奇心が外まで伝わる。
「見たいわ。まだ日は出てるの? 沈んだら教えてよ。」
と、こちらも祭りに負けずうるさい。
アルは、
「分かった、分かった。日が落ちたらまた見に来よう。この賑わいからすると、まだ当分終わる気配はない。」
「はい、マスター。」
と、シュテルが言った。いつもの口調だが、心なしか、嬉しそうだ。
町外れにようやく見つけた古びた宿で、老婆の笑顔に迎えられ、部屋を取る。日が暮れたものだから、部屋の中でトランクを開けリリヤを外に出した。
一瞬、その身体を霧にし、それから実体化して、
「ゥうーんん・・・、と。はぁー、やっぱり、外はいいわ。身体を伸ばせるって、サイコー。」
と言いながら、大きな伸びをするリリヤが姿を現した。シュテルに激しく受けたダメージも、この数日ですっかり回復したようだ。
リリヤは上機嫌で言った。
「それで。カーニバルですって? 私、見に行きたい。」
と言うリリヤに対し、アルはどさっ、と椅子に座り崩れると、いかにもおっくうそうに言った。
「もう行くのか? 少し休ませろ。僕は疲れた。」
長旅だった。のろのろと未舗装の道路を進むバスに長時間揺られて、アルは疲れ切っていた。
リリヤは腰に手を当てて、
「老人みたいなこと言うわね、見た目の割に。行きたいのよ、私は。カーニバルが終わっちゃうかも知れないでしょ。」
と、仁王立ちになって言うし、シュテルはシュテルで、もじもじと恐縮しながら、
「あ、あの、マスター。お疲れのところ申し訳ないのですが、わ、私も行きたいのです・・・。」
そう言って、うつむき加減に言った。
アルはのろりと立ち上がると、
「分かった、分かった。行くぞ、シュテル、リリヤ。」
と、言って部屋の外へ向かう。
「はい、マスター。」
いつものように、シュテルは素直にうなずき、
「私に命令しないでよね。」
と言うものの、リリヤも足取りが軽い。
先ほどの広場に出ると、祭りは最高潮に達していた。かがり火に照らされながら、三体の鬼面がゆろゆろと不思議な踊りを舞い、くるくると環を描いて回ったり、ぱっ、と三人別方向に飛び退いたり、自在に動き回る。
口を半分開いたまま、興味津々で踊りを見つめるシュテルとリリヤを見ていると、何だかこの二人、似てるところがあるな、とアルは思った。
鬼面の一体が、観客へのサービスなのか、周囲を取り囲む客達のすぐそばを、面を間近に近づけながら駆け抜けて行く。
「・・・?」
一瞬ではあるが、鬼面の目とアルの目が合った。意識して、アル達の方を見たような感じがあったのだが、気のせいだろうか・・・? 鬼面はすぐにアル達の前を過ぎ、ぎょろ、ぎょろ、と作り物の目をあちこちへ向けて、凝視している。やはり、気のせいか、とアルは思った。
舞は終わりを迎え、潮の引くようにこつ然と、鬼面達は姿を消した。客達も、思い思いの方向へ散って行く。
「とても面白い踊りでしたね、ミス・リリヤ。」
と、シュテルがリリヤに言った。
「うんうん。あの鬼みたいな面の人たちがさあ、くるくる踊り回るのってなんかキレーだったわ。かがり火に照らされてさ。ほら、こんな風に。」
リリヤはその場でくるくると回って見せた。シュテルもつられて、くるくる回る。周りの者達がそれを見て、くすくすと笑っていた。アルは恥ずかしくなって、
「おい、シュテル、リリヤ、止めないか。子供じゃないんだぞ。」
と言うのだが、
「アルに言われたくないわ、そんな子供みたいな格好でさ。ちゃんと血を吞んでれば、私より身長も高くなってたでしょうに。」
と、リリヤはいっこうに言うことを聞かない。
しょうがないので、アルはシュテルを止めようと思って、はっ、と息を吞んだ。そばにあった揺らめく炎に照らされながら、火の粉の舞い散る中、無表情に踊るシュテルは、本の中から切り出してきた妖精みたいに美しかった。アルはかける言葉を失った。言葉を失っただけでなく、それをどこかで見たような光景だと、何かを思い出しかけた。遠い昔に、何かを見て、妖精みたいだと思ったことが・・・。
シュテルを見つめるアルの様子が、ただならないことにリリヤは気づいた。ぼんやりと放心したように一点を、シュテルのみを見つめているアルに、リリヤはちくりと胸が痛むのを感じた。痛みの元凶が何なのか、リリヤにはよく分からない。
「アル!」
リリヤは、無意識の内に、アルの名を呼んでいた。
「あ、ああ・・・。シュテル、踊るのをやめろ。」
アルは我に返ると、シュテルへ言った。
シュテルは、
「マ、マスター・・! 申し訳ありません。つい・・・。」
ぴたりと踊るのをやめ、アルに深々と頭を下げる。
「いや、いいんだ・・・。」
アルはそう言ったきり黙ってしまった。広場を後にして歩き出す。
アルが黙ると、シュテルも貝のように黙った。何となく気まずい沈黙が流れたものだから、リリヤは努めて明るい声で言った。
「アル、お腹が空いたわ。一日中、何も食べてない。何なら、何人か吸って来ようかしら。」
ふふ、と不敵な笑みをもらすリリヤに、アルは言った。
「やめておけ。こんなところで騒ぎを起こされても困る。」
「騒ぎなんて・・・。大都市ならともかく、こんな田舎で騒ぎなんて起きるのかしら。」
「田舎だからこそ起きるんだよ。人一人いなくなっても周りがすぐに気づく。」
それは確かにそうかも知れない、とリリヤは思ったが、それにしても、血を吞まない吸血鬼、テンペレートたるアルと行動を共にすると、こういうところがやりにくい。ハンマーヘッドの連中と一緒なら、ちょっと吞みに行こうぜ、と近所の居酒屋に行く感覚で血を吸うのである。何も吸った相手が死ぬわけじゃない。眷族になって、喜ぶ者の方がむしろ多かった。
リリヤは、
「分かったわよ。血を吸うのはやめておくわ。でもお腹はすいた。」
と言った。血を吞まない分、たくさん食べる必要があった。
何か食べられる店はないかと探していると、人気のなくなった道の真ん中に、トラックが止まっていた。荷台には、濃緑色のシートに覆われた荷が積んである。トラックはかなり年季の入った、軍用のようにも見える。
荷の陰から、すっ、と人影が現れた。先ほどの、鬼面の舞踏者だ。
「あれは、さっきの・・・。何をしているのでしょう。」
彼らの踊りをよほど気に入ったのか、シュテルが、思わず駆け寄った。
シュテルが二、三歩走り出したところで、その背中を見ていたアルが突然、嫌な予感に襲われた。祭りは終わったのだ。それが、こんな人気のないところで自分たちを待ち構えるようにして、奴はいったい何をしている?
「待て、シュテル! 何かおかしい─。」
アルがシュテルを呼び止めたのと同時に、鬼面が荷台のシートを勢いよく引き払った。
ぶぁ、と舞うシートの下から現れたのは、黒々と光る銃身の束だ。七本の銃身が環状に配されたそれは、多銃身機関砲(GAU-8 Kustom)。銃身の長さだけで二メートルを越え、全長は五メートル近い。ぐるりと螺旋を描く給弾チューブはその後ろのドラム缶様の、いや実際にドラム缶なのだが、に接続され、銃とドラム缶の間には、銃身を回転させるのであろう機関部がむき出しになっている。
鬼面はその銃、いや砲、と呼んでさしつかえないそれを片手で軽々と持ち上げる。その大重量ゆえ、トラックが傾く。紙や発泡スチロールででもできていない限り、人間が持ち上げることなどおよそ不可能なその砲は、しかし、質感からしてどう見ても、ハリボテではなかった。
鬼面がくぐもった声で言い放った。
「祭りの始まりだ。」
機関砲の先端がシュテルを捉える。銃身が鈍い回転音をあげ、一呼吸置いて、ブゥーンという、巨大なハチドリでも飛ぶような、異様な炸裂音が響いた。
閃光がひらめき、弾丸の飛翔音と着弾音がほぼ同時に聞こえる。
「シュテル!」
とアルが叫んだ。いかなシュテルでも、あの弾丸をまともに受ければ粉々だ。土煙が舞う。まさか、今の掃射でやられたのか・・? あの一瞬で? アルの思考が急回転と停止を繰り返した。シュテルのメインコンポーネントさえ残っていれば、修復は不可能ではない。だが、頭ごと打ち抜かれていれば、もはやどうしようも・・・。
アルが立ち尽くす道路の脇から、
「アッブネェー! 危ないわね!」
と、頓狂な声が聞こえた。リリヤだ。シュテルと折り重なるように、リリヤが道の脇に倒れている。
「リリヤ!」
アルが叫ぶのに対し、声が聞こえた。
「マスター! ご無事ですか!」
シュテルだ。生きている! 人造人間に「生きている」とはおかしな表現だったが、とにかくアルはとっさに、そう頭の中で叫んでいた。
アルはシュテル達に言った。
「無事だ! 見通しのいい場所では不利だ! 路地裏に入れ!」
言い終わる間もなく、次の掃射がきた。アルの足下が、着弾の衝撃で振動する。凄まじい威力だった。
アルとシュテル達は各々道の反対側から、路地裏に入る。アルにしてみれば、シュテルやリリヤとこの状況で離れるのは非常に危険だったが、悠長なことは言っていられなかった。
しかし、この手回しの良さはなんだ。あんな軍用兵器を用意しているところからしても、僕らの足取りを完全に知った上で、待ち伏せしていたとしか思えない。まさか、リリヤが・・・? ハンマーヘッドを裏切ったフリをして、僕達の居場所を奴らに報告していた・・? その可能性はあったが、しかし、リリヤにそんな器用なことができるのだろうか。本人は気づかれていないつもりでも、何をやっているのか、何をやろうとしているのかが筒抜けの奴だ。リリヤの不器用さを信頼しているからこそ、スパニダエへの案内などをさせている。リリヤの裏切りの裏切りの線は、恐らくないだろう、とアルは結論した。
そこまで考えて、ふと、アルは足を止めて振り向いた。追っ手の気配がない。ハンマーヘッドの第一の狙いは僕だ。それに、戦力という意味でも弱いところから潰すのは常套。
「僕を真っ先に狙うものと思っていたが・・・。」
静まり返った狭い道に立って、アルは周囲の気配に意識を集中するが、不気味なほどに静まり返っている。
シュテルとリリヤが、肩を並べて走っている。
リリヤは、あの時なぜ、あんな行動に出たのか戸惑っていた。打たれそうになったシュテルを、横から押し倒して助けたのだ。放っておけば、弾丸を全身に受け、木っ端みじんとなっていたのだ。シュテルさえいなくなれば、アル一人など力づくでどうとでもできる。
「ちっ。どうして・・。」
そうつぶやくリリヤに、シュテルが言った。
「ミス・リリヤ。ありがとうございます。私はあなたに助けられました。あの攻撃をまともに受ければ、私であっても活動が停止していたでしょう。」
生真面目にそう言うシュテルを見て、リリヤは、
「助けたくて助けたんじゃないわ。あんたなんて別に・・・。」
死んでも、知ったことじゃあないのよ、と言いかけて口をつぐんだ。
ああ、そうか、とリリヤは思った。シュテルが死ぬと、そのしかばねの横で、アルがひどく悲しそうな顔をして、うなだれている。そんな光景を、思い浮かべたのだ。だから、助けた。それ以上でも、それ以下でもなかった。ただ、アルの悲しむ姿が見たくなかっただけ。それだけだ。
鬼面の影は、長大な機関砲を片手にドラム缶を背負い、狭い路地裏を突っ走ってくる。機関砲の幅は路地幅ぎりぎりで、どこかに引っ掛かってもおかしくないのに、鬼面は器用にバランスを取り、砲は壁をかすりそうでかすらない。
二人が左へ直角に折れる路地の角を、その折れ様に合わせて、きゅっ、と曲がると同時に、どど、と一陣の弾丸が壁に当たる。当たるというより、お菓子のクラッカーを砕くみたいに、弾丸が石壁を粉々に飛び散らせた。飛散した壁の石片が、リリヤの頬をかすめて行く。
リリヤが叫んだ。
「危ないわね! こんな狭い所で、よくもあんなもの打ちまくるわ。」
それに。と、リリヤは思った。
なぜ、私達を先に襲う? シュテル、リリヤのコンビと、アル一人では、明らかにアル一人の方が与しやすい。真っ先に弱い所を狙うのが通常のセオリーなはずだが、あえて私達を追う意味が分からない。
意味が分からないついでに、リリヤは後ろを振り返った。路地が直角に折れている。うまくすれば、あの鬼面野郎、路地の直角部分で引っ掛かってくれるのではないか。そんな淡い期待を持ちながら見るのだが、あっさりとその期待は裏切られた。
機関砲を高々と、垂直に持ち上げて壁に突き当たり、次いで鬼面は身体を左に向け、持ち上げた機関砲を水平に戻して、ぴたりとリリヤ達に照準を合わせた。
一瞬の間を置いて、弾丸の群れが迫るのと同時に、
「ミス・リリヤ。危ないです。」
シュテルはそう言って、リリヤを壁側にはねとばす。
「うぁ! あててて!」
はねとばされたリリヤは、壁にぞりぞりと額をこすりつけた。
反動でシュテルは反対側の壁に逃れ、その真ん中を、猛烈に回転しながら飛翔する弾丸が通り抜けた。ひゅひゅっ、という不気味な音を立てながら、弾は遥か前方の闇の中へ、閃光と共に消えて行く。
路地の脇にあるわずかなくぼみにシュテルとリリヤ、二人仲良く収まり、
「イッてー・・・! 何すんのよ! おでこが焦げちゃったじゃないの!」
リリヤが額を抑えながら、シュテルに抗議した。
「申し訳ありません。ミス・リリヤ。ああする他、弾を避けることができませんでした。」
シュテルがそう言ったのも束の間、ドドドドッ、と大量の弾丸が降り注ぐ。壁が弾け、割れた小石の破片が飛び交い、さながら、大瀑布、ヴィクトリアフォールズの真下に立ったような、強烈な猛射だ。
壁が削れて、シュテル達の収まるくぼみまでなくなりそうな勢いである。
「ぎゃー! ちょ、ちょっと激しすぎ・・・!」
霧と化してしまえば、この程度の弾幕、どうということはないリリヤなのだが、霧になるには、少しの間、意識を集中させる必要があった。それが、できない。
「霧にさえなれれば・・・!」
リリヤが小さく言ったのを、シュテルは聞き逃さなかった。
「霧になれば、反撃ができますか、ミス・リリヤ。」
「ええ、そうよ! ほんの少しでも隙ができれば・・・!」
弾幕の爆音に会話すらままならない中、リリヤが叫んだ。シュテルはこくりとうなずいて、静かに言った。
「分かりました。私が隙を作ります。その間に。」
「え? ちょっ・・・!」
リリヤの驚く顔を尻目に、シュテルは言うなり、真上に跳躍した。煌煌と照る月を背に、シュテルが中空に舞う。鬼面はその動きを逃さない。どっ、と鈍い地響きを立てて屋根に飛び上がり、そのまま、シュテルに狙いをつける。
空中に飛び上がれば、昇って、落ちる、という重力下の単調な運動をしか、取りようがない。シュテルが上昇から下降に転じる瞬間、空中で静止するタイミングを見計らって、黒々と光る銃身が再び回転を始める。今度は、避けられない。
必勝の確信と共に、鬼面がトリガーを引いたとき、黒いもやのようなものが宙を舞い、にょき、と膝だけが実体化したかと思うと、シュテルの側頭部を直撃した。
衝撃でシュテルの身体がぶれ、発射された弾が外れて虚空に飲み込まれる。リリヤがシュテルへ、飛び膝蹴りをみまったのだ。
再び霧となったリリヤが次に姿を現したのは、鬼面のすぐ背後だった。
「・・・・っ!」
鬼面は機関砲をリリヤに向けようとするが、
「無駄よ。この距離じゃあ、そんなでかぶつ、役に立たないわ。」
そう言うなり、リリヤは焦げ付いた額でもって、思いっきり頭突きをかました。ゴッ、という派手な音が響き、鬼面が割れた。
中から現れたのは、燃えるような赤毛の少女だ。三つ編みひとつで束ねた髪を片方の肩に寄せ、色白の肌に金色の目がらんらんと光っている。縦長の瞳孔は、猫のそれを彷彿とさせた。口紅を塗っているわけでもなさそうなのに、その唇は赤毛と同じく、赤くつややかで張りがあった。痛みで眉間にしわが寄っているが、それを差し引いても、整った顔立ちである。ただ、目に宿る光に意地の悪さが垣間見える。
「あにすんじゃあ! こん、ぼけがぁ!」
ついでに、口も悪い。
赤毛の少女は、面が割れたついでにその身から祭りの衣装をはぎ取った。衣装の下から、ティーシャツに膝丈のスカート、サンダル履きというラフな服装が現れる。
リリヤは頭突きのダメージが自分にもあって、涙が出そうなのをこらえつつ、
「・・・・あら?」
と、口から疑問の声をもらした。相手の顔に、見覚えがあったのだ。ハンマーヘッドの下部組織、ロレンチーニ機関の人員名簿にあったような・・・。リリヤは常々ドジばかり踏むものの、記憶力は悪くなかった。
「あなた、キリヤナク・・・?」
名を呼ばれて、意外な、という風な表情を赤毛の娘は見せ、言った。
「あんた、うちの名前をよう知っとったのぉ。そうじゃ。キリヤナクよ。」
地中海訛が混じるその言葉を聞きながら、リリヤはわずかにひるんだ。
まさか、こいつが出てくるとは・・・。数あるハンマーヘッドの組織内にあって、戦闘に特化した構成員、および研究施設を総称して、ロレンチーニ機関と通称している。
もともと、抑制のきかない連中が集まっているハンマーヘッドの中で、ロレンチーニ機関のメンバーは特にその傾向が強い。やり始めたら、歯止めがきかないのだ。いかなハンマーヘッドとしても、軍や警察が大規模に動員されるような騒ぎを軽々に起こされれば、後の始末が面倒だ。それゆえ、ロレンチーニの連中は「ここぞ」という時、ごく短期間の活動にのみ投入される。
それが、今か。ハンマーヘッドは、本気でアル達をつぶしにかかっている、リリヤはそう感じた。
キリヤナクは、眼前に立つリリヤを意地悪く見つめながら言った。
「ドジでヘタレなダメヴァンプと聞いてはおったが、テンペレートの肩までかつぐとはねぇ。裏切り者がどうなるか、知らんわけじゃなかろ?」
「ド・・・。ヘタ・・!」
えらい言われようである。キリヤナクがそう聞いたということは、そんな風に言う者があったということだ。組織内での自分の評価を目の当たりにした気がして、リリヤは少なからず、ショックを受けた。
リリヤは、きっ、と相手をにらんで言った。
「裏切ったわけじゃないわ。脅されて・・・。」
言いかけて、口をつぐんだ。恥ずかしい秘密を握られている、などとは言えないし、アルの意のまま、言うことを聞かされていると認めたくもなかった。
「脅されて、なんじゃ。しぶしぶ、言うことを聞いていると? まぁぁ、どっちにしても、誉められたもんではないな。脅されていようが、うちらを裏切ろうが、奴らを仕留められんかったことに、違いはない。ノーナシ、ちゅうことじゃの。」
ずけずけと言うキリヤナクに、リリヤは返す言葉がなく、その視線をますます険しくすることでのみ、かろうじて反抗の意志を示していた。
「そんなににらまれても困る。うちは事実を言ったまでよ。で、どうすんの?」
キリヤナクは、くい、と顎を上げて、リリヤに問う。
「え?」
いきなりどうするのか、と問われて、リリヤは思わず聞き返した。
キリヤナクはもどかしそうに言った。
「だから、このままうちと合流して、あのちびっこいアルとかいうガキと、金髪の女を殺るのか、それとも、このまま組織を」
裏切るのか。
そう口にしたキリヤナクの目が静かに、据わった。純血の吸血鬼たるリリヤですら、寒気を感じる視線だった。
そういえば、キリヤナクは吸血鬼だったろうか。リリヤはふと、質問とはまったく関係のないことを考えた。資料には、吸血鬼とも、眷族とも書かれていなかった。しかし、この膂力。現に今、重厚な機関砲を携えているその様子からして、人間であるとも思えない。
まじまじと自分を見つめるリリヤにしびれをきらし、キリヤナクは語気を荒くして言った。
「応か否か。はっきりせんか! そんな見つめられても、うちにはあんたの答えなど分からん!」
「ああ、うん・・・。」
曖昧に答えるリリヤだったが、急におかしく思った。とかく、ビルを丸ごと倒壊せしめただの、戦車の砲身を曲げて回っただの、暴走気味な噂に事欠かないロレンチーニ機関にあって、このキリヤナクは律儀にも、裏切るのか、裏切らないのかを、リリヤに尋ねている。
裏切った疑いがある。攻撃の口実はそれだけでよいのだ。さっきだって、否応なく自分とシュテルに対して銃撃を浴びせている。こんな確認するまでもなく、その火力でさっさと押してくればよいものを、リリヤの答えを待っている。話の通じる相手だ、とリリヤは思った。
リリヤははっきりとした口調で言った。
「組織は裏切らない。」
それを聞いて、キリヤナクの顔が、ぱっ、とゆるむ。
「そうか。ほいじゃ、うちとタッグだな。あの金髪、殺るぞ。」
そう言うキリヤナクに対して、リリヤは言った。
「裏切らないけれど、あなたに手は貸さないわ。」
「なに? なんでだ。」
「借りがあるからよ。」
アルには命を助けられている。
「借り、じゃと? なんぞ、助けられたのか?」
「ええ。ちょっとね。」
シュテルにやられかけた、とは言わない。
キリヤナクは、もう面倒だ、というように手を振って、
「よー分からんが、そんじゃもう邪魔せんと、かたわらで見とれ。うち一人でやったる。・・・で。」
言いながら、きょろきょろと周囲を見回した。
「あの金髪、どこ行った?」
そういえば、とリリヤも思った。膝蹴りではねとばしたシュテルの姿が見えない。アルのところに行ったのか・・・? シュテルにしてみれば、それはそれで当然の行動でもあったが、自分を捨て置いて姿を消したシュテルに、釈然としない思いが湧いた。やっぱり、助けるんじゃなかったかしら・・・。そう思いながら、リリヤはどうしても、シュテルを見殺しにできない。
その時、リリヤとキリヤナクの立つ屋根から、がぼっ、と生白い腕が生えてきた。屋根をつきやぶったその腕は、キリヤナクの足をつかみ、そのまま引きずり降ろす。
「この・・・!」
キリヤナクが悪態をつく間もなく、盛大な音を立てて屋根と一緒に室内へ引き落とされた。
崩れた屋根に機関砲ごと埋もれて、キリヤナクはとっさに身動きが取れない。その眼前に立ちはだかったシュテルが、キリヤナクの顔面めがけて右拳を打ち下ろした。
拳が側頭部を激しく打ち抜く。
「ぐぁっ!」
と、キリヤナクがうめいた。が、うめくと同時に、凶暴な殺意がその両目に宿る。
「こんのアマぁぁ!」
機関砲の砲身をハンマー代わりに、猛烈な勢いで横に薙いだ。
屋根の破片が飛び散る中、シュテルは後ろに飛び退いて身をかわす。
リリヤは、
「あんた、逃げたんじゃなかったの?」
と、思わず屋根の上から覗き込みながら言った。シュテルは答えて、
「あなたを見捨てては行けません、ミス・リリヤ。一晩共に過ごせば、相手がどこの誰であろうと既に友人である。そう、本に書いてありました。だから、私は一人では行きません。」
と返す。
「は? 友人て・・・。勝手に決めないでよ、そんなこと。」
そう言うリリヤだったが、言葉尻にトゲはない。
シュテルは続けて、
「このおうちの方に許可を得てからと思ったので、遅れてしまいました。ご無事でしたか、ミス・リリヤ?」
悠長なことを言っている。許可って、屋根を壊してもいいって許可のことかしら。リリヤがそんなことを思う間に、落ちた屋根の木片を吹き飛ばしながら、キリヤナクがシュテルへ第二撃を浴びせようと、機関砲を振りかぶる。
しかし、狭い屋内だ。二メートルを越える砲身があちこちにひっかかって、取り回しがきかない。
「死ねぇやぁぁ! ごらぁぁ!」
凄まじい怒気を放つキリヤナクだが、その動きは精彩を欠いた。明らかに、キリヤナクの武装からして不利な状況に追い込まれている。
シュテルは燕のように鋭い身ごなしでキリヤナクの懐に入り、みぞおちへ肘、あごに掌底、おまけの足払いをほとんど同時にみまった。
「ぐぅ・・!」
と、再びうめくキリヤナク。バランスを崩し、前のめりに倒れる、かに見えたが、片足を勢いよく前につき、身を起こしつつ、手に持った何かを薙ぐようなモーションに入った。
サブマシンガン(イングラム)だ。
キリヤナクはトリガーを引きざま、シュテルの身体を横切るように銃を振る。二秒とたたないうちに、三十発以上の弾丸が発射された。小振りな銃だが、至近距離、短時間に大量の弾をばらまくその破壊力は脅威だ。
「・・・・!」
両腕で身をかばいながら避けるシュテルだが、数発の弾丸が腕にめり込み、炭素繊維の骨まで達する。
打たれたシュテルが数歩後ずさり、わずかに間合いが開いた。キリヤナクはその隙を逃さなかった。
片手で持った機関砲の長大な砲身を壁際まで寄せ、身を捻ってたくわえた力を、一気に放った。キリヤナクは砲身の束で、思いっきりシュテルを殴りつけたのだ。
どごっ、と振動を伴う鈍い音と共に、シュテルは壁に打ち付けられた。壁にめり込んだ、と言ってもいい。さらにもう一回、キリヤナクは同じ動作で打撃をみまう。
「ぐ・・・!」
と、シュテルの眉間が寄る。腕でガードをしたものの、数百キロの機関砲で力任せに殴られたのだ。思わず、シュテルは片膝をついた。
キリヤナクは一歩下がって部屋の片隅に身を置き、機関砲の先端をシュテルにつきつけた。シュテルの眼前数十センチのところに、冷たい銃口が光る。銃口といっても、指の二本くらい軽く入りそうなほど、その径は大きい。まるで鉄パイプの束だった。
キリヤナクは肩で息をしながら言った。
「はぁ、はぁ、・・・これで最期じゃあ。よくもうちを殴りくさってくれたの。こんな室内に引きずり込んで、なかなか悪くない作戦よ。だが、それも無駄じゃったな。血を吞まんなんて、奇態な吸血鬼につくからこんなことになるんじゃ。」
ひき肉になれ。
キリヤナクはそう言って、トリガーに指をかける。この至近距離で打たれれば、0・5秒後にはばらばらの破片と化すだろう。シュテルは、恐怖や悔しさなど微塵も感じられない、冷たい無表情のまま銃口の先にあるキリヤナクの顔を見つめている。
怖くはないのか。キリヤナクはシュテルの表情に一瞬、戸惑いを覚えた。銃を突き付けられた、絶体絶命の危機に直面したとき、ほとんど例外なく、相手は恐怖と焦りに押しつぶされながら、命乞いの方法を考える顔となる。助けてくれ、という哀願の視線を無視するのが、キリヤナクの冷酷な楽しみのひとつでもあったのだが、シュテルからはそれを感じない。
キリヤナクが一瞬の戸惑いにある中、リリヤは激しく迷っていた。シュテルを助けるか、否か。
放っておけばいいのだ。数秒後にはばらばらの肉片となる。アルには、敵にやられたと言うしかない。
だが、シュテルが死んだと聞いて、アルは泣くんじゃないか。そんな思いがリリヤの脳裏に浮かんだ。それに、シュテルは自分のことを友人と呼んだ。組織の中でも落ちこぼれ扱いで、常に疎外感を感じていたリリヤにとって、自分をそんな風に呼ぶ相手はいなかった。
まっすぐにキリヤナクを見つめるシュテルの顔を見ていたら、結局、リリヤの身体は勝手に動いていた。
「くっ・・・。なんで、こう・・・!」
自分自身の行動に悪態をつきながら、リリヤは屋根から飛び降りざま、キリヤナクにかかと落としをかましていた。
「あ・・! お前! 裏切らんと言ったばかりで・・・!」
叫ぶキリヤナクの肩先に、リリヤのかかとが入る。バランスを崩したところに、シュテルが全身をまりのように弾ませ、その肩口でもってキリヤナクへ体当たりをかけた。
軽自動車でもぶつかったかのような、凄まじい衝撃を受けて、キリヤナクが壁まで吹き飛ばされる。反動で、背中にドラム缶を固定していた革帯がちぎれ、機関砲から手が離れる。サブマシンガンもその手中から落ちた。
キリヤナクは、
「ぐぁ! ぁア! ロドリゴとマイクが!」
と意味の分からないことを叫ぶ。どうやら、機関砲をロドリゴ、サブマシンガンをマイクと名付けて呼ばわっているらしい。
キリヤナクの顔へ、急に激しい焦りが浮かぶ。目がきょときょと泳ぎ、落ち着きがなくなる。
リリヤが言った。
「こいつ・・・、銃依存症(GunDependence)・・?」
キリヤナクは、はっ、と思い出したような顔で、がぼ、とおへそのあたりからスカートの中へ無造作に手を突っ込み、回転式拳銃(M586 4inch)を取り出した。
恍惚の笑みで、
「ぁはぁ。まだ、ジェシカがおるじゃ。」
そう言って、銃に頬ずりをする真似をした。いや、実際に頬ずりをしていた。
間違いない。銃を手にしていないと不安になるタイプだ。確信したリリヤは鋭くシュテルへ言った。
「シュテル! 銃を狙うのよ!」
「分かりました、ミス・リリヤ。」
シュテルが迫るが、キリヤナクも惚けてばかりではいない。銃を手にして生気を取り戻したかと思うと、電光石火、モーションを目で追えぬほどの素早さで、銃口をシュテルに向ける。
シュテルが手で銃を払いのけるのと、キリヤナクが引き金を引いたのは、ほぼ同時だった。
パンッ、と渇いた音が響く。.357マグナム弾がシュテルの頬をかすめ飛ぶ。シュテルの繰り出した拳が、キリヤナクのみぞおちを捉える寸前、キリヤナクは勢いよく床をけり、身体が上下反転する。
ひっくり返って頭を下に向けたまま空中で、キリヤナクは銃を構えた。宙に固定したように、銃口が静止しているのが不気味だ。
キリヤナクの顔が勝利の笑みに歪み、トリガーを引きかけた瞬間、黒い霧がその視界をおおった。
「なに!」
キリヤナクが叫ぶ。
リリヤだ。霧となってその視界をさえぎり、シュテルは、トリガーを引くタイミングを逸したキリヤナクの胸ぐらをつかむ。だんっ、と勢いよく床に叩き付け、そのまま銃を蹴っ飛ばした。
シュテルとリリヤは、キリヤナクの両側からそれぞれ左右の腕をつかみ、アイコンタクトを交わしてこくりとうなずいた。キリヤナクをつかんだまま、二人は穴の開いた屋根から、夜空に向かって飛び出した。
後ろを向いたまま両側からつかまれ、キリヤナクは抵抗する間もなく、星の瞬く空へと連れ去られた形だ。
「ぁあ! ジェシカ! マイク! ロドリゴぉぉぉ!」
手を差し伸べて愛銃達の名を叫ぶが、もう遅かった。あっと言う間に家々を飛び越える。三回目のジャンプをしたところで、地上から声がした。
「シュテル! リリヤ!」
アルだった。思わず、
「アル!」
「マスター!」
と、同時に二人はアルを呼んだ。町の外れの渇いた丘に着地して、そこへアルも追いつく。
息せき切って走ったアルは、
「はぁ、はぁ・・、無事か、二人とも。」
と、やっとのことで声を出す。両腕を離されたキリヤナクは、ぐにゃりと、力なく地面に座り込んでしまった。
アルはキリヤナクを見て言った。
「そいつか、撃ってきたのは。」
シュテルが答えた。
「はい、マスター。ミス・リリヤのお力添えで、無力化することができました。」
「リリヤと?」
アルは、驚いてリリヤを見る。リリヤはシュテルを恨んでいると思っていたのだが、シュテルの手助けをしたとは思いがけない。
「別に、シュテルを助けたわけじゃないんだから。わ、私がいるのも構わず撃ったから、腹が立っただけよ。」
と、リリヤはあくまでも加勢した事実に別の理由をつけようとする。
アルは、
「リリヤ・・・。」
と言ってから、続けた。
「お前、シュテルのこと名前で呼ぶようになったんだな。」
確かにそうだ。これまで、リリヤは直接シュテルの名を呼んだことはない。それが今、何の違和感もなくその名を呼んでいる。
「え?」
当のリリヤも意識をしていなかったらしい。
「あ、やや、違・・! 別に・・。」
取り繕おうにも、シュテルの名を呼んでしまった事実は曲げられない。言い訳するのを諦めて、ふん、とそっぽを向くのがやっとだった。
アルは座り込んだキリヤナクと、シュテルを見て、はっ、と身を強ばらせた。シュテルの腕から血が出ているのに気がついたのだ。
「シュテル、その腕はどうした?」
「あ・・、これは少し撃たれました。たいした傷ではありません。」
そう言って、撃たれた傷を隠そうとするのに対し、アルは強引にその腕を取って、袖をまくる。シュテルはたいした傷ではないと言うが、両腕に計七発分、弾痕が残って、そこから筋状に血が流れている。
「たいした傷だろう。じっとしてろ。」
アルは真剣な顔になってその傷を確かめ、おもむろに傷口へ自分の口を当てた。
「なっ・・!」
それを見たリリヤが言葉を失う。何だか、王子が姫の手にキスをするような格好だったものだから、心中穏やかではない。
アルは傷から口を離し、ぺっ、と何かを吐き出した。シュテルの骨で止まった弾丸だ。先端が命中時の衝撃でひしゃげている。人間相手であれば、傷に口を当てると雑菌が入る原因となるのだが、さすがに、シュテル相手にその心配はなかった。何回かそれを繰り返し、貫通しないで体内に残った弾丸をすべて除いた。
その間、シュテルは微動だにしなかったわけだが、頬がほんのり染まっているようにも見えて、リリヤはいらいらと腕を組み、落ち着きがないことこの上ない。
アルは、比較的大きい傷をハンカチで縛って言った。
「よし。骨は大丈夫みたいだ。しばらくすれば傷もふさがるだろうが、しばらく傷には触らないようにしておけ。」
「分かりました。申し訳ありません、マスター。傷物になってしまいました・・・。」
そう言うシュテルに対し、いらいらの頂点に達したリリヤが言った。
「傷物とか紛らわしいこと言ってんじゃないわよ。あんたなら、その程度の傷どうってことないでしょーが。」
怒って言うリリヤの胸ぐらを、アルはぐい、とつかんで引き寄せる。
「ちょ、何すんのよ!」
抵抗するリリヤに有無を言わさず、アルは、べち、と大きな絆創膏を額に貼った。
「お前も怪我してるだろう。どうせすぐに治るんだろうが、騒がずおとなしくしてろ。」
言われて、リリヤは思わず自分の額に手をやる。そういえば、壁でこすって、さらにキリヤナクへ頭突きをしたんだっけ。
気勢を削がれた思いで、リリヤは口ごもるように言った。
「あ・・・ありがとう・・。」
シュテルの手当てだけでなく、自分の傷のことも気にかけてくれたのが、ちょっと嬉しかった。
傷の手当てをひととおり終えて、アルは座り込んだままのキリヤナクを見た。
ぶつぶつと、ロドリゴ・・、マイク、ジェシカよ・・・、とかつぶやいているキリヤナクを見下ろしながら、アルは言った。
「仮面をかぶって襲ってきたのはこいつなんだな。」
「はい、マスター。」
とシュテルが答える。
「名前をつぶやいているようだが、誰のことだ? 部下を殺ったのか?」
「いいえ、マスター。部下はいないようでした。この者単独です。」
「そうか・・・。」
横からリリヤが言う。
「ロレンチーニの輩よ。キリヤナクと呼ばれてるわ。」
アルは、
「ロレンチーニだと? こいつが・・。」
と、驚きをもって言った。ロレンチーニの悪名はアルの耳にも入っている。すぐ暴走するものだから、ハンマーヘッドの上層部でも、あまり使いたがらないらしいのだが・・・。
今目の前でうなだれているのは、そんな悪名とはほど遠い、うちひしがれた少女だ。アルはキリヤナクに言った。
「おい。ここに来たのはお前一人か?」
「・・・そうじゃ。」
「あのばかでかいのを撃ってきた時の威勢がないが、投降したと考えていいのか。」
「・・・・どうとでも・・・。どうと・・、うう、うぇ〜。」
アルはぎょっ、とした。不気味なほどに腑抜けてしまったと思っていたのだが、それだけで収まらず、キリヤナクはしくしくと泣き出したのだ。ぽたぽたと、涙が頬を伝って膝の上に落ちる。
アルはシュテルとリリヤを見て言った。
「いったい何をしたらこうなるんだ。ひどい拷問にでもかけたのか?」
言われて、リリヤは激しく否定した。
「拷問なんて趣味の悪いことしてないわよ。極度の銃依存症なのよ、こいつ。手持ちの銃から遠ざけたら、この有様よ。」
「ふぅん・・。」
アルは少し考えて、にやりと笑った。
リリヤはそんなアルへ、
「な、なに笑ってんのよ。」
と、不審がる。
アルはシュテルを手招きし、小さな声で短く何かを命令した。シュテルはうなずき、丘の上から駆け下りて行く。
アルはキリヤナクのそばへひざまずくなり、その耳元へ囁いた。
「キリヤナクと言ったな。銃が恋しいか。」
こくこくこく、と三回、涙に濡れた顔を縦に振って、キリヤナクはうなずいた。アルは続ける。
「ならば条件を飲め。」
「条件・・?」
「そうだ。僕の命令を聞け。僕と共に来い。そうすれば、いつでもロドリゴやジェシカと一緒にいさせてやる。」
アルの言うことはそもそも筋違いである。機関砲や拳銃を持つ前提として、アルの命令を聞く必要などどこにもない。だが、心神喪失状態にあるキリヤナクには、その文脈のおかしさに気づくことができなかった。
銃と共にありたい。こいつの言うことを聞けば、それが叶う。キリヤナクは、虚ろな意識の中でそう解釈する。
暗示をかけられたようなものだった。渇望する望みに対し、無理矢理付け加えられた前提を、キリヤナクは何の疑いもなく受け入れた。
「分かった。聞く。命令を聞く。だから・・・。」
すがるような瞳で、キリヤナクはアルを見つめた。
「よし。」
と、アルはうなずく。唖然とした顔で二人を見つめるリリヤは言った。
「悪党ねぇ・・。」
アルが返す。
「悪党ではない。望みを叶えてやるんだ。むしろ感謝されてしかるべき。」
「アルの言うことを聞かなきゃいけない理由なんて、キリヤナクにはないでしょーが。」
「いいんだよ。本人がそれでいいって言うんだから。これでまだ一人、どれ・・、いや、仲間が増えた。」
「今、奴隷って言おうとした?」
「いいや。どれほど心強い味方が増えたろうか、と言おうとした。」
「やっぱり、悪い奴よ、あんたは。」
そうは言いながら、アルのこういうところをリリヤは嫌いではない。毒気のない男は退屈なばかりだと、常から思っている。
程なくして、シュテルが機関砲を背中に、両手にリボルバーとサブマシンガンを下げるという重装状態で戻って来た。キリヤナクの愛銃達を回収してきたのだ。
「おお〜!」
と、歓喜とも呻きともつかない声を上げて、キリヤナクは両腕を大きく広げ、シュテルごと抱きしめた。
「戻りました、マスター。」
ぎゅう、と抱きしめられながら、シュテルはアルに言った。
「うん。ご苦労。キリヤナクと言ったな。望みは叶えた。あとはお前が使命を果たす番だ。」
キリヤナクは、
「アルぅ〜。うちの、うちの銃が戻ってきた。」
と嬉し気に言った。さっきのところに戻って、拾ってきただけなのに、とリリヤは思うのだが、アルの言う事を聞く→銃が手元に! という条件と結果だけが、キリヤナクにすり込まれてしまったようだ。
「聞く。言うこと聞く!」
ジェシカと呼ばわるリボルバーを胸に抱きしめながら、ご褒美のおもちゃを買ってもらった子供みたいな顔をして、キリヤナクは目を輝かせるのである。
翌日、トラックが砂煙を上げながら、延々と続く国道を走っている。空にはまばらに雲が点在するものの、蒼い空が抜けるように広い。
右から順に、キリヤナク、アル、シュテル、それと、リリヤ入りトランクが一列横になって運転席に収まっている。機関砲ごと移動するため、キリヤナクが乗ってきたトラックだ。荷台には、緑色のシートですっぽり覆われた機関砲が鎮座している。
凹凸の激しい道路に、時々、がくんと車体が上下し、それに合わせて四人も仲良く飛び上がる。
アルが、運転するキリヤナクに言った。
「キリがこいつに乗ってたおかげで助かった。移動手段がなかったからな。」
トランクからくぐもったリリヤの声が聞こえてきた。
「そーそー。次のバスが四日後までないって、本数少な過ぎよ。そんな悠長に待ってらんないわ。」
キリヤナクは上機嫌で、
「そうな。ロドリゴを運ぶにはこいつがないといかんし。どこを襲撃するにも、だいたいこいつと一緒じゃわ。」
ぽんぽん、とハンドルを叩きながら言う。キリヤナクは続けて、
「ところで、今のキリ、ってなんじゃ。うちの呼び方?」
と、アルに訊いた。
「ああ。キリヤナク、じゃ、ちょっと長い。キリと呼ぶことにする。」
「ふぅん。まぁ、何でもいいし。好きなように呼んどいて。」
「そうさせてもらうよ。ところで、キリ。」
「何じゃ?」
「お前、日光は平気なのか?」
「ニッコウ?」
キリは、いったい何の話しかと訝しんで、アルを横目に見た。
「どゆこと?」
「いや、お前、ハンマーヘッドなんだろう。血を吞む吸血鬼が、日の光に当たっても平気なんて、聞いたことがないぞ。」
そういえば、そうなのだ。リリヤもトランクの中で、ずっとそこが気になっていた。ロレンチーニは組織内でもある種、独立機関の様相を呈していたものだから、内部で何をやっているのか、どういう素性のメンバーがいるのか、いまいち外部に伝わって来ない。そこに所属するキリヤナクについても、リリヤは詳しいことを知らなかった。
キリは、ああ、そんなことを聞きたいのか、といった顔で言った。
「うちは吸血鬼じゃないよ。普通の人間じゃわ。」
さらりと真顔で言う。
え? という風に、アル、シュテルがキリの横顔を見たわけだし、リリヤのトランクも、がたた、と揺れる。
普通の人間が、軽く一トンを越えてきそうなあの機関砲を抱えて、走り回れるわけがない。リリヤがすかさずツッコもうとしたのに先んじて、シュテルが声を上げた。
「ずいぶん力持ちなのですね、キリさんは。」
力持ち、の範疇に入れていいの、あれは・・・? リリヤがツッコみ損ねながら抱いた疑問に、キリは軽快に答える。
「うん。うちの力自慢は結構聞こえてるのよ。一般人はびっくりしたような目で見るけど、それほど珍しものでもないじゃろ。ほら、えーと、なんてったっけ。東洋の、熊と戦った裸エプロンの・・・。」
今度は間髪入れずに、リリヤが言った。
「熊と戦った、は、裸エプロンて何よ。え? 裸で? エプロンをつけるの?」
もやもやと、自分が裸のままエプロンをつける姿を想像して、トランクの中で一人赤面するリリヤである。破廉恥にもほどがある格好だ。
「は、裸エプロン・・・。」
沈黙するトランクまでが、恥じらって赤面しているように見えた。
アルはそんなリリヤをさておき、
「キンタロー、だろう、それは。」
東洋の昔話など、アルがよく知っていたものだ。アルは続けた。
「あれはエプロンじゃなく、前掛けのようなものだろうな。」
キリは嬉しそうにうなずいて、
「そうそう、それじゃ。キンタロ。あれだって、幼子が熊と素手で戦ってるでしょーが。大人が大型肉食恐竜と戦うようなものじゃけ、うちが機関砲抱えても、別に不思議なことはないわね。」
さもありなんといった風に言ってのける。
裸エプロンの妄想から回帰したリリヤは、キリへ言った。
「いや、それは作り話の類いでしょ。普通の人間があんな重そうなもの、持ち上げられるわけないじゃない。」
キリは不思議そうに言い返す。
「あんな言っても、たかだが1・8トンくらいだもの。持てないこともないわ。そこらのおっさんでも、ちょっときばれば('''')いけるじゃろ。」
「きばればって、きばってどうにかなるものじゃないわよ。あなた、吸血鬼でもないというなら、何者よ。」
「だから人間じゃちゅーとるのに、物分かりの悪いトランクだの。それだから万年補欠から抜け出られんの。」
「誰がトランクよ! それに万年補欠って。私はエリートよ。純血の吸血鬼なのよ。」
「何がエリートか。エロー徒の間違いじゃにゃーの? 裸エプロンとか言って、妄想しくさってからに。」
「裸エプロンて言ったのはあんたでしょー! 別に、妄想なんてしてない!」
「いいや、したね。あの沈黙。真っ暗なトランクの中で、悶々としてたはずじゃわ。なぁ、シュテル。」
いきなり、キリは黙っていたシュテルにふる。
「裸エプロンの何が恥ずかしいのか、よく分かりませんが、ミス・リリヤが破廉恥なのは確かだと思います。」
頼めば二つ返事で裸エプロンになってくれそうな、淡々とした物言いで、シュテルはキリに言った。
リリヤは、
「ちょ、シュテル! 何、根拠のないこと言ってんのよ。誰が破廉恥よ、誰が。意味分かんない。私、もう寝る!」
そう言って、むすっ、と黙る。外から見てリリヤがどんな顔をしているのか分からないのだが、何となく、トランクがむっとして黙ったように感じられた。表情豊かなトランクもあったものだ、とアルは思う。
それにしても、だ。
アルが思うに、キリは人間ではない。自分を人間だと思い込んでいる、何か、だ。察するに、シュテルと同じ、人造人間かそれに近い類いなのだろう。どういう教育を受けたのか知らないが、自分のことをヒトだと思って疑うこともない。本人が、自分は人間だと思ってそれを信じているのなら、それはそれで幸せなことなのかも知れない。人間とて、自分が本当に人間なのかと疑い始めれば、いろいろ思い悩むことになるのだろう。自分が何者か、という疑問と懊悩は、青春の代名詞みたいなものである。それは苦しい悩みだ。
アルは誰に言うともなく言った。
「本人が人間だと言い張るのなら、人間でいいだろう。」
「だから、言い張るも何も人間じゃちゅーてるに。」
キリはまだ不服そうに、ハンドルの上に顎をのっけてふてくされる。
それから、アルは思い出したように隣のシュテルへ言った。
「それと、シュテル。」
「はい、マスター。」
「人に頼まれたからと言って、裸エプロンになるなよ。」
「分かりました、マスター・ロートライヒ。マスター以外の命令では、裸エプロンになりません。」
「い、いや、僕は別に、そんな命令などしない。」
「そうなのですか?」
「ああ。」
ちょっと顔を赤らめながら、腕組みをしてうつむくアルを見て、キリは、にやぁ、と笑みを浮かべる。
「おやぁ? アル君、照れてんの、もしかして? シュテル、裸エプロン見しちゃりな。この手のむっつりは、口でお固いこと言っても、実は興味津々なわけよ。見しちゃり、見しちゃり。」
はしゃいでそう言うキリに、アルは、
「な・・・! 僕はむっつりじゃない。別にそんなもの見たくもない。」
と、むきになって言い返す。
「ええ〜? ほんとかなぁ? ほんとかねぇ?」
と言って、キリはアルの言葉をほぼ信じていない。
「くどいぞ、キリ。興味などないと言ったらないのだ。」
「あーやしいーのぅ。ああ、ほいじゃあ・・・。」
ちょいちょい、とキリはシュテルを手で招き、シュテルは、アルの視界を身体全体で覆うような格好で耳をキリに寄せる。シュテルから漂う石鹸の香りをあえて無視するように、アルは腕を組んだ。
「・・・ええ、分かりました、キリさん。」
とうなずくシュテルに、アルは言った。
「何を吹き込まれたんだ、シュテル。ろくなことじゃないだろう。キリの言うことなど、聞くんじゃないぞ。」
「え? でも・・・。」
シュテルはアルとキリの顔を交互に見比べ、ちょっと困った顔をした。
アルはキリに言った。
「いったい、何を言ったんだ。僕のしもべに余計な知恵をつけるな。」
「それは秘密じゃわ。教えられん。」
「何? シュテル、言え。」
キリに尋ねても無駄と思ったアルは、シュテルに詰問する。さすがに、シュテルは黙っているわけにいかなかった。
「興味がないとマスターがおっしゃいますので、お風呂上がりに、エプロンだけつけて目の前をウロウロしてみろ、と。」
「くっ・・・! キリ、何と言うことを・・・! それは絶対にするんじゃないぞ、シュテル。」
にやにやと笑うキリは言った。
「それはおかしーな。興味ないんじゃろ、シュテルちんの半裸には。だったら、どんな格好でウロウロしようと、かまわんじゃろ。犬がまっぱだろーが、雨用の服を着ていようが、どっちでもいいのと同じだわ。アル君は、泰然と構えておればいいんじゃ。エプロン姿のシュテルちんの前でな。」
「むぅぅ・・。」
やり込められて、アルは頬を赤らめながら次の言葉を探そうとするが、思いつかない。
シュテルは真面目な顔をして、
「では、その通りに。」
などと言うものだから、アルはますます顔を赤くして、
「だめだ。だめだだめだ! そんな恥じらいのない行為など、断じて許さん。シュテル、もしそんなことをすれば、僕はお前をしもべとは認めないぞ。」
「そ、それは、嫌です。申し訳ありません、マスター。そのような格好はしませんから、どうかお許しください。」
シュテルは動揺した様子で、慌てて言った。
「ふん。分かればいい。」
アルは、ちょっと安心したようにそう言う。
キリは、
「あーあ。残念やし。残念がる人、いっぱいおるんじゃなかろか。」
と言って、心底がっかりした顔で言った。アルはそれに対して、
「誰が残念がるというのだ。そんな者、いない。」
と頭から否定するのだが、
「いやいや、いっぱいおるじゃろ。まず、アル君。それからうち。きっとリリヤちゃんもじゃな。シュテルちんも、ご主人を魅了できなくて、それはそれは残念なことじゃろ。」
そう言って、指折り数える。
アルは、
「馬鹿な。僕を真っ先にカウントするな。ありえん。」
口をへの字に結んで、腕組みをしながら、目をつぶった。完全否定のポーズである。
これは、大いにありえる、じゃな、とつぶやきながら、キリはなお嬉しそうに笑みを浮かべた。
アルはいい加減この話題からそれたくて、
「だいたい、僕を君づけで呼ぶな。シュテルもだ。何だ、シュテルちんて。馴染み過ぎだろう。」
と言った。キリはからからと笑いながら、
「いいじゃないのぉ。アル君の言うことを聞くて決めたのやし、旅は道連れ、世は情け言うじゃろ。身内をどう呼ぼうが、自由だもの。」
と、軽い調子で言うのである。
これが冷酷非道のロレンチーニ構成員かと見まごうほど、馴れ馴れしい。一旦仲間と決めたら、とことん打ち解けてしまうタイプのようである。キリの横顔を見つめるアルだったが、何かを企んで、わざとそうした態度を取っているようには見えなかった。これが、親密なふりをしているだけなのだったら、余程の演技力だ。どう見ても、アル達を騙しているようには思えない。天然なのだろう、とアルは思った。
視線に気づいたキリは、ちら、とアルを見て言った。
「何? うちの横顔に見蕩れた?」
あくまでもキリは陽気だ。
「誰が見蕩れるか。別に。何でもない。」
「そう。まぁ、よしといた方がええかな。シュテルちんがおるし、リリヤちゃんも妬くじゃろ。」
「・・・? シュテルとリリヤが、どうしたって?」
アルは、こいつ何を言っているのだ、と表情にそのまま疑問を浮かべて、キリに訊いた。
大概、鈍感じゃな、この少年も、とキリは思うのだが、それは言わずに、
「いや、何でもない。さて、道はまだ長い。日暮れまでには次の町まで進みたいの。」
と言って、前を見つめる。荒野の中を、埃にまみれたアスファルトの道が、どこまでも続くのである。この先にある苦難など、微塵も感じさせない青空に、アルはひととき、心が落ち着くのを感じた。