1.5 掃除時間
クラス替えより一ヵ月後。
まだ互いに名前しか知らなかった頃。
倉田凛々が音楽室に行くと、中野町がいた。
町はピアノの前に座っていた。
町は凛々を見ると、立ち上がる。
町が床にある箒を拾う。
凛々はドアの側にある掃除用具のロッカーから箒を取った。
町が言う。
「倉田さん、分担しない?」
「……ああ……うん」
町が掃除用具のロッカーの前に立つ凛々を指す。
「じゃ、倉田さんはそこからやって、あたしはここからやるから」
「うん」
「で、ゴミは真ん中で集める、でいいよね?」
「わかった」
二人は無言で床を箒で掃いていく。
廊下の奥から笑い声がする。
窓から風の音がする。
机が箒とぶつかる音がする。
ゴミを集めながら掃き続ける。
町が先に真ん中に着く。
凛々が町を見て言う。
「ごめん。遅くて」
「別に」
町が真ん中を超えて、凛々の担当分も箒で掃いていく。
凛々が言う。
「中野さん、もう帰っていいよ。後は私の分だし……」
町は掃き続ける。
それを見て、凛々も再び掃き出す。
凛々と町の箒が近づく。
町が持っている箒で、凛々の箒を軽くぶつける。
町が言う。
「終わり」
互いのゴミを合わせる。
凛々が言う。
「ありがとう。後はやっとくから」
凛々が町に手を伸ばす。
「箒、片付けとくから貸して」
町が凛々に箒を渡す。
凛々がロッカーから塵取りを取り出す。
町がピアノに寄る。
凛々が塵取りでゴミを取る。
町がピアノを見ながら言う。
「倉田さん、ピアノ弾くの?」
凛々が顔を上げる。
町を見る。
「弾けないけど……」
「弾けるって言ってなかったけ?」
「言ってない……いつ?」
「自己紹介?」
「……あぁ」
凛々は俯きがちにゴミを捨て、箒と塵取りをロッカーに片付ける。
凛々が言う。
「あれは、その、ただ好きってだけで。弾けるわけじゃなくて……」
凛々が顔を赤くする。
凛々が言う。
「それだけ……」
「そう……」
「うん」
「……ごめんね」
凛々が赤くなった両頬を押さえながら、軽く笑う。
「中野さんが謝ることじゃないよ」
町が窓に近寄る。
風に町の髪が流れる。
凛々はドアの前で町を見ていた。
町が振り向く。
町が言う。
「戻らないの?」
「……戻るよ、中野さんは?」
「もうちょっといる」
「わかった。じゃあ」
凛々が音楽室から出ようとして足を止めた。
凛々が言う。
「あの、中野さん、ピアノ弾けるの?」
「……まあ、弾けるけど」
「来た時、弾こうとしてた?」
「来た時って?」
「私がここに来た時、中野さんピアノ前に座ってたから弾くのかと思って」
「弾こうとしてたかな?……してたかも」
「今から弾く?弾くつもりでいるなら、聞いてもいいかな?」
町の髪が風に揺れる。
その風は凛々の髪も揺らした。
町が言う。
「なにか弾けばいいの?」
「嫌だったらいいけど」
「嫌じゃないけど」
凛々が笑う。
「本当?」
「弾くだけでしょ?」
「うん」
凛々がピアノに寄る。
町がピアノ前に座る。
蓋を開ける。
町が言う。
「楽譜ないから、簡単なのでいい?」
「なんでもいい」
町が笑いながら言う。
「なんでもって」
「よく知らないから」
「じゃあ、五歳の時に発表会でやったやつを」
町がピアノを弾く。
指が流れる。
音が流れる。
黙って聞いていた凛々が少しして言う。
「これ知ってる」
「うん」
「凄い。5歳で出来るんだ。両手が別々に動く」
町が弾きながら笑う。
凛々は黙って聞いていた。
町は黙って弾いていた。
町が鍵盤から指を離す。
「終わり」
凛々が拍手をする。
町が言う。
「このくらいなら、ちょっと練習したら出来るんじゃない?」
「……無理だと思う」
「そう?」
「うん」
町が立ち上がる。
「座ってみてよ」
「いや、本当に無理だから」
「………」
チャイムが鳴る。
凛々が言う。
「ありがとう」
「戻ろっか」
町がピアノの蓋を閉める。
町が言う。
「弾いてみたいのかと思った」
「え、私?」
「うん、倉田さん」
「弾けたらいいけどね」
「練習してみたら?」
「練習って……どうやってやるかもわからないから」
「簡単だよ」
「そうなんだ」
凛々が音楽室のドアに向かって歩く。
町はその背を見て言う。
「……バイト無い日なら付き合うけど」
「え?」
凛々が振り返る。
町が言う。
「練習する?」
「中野さんが教えてくれるの?」
「まぁ、教えるって程出来るかわからないけど」
凛々が首を振る。
「いい、いいよ。そんな」
「……そ。うん、まぁいいや」
「……うん」
二人が音楽室を出て、廊下を歩く。
町が少しだけ先を歩く。
凛々が言う。
「本当に弾けないから。私」
「……あぁ、ピアノ?」
「たぶん中野さんが思ってる以上に弾けない。それに音痴だし」
町が吹き出す。
「それ関係なくない?」
「だって音感ないってことじゃない?」
「音痴のピアニストなんていくらでもいるって」
凛々が町の隣に並ぶ。
凛々が言う。
「……私でも、弾けるようになるかな?」
「練習したら誰でも弾けると思うけど」
「暇な時でいいから、教えてくれる?」
「えっ、やるの?」
「えっ、あ、いい、……本当にいいから」
「いや、別にいいよ」
「本当?」
「うん」
「五歳クラスからでいいから」
「いいよ」
「迷惑じゃない?」
「……別に」
「本当?」
町が笑って言う。
「疑い深いね」
「……ごめん」
「いいよ。じゃあ宿題出そうかな」
「えっ、なにそれ?」
「スパルタでやるから」
「……初心者だから」
「鞭とか持って、間違ったらバシバシっと、眼鏡とかかけて」
凛々が軽く笑って、自分の眼鏡を持ち上げる。
「貸そうか?」
「いいね。髪まとめてさ」
凛々と町が顔を見合わせて笑った。
読んで頂きありがとうございました。
続き書きました。
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