【漆黒の紋章-emblem-】
"The rule of the joker of Alice"−A law does not have the order of the turn.−法則に順番という秩序はない。
人工の"光"に彩られる、夜の街。
真は"Joker"に感染した瞳で、世界を見ていた。
薄汚れたこの世界。醜く移り行くこの世界。真は、そんなこの世界が嫌いではなかった。
第二世界【ネットワーク】は、高度経済成長時期にあった現実と同じほどに夢に溢れている。真は思う。世界に住まう人々は新たなる進化を迎えようとしている、と。
それが衰退か繁栄か――真は、自分が判断すべきことではないと不敵に笑う。
そして彼は、壁一面の窓から世界を見下ろすのを止め、踵を返してリビング内にもどった。
「真さん。そろそろシャワーを浴びてきては、どうですか?」
真へ穏やかに微笑みかけるのは、男を雄へ変貌させる淫らかな芳香そのままに聖女を纏う美里、真の母だ。
真はそれに笑みを浮かべ、口を開こうとして。
ピンポー……ン。
響く音を、聞いた。
口を閉ざし、眉を顰める真。美里ははいはーいとのほほんな声をあげて、リビングから退出する。
真は待った。真夜中に訪れる誰かの来訪意義が、己へ晒されるその瞬間を。
そして、彼は聞き。
『このビジネスホテル内に"Joker"感染者が存在することが判明致しましたので、強制捜査させていただきます。拒んだ場合、公務執行妨害の罪に罰せられることをご承知ください』
体を硬直させた。
近づいてくる足音。美里と誰かが言葉を交わしているのがわかる。なぜ感知された。真は疑問を思い、すぐに振り捨てた。
炎髪のショートカット、キツイ双眸、キリッと引き締まった容姿。来訪者の女は、真と対峙した。
オルガンの奏でる、ジャズチックな音楽。それに似合う、ピンク色の人工の"光"が店内を妖しく照らし出していた。
「ここ、いっしょにいいかしら?」
まだ幼さの残る、しかし大人びた女声。それに、ひとりでチェスを玩んでいた黒服の男が顔を上げた。
黒ドレスを着る彼女は、大人に背伸びする少女といったところ。しかしそれから染み出している威圧は、見た目不相応すぎていた。
「……黒ですか、白ですか」
「あなたは実力行使はお好き?」
「好きですね、どちらかといえば」
「なら白をいただくわ」
クルッと盤を回転させた男は、黒のイスに黒の長方形テーブルという席についている。彼女はそのテーブルの、ただひとつの空席に腰を下ろし、手を伸ばした。
一瞬訝しげに彼女を見た男は、じわりじわりと手を伸ばして彼女と握手を交わす。
そして彼女は、宣言した。
「それじゃ、始めましょうか」
この少年が"Joker"の――女は思う。
そしてひとつの端末を取り出し、確信して真に目を向け直して、言う。
「"Joker"感染者は 対象の安否関係なしに連行することとなっています。
こちらの武力行使も許可されていますので、そちらに勝ち目はありません……無抵抗をおねがいします」
端末をしまう代わりに取り出したはじき。それの安全装置は解除されており、今はもう真を捉えてしまっている。
それに対し、真は無言を保ったまま顔を伏せた。
女は真の反応を了承と取り、一歩を踏み出す。
そのとき――美里は全速で、女と真との間に割り込んだ。
「うちの息子は病気なんかにかかってないわ! 連れて行かせませんから!!」
そう言ってひしと真を胸に抱きしめる美里。
女は淡々と述べる。
「……この病気は人を選ばないものなのです。幸い、あなたの息子さんはまだ奇行に走ってはいません。
大丈夫です。必ずあなたに息子さんをお返しすると、約束します――ご承知ください」
ぶんぶんと首を横へ振る美里。彼女を見る女の目は、何かを押し殺したかのような冷徹だった。
真が美里の手に己の手を重ね、何事かを呟く。涙ぐむ美里を一度ぎゅっと抱きしめた彼は、美里から離れ女の元へ歩みだした。
女は真を目の前に、銃をしまう。
「……"Joker"感染者処理班の特例により、"Joker"感染者を令状なしでの特別連行をおこないます」
女は真の背を軽く押しながらリビングから出て行こうとする。
開け放されたドアの向こうへ真が歩みだしたとき――女の鼓膜を震えさせる小さな呟きが、発せられた。
「いや……」
女は訝しげな顔をして足を止め、振り返る。
「いや……」
振り返り、女はハッと息を呑んだ。
「いや、いや、いや、いや……」
いや、低くなる美里の声に――女は息を呑まされたのだ。
「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああああああああああああアアアアアアアアアア!!」
人の認識できる音程を超えた、異常な絶叫。女は気圧され、グッと生唾を飲み込まされる。
女は思い至った――見誤った、と。
端末は"Joker"感染者との距離を数値で示すというもの。個体数は判明できないし、この場合はやはり端末所持者の判断が必要だった。
そうして一番数値の高かった真を"Joker"感染者と確信したのだが、女は目で見るものを重く受け止め判断を揺るがす――この少年の母と思われるあの女性が"Joker"感染者だ、と。
「クッ!!」
はじきを取り出し、美里へと二歩踏み出した女。
彼女は選択を間違えた。
――選択を間違えたと勘違いして訂正する、という選択を彼女は間違えたのだ。
「壊れよ」
己の顔面に真の五指を食い込ませて、
真の瞳に魅入られた女は、
己の瞳に黒蝶を揺らし、
――壊れた。
「チェックメイト」
金髪を揺らし、蒼眼を細めた彼女が駒をポンッと置く。
黒の軍団の合い間を掻い潜り、黒の王の行き場を失わせた白の軍勢。
そんな盤上を見、ふむとごちた男は顔をあげた。
「……私の完敗です」
「ふふ。負け惜しみな態度を取りはしないのね」
不敵に微笑む姿は、まるで魔女だ――男はそう思い、いいやと訂正する。
……彼女は、魔女を思わせる彼女は、本当の魔女なのですからね。
男がそう賞賛する彼女は、少しばかり目を細めて言った。
「……腰が低いと、足元を掬われるわよ。警察に手を貸す名探偵さん?」
こちらの情報が知られている。そう察される男は、動揺した風もなく言葉を返す。
「いえいえ、だからこうしてあなたと対面できているのですから、腰が低い態度もしていて良かったものですよ。"Joker"感染者の姫君」
「姫君、というのは皮肉かしら? 気に入らないわ」
大げさに機嫌を損ねてみせる彼女は、白のクイーンを手に取り。
「……私は、女王の称号を語りたいわね」
「寝言は寝てから言え。という名言がありますが、あなたには不必要そうでしょうか?」
即座に切り返す男。それに首を横へ振る彼女。
「いらないわ。断言できるもの」
「そうですか」
「今、私のことをどう思ったの?」
「私よりかは頭が悪い、とでも印象を変えましたね」
「ふふ、正直ね……その正直さが、結構不愉快だわ」
彼女の瞳に影が孕まれた。
「不愉快なら、どうするんです?」
気づいていないかのように尋ねる男。
「簡単よ。あなたを壊すの」
そう言うと同時に、彼女は男の瞳を覗き込んだ。
パッと飛びのき、滑るようにして男は彼女との距離を異常に開ける。
そんな男の瞳には――黒い蝶が描かれていた。
「壊すことは叶いませんよ、姫君」
「なぜ、そう思うのかしら?」
「"Joker"には三つの動作が必要となる。ひとつは目線を合わせること。もうひとつはじかにとじかにとの接触。そして最後のひとつが命令。
あなたはまだ、第一段階をこなしただけです。私が距離を取ったことで、あなたが第二段階を攻略できる可能性は極めて低い」
そう宣言すると同時に、男は懐から銀色の銃を取り出した。
ゆっくりと、ゆっくりと、男の照準が彼女へ合わせられる。
「……名探偵さん、あなたの能力は凄いわね。惚れ込みそうよ」
「ありがとうございます。あなたも美しいですよ。怖いくらいに、ね」
男は引き金に指をかける――最凶を両目に孕ませる魔女は、身を射線からずらすこともせずにじっと男を見続けた。
男の指が、ついに、ついに引き金を引き切らんとする。
その直前――
「死になさい、屑物」
男はガクガクと震え、目を見開いて、白目に赤い狂気を走らせて、銃を持たぬ手で左胸を押さえ、全身に大量の汗を噴出し。
「な……」
膝をつき、地面に突っ伏し、銃を取りこぼし。
「ぜ…………」
――壊れた。
「……警察が動いているのなら、許された時間は少ないか」
最凶の片目をギラつかせ、ソファに腰を下ろしている真は言った。
その視線の先では――真の母と警察の女を形作る二つの人形が虚ろな瞳を泳がせて寄り添い合っていた。
予告
迫る脅威だけを削り取っていくのは簡単だ。だが、それでは本当の平穏は訪れてはくれないだろう。
すべきことはひとつ。根源たる諸悪を討ち滅ぼす、ただそれだけ。
そのための力は、"Joker"だけでは荷が勝ちすぎるのではないか。相手は母とは違う。無数の屑によってつくられた集団なのだから。
このゲーム、もう少し勝算を練らねばならないようだ……
【漆黒の紋章-emblem-】♯03[ 打 算 ]
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