メイン&サブ×2
「やだっ、来ないで、来ないでぇ……!」
悲鳴がした辺りへ辿り着いた俺たちの目に飛び込んできたのは、レベル80のユニークモンスター、「フォレスト・ベアー」に追われる少女の姿だった。
まだ、13、4ぐらいの年齢であろう栗色の髪をした女の子は、「森のクマさん」とも呼ばれるヒグマを一回り大きくしたようなモンスターから逃げようと、必死になって足を動かしていた。
だが、相手は森の中では抜群の探知、走破能力を誇るユニークモンスターだ。あんなか弱そうな女の子じゃあ、どうやっても逃げ切れるもんじゃない。それでも彼女が未だに無事なのは、「フォレスト・ベアー」の悪癖のおかげだったんだろう。
すなわち、「獲物が疲れて動けなくなるまでつけ回す」という嗜虐的な癖……≪Another World Online≫でも、初心者プレイヤーにトラウマを植えつけた「森のクマさん」の恐怖だ。
足を止めればその場で食われる。森から抜け出すことも許しちゃくれない。「フォレスト・ベアー」と遭遇した力なき者は、やがては動き疲れて足を止めてしまい、その瞬間に頭からバリバリと食われてしまうんだ……。
バーチャルでも滅茶苦茶怖かったモンスターだ。もしもリアルで現れたら、その恐怖は仮想現実の比ではないと思ってはいたが……まさか、その話が現実のものとなるとは思わなかったね。
どこか笑っているようにも見える「森のクマさん」は、恐怖と疲れで今にも倒れそうな少女へと、じりじりと距離を詰める。奴は、か弱い者にとっては命を狩り取る死神だ。きっと、足を止めた瞬間に嬉々として彼女の体を貪り喰らうだろう。
まだ幼さが抜けきらないような女の子の体を……。
「助けて……!」
そこで女の子に助けを求められてしまえば、もうダメだ。時にはお人よしやお節介と笑われる俺の性分が、俺の体を勝手に走り出させていた。
バーチャルと比べて「生々しい」モンスターがなんだ、肌が引きつるようなリアルな恐怖がなんだ。そんなものが入る余地がないほどに、俺の心は妙な焦りで満ちていた。
俺は走る。恐怖に涙を流す女の子の元へと……。
だが、そんな俺を追い越して駆け抜ける影があった。
それはれんちゃんだ。腰のベルトに繋がった鞘からロングソードを抜き放ち、残像すら残さぬほどの早さで「フォレスト・ベアー」に迫る俺の幼馴染。
「助けて、助けてぇぇぇ!」
そして、少女が最後の助けを求める悲鳴を上げたかどうかというところで……。
「ガ、アア、ア……」
れんちゃんは、造作もなく「フォレスト・ベアー」を上下に両断していた。
「ふ~、間にあったな……あれ?」
れんちゃんは間にあった。牙が少女に食い込む前に、モンスターを魔素の粒子に散らせていた。
でも、あまりの恐怖に気を失ったのか、少女は前のめりに倒れ伏してしまっていた。
「どうしたんだろ? お~い、大丈夫?」
特にうろたえることもなく、まぶたを閉じたままの少女を仰向けに寝かせ直してやり、頬をぴたぴたと軽く叩いて起こそうとするれんちゃん。
そこに俺たちも合流し、顔を青白く染めた少女の姿に軽くパニクった優介が【ヒール】を連発したりしていた。
その甲斐もあったのかな……時間と共に彼女の顔には血の気が戻っていき、三十分も経った頃には目も覚ましてすっかり復調していた。
「じゃあ、みなさんは冒険者なんですか?」
「うん、そうだよ」
俺たちを代表してれんちゃんが女の子……モニカの問いかけに答える。れんちゃんは女ばかりの家庭育ちで、学校でもよく女子と話していたからな。女の子の相手には最適だと思ったんだ。
モンスターに襲われたばかりの女の子に三人揃ってあれこれ聞いても混乱させるばかりだろうって、モニカが寝ている間に話し合っていたんだ。だから、聞きたいことはたくさんあったけれど、まずは彼女が落ち付くのを待とうと決めていたんだ。
でも、目を覚ましたモニカが落ち付くのなんて一瞬だったね。
最初こそ「っ!? えっ、えっ!?」なんて慌てていたけれど、れんちゃんが「大丈夫?」って優しく声をかけたら「あ……」って息をもらして大人しくなっちゃうんだもんな。
隣で優介が「イケメン補正ってチートだよな……」ってぼやいていたのを覚えている。
「わたし、冒険者の人にはじめて会いました」
「うん? 冒険者って……いるよね? どこにでも」
「ううん、うちの村にも周りにも迷宮はないし、珍しい魔物もいないから来ないんです。行商のおじさんに聞いたことはありますけど、見たことはなくて……都会に行って冒険者になるぜー、って人もいますけど、たいてい挫折して戻ってきますし」
「あっ、そういうことな。いるにはいるんだな……うんうん」
時おり、優介が気になったことを聞いている。「ここは異世界ですか?」なんて聞いても頭がおかしくなっていると思われるから、何気ない会話の中から情報を拾っていくんだぜ! なんて言ってたっけな。
「だから、冒険者として活躍できる人ってどんな人なのかずっと気になっていて……みなさんみたいに若い人でも、あんなに怖くて大きな魔物を倒せちゃうんですね! これが冒険者で食べていける人の力なんだぁ……助けてくれて、本当にありがとうございました!」
「いやぁ、いいんだよ、そんな、お礼なんて……」
「なんで優介が照れるんだよ。倒したのはこいつだよ。れんちゃん……いや、蓮次だ。俺たちは見てただけ。お礼ならこいつに言いな」
「あっ、馬鹿っ、余計なこと言うなよ~!」
結果的とはいえ、何もしていないのにお礼を言われるとどうにも居心地が悪くなるからな。純朴で可愛いモニカに礼を言われて嬉しがる優介の頭を小突いて、後ろでにこにこ微笑んでいたれんちゃんを前に押し出してやった。
「あっ……あ、あなただったんですか……」
「まぁ、魔物を倒したのは俺だよ。でもさ……」
「ありがとうございます!」
「わっ」
感極まったように、れんちゃんの両手を掴んでぶんぶんと上下に振るモニカ。その瞳はキラキラと輝いて、まるで王子様に助けられた少女のようだった。
「ありがとうございます、レンジさん! おかげで死なずに済みました……! お、お礼! お礼をしたいから、ぜひうちの村へ来てください!」
すっかり上気しきった顔で、「ぜひ、ぜひ!」とれんちゃんの手を引くモニカ。だけど、れんちゃんは困った顔でこちらを振り返る。
「いいけど……あいつらと一緒でもいい?」
流石、「男友達と遊んでた方が楽しいし」と平然と言い放つイケメン……俺たちへの配慮も忘れていない。
「もちろんですよ! レンジさんのお友だちも歓迎します!」
「じゃあ、お世話になるよ。案内してくれるかな」
「はい、わたしの村はこっちです!」
「フォレスト・ベアー」に襲われていたことも忘れてしまったかのように、元気いっぱいにれんちゃんを引っ張っていくモニカ。
一応、「みなさんも早く~!」と声はかけられたものの、俺と優介は放置された形となってしまった。
あの時の気分は、そうだな……リアルで三人でつるんでいた時に、れんちゃんだけ女子に話しかけられた時の気分に似ていた。って、まんまだな、そりゃ。
「相変わらずモテモテだな、れんちゃん」
「言うなよ、貴大……虚しくなるだろ」
「もう慣れたわ」
「訓練されたモブ夫め!」
こうして、頬を染めた女の子に手を引かれたれんちゃんの後について、優介と俺はやいのやいのとじゃれあいながら歩いていったんだ。
≪Another World Online≫そっくりの異世界でどう動くか。そんな俺たちの方針を決めた場所……俺たちにとっての始まりの村、「カルロック村」へ。