エミリーのお兄ちゃん
わたしには、お兄ちゃんがいます。
優しくて、かっこよくて、キラキラと光っているお兄ちゃん。神様に選ばれたスゴイお兄ちゃん。いつも堂々としているお兄ちゃん。
わたしを名前で呼んでくれるお兄ちゃん。
そんなお兄ちゃんが、わたしにはいます。
本当は七人兄弟なんだけど、わたしがお兄ちゃんと呼べるのはフォルカお兄ちゃんだけ。ほかのお兄ちゃんやお姉ちゃんは、わたしが声をかけることも許してはくれない。だから、お兄ちゃんだけがわたしのお兄ちゃん。
そんなお兄ちゃんが、去年の十二月あたりに落ち込んでしまった。
いつも明るく「はーはっはっはっ」と素敵な笑い声をふりまいていたあのお兄ちゃんが、怖い顔をして学園迷宮にこもってしまったんだ。
来る日も来る日も中層部の「スマイル・ピエロ」と戦うお兄ちゃん。理由を聞いても教えてくれず、わたしに手伝いさえさせてくれずに、ひたすらピエロに殴りかかっていた。
初めのうちはやられてばかりで、心も体もボロボロになっているのがわたしでも分かった。
だから、おこづかいを貯めてポーションを買ったり、疲れが取れそうな料理を作ったりして差し入れたんだ。わたしにできるのはそれぐらいだから……。
でも、やっぱりお兄ちゃんはすごかった。
数か月経った今となっては、「スマイル・ピエロ」なんて敵じゃない! とばかりに、逆に中層部のBOSSを翻弄している。レベルを上げ、何度も繰り返された戦いで新しく覚えたスキルを使って「スマイル・ピエロ」を倒せるようになったんだ。
あの時のお兄ちゃんはかっこよかったなぁ……「は? ……ははっ、はーはっはっはっ! 貴様の動き、すでに見切った!」って。
見切る……確かにお兄ちゃんは、何度も戦う内に「スマイル・ピエロ」の攻撃をどんどんかわせるようになっていった。初めて倒した時なんて、昔、絵本で見た勇者さまみたいに紙一重で魔物の攻撃をかわしてたもんなぁ……。
そこからは、お兄ちゃんも段々と元の調子を取り戻していった。
でも、「スマイル・ピエロ」と戦うことは止めなかった。一人でBOSSを倒すことが目的じゃなかったのかな……よく分からないけれど、春休みに入ってもお兄ちゃんは学園迷宮中層部BOSSの間に通っていた。
「ちょこまかと動き回るのは止めたまえ! 君では僕に勝てない!」
「ぷっ、くすくす……ひゃっははは!」
サーカスリングを模したBOSSの間で、今日もお兄ちゃんは「スマイル・ピエロ」と戦っている。わたしはそれを、観客席からじっと見守る。
「待てと言っている! ええい、止まらないかー!」
「あーははははは……♪」
何度か攻撃を受けた「スマイル・ピエロ」はお兄ちゃんに恐れをなしているのか、玉乗り用の大きなボールに乗って、舞台上をゴロゴロと逃げ回っている。
あれをされたら、お兄ちゃんでも追いつけない。だって、馬車みたいに早いから……それがあっちにゴロゴロ、こっちにゴロゴロと転げ回るんだ。目で追うのも疲れてしまう。
「……きゃっ!? お兄ちゃん、危ないー!!」
逃げてばかりだと思っていた「スマイル・ピエロ」が、お兄ちゃんの背後に回り込んだ瞬間に方向転換し、お兄ちゃん目がけて突進してきた! でも、お兄ちゃんはまだ振り向けていない。あ、危ないっ!
お兄ちゃんのピンチに、思わず声が出てしまった。助言も手出しもしちゃいけないって言われているのに、わたしはいつも耐えきれない。言いつけを守れない悪い子だ。
でも、そんな私にお兄ちゃんはふっと微笑んだかと思うと、後ろも見ずにスキルの発動を宣言した。
「顕現せよ! 【ウォーター・ウォール】!」
その瞬間、お兄ちゃんを囲むように地面から水が噴き上がった。その水流はまるで壁のように「スマイル・ピエロ」の突進を防いだだけじゃなくて、ボールごとピエロを空中へと押し上げた。
こうなってはすばしっこいピエロもどうすることもできず、手や足をジタバタと振りまわすばかり。
「さぁ、終わりだ! 【パイルバンカー】!」
そこへお兄ちゃんは追撃をかける。スキルが発動すると、腕を銀色のオーラが包み込み、大きな杭のような形になる。お兄ちゃんはそれを、落ちてくる「スマイル・ピエロ」目がけて思いっきり突き上げた。
すると、ガコンッ! って音がして、ピエロの体を銀色の杭が貫いた!
「ふっ……他愛ないものだね」
突き入れた拳をズッと引き抜き、わずかに乱れた髪をかきあげるお兄ちゃん。どさりと地面に落ちた「スマイル・ピエロ」には目もくれない。
そして、倒れたピエロが魔素へと変わっていく中、そのキラキラとした粒子をまといながら、お兄ちゃんはこっちに向かってゆっくりと歩いてきた……!
か、かっこいい! 前からかっこよかったけど、今のお兄ちゃんはもっとかっこいい! 学園、ううん、王国で一番かっこいい! そんな人がわたしのお兄ちゃんだなんて、誇らしさで胸がいっぱいになる。
「やぁ、どうだった? エミリー」
ひゃっ!? いけないいけない、ぼーっとしてた。お兄ちゃんが目の前に来るまで気がつかないなんて……。
「おや? ぼんやりしているね? ははは、無理もない! 僕の美技を目の当たりにしたんだ。そうもなるだろう」
「う、うんっ! ……あっ、タオル! お茶も!」
お兄ちゃんのために用意しておいたタオルを差し出し、水筒からマグカップにお茶を注ぐ。戦闘後のお世話は、わたしに許された唯一のお手伝いだ。これなら、お兄ちゃんの力になれる。それを疎かにしちゃいけない。
「ふ~……ありがとう、エミリエッタ。いつもながら良い心がけだ!」
「うん!」
タオルで汗を拭ったお兄ちゃんは、わたしの頭を撫でて褒めてくれる。それだけで、わたしはなんだか嬉しくなってしまい、ついつい声が大きくなってしまった。ちょっと恥ずかしい。
「お茶も美味しいね……体に沁み渡るようだ。ふむ……これはグラニア産の茶葉に乾燥ローズのエッセンスを効かせたものだろう?」
「……! そ、そうだよ~」
「ふふふ、やはりね。自慢じゃないが、僕は利き茶には少しばかり自信があってね。ムーア産の茶葉に混ぜ物があったと騒がれたことがあっただろう? その時も、僕はいち早く気がついていたのさ!」
「すごいね、お兄ちゃん」
お兄ちゃんはやっぱり優しい。恥ずかしがるわたしを思ってのことか、「えすぷり」を混ぜ込んだ冗談で場を和ませてくれた。
本当はこのお茶、わたしでも買えるようなすごい安物の茶葉なんだけど、それを指摘するのも悪いと思ったのか、お兄ちゃんは「これは僕に相応しい高貴な味だ」と満足そうに飲んでくれる。この辺りの機転が、お兄ちゃんらしい優しさだ。
「お兄ちゃん、クッキー、食べる?」
「あぁ、気がきくね。ちょうど小腹がすいていたところだ。この細かな気遣いは、流石は僕の妹といったところだね。では、遠慮なくいただこうじゃないか」
「うん! いっぱい食べてね」
これも生地だけの粗末なクッキーだけど、お兄ちゃんは「混ぜ物がない方がより素材の風味が~」と言って喜んで食べてくれる。
いつも貧乏くさいものばかりで申し訳なく思うけれど、お兄ちゃんはわたしが作ったものなら何でも食べてくれるんだ。そして、いつも褒めてくれる。
「うん、よくできている」
って。
それからしばらくの間、わたしはお兄ちゃんと一緒にクッキーを食べながら、お茶とお話を楽しんだ。
「ねぇ、聞いてもいい? なんで「スマイル・ピエロ」にこだわるのって……」
お茶とお菓子をお腹に入れて一息ついた時を狙って、さりげない感じで聞いてみる。落ち込んでいた頃は教えてくれなかったけど、元のお兄ちゃんに戻ったのなら聞かせてくれるかなと思ったんだ。
「そうか、そういえばエミリーには教えていなかったね。それどころか、誰にも話していないわけだが。でも、こういったことはみだりに話すことじゃないんだよ。秘密は秘密のままで……それが、僕の神秘性を高める一つの要因として~」
……ダメみたい。わたしとお兄ちゃんは家族で一番なかよしだと思っていたけど、やっぱりわたしなんかじゃ大事なひみつは教えてくれないよね。お兄ちゃんは王子さまで、わたしは……だもんね。
ちょっとだけ……ほんのちょっとだけ寂しい気持ちになる。おどけて、「ごめんね」って言おうとしたんだけど、目のまわりがうまく笑ってくれない。ダメ……こんな顔をしちゃ。
「お、おやおや。どうしたのかな? 小さくてもレディーがそんな顔を見せるものではないよ? 君にも高貴なる血が流れているんだ。人前では常に凛とした態度をだね……」
「うん……ごめんね」
ほら、お兄ちゃんを心配させちゃった。お兄ちゃんのお手伝いをするためにここに来たのに逆に迷惑をかけるなんて、自分が情けなくて泣きたくなってくる。
「あ~、う~……ええい、仕方ない! 特別だ! 特別に、君にだけ教えてあげよう」
「え、えっ!? いいの……?」
「あぁ、かまわないよ。だが、今から話すことを言いふらしてはいけないよ。約束できるね?」
「うんっ! するっ! 約束する!」
やっぱりお兄ちゃんはすごい! 落ち込みかけたわたしを、すぐにすくい上げてくれるんだから。
ひみつを、わたしだけに教えてくれるって……その言葉に、わたしの体に元気が戻ってくる。
「それなら……うん、話してあげよう。か、感謝したまえよ?」
「ありがとう、お兄ちゃん!」
こうして、わたしはお兄ちゃんから、ずっと気になっていたひみつのことを聞くことができた。
「そうだったんだ~……」
「そういうことなのさ」
ここ数カ月、お兄ちゃんがずっと「スマイル・ピエロ」と戦っている訳……それは、「スマイル・ピエロ」を一撃で倒すためだったらしい。しかも素手で!
なんでも、高等部のサヤマ先生が生徒たちの前でやってみせたらしい。「スマイル・ピエロ」はBOSSモンスターにしては体力が低い方とはいえ、一撃だなんて……高等部ってすごいんだなあ。
「すごいね~、そんなことできるんだね~。あのサヤマ先生って、そんなにすごい人だったんだ」
「ぐっ……あ、あれは、「スマイル・ピエロ」を20も上回るレベルと、反則じみたスキルのおかげだよ。そうでなければ、あのような凡人ができることではない!」
「そっか、そうだよね」
「そうさ!」
やっぱり、普通にやってできることじゃないもんね。でも、お兄ちゃんはそれをしようとしているんだ。しかも、サヤマ先生より低いレベルで! それができたのなら、お兄ちゃんは高等部の先生よりすごいってことに……わわっ、ほんとにすごい!
「すごいね、お兄ちゃん!」
「ははは、気が早いよ。でも、その称賛はまた近いうちに送ることになると思うよ? 今の僕でさえ、【パイルバンカー】の一撃で「スマイル・ピエロ」の体力を半分近く削ることができるんだ。下層部でもう少しレベルを上げて、杭を急所に打ち込むコツをつかめば、不可能なことではなくなるはずさ!」
お兄ちゃんは、【パイルバンカー】の杭はとっても重たいから、うまく狙いが定められないって言ってた。それを補うため、【ウォーター・ウォール】とかを覚えたり、すばしっこい「スマイル・ピエロ」相手に練習していたりするんだとか。
お兄ちゃんは天才だから、きっとすぐにできると思う。それで、次の目標に向けてどんどん進んでいくはず。わたしも、置いていかれないようにスキルの練習とか頑張らなきゃ!
「ひ、ひひひ、はひひひひひ……」
むむっ!? このむかっとするような笑い声は……話が終わったのを見計らってなのか、「スマイル・ピエロ」がリングの中央に再出現していた。観客席に座るわたしたちを見やり、ジャグリングをしながらふらふらと歩いている。
「さて、出番のようだ」
それを見たお兄ちゃんが、緩めていたタイをきゅっと締めて立ち上がる。また、「スマイル・ピエロ」と戦うんだ。
「頑張ってね、お兄ちゃん!」
「あぁ、次こそはもっとうまくやってみせるさ!」
そう言って、観客席の縁をひらりと飛び越えてリングに降り立つお兄ちゃん。その背中はとっても頼もしくて、「スマイル・ピエロ」を一撃で倒すだなんてことも不可能じゃないように思わせてくれた。
わたしには、お兄ちゃんがいます。
優しくて、かっこよくて、キラキラと光っているお兄ちゃん。神剣を振るうことを神様に許されたスゴイお兄ちゃん。王族らしい風格を持っているお兄ちゃん。
「メカケバラ」じゃない、わたしの本当の名前を、お母さんが付けてくれた名前を呼んでくれるお兄ちゃん。
そんなお兄ちゃんが、わたしにはいます。