悪魔の力
最近、クラスの様子がおかしい。
フランソワ様に次ぐ実力者、ヴァレリーが塞ぎこんでいるからか?
それとも、「シャドウ・ゴースト」が蔓延る学園迷宮地下二十四階を、中々突破できずにいるからだろうか。
「アベルゥ~、はい、あ~ん♪」
ふむ、あのゴーストは厄介だ。こう、切っても手ごたえが無い感じが何とも……。
「ダメです! アベル様のお世話は私がするんです!」
……いや、原因について、本当は分かっているのだ。そろそろ、現実を直視しよう。
原因は、やはり、アレだろう。1・Sの最下位、「金で実力を水増ししている」と陰口を叩かれていたアベルの急変だ。
彼は今、学生食堂にて、両脇にクラスメイトを侍らせている。彼女らは、彼のチームメイトのエレナとロズリーヌ……確か、アベルのことを毛虫のように嫌っていたはず。いったい、一週間前に何が起きたというのだろうか。
だいたい、彼女らはヴァレリーといい関係だったはず。それなのに、あのようにアベルにべったりとは、不誠実極まりない。
神は、一夫多妻は許してはいるが、不義など以ての外だ。彼らは婚姻関係を結んでいるわけではないが、今のうちから男女関係にだらしがないと後で苦労をするとお母様も言っていた。
まったく、ふしだらな……学生の本分は、勉学と修練だというのに。
「おやぁ? ベルベット……君、僕に何か言いたいことでもあるのかい?」
「いえ、特にないですよ」
以前の彼とは全く性質の異なる、粘り付くような視線を避け、食堂を出ていこうとする。だが、それを阻む者たちがニ人。
「ちょっと、アベルに声をかけてもらったのに、何その態度!」
「そうですよ。アベル様を馬鹿にしているのですか」
エレナとロズリーヌか……伯爵令嬢という私の身分を気にしてか、ここまで悪意をぶつけられたことはなかった。色恋というものはここまで人を変えるのかと、少し感心してしまう。
「すみません、悪気はなかったのですが、不快にさせたのなら謝ります」
そう言って、右腕を曲げて体の前に当て、ペコリと一礼する。略式とはいえ、身分が上の立場の者からの礼だ。これで納得するだろう。
だが、恋する乙女とやらは私の思う以上の難敵のようだった。
「本当に悪いと思ってるの、貴女?」
「私だったら、アベル様の前で跪くぐらいはしますよ」
ほう……豪商とはいえ、たかだか商人の小倅に跪け、と?
馬鹿な事を。私が心から頭を垂れるのは、この国を治める陛下のみ。アベル程度の相手ならば、形だけでも断じて行うわけにはいかない。無礼を叱ろうと口を開こうとした。
だが、そこに当のアベルが割り込んでくる。
「いや、いいんだよ君たち。僕はそんなこと気にしないさ」
栗色の癖っ毛をかき上げながら近づいてくるアベル。シャツは第三ボタンまで外され、胸元が露出している。だらしがない……だが、ニ人の少女たちは花に群がる蝶のように、彼の腕の中へと吸い寄せられていった。
「でもでも、アベル様ぁ!」
「だってぇ~」
「ふふふ……僕は小さなことなんて気にしない男だからね。もういいんだよ」
「あぁ、アベル……貴方って男は、どこまで心が広いの……」
「素敵……」
頬を赤らめて、アベルへとしな垂れかかる少女たち。なんだ、この茶番は。付き合っていられない。私は踵を返し、可及的速やかに食堂を後にした。
「ふふ……次は……だ」
背後からアベルの呟きが聞こえたような気がしたが、また面倒事に巻き込まれては堪らないので、聞かなかったことにして足を速めた。
「くっ……もはや、私一人か……」
午後からの学園迷宮攻略、難関となったのはやはり地下二十四階、「シャドウ・ゴースト」が支配するフロアだった。この全身漆黒の幽霊は、フロアに設置された仕掛けによって無類の力を発揮する。
小部屋など何もなく、全てが迷路状になっている地下二十四階は、灯りがついていないところが各所にある。そこを通り抜けようとすると、奴らが現れるのだ。
暗闇に紛れてしまっては、「シャドウ・ゴースト」がどこにいるのかなど視認しようがない。だからと言って【ライト】などで暗闇を照らすと、術者目掛けて一斉に飛びかかってくるのだ。松明や、【ライト】を仕込んだマジックアイテムでも同様だ。
では、灯りが点いている場所から攻撃すれば良いのではないか。そう思って試した結果が、今の状況だ。天井の光石の下で詠唱を始めたチームメイトのベルナールが、突如壁をすり抜けて襲いかかってきた「シャドウ・ゴースト」の猛襲を受けて強制帰還となってしまった。
更に、慌てたラウルが手に持つ槍で【ヒート・ランス】を繰り出したのがいけなかった。霊体をすり抜けた槍は、決して高くはない迷路の天井へと突き刺さり、そこへ埋め込まれた光石ごと粉砕してしまった。
そこからは、一方的な展開だった。闇を住みかとする「シャドウ・ゴースト」がここぞとばかりに押し寄せて、ラウルは何もできぬままに強制帰還。逃げ遅れたイレーヌもまた、影の群れに覆われ、消えてしまっていた。
【ブースト】で灯りのあるところまで一気に逃げ込んだ私ですら、少なくはない傷を負っている。回復役と、霊体に有効な魔法を使えるメンバーがいなくなってしまった。全滅と言っても間違いではない状況に、我が身の不甲斐なさを実感させられる。
さて、行くも暗闇、引くも暗闇……出口へ戻るとしても、後一度は「シャドウ・ゴースト」の攻撃を凌がなければならない。最近覚えた【緊急回避2】に、【見切り】を重ねれば、できないことはないはず。いや、私は誇りある「ランジュー家」の一員。ラインの守護者だ。
「できる」。これ以外の結果など、許されはしない。
失った体力を、決して効力が高いとは言えない自らの【ヒール】で誤魔化し、靴や革篭手の結び目を確かめる。
そして、腰に佩いた剣を鞘から抜き放ち、ぐっ、と腹に力を入れて駆け出そうと……したところで、異変に気がついた。
「……? あれは……何?」
入口の方面から、ぼんやりと浮かぶニつの光点が近づいてくる。
ゆらり、ゆらりと揺れて、段々こちらへと近づいて来る。その薄明かりに、時折「シャドウ・ゴースト」らしき影が照らされるのだが、すぐに霧散する。いったい、何だというのだろう。
まさか、タカヒロ先生が私たちの様子を見に……? 地下二十四階を突破できない私たちに直接、指導をつけてくださるのだろうか。
それならばと、腰を落とした戦闘態勢から、足を揃えて背筋を伸ばした姿勢へと切り替える。平民とはいえ、実習担当の先生を前にして直立不動以外の体勢は取るべきではない。じっと、先生の到来を待つ。
だが、現れたのは予想だにしない人物だった。
「やあ~、出迎え、ご苦労様」
アベルだ。戦闘服ではなく、無手のまま、まるで散歩の途中であるかのように気楽に声をかけてくる。何故か赤く光っている目を細め、粘りつくような視線を無遠慮に纏わりつかせてくる。
「えっ!? あ、貴方、通路にいた「シャドウ・ゴースト」は……!?」
「ああ~……あの、雑魚。倒したに決まってるじゃないか」
事もなげに言うアベル。雑魚!? 壁や暗闇から音もなく現れては、こちらの体勢が整う頃にはまた消えてしまう難敵を、雑魚ですって!?
「えっ、ほ、他の人は……!?」
もしかすると、強力な聖職者のスキルが発動しているのかもしれない。ただ、彼のチームメイトにそのような人材は……。
「いないよ、邪魔になるから置いてきた」
「えっ、そんなこと、不可能です!」
私でさえ、仲間との連携が無ければ渡れぬ闇の迷路だ。彼一人で渡れるとはとても思えない。だが、アベルはいかにも心外そうな顔をする。
「あれ? 信じてないの? しょうがないな~、じゃあ、僕の「力」を見せてあげるよ……【ライト】」
「待っ……!」
そんなに暗闇の近くで光源を作りだしたら、「シャドウ・ゴースト」が……!
アベルを囲むように、壁から、床から、天井からと、滲み出るように湧き出てくる影霊たち。それを鼻で笑い、アベルはポケットから手を抜いた。
そうして始まった戦いは、実に一方的なものとなった。
ただし、アベルにとっての、だ。
「【アベル・ビーム】!」
赤く光る眼から、ここまで伝わるような熱量を持った光線が放たれ、「シャドウ・ゴースト」の群が消滅していく。
「【アベル・チョップ】!」
どす黒いオーラを纏った手刀で、【物理無効】を備えた霊体を真っ二つにする。
「はーーーーーーはははははは!!!」
最早、スキルなど必要ないと言わんばかりに、素手で影霊を引き千切り始めた。
首や胴体を力任せに千切られ、悲痛な声を上げて消滅していく影たち……。
そして、アベルとニ十にも及ぶ「シャドウ・ゴースト」の戦いは、ものの三十秒ほどで集結した。な、なんて出鱈目な……!
「どうだい~? 僕の「力」は」
「あ、ぁ……」
言葉にならないとはまさにこのことか。目に見えるほどに濃密な魔素が、まだ空気中を漂っている。それを体中から吸収しながら、赤い目の少年はニヤニヤと私を見やる。
「ふふふ……驚くのも無理は無いと思うよ。僕だって初めは驚いたさ。この、圧倒的な「力」! 与えてくれたあの人には感謝し切れないね」
どうやら、自力で得た力ではないようだ。確かに、人為的な働きかけでもない限り、ここまでの増強は不可能だろう。それにしても、これはやり過ぎのような……。
「どうしたんだい、ポーっとして……ははぁ、さてはエレナやロズリーヌのように僕に惚れちゃったんだね?」
「は? 何故そうなるのです……?」
「だって、君たちの大好きな「強い男」が目の前にいるんだよ! 「強い者が偉い」!これ以上ない男になったんだ、僕は!」
確かに、常識外れの強さだが、そこには品性が同居していない。恋愛感情とどう結び付くというのか。
今にして思うと、最近のエレナたちの態度は演技なのだと分かる。爵位が上の者へも必死に喰らいつく懸命さ……あれは、アベル恋しさではなく、命惜しさ故のものなのだろう。おおかた、今のように力を見せつけられ、迫られたに違いない。
そうとも気付かず、アベルは酔ったかのように言葉を続ける。
「いいよ、僕とチームメイトになろうよ。ずっと一緒にいたいだろう? ほら、僕らのチーム、ヴァレリーがいるじゃないか。男ニ人、女ニ人なんてバランスが悪いと思っていたんだ。だから、彼は解雇して、代わりに君を迎えようと思ってここまで来たんだ」
「なんて自分勝手な……!」
「なんで? 光栄なことだよ、これは」
ニヤニヤとイヤらしく笑う彼の目は、ますます赤く染まっている。スキル使用時のみ現れていたどす黒いオーラも、全身から薄らと漂い始めた。ずい、と一歩距離を縮めてくる。
「さぁ、どうするんだい? 僕のチームメイトに、なるよね?」
また一歩、踏み込んでくる。いつの間に後退していたのか、背中に壁がつく。
「ふふ、怯えているね? 大丈夫、僕、女の子には優しいから」
異様な威圧感を持った掌が、ゆっくりと近づいてくる。どこを触ろうというのか!? 止めなさい!
でも、声が出ない。
万事休すか、と思われた時……。
「ぐ、あああああ~~~~~~!!??」
瘴気を発する掌が私に押し付けられる寸前、彼は叫び声を上げて後ずさりだした。
「な、なんだこれは……力が、抜け、るぅぅぅぅ~~~~……嫌だぁぁぁぁ~~~~…………!」
彼の体を覆う瘴気が、角を生やした魔物のような形を持って、出ていこうとする。それにつられるように、アベルの体はどんどん萎んでいく。
やがて、瘴気が抜け切った後、そこに残されていたのは痩せ細って横たわるアベルだけだった。ズレたズボンが見苦しい。
「あぅ、あぅ……」
きっと、悪魔憑きか何かだったのだろう。悪魔なんて超常的な存在が取りつけば、アベルと言えどああもなろう。
しかし、何という痛ましい姿……これは、楽をして「力」を求めようとする者への、神からの戒めだ。
「やはり、地道な鍛錬が一番です。ご先祖様も、先生も、そう言っていますものね」
誰かに与えられる力に溺れてしまえば、碌な事にはならない。王子という前例があるのだから、そのことはアベルも分かっていたでしょうに。
干物のようになって転がるアベルを見ていると、努力と修行の大切さがしみじみと実感できる。
力というものは、自ら掴み取るもの。そして、育むものだ。それを怠ったが故に、悪魔などに目を付けられたのだろう。これを機に、彼も精進してほしいものだ。
「あぁぁぁぁぁ~~~~……」
そうこう考えている内に、アベルは暗闇の中へと「シャドウ・ゴースト」に引き摺られていった。……まぁ、出発地点に戻されるだけなので、大丈夫だろう。きっと。
私は、ああはならない。この窮地も、自分の力で乗り越えて見せる。
気を持ち直すために、パンと一度頬を叩いて、私は影霊潜む闇へと飛び込んでいった。
………………
…………
……
「くそっ……! アベルめ……! あの売女どもめっ……!!」
彼の名は、ヴァレリー。一学年Sクラスの次席である。侯爵家に先祖代々伝わる「大地の全身鎧」を身に纏い、あらゆる攻撃にも動じず、仲間の危機を幾度も救ってきた英雄然とした青年だ。
だが、アベルに力で劣り、女も奪われた彼は、僅か一週間で見る影もないほどにやつれてしまっていた。口を開けば、人目も憚らずにいちゃつくチームメイトへの恨み事ばかり。オールバックにまとめた髪も、今ではバラつきが妙に目立つ。
今日も迷宮実習においてアベルから「戦力外通知」を受けた彼は、人目を逃れるように学園裏手の庭園にて頭を抱えていた。
「俺は優秀だ、俺は優秀だ、俺は優秀だ……」
恨み事の次は、同じ言葉の繰り返しだ。目を虚ろにし、自己暗示のように自分に言い聞かせるヴァレリー。そうすることで、かろうじて心の均衡を保っているのだろう。
実際に、彼は優秀なのだ。ただ、アベルの「力」は彼が築き上げてきた全てを吹き飛ばすほどに圧倒的だった。神殿の石柱のように太く揺るぎなかった自信も、今では枯れ木の枝のように細く、今にも折れそうだ。
「俺は優秀だ……アイツの「力」がデタラメなんだ……」
彼の脳裏に浮かぶは、「爆弾蜘蛛」を一撃で消し飛ばしたアベルの「力」。
彼は思う。
憎い。
どうせ金で得た空虚な力に違いない。
だが……。
「欲しいのだろう?」
「っ!?」
背中から伝わる邪気に、思わず迷宮攻略用に抱えていた戦斧を振るう。直後に、「しまった!」と理性を働かせて止めようとするが、間に合わない。
分厚く、重い鉄の塊は背後の人物を真っ二つに……しなかった。
できるわけがない。何せ、そこには誰も立っていないのだから。
「な、なんっ……!?」
ヴァレリーの体中から、冷たい汗が噴き出してくる。彼は確かに人の気配を感知した。だが、誰もいない。これはどういうことか。
「ふふふ……まぁ、落ち付きたまえよ。私は君の敵ではない」
背後から、ポンと肩に載せられる病的なまでに白い指。ヴァレリーの口から「ヒッ!」と短い声が漏れ、その体は硬直する。それを確かめるかのようにしばらく微動だにしなかった指は、しばらくの後に、あやすかのように頭に移される。
「知っているよ……君も、「力」が欲しいんだろう?」
スッ、と首筋を撫でられ、ビクリと震えるヴァレリー。
彼は自覚していた。これは、敏感な部位をくすぐられたがための震えではない。図星を指されたが故の震えだと。
「アベル君のような……いいや、それを上回る「力」が欲しい……違うかね?」
「あ……お、俺は……」
それでも、邪なる気配の持ち主に抗うかのように、否定の言葉を口にしようとするヴァレリー。だが、背後の彼女はそれすら嘲笑う。
「ふふっ、無理に否定しなくてもいい……さぁ、本心を曝け出すんだ。それで君は全てを取り戻せる。地位も、女もだ」
「ち、地位……女……」
「何より、アベル君を越えることができるよ……ふふふ」
「おおお……」
アベルによって植え付けられた劣等感。彼の心を茨の棘で傷付ける感情は、今まさに極まっていた。
「取り戻す……越える……叩き伏せる!」
虚ろな瞳に暗い炎を灯した少年へと、背後に立つ存在……黒き髪のエルフは確信を持ってそっと囁いた。
「では、聞くよ……「力」が欲しいか……?」
「くれ……俺に力をくれぇ!!」
魔女は、赤い唇を三日月のように歪めて嗤う。
「契約、成立だ」
この日、ヴァレリーは「ニンゲン」を捨てた。
「力」を求める者の元へ現れる黒髪の魔女。
彼女の正体は、そして、その目的は何なのか。
その全容を知る者は、誰もいない。
「いやぁ~、いいデータがとれたぞ♪」
誰も、いない。
「い~かげんにしろって、コラ! 学級崩壊起こす気か!」
「あいた~~~~!? 死んだ! 脳細胞が大量に死んだぞ、タカヒロ君!」
まぁ、一人ぐらいはいる。
後日談ではあるが、一時期とはいえ悪魔の力を身につけたアベルとヴァレリーは、調子乗り過ぎたせいで一緒に(特に女子から)叱られた。
事態の収束を図るタカヒロ達の「悪魔のせいだったのさ!」という説得(?)で何とか許してもらえたのだが、しばらくの間は肩身が狭かったとか。それで、ニ人に友情が芽生えたとか。
同病相憐れむとはこのことです。