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郵便配達

「……お手紙を届けてください」


「なんふぁ、んぐ、なんだぁ?」


 温かいミルクで口に詰め込んだベーコンサンドを飲み下し、聞き直す何でも屋の店主。仕事を管理する小さな住み込み従業員が朝食の席というタイミングで伝えるということは、依頼の話であることは何となく分かる。


 だが、郵便屋が扱うはずの「手紙」を届けろとはどういうことなのだろうか。訝しげな目で続きを待つ。


「……新年のお祝い状配達で、手が足りていないそうです。家にも五十通ほど配達依頼が回ってきました」


「ご、五十通も!? うええ……」


 露骨に嫌そうな顔をする貴大。年は明けたと言っても、寒さが緩むわけではない。むしろ、ニ月にむけて冷え込みはますます厳しくなっている。


 昼間でも氷点下を下回ることがある真冬のイースィンド王国では、屋外作業はいかに身を貫く寒気を凌ぐかの戦いとなる。レベル250の彼でも、そんな争いには滅法弱かった。


「よし、こうしよう。一日五通だけ届けるんだ。そうしたら、十日もあれば……ユミエルさん?」


「……なにか?」


「なぜダーツを投げているのですか?」


「……予行練習です」


 ヒュ、カッ!


 ヒュ、カッ!


 一定のリズムで依頼メモを貼り付けるためのコルクボードに刺さっていくダーツ。それはあたかもイメージ上の顔面の急所をなぞるようかに正確に突き刺さり、貴大の心胆を寒からしめる。


「いやぁ、僕ぁ、郵便配達って大好きだなぁ! ハハハ!」


「……それはようございました」


 今更、「何の予行練習ですか?」と聞くのは野暮というものだ。返事の代わりにダーツが飛んでくるに違いない。一年ほどの短い付き合いだが、日々の「激励」の成果からか、言われずともそのことを悟る貴大。


 一も二もなくユミエルが差しだした手紙の束を受け取ってぎこちなく笑う。


「……今日も寒いので、マフラーも忘れずに」


「わーってるよ。んじゃ、出るわ」


 ハンガーラックにかけてある厚手のジャケットを羽織り、素っ気ないのクリーム色のマフラーを巻きつける。前面のボタンを全部留め、手紙の束をショルダーバッグに放り込み、貴大はユミエルの頭にポンと手を置いて出かけていった。


「……いってらっしゃいませ、ご主人さま」


 その背中へとかけられる無機質な見送りの声。


 いつも通りの「何でも屋・フリーライフ」の朝であった。






「ふひ~、やっと五十通……腹減ったぁ~」


 昼も過ぎ、間食の時間に差し掛かろうという時、ようやく貴大の郵便配達は終了した。彼が元いた世界とは異なり、配達用の自転車など存在しない。全て歩きによって郵便物は各家庭に配られる。


 更には、中途半端にバラついた宛先のせいで、五十という数ながらここまで時間がかかったのだ。流石に何でも屋に回ってくるだけあり、入り組んだ路地の中、雑貨屋店舗兼アパルトメントの三階部分など、妙に分かりにくい住所揃いだったことも手間の一因となっていた。


 だが、貴大は持てる能力を駆使して何とか乗り越えた。


 地図を視界に映しだすMAPを片目だけ展開し、煩雑な下級区の裏路地も何のその。地図に集中し過ぎて野良犬の尻尾をふんずけてしまい、吠えたてられながら追いかけられもしたけれど、知り合いのわんこに助けてもらって事なきを得た。


 曲がり角での水撒きも、【緊急回避5】で華麗に回避した。手紙をつけ狙うはぐれ山羊も、【スリープ】で眠らせて持ち主の肉屋につき返しておいた。


 無駄にスキルを使い過ぎたせいで若干の疲労感が体の芯を重くさせるが、「喫茶ノワゼット」で遅いランチと共に渋めの紅茶を飲めばじきに復調するだろう。


 幸いなことに、今日は他に仕事はない。貴大は、頑張った自分へのご褒美と称して、「喫茶ノワゼット」名物のチョコナッツケーキも頼もうか、それとも新作のフランボワーズムースにするかと考え始めた。


 そこで、ふとあることに気がつく。


「なんだぁ? まだ残ってたのか?」


 ショルダーバッグから財布を取り出そうとした際に、手に当たるものがあった。引っ張り出してみると、どうやら見落としていた手紙のようだった。シンプルな白い便せんに、達筆な字で宛先が書かれている。


「もう全部配り終わったと思ったんだが……」


 表に裏にひっくり返し、郵便屋の判子が押された正規の郵便物だと確認すると、彼は大きく息を吐いた。終了したと思ったところで、実はまだ仕事は残っていました、というのは彼でなくとも嫌なパターンだろう。


 それに、元より仕事熱心ではない男だ。仕事へのモチベーションなど上げられるはずもない。


 それでも、仕事を一つだけ残したまま食事をする、というのも嫌な貴大だ。どうせなら、全ての厄介事から解放されて、ゆっくりと飯を食べたい。


 後ろからせっつかれるように食事をかきこむのは好きではない彼は、見落としていた仕事を終わらせるべく、短く息を吐いて記された住所へと歩き出した。






「下級区の「マネージ・ホーム」の一番地……聞き慣れんなぁ」


 中級区を拠点としている貴大は、それでも仕事の関係上、下級区もよく歩き回る。そんな貴大でも、手紙に記された「マネージ・ホーム」という住所には聞き覚えがなかった。


 それでも、MAPの住所検索機能を使えば、目的地は赤いマーカーで視界の俯瞰図に表示される。新しく出来た区画なのだろうか、と首を傾げつつも、そこへ向かって進んでいく。


 下級区の大通りどころか、街の南門から五つに分かれて伸びる道路からも逸れ、複雑な路地裏をマーカーと地図頼りにてくてくと歩く。相変わらず下級区は雑然としていて、平気で路地の脇に生ゴミや吐瀉物が放置されている。


 下級区管理員長のミケロッティが清掃に力を入れているため、以前より環境面・衛生面は遥かにマシにはなったが、人目につかぬ裏路地がこの有様では、まだまだ住民の意識改革にはほど遠いようであった。


「さてさて、ここを抜けたらやっとこさ到着か。さっさと手紙渡して帰ろ」


 曲がり角を右折したその先に残されているのは、もう一本道だけだ。開けた場所に繋がっているのか、薄暗い路地裏に光が差し込んできている。


「モーリスさ~ん、郵便ですよ~、っとな」


 ここまで来れば、後は一息だとばかりに弾んだ足取りで、貴大は通路を抜ける。すると、その先で思いもよらない光景が広がっていた。


「おぉ、こりゃあ……」


 貴大の眼前には、乱雑で整合性がない下級区の建物に囲まれて、ぽっかりと四十坪ほどの土地が開けていた。


 奥に小さな平屋が一軒だけひっそりと建っていて、後は畑や花壇として有効活用されている。住民の物なのか、畑の脇に木組みの長椅子が備えられており、まるで庭園か何かのようにも見える。


「あれ? ここが「マネージ・ホーム」だよな?」


「そうだよ、ここが「マネージ・ホーム」だよ」


「おぅわっ!? ビックリしたぁー!」


 いつの間に傍へ来たのか、老婆が背後へ立っていた。総髪が白く染まりながらも腰は曲がっておらず、薪を背負って手には買い物籠を下げている。


「これ、そこをどいておくれ。重たいもんを降ろしたいからねえ」


「あ、あぁ、ごめん」


 ポカンと突っ立っていた貴大は、図らずも通路を塞ぐ形となっていた。慌てて脇に避け、老婆が通れるようにする。


「は~、どっこいしょ。やれやれ、この年になると買い物も一苦労だね」


 平屋脇の薪置き場に荷物を下ろした老婆は、肩を揉み揉み振り返る。


「で、あんたはどちら様なんだい?」


「あ、ああ、俺は何でも屋の貴大ってもんだが、郵便配達でここに来たんだ」


「郵便? こんな婆にかい?」


「そうだ。モーリス・クライムってのは婆さんのことか?」


「あぁ、それは私のことだよ」


 どうやら、ここは手紙に記された者が住む「マネージ・ホーム」の一番地に間違いないようだ。ほっ、と息を吐いて手紙を差し出す貴大。


「はい、手紙だ」


「はいはい、誰からだろうねぇ……おや、友達からだよ! あの子、まだ生きてたんだねえ!」


 訝しげに眼を細めるモーリスも、差出人の名前を見てようやく顔を綻ばせる。思わぬ旧友からの手紙は、年をとればさぞ嬉しいものだろう。いそいそと手紙の封を切る微笑ましい光景に、貴大はふっ、と息を吐いた。


「よかったな、婆ちゃん。じゃあ、俺、帰るわ」


 これで郵便配達のノルマも完遂だ。ようやく飯が食えると、腹を擦りながら「マネージ・ホーム」から出ていこうとした。しかし、それを引きとめる声がした。


「あぁ、あぁ、待ちなよ! せっかくこんな辺鄙なとこまで来てくれたんだ。持て成ししなきゃ罰が当たるよ」


「え、いや、悪いよ、そんな」


 光さす長閑な風景に忘れそうになるが、この広場も下級区の一角だ。しかも、住んでいるのが老人となると、そこまで蓄えもないはずだった。


 それなのに持て成されてしまえば、少なからず負担になるのではないか。心配した貴大は遠まわしに辞退しようとする。だが、モーリスはそんな考えもお見通しだとばかりにからからと笑う。


「な~に、ここにいるのは婆一人だけだけど、そんなに生活には困ってないんだ。遠慮しなくてもいいよ。さあ、入った入った」


「わっ、ちょっと、婆ちゃん!?」


 見た目に似合わぬ力強さで、ぐいぐいと自宅に客人を押し込めるモーリス。無理に振り切ることもできず、貴大は流されるままに老婆の家へと入っていった。




「お腹空いてんだろう? 若い頃はお腹が空いてしょうがないもんだからね。さぁ、食べておくれ」


 肩に手を置かれ、強引とも言える形で二つしかない木組みの丸椅子に座らされる貴大。初めのうちは、「お菓子でも食べるかい?」と硬く焼きしめられたクッキーとお茶を出されたのだが、朝食以降何も食べてない腹が食べ物を前にして盛大に鳴り響いた。


 それを耳にしたモーリスが持ってきたのが、今、彼の前にどかんと置かれている大盛りのクリームシチューだった。


「いや、やっぱ悪いよ……これ、婆ちゃんの晩飯だろ?」


 人様の家で本格的な食事を出されてしまうと、遠慮が先に出るのが日本人気質だ。それも、初対面の人物が相手ならばなおさらだろう。空きっ腹をかかえながらも、「俺はこれだけでいいから……」と、クッキーを齧ろうとする。


 だが、モーリスはにこにこと笑いながら、「いいから食べなよ」と食事を促す。


「若い人が遠慮するもんじゃないよ。それにこのシチューはついつい作り過ぎたもんでね。婆だけじゃ食べきれないから、助けると思って食べておくれな」


「じゃあ、少しだけ……」


 口では躊躇っていた貴大も、先ほどからクリームシチューの良い匂いにやられてしまっていたようだ。大ぶりの木の匙いっぱいにシチューを掬い、冷ますのもそこそこに口に含む。すると、その目は大きく見開かれ、空になった匙は再び皿に突き入れられる。


「うわ、何これ、うめえ!? うめえよ、婆ちゃん!」


 調整や加熱殺菌されていない生乳を使っているためか、やや乳臭さが鼻にくるものの、それすらアクセントとなって具材と溶け合って舌を滑っていく。


 畑で採れたものなのか、ごろごろと入れられた根菜や芋もほくほくと良く煮えている。安い老鶏も、予めそれだけをじっくりと煮込んでいたのか、快い噛みごたえと旨みを残しながらも、はらはらと口でほぐれていく。


 これまで貴大が食べたことがないほどの絶品であった。加速度的に食べ続け、五分もかけずに深めのシチュー皿を空にする。


「まだあるからねえ。たーんとお食べ」


にこにこしながら、あれも食べなさい、これも食べなさいと、料理や自家製と思われるパン、果てはピクルスなどの漬物や、苔桃などを漬け込んだ果実酒に至るまで次々と運んでくるモーリス。


 貴大はそれに目を輝かせ、若さと空腹に任せて来る端から平らげていく。こうして彼は、思わぬ形で空きっ腹を満たすことができたのであった。




「それじゃあ婆ちゃん、ご馳走さま。ほんとありがとな。お礼持ってまた来るわ」


「いいんだよ、そんなもの。私も楽しかったからねえ」


 思わぬところで昼食にありつけた貴大は上機嫌で去っていく。その背中が路地の先へと消えるまで、モーリスは手を振り続けた。


 そして、彼が完全に見えなくなったところで僅かに口を開く。


「もっと……もっと幸せにおなり。そうしたら……」


 老婆はぽつりとそう漏らすと、ふぇっふぇっふぇっ、と笑いながらレンガ造りの家の中へと消えていった。






「そういやあ、配ってみて分かったんだが、手紙は五十一通だったぞ」


「……はて、チェック漏れでしょうか。申し訳ありません」


 「何でも屋・フリーライフ」の夕食の席で、貴大は思い出したかのように今日の仕事の話をする。五十と言われた手紙の数が実は五十一だった、お前にしては珍しいミスだ、と事務担当のユミエルを軽く笑いながらからかう。それを受けて、真面目な彼女は平謝りして主を焦らせた。


 そして生じたぎこちない雰囲気を取り繕うように、貴大は更に話題を提供する。


「そ、そういやぁ、五十一通目の宛先なんだけど、下級区の「マネージ・ホーム」ってところでさ。いつの間にそんな区画ができたんだ、ってちょっとばかし驚いたわ」


「……「マネージ・ホーム」?」


「あぁ、なんか入り組んだところにあってさ。それなのにしっかりした一軒家が建ってて……妙なとこだったよ」


「……ご主人さま、下級区どころか、この街にそのような区画はありませんよ」


「……え? いや、そんなはずないだろう。MAPの検索で出てきたぞ?」


 今日のユミエルは抜けているなぁと笑いながら、視界にこの街のMAPを表示し、「マネージ・ホーム」を検索する。


 すると、思ったとおり、下級区の片隅に赤いマーカーが……出てこなかった。


「あ、あれ? あれ?」


 検索ログを見ると、そもそも「マネージ・ホーム」と検索したのもこれが初回という記録しか残っていない。他は全て馴染みある区画名ばかりだ。


「じゃ、じゃあ、俺が行ったあの家は……?」


 奇妙な体験に、さーっ、と顔を青くする主人を、メイドは冷静に「……また昼寝でもして夢を見ていたのですか? いけませんよ、仕事中のサボタージュは」と窘めていた。






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