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「アートウィキ」

「つまり、立ち入り禁止区画に籠りっぱなしで碌に表に出ない私は、新人司書がここに好奇心から立ち入らないようにするための噂話に使われているのだよ」


「そういうことか……」


 ここは、王立図書館地下階、立入禁止区画の研究室。


 所狭しと積み上げられた本の山に圧され、本来は十畳ほどある広さも、今では四人がけの机と椅子を置くだけで精いっぱいだ。


 そのような書物の密林で、貴大の正面に座ってお茶を飲んでいるのが、この部屋の主にして王立図書館お抱えの研究員「エルゥ・ミル・ウルル」である。




 五年前、二十ニ歳という異例の若さで王立図書館の地下階担当の研究員として抜擢された彼女は、昼も夜もなく立入禁止区画に現存する書物を読みふけった。


 元々本の虫である彼女にとって、立入禁止区画は宝物庫同然だ。保存食と水だけを用意し、一カ月は外に出なかった。


 身の回りに気を配ることなく、髪は伸ばしっぱなし、服はほとんど着たきり雀、寝食も忘れた体はやつれていく。


 そんな彼女が、遂には尽きてしまった食料の補給のため、立入禁止区画から久方ぶりに出た時のことだ。


 ばったり出くわした二・三人の司書が、泣きながら逃げていったのだ。


 絶叫すら上げていた。そして、駆け寄ってくる警備員たち。


 自分は立入禁止区画の研究員、エルゥ・ミル・ウルルだと説明しても、「アンデッドのような格好をしたお前が、あのエリート様なはずがないだろう」と一蹴された。


 すったもんだの末、ようやく説得に成功するエルゥ。しかし、残した禍根は大きかった。


 あの時、悲鳴を上げて逃げていった司書たちに、やつれきったエルゥの姿はトラウマとして残ったのだ。


 そして語られる「立入禁止区画には幽霊がいる」という怪談……それは、五年経った今では、新人司書への戒めとして使われているほどに定着してしまった。




「これで分かったろう? 私は、生きている人間でもあるし、幽霊でもあるのさ」


「そりゃ……なんというか……災難だな」


「そうでもないよ? 元々人の出入りが少ない立入禁止区画から更に人が遠のいて、本が読みやすくなったのは僥倖だったね。むしろ感謝しているさ」


「まあ、アンタがいいなら、別にかまわんだろうが……」


「だろ?」


 そう言って、カップに口をつける幽霊のような容姿の女研究員。そのこけた頬を見ていると、思わず食べるものをあげたくなってしまう。お節介な性分の貴大であった。


「ふう、私のことはこれぐらいでいいだろう。次は君の番だ。君はいったい誰なんだい? どうやってここに来たんだ? 見たところ中級区の住民だよね、君は。ここに来る理由も、入れる理由も想像できないな」


(うおえっ!?)


 幽霊だと勘違いしたことのショックで忘れていたが、本来、ここは貴大が入れる場所ではない。「無断で入りました」と判明すれば、どのようなペナルティを受けるか。焦る貴大。


「あ~、その、だな~……俺は王立学園の臨時講師で、その権限でここに……」


「それはウソだね。臨時講師どころか、正式採用の教師ですら、簡単にはここに入ることはできないよ」


「うぐっ!?」


 バッサリと切り捨てられる。


「いや、違うんだ。臨時教師だけど、司書の許可をもらってだな……」


「それもウソだ。館長か、それに類する立場以上でなければ、立入の許可は出せない」


「うううっ!?」


 またも一刀両断される。


 段々と険しくなってくる表情に、貴大は冷や汗をかく。絶体絶命だ。


 だが……。


「……ぷっ、あはは! はは、ははは! なんて顔をしているんだい? まるで罠にかかったオオクマキツネリスのようだよ! ふふふ」


「へぇっ!?」


「あはははっ、今度はなんだい、その呆けた顔は!」


 腹を抱えてクスクスと笑う研究員の前で、呆気にとられた表情で立ちすくむ貴大。


 彼の頭上で「?」マークが乱舞している。


「心配しなくとも、警備兵に突きだしたりしないよ。ふふっ。どうやら、君は悪い人じゃなさそうだしね」


「は、はあ……?」


「君、王立学園の臨時講師に抜擢されるだなんて、そう見えて優秀なんだろう? 警備に引き渡すよりも、私は君から話を聞きたいな」


「は? 話?」


「そう、話だ……それより、いつまでつったっているんだ。まあ、座りたまえよ」


「おお……」


 思わず浮かせた腰を、ドスンと下ろす。


 言われるがままに座ってはみたものの、まだ事態は飲みこめていない。


「話って……なんだ?」


「私はね、「アートウィキ」という万物が記された本を探しているんだ」


 おもむろに語り出すエルゥ。その聞きなれない単語に、貴大は思わず聞き返す。


「「アートウィキ」?」


「そう、「アートウィキ」……世界の完全なる地図はもちろんのこと、スキル、モンスター、ダンジョン、神々、マジックアイテム……この世の全てが事細かに記されている万能の書物なのさ」


「へ~、攻略本みてえだな……」


「攻略本? 何かね、それは?」


「いやいや、こっちの話だ。忘れてくれ」


 モンスターやダンジョン、アイテムの情報の詳細が書かれているなんて、まるで、攻略本か、攻略@wikiみたいだな……そう考えた貴大は、ふと、あることに気づく。


(@wiki……アットウィキ……「アートウィキ」……)


「私の夢は、完全な「アートウィキ」を読むことでね。複写されたものの断片などは古代遺跡やダンジョンから見つかるんだが、本当に微々たることしか書かれていなくて……だから、時折冒険者を中心に、様々な人々に聞き込み調査をするんだ。塵も積もれば何とやらというだろう? たまに、思わぬところから情報が手に入るんだ。探してみると、大抵は断片だが、時には数ページが綴じられたものも見つかる。だから、君からも話が聞きたくて……うん、どうしたね?」


 饒舌に「アートウィキ」への想いを語るエルゥだが、ようやく、思案に暮れる貴大の様子に気がつき声をかける。


 すると、貴大も考え事から我に返り、こう切りだした。


「なあ……「アートウィキ」って、もしかしてこう書くの?」


 机に備え付けられた羽ペンの先端をインク壺に軽く浸し、メモ用紙と思われる紙の束にさらさらと「@wiki」と書き綴る。


 すると、その文字を見たエルゥが歓声を上げた。


「よく知っているね! そう、「アートウィキ」の綴りはそうだよ! 古代語を書けるなんて、見た目に反して博識なんだね! さては、「アートウィキ」の断片に触れたことがあるね? 流石、王立学園に採用されるだけはあるね…………もしかして、持ってる、のかな?」


 キラキラと、期待で輝く目で貴大の顔を窺ってくるエルゥ。


 彼女に対して、「見た目に反して」は余計だよ……俺の評価こんなんばっか、と、げんなりする貴大は、何でもないことのようにこう言い放った。


「「アートウィキ」……正確にはアットウィキっていうんだけどな。持ってるぞ、それなら」


「おお、そうか! 持ってるのか! しかも、古代語の正確な発音まで記載されている断片なのかい? 素晴らしい! それは貴重な資料だ! ぜひ、売ってはくれまいか? 金に糸目はつけないよ?」


「いや、違う。オレが持っているのは、「本物」だ。」


「そうか、本物か! それはスゴい…………えっ?」


 ハイテンションで浮かれるエルゥが、笑顔のまま固まり、そして呆けた。


「今……なんて……?」


「だから、持ってるんだってば。「@wiki」」


 「ほら」と、アイテム欄(大きさ・重さに関わらず、三十個までならアイテムを持ち運べる他、貴重品やイベントアイテムが収納されている個人用収納空間。「アース」の住人であれば誰でも使える能力)から「@wiki」を実体化させる。


 表紙に、「≪Another World Online≫@wiki」と記載されたハードカバーの本が、ごとりと机の上に置かれる。


「…………………………え?」


 急展開に、頭の回転がついていかないようだ。長年探し求めていた本が、中級区の住民の手から唐突に現れれば無理もない。


「ほら、本物だろう? って言っても分からんか……じゃあ、試しに、何か聞きたいことがあるなら言ってみ? 多分載ってるから」


「……あ、え……? あ……と……じゃあ、「メタル・バックラー」に必要な材料は……?」


 混乱しながらも、そこは才媛。自らが古文書から発見し、騎士団の一部署で正式採用されるに至った防具の材料を聞く。


 製法は、自分か、騎士団専属鍛冶師か、騎士団上層部しか知らないはずだった。


「ああ、あれな……何だったかな……お、あったあった。「メタル・シザースの甲羅」と、「エストール杉」、それに「ダッシュ・バッファローの革」だな。どうだ?」


「…………合っている」


 「メタル・バックラー」は、その軽さ、頑丈さにおいて既存のバックラーの上を行く。当然、その製法から材料に至るまで、今では秘中の秘とされている。たまたま出会った男が知っているはずもない。


「な、なら、これはどうだ!! 「ドラゴニアタートル」のドロップアイテム!!」


 最近解読したばかりの古文書に載っていた、遥か東の国のモンスターだ。そのドロップアイテムを知っているのは、この国では自分だけだと自負している。


 しかし……。


「あれか……何落とすんだっけ、あいつ? う~ん……お、あった。「竜亀の背甲」だな」


「馬鹿な……!?」


 またも的中する答え。


 エルゥの頭の中で、「まさか」という思いが膨らんでいく。


「それなら……それなら、それは本当に……?」


 生まれた期待を壊さないかのように、そっと尋ねる。


 そんな彼女に、貴大は事もなげに言葉を返す。


「そうだよ、本物だ。本物の、「@wiki」だ」


「あ、あああ……!」


 ガタンと椅子を後ろに倒し、ふらふらと覚束ない足取りで貴大に近づくエルゥ。


 どこか鬼気迫ったその様子に、貴大は圧されて後退する。


「お、おい……? どうした……?」


「それを…………」


 ドン。


 貴大の背中が本棚にぶつかる。もう下がることはできない。


 本に塞がれて、ここからでは逃げ場もない。


「ど、どうした……?」


「それを………………」


 エルゥの視線は、「@wiki」に張り付いて離れない。足だけで動いているような不気味な印象だ。貴大の背中に、今日何度目かの冷や汗が流れる。


「お、おい……?」


「それを……………………」


「それを……? な、なんだ……?」


「それを読ませろぉぉぉぉぉぉぉぉ~~~~~~~~~~~~~~~!!!!」


「うおおおっ!?!?」


 ガバッ、と、突然「@wiki」を掴みかかるエルゥ。その目は血走り、息は荒い。爪が食い込むほどに渾身の力を込めて、本を貴大から奪おうとする。


「な、何すんだっ!?!!? やめ、破れる!! 離せ!!!!」


「お願いだ! ちょっとだけ……! 先っぽだけでいいから! ちょっとだけ読んだらすぐ返すから!!」


「バカ、そりゃあ濡れ場での男のセリフだ!! うっ、くっ、この……くそ、まずは離れろ!!」


「嫌だ! 絶対に離れない!! 「アートウィキ」を読ませてくれるまで離れはしないぞ!!!!」


 もつれ合う二人。本を引き離せないと分かると、貴大の腕を掴んで引きはがそうとする。


 叩く。噛みつく。くすぐる。泣き落としにかかる。ありとあらゆる手段を持って、「@wiki」を奪おうとする。


 貴大は貴大で、幽鬼のような外見の女の必死な態度に、すっかり怯えてしまって事態の解決を図れない。警備員が来る! と、始めに部屋のドアに【サイレンス】をかけたきり、あとはオロオロとしている。


 結局、落ち着いて話ができるようになったのは、それから三十分も経ってからだった……。




「いやあ、タカヒロ君も人が悪いよ。読ませてくれるなら、始めからそう言ってくれればいいのに」


「興奮したあんたが話を聞いてくれなかったんだよ……」


 今、二人は始めのように机を挟んで向かい合って座っている。机の上には、「@wiki」が鎮座している。


「それで……もう読んでもいいかい? 読んでもいいかな?」


 幼子のように目を輝かせて尋ねるエルゥ。貴大は苦笑しながらもOKサインを出す。


「ああ、いいよ……って、もう読んでる」


 バッ、っと一瞬で消えさる「@wiki」。


 いつの間にかエルゥの手の内にあり、開かれたページには食い入るように本の虫が齧りついている。


「うん? 目次だけ? あとは白紙……おおお! 知りたい事柄がページに浮かんでくる! そうか、これが「アートウィキ」の情報量が一冊の本で納まる仕組みか! 素晴らしい……素晴らしいぞ、これは……!」


 目を爛々とギラつかせ、ブツブツと独り言を呟きながらひたすらにページをめくっていくエルゥ。


「おい、言い忘れたけど、あと三十分ぐらいだからな、ここにいられるの。仕事があるからさ。サボると家のメイドが怖えんだよ……」


 例によってユミエルから与えられた仕事だ。サボると罰が怖い。


「おい、聞いてるのか?」


「聞いてるよ……おお、これは!」


「ならいいけどさ……」


 本から少しも顔をあげずに答えるエルゥの様子に一抹の不安を感じながらも、時間まではさせたいようにさせることにした。




「いーやーだー! もっと読みたい! もっと読ーみーたーいー!!」


「無茶言うなよ……俺にも日雇いの仕事があるんだ。さっき言ったろ?」


「聞いてない! そんなことは聞いてなーいー!」


 あれから三十分が経ち、貴大が「そろそろ帰るよ」と告げて「@wiki」を返してもらおうとしたら、エルゥは本を抱きかかえてゴロゴロと床に駄々っ子のように転がって渡すまいと必死の抵抗を見せた。


 まさか、二十七歳の年上の女性がこのような痴態を見せるとは……これには、貴大もすっかり参ってしまう。悪い意味で。


「だったら、「アートウィキ」置いてってよー! あとで取りに来たらいいでしょー! うわーん!」


「うわーん、て……そうしてもいいけど、俺がその本から離れ過ぎると、それ、消えちゃうよ?」


「えっ!?」


「システム的な問題……って言ってもわからんか。そのだな……その本はオレと一体化しているから、離れ過ぎるとオレの手元に戻ってくるようにできているんだ」


「そんな……!?」


 アイテム欄の貴重品は、なくしても自動的にアイテム欄に戻るようにできている。距離が離れたら戻ってくるのも、その一環だ。なぜ異世界でもそうなのか、難しいことは貴大にも分からないが。


「さっ、これで諦めがついたろう? それを返すんだ。でなきゃ帰るぞ」


「やだーーーーー!!」


 本を抱えたまま、体で扉の前に立って通せんぼをするエルゥ。完全に幼児退行を起こした彼女は、涙目で貴大を睨みつける。泣きたいのは貴大だ。


「はあ……どうすりゃいいんだ、これ……?」


 いよいよ【スリープ】で強引に眠らせてやろうかと思い始めたところで、エルゥに変化が訪れた。


「うぐぐ……はっ!?」


 何かに閃いたようで、ポンと手を打つエルゥ。


 その目に知性が戻ってくる。


 そして、いかにも名案を思いつきました、という顔で口を開いた。


「ならこうしよう。明日から、君を助手として雇おう。そうすれば、仕事をしていると言い分が立って、堂々とここで昼寝ができるのではないかね? 私はその間、君から「アートウィキ」を読ませてもらう」


 エルゥの言葉により、天啓を受けたかのようにピシリと硬直する貴大。


「お、おおお……!?」


「どうだい、誰も困らないこのプラン……受けて、もらえるだろうね?」


 ニヤリとほくそ笑み、貴大の後ろに回って「ぽん」と肩に手を置くエルゥ。


 貴大は、その手に手を重ね、ものっそい笑顔で振り返って言った。


「ああ! 俺を雇ってくれ!!」


 重ねた手を握手に変え、がっしりと握り合う二人。その顔には、種類は違えど欲に彩られた笑顔が張り付いている。


「賢明な判断だ。感謝する……くっくっくっ……!」


「こちらこそありがとよ……ははははは……!」


 光ささない図書館の深部で、それより暗い笑い声が二人分響いていた……。




 ちょうど【サイレンス】が解け、どこをどう響いたのか……立入禁止区画の付近でそれを耳にした新人司書・セリエが、「ひっ!? お、お化け……!」と腰を抜かしていたのはまた別の話。







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