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暗中模索の上流階級ズ

ローグライクをクリアするために必要なのは?


今回は、そんなお話です。

 貴大の入れ知恵によって生まれた新型迷宮は、絶対的な法則に支配されていた。


 人と魔物が交互に動く。歩いているうちに傷が塞がる。動くほどに異様な早さで飢える。死ねば得たもの全てを失って、振り出しに戻る。


 この異質な法則からは、誰も逃れられない。頭では分かっていても、魔物より速く動くことができない。まるで順番が決められているかのように、人、魔物、人、魔物の二拍子が続く迷宮で――それでも、学生たちは善戦を見せていた。


(パンと魔法の杖、そしてスペルスクロール。これら三つの消耗品を手に、変則型ランダム・ダンジョンを攻略する、か)


 トレードマークのとんがり帽子を失い、濃い茶色の髪を露わにした少女は、落下地点から一歩も動かずに沈思黙考していた。


(怪我や空腹によって力尽きたら、この場所に戻される――いや、リセットされる? レベルも空腹感も所持品も、落下した時の状態になる。うん、やっぱりリセットだ)


 三つ編みにした髪の毛先を弄りながら、黒縁眼鏡の少女――カミーラは、深く、深く考える。


(迷宮自体は、ランダム・ダンジョンと同じ。同じ階でも、訪れる度に間取りが変わる。魔物の配置も、入手できるアイテムも変わる。でも、共通点はそこだけ)


 ちらりと目を上げるカミーラ。宝箱に収められているのではなく、床に落ちているアイテム。呼吸をするばかりで一歩も動かない魔物。そして、部屋の外へと続く、暗闇を湛えた通路。


 どれも彼女が知る迷宮にはなかったものだ。どれも彼女の記憶にはないものだ。


 だから彼女は、既存の知識を捨て――何度かの挑戦で得られた情報から考察する。


 この迷宮の仕組みを。この迷宮の攻略法を。最適な動きを、アイテムの活用法を、魔物の倒し方を、罠のメリット、デメリットを。


 カミーラは視線を落として、ただただ考える。


「おっ、カミーラか」


「きゃああああああっ!?」


 そして、跳ねた。


「せ、せ、せっ、せんせえ!?」


 全身を硬直させて、闖入者を凝視するカミーラ。小心者の彼女は、誰が声をかけたのかが分かっても、すぐには落ちつくことができない。


 眼鏡をずらし、髪の毛を逆立てたまま、若き魔女は引きつった声を漏らすだけ。その姿を見た人物――貴大は、苦笑しながら頬をかいた。


「相変わらずビビリだな。そんなんじゃ、迷宮をクリアできねーぞ」


「は、はい、すみません……」


 バクバクと脈打つ胸を押さえ、縮こまるカミーラ。


「まあ、お前のことだから、迷宮の分析でもしてたんだろ」


「はい、そ、そうなんです。何度か挑んで、それで、考えっ、攻略法をですね」


 彼女の臆病さにも、口下手なところにも慣れたもので、貴大は苦笑しながら教え子の話を聞く。


「その、ですね。基本的な法則は理解して、後は実践かな、と考えていまして」


「へー、一時間ぐらいしか経ってないのに、ルールを把握したのか。流石に優秀だな。この分じゃ、俺のアドバイスとか必要なさそうだな」


「い、いえっ! まだ分からないことがたくさんありますので、是非、ご教授ください!」


「おっ? そ、そうか?」


 人に教えられるよりも、自ら考え、答えを掴み取ることをよしとする少女。貴大は、カミーラをそのように評していた。


 しかし、実際のカミーラは『考えること』自体が好きな少女であり、考察の材料となる情報、知識の蒐集家でもあった。


 たとえ貴大が出口までの道のりを教えたとしても、彼女はそれを基準に、この迷宮について考えるだろう。カミーラとは、そのような人物だった。


「じゃあ、教えるが……今回のような形式の迷宮は、『ローグライク』って言ってな。体よりも頭を使うものなんだ」


「ろーぐ、らいく」


 聞き慣れない言葉も、噛み砕いて呑み込もうとする姿勢。ある種貪欲なカミーラの一面を見て、貴大は自分が表面的な部分しか見ていなかったことに気がついた。


 半年という短い期間で読み取れるものは少ない。付き合いの長いフランソワでさえ、貴大は未だに多くのことを知らない。


 学生たちと会うたびに、新たな発見や驚きがある。これが教師のやりがいに繋がるのかもなと、貴大はそう思った。


「ローグライクにおいて、俺たちはかなり不自由な思いをする。速さで敵を翻弄できないし、強力なスキルをバンバン使うこともできない。いやらしいところに罠はしかけてあるし、ジョブによってはマゾゲー化……じゃねえわ、難易度が増す」


「やっぱり、ジョブによる違いはあるんですね!」


「ああ、違うぞ。種族によってもボーナスやステータスに違いが出るが……まあ、俺たちは全員ヒト種だからここでは割愛だ。とりあえず、ジョブの説明だけするわ」


「はい」


 説明をする。そう言った貴大は、何を思ったか懐からナイフを取り出して、部屋の中にいた魔物に投擲した。その行動だけで、カミーラは多くのことを理解することができた。


「先生は斥候職ですよね? だから振り出しに戻っても、ナイフを持っている」


「そうだ。お前は魔術師だから、スクロールとか持ってるだろ? こんな風に、ジョブによって所持品や得手、不得手が変わってくるんだよ」


 そう言って、またもナイフを取り出し、小器用にクルクルと回してみせる貴大。その姿を見て、カミーラはにこりと微笑んだ。


「さて、話を戻すか。あー、と、不自由のことだったな。うん。ルールに縛られて不自由。ジョブに縛られて不自由。俺たちにあるのは、行動選択の自由だけ。まあ、要するに、これがローグライクってやつだ」


 ナイフを懐にしまって、視線を横に向ける貴大。その先には、胸にナイフが突き刺さり、それでもその場から動かない魔物がいた。


 魔物は、残る人間が――カミーラが動かなければ、いくらあがこうが一歩も前に進めない。逆に、カミーラが動いてしまえば、魔物の一動作を止める術はない。


 Aが動かなければBが動けない。Bが動かなければCが動けない。Cが動かなければAが動けない。順番を強制された迷宮は、貴大の言う通り、自由とは無縁の場所だった。


「――でも、チェスみたいで面白いですね」


「まあ、そうだな」


 縛鎖にも似た、ローグライクの法則。それをボードゲームに例え、カミーラはやる気を燃え上がらせた。


「実は私、チェス、得意なんです」


「そうなのか? まあ、言われてみりゃあ、いかにも強そうだな」


 ふんすと鼻息を荒げて、自負心をのぞかせるカミーラ。珍しくも自信に満ちた彼女の姿に、貴大は軽く笑って片手を上げた。


「じゃあ、俺はそろそろ行くわ。ローグライクは運も絡んでくるから大変だと思うけど、まあ、頑張ってくれ」


「あっ、はい! ご指導、ありがとうございました」


 ぴょこんと弾むように頭を下げるカーミラ。一歩踏み込む魔物。再度突き刺さるナイフ。消滅する魔物。また頭を下げるカーミラ。一歩遠ざかる貴大。ペコペコと頭を下げるカーミラ。また一歩進む貴大。


 まさしくチェスのように、一手ずつ動く貴大とカーミラ。


(やっぱり、ローグライクは単独行動に限るな)


 こっそりとそんなことを考えながら、貴大は一人、階下に向かった。






 大国バルトロアが鉄の国と称されているのは何故か。


 質の良い鉄鉱石が産出されるから? 鋼のごとき精強な騎士団を抱えているから? 音に聞こえし『鉄のカウフマン』の出身国だから? そのどれもが正しく、どれもが誤りだ。


 確かに、鉄の剣も、くろがね騎士団も、最強騎士カウフマンも、軍事大国バルトロアには欠かせないものだ。しかし、それだけでは鉄の国と呼ばれる理由にならない。


 国とは、土地ではない。制度でもなく、個人でもない。国とは、人だ。特定の共同体に属する人々が、国を形成する。たとえわずかな土地しかなくとも、そこに寄り添い、集う人々がいるならば、それは立派な国となる。


 だからこそ、バルトロアが鉄の国と呼ばれるのならば――鉄とは、バルトロア人のことなのだ。


 合理的な思考を持ち、効率を重視して動く。規律を守り、集団においては個人の我を殺す。


 まさしく、鉄の如き気質を持つ民族。彼らが住む国だからこそ、人はバルトロアを鉄の国と呼ぶ。


(浅い階層ではアイテムは温存する。体力に余裕があっても魔物は一体ずつ倒す。部屋には慎重に入る)


 国とは、領土ではなく人を指す。この観点から考えると、ドロテアは模範的なバルトロアの人間と言えた。


 慣れないローグライク迷宮においても、焦らず、騒がず、坦々と動く。無駄な動作を排し、極めて合理的に迷宮を踏破していく。


 まるで機械のように効率的に動くドロテア。彼女こそ、鉄の国の王族と呼ぶに相応しい少女だった。


(数を相手にするのではなく、強力な魔物を仕留めてレベルを上げる。飛び道具を持つ魔物には蛇行して接近する。モンスターハウスは苦難ではなく好機と考える)


 家庭教育から教わった戦術。指導騎士から叩き込まれた身のこなし。そして、バルトロアにおいて育まれた鉄の気質。


 どれもが彼女に味方し、彼女を迷宮最下層へと導こうとしていた。母国の教えは、異国においても彼女を助けていた。


 それら全てに感謝を捧げつつ、ドロテアは坦々と迷宮を突き進んでいた――のだが。


(……戦術も戦法も戦略も、食糧がなければ機能しない)


 お腹を抱えてよろよろと歩く銀髪の少女。彼女は、迷宮攻略に必要な全てを持っていた。およそ考えられる最善の手を選び出していた。


 しかし、勝負は時の運と言うように、手を尽くしても敗走するのが戦いというもの。ここ、ローグライク迷宮においても、運に見放された者は死を待つ他ない。


 ドロテアもまた、運悪く食糧を見つけ出すことができず、今にも餓死しようとしていた。


 捩じ切れそうな空きっ腹に、整った顔を歪める王女。それでも彼女は、一歩、また一歩と前に進んでいく。


 何もせずに敗北を選ぶことを、バルトロア人は是としない。民族の矜持を汚さないため、ドロテアは下の階を目指す。


 わずかな可能性があるのならば、そこに賭ける。若き王女は、きゅるきゅると切なく腹の虫を鳴らし、階段を下りる。


 新しい階層には、新しいアイテムがある。そこに可能性を見出したドロテアは、やっとの思いで階段を下り切り――。


「げーふ。満腹度を上げるのも楽じゃねえな」


 悪魔と、出会った。


「だいたい、パンだけとかあり得ねえよな。おにぎりならまだしも、単品で食うようなもんじゃねえよ」


 壁際に座り込んで、もそもそとパンを頬張る黒髪の青年。ドロテアが心の底から願った食糧を、パンくずを散らしながら作業的に口に押し込む男。


 その姿は、ドロテアにとっては悪魔に等しいものだった。


「ん? 次のパンが取り出せん……ああ、ドロテアが来たからか。どうした? そんな顔して」


 軽く笑って手を上げる貴大。その余裕が憎らしいとばかりにドロテアは顔を背け、部屋から出て行こうとする。


 だが、その歩みの遅さが気にかかったのだろう。貴大は王女の後をついて歩き、質問をぶつけた。


「何だ、腹が減ってんのか?」


「……いいえ」


 これが他の相手であれば、助力を請うていただろう。しかし、貴大に対して特別な感情を抱いているドロテアは、そうすることができなかった。


 恐怖。絶望。焦り。怒り。嘆き。悲しみ。ドロテアの心の奥で渦巻く負の感情。


 恨みを抱く相手に、頭を下げることができようか。幼い自分を怖がらせ、失禁させた相手に、頼ることなどできようか。


 できない。それだけはできない。たとえ合理的ではないと責められようとも、尊厳を失うことはできない。幼女趣味の変態に屈することだけはできない。


 そもそも、バルトロアの王宮に忍び込めるほどの手練れが、何故、イースィンドで講師をしているのかも掴めていないのだ。得体の知れない相手に恩を作ることは、いずれ身の破滅を招くかもしれない。


 そう判断したからこそ、ドロテアは餓死への道を選んだ。深い階層まで下りたにも関わらず、力尽き、スタート地点へ戻ることを選んだ。


 しかし――。


「むぐっ!?」


 突如として、ドロテアの口にパンが飛び込んできた。


 慌てて吐き出そうとするも、彼女の口は自動的に動き、大きなパンをもりもりと平らげていく。そして、一分もかからずにパンはドロテアの胃袋に収まり、彼女の空腹感はすっかり消え去っていた。


「ははは、驚いたか」


「な、何を……!?」


 笑う貴大と、戸惑いに目を見開くドロテア。悪魔と恐れた男からの施しに、ドロテアの心は後悔に染まっていく。


 しかし、貴大は気にするなとばかりに飄々とした態度を見せ、手をひらひらと振る。


「まあ、気にすんな。『変化の袋』でパンがやたら手に入ったから、おすそわけだ」


「え……?」


 おすそわけ。つまりは善意。悪魔の口から出たとは思えない言葉に、混乱するドロテア。


「あの王子もそうだから、王族が平民に助けてもらうのは嫌だってのは分かるけどさ。一応、俺は先生なんだから、頼ってくれてもいいんだぞ」


「え、あ……」


 どもるドロテアをどう解釈したのか、貴大は軽く息を吐いて、踵を返した。


「まあ、考えといてくれ。じゃあ、迷宮攻略、頑張ってな……っとと、動けんから足踏みだけはしといてくれ」


 そう言って、貴大は去っていった。


 後に残されたのは、言われるがままにその場で足踏みをするドロテアと、大きな謎。


 何故、悪魔はドロテアを助けたのか? 懐柔? 籠絡? それにしては回りくどく、中途半端なやり口だ。


 悪魔は何が目的なのか? 『いい教師』を演じて、王侯貴族とコネクションを作ること? それにしてはその先の展開が見えない。


 豪商の買収を跳ね除け、社交界へ足を伸ばさず、サロンにも顔を出さない。大貴族の誘いすら断って、何でも屋として、日々、労働に勤しんでいる。


 それが、ドロテアが調べたタカヒロ・サヤマという人物だ。遠い異国から来ただけの、何の変哲もない人間。それが、貴大に対するドロテアの評価だ。


 カルト集団や地下組織との繋がりもなく、犯罪に手を染めた形跡もない。経歴だけならば、彼は善良な一市民と言えるだろう。


 それが逆におかしいのだ。王宮の最奥に忍び込んだ賊が、善良な一市民? 彼が偽りの仮面を被っていないと、誰が言えるというのか。


 少なくとも、自分は言えない。彼を普通の人間だと断ずることはできない。ドロテアは、そう考えていたのだが――。


 半年間、何の手がかりも掴めなかったこと。そして、今のように、学生たちをさりげなく手助けする姿を見てきたこと。それが、ドロテアの心を揺らしていた。


「タカヒロ・サヤマ……貴方は、何なの……?」


 呆けたように呟いた言葉。それが、彼女が抱えた新たな疑問だった。







 ローグライク迷宮に貴大らが落とされてから、早くも半日が経過し――今ここに、一つの決着がつこうとしていた。


「くっ……やはりBOSSは、一味違いますわね」


 右手に剣を、左手に盾を持つ碧眼の少女。縦に巻いた金髪が特徴的な大貴族の娘、フランソワ・ド・フェルディナンは、学園迷宮最下層にて窮地に立たされていた。


「二回行動に、高い攻撃力、防御力。直線上に並べば炎のブレスを吐き出し、攻撃魔法以外は反射する。BOSSの名に恥じない魔物ですわね……」


 地下三十階、BOSSの間。そこは慣れ親しんだ小部屋ではなく、不気味な地下神殿へと変貌を遂げていた。


 崩落に巻き込まれたかのように、半ば岩に埋もれた石造りの神殿。ヒカリゴケに薄ぼんやりと照らされた大空洞には、天井を失った神殿の石柱が乱立している。


 そこで待ち構えていたのが、今、フランソワと対峙している魔物――ローグライク迷宮のBOSS、ルインズ・ドラゴンだった。


 砂色の鱗をまとった古竜は見るからに強力で、フランソワは細心の注意を払ってBOSSの討伐にかかった。その結果――あっという間に、体力の半分以上を失った。


 爪で裂かれ、炎に焼かれ、毒の魔法を跳ね返されて。そして、尾の一撃で壁に叩きつけられ、フランソワは血を吐いた。


 ――強い。これまでの魔物とは比較にならない。


 動きの速さが違う。一撃の重さが違う。剣から伝わる感触が違う。手札の数が違う。


 フランソワは動きを止め、この強敵について考えを巡らせる。どうすれば倒すことができるのか――いや、そもそも、奴を前にして、何ターン保つのか。


 彼女には、冷静な判断力があった。運にも恵まれ、装備やアイテムを揃えることもできた。しかし、この古竜を前にして、それが何の役に立つのか。


 敗北の予感が、フランソワの脳裏をよぎった。


 ――その時。


「むぐっ!?」


 突如として飛来した草が、フランソワの口内に入り込んできた。


 そのままするりとのどを下っていく細長い草。食道を撫でられたような感触に、フランソワは思わずえづきそうになった。


 だが――気がつくと、気分が悪くなるどころか、彼女の体には活力が満ちていた。熱を持ったように疼く傷が塞がり、鋭い痛みも消えている。


(これは……薬草?)


 飲み下すことにより、怪我を癒し、血を作る。それは確かに、薬草が持つ力だった。


 しかし、その薬草が、どこから飛んできたというのか。フランソワが顔を上げると――そこには、一人の男が立っていた。


「よお、フランソワ」


「先生っ!」


 ひょろりとした体の臨時講師。二年S組の実習担当。そして、フランソワが頼りとする青年。佐山貴大が、BOSSの間に辿りついていた。


「あー、こいつがBOSSか……いかにもだな。まあ、さっさと倒す……っとと。もしかして、俺、邪魔しちまったか?」


「いいえ、そのようなことはありませんわ」


 口ではそう言うものの、フランソワの中では、『単独踏破』という目標は確かに存在していた。


 しかし、敬愛する恩師に危機を救われたこと。彼と同じ戦場に立っていること。これまでになかった状況が、フランソワを高揚させていた。


 それこそ、小さな拘りが気にならなくなるほどに。挫けそうだった彼女の心は、今、大きく燃え上がろうとしていた。


「もう時間も時間だからさ。さっさと倒して上がろうぜ」


「はい、先生」


 強大な敵を前に余裕を見せる貴大に、いつも以上の頼もしさを感じるフランソワ。


 強さを至上とするイースィンド人は、心のどこかで庇護を求めている。強者となるよりも、強者に護られることを望んでいる。だから強さを信奉するのだ。


 とあるダンスパーティーで聞いた学者の話が、フランソワの頭の隅をよぎった。


(あの時は、内心、心理学など的外れなことばかりだと馬鹿にしていましたが……案外、正しいのかもしれませんわね)


 世の中には、寄りかかりたくなる人間がいる。そっと体を預けたくなる人間がいる。


 フランソワにとってのそれは、護国の英雄、黒騎士であり――今まさに、自分に大きな背を向けて、竜と対峙している貴大だ。


 自らの胸の高鳴りを確かに感じ、フランソワは剣を構える。そして、頼もしい男と共に、強大な敵へと立ち向かう。


「じゃあ、行くぞ。準備はいいか?」


「はい!」


 こうして、フランソワは貴大と共に新型学園迷宮を制し、見事、地上への帰還を果たした。








「む、難しかったですけど、楽しかったですね」


「ええ、そうですわね」


 貴大、フランソワのペアに一時間、二時間ほど遅れ、ドロテア、カミーラが学園迷宮入口の間へと戻ってきた。


 彼らは、入口脇のベンチに座り、ローグライクの攻略法や、訓練としての利点について語っていた。


「思考力は、間違いなく鍛えられますよね」


「制覇までの時間を競うのも面白そうですわね」


「詰めチェスみたいに、問題集を作ることもできるぞ」


「それはいいですね! ね、ドロテア様?」


「えっ? え、ええ、そうね」


 特殊な仕様の迷宮に、特にカミーラが興奮を隠せず、熱くローグライクの可能性について語る。


 フランソワがそこに意見を投じ、貴大は元の世界の知識からアドバイスを送る。この議論に参加していないのは、敗北感から部屋の隅で膝を抱えて丸くなっている初代学園長と、全く別のことを考えているドロテアだけだった。


(この男の真意は一体……)


 締りのない貴大の横顔を見つめ、考え事に耽るドロテア。


 佐山貴大という男を考えれば考えるほどに、謎は大きく膨らんでいく。一体、彼はどこから来て、何をしようというのか。どうして自分を失禁させたのか。それが趣味なのか。それともライフワークなのか。


 答えが得られず空回りばかりする思考。その空転を止めるかのように、学園迷宮入口の間に大きな声が響き渡った。


「はーはははっ! やった! やったぞ! 僕はBOSSを倒したぞっ!!」


 貴大らに背を向ける形で高笑いをしていたのは、鋼の剣を高らかに掲げるフォルカだった。


「ふふふ、どうやら僕が真っ先に制覇したようだね。ふふふふふ……見たか、平民め。僕の人としての力を」


 優越感に満ちた笑顔で腕を組むフォルカ。彼は、余韻を噛みしめるかのように、ゆっくりと振り返って――。


「あの……王子?」


 かわいそうな子を見るような目をした、貴大らの存在に気がついた。


「ばっ……馬鹿な……っ!?」


 愕然として、剣と盾をガランと床に落とすフォルカ。


 勝ち誇ってから、思い知らされる敗北。まるで喜劇のような展開に、カミーラは見ていられないとばかりに視線を逸らした。


 それが引き金となったのか、フォルカはわなわなと体を震わせ――。


「お、覚えていろよ、平民! 次は僕の本気を見せてやるっ!!」


 小悪党のような捨て台詞を吐いて、走り去ってしまった。


 しんと静まり返る学園迷宮入口の間。


「……多少たくましくなったところで、フォルカはやっぱりフォルカだな……」


「こ、今後の成長にご期待ください……」


 まるで我がことのように恥じ入るフランソワ。その隣では、カミーラも居心地悪そうにもじもじとしていた。


「それでは、私も失礼します」


「お、おお。お疲れ」


 いつまでも妙な雰囲気に浸ってはいられないとばかりに、ドロテアはベンチから立ち上がり、去っていった。


「俺たちも帰るか」


「ええ、そうですわね」


 彼女を見習い、貴大は少女たちを促して迷宮の外へと出ていく。


「うげっ、もう夜か」


 彼らを待っていたのは、目にも眩しい真夏の太陽――ではなく、薄暗く染まった夏の空だった。


 まだ夜の帳が下りてはおらず、白亜の校舎や鐘楼の黄金鐘も目に眩しい。それでも、時刻は十九時を回っており、精力的に活動していた運動部の姿もグラウンドから消えていた。


 補習とは名ばかりの、一日がかりの実技指導。そこにローグライク迷宮の攻略も加わったことにより、貴大はすっかり参ってしまっていた。


「ほんとに疲れたわ……今日はさっさと寝て、週末はゆっくり過ごそ」


 猫背気味な背中をますます丸め、貴大はネクタイを緩めながら歩く。


「そ、そうですね。私も、今日は疲れました。」


 彼の左側を歩くカミーラが、同意の声を上げる。


 インドア派の二人は、顔に言葉通りの疲労を浮かべ、のっそりとした足取りで正門へと向かう。


「そうですわね。疲れを引きずっていては、週末の大会に差し支えますものね」


 その点、フランソワは流石の大貴族と言えた。二人と同じように疲れているはずなのに、凛とした面持ちと佇まいを崩さないのは、ひとえに意思の強さによるものだろう。


 まるで貴族の見本だとばかりに悠然とした姿は、貴族嫌いな貴大をして感心させた。


「ん? 週末の大会って何だ?」


 フランソワに見とれたのも一瞬のこと。貴大は、彼女が発した一言の方が気になった。


「嫌ですわ、先生ったら。この時期に大会と言えば、ストルズ王国の闘技大会の他にありませんわ」


「ああ、あったな、そんなの」


 貴大の脳裏に、かつての光景が甦る。


 中天で燦々と輝く太陽。果てしなく広がる大平原。街道を行く人々に、運河から連なる馬車の群れ。石造りの街には荒くれどもが闊歩し、至る所に鍛冶屋が点在していた。


 その中でも特に印象に残っているのが、王都の中央で圧倒的な存在感を示していた闘技場コロッセオだ。


 そこで毎年八月に開催される闘技大会。かつて友人たちも参加した伝統ある大会に、貴大は懐かしさを感じていた。


「三年前に行ったきりだけど、あれは面白かったわ。観ていて飽きんかった」


 過去の思い出を反芻する貴大。しかし、彼の言葉に、二人の少女は目を丸くした。


「え? 先生、参加しないのですか?」


「は? めんどくせえだろ。勝っても賞金が出ねえしさ」


 信じられないとばかりに問いかけるカミーラに、不思議そうな声で返す貴大。彼の言葉を聞いて、フランソワはあからさまに眉尻を下げた。


「先生ならば、参加するものとばかり……先生の雄姿が見られると、期待に胸を高鳴らせていたのですが」


「うへっ、勘弁してくれ。ストルズくんだりまで行くのも面倒なのに、筋肉ダルマ相手に肉弾戦を挑むとか……最早罰ゲームだろ」


 縋るように距離を詰める少女たちを、手で払うように遠ざける貴大。


 それでも彼女たちは諦めず、何とか貴大を説得しようと食い下がる。


「送迎なら、フェルディナン家にお任せください。イースィンドの技術の粋を集めた竜籠で、快適な空の旅を約束しますわ」


「お前ん家の乗り物は、何故か親父さんがついてくるから嫌だ……あの人怖えよ」


「せ、先生。賞金は出ませんが、賞品は出ますよ。どの階級でも、珍しい品が手に入ります」


「珍しいってか、遺跡から発掘された用途不明のゴミじゃねえか。置物にもならんわ」


 主賓待遇で迎えるというフランソワの誘いも、カミーラが差し出す賞品リストも押しのけて、貴大は家路を急ごうとして――。


 急に立ち止まり、カミーラがしまいかけていた羊皮紙をひったくった。


「きゃっ! ……せ、先生?」


 勢いに押され、尻もちをつくカミーラ。だが、彼女を助け起こすこともせず、貴大は羊皮紙を広げる。


「おいおいおい……やべえだろ、これ……!?」


 食い入るようにして賞品リストの一点を見つめる貴大。


 彼の頬を、一筋の汗が伝っていた。



あれ? 貴大が教師っぽい……?


でも、読み返してみたら、少女の口に無理矢理パンや草を詰め込む蛮行が目立っていましたね。


どう考えても変態教師です。本当にありがとうございました。

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