挿絵表示切替ボタン
▼配色







▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる
フリーライフ ~異世界何でも屋奮闘記~ 作者:気がつけば毛玉

サイドストーリーズ5

しおりの位置情報を変更しました
エラーが発生しました

ブックマークしました。

設定

更新通知 0/400

設定を保存しました
エラーが発生しました

カテゴリ

ブックマークへ

以下のブックマークを解除します。
よろしければ[解除]を押してください。

ブックマークを解除しました。

184/313

見守る老犬

 寒かった。あの冬の日は、体の芯から凍えそうなほどに寒かった。

 暖をとりたかった。それが叶わないのなら、せめて日光を浴びたかった。

 しかし、あの日は雪が降り出しそうな曇天で、温もりなどどこにもなかった。

 寒い。寒い。お腹が空いた。寒い。足の裏が痛い。寒い。お腹が空いた。寒い。寒い。寒い――。

 寒さと空腹から、刺すような痛みが内外から走る。目と鼻が乾き、世界が霞んで見えはじめる。辛くて、辛くて、胸の中から何かがこみ上げてくる。

 それでも、私は歩き続けた。上級区に背を向けて、ひたすら街を歩き続けた。

 だって、もう痛い思いをするのは嫌だったから。ぶったり、蹴られたりするのは嫌だったから。だから私は、商人の一家の隙をつき、一目散に逃げ出した。

 当てなんてどこにもなかった。上級区からは出たこともなかった。でも、あそこにはもういたくなかった。

 だから、私は流れに流れて――とうとう、下級区のスラムに踏み込んでしまった。

 人も、犬も、誰もが痩せ細って、そのくせ、誰もがギラついた目をしていた。それが、恐ろしくて、私は必死に逃げ惑った。

 私へと伸ばされる手が何を意味するのか。本能的に悟っていた私は、彼らにも捕まらないよう、人目を忍んでさ迷い続けた。

 だけど、商人の家から逃げ出して、三日目。私は寒さと空腹に耐えきれず、いよいよ死を覚悟した。

 下手な育ちのよさから、残飯に口をつけて、お腹を壊していたのもある。しかし、それ以上に、私の心が憔悴しきっていて、体にまとわりつく死の気配を振り払えずにいた。

 いや、むしろ、私は死を望んでいた。生きていてもいいことはないと、死を甘受しようとしていた。

 これで楽になれる。痛いのからも、苦しいのからも、解き放たれる。たった二年しか生きてはいなかったけれど、私はもう生きていたくはなかった。

 でも、やっぱり死ぬのは怖くて――だから、最後は神さまに見守られながら、眠るように死のうと思った。

 ふらつく足で、十字架を探した。神さまの家を探し、せめてその御元で召されようとした。

 ほどなくして、私は小さな教会を見つけた。孤児院が併設されている、本当に小さな教会。上級区の大聖堂とは比べることもできないけれど、夜闇に浮かびあがる壁の白さは、神の神聖さを感じさせた。

 ここだ。ここで、楽になろう。あの十字架の下で、ゆっくりとまぶたを下ろそう。私は、生まれて初めて幸せを感じながら、自らの死へ向けて、歩を進めていった。

 ――その時、ふいに泣き声が聞こえた。

「ああー、あぅー!」

 見れば、教会の扉の前に置かれたバスケットが小さく揺れていた。

 思わず、自分の死すら忘れて、私はバスケットへと駆け寄った。すると、そこには犬獣人の赤ちゃんがいて――。

「ああー! あああー!」

 毛布に包まれた赤ちゃんは、顔を真っ赤にして泣いていた。

 捨て子なのだろう。『クルミア』と書かれた木札をギュッと抱きしめて、犬獣人の赤ちゃんはひたすら声を上げていた。

 その声を聞いていたら、いたたまれない気持ちになった。生きようと、死にたくないと泣いている赤ちゃんを、助けてあげたくなった。

 先ほどまで死のうとしていた犬が、何を言っているのかと、自分でもそう思った。だけど、その時の私は必死になって、教会のドアを引っかき、孤児院に向かって大きく吠えた。

 このまま放っておけば、夜が明けないうちに、寒さでこの子は死んでしまう。それはよくないことだ。それはいけないことだ。私の本能が、この子を助けろと、死にかけの体を突き動かした。

 その結果、教会から神父さまが姿を見せ、驚いた顔をしながら、赤ちゃんを抱き上げてくださった。

 ああ、これで安心だ。これであの子は助かる。そう思ったら、私の意識が薄れていって――気がつけば、私は地面に倒れていた。

 もう立ち上がれない。それほどまでに衰弱していたことを、私はようやく思い出していた。

 でも、後悔はなかった。最後にいいことができてよかった。とても寒かったけれど、胸の中はぽかぽかと温かかった。

 だから、私はふっと体の力を抜いて、冬空の下、そっとまぶたを閉じた。





「ゴルディー! ゴルディ、オンブー!」

「わん」

「ゴルディ! かけっこしようぜ!」

「わんわん」

 あれから十年。私は、ブライト孤児院で、多くの家族に囲まれて楽しく暮らしている。

 あの時、クルミアを拾ってくださった神父さまが、私の命も救ってくださったのだ。

 暖炉の前でパン粥を与えられ、私はどうにか命を繋いだ。そして、家族として迎え入れられることで、その先の人生も繋いだ。

 おかげで、この十年、命を長らえることができた。貧しい孤児院で、山あり、谷ありの生活だったが、振り返ってみれば楽しい毎日だった。

「あむ、あむ」

 この春から新しく入院した赤ちゃん、ワールムの襟をぱくりとくわえる。この犬獣人の赤ちゃんは、幼い頃のクルミアに似て、随分と元気がいい。

 目を離すと、はいはいしたまま港まで行ってしまいそうだ。だから、路地に出そうになったら、その度に連れ戻している。

「ふふっ、ゴルディ、ありがとうね。ほら、ワールム。あんまりやんちゃしちゃ駄目よ」

「あむー」

 ワールムと同時期に入院した人間の少女、ネネが、赤ちゃんをひょいと抱き上げて、孤児院の大広間へと戻っていった。

 あれぐらいのお世話なら、お安い御用だ。この十年、私は何人ものやんちゃたちの面倒を見てきた。彼らに比べれば、ワールムはまだ可愛い方だ。

 ケビンなんて、四歳で裏庭の木に登って、私の肝を大いに冷やした。今は大人しい熊獣人のベアードなんて、三歳でベビーベッドを破壊した。

「ススメー、ゴルディー!」

 そして、つい先日、五歳の誕生日を迎えたリザード族のお嬢さんは、男顔負けのおてんばぶりで私を乗り回す。

 まあ、元気なのはいいことだ。みんな、みんな、このままたくましく成長していってほしい。

「にゃー」

 小さなリラードを背に乗せたまま、ぐるりと孤児院を一周していると、途中の塀の上から猫の声がした。

 見上げれば、そこには黒猫の少女が、しっぽを揺らしながら立っていた。彼女は猫耳をぴくりぴくりと動かしながら、じっと中級区の方を見つめている。きっと、そちらに例の彼がいるのだろう。

 何だかほほ笑ましい気持ちになって、猫獣人の少女、ニャディアをじっと見つめていると、彼女はぷいっと顔を背けて、塀の向こう側へと消えてしまった。

 機嫌を損ねてしまったのだろうか? ――いや、あれは、照れ隠しのようなものだろう。

 獣人は得てして、元となった動物の習性を残しているもの。犬獣人のクルミアは甘えん坊だし、ウサギ獣人のミミルは臆病で寂しがりだ。

 そして、猫獣人は親しいものに対しても、ツンツンしたところがある。ましてや、ニャディアは多感な年ごろだ。自分の心の機微が悟られるのは、イヤなことなのだろう。

「ゴルディ? ゴルディー」

 ぼうっとしていたら、左の耳をあむあむと甘噛みされた。そういえば、私の背には、トカゲのような女の子が乗っていたのだった。

 うかうかしていると、右の耳や、自慢の鼻もかじられてしまうかもしれない。私は、また、てくてくと孤児院の周りを歩き始めた。

「アリガトー!」

 そのうち、リラードも満足したのか、私の頭をなでなでしてから、子どもたちの輪の中へ突撃していった。ボール遊びでも始めるのだろう。彼らの中心には、藁と布で作ったスイカ大のボールが置かれていた。

 その傍らには、神父さまに代わって、六年前から院長を務めているシスター・ルードスの姿が。彼女に任せておけば安心だろう。そう考えて、私は教会の正面へと回った。

 そして、あの日と同じ十字架がかかった聖堂を見上げる。ここから見える景色は、辛いときも、楽しい時も、いつも変わらない。

 私はしばしの間、すとんと腰を落として教会を見やる。裏庭から聞こえてくる子どもたちの歓声を耳で受け止め、すっかり鼻に馴染んだ香りを感じる。

 この十年、色々なことがあった。楽しいこともあった。辛いことも同じだけ、たくさん。その度に、私たちは笑い、泣いて、怒って、喜んだ。

 出会いもたくさんあった。新たに入院してくる子。大人になって、孤児院を出ていく子。地域の住民や、悪徳管理員。そして――異国の匂いをまとった冒険者。

 いや、今は何でも屋だったか。道に迷った彼を助けたことで縁ができ、ミケロッティの件で繋がりを持てた。

 優しい目をした、タカヒロという青年。人の善悪に敏感なクルミアが、一目で懐いてしまった何でも屋さん。

 背伸びをするように、彼に追いつこうとするクルミアの姿を見守るのが、最近の楽しみだ。そういえば、ニャディアも彼にちょっかいをかけている。彼らの恋路がどうなるのか、私は楽しみでしょうがない。

 願わくば、幸せな結末を迎えますように。悲しむものなどいませんように。

 見上げていた十字架にそう祈って、私は重たい腰を上げた――そう、重たい腰を。

 ここ一年、体が言うことを聞かなくなっている。以前のように走り回ることはもうできない。すんなりと立ち上がることすら、最近は難しくなってきた。

 ――もう、そろそろでしょうか? 私は、もう、限界なのでしょうか?

 私は、神さまに向かってそっと問いかける。しかし、待ってみたところで、答えは返ってこない。

 その沈黙は、まるで神さまが、「わかっているのだろう?」と問いかけてくるよう。

 わかっています。本当は、私は、知っているのです。でも、もう少しだけ、今のままでいさせてください。このまま、子どもたちを見守らせてください。

 私は、懇願のような祈りを捧げる。答えはやはり、返ってこなかった。

次章、さよならゴルディ編。
mbzm5aiw24mozaohw3ghgtmdypi_1dmo_ic_2d_r cont_access.php?citi_cont_id=162018451&s
+注意+
特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。
↑ページトップへ