メリッサ様が見てる
珍しくシリアス展開です。
「【サンクチュアリ】」
街道脇に馬車を止め、焚火を熾してからの、防御結界の発動。薄暗くなってきた夏空が、一瞬だけ、サッと明るくなった。
目には見えないが、確かに『護られている』という安心感があった。これで、メリッサの魔力が尽きるか、結界が破壊されない限りは、俺たちに敵対意思を持った人間は近づくことができなくなる。
カンストレベルのメリッサの結界を破れる奴がいるとは思えない。そんな奴がいるなら、とっくの昔に襲いかかってきているだろう。
と、すると、しばらくはリラックスできるわけだ。毒をぬったナイフを構えた暗殺者に、定期的に襲撃されるというのは、どうにも落ちつかないからな。
俺たちと暗殺者たちとでは、レベル差があり過ぎるため、身の危険はない。たとえ刺されたとしても、虫に食われた程度にしか感じない。とはいえ、殺意をぶつけられるのは、いつまで経っても慣れるもんじゃない。
「ふう、ちょっと疲れたね」
メリッサも同じなようだ。珍しくため息をついた聖女様は、億劫そうに焚火のそばに腰を下ろした。
「タカヒロくんも座って? 結界がもつのは一時間だけだけど、ゆっくりご飯を食べる時間はあるよ。それに……」
一度言葉を区切ったメリッサは、少しだけ笑顔を潜め、
「教会の話をする時間も、あるよ」
と言った。
「教会はね、とっても怖いところなの」
焚火で湯を沸かし、大きめのマグカップに、蜂蜜をたっぷりと溶かした紅茶を入れる。
それに息を吹きかけ、一すすり、二すすりしたところで、メリッサはとつとつと語り始めた。
「表では、神さまの教えを広めたり、怪我や病気の治療をしたり、お腹を空かせている人にパンやスープをあげているけれど……裏では、悪いことをいっぱいしているの」
「悪いこと? たとえばどんな?」
「わたしみたいな、教会に反抗的な要人を殺したりとか。逆に、薬やスキルで操り人形にしちゃうとか。治療スキルは『どこまで治せるのか』を確かめるために、さらってきた人の腕や足をちょん切ったりとか」
「さらう!? おいおい、教会は誘拐にまで手を染めているのかよ」
「うん、そうだよ。知らなかった? 教会は必要だと思ったら人をさらうし、人身売買にも加担しているよ。聖都サーバリオの孤児院のいくつかは、実験用、販売用の子どもたちを育てているぐらいだからね」
「マジかよ……いや、でも、俺も聖都に行ったことあるけど、そんなに暗い雰囲気じゃなかったぜ? 子どもたちはみんな、平和ボケしたみたいに笑顔だった」
「それはそうだよ。みんな、自分が実験台にされるとか、豚みたいなおじさん、おばさんに売られるとか、その時が来るまで知らないんだもん。みんな元気で、笑ってたって? 天使みたいだったでしょ? それはね、健康な体の方が実験で長く『保つ』し、純真無垢な方が『ウケる』からだよ」
にこりと笑って、紅茶に口をつけるメリッサ。
対照的に、俺は紅茶なんか飲む余裕はなく、のどの奥にすっぱいものを感じていた。
――聖都で見かけた子どもたち。あいつらの中にも、売られてしまった者がいるのか。
そのことを考えると、どうにも口の中が苦くなってしまう。
「わたしもね、実験用の『素材』として育てられたの。それはもう、大事に大事に育てられたよ? 身寄りのない子どもだったけど、わたしには愛情を注いでくれるシスターがいる。たくさんの家族がいる。そう思って、伸び伸びと大きくなっていったよ。でもね、怖い人たちにわたしを差し出したのはシスターだったんだ」
「それは……」
当事者の言葉には、何よりの説得力がある。そんなに残酷なことを、あの教会がするはずがないだろう。そう言おうとしたけれど、結局、声に出すことはできなかった。
「イースィンドみたいな大国は、『強い者が偉い』って風潮が宗教みたいなものだから、教会も大きなことはできないけれど……でもね、宗教色の強い国家に行けば、『人身御供』や『尊い犠牲』なんて当たり前なんだよ?」
メリッサが、何でもないことのようにさらりと口にする言葉が、妙に痛ましく感じる。
「人工聖女を作る計画では、百人単位で孤児たちが消費されたし……他にも、色んなところで色んな悪いことをしているから、『素材』はいくつあっても足りないんだって。それに、教会は実働部隊も抱えているからね。『兵隊』もたくさん欲しいんだってさ」
「兵隊? 兵隊っていうと、テンプル・ナイトのことか?」
「ううん、違うよ。暗殺とか、諜報、破壊工作専門の兵隊。今、わたしたちを囲んでいるのもそうだし、昼間の村にもいたね」
「は? 【レーダー】には何の反応もなかったぞ」
「当たり前だよ」
くっと、紅茶を飲み干して、聖女は笑って言った。
「相手に殺意がないと、【レーダー】には反応しないでしょ?」
「暗示をかけられて、普段は一般人として生活している兵隊。それを、『草』って言うんだ。この人たちのすごいところは、とにかく、合図があるまで他の人と見分けがつかないこと。ターゲットの近くへ誘導されて、合図一つで暗殺者に早変わり。怖いよ、これは」
パンとチーズをかじり、二杯目の紅茶を飲みながら、メリッサは暗部の兵隊について語る。
「昨日の村にいたのもね、正確には『いるだろうな』ってことなの。教会は活動範囲だけは広いから、どこの村にも一人はいるの」
「マジかよ……じゃあ、あのまま泊まってたら」
「うん。その人に襲われてたね。それで、返り討ちにしたらしたで、今度は怒った村の人たちに囲まれるね。だって、『草』は普段は他の人と変わらないから。『善良な一般市民』を演じるように調整されているから、村や街の人からの信頼は篤いんだ」
「なるほどな。倒したら、『あいつが人を襲うわけがないだろう!』って、容疑を全否定されるのか。たまったもんじゃねえな」
「うん……たまらなかったよ」
ここで初めて、メリッサが笑顔以外の表情を見せた。
悲しむような、嫌がるような、負の感情が複雑にからまった表情で、遠い目をしている。
「もしかして、お前、『草』に襲われたことがあるのか?」
メリッサは、黙ってこくりとうなずいた。
「え? 何でだ? お前、暗部を飛び出してから、ずっとグランフェリアにいただろう? いつ、『草』に襲われるような機会が……もしかして、街の中にいたのか?」
「ううん、違うよ。グランフェリアは本当に教会の影響が薄くて、『草』が活動しにくいんだ。そうじゃなくて、わたしが襲われたのは、もっと前……暗部の手先として、悪いことをたくさんしていた時期なの」
「え……?」
ますますわからない。暗部として働いている奴が、何で暗部の者に狙われるのか。
しかも、相手は貴重な人工聖女だ。カンストレベルの手駒を、わざわざ失うような真似はするはずがないだろう。
「人工でも聖女なんだろう? 大事にされていたんじゃねえのか?」
「ううん、違うよ。わたしに命令を出していた人たちは、わたしを『モノ』のように扱ったし、他の部署の人たちは、妬みからわたしの命を狙ったよ」
「妬み?」
「そう、妬み。人工聖女がいなくなれば、わたしを操っていた人たちの地位が下がる。それだけの理由で、色んな人たちがわたしの命を狙ったんだ」
……そういうことか。
なるほど、確かに妬みだ。他を貶めれば、自分の位置が上がるという考えは、嫉妬以外の何者でもない。
「任務のために街の外に出かけたら、暗殺者に囲まれる。出先の村や町で寝泊まりしたら『草』に襲われる。だから、わたしは野宿の方が好き。魔物や暗殺者が相手の方が、心が痛まないから」
メリッサは、昼間に襲ってきた奴らを殺してはいない。気絶するだけの衝撃を与えて、置き去りにしただけだ。
少々過激に見えるが、下手に手加減をすると、戦いが長引いてしまう。そうしないための、『一撃必倒』なんだろう。
「わたしに、仲間はいなかった。同じレベルの頼れる人はいなかった。勇者は個人を救ってくれない。聖女はいないし、ハイ・エルフは森から出てこない。だから、わたしは【サンクチュアリ】の中で、いつも小さく縮こまっていたんだ」
メリッサは、マグカップを置いて、俺の隣に移動してきた。
そのまま腰を下ろして、俺の腕にもたれかかってくる。
「だから、タカヒロくんを見つけた時は、本当に嬉しかった。同じような境遇の人がいた。わたしにも仲間がいたって、飛び跳ねるぐらい嬉しかったんだよ?」
「でも、それは……」
「うん、勘違いだったね。でも、タカヒロくんに出会えて、よかった。同じレベルの人に会えて、本当によかった」
メリッサの言いたいことはわかる。
俺も、蓮ちゃんや優介がいなくなった時、圧倒的な孤独感を味わっていた。
この世界に、俺は一人だけ。地球から来たのも、カンストレベルに達した『人間』も、俺だけ。
冒険者や騎士でさえ、平均レベルが150というこの世界で、250というレベルは高過ぎた。それこそ、他者と自分の違いを、否応なく意識してしまうほどに。
違う、違う、俺とこの人たちは、根本から何かが違う。出身地の違いと、何よりレベルの違いは、俺の心に孤独を生んだ。
そして、そのまま、俺は腐って消えていくはずだったが――ユミエルのおかげで、何とか一線を越えずに済んだ。
生まれも、人種も、レベルも、全然違うユミエルと『仲間』になることで、俺は居場所を見つけることができたんだ。
よく、「俺一人でも生きていける」という奴がいるが、あれは間違いだ。人間は、孤独には勝てない。いつもどこかで、他者との繋がりを求めてしまう。
だから、俺はユミエルを求めたし、メリッサも「自分とタカヒロは仲間なんだ」と荒唐無稽なことを考えてしまったんだろう。
『同じレベル』。たったそれだけを拠り所に、メリッサは俺を仲間にしようと迫ってきた。心底嬉しそうに。でも、必死になって。
元々、幸せな生活を送っていただけに、孤独には耐えられなかったんだろう。俺もそうだったから、メリッサの気持ちはよくわかった。
「ごめんね。本当は、久しぶりに街の外に出るのが怖かったから、タカヒロくんについてきてもらったの。『お休みをあげる』だなんて嘘吐いてごめんなさい。わたしも悪い子だよね。ごめんなさい……」
ここまで、こいつなりに緊張していたのか、メリッサは俺にもたれかかったまま寝息を立てはじめた。
【サンクチュアリ】の維持で魔力切れを起こしたのもあるのだろう。白桃色の聖女様は、ずるずると俺の太もも辺りに頭をずり下げて、そのまますやすやと安眠に突入した。
「……まあ、今回は許してやるか」
曲がりなりにも聖女様が、俺を頼ってくれるんだ。
事情も聞いてしまったし、メリッサは俺を仲間だと言ってくれた。じゃあ、その期待に応えるためにも、こいつのことは俺が護ってやろうかね。
「ぐぅっ……!」
焚火の灯りも届かない、遠くの闇の中から、小さな呻き声がした。
どうやら、当たりどころが悪かったらしい。今度はうまくやるぞと、俺は音もなく【スリープ・ニードル】を暗闇へと放った。
今度は、うまくいったらしい。続けざまに、俺は二度、三度、眠り針を投擲する。やはり、呻き声や悲鳴は聞こえなかった。
「まあ、こんなもんか」
俺は、メリッサの頭を撫でながら、近づいてくる暗殺者たちに向かって、【スリープ・ニードル】を撃ち込み続けた。
「ひえへへへ! まんまと引っかかりおったわ、このウスノロ聖女が!」
「我ら教会の『草』! 今この瞬間のため、何代にも渡り、ウェース村を開墾してきた者!」
「もはや逃げ場はない。心安らかに、神のみもとへ召されよ!」
「ちょっと何が起きたのかよくわからない」
翌日、次の村に辿りついた俺たちを待っていたのは、巡察のシスターを心待ちにしている村人たち――ではなく、突如として殺意を漲らせ、襲いかかってくる『草』のみなさまだった。
「ウシャー!」
馬車から降りた俺とメリッサを囲み、腰の曲がったじいちゃんばあちゃんが、鎖をぶんぶん振り回している。それどころか、忍者みたいに輪を描いて走り始めた。
ほとんど直角に曲がった体の、下半分だけをもの凄い速さで動かしての高速移動。十○衆走りみたいだが、不気味さではこちらが断然勝っている。
「ふぇっふぇっふぇっ……! 貴様らの命運、今、尽きた!」
しわくちゃのばあちゃんが、ますます顔をくしゃくしゃに歪めて、にんまりと笑う。
――どうしよう、やばい、帰りたい。
昨晩、『メリッサぐらいは俺が護ってやるか』と決めたばかりだけど、猛烈にお家に帰りたくなってきた。
ああ、帰りたい。帰ってユミエルが作ったスープが飲みたい。魚の出汁がきいた、トマトのスープが飲みたい。
でも、帰れない。だって……だってさ!
「もー、いけない信者さんたち。これは『オシオキ』が必要だよね?」
「止めろーっ!? おまっ、そのペンチで何をするつもりだー!?」
「ええ? タカヒロくんは、何もしなくていいよ? すぐに終わるから、ゆっくり休んでいてね」
「すっ、すぐに終わらせちゃいけない! おじいちゃんの腰は、そっちには曲がらない!」
俺が帰ったら、人工聖女を誰が止めるというのか。
戦争にだってルールがあるんだぞ!? おしおきだからといって、老人たちへの虐待を見逃すわけにはいかない! ってか、ここで見逃したら、後味すげえ悪そう!
「あぐあああああー!?」
案の定、一分足らずで教会の『草』たちは全滅させられ、メリッサのおしおきから逃げることもできずにいた。
奴らは、ただただ、這いつくばって蠢くばかりで――。
「ああ、動いちゃ駄目だよ。せっかく用意したお茶碗がずれちゃうよ」
「茶碗を!? 茶碗をそんな風に使うなんて! や、止めたげてぇ!」
ゴツゴツして、堅そうなのを笑顔で構える聖女様。青い顔で逃げ惑う村人たち。そして、メリッサの蛮行を必死で止める俺。
この三つ巴の戦いは、まだまだ終わりそうになかった……。
メリッサ回かと思いきや、チラリと垣間見えるユミエルのろけ話。いやあ、メインヒロインは強敵でしたね、猿渡さん!
次回は学園編(補習)です。お楽しみに!
※下旬まで忙しいので、更新はしばらくお休みします。