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おしおき

 初めのうちは、戦いはドロテア優勢で進んでいた。


「【フローズン・ソーン】!」


「ガ、ア……」


 袋小路に現れた悪魔は、スライムのような性質を持っている。そのことをいち早く看破したドロテアは、氷属性のスキルで粘液のような悪魔の体を凍らせていく。


 どれだけ柔らかくとも、凍結させれば氷のように砕くことができる。


 悪魔の体は、徐々に、徐々に、削られていった。


 もちろん、やられっぱなしというわけではない。体の各部から触手を伸ばし、何とか敵対者を絡めとろうとする。


 しかし、ドロテアは細かにステップを踏み、悪魔の攻撃をかすりもさせない。伸ばした触手も凍らされ、根元からボキリと折られ、粉砕される。


 この勝負は、私の勝ちだ。


 ドロテアは、自らの勝利を疑いもしなかった。


 しかし――――。


「はぁ、はぁ、はぁ……」


 戦いが始まってから、30分が経過した。その間、敵の攻撃を避け、的確な攻撃を加え続けたドロテアは、すっかり息があがってしまっている。


 対照的に、悪魔は、現れた時のままの姿で平然と立っていた。


(おかしい……砕いた体は、魔素の粒子となり、大気に散ったはず……なのに、なぜ……)


 まるで減らない悪魔の触手が、また一本、ドロテア目がけて伸びてくる。


 避ける。凍らせる。砕く。


 すると、また同じ箇所から触手が伸び、ドロテアを捕まえようとする。


(不死身だとでも、いうの……っ!)


 無限に再生する悪魔の触手を斬り捨てながら、ドロテアは焦りを感じていた。


 そして、もう一つ。気になることがあった。


(何故、人が来ないの……?)


 人気が少ないとはいえ、周りは全て民家なのだ。大きな音を立てれば、人が集まってくるはず。


 しかし、袋小路には、未だドロテアと悪魔の姿しかない。表通りからうかがう者もいなかった。


 ドロテアは、焦りを強くしていた。


(スキルは、使ってこない。攻撃も防御も貧弱。でも、何……?)


 この、「詰んだ」という感覚は――――?


 悪魔がまた、触手を伸ばす。


 ここしかないと、思った。


 退く。ここは退くべきだ。ここで退却しなければならない。


 ドロテアは、迫る触手を凍らせて、背後に向かって走り出した。しかし――――。


「っ! な、何っ!?」


 表通りは見えている。魔素灯に照らされた石畳が、確かに見える。しかし、そこにいくことができない。


 袋小路から抜け出そうとすると、途中で柔らかな膜のようなものにぶつかる。見えないが、触れることはできる膜。それがドロテアを押し戻すのだ。


「【アイシクル・エッジ】!」


 ならば切り裂いてしまえと、ドロテアは剣技スキルを発動する。たかが膜ごとき、切り裂けぬはずがないと、冷気をまとったレイピアを振るう。


 だが、鋭く尖った細剣ですら、やんわりと包み込まれ、押し戻される。手ごたえは柔らかだが、見えない膜からは、誰も逃がさないという邪悪な意思を感じた。


「ケ、結界……ダ。逃ガサナイ……獲物ハ、逃ガサナイ……」


 結界。それは、隔離された空間。何物をも通さぬ不破の領域。外からも、内からも、結界は小石一つ、通しはしない。


「ならば、〈断絶の首飾り〉で!」


 結界をスキルの一種ととらえたのだろう。ドロテアは、胸元で揺れていた琥珀の首飾りを、ぎゅうと握り締めた。


 しかし、【スキル無効化】の効果をもつマジックアイテムは、何の反応も示さなかった。


「なっ、何故……!?」


 この結界は、スキルではないのか。何故、〈断絶の首飾り〉で無効化できないのか。ドロテアは、目に見えて焦り始めた。


「ココ、ハ、俺ノ、体ノ中……モウ、オマエハ、逃ゲラレナイ……」


「食ッテヤロウカ、犯シテヤロウカ……」


「苗床ニ、シヨウ。仲間ヲ、増ヤセル」


「ひっ……!?」


 袋小路のすみから。石畳の隙間から。二体、三体と、次々と悪魔が現れる。


 どれも同じ形だ。腰が曲がり、鼻も口もない。真っ黒で、目だけがギラギラと光っている悪魔。


 それが、次々と……袋小路を埋め尽くすほどに、湧いて出てくる。どの悪魔も、血走った目で、ドロテアを見つめている。


「あ、ああ、あ……!」


 レイピアを握った手がガタガタと震え始めた。彼女は悟ったのだ。自分は、蟻の群れに投げこまれた小虫なのだと。自分はこれから、どうなってしまうのかと。


 名誉を取り戻すために悪魔を追った。しかし、逆に、名誉どころか、命や尊厳すら踏みにじられようとしている。


 うかつだった。せめて、バルトロア最強と誉れ高いカウフマンを護衛につけるべきだった。己の痴態を知られたくないからと、影から自分を守っている者を振り切らねばよかった。


 一人でたいていのことはこなせるという実力と自負が、今回は仇となった。


 一歩、後ずさる。背後の膜に、背中が触れる。その柔らかさは、まるで生き物の内臓のようで、ドロテアは巨大な生き物に呑みこまれてしまったかのように感じた。


「くっ……! 【ブリザード】!!」


 己を奮い立たせるかのように、ドロテアは上位スキルを発動する。途端に、袋小路に吹き荒れる猛吹雪。黒い悪魔らはたちまち凍りつき、砕けて消えた。


 しかし、悪魔を構成していた魔素は、見えない膜に残さず吸収された。そして、地面から新たに湧き出る悪魔たち。彼らは、一斉に触手を伸ばし始めた。


「ブ、【ブリザード】!!」


 凍らせる。しかし、悪魔はまた現れる。


 凍らせる。砕けたそばから、新たな触手がドロテアに伸びる。


 凍らせる。ドロテアの目前で、無数の触手が凍りつく。


「フ、【フローズン、くっ、ああっ!?」


 奮戦するも敵わず、ドロテアの体は、遂に悪魔に捕らわれてしまった。彼女の腕に、脚に、無数の触手がからみつく。


「やめっ、んんん!?」


 頼りのレイピアも取り上げられ、口にも触手が突き入れられ、抵抗するための手段の一切をなくしてしまったドロテア。


 彼女は、磔にされた罪人のように両手を広げられ、アパルトメントの外壁に押しつけられた。


「ウマソウ、ダ……」


「肉モ、柔ラカイ……」


 体の各部を、触手が這い回る。その感触に、ドロテアはくぐもった悲鳴を上げた。


 しかし、結界の外には響かない。ドロテアの悲鳴も、悪魔の歓喜の声も、彼らの姿さえも、結界は包み隠してしまう。


 助けは、来ない。それは覆しようのない事実だった。


「んん、んんん~~~~~っ!?」


 悪魔の触手が、遂にドロテアのショーツをとらえた。すると、邪魔な布地だといわんばかりに、細かな触手で脱がしにかかる。


 それが何を意味するのか。わからぬドロテアではなかった。


「んんんんん~~~~~っ!!」


 だが、抵抗しようにも、体はピクリとも動かない。首すら振れず、ただ、なされるがままだ。ドロテアは、今、まさに陵辱されようとしていた。


 後、一分もあれば、そうなっていただろう。ドロテアは、純潔を散らせていたはずだ。


 彼が来なければ。


「アガッ……」


 何体かの悪魔が、突如として爆ぜる。


「オオ、ウ……!」


 連鎖的に、悪魔が爆ぜていく。腕が、首が、胴体が。次々と宙を舞い、魔素の粒子へと散っていった。


 ドロテアの拘束も、その分、緩んでいく。彼女は、自由になった首を動かし、現状の把握に努めようとする。


 何だ? 何が起きている?


 ドロテアが視線をさ迷わせる内に、悪魔はその数を加速度的に減らしていく。最早、十体も残ってはいない。そのことを確認した瞬間にも、ニ、三体、体が爆ぜた。


 一体、何が起きているのだ――――?


 そして、遂には悪魔は一体残らず消え失せた。拘束が解かれたドロテアは地に落ち、突っ伏してげほげほと咳き込んだ。


 すると、スッと差し出される純白のハンカチ。顔を上げれば、そこには甲冑姿の騎士がいた。


 黒い。夜闇に溶け込むほどに、黒い。フルフェイスの兜から、篭手に至るまで、漆黒だ。色だけなら、ドロテアを陵辱しようとした悪魔と大差ない。


 しかし、ドロテアは兜の奥に、優しい目を見た。これは、人間の目だ。悪魔の欲望に満ちた目ではない。善なる者の目だ。


 だからこそ、誰とも知れない騎士が差し出すハンカチを、素直に受け取った。このハンカチは、善意の表れなのだと感じ取ることができた。


 だからこそ、警告もできた。出会ったばかりの騎士の身を案じ、警告を発することができた。


「悪魔は……悪魔は、すぐに復活します!」


 その言葉に騎士が振り向けば、袋小路の奥では、何体もの悪魔が湧き出ていた。


 そうだ。この悪魔は、復活するのだ。倒しても、倒しても、無限に復活する悪魔。助けが来たところで、どうにかなるとは思えなかった。


 だが――――黒い騎士は、気負った様子もなく、腰に佩いた鞘からショートソードを抜き放った。


 そして、悪魔ではなく、自らの頭上を半月状に一閃。返す刀で、悪魔を一太刀で斬り捨てた。


 すると、どうしたことだろう。一分が経ち、二分が経っても、悪魔は現れない。甦ることもなければ、地面から湧き出すこともなかった。


 それでも警戒を怠らないドロテアの肩に手を置き、黒い騎士は言った。


「結界魔は、その名の通り、結界が本体だ。特に上部が弱点で、脆い。そこを破壊したから、もう復活はしない」


 くぐもった声でそうとだけ告げて、黒い騎士は袋小路から去っていった。


 残されたのは、呆気にとられたドロテアと、騎士に渡されたハンカチのみ。


 シルクの布を握りながら、ドロテアは考える。


 あれは噂の黒騎士なのではないかと。どこからともなく現れて、〈カオス・ドラゴン〉に単独立ち向かったという、あの黒騎士なのではと。


 黒い兜に、黒い甲冑。結界を切り裂いたのは、混沌龍の眉間に突き立てたというショートソードか。


 話が一人歩きしているようで、「月のない夜に魔物と闘っている」、「封印された迷宮に挑んでいる」など、眉唾物の噂が幾多もあり、ドロテアは黒騎士の存在など信じてはいなかった。


 しかし、今、見たものは何だ。結界魔なる魔物を、いとも容易く葬り去った者は誰だ。


「F.L……」


 白地のハンカチに、金糸で縫いこまれた「F.L」の文字。


 これは黒騎士のイニシャルだろうか。ドロテアは、半ば無意識に、「F.L」のハンカチを胸にかき抱く。


「黒騎士、様……」


 恐怖でもない。混乱でもない。ドロテアの胸は、正体不明の感情で、静かに高鳴っていた。






「あ~、あちぃ~! ったく、正体隠すのも楽じゃねえなあ」


 悪魔が潜んでいた袋小路から、200mほど離れた場所で。黒騎士は兜を脱いでいた。


「それにしても、結界魔とか、洒落にならんもんが街にいたとか……探索スキルに引っかかったのは、運がよかったからだな」


 兜に続き、甲冑も個人用収納空間へとしまっていく黒騎士。すると、その正体が月明かりに照らされた。


「待って~! 待ってよ、タカヒロく~ん!」


「お~、遅えぞ、メリッサ。もう終わった」


「え~!?」


 額から汗を流し、駆け寄るシスター。そして、呆れた顔で彼女を出迎えたのは、何でも屋の青年、佐山貴大だった。


「早いね~! もう倒しちゃったんだ」


「ああ、女の子が捕まってたから、速攻終わらせた」


「ええっ!? その子、大丈夫だったの?」


「まあ、何かエロい展開になってたけど、ギリギリセーフだったよ」


「さすが、『黒騎士』さんだね?」


「止めろ! 恥ずかしい」


 恥ずかしげに手を振る貴大。ニコニコと笑うメリッサ。彼らは並んで、魔素灯に照らされた住宅街を歩く。


「しかし、『黒騎士』ってのも便利なもんだ。人助けをするときに、面倒なことを考えなくて済む。【ジャミング】でステータスは誤魔化せても、顔は隠しようがないからなあ」


「別に隠さなくていいのに~」


「隠さなきゃ、面倒なことになるの! その点、黒騎士は便利だわ。俺が何かしても、全部黒騎士の手柄になる。後始末に奔走しなくていいってことが、こんなに楽だなんて……」


 がくりと首を前に傾け、しみじみと語る貴大。人には言えぬ苦労もあったのだろう。その背中には、哀愁が漂っていた。


 そんな黒騎士の頭をよしよしと撫で、メリッサは足を止めた。


「ん? どうした? お前ん家は向こうだろ?」


 前方を指差す貴大。しかし、メリッサはふるふると首を横に振る。


「ちょっとね。用事があるの。今日は、ここでさよならだね」


「ん~、そうか。じゃあ、またな。お前なら大丈夫だとは思うけど、夜道には気をつけろよ」


「うん、気をつけるね。じゃあね~」


 パタパタと路地へと駆けて行くメリッサ。貴大はその後姿を見送って、元気なことだね、とつぶやいて、自宅へと帰っていった。


 彼は、此度の騒動が、すでに終わったものだと信じている。だからこそ、安穏としていられる。災いの種を放置して帰ることができる。


 しかし、メリッサは……神の使徒は、結界魔が残したわずかな痕跡も見逃さなかった。


「ああ、あああ……俺の結界魔が……王都転覆の計画が……」


 グランフェリア中級区、下水道。王都の地下に血管のように張り巡らされた水路で、嘆きの声をあげる者がいた。


「あああああ……水の泡だ……どうして、どうして……」


 乞食のような身なりの中年男性だ。彼は、下水道の壁に手をついて、涙とよだれを垂らしていた。


「結界魔が感知されるなんて……いきなり人間を襲わせようとしたことが裏目に出たのか? もっと力をつけてからの方が……ああ、あああ……」


 この世の終わりだとばかりに、男は膝をつく。ボロボロに擦り切れたローブは、男の精神を表しているようだった。


 だが――――男は、諦めてなどいなかった。


「まだ、だ。まだ、【サモン・デーモン】は使える。一からやり直そう。今度はもっと慎重にやろう。私を追い出した、宮廷魔術師どもに復讐を……」


 今度はうまくやる、今度はうまくいく。熱に浮かされたかのように、今度、今度と繰り返す男。


 自分の指先をざらついた壁面でこすって血を滲ませる。その指が削れることもいとわず、魔方陣を描いていく。そして、最後に、【サモン・デーモン】と、スキル発動を宣言しようとして……。


「ダメだよ」


 飛来した稲妻で、のどを焼かれた。


「ぐうううううむおおおおお!」


 言葉にならない声を上げ、のた打ち回る男。水路に足を落とし、ばしゃり、ばしゃりと汚水をはね散らしながら、苦しみもだえる。


 その様子を、感情のこもらぬ瞳で見つめるものがいた。


「【サモン・デーモン】は教会に禁術指定を受けているよね? なんで使っちゃったのかな?」


 薄桃色のシスターだ。白髪の聖女だ。彼女は、こつり、こつりと足音を響かせ、ゆっくりと男に近づく。


「『まだやってない』と、『やった』では、罪の重さは違うよ? それはわかるよね?」


「ああううう!!」


 見た目はあどけない少女だ。可憐で、虫も殺さないような外見のシスターだ。しかし、男は地獄の番犬でも見たかのように、怯え、後ずさる。


「わかっててやったみたいだね? そんなに悪い子には……おしおき、だよね?」


「むあああああああああ!!」


 下水道に、かすれた絶叫が響き渡った。




 翌日、教会に一人の男が転がり込んできた。のどに火傷のような跡をもつ、乞食のような身なりの男だ。


 彼は、わき目もふらずに、十字架の前に平伏する。そして、何度も何度も、繰り返し、言った。


「改心します! 改心します! 改心します……!」


 それ以降、彼は教会の下働きとして働くようになる。


 小さなことにもよく気がつく彼は、そう時間をかけず、神父やシスターから信頼を得ていった。


 子どもや老人にも優しく、彼を悪く言う者など、一人もいない。


 ただ……薄桃色のシスター服を着た少女を見るたびに、全身から脂汗を流して硬直してしまうのだけは、人々の笑い種となった。





貴大「ん? 妙な気配が……」


・見に行く←

・ほっとく


貴大「何かやばそう……見に行こう」


メリッサ「だね!」


・ほっとく を選んだら、ドロテアBADEND 夜想曲が流れ始めます。

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