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銀の姫君(ズィルバー・プリンツェシン)

今日はもう更新がないなんて油断したら、そこで試合終了よ。

「姫様、イースィンドの学園はいかがでしたか?」


「最悪」


 そう言って私は、ベッドに倒れ込んだ。疲れた。身も心も。


 無遠慮に私に浴びせかけられる視線も、無駄に広く、必要以上に装飾が入れられた校舎や教室も、回りくどいイースィンド風の物言いも、何もかもがうっとおしかった。


 この一週間でレクチャーされた様々なルールや風習、マナーもたいがいだと思ったが、貴族の子弟が私に群がって行う冗長な挨拶など、本当にどうしようもなかった。


 この国は無駄が多過ぎる。非効率的だ。彼らの前口上をまともに聞けば、それだけで日が暮れてしまうだろう。時間の浪費以外の何ものでもない。


「最悪」


 そう、最悪だ。無駄に言葉を重ねない私が、思わず二度も口にする。


 それで全てを察したのか、侍従長のゾフィーは何も言わずに冷たいハーブティーを淹れてくれた。このような気配りを、イースィンド人に求めるのは酷というものだろうか?


「ゾフィーのハーブティーだけは、変わらず美味しいわね。それだけが救いだわ」


「ありがとうございます」


 アップルミントの香りが、ささくれ立った心を癒してくれる。すーっと、清涼な風が吹き抜けていくような感覚が、体に溜まった嫌な熱を掃ってくれる。


 今、この瞬間だけは、余計なことを考えずに済む。


 「着飾った猿」の国へ留学に来たことも。私に与えられた使命も。これからのことも。そして―――あの〈悪魔〉のことも。


「―――駄目ね、私。考えまいとして、余計なことを考えてる」


 いくらゾフィーのハーブティーが絶品だからとはいえ、悩みを消し去ることはできはしない。


 人の思考を制御しうるは、人の意思のみ。くだらないことで頭を悩ませるなど、私の未熟さの証明に他ならない。


「これでは、イースィンド人を笑えないわね」


 「余計」はイースィンド人の専売特許だ。決して、鉄とも称されるバルトロア人に関わりある言葉ではない。そうあってはならない。


「姫様。そうイースィンド人を馬鹿にするものではありませんよ。偏見は眼を曇らせます。姫様には、公平無私な判断をしていただきたく存じます」


「そう、ね。私は、イースィンドに学びに来たのだものね」


 ゾフィーの言葉に、ハッとさせられた。


 そうだ。私には、イースィンドの教育を評価するという使命がある。万人に示す評価には、主観を交えてはいけない。どのような一文を記すにも、明確な根拠が必要なのだ。


 評価に必要なのは、客観のみ。不快感など、主観の極みではないか。


「まだ、例の先生とはお会いになってはいないのでしょう? 失望にはまだ早いですよ」


「そうね。肝心の実技担当、サヤマ教諭は、ジパング出身だと聞く。ジパング人は、バルトロア人と似たところが多いのでしょう?」


「ええ、私も若い頃に一度出会ったきりですが、その方は勤勉で礼儀正しく、かつ、合理的な方でしたよ」


「私が読んだ書物にも、そのように書かれていたわ。加えて、サヤマ教諭は約半年で、イースィンドに『効率』というものを意識させた人物……やはり、期待できるわね」


「ええ、ええ。この度の留学、何も悪いことばかりではございませんよ」


 思えば、担任のレオン教諭も、イースィンド人でありながら、バルトロア気質の人間だった。今日は悪いところばかりに目がいったが、なるほど、考えてみれば「最悪」には程遠い。感情と偏見に振り回され、結論を急ぎ過ぎた。反省すべきことだ。


「姫様。明日は迷宮での実習だと聞きました。早速、サヤマ先生のご指導を賜れますよ」


「楽しみね。バルトロア式を凌ぐともいわれる、効率的なスキル習得法……必ず、学びとってみせるわ」


 改めて、決意を固める私。そうだ。この留学を無益なものにするもしないも、私次第だ。


 「頑張る」という言葉は使わない。バルトロア人に相応しいのは、「有言実行」のみ。やると言葉にしたからには、やる。失敗などあり得ない。


 そうでなければ、民に示しがつかない。私や、他の留学生たちは、王侯貴族だ。結果を出せぬ者が、他者の上に立つなどあってはならない。


 王族、貴族たるもの、常に己を律し、国益を第一とし、自分ができる最大限のことを……。


「ドロテア様っ! いらっしゃいますか!」


 ……常に己を律し……。


「あぁ、ドロテア様っ! 私、怖かったんです! 発情した猿のようなイースィンド人たちが、私の体を舐め回すようにじろじろ見つめてきて……」


 …………常に己を、


「中等部三年S組のSって、『猿』のSですよ! もー、ひそひそ話でさえも、キーキーキャーキャーうるさくて……イースィンド訛りが、聞くにたえませんでしたよ!」


 ………………常に、


「ドロテア様はいかがでしたか? 嫌な思いはなさいませんでした? ああ、私、そのことだけが心配で、心配で……」


 ……………………。


「せめて、私がお傍にいられたらいいのですが……あぁ! ドロテア様と同じ年、同じ月、同じ日に生まれなかった我が身が、つくづくうらめし」


「【フローズン・ソーン】」


 耳障りな雑音ごと、エレオノーラを氷の茨で縛り上げる。〈凍結3〉状態にもなれば、しゃべりたくてもしゃべれないだろう。


「ゾフィー。これ、片付けておいて」


「はい、姫様」


 やはり、ゾフィーは頼りになる。氷のオブジェをひょいとかついで、窓から放り捨てた。実に無駄のない動きだ。


 しかし、エレオノーラにも困ったものだ。留学生として選ばれるほどの力量の持ち主なのだが、どうにも姦しい。私を慕ってくれるのはありがたいが、必要以上に口を開くのは、バルトロア女性としていかがなものか。


 ともあれ、どうにも意気込みが空回りしてしまった。せっかく、決意を新たにしていたのに台無しだ。


 こんな日は早めに夕食をとり、寝てしまうに限る。睡眠は気持ちの切り替え、疲労回復のために最も有効な手段だ。


 質の良い睡眠で、気持ちもコンディションも整え、明日の迷宮実習に備えよう。


 そう決めた私は、ゾフィーにその旨を伝え、食堂へと向かった。






「おはようございます、ドロテア様」


 かけられた声に振り向けば、そこには大貴族の娘がいた。


 フランソワ・ド・フェルディナン。フェルディナンといえば、バルトロアにまでその名を轟かせている、知らぬ者なき大貴族だ。


 二十年前の戦争では、先代当主ジェローム指揮下の〈魔導大隊〉が猛威を振るった。荒れ狂う炎の渦に、数多くのバルトロア騎士が飲み込まれていったという。


 〈火炎の鬣フェルディナン〉、〈魔導大公〉、〈死を振り撒くもの〉……これら全ては、ジェローム・ド・フェルディナンを指す二つ名だ。口汚い言葉でなら、それこそ数え切れないほどのあだ名で呼ばれていただろう。


 彼は、まさしく脅威であったのだ。圧倒的な力をもって、敵を押し潰す。微塵に砕き、欠片たりとも残さない。イースィンドの武の体現者は、恐怖をもってバルトロア人の記憶へと刻み込まれている。


 そのような人物の血を受け継ぐ者だ。やはり、他の学生とは一線を画している。


 現に、フランソワは微笑んでいるが、その目には何の感情も浮かんでいない。好奇、打算、友愛、嫌悪……そのどれもが感じられない瞳は、まるで底が見えない湖のようだ。


 分かる。この目は、観察者の目だ。どこまでも冷徹に、対象の全てを測ろうとする目だ。彼女にかかれば、私など虫ピンに刺された昆虫標本と同じということか。


 …………面白い。


「ええ、おはよう、フランソワさん」


 私が、このドロテア・イザベル・フォン・ローザリンデ=バルトロアが、虫けらのように見られて気圧されるとでも? 小娘のように怯え、屈服するとでも?


 面白い。全くもって、面白い。軟弱な精神しかもたないイースィンド貴族の子弟の中で、このような気概をもった者がいるなど、実に面白いことではないか。


 さすがフェルディナン。さすが西方の大貴族。


 気にいった。私はフランソワ・ド・フェルディナンを気にいった。彼女と同じクラスになったことは、この度の留学における数少ない幸運だ。


「フランソワさん。これから、よろしく」


「ええ、こちらこそ。バルトロアの流儀を存分に学ばせていただきますわ」


 握手を交わし、私たちは微笑む。握った手から、揺るぎない自信と誇りが伝わってくる。


 これが、フランソワ・ド・フェルディナン。いずれはイースィンドを支える、大貴族の娘。


 相手にとって不足はない。私とこの娘は、好敵手であり……。


「うーっす。おはよーさん」


 ……私とこの娘は、


「うおっ!? 時間間違えた……十分もはよ来ちまった」


 …………私とこの、


「すげー時間を無駄にした気分だ……朝の十分だぞ、おい」


 ……………………。


「おぉ、ベルベット。今日もシャンとしてんな~。俺は眠たくてぐんにゃりだわ」


 誰だ……! 大事な場面に、気が抜けるような言葉で水を差す者は誰だ……!?


 あれか。あの男か。なるほど、見るからにだらしがなさそうだ。


 なんだ、あの寝ぐせを微妙に残した黒髪は。なんだ、あの気だるげな半開きの眼は。そこからのぞくは、黒い瞳か。まるで〈悪魔〉のようだ。


 ………………ん? 


 ………………〈悪魔〉?


 ………………あれ?


 あれ? あれ……!?


 あ、あああ、ああ、あああああ……!?


 あの髪……! あの眼、あの顔は……!


「トイフェル……!」


 暗い海の底から浮上するように、私の脳裏に、あの夜の光景が浮かび上がってくる。


 宝物庫で踊り狂う三匹の〈悪魔〉。


 鳥、犬、魚……それぞれが異形の頭をもつ、恐るべきトイフェルたち。


 ぎょろりと、物影に隠れていた私に向けられる〈悪魔〉たちの瞳。


 ぼそりぼそりと交わされる、〈悪魔〉たちの言葉。


 私を貫かんと迫る、歪な嘴。


 そして―――。


 魔の山で死んだはずの〈悪魔〉たち。その内の一体が、今、私の目の前にいた。






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