手がかかる少女
妖精種の少女と暮らし始めて一週間……俺は、多忙な日々を送っていた。
「何もするなとは言ったけどさ……」
あれは、愛玩奴隷らしいことは何もするなという意味であり……。
「まさか、言うまで飯も食わん、風呂にもトイレにも行かんとは思わんかった」
そもそも、俺が「こうしろ」というまで微動だにしない。リビングのソファーに、じっと座っているだけ。まさに、第一印象通り……いや、それ以上の「人形」だ。
まあ、それだけならまだいい。言うことは素直に聞くだけマシだと思ったさ。買ってしまったものはしょうがないと、家事の一つも任せようと思いましたとも。
でも、こいつ、家事がさっぱりできねえんだわ。飯も作れない、掃除もできない、風呂の準備もできやしない……「教えられていません」だとさ。
何でも、産まれる前からとある貴族(十四歳の少女大好き爺さんだと)に納品されることが決まっていたから、必要ないことは教えられなかったとのこと。
「あかぎれ一つない、十四歳の生娘」を御所望の貴族様に配慮して、買い物一つさせられたことはないんだとか。そういうのは、専属のお世話係がやってくれたそうだ。道理で、やたら高かったわけだ……まぁ、そういうわけで、このフェアリーさんは生活能力皆無です。
小太りの奴隷商が、あっさり少女を手放したわけが分かった。こんな、ニコリともしないし、腹を殴られても苦悶の表情一つ見せない人形みたいな愛玩奴隷なんて、特殊な性癖の持ち主にしか需要はないだろう。
んで、聞けば、こいつを注文していた特殊な性癖貴族さんがお亡くなりになったようで……どこに売ろうも、「見た目だけ」と言われてけんもほろろに断られたとか。
だから大事な商品にも関わらず、「役立たず」と殴られていたし、どこの誰とも分からない俺が買うこともできたわけだが……。
おかげで、俺が逆にこいつの面倒を見るはめになった。飯も作ってやった。風呂も沸かしてやった。服も洗ってやった。寝床も整えてやった。そうでもしなきゃ、まともな生活を送らないんだからさ。
着たきりすずめで、同じ服のまま飯も食わずにずーっと同じ場所にいる……気がつけば死んでいそうで、ちょっと怖い。そうならないように、あれこれ世話を焼かなくちゃいけなかった。
甲斐甲斐しく、少女の面倒を見てやる俺……まったく、これじゃあ、どっちが主人か分かったもんじゃない。
でも、ほっとくままにはできんからなぁ……。
おかげで、この一週間、引き籠る暇もなかった。
「いいか、銅貨十枚で銀貨一枚、銀貨十枚で金貨一枚。細々とした品は銅貨一枚分の量から売られている。あ、あと、高いものは宝石、貴金属で払う場合もあるが……まぁ、普通に生きてりゃそんな機会はないか。市場で買い物するには、金銀銅貨だけありゃあいい。分かったか?」
「……分かりました」
ただいま、絶賛教育中。いつまでも俺が面倒を見ているわけにはいかんと、一般常識や社会のルールを叩き込んでいるところだ。幸いなことに、こいつは物覚えだけはいい。
一度言ったことは忘れず、きちんと行うことができる。できるが、少し融通がきかないところが……まぁ、いい。今は買い物だ。
「じゃあ、行け。メモに書いてある店に行き、書いてある通りの物を買ってこい」
「……かしこまりました」
俺が促すと、ぺこりと頭を下げて中級区大市場の雑踏に消えていく少女……うまくやってくれよ。ここで躓いているようでは、先が思いやられるからな。
俺が目指しているのは、あの少女のジョブを「愛玩奴隷」から「ハウスメイド見習い」に変えること……そのためには、家事に買い物、客の応対まで身につける必要がある。
家事は、この一週間で一通り教えてやった。まだ時間はかかってしまうが、仕事は丁寧だ。買い物なんかも、その調子で頑張ってもらいたい。
そして、俺は自堕落な生活に戻るんだ。少女が来てからというもの、あまりに生活能力に欠けるフェアリーさんのお世話でドタバタしていたが……元々俺は、そんなことしている心の余裕なんてないんだ。
現に、こうして昼間に外に出ているだけで気疲れしてしまうし……知り合いとかに見つかったら嫌だ。さっさと帰りたい。
でも、妖精さんったら「市場の場所も分からない」とか言うもんだから……仕方なく、こうして明るいうちに外出せざるをえなかったわけだ。
久しぶりの昼の街は、何だか俺には場違いに思えてくる。あくせくと働いている真っ当な人たちに混ざるのに、違和感を覚えてしまって……ダメだ、気分が沈んできた。
あいつはまだか……少し遅いな。
ちょっとだけ……そう、ちょっとだけ心配になる。探しに行こうか……って、「はじめてのおつかい」じゃないんだから、見に行く必要もない。ここで待とう。
そう決めた時、横手から声がかかった。待ちに待った妖精種の少女の声だ。
「……ただいまもどりました、ご主人さま」
「おお、待ったぞ……ってえええええ!?」
ハムやソーセージ、野菜や果物なんかがみっちりと詰め込まれた買い物籠を、ぷるぷると震える腕で何とか支えた少女が、そこにいた。
背中には、バゲットが何本も入った包みがくくりつけられている……まるで千本の太刀を狩ろうとした武蔵坊弁慶のようだ。
明らかに積載量オーバー……そりゃあ、移動するにも時間がかかるでしょうよ。
って、ツッコミを入れている場合ではなく!
「お、おい、とりあえず買い物籠渡せ。重いだろ?」
「……はい」
隙間なく……どころか、籠を押し広げんとばかりに食料が詰め込まれた買い物籠を受け取る。結構大きめの買い物籠なのに……どれだけ買ったんだ。
メモに書かれたものを一通り買っても、余裕で買い物籠に収まる量だったはず……いったい何があった?
「なあ、何でこんなに買ったんだ?」
「……メモには、どれだけ買えばいいのか書かれていなかったので。しかし、財布には多くの量を買える貨幣があったため、自分の判断で買えるだけの量を買ってしまいました。申し訳ございません」
「ああ、謝らんでいいって! そうか、そういうことか……なんか、逆にごめん」
思えば、まだまだ常識に疎いもんな、こいつは。どれだけ買うのか、ちょうどいい量なんて分からんよな。料理はまだ俺が作っているわけだし……材料と完成した料理が、イコールで結べないんだろう。
渡した大量の金から、俺がたくさん食べたいと望んでいると思ったのかもしれないし……これについては、俺が悪かった。
「まぁ、初めてのことばっかだもんな。こういうこともあるさ」
「……申し訳ございません」
「いーって、いーって」
ペコリと頭を下げる少女の頭にポンと手を乗せる。なんか、ちょうどいい位置にあるもんだからさ……思わず手が動いてしまった。
すぐに引っ込めるのも何なんで、少女が頭を上げてもそのままにして、逆にポン、ポンと軽くはたくように撫でてやった。
そんなことをしても、少女は無表情のままで微動だにしない。いつでも、どんな時でも変わらない、マネキンのような表情だ。
そんなのが、笑いと喚声、売り子の元気な掛け声で満ちている大広場に立っている……それが、妙におかしく思えて、俺はふっと笑ってしまった。
「ゆっくりと覚えりゃいいさ。んじゃ、帰ろうぜ」
「……かしこまりました」
軽く笑顔を浮かべたまま……だったと思う。そんな柔らかな表情の俺は、少女の手を引き、大市場を後にした。
親友二人との別れから数カ月……俺は、久しぶり笑った。大きな声でもないし、昂ぶるような心の動きもなかった。それでも、確かに笑ったんだ。
秋も深まり、もうすぐ冬だと意識させるような肌寒い風が吹く。そんな日のことだった。
「……それで、ご主人さま」
「ん? なんだ?」
「……そろそろ、わたしに名前をください」
「は……? …………っ!? そういや、忘れとったーっ!!」
ついでにその日は、妖精種の奴隷の少女に名前を付けた日にもなった。
愛玩奴隷は、「勝手に付けといて」という希望がない限りは購入者が名前を付けるのがデフォだそうで……初日に言われた覚えがあったが、ここ一週間のドタバタですっかり忘れておりました。
「ユミエル」。
名前を、と請われた俺は、少女にそんな名前を付けた。
昔読んだ小説に、少しだけ出ていた妖精の名前だ。ニコリとも笑わない少女は、儚く微笑む小説の妖精とは似ても似つかなかったけれど、幻想的な美しさ……そこだけは、そっくりだったからさ。つい、パッと口をついて出てきたんだ。
安直だと思ったけれど、呼び慣れた今となっては気にならない。それだけユミエルと長く過ごしたってことだ。
モデルとなった小説の妖精……それはどんな顔だったかな。今ではもう思い出せない。