自立できない二人
「何やってんだ、俺は……」
左手に飯が入った紙袋、右手に妖精種の少女の手を掴み、ふらふらと夜の街を歩く俺。そんな俺を、水色髪のフェアリーさんは感情の籠らぬ目でじっと見つめている……何でこうなったんだか。
なぜ、「そうしよう」と決断したのか、自分でもよく分からない。しいていえば、目が気になったから……かな。
現実を見ているようで見ていない、何も写さぬガラス玉のような目。俺とおんなじ目。それがどうにも気になって……気がつけば、そんな目をする奴隷の少女を買っていたんだ。
奴隷……そう、奴隷だ。それも、一般人には縁があるはずもない愛玩奴隷。つまり、路地裏で出くわした妖精種の少女は愛玩奴隷。そいつの腹を殴りつけていた小太り男は奴隷商だというわけだ。
俺はその奴隷商から、少女を買った。不憫な少女を助けようと思ったわけじゃない。ましてや、欲望のはけ口にしようとしたわけでもない。ただ、目が気になって……衝動の赴くままに、奴隷商の男に値段を訪ねていた。
初めは、「これは奴隷に対する躾」だとか何とか言って俺を追い払おうとしていた男も、俺がアイテム欄から適当に取り出した宝石を見た途端、目の色を変えた。
それでも男は、「いや、でもねえ、この娘は貴族様にもお目かけいただいていた高級品でして……」とイヤらしい笑みを浮かべて、なかなか少女を渡そうとはしなかったものだから、面倒になって十個ほどの宝石をそこらにぶちまけてやった。
後の説明は、もう簡単だ。鑑定スキルで宝石を調べ終わった男が慌てて契約書を持ってきて、そこにサラサラとサインした。これで終わりだ。非常にあっさりと、人の売り買いは終了した。
少女の手を引き、路地裏から出ていく俺……背後から「ありがとうございます! またのご贔屓を!」との声がしたが、俺は振り向くことはなかった。誰が奴隷商なんて贔屓にするかよ……って、奴隷を買っといて今さらそんなことも言えねえか。
そんなこんなで、衝動買いした少女を連れて家に帰り、とりあえずリビングのソファーに座らせてみたんだが……これからどうしたものだろうかと頭を抱えた。
別に、愛玩奴隷なんて欲しかったわけじゃない。ただ、虚ろな目が気になったから、もう少し見てみたくて……でも、そんな気持ちも今は失せてしまっている。一時の気の迷いというやつだな。目が気になったからって、少女漫画かよ。まさしく、衝動的な買い物だったわけで……。
でも、今さらつっ返すだなんてできやしない。ましてや、か細い女の子を殴りつけるような奴のところになんて……でも、正直奴隷なんていりません。こんなん家に置いて、どうしろってんだ……自分がしたことながら、早くも後悔にまみれてしまいテーブルに突っ伏す俺を、少女は何も言わずにじっと見つめていた。
それからしばらく、何をするでもなくぼーっとしていた。最近の俺は後悔したり、自分を責めたりすると、何のやる気も湧いてこなくなってたからな……それに、これからのことを考えれば考えるほど、体が鉛を入れたように重くなっていった。
俺は自分のことだけでいっぱいいっぱいなのに、出会ったばかりの奴隷と……見ず知らずの他人と一緒に暮さなくちゃいけないとか、何の冗談だ……。
うじうじと、「あ~」だの「う~」だの呻きながら机に突っ伏し続ける俺……だが、ふと顔を上げた時、あるものを見てしまって一気に跳ね起きてしまう。
「な、何やってんだっ!?」
少し声が裏返った。動揺したからだ。いや、だってさ。さっきまでマネキンみたいに微動だにせずに座っていた少女が、着ていた服を脱ぎ捨てて全裸になっていたら……誰だって驚くだろ?
ガタガタと椅子ごと後ずさる俺。そんな俺の慌てふためく様を見ても少女は眉ひとつ動かさず、こちらに歩み寄ってきた。
「う、あ……」
予想だにしなかった光景に声も出ない。少女は、裸体を隠そうともせずにしずしずとリビングを歩いている……俺に向かって、歩いてくる。
雪のように白い肌。わずかにふくらんだ胸。部屋に差し込む月の光に照らされる、湖面のように青く透き通った長い髪。それら全てが相まって、一つの「美」として少女は完成していた。
そんな少女が、同じ部屋の中にいる……その事実に気付き、思わず気圧されてしまう。身動き一つ取れやしない。
やがて少女は、俺の元へと辿り着く。じっと俺の顔を見つめる……椅子に座る俺の前で両膝をつき、俺の太ももに手をかけてくる。
そして、その手を足の付け根に移動させ始めたところで……電流を流されたかのように、俺の呪縛が解けた。
「やめっ、止めろっ!!」
結構な大声だったと思う。部屋を震わすような、大きな声……その声に少女は驚くでもなく、機械のようにピタリと動きを止めて、俺の目をじっと見てきた。
(なんだ……? 奴隷って、こういうもんなのか……?)
どんな時でも表情一つ変えないことといい、幻想的な美しさといい、意思が感じられない動作といい……とても人とは思えない。
まるで、俺の世界にあった、人間を模して作られたロボットのような……そう、目の前の少女は、妖精種の愛玩奴隷というよりもロボットと言われたほうがしっくりくるような存在だった。
「……何か、間違えましたでしょうか? ご主人さま」
ロボットのような少女は、声まで無機質だ。初めて口を開いたというのに、しゃべったことよりも、感情を一切削ぎ落としたかのような声色に驚いてしまった。
「い、いや……何でこんなことすんだ……よ」
「……わたしは愛玩奴隷です。どのようなことをすればよいかも分かっています。お任せください。それとも、ご主人さまは自分で動く方がお好みですか?」
「そういうことじゃなくてだな! ……い、いいから、服を着ろ」
「……かしこまりました」
てっきり、「なぜ?」と聞き返されるかと思った。こいつは愛玩奴隷だ。主人に性的な奉仕をするのが仕事のはずだ。それを止められ、あまつさえ、裸体を隠せと命令される……なんでそれに素直に従うんだ?
飽きられたらどこへなりとも捨てられ、薄汚い男どもの慰み者になるか、また奴隷商の所に流れていくのがオチの愛玩奴隷は、普通はもっと必死になるものだろう。
昔、とある国で貴族に飽きられた愛玩奴隷を見たことがある。ニ十代後半ぐらいの歳の、綺麗な女の人だったな……それが、奴隷商のところに払い下げられていたんだ。その時に親しかった冒険者に聞いた話によると、ああいう綺麗な奴隷は、死ぬまで子ども(産まれながらの奴隷)を産む役になるんだとか。
他にも、持ち主の手垢がついた奴隷の末路は色々と聞かされた。どれもこれも、ろくな扱い方をされていなかった。こいつも奴隷であるのなら、そういったことは知っているだろうに……だけど、少女は命令通りに服を着直した後は、「捨てないでください!」と懇願するでもなく、ただじっと俺を見つめていた。何も写さぬ、ガラス玉のような瞳で。
「お前……怖くないのか?」
「……何がでしょうか?」
「いや、だから、捨てられたらとか……思わないのか?」
「……ご主人さまはわたしをお捨てになられるのですか?」
「いや、そんなことしねえよ! あ~、調子狂うな……」
これが媚を振り撒いて、俺にベタベタと触ってくるような奴隷だったら、もしかしたらつっ返していたかもしれない……いや、そもそも、そんな奴に気を引かれるわけもねえか。
でも、こいつはなんか……傍にいても、特に苦にならない。塞ぎ込んだ俺の面倒をみてくれた連中のように、俺の心にずかずかと入り込むような真似をしないからだろうか。
ただ、そこにいるだけ……空気みたいな存在だ。だからだろう。俺以外の人間がこの家にいるというのに、追い出そうという気にはならなかったのは。
それに、気の迷いとはいえ、自分でこの少女を買ったんだもんな……追い出すとか捨てるとか、無責任に過ぎるだろう。
しかし……あ~! どうしてこうなったんだか……。
俺は、自分のことだけで精いっぱいなのに、何やってんだ……。
「いいか、何もするなよ。裸にならなくてもいいし、俺にエロい奉仕もしなくていい。家には置いてやるから、何もするな」
「……かしこまりました」
この奴隷少女が、俺の言うことに素直に従ってくれそうなことだけが唯一の救いか。
「ほんっとーに、何もすんなよ?」
「……かしこまりました」
これが、長い付き合いになる妖精種の少女、ユミエルとの生活の始まりだ。
当時は、愛玩奴隷を衝動買いしてしまう自分の馬鹿さ加減に嫌気がさしたもんだが……でも、後になって考えてみると、これで良かったんだと思う。
こいつが……ユミエルがいてくれたから、俺は立ち直れたんだから。