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下級区の妖精

 元の世界への帰還の門。コア・オーブが安置されていたダンジョンの消失から数カ月。


俺は、生きているのか死んでいるのか自分でもよく分からない生活を送っていた。


 窓も雨戸も閉め切った部屋の中、れんちゃんや優介との思い出の品を机の上に並べ、それをじっと眺めるだけの植物のような日々……飯もろくに食ってなかったし、水すらいつ飲んだか思い出せない。台所に転がっているのは、かびたパンと酒瓶だけだ。


 「このままでは死んじゃうよ!?」と、少し前まで俺の世話をあれこれ焼いてくれていた淫魔のお姉さん……イヴェッタさんだったかな? まあいいや。その人に叱られたんだけど……でも、俺、そう簡単には死ねねえんだわ。


 カンストしたレベルによって極限まで高まった身体機能が、俺の命をギリギリまで生きながらえさせる。もう死ぬ、と思うような状態でも、りんごの一つでもかじれば十日は持つ。体を最適に保つためだとかなんとか……そんな設定を、@wikiの世界観ページで読んだことがある。だから俺は、こんな状態になっても生きているんだ。


 死のうと思った時もあった。それも、一度や二度じゃない。その気持ちは波のように定期的に高まって俺を襲う。暗い部屋の中、腰に差しっぱなしのナイフシースに目をやると、自分の首に突き立てたり、手首をかっさばいたり……そんなイメージが、俺の頭の中に浮かんでくる。


 死ねば、元の世界に戻れるかもしれない。だってさ、ゲームみたいな世界なんだぜ? 俺が死んだら、元の世界の俺たちの……俺たち、フリーライフのホームに戻れるかもしれないじゃないか。それこそ、ゲームみたいに一瞬で。


 こんな、グランフェリアとかいう訳の分からん城塞都市の片隅にぽつんと建っている一軒家じゃない。プライベートな仮想空間に構築される十畳ほどの小部屋が、俺たちの本来の居場所ホームなんだ。


 ここじゃない。こんな家! こんな、俺一人しかいないような家は俺たちの居場所じゃない!


 そう激昂して、ナイフを抜くんだけど……結局、いつもいつも鞘に戻してしまう。


 「もしかしたら、あいつらが迎えに来てくれるかもしれない」。そんな、あるはずもない希望に縋りついていたから……それまでは死ねないと、蹲って涙を流すんだ。


 俺も、最初からこんな感じじゃなかった。あの日、街に戻ってきてから、他に帰還の手段はないか探して回ったさ。特に、「M.Cの日記」……あれをもう一度読めば、何か手掛かりがつかめるかもしれない。そう思って、図書館に行ったんだけど……。


 だけど、ないんだ。どこにも、「M.Cの日記」なんてものは存在しなかった。それどころか、あの日、俺たちに「M.Cの日記」を持ってきてくれた司書さんまでいなくなっていた。他の司書さんに名前と外見の特徴を伝えても、そもそも、そんな司書は存在しませんと断言されてしまった。


 更に、今まで必死になって集めたオーブも……帰還のために必要な十個ものオーブも、俺のアイテム欄からきれいさっぱりなくなってしまっていた。まるで、元々そんなものはなかったのだというように。


 混乱する俺の頭の中で、「存在しません」という先ほどの司書さんの言葉が何度も何度も甦る。何が? オーブ? 「M.Cの日記」? あの日俺たちが出会った司書さん? 帰還のためのダンジョン?


 それとも……帰る手段?


 まだ間に合うと手を伸ばしてみれば、そこにあるはずの答えは存在しなかった。それどころか、今までの行動も否定するかのような、謎の消失の連続……俺の心は、ここでまた折れた。


 それからだな。俺が、みんなで買った三階建ての一軒家に引きこもるようになったのは。ここは、偽りのない俺たちを曝け出せた唯一の場。気兼ねなく元の世界の話ができた、俺たちだけの空間。そこに詰め込まれた思い出に浸って、何日も何日も過ごした。


 他に元の世界に戻る方法がないか探しに行こうとも思ったけれど、ここから離れたらこの家まで消えて無くなりそうな気がして、怖くて街の外には出られなかった。そして、活動範囲は段々と狭まってゆき……いつしか、たまの買い物の時以外は、家の外にも出なくなったんだ。


 そんな俺を、色んな人が心配してくれた。実は近所に住んでいて、出かけにばったり再会したイヴェッタさんとか。近所の人たちとか、冒険者の知人とか。でも、みんな、みんな去っていった。


 ……いや、違うな。俺が追い払ったんだ。気にかけてもらうほど、段々とそれが煩わしくなってゆき……ある日、ずかずかと俺たちの家に入り込んで、掃除やらなんやらやってくれていた人たちに向かって喚き散らして、追い出してしまったんだ。


 もう、本当に自分が情けなかった。いつまでもうじうじしている自分も、一人じゃ満足に立つこともできない自分も、人様に迷惑かけてばかりの自分も……優しい人たちにあたり散らすような自分も、どれもこれも情けなくてしょうがなかった。


 あの日、家に来ていた連中を追い出した後に、防犯、防音装置でガチガチに固めてしまい、外界の物音一つ伝わってこなくなった家の中で、俺は一人、突っ伏して泣きに泣いた。


 でも、それだけ……泣いてすっきりだなんてことはなく、そこからは、また無気力な毎日が続く。


 いつかきっと、あいつらが来てくれる。そんな幻を心の拠り所にして、誰にも心を開かない日々を送っていたんだ。


 そんな生活がどれほど続いただろう。気がつけば、夏も終わり、秋も中ごろにまで差しかかっていた。ろくに着替えもしない夏物のシャツのままじゃ、肌寒い季節になっていたからな。そうでなきゃ、きっといつまでも時間の経過に気付いてなかった。


 だから、のろのろと着替えを探していて……目ヤニが目に入ったのか、妙に目がしょぼしょぼするから、風呂にも入ったんだ。それで、少しぶかぶかになった秋ものの服を身につけて……そこまできて、ようやく腹が減っていることを自覚した。


 何日食べていなかったのか、定かじゃないけれど……でも、台所にはろくなもんが置いてないことは覚えていた。だって、一人になってからは自炊なんてしなかったからな。誰かがいなきゃ作りがいがないし……何より、虚しい。だから、もっぱら屋台で買ったものを適当に食ってたんだ。


 その日も、屋台で何かを買おうと家を出た。日は沈んで、少し風の強い日だったと思う。そんな夜の街を、俺は覚束ない足でふらふらと歩いていった。




 食べるものも食べ、何日か分の保存食も買った。ぼそぼそとしゃべる廃人のような俺に、屋台のおっちゃんたちは迷惑そうな顔をしていたけれど……でも、今さら前のように元気よく注文なんてできるはずもない。


 コミュニケーション能力は、良くなるどころか、悪くなる一方だ。いつか、まともにしゃべれなくなる日がくるんじゃないか……そんな未来も、あり得ることだと思えてしまった。


「ん……? ここ、どこだ……?」


 ふらふらと歩いているうちに、俺は下級区の屋台通りから逸れ、裏通りに迷い込んでしまったようだ。しかも、あまり治安がよろしくないところ……痩せ細って座り込んではいるが、目ばかりがギラギラとした連中が俺をねめつけるように見ていた。


 人身売買を行っている店が、下級区の一角を占めていると聞いた覚えがある。おそらく、ここだろう。色街の空気を濁らせたかのような、下卑た性の匂いが漂っている……こんな場所にいたら、何が起きるか分かったもんじゃない。


 面倒事はいやだ。さっさと出よう。


 そう思って踵を返そうとした時に……それは、聞こえた。


「このっ……この、クズがっ!」


 誰かの怒声と、ドスッ、ドスッという、鈍く響く音。俺だって荒事にはそれなりに慣れている身だ。それが、暴力を振るう音だということは、その場を見なくても理解できた。


 ただ、少し気になることが……ここまで響くような音を立てて暴力を振るっているのに、なぜ悲鳴が上がらないのだろうか。我慢強いとか、そんなのは関係なく……普通、人は強く殴られれば誰だって声を上げるもんだ。レベルで力が決まるこの世界においても、それは変わらない。


 痛みは伴わなくていい。人を害そうという意思だけで、人間悲鳴を漏らしてしまうものだが……いったい、どんな奴が殴られているんだろうと、少しだけ興味が湧いた。あの日々にしては珍しく、心が動いたんだ。


 だから、路地の奥へと進み、そっと現場を覗き見たんだが……。


 そこには、薄い水色の髪をした儚げな女の子が……まるで、妖精のような神秘的な美しさを備えた少女が立っていた。


「あ……」


 思わず、どさりと手に持った荷物を落としてしまう。その音に、少女の前に立つ小太りの男が振り返るのが視界の端に映った。それでも、俺の目は少女だけを見つめる……少女に釘付けになってしまう。


 美しいから? 違う……違うんだ。


 俺はただ、俺と同じ目が……生きているのか死んでいるのか分からない虚ろな少女の目が、どうしてか気になってしょうがなかったんだ。






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