最終話 変でもいいじゃない!
処置室は血の匂いで充満していた。救急外来って、いつも暇そうだけど、患者が来た時は大変なんだな、と思う。
「ここは僕に任せて、先生は男性の方をお願いします。いざとなったら僕の血を輸血します。僕もO型なので」
「えッ……」
信じられない。なんでここに……、何でここにいるんだよ。
「倉井くん!! 君今までどこに!!」
倉井聖司が普通に処置室に入ってきた。普通に白衣着て、普通に医者っぽく動いてる。
え……。何で。あいつ、今日意識不明状態だったじゃん。
何でそんな、なんでもありなんですか。
「長い間眠ってたんです。でも今日目が覚めました。こう、びりっと電気が来たっていうか……」
「相変わらず意味不明だね。今まで研究で休んでたんだから、その分働いてくれよ。ここは君に任せる。止血して、創は洗浄した。あとは輸血して……」
「任せてください」
にこにこ笑っている。動いてる。目の前で。ちょっと信じられない。
看護師も医師も、本当に出て行ってしまった。倉井先生なら大丈夫だな、とかいいながら。何が大丈夫なんだ。今日の今日まで意識不明で入院してたやつだぞ、しかも七年間くらい。筋力だって落ちてるだろうし、絶対危ないよこの人。大体、本当に聖司さんなのか?
「大丈夫、リハビリはしてきたし、一時間くらいだけど。ここまで走ってきたし」
「はあ……」
「こうして面と向かい合うのは初めてだね、暗井要くん。いつも清さんと春から話は聞いていたよ」
清は僕の母、春は僕の父。僕の家族、漢字だけ見てると凄く笑える。暗い春、暗い清、暗い要、暗い光。何で皆一文字なんだよ。多分そこそろえたかったんだよな、きっと。
そんなこと知ってるってことは、やっぱり本物の聖司さんかこいつ。
あーなんか納得した。
あの時は目が閉じていたからわからなかったけど、こいつ、本当に僕にそっくりの目をしている。いや、瓜二つだぞ……?
「艶子には輸血するよりも、自分で血を吸ってもらったほうが早く回復すると思う」
「医者がそんな非科学的でいいんですか……?」
そこに流れる沈黙。
「君、そういう痛いことを言っちゃ駄目だよー」
「いやいやいやいや。一応医者なんだから、いくら艶子のこと知っているとは言ってもさ」
「助けたいんだよね?」
「そりゃもう、助けたいですよ!! 俺の血をやるだけで助かるなら!!」
「うんうん、そうだよね」
聖司さんは首をぶんぶん縦にふる。
「じゃ、後は任せた。僕はちょっと後ろ向いてるから、僕のことはポンポコ狸の置物か何かだと思って二人で愛を深めてくれ」
「何で!?」
「血を吸う吸われるところって、何かエロいじゃないか。見ちゃいけないような気がするじゃないか!!」
「知らんわ!!」
「いや、まじめな話、こうしている間にも艶子はどんどん出血して衰弱していくわけで……。君の血を吸うことで艶子はよみがえる!」
「蘇るって……まだ死んでないんだけど!!」
駄目だこの人、何か調子を狂わされる。この遺伝子を僕が受け継いでいるわけか。
「さあ、艶子を抱いてあげてくれ。そして脱げ」
「何で脱ぐ必要があるんだよ!」
抵抗しても何しても、僕の服は勝手に脱がされていく。でもなんか本当にエロい気分になってくるのはどうしてだろう。
「ほら、もっと近づくんだよ、なんていうの? アレだよアレ。赤ちゃんがお母さんの乳首を探すのと同じ要領だから」
「何だそれェ!! 良くわからないんですけど! 聖司さん、もうちょっとわかりやすい説明お願いしますよ!!」
「えーっと……男が女の乳首を目の前にしたら思わずしゃぶる見たいな感じで艶子もきっと首を差し出されれば噛み付いてくるからさ……」
「えーと……たとえがエロいですけど、なんとなくわかったようなわからないような」
「じゃあなんでさっきの赤ちゃんのは……アレだって反射なんだから知ってるだろ」
とりあえず僕は艶子を自分の膝の上に乗せて、身体を自分の方へもたれかけさせた。本当にこんなので反射的に噛み付いてくるんだろうか。疑いの目で聖司さんの後姿を見る。
「う……ん」
艶子が僕に抱きついてきた。……で、なんか探してる。冷たくなった艶子の手が、僕の背中を這い回る。本当だね、疑って悪かったよ、聖司さん。
なんか、背中にいきなりこんにゃくを投げ込まれた気分。
艶子の唇は柔らかかった。花みたいな唇が、僕の首筋に押し当てられた。滑らかな舌が、肌に触れる。この感覚、この体勢、すげーエロ意気分にさせる。いろんな意味で気分が高揚してくる。……こんな状況じゃなきゃ。
艶子が僕の肌に歯を立てた。さくっと刺さっていく。最初は浅く、次第に深く。
え、ちょ、ちょっと待て。そんな強くかまないでくれ……!
初めてなんだぞ、もう少し優しく……ってそんなこと聞こえるわけ無いんだろうな。
艶子は結構激しかった。
あっ……。でも、いいかも……。何か頭がボーっとして……。お花畑が見える、あははははー。
――もっと早く、もっとふかく、もっと激しく……!
……ていうフレーズが僕の頭の中でリピートしている。艶子、頼むからそういう変なことは考えないで普通に飲んでくれ。
は、ちょっと待て、やばいぞこれ。
もう夢中で僕の血飲んじゃってるけど、この子。なんか快楽伴ってるけど、抜かれる快楽ともなっちゃっててすごくいいんだけど。
僕が死ぬかもしれないぞこれ。
でも艶子は放そうとしない。むしろどんどん迫ってくる。どこへ? さあ、僕にもわからない。
気付いたらベッドの上で僕は艶子の下敷きになっていた。いやまずいよこれ。駄目だ、これは救命のため、仕方ないんだ。
力が入らない。
「ちょ……せ、聖司さん……」
「いや、僕は狸の置物だよ。なんだい要くん。それと、多分艶子、一命は取り留めたと思うけど。ごめんね、非科学的で。でもほら、助かったんだから色々言わないでね」
よくみると、確かに血は止まっていて、傷口もある程度ふさがっていた。恐るべし生命力だ。艶子。だが今はどうでもいい。僕の命があぶないかもしれない。
「た、たすけ……」
「わかったよ、僕も脱ごうじゃないか」
聖司はシャツのボタンをはずし始めた。
「脱がなくていいから!!」
「ほら艶子、僕の餌だよ」
聖司さんが艶子を奪って、自分の膝に乗っけた。
首筋に顔を近づける艶子。
「やめろ、見てるだけで苛々する!」
「えっ」
僕の声に艶子がやっと反応する。
「これ、要じゃない……。要、要……!」
僕の名を切なそうに呼ぶ艶子。何て可愛い生き物なんだ。瞳がうるうるしている。
「おいで、艶子」
僕のところに子犬が戻ってきた。
いきなり僕の顔を掴んで自分のほうへ向けさせる。何か目がイっちゃってる。なんか目が輝いてる。美味しい餌を目の前にして。
「要、もっと……もっと頂戴……。要じゃなきゃいや。他の誰でもない、要じゃなきゃ」
吸われる……と思った。
柔らかい唇だ。
僕の唇に、艶子の唇が重なる。
血の味がする。僕の血だよな、やっぱり。
艶子も僕も、お互いの唇の味を味わっていた。お互いの(僕の)血の味。
艶子の舌が僕の唇の中に進入してくる。あー駄目だって。そんなにせかすな。
僕と艶子の舌が絡み合う。
飲み込んだ。
何か、ぬるっとしたものを飲み込んだ。
鉄っぽい味がする。
これ、血か。
多分艶子の。
えっと、これって、お互いの血を交し合ったってことなのか?
え………。
僕は艶子の目をじっと見つめた。艶子も僕の目を見返してくる。何て目力からだ負けそうだ。でも今だけはリングに上らなくては。戦いのゴングが鳴らされた。
「艶子、よく聞いてくれ」
「うん」
「俺は艶子が好きだ。でも違うんだ」
「………うん」
艶子がうつむく。
あれ、何この雰囲気。暗い、くらいよう艶子。
「お前は確かに変だ。吸血鬼だし、変態だし。人の下着は取ってくし、人の体臭はかぐし」
艶子がその後に追加する。
「お風呂は覗いたし、盗撮はしたし、勝手に服着たし、実は勝負下着をこっそりはいてたし」
「ええー!!」
「ええー!! 何に驚いてるの!?」
いや、なんか変な流れに……。負けるな僕。敵は強豪艶子だ。
「違う違う。えーと上手くいえないなもう。そんなこと関係なくて。別に俺はお前が勝負パンツこっそりはいてようが盗撮してようがいいんだ。俺は、お前だから好きになった。艶子が可愛くて可愛くて、仕方ない」
「………うん」
艶子が、頬を桜色に染めて笑う。
「いや、好きなんて感情じゃ言い表せないくらい、ここが、胸が熱くなって、色々な感情が渦巻いてて」
「うん」
大きな瞳で僕を見つめる。聖司さんは本当に狸の置物になってくれていた。ありがたい。しかもよく考えたらここは病院の処置室のベッドの上だ。
「ほうっておけないんだ、目が放せない。いつの間にか頭の中にお前がいて……」
気がついたらいつも追いかけているのは僕のほうだった。
「だから、いつも俺の側にいてくれよ。お前が何だって関係ないんだ、艶子は、艶子でそれ以上でもそれ以下でもないから。そのまま俺の目の届くところにいろよ。どこにもいくな」
艶子がこれ以上ないってくらい、極上の笑みを浮かべた。
「うん! アタシも要のこと愛してる!」
「愛……って」
艶子が僕の胸に頭を乗せる。
「愛してる人から力をもらって、アタシはここに生きてる。要は、艶子の愛を受け止めてくれた」
艶子はもう一度僕にキスをした。
「だから私も、皆に愛をあげる。要がくれたように。聖司があの時くれたように」
「うん……」
僕は艶子が無償に愛しくて、艶子を抱きしめた。
病院で、処置室で、狸の置物になってくれた聖司さんの前で。この恥ずかしい場面を聖司さんは笑いを堪えて聞いていたんだろうさ、ああいいさ。笑いたければ笑うがいい。
「聖司!」
煌羅ちゃんが駆け込んでくる。
「煌羅!? どうしてここに!?」
「私はそんなに重傷じゃなくてね……むしろ無傷だったわ。だけど一応X線とかCT撮って。頭ぶつけたっていったらこれよ。叔父さんもよ。あとボディーガードが吐いてたけど」
「そうか。――無事で、良かった」
「聖司!! もう貴方に会えないんじゃないかと思ってたわ!!」
抱き合う二人。ずっと待ち望んでいたのがわかった。
ここにたとえ変なカップルが成立したって、変だっていいじゃないか。
それでも、僕たちは人生の長い道を歩いていく。
変な、でこぼこ道かもしれない。それでも、僕は艶子と歩いていく。僕はもう、艶子の手を放せないし、彼女も僕を放さないだろう。
艶子の笑顔がはじける。
「一緒に、生きましょう」 |