ヘビのおんがえしっ!2 ~うま年バージョン~
可愛いヘビっ娘ヒロイン物の続編です。先にこちらをご覧ください。『ヘビのおんがえしっ!』http://ncode.syosetu.com/n1180bm/
「まったく、正月早々風邪引くなんて、日頃の行いが悪いからでしょ!」
電話の向こうで母さんがわあわあと騒いでいる。僕は思わず顔をしかめ、携帯を三センチほど耳から遠ざけた。この声を聴くだけで熱がさらに一度上がる気がする。
「とにかく、アンタは大人しく寝てなさい! 明日看病に行ってあげるから!」
「べづに、いらな……」
「その分じゃ、年末からろくなモノ食べてないんでしょ! 栄養とらなきゃ治らないんだからね! こっちはアンタが帰ってくると思って、お節もいっぱい作って待ってたのに――」
「あー、もういい、わがっだ……」
適当な返事をして電話を切り、僕は再び布団へダイブした。
大学一年の冬。実家から電車で二時間の、ワンルームマンションにて独り暮らし中。
自堕落な生活にどっぷり浸かった僕は、勉強もそこそこに悪友たちと麻雀三昧。大晦日も男四人で徹マンし、そのまま帰省するはずが高熱でぶっ倒れてしまった。
夢の中で思い出すのは、ちょうど一年前のことだ。
去年の正月も僕は熱で倒れた。すると、可愛いヘビ娘が空から降ってきて……。
◆
「うーん……苦しい……」
ずっと下に向けていた右肩が、しくしくと痛みを訴える。
安物のパイプベッドの中、僕はごろんと寝がえりを打とうとした……はずが、どうしてもできなかった。熱を孕んだ身体は鉛のように重く、一ミリも動かすことができない。
「うーん、うーん……」
それでも何度かチャレンジしているうちに、だんだん意識が浮上してくる。
と同時、僕は奇妙なことに気づいた。
寝がえりを打てないのは、身体が重いせいじゃない。何者かが僕の四肢を拘束しているせいだった。
その証拠が、僕の背中から胸へと回された二本の腕。汗で濡れたTシャツに絡みつく、ほっそりとした華奢な腕はまるで蛇のようだ。
そして、背後に耳を澄ませると。
「くぅ……すぅ……」
……。
……。
もうこの時点で、何が起きているかはだいたい予想がついた。
しかし自他共に認める『常識人』の僕としては、これを単なる夢だと思いたい気持ちも強く……およそ五分ほどの葛藤を経てから、僕は絡みついた腕をそっと外し、恐る恐る後ろへと首を捻じ曲げて――
「うぉうッ!」
そこに居たのは、可愛い女の子じゃなかった。
そして、当然のごとく蛇でも無かった。
一頭の馬だった。
「すぅ……ぴぃ……」
その馬は、鼻づらを僕の背中に押しつけてすやすやと眠っている。それにもかかわらず、ぎょろりとした目ん玉はパッチリ開いたままで。
布団をペロリと捲ると、馬のボディが見えた。オフホワイトのニットワンピースを着た、人間の女の子の身体だ。
間違っても『女』とは言えないぺたんこな胸に、棒きれみたいに細い腕と脚。僕の腰に足を絡めていた名残りで、スカートが思い切りずり上がってパンツが見えている。色はピンクだ。
顔が見えずとも、ソイツが誰なのかは良く分かった。
「おい、起きろ」
「んん……もう、お雑煮は食べれません……」
「起きろって」
「お腹いっぱい、です……むにゃ」
馬の鼻づらをコンコン叩いてみるも、当人が夢から覚める気配は無し。僕は深いため息を吐いた。
世の中には『変人』と呼ばれる人が多数いるってことは、大学に入って実感した。漫画に出てくるようなマッドサイエンティストの教授、三浪三留しているというバンカラな先輩、そして僕を麻雀という悪の道へ引きずり込んだ同級生……。
だけど、変人ランキング第一位はコイツだ。
人の家へ勝手に上がり込んで、なぜか馬の被り物をし、しかも僕を抱き枕にして眠り込んでいる……アイドルばりの美少女。
その正体は、隣人のカナ。現在高校二年生。
元々は幼なじみで、再会したのはちょうど一年前。空からボタッと落ちてきたあの瞬間のことは、たぶん一生忘れられない。
それからコイツは、溢れんばかりの天然パワーで僕の受験勉強を邪魔しまくった。それでもなんとか合格できたのは、二つ分のお守りのおかげか。
春になり、僕が一人暮らしを始めてからは多少疎遠になったものの……ちょっと隙を見せるとこうなる。
「くそっ、母さんめ……コイツにうちの合鍵渡すなんて、不用心にもほどがあるだろ」
マジでこの部屋に入り浸られたらどうするんだ?
ていうか、普通の男ならとっくに襲ってるシチュエーションじゃね?
激しい頭痛を覚えつつも、僕は温かいベッドから脱出。熱がぶり返さないよう暖房を強めにつけて、室内を見渡す。
クローゼット前のハンガーには赤いコートとポシェットがかけられている。そして部屋の隅に備え付けられたミニキッチンの上には、母さんから託されたであろうお節入りの紙袋があり、中にはお節のタッパーと、缶詰、インスタントラーメンなどの非常食がみっしり。持ち上げてみるとそうとうな重量だ。
「まあ、コレを運んで疲れちまったんだろうな。そんで、あの被り物で僕を驚かせようってサプライズを計画したはずが、僕がなかなか起きなくて、そのうち自分が眠くなってついベッドへ入りこんだ、と……」
理系っぽく仮説を立てる間も、すやすやと眠り続ける馬娘。
ひとまず汗で湿ったシャツを着替え、お節の煮物を軽く摘まみ、風邪薬を飲んで一息ついたところで、ようやく気づいた。
枕元に転がしたはずの携帯がベッドの下に落ち、チカチカと青い光が明滅している。
そいつを拾い上げ、メールを確認した刹那――くらりと目眩を覚えた。
『年明け麻雀やるぞ! 三日の昼過ぎ、ユキヒロんち集合な!』
時計を確認すれば、現在一月三日の午後一時。
大学や駅からもほど近い僕の家は、日頃から皆の溜まり場になっている。こんな風に突発的なイベントが、本人の許可も得ずに宣言されるのは良くあること、なのだが。
さすがに今はマズイ!
僕はすぴすぴと鼻を鳴らす馬を横目に、慌ててメールの返事を打った。
『悪い、風邪引いたからまた今度にしてくれ』
冷静に考えれば、この判断が間違っていた。『まだ実家にいる』とでも言えば良かったのに、馬鹿みたいに正直なことを伝えてしまった。
その結果。
『そりゃ大変だ。見舞いに行ってやるよ』
『何か差し入れ買ってくわ』
『ユキは寝ててもいいから、三麻やらして(笑)』
次々と届く友人たちのメール。刻一刻と過ぎて行く時間。ベッドですやすや眠る馬。
――これは夢だ。初夢だ。いや悪夢だ。
ラグの上にへたり込んだまま、僕が現実逃避を始めたそのとき。
ピンポーン。
無情にも客人の来訪を告げるチャイムが鳴った。僕は馬の全身に布団を被せ、玄関に置いてあったロングブーツを棚の上にあげてささやかな証拠隠滅工作を施した後、覚悟を決めてドアを開いた。
「うーす! あけおめー。お邪魔しまーす」
「風邪引いたって? 日頃の行いが悪いからじゃね?」
「そうだそうだ、こないだ俺から親倍なんて上がるから罰が当たったんだ」
こっちが「どうぞ」の一言も声を発しないうちに、三人のむさくるしい男どもがわいわいと騒ぎながら靴を脱ぎ散らかして部屋の中へ。勝手知ったる我が家のごときリラックスした表情で、ラグの上にドサッと腰を下ろす。そして脱いだコートやマフラーを、無造作にベッドへ放り投げる。
その布団が不自然にこんもり盛りあがっていることには、どうやら気づいていないらしい。
「とりあえず乾杯すっか。お前は病みあがりだからポカリな」
差し入れのビニール袋の中から、ジュースのペットボトルが四本取り出される。そしてポテチとチョコ菓子が開かれ、質素な部屋がちょっとしたパーティ会場へと早変わり。
僕はベッドを背にする定位置に腰かけ……背後を気にしつつもポカリを手にした。もうなるようになれといった気分で。
「んじゃ、乾杯!」
「「「かんぱーい!」」」
と、それぞれにペットボトルを掲げた刹那。
「うぅん……」
「――ゲホゴホブホッ!」
背後から漏れたその声をごまかすべく、僕は大げさに咳込む。
遠慮の欠片もなかった悪友たちも「大丈夫か?」「寝てた方がいいんじゃね?」と心配げにこっちを見やる。
それを好機ととらえた僕は「風邪移したら悪いし、今日は帰ってくれ」と告げようとしたのだが。
こっちを見ていたはずの悪友たちが、そのままピキッと固まった。
「おい……」
「なんか、お前のベッドに……」
「変なのがいるんだけど……」
僕はゆっくりと顔を後ろへ向け……そして事態を確認する。
当然のごとく、馬だった。
被り物と布団の二重構造で、さすがに息苦しくなったのだろう。頭まですっぽり被せたはずの布団を、ペロンと剥がしてしまっていた。にょっきり飛び出す焦げ茶色の頭と、大きなぎょろ目。
「ああ、アレは馬だ。今年はうま年だからな」
それだけ言うと、僕は何事も無かったかのように前へ向き直った。そしてナチュラルな動作でテレビをパチリ、と。
新春特番に出ずっぱりなお笑い芸人が、ベタなボケでこの部屋の空気をさらに寒くする。
「馬、か……」
「馬だな……」
「確かに馬だ……」
呆然としたままベッドをガン見する友人たち。そのうちの一人が、決定的な証拠を見つけてしまう。
クローゼットの前にかかったままの、赤いコートだ。明らかに女物の。
「あのさ……」
「この馬って、もしかして……」
「お前の、カノジョ、とか……?」
「――いや、ちょっと待て、それは違」
と、僕が言い訳をしようとした瞬間。
大人しく眠っていたはずの馬がもぞもぞと首を動かし、「ヒヒーン」と嘶く代わりにこんな台詞を囁いた。可愛らしい女の子の声で。
「んー……ユキヒロさん、おっぱい、触ってください……」
……。
……。
……たっぷり十秒ほど固まった後、友人たちは無言のまま部屋を出て行った。
◆
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい……」
ラグの上で正座し、今にも土下座せんばかりに項垂れた美少女が、涙混じりの声で呟く。さらさらのロングヘアは、寝起きのままでくちゃくちゃだ。
三人が逃げ出した直後、ようやく夢の世界から目覚めたカナに対し、僕は起こった出来事を包み隠さず伝えてやった。
気づいたら馬がベッドに寝ていたことや、その姿を遊びに来た友人たちに見つかったこと。
そして――
『おっぱい、触ってください……』
さすがにこの寝言のことだけは言えなかった。アレは僕にとっても地雷というかヤブヘビというか……。
「とにかく、もう一回僕の友達に会ってもらいたい。それでちゃんと説明してくれ。僕とはただの幼なじみで、部屋に上がり込んだりするような関係じゃないって」
するとカナは、前髪の隙間からチラリと僕を見やって。
「……や、です……」
「なんだよ。言いたいことがあるならハッキリ言えよ」
「イヤ、です!」
正座のまま、キリッとこっちを睨みつけるカナ。桜の花びらみたいな唇がつんと尖り、白い頬が餅のようにぷうっと膨れる。
なんだかんだ従順なカナが、こんな風に反抗したのは初めてだ。驚きのあまり、手にしたポカリのペットボトルを落としてしまいそうになる。
そんな僕へ射抜くような視線を向け、カナが叫んだ。
「だって私、またここに遊びに来たいんです! もらった鍵も返しません!」
「おい、カナ……お前何言って」
「さ、逆らうと、お母さんに報告しちゃいますからね! ユキヒロさん、勉強もしないで麻雀ばっかりしてるって!」
「……なんで知ってんだよ」
「私には、何でもお見通しなんです! それに、大学に綺麗な女の人がいっぱいいて、ちょっとモテたりしてるってことも……私、ずっと不安で、クリスマスだって、メールしか、できなくて……っく……」
睨みつけていたはずの瞳がぐらりと揺らぎ、みるみるうちに涙を湛えていく。儚げなその表情を見ているだけで、なぜかこっちが悪さをしているような気分になってくる。
だけど……これは僕が悪いのか?
いくら可愛くても、コイツはまだ十六だぞ? 一人暮らしの男の家の鍵なんて渡せないだろう?
それに、そもそも僕らの関係だって何一つ決まってない――
「ひっく……」
「あー、分かった! 僕が悪かった!」
そう叫んで、僕は立ち上がった。そして小さなテーブル一つを乗り越えて、ついに涙を零したカナの元へ。
隣に座り、細い肩を抱き寄せて頭を撫でる。カナは僕のなすがままにされながら、透明な涙を零し続ける。
「また遊びに来てくれていいから。鍵も持ってていい。あとは何だ?」
「……い……」
「ん?」
「おっぱい、触ってください……」
「ちょ、待て、さすがにそれは」
「私、去年から、頑張ったんです……ようやく、ちょっとだけ、大きくなったんです……」
そう言ってカナは、自分の目を擦っていた手を膝へ下ろし、僕の手をぎゅっと握りしめた。熱があるのはどっちなのか分からないくらい、僕の手もカナの手も熱い。
心臓がドクドクと激しく脈打つ。胸が締め付けられるように痛み、呼吸ができなくなる。
そのままカナは僕の手をゆっくりと胸元へ引き寄せて……。
ペタリ。
……。
……。
「ど、どうですか……ッ?」
もこもこしたニットの素材が間に挟まっていることは、もはや関係ない。
おっぱいという単語に求める夢や希望――大きさや、柔らかさ――それを測ろうとすることそのものがナンセンスだった。
圧倒的に起伏の無い、どこまでも平らな大地がそこに広がっていた……。
僕はそっと目を伏せ、そして首を小さく横に振った。
「スマン、分からん」
「そんな……去年より二倍も大きくなったのにッ」
悲痛な慟哭とともに、ガックリと肩を落とすカナ。
二倍と言っても、たぶん一センチから二センチとかそういうレベルに違いない、という仮説はひとまず棚の上へ。
まあ一センチだろうが二センチだろうが、そんなことはたいした問題じゃない。
こうして触ってしまったという事実に対し、僕は責任を取るべきなんだろう……。
その後、僕は逃げ出してしまった悪友三人を部屋に呼び戻した。
そして、ちゃんと髪を梳かして居住まいを正した、とびきりお馬鹿で可愛い女の子を、正式な『カノジョ』として紹介することになる――