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《自由騎士》

 突然背後からかけられた、若い男性の声。

 声を聞いた限りでは、年齢は辰巳よりも僅かに年上……それでも、二十歳を大きく上回ってはいないだろうと思われた。

 そしてその声に反応して、まずは名前を呼ばれたカルセドニアが振り返る。

 彼女に僅かに遅れて辰巳もまた。この時、カルセドニアの後ろを歩いていた辰巳は、彼女が振り向いた時に笑顔を浮かべていたことに気づいた。

 彼女に釣られるように辰巳も背後を振り返れば、そこには一人の男性がいた。

 年齢はやはり二十歳前後だろう。一八〇センチを超えていると思われる長身と、細めながらもしっかりと鍛えられていることが分かる体型。

 そのがっしりとした身体に板金製の鎧──いわゆるプレートメールという奴だろうと辰巳は推測した──を着込み、腰に剣を佩いている。

 髪は鮮やかな赤毛。その赤毛を短めに刈り込んだ髪型が実に映える涼しげに整った容貌。

 赤茶色の双眸が、辰巳の背後にいるカルセドニアを捉えて優しげに細められていた。

 うわー、まるでどこかの王子様か勇者様だな、というのが辰巳が彼に対して抱いた第一印象だ。

「あら、モルガー。今日の神官戦士の訓練は終わったの?」

「ああ。今日もしっかりとしごかれたよ」

「あら。あなたが他の神官戦士たちをしごいた、の間違いじゃない?」

 辰巳の抱いた感想をよそに、二人は実に親しげに会話をする。

 二人の会話の邪魔にならないように、辰巳は廊下の脇へと下がる。そうしながら、辰巳は先程カルセドニアが口にした「モルガー」という名前に聞き覚えがあることに気づいていた。

──そうだ。今日出会ったカーシンという貴族が言っていたっけ。確か、噂ではカルセドニアの恋人みたいに言われているとか……他には《自由騎士》とも呼ばれていたと思ったけど……。

 辰巳が今日のカーシンとの会話を思い出していると、そのモルガーという男性がふと彼の方へと視線を動かした。

「ところで、カルセ。こちらの方はどなただ? 随分と見慣れない格好をされているが……もしかして、他国から我が神殿を訪ねてみえたお客人か?」

「あ! 私としたことが……申し訳ありません」

 思わず辰巳を無視して会話していたことを思い出して、カルセドニアは辰巳へと向き直ると深々と頭を下げた。

「ご紹介いたします。こちらの男性はモルガーナイク・タイコールス。このサヴァイヴ神殿に所属する神官戦士であり、私と同じ魔祓い師でもあります」

「え? チーコと同じ……?」

「はい。私とモルガーは、魔祓いの依頼があった場合、いつも一緒に組んで仕事をしています」

 カルセドニアはモルガーナイクを見ながらくすりと笑う。対するモルガーナイクも、その涼しげに整った容貌に柔らかい笑みを浮かべてカルセドニアを見ている。

 まるで有名芸能人同士のカップルみたいな図柄だな、と辰巳はやや場違いな感想を抱きながら二人を見つめる。

 それと同時に、心の奥底で感じられるちくりとした痛み。

 なぜそんな痛みを感じるのかと辰巳が内心で首を傾げていると、モルガーナイクが一歩辰巳の方へと近付いた。

「只今紹介を受けました、モルガーナイクです。お見知りおきください、異国の方よ」

 そう言いながら、すっと右手を差し出すモルガーナイク。

 こっちの世界でも握手で親愛を現すんだな、と考えながら、辰巳もモルガーナイクが差し出した右手を握り締めた。

「こちらこそ、よろしくお願いします。俺……あ、いや、自分は山形辰巳……こっちではタツミ・ヤマガタと名乗った方がいいのかな?」

 先程カルセドニアがカーシンに辰巳のことを紹介した時、彼女は辰巳を「タツミ・ヤマガタ」と紹介していた。どうやらこの国では、西洋と同じように名前を先に名乗るようだ。

「それで、タツミ殿は何用でこの国に? ここでカルセと一緒にいるということは、クリソプレーズ猊下にお会いになるためですか?」

 カルセドニアがジュゼッペの養女であることは、この神殿の人間ならば誰もが知っている。実際にジュゼッペを訪ねてくる客人を、こうしてカルセドニアが彼の元へ案内することは多々あるのだ。

「え? えっと……クリソプレーズ猊下ってジュゼッペさんのことだよな?」

「はい、そうです」

 辰巳がカルセドニアに訪ねると、彼女は笑顔でその問いに頷いた。

 それは本当に些細なやり取りだったが、それがモルガーナイクに与えた衝撃は大きかった。

 ラルゴフィーリ王国、いや、ゾイサライト大陸の全てのサヴァイヴ信者の頂点に立つと言っても過言ではないジュゼッペ・クリソプレーズを、まるで近所の顔見知りのように親しげに名を呼ぶとは。

 サヴァイヴ神を始めとした各教団の最高司祭ともなれば、その権威は一国の国王にだって比肩する。

 そのジュゼッペをこうも親しげに呼ぶこの黒髪の少年は、一体何者なのか。

 また、モルガーナイクにはもう一つ気にかかることがある。それはカルセドニアがこの少年に対して実に親しげに──いや、まるでこの少年に仕えるかのような態度を見せていることだ。

 養女とはいえジュゼッペ・クリソプレーズの娘であり、ラルゴフィーリ王国でも有名な《聖女》とまで呼ばれるカルセドニアが、まるでそうすることが当たり前のように一歩下がった態度で接している。しかも、彼女の表情はとても嬉しそうなのだ。

 この少年に仕えることが、嬉しくて堪らない。

 そう思えてならないカルセドニアの態度が、モルガーナイクにはどうしても気にかかってしまうのだった。




 普段のカルセドニアは、確かに誰にでも笑顔で接している。だがそれはあくまでも神官としての務めからであり、素の彼女は同性はともかく、異性とはあまり親しく接することはない。

 彼女が親しくする異性と言えば、祖父であるジュゼッペとその側近や、幼い頃から彼女を可愛がってきた数人の大司祭たちだが、彼らは高齢の者が多く、カルセドニアにしてみれば異性という意識は少ないのだろう。

 そんな彼女にとって、年齢が近くて最も親しく接する男性が自分であると、モルガーナイクは秘かに自負していたのだ。

 これまで、モルガーナイクは何度もカルセドニアと組んで、魔祓い師としての仕事をしてきた。

 今ではモルガーナイクとカルセドニアを、二人で一組の魔祓い師と認識している人間も少なくはない。

 市井の魔獣狩りや教団に所属する魔祓い師は、数人で一つの仕事にかかる場合が多い。

 敵は強大な魔獣や魔物である。一人よりも複数で対峙した方が有利なのは、考えるまでもないだろう。

 中には頑なに一人で仕事にあたる者もいるが、それは余程実力の確かな者か、もしくは他人と接するのが苦手な者、または相当の変わり者のいずれかである。

 モルガーナイクとカルセドニアが魔祓い師となって数年経つが、その間二人は常に一緒に組んで仕事をしてきた。

 時には依頼された場所へ何日もかけて二人で旅をし、更には標的である魔獣や魔物を倒すまで、二人で森の中や荒野を彷徨う。

 最初の頃こそは最低限の会話しかなかったが、何度も一緒に依頼を受けているうちに、徐々に二人は親しくなっていった。

 共に命をかけて魔獣と戦っているうちに、自然と打ち解けていったのだ。最初こそぎこちなかった二人も、何度も共に修羅場を潜り抜け、互いに信頼と信用を築き上げていった。

 その事実が、モルガーナイクの中に確かな自信としてある。

 養女とはいえ、サヴァイヴ教団の最高司祭の娘であるカルセドニアには、連日山のような求婚の話が舞い込むという。

 幸いにもジュゼッペに政治的な野心がないため、彼女を政略結婚の道具にするつもりはないようだ。そして、そんなカルセドニアにこれまで一番親しい男性が、モルガーナイクなのであった。

 世間では、二人が恋仲であるという噂が広まっている。常に二人で一緒に仕事をすることで、いつの間にかそんな噂が立つようになっていたのだ。

 そして、当のモルガーナイクもまた、いつの間にかカルセドニアに対して、仕事の同僚以上の想いを抱くようになっていた。

 《聖女》などと大層な二つ名で呼ばれながらも、実際はごく普通の娘と何ら変わらないその性格に。

 傷ついた者ならば誰でも、癒しの手を差し伸べるその優しさに。

 時には羽目を外しすぎて失敗し、ちろりと舌をだしてその失敗を誤魔化そうとする無邪気さに。

 そして何より偽りの笑顔に隠された、自分に垣間見せてくれる彼女の本当の笑顔を見ているうちに。

 モルガーナイクは一人の男として、カルセドニアを一人の女として見るようになっていたのだ。




「昨日すれ違った時は、猊下の御用があったようなのでゆっくり話もできなかったが……そう言えば、ここ数日カルセの姿を見かけなかったな」

 モルガーナイクは心に湧き上がる疑問を押し殺して、再びカルセドニアへと向き直る。

「ええ。お祖父様の言いつけで、こちらのヤマガタ様をお迎えに行っていたものだから」

 カルセドニアが召喚魔法を成功させ、辰巳をこちらの世界に招いたことを知っているのは、現時点ではカルセドニアとジュゼッペだけである。

 召喚魔法はその存在自体は知られていても、誰にでも行える魔法ではない。それどころか、今では伝説と言っていいほどの大魔法なのだ。

 その召喚魔法にカルセドニアが成功したことが知れれば、予想外の騒ぎとなりかねないとジュゼッペは判断した。

 もちろん、次にカルセドニアが召喚魔法を行ったとしても、それに成功するという保証はない。また、カルセドニアに辰巳以外の誰かを召喚できるという自信もない。

 呼ぶ者がカルセドニアだから。そして、呼ばれる者が辰巳だから。

 この条件が揃っていたからこそ、召喚魔法は成功したのかもしれない。

 そのため、召喚魔法のために数日間地下に篭もっていたカルセドニアだが、表向きはジュゼッペの命を受けて客人を迎えに行っていたことになっている。

 もっとも、その表向きの理由は全くの嘘でもない。カルセドニアが迎えたからこそ、辰巳はこちらの世界へと来れたのだから。

「そうだったのか。ああ、済まん。お客人を猊下の所に案内する途中だったな。足止めしてしまって申し訳ありません、ヤマガタ殿」

「いや、気にしないでください。それから、俺のことはタツミと呼んでもらっていいですよ」

「承知しましたタツミ殿。では、オレのこともモルガーと呼んでください」

 にこやかに笑いながら言うモルガーナイク。だが、その赤茶色の瞳が一瞬だけ迫力ある光を放ったのを、真っ正面にいた辰巳は確かに見た。

 一礼したモルガーナイクは、二人に背中を見せて立ち去って行く。

 その背中を、辰巳は僅かに首を傾げながら見つめる。先程モルガーナイクが見せた、あの妙に迫力ある視線。その意味が辰巳には理解できない。

「どうかなさいましたか、ご主人様?」

「あ、ああ、いや、何でもない。それよりさ、あのモルガーって人、《自由騎士》って呼ばれているんだろ? その《自由騎士》ってどんな意味?」

「ご主人様、よく彼の二つ名をご存知で……ああ、そう言えば今日、サンキーライ様が彼のことを少し話していましたね」

 何かを気にした様子でちらちらと横目で辰巳を見ながら、カルセドニアは《自由騎士》とは何かを説明した。

 本来、騎士とは王や国、貴族などに仕える者のことである。

 (あるじ)に忠誠と武力を捧げ、文字通り主のために盾となり剣となる者のことを騎士と呼ぶ。

 高潔な精神と鋼の肉体を要求され、そのためには常に己を律し鍛え続けなくてはならない。そしてその華やかで勇ましい印象から、女性や子供たちからは絶大な人気を誇る。

 もちろん、全ての騎士がこの条件に当てはまるものでもないが、世間一般で騎士と問えば、以上のような返答が得られるだろう。

 だが、自由騎士は仕えるべき主を持たない。

 主を持たない代りに、世の中の弱者や困っている者たちのために剣を取る者を、ラルゴフィーリ王国では自由騎士と呼んでいるという。

 とはいえ、誰もが自由騎士と名乗るわけではない。

 先述したが、騎士とは主に仕える。そして、その主から俸給を得て生活の糧とするのだ。

 そのため、主を持たない自由騎士には決まった収入がない。

 生きていくためには、どうしたって何らかの収入が必要なことは、子供でも知っている。

 そのため自由騎士となった者は、どうしても金銭的には苦境に追い込まれることが多いのだ。

 華やかで名誉ある騎士と違い、自由騎士は名誉や名声こそ騎士に劣らないものの、どうしても地味な印象を与えてしまう。

 以上の理由から、自ら自由騎士を名乗る者は少ない。また、なろうとする者もあまりいないのが現実なのである。

 自由騎士についての説明を聞いた辰巳は、騎士というより勇者に近い存在かもしれない、という印象を受けた。

「モルガーは、これまで困っている人たちのために、数多くの魔獣や魔物を倒してきました。決して金銭を要求するようなこともなく、ただそこに困っている人がいるからという理由だけで。もちろん正式な依頼であれば、神殿から報酬は出ます。ですが、彼は神殿からの依頼でなくても、己の意志で困っている人のために剣を取るのです。そんな彼が《自由騎士》と呼ばれるようになったのは、自然なことだと私は思います」

「……それで、彼が困っている人のために戦う時……チーコも一緒だったんだろ?」

「……そうですね……私も神官として……そして、彼の友人として……彼を手助けしてあげたかったのです……で、ですがっ!!」

 カルセドニアは勢いよく辰巳へと振り向いた。

「わ、私はそ、その、あくまでも友人としてですね……け、決して、世間で噂されているように、か、彼のことを……な、なんて事実は絶対にありませんからっ!! わ、私が想っているのは……」

 真っ赤な顔で。それでも必死な表情で。辰巳にはカルセドニアが何を言いたいのか理解できた。

 先程カーシンも話していた、《自由騎士》と《聖女》の噂のことを彼女は気にかけていたのだろう。だから辰巳はにこやかに答えてやる。

「分かった。噂は噂でしかないってことなんだな?」

「は、はい……っ!! し、信じていただけますか……?」

「もちろん、信じるよ」

 心持ち頭を下げ、上目使いでじっと辰巳を見つめるカルセドニアの頭を、辰巳は掌でぐりぐりと撫で回した。

「さ、それよりも早くジュゼッペさんに、家が決まったことを報告に行こう」

「はいっ!!」

 街に出た時にそうしていたように、カルセドニアは辰巳の腕を抱え込むと嬉しそうに彼にそっと寄り添う。

 この時、先程辰巳が感じた心の奥底の小さな痛みは、もう感じられなかった。


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