魔祓い師
カーシンが辰巳とカルセドニアをその後に案内したのは、街の中心部に程近い区画にある一軒の家だった。
「ここなどはどうでしょう? カルセドニア様のご主人──タツミ様のご希望通り、控え目なつくりの家となっておりますが……」
街の中心部でよく見かけたような、赤い煉瓦を積み上げて造った小さな家。
小さいとは言っても、これまで見てきた貴族の屋敷に比べればの話で、庶民の家としては大きな部類に入るだろう。
家は石造りだが、床はきちんと板張りになっている。部屋の数は全部で四つ。一つは玄関から入ってすぐの大きな部屋で、リビング的な部屋なのだろう。そこから扉を隔てて二つの部屋があり、どうやら寝室として使う部屋らしい。そして、屋根裏にも狭いが一つ部屋があった。
その他には台所と覚しき場所とトイレ。さすがにこの世界の文化レベルでは水洗トイレは存在せず、穴の中に貯め込むタイプのようだった。
この家には小さいが庭と裏庭もあり、裏庭には専用の井戸がある。
庶民は街の所々に存在する井戸を共用で使うのが普通なので、専用の井戸のあるこの家は、やはり庶民の中でも裕福な者が住むための家なのだろう。
それ以外で辰巳の目を引いたのは、裏庭に程近い場所に置いてあった大きな岩をくり抜いた箱状のもの。
「これは何だろう?」
「これはですな、タツミ様。この家の前の持ち主が家に風呂が欲しいとかで、このような岩製の風呂を〈地〉の適性系統を持つ魔法使いに特注したそうです」
「え? じゃあこれ、風呂なのか……じゃない、風呂なんですか?」
「ええ、そうです。お見かけしたところ、タツミ様は他国のご出身のようなのでご存知ではないかもしれませんが、この国の宵月の節は氷の精霊の力が強くなる関係で、雪も多く寒さが厳しいですからな。寒さの厳しい時期にはやはり風呂でゆっくりと温まるのが、この国の昔からの風習です。とはいえ、貴族でもなければ自宅に風呂がある家はまずありません。よって、街の中には共同の浴場がいくつか存在しております」
ちなみに、風呂に湯を張る場合は、大きな鍋などで湯を沸かしてそれを湯船に流し込むか、〈火〉の適性系統を持つ魔法使いを雇って湯船に張った水を加熱して沸かすかのどちらからしい。
どちらも人手と時間と費用がかかるため、貴族などの使用人が雇える裕福な家でないと、自宅に風呂は置けないのだそうだ。
「ということは、やっぱりこの家の前の持ち主は、かなり裕福だったんだなぁ」
「そうですな。確か、何かの商売で成功した人物で、その人物が商売を息子に譲った後、引退後の生活の場としていた家だそうです。ですが……その人物の死後、息子が商売で失敗して大きな穴を開けてしまい、その穴を埋めるためにこの家は売りに出されました」
「どうですか、ご主人様?」
カルセドニアは、家の中をゆっくりと見回している辰巳に声をかける。
「うん、いいんじゃないか? チーコさえよければ、ここにしよう」
「私にも異存はありません。ここからなら神殿も遠くありませんしね。では、サンキーライ様。この家のお値段はいかほどでしょう?」
「ありがとうございます! して、ここの家の値段ですが────」
物価の基準が分からない辰巳は、値段交渉はカルセドニアに全て任せ、もう一度ゆっくり家の中を見て廻る。
日本で言えば3LDKから4LDKに相当する規模の一軒家だ。二人で暮らすには充分すぎるだろう。
当然今は家具などは何もないが、これからどのような家具をどこに置くかなど、カルセドニアと一緒に考えるのも楽しいに違いない。
ところで、家の代金はどうするのだろう? ジュゼッペやカルセドニアがどの程度の資産を持っているのか知らないが、こっちの世界でも住宅ローンとかあるのだろうか?
「後でチーコに聞いてみよう。さすがに全額払ってもらうのは心苦しいから、一日でも早く仕事を見つけて財政的にチーコの手助けをしないとな……それまでは、神殿の下働きでも何でもしないと」
この家の値段が一般市民の生活費数年分に相当すると知り、そして、それだけの金額をぽんと払ってしまえるカルセドニアの財力に、辰巳が大いに驚くのはもう少し後のことである。
神殿への帰り道。
家は購入したものの、すぐにその家で暮らせるわけではない。
家具の用意もあるし、しばらく放置されていたので多少の手直しも必要だからだ。家具はともかく手直しの方は、そのままカーシンが手配してくれるというので彼に任せ、辰巳とカルセドニアは一旦神殿に戻ることにした。
「どうかなさいましたか、ご主人様……?」
がっくりと肩を落としてとぼとぼと歩く辰巳を、カルセドニアは心配そうに見つめる。
「いや、大丈夫……ちょっと現実ってやつを突きつけられただけだから……」
どうやら、カルセドニアはかなり稼いでいるらしい。それが辰巳が思い知らされた現実だ。
確かに昨日、彼女はそれなりに収入があるようなことを言っていたが、それでも一般市民の数年分の生活費に相当する金額を、ぽんと払ってしまえるほどとは思いもしなかった。
やっぱり、こちらの世界でも宗教関係は儲かるのかなぁ、なんてことを辰巳は考える。元の世界でも、種類に問わず宗教は儲かる、というのが辰巳の宗教に対する漠然としたイメージだった。
とはいえ、これからはカルセドニアと二人で暮らして行くのだ。
元ペットのオカメインコだったとはいえ、今のカルセドニアはまぎれもなく人間で、しかも相当な美人である。そんな女性と一緒に暮らすなど、まだ夢ではないかと思えてしまう辰巳だが、これは夢なんかではない。
確かに辰巳の中では、既にカルセドニアは家族だという認識ができている。だからと言って、何から何まで全部カルセドニアにおんぶに抱っこでは、さすがに自分でも情けなさすぎた。
ここは彼女に及ばずとも、自分もそれなりに稼がなくては。
そう改めて決心するも、そのためには相当がんばらないとならないのは、こちらの世界に疎い辰巳でも容易に想像できた。
「俺にもできて、それなりに儲かる仕事……そんな都合のいい仕事があるわけないよなぁ……」
仮にそんな仕事があったとしても、とっくに誰かがその仕事に就いているだろう。
「こういう時、異世界転移ものの定番と言えば、やっぱり冒険者だけど……」
果たして、実際に冒険者などという職業が存在するのだろうか。仮に存在するとして、どれほど稼ぐことができるだろうか。
「なあ、チーコ。こっちの世界には冒険者って連中はいるのか?」
「ボウケンシャ……ですか? 私は聞いたことはありませんが、それはどのような者たちなのですか?」
冒険者とは、金銭を対価に危険な仕事を請け負う何でも屋。人に害をなす魔物などを退治したり、行商人の護衛を務めたり。時には古代遺跡などの迷宮に潜り、そこに眠る財宝を引き上げるため、迷宮に巣くう魔物と戦うこともある、などなど。
辰巳はゲームや小説などに登場する、典型的な冒険者のことをカルセドニアに説明していった。
「ご主人様のおっしゃるボウケンシャとやらは存在しませんが、あえて言うならば魔獣狩りがそれに近いでしょうか」
「魔獣狩り?」
どうやら王道展開通り、こちらの世界には魔獣などの怪物が存在するらしい。
普通の野生動物の中にも危険な種類は存在するが、魔獣と呼ばれる存在はそれらとは一線を画したものである、とカルセドニアは言う。
「魔獣の中には魔法に良く似た現象を引き起こすようなものまでいて、人里近くに現れた場合は非常に危険な存在となります。弱肉強食は世界の鉄則ではあり、強者である魔獣が弱者である人間を襲って糧とするのは、確かに自然の摂理の一つではあります。ですが、だからと言って人間が黙って魔獣の餌食にならなければならないわけでもありません。そこで、危険な魔獣を退治するため、魔獣狩りと呼ばれる者たちが存在するのです」
当然、その魔獣狩りと呼ばれる者たちを雇うには、それなりの対価が必要となる。危険な魔獣に挑むのだから、彼らが危険に見合う報酬を求めるのは自然なことだろう。
また、魔獣の中には肉が食用に適している種もいるし、毛皮や鱗、爪、牙、骨なども各種の素材として用いられるものもある。
そのため、魔獣狩りの中には依頼されてではなく、自ら魔獣を探し出して積極的にこれを狩る場合も多々ある。食肉や素材として利用できる魔獣ならば、一頭狩るだけで相当な額の金銭を手に入れることができるのだ。
「でも、国や領主などの軍や兵士は、魔獣退治には動いてくれないのか?」
「もちろん、国王陛下や各地の領主様が、配下の兵士たちを派遣することはあります。ですが、軍隊の騎士や兵士はあくまでも対人戦闘が専門です。相手が人外の魔獣となると、何かと勝手が違ってその実力を充分に発揮できないと聞きます。また、魔獣退治の依頼は急を要する場合が多いので、初動が早い魔獣狩りたちに最初から依頼する場合が多いようです」
カルセドニアの話を聞いて、なるほどなと辰巳は納得する。どこの世界でも、やはりお役所仕事は腰が重いものらしい。
「後、私たちが属する神殿にも、魔物退治の依頼が来ることがあります」
「え? 神殿にも?」
「はい。私たち神殿に寄せられる依頼は、一般の魔獣退治ではなく魔祓いの依頼が多いですね」
この世界の怪物の中には、肉体を持たないいわゆる精神体というべきものも存在する。
そんな怪物は総称して〈魔〉と呼ばれ、この状態では大して危険な存在ではないのだが、この〈魔〉が他の野生動物や魔獣に憑依した場合、通常の魔獣よりも強力な怪物と化す。〈魔〉が憑依した野生動物や魔獣を、他と区別するために「魔物」と呼ぶらしい。
〈魔〉は取り憑いた動物や魔獣の食欲や破壊衝動、縄張り意識といった本能を増長させ、見境いなく他者に襲いかかる狂気に犯された魔物へと変貌させる。
たとえ魔物を倒したとしても、それは憑依した動物や魔獣を倒したに過ぎない。本体である精神体の〈魔〉は物理的な打撃を受けないので、倒された仮初めの肉体を捨て、〈魔〉は別の肉体へと再び憑依する。
そのため〈魔〉を消滅させるためには、〈光〉と〈聖〉の系統に存在する《魔祓い》の魔法を使用するしかない。
世の中には《魔祓い》の魔法と同じ効果を付与された武器も存在するが、その数は極めて少数であり、そのような武器は聖剣や聖槍などと呼ばれる。
「も、もしかして、チーコも……」
「はい。私も〈聖〉の適性系統を持っていますので、依頼を受けて〈魔〉を祓うことがあります。私のように神殿に所属して〈魔〉を退治する者を、市井の魔獣狩りとは区別して『魔祓い師』と呼びます」
どうやら、彼女が辰巳の予想以上の資産を持っていたのは、この魔祓い師としての報酬が理由のようだ。
その他にも、彼女の収入としては治療系の魔法を依頼された際の報酬などもある。もちろん、治療の報酬の全てが彼女のものになるのではなく、彼女が所属するサヴァイヴ神殿へと半額ほどは納められるが、彼女の高い〈聖〉の適性系統と優れた魔力による治癒魔法の評判は高く、あちこちから治癒魔法の依頼が絶えないらしい。
確かにカルセドニアは〈聖〉以外にも適性系統を持ってはいるが、その中で最も適性の高い系統はやはり〈聖〉なのだ。
高いレベルで治療系魔法を操るその実力と、魔祓い師としての実績。それが彼女が《聖女》という二つ名で呼ばれる所以の一つであった。
「〈魔〉……ねぇ。こっちの世界には恐ろしい怪物がいるんだな。でも、普通の魔獣と〈魔〉が憑依した魔物……どうやって見分けるんだろう?」
単なる魔獣と〈魔〉が憑依した魔物。その区別がつかなければ、退治の依頼を出す方も受ける方も困るだろう。
普通の魔獣だと思って魔獣狩りに依頼したが、実際は〈魔〉が憑依した魔物だったりしたら、魔獣狩りでは手に負えないどころか最悪その魔獣狩りが命を落とすことになりかねない。
となれば、何か区別する方法があるのではないか。そう考えてカルセドニアに尋ねてみたところ、やはり見分ける方法があるとのことだった。
「〈魔〉が憑依した魔物は、両眼が禍々しく赤く輝きます。その輝きはたとえ昼間でもはっきりと分かるほどですから、見間違えることはほとんどありません」
「え? 目が赤く……?」
思わず、辰巳はカルセドニアの紅玉のような瞳を凝視してしまった。
そして、カルセドニアにしては珍しく、ふっと目を細めると辰巳の視線から逃げるように横を向く。
「……私の目はこんな色ですから……小さい頃などはよくいじめられました……」
「あ……っ!! ご、ごめんっ!! お、俺、そんなつもりじゃ……っ!!」
知らなかったとはいえ、カルセドニアのトラウマを抉ってしまった辰巳。彼は慌ててその場で深々と頭を下げて謝罪する。
「気になさらないでください。今では目の色のことで、あまりあれこれ言われておりませんから」
そう言ってにっこりと微笑むカルセドニアだったが、実は彼女だって知っているのだ。陰で彼女のことをよく思わない者たちが、彼女の高い魔法使いとしての実力を妬んで「あそこまで魔力が高いのは、実は〈魔〉が憑依しているからではないのか」と陰口を叩いていることを。
もちろん、それは全くの出任せであり、カルセドニアに〈魔〉は取り憑いてなどいない。彼女ほど高い〈聖〉の適性系統を持つ人間は、〈魔〉にとってはある意味で天敵である。そのため、〈魔〉はカルセドニアに憑依したくても憑依できないのだ。
「ですが、魔物の中で一番恐ろしいのは、人間に〈魔〉が憑依した場合です」
「えっ!? 〈魔〉って人間にも取り憑くのか?」
「はい。人間は動物や魔獣とは違い、様々な欲望を持っています。これらの欲望が大きくなり過ぎると、〈魔〉を呼び寄せてしまうと一説では言われています。もっとも、今のところそれを証明した賢者は存在しませんけど」
また、非業の死を遂げた場合、その怨念に引き寄せられて死体に〈魔〉が取り憑くとも言われている。実際、戦場などに打ち捨てられた死体に〈魔〉が取り憑いて、死体が動き出す場合があるという。
カルセドニアの話を聞き、辰巳はそれがいわゆる不死の怪物のことだなと理解した。
「あとは取り憑いた人間の能力が高ければ高いほど、抱える欲望が大きければ大きいほど、魔物となった場合の能力も高くなると一般には言われていますね」
「そう考えると、実にやっかいな怪物だな、その〈魔〉ってやつは」
二人は神殿へと向かって歩きながら、更にあれこれと魔獣や魔物の話をした。
これまでにカルセドニアが実際に退治した魔物や、御伽噺や伝説などに登場する神話級のとんでもない怪物まで。
それらの話を聞きながら、まだ見ぬ魔獣や魔物に対して、辰巳の中でどんどんと興味が大きくなっていった。
折角異世界に来たのだから、一度くらいは実際に魔獣や魔物を見てみたい。それに異世界とくれば冒険はつきものだ。まだ十六歳でしかない辰巳には、冒険に憧れる純粋な心が根強く残っていた。
辰巳がまだ見ぬ怪物たちに思いを馳せていると、徐々に神殿が近づいてくる。
神殿と聞いて、辰巳はなんとなくよくあるキリスト教の教会の大きなもののイメージを抱いていたのだが、実際に見たその外観は教会や神殿というよりも、西洋の城のような外観の建物だった。
その城のような建物の屋根から突き出した細長い塔に、大きな鐘が釣り下げられていて、そこだけは辰巳の神殿や教会のイメージと重なっている。
「さて、と。家の準備が整うまでは神殿で寝泊まりさせてもらって、下働きでもしながら暮らすかぁ」
「がんばってくださいね? 困ったことがありましたら、私が力になりますから何でも言ってください」
カルセドニアに笑顔で励まされつつ、斧槍を構えた門番が睨みを利かせている正面玄関から神殿の中へと入る。
もちろんカルセドニアと一緒なので、門番に咎められるようなことはない。もっとも、神殿の出入り口は誰に対してでも開け放たれているものだが。
「まずはジュゼッペさんに家が決まったことを報告しないとな」
「そうですね。今頃の時間帯ならば、お祖父様はご自分の執務室にいらっしゃると思います」
カルセドニアに案内されて、ジュゼッペの執務室へと二人が歩き出した時。
「カルセ? 今日は姿を見かけなかったが、どこかへ出かけていたのか?」
彼らの背後から、低くて落ち着いた印象の若い男性の声がした。