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一日一輪 ~女子校の日々はときめきに満ちている~ 作者:扇智史
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第96話「万が一にも、私が海底王国のプリンセスだったとしても」

 エアコンから流れるけだるい空気で暑気を追い払い、熱気を忍び込まそうとする窓をカーテンでふさぎ、ベッドでうたた寝をしていた内藤(ないとう)弥生(やよい)は、ぼんやりとした夢を見た。

 初野(はつの)千鳥(ちどり)と、海にいる夢だ。

 弥生はシュノーケルにダイビングスーツという完全武装で、なぜか制服のままの千鳥の手を引いて、海に飛び込んだ。泳げない、という千鳥を、弥生は両腕でお姫様抱っこして、海へと潜っていった。
 水の中でもふつうに会話できるし、映画で見るようなCGの魚が話しかけてくるし、海の中だというのにやけに騒々しくて、ちっとも海中らしい雰囲気ではなかった。弥生自身、海なんて波打ち際までしか行ったことがないから、きっと夢の中でさえ想像もできないのだろう。

「こんなに周りが騒がしいと、ムードに欠けますね」

 熱帯魚に囲まれて、そんなことをつぶやく千鳥の声ばかりが、なんだかとてもリアルに感じられた。

 それから、彼女たちはどんどん、水の奥底へと沈んでいった。太陽が届かなくなるから、海の底のほうはずっとずっと暗くなっていくはずなのに、なぜか、あたりはひどく明るかった。

「マリンスノーですね。プランクトンが発光して、海の中は明るいのです」
「そうなの?」
「ひとつひとつはちいさなものですが、たくさん集まると直列に連結して、太陽のようにまばゆい光を発するのです」

 訳知り顔で千鳥がいうので、弥生は何となく納得する。
 たしかに、海の中はプランクトンの連なった輪のようなもの、螺旋状のもの、ごちゃごちゃに凝り固まったもの、様々な発光体が満ちあふれていた。光のショーは、とがった岩棚や深い海中洞窟、悠々と通過していく鮫の姿を、まざまざと照らし出していた。
 光の輪をくぐって、弥生と千鳥は、さらに先へ進んでいく。

 そうして海の底に目を向けると、薄ぼんやりと青く輝くものの存在が感じられた。それは、地上の世界でも見たことのないような、ふしぎな光。海底そのものが発光しているかのような気配だった。

「海中都市ですね」

 またしても、千鳥がすべてを知り尽くしたようにいった。

「そんなのあるの?」
「空中都市があるのですから、海中にも」

 このあいだ千鳥が見せてくれた、山奥の雲海の奥に広がる村落の風景写真が思い浮かぶ。人間の住居は、少女たちの想像なんてあっという間に越えてしまうらしい。

 海底を見下ろす千鳥の瞳は、藍色に輝いている。
 そして突然、千鳥は弥生の手を離れた。

「え?」
「残念ですが、ここでお別れです。私はじつは海底の国からやってきた人魚のプリンセスだったのです」

 彼女がそう告げた瞬間、制服姿の千鳥はふわりと身を翻し、半裸の人魚へと変貌した。
 千鳥は尾鰭で大きく水を蹴立て、ちいさな泡をまき散らしながら海中都市へと向かっていく。そこでは、魚や人魚たちが諸手をあげて千鳥の帰りを待望していた。でかい垂れ幕に歓迎の文字が並ぶ。

「ちょ、ちょっと待ってよ! せっかくここまで連れてきてくれたのに!? タイやヒラメの舞踊りは!?」

 弥生が叫ぶが、言葉はすべて泡になって千鳥の元には届かない。千鳥は振り返りもせずに、水の底へ……


「待って!」

 叫んで手を伸ばした瞬間に、ベッドから転げ落ちて目が覚めた。
 後頭部の痛みに顔をしかめつつ、弥生は眉をひそめて、夢のかけらをぼんやりと思い返す。

「……ひどいオチだこと」

 水中をふたりで泳ぐ幻想的なシーンは悪くなかったが、あんな唐突なお別れで終わらされては、気が済まない。人魚姫なのか、浦島太郎なのか、モチーフがなんだかよくわからないのも、実に夢らしい。

 ベッドに手を突いて体を起こすと、テーブルの上でスマホが通知を出しているのに気づいた。触れてみると、SNSのグループに投稿がある。千鳥のものだ。

 写真だけが、素っ気なく貼られていた。山上から映した街の景色。
 夕方の日差しを受けて、山裾の風景は赤く染まり、まるで、地面から浮上して飛び立っていきそうに見えた。真夏の熱量を全身にため込んだ都市のエネルギーが、そのまま写し取られているみたいだった。空中を走る電線や、豆粒のような大きさの自動車が、そのエネルギーを循環させる回路となっていた。

 夢で見た眺めとは、まるで違うのに、同じもののように感じられた。

 弥生はメッセージを打ち込もうとして、やめた。その代わりに、千鳥の番号を呼び出してコール。

「はい」
「写真見たよ。すごいきれいだった」

 挨拶もそこそこにそういうと、電話の向こうから、千鳥のかすかな鼻息が聞こえた。

「自信作です。タイミングも完璧でした」
「だよねえ。千鳥さん、あんまり写真とか撮らないもんね」

 写真よりも、自分の足で歩いて、自分の目で見届けることに意味がある。千鳥はそんなふうに思っているのだろう。
 その彼女が、風景を写真に残して、弥生と共有しようとした。それはとても、重要な意味がある。

「弥生さんは、どうしていました?」
「お部屋で寝てたよ……千鳥さんの夢を見た」
「ほう」

 興味をひかれたらしき千鳥に、弥生は夢の内容を説明する。海の景色を説明したあたりで、千鳥が不愉快そうに口を挟んだ。

「夜光虫とマリンスノーがごっちゃですよ。どこかで記憶が混濁したのでは」
「そんなの夢の中でいってよ」

 そして、最後に千鳥が弥生をおいてどこかに行ってしまうあたりで、ふと、弥生は口ごもった。

「……ねえ、千鳥さん」
「何ですか」
「千鳥さんは、私をおいて、どこかに行っちゃったりしないよね?」
「万が一にも、私が海底王国のプリンセスだったとしても、弥生さんを置いていくなんてあり得ませんよ」
「ほんとに?」
「もちろん。玉手箱をあげて返すような薄情な仕打ちはしませんから」

 そうつぶやいて、千鳥は、吐息ともうめきともつかないちいさな声を発する。彼女らしからぬ、迷いのニュアンスを含んだその声に、弥生はいぶかしげに首をひねる。
 一瞬、電波を挟んだ沈黙のあと、千鳥がつぶやいた。

「先日、範子さんに聞いたのですが」
「うん」
「昔は、夢に誰かが出てくるというのは、その誰かが思いを飛ばして相手の夢の中を訪れた、と解釈されたそうです」
「……つまり、千鳥さんが私を思っていたから、私の夢に現れたの?」

 弥生の問いに、千鳥は笑って、答えない。
 珍しく、そんなずるいやり方で、千鳥は弥生をからかっているのか、それとも、じらしているのかもしれなかった。
 電話越しの遠い彼女に、弥生は、その不満をうまく伝える術がない。

「じゃあ、今度は、私が会いに行くよ」
「どうぞ。夢でも、うつつでも」
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